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横浜の港


帆  船 
客  船 
みなと町の風景
浮世絵・錦絵の風景


帆  船 客  船 みなと町の風景 浮世絵・錦絵の風景 
横浜港に寄港した帆船をファイルしました。現在6隻です  横浜港に寄港した客船・クルーズ船をファイルしました。現在20隻です  港町のスナップ写真  浮世絵・錦絵に描かれた
幕末・明治の横浜港の風景 

 横浜港の歴史は中世まで遡ることができる。平安時代、東京湾内の主要な海上交通の拠点として神奈川湊がすでに利用されており、鎌倉時代には六浦港(現在の横浜市金沢区)とともに物流の拠点として繁栄した。ただし当時の神奈川湊は現在の横浜港の中心地からは少し離れた場所にあった。神奈川湊は鎌倉時代には鶴岡八幡宮の支配下にあり、室町時代には関東管領上杉氏の支配となり、戦国時代には小田原北条氏の家臣多米氏が支配。さらに徳川家康の江戸入府に伴いその支配地となる。慶長6年(1601)神奈川湊は東海道の宿場町神奈川宿と制定されて幕府の直轄地となった。江戸の発展とともに全国各地から物資が集積され、神奈川湊(宿)でも廻船問屋を営む者も現れた。もっとも、横浜港が飛躍的な発展を遂げるのはペリーが来航して安政5年(1858)に米、英、仏、露、蘭の間で修好通商条約(安政五カ国条約)が締結されて横浜港の開港が決まってからのこと。ちなみのこの時に開港が決まったのは横浜の他、長崎、函館、神戸(兵庫)、新潟の五港
 当初、諸外国は神奈川湊を開港場所とするよう要請したとされるが、幕府は佐久間象山、外国奉行であった岩瀬忠震らの意見により東海道に直結する神奈川湊(宿)を避けて対岸の横浜村に港を新設した。また開港にともない外国人居留地も横浜村に開設された。居留地は当初山下町(関内地区)に開設され、外国人の増加に伴い山手居留地が開設された。居留地の制度は明治32年(1899)に外国人の治外法権が撤廃されるまで続く。山下居留地の跡は貿易商社が立ち並ぶ商業地区として発展し、山手居留地跡は外国人住宅地となり、さらに高級住宅地として現在まで続いている。また居留地の外国人生活を支えるための商店の開業も相次ぎ、現在の元町商店街の基礎が出来上がることにも繋がった。
 横浜は港を中心として発展した街である。現在は国際戦略港に指定された京浜港(東京区、川崎区、横浜区からなる)の主要な港湾として、とくにクルーズ船の発着港としては国内一位の実績がある。また外国貿易のコンテナ取扱数は東京港に次いで国内2位。10か所の埠頭と、249のバース(岸壁)を有する巨大港に発展した。
 歴史はともかくとして、横浜港や、これに隣接する街や施設を散策するのは楽しい。その都度新しい発見をした思いもする。生まれ育った街ではないが、横浜市民となって早20年余の歳月が流れた。この先も住み続けるかどうかは分からないが、私の足跡の一つとして港町の風景をwebサイトにfileさせていただく。(2011年8月15日)
  

現在の横浜港中心部地図

明治24年発行の横浜港中心部地図

山下公園マリンタワー展望室から撮影

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