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歳時記  


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    平成30年(2018)1月 歳時記
 花言葉  今月の歌  酔いどれ親父の妄想・妄言  酔いどれ道中記  

 花言葉 

 
いちご  花言葉:幸福な家庭、尊重と愛情、誘惑、甘い香り、無邪気
 
 私の部屋の日当たりのよい場所にイチゴの鉢植えを置いた。観葉植物でも置けば、その方が部屋が華やかになるとも考えたが、近所の花屋の前で、脳内の思考回路より手の動きの方が早かった。答えを出す前に、すでにイチゴの苗を手にしていた。12月の始めに2株のイチゴの苗を買った。買ったときには花はなかったが、温室効果があったのか12月の末になって、一つの蔓に三つの花が咲いた。屋外に置いた自然の状態なら、花をつけるのは3月から5月にかけてのことのようだ。
 イチゴはバラ科の多年草。食用となるのは花托(かたく:被子植物の茎が厚くなった花が育つ部分)で果実ではないという。また現在世界中で広く栽培されているイチゴは”オランダイチゴ”属という。
 ギリシャ神話に登場するイチゴは、愛と美の女神アプロディーテが恋人のアドーニスの死を悼んで流した涙がハートの形をしたイチゴであった。古代ローマではイチゴは愛の象徴とされていた。

 今月の歌
 行く年の をしくもあるかな ます鏡 見る影さへに くれぬと思えば

  去ってゆく年が惜しまれる。朝夕目にする鏡に映る自分の姿が暮れる(暗くなる)様に感じるから(紀貫之)
  行く年への愛惜と年の瀬の心細い心境に、鏡を見て老いを感じて嘆いている様子を重ねている。ます鏡は真澄
  の鏡=よく澄んでいる鏡のこと。


 わがまたぬ 年は来ぬれど 冬草の かれにし人は おとづれもせず

  私が待ってもいない新年が来てしまった。枯草同様に枯れた(離れた)人は訪れても来ない(凡河内躬恒)
  作者は老人であろうか。それとも恋人を待つ若い人か。それによって歌の解釈も大きく変わる。老人であるなら
  私の心境にも似ている。
 
 掲載した2首は古今和歌集(巻第六)に収録されたもの。

 酔いどれ親父の妄想・妄言
 前回、歳時記のページを更新したのは平成25年(2013)の9月のこと。それ以来更新しなかったのはただただ面倒になったから。かれこれ4年以上もの間、ページを閉鎖することもなく放置していたのも、それをする手間すらも面倒に感じていたからに過ぎない。それが本日になって急に更新することにしたのは、特段の理由があるわけでもない。いつもの気紛れ心にそそのかされた、ただそれだけの理由だ。気紛れ心は私であっても私の意志で動いているものではない。だから、今後このページの更新が継続的に行われるかは気紛れ心の気分次第だ。
 今年の年の瀬は、私にとっては初めて経験するような平穏な空気に包まれている。何もすることがない。いや、すべきことはきっとあるに違いないが、何もしなくとも誰からも叱責の声は聞こえない。気紛れ心は勤勉(?)であろうとする私の意思を押さえつける。そればかりか無為な時間を過ごすことを強要する。それはそれで心地よい時間でもあるのだが心の奥では少々戸惑いも感じている。
 定年退職から10年が過ぎた。退職後に小さな会社を立ち上げたが、思惑通りにはいかず見事に失敗。撤収するに、やむを得ず全ての資産を処分した。今年の6月までは不定期にアルバイト的な仕事をしていたが、それも辞めた。辞めた理由は胃癌が見つかり、手術をする羽目になったから。
 癌の進行状態はステージ3だと手術前に言われ、それなりに覚悟はしていた。残すべき資産は何もないので遺言書のような大げさな文書はしたためていないが、後始末の依頼とこれまでの感謝、それに手術の後遺症で寝たきり状態になった時の過剰な治療や延命治療は止めるようにとだけ書置きした。幸か不幸か手術は無事に終わり、今は抗癌剤治療を受けている。ステージ3と言われた進行状況も、手術後にはステージ2に変更されていた。癌細胞が他の臓器に移転してはいなかったようだ。この分なら少なくとも5年は生き永らえそうである。もっとも、これが喜ばしいことかどうかは今の時点では分からない。
 手術で胃の三分の二が切り取られた。残った三分の一の胃で生活するのは想像していた以上に不便なものだ。ただし、このおかげで太り気味であった私の体重は10キロ以上減量し、半世紀前に運動部に所属していた学生時代の体重とほぼ同じになった。このことだけは満足している。身体が軽くなって元気も出た。筋力は衰えたが、軽く走る程度ならできそうな気がする。ただし今はウオーキングに留めて、走ることは実行していない。ほぼ毎日飲んでいた焼酎も、癌を宣告されて以来飲んでいない。アルコールで胃を洗浄すれば回復も早まるのではという私の思いは「馬鹿なことは言わないで」というカミさんの罵倒であきらめた。とはいえ、医者から飲酒を止められているわけでもない。飲酒について当方より何の質問もしていないが、同時に医師からもこれまで飲酒について何等のアドバイスもない。適度な量なら構わないのだろうと勝手に解釈している。新しい年を迎えたら飲み始めようかと思っている。”酒なくてなんで己が人生かな”である。
 抗がん剤治療の不快さを紛らわすため、押入れの奥に仕舞い込んでいた本を取り出して、読書の時間が増えた。
 『すかし屁の 消えやすきこそ あわれなれ みはなき物と 思ひながらも』
 紀定丸(きのさだまる。本名:吉見義方。宝暦10年・1760〜天保12年・1841。江戸の人)の狂歌である。「すかし屁」は音のしない放屁。これを頭に持ってくるとは、狂歌とは言え下品な歌である。しかも人生無常を悟った振りをして、人知れず消え去ろうとする自分の人生に未練たっぷりである。・・・なんとなく我が思いと重なる。(2017.12.28)

 酔いどれ道中記
 久しぶりの東京駅である。サラリーマンであった頃は毎日のように通勤に利用した駅であるが、前回訪れたのがいつの事であったのか忘れるほどに遠のいている。横浜に住んで、東京は距離を感じる場所ではないが、日常的にあえて訪れる場所でもなくなっている。
 私が退職する頃、レンガ造りの駅舎は創建当時の姿に改修する工事が行われていた。丸の内側の駅前広場は工事用の資材置き場になっていて防護壁に囲まれていた。退職後の、それがいつだったのか確かな記憶がないが、レンガ造りの駅舎が完成した直後に東京駅を訪れてはいる。その時はまだ駅前広場の整備は完了していなかったが、少し前に東京駅から皇居に続く行幸通りの改修が終わり、同時に駅前広場も整備されたというニュースを見た。また12月の始めに表参道の並木がイルミネーションで飾られたというニュースも耳にした。その両方を見てみたいと急に思い立ち、気乗りのしないカミさんを連れ出して横浜から東海道線に乗る。
 通勤に東京駅を利用していた頃は東京駅は東海道線の始発駅であり終着駅であったが、今は東京駅を通り越して常磐線、宇都宮線(東北本線)、高崎線方面へも繋がったしまった。便利になった人もいるだろうが、私には残念に思う気持ちの方が強い。これまで在来線で水戸、宇都宮や高崎方面に行くのに東京駅で乗り換えるのだが、それを不便に感じたことはない。横浜から東京を通り越して訪れる地域は私にとっては地方である。商用であれ行楽であれ、地方を訪れるにはそれなりの気持ちの切り替えが必要だ。東京駅で乗り換える時間は頭の切り替え・整理ににちょうど良い時間を提供してくれた。と思いつつ、そんなことを感じるのは、いまだにスマホではない携帯電話を使用し続けている取り残された旧式人間のノスタルジャーでしかないと、自分自身でも自覚はしている。それでも、どうにも説明のつかないうっとうしい気分がつきまとう。もっともこんなことは酒でも飲めば瞬時に忘れる程度のことではある。昔立ち寄った駅近くの蕎麦屋でちょっと一杯ひっかければたちどころに不満解消となるのだが、残念なことに今しばらくは自ら飲酒を禁じている。同行のカミさんもいることだし、飲んだつもりでうっとおしい気分を忘れることにする。
 東京駅に着いたのは午後2時ごろ。一杯ひっかけるのは諦めたが蕎麦屋で遅い昼食でも食べようと私は勝手に八重洲口方面に歩き出す。しかしカミさんは空腹を感じていないという。このまま表参道に行ってもイルミネーションが点灯する時間にはずいぶんと間がある。八重洲の地下街をそぞろ歩きはしたが、それでもたいして時間は過ぎてくれない。あてもなく地下街をうろつく老人二人。はた目には田舎から上京して道に迷った老夫婦の姿に見えたに違いない。
 駅前広場から皇居に通じる行幸通りも整備されたことでもあり、久しぶりに二重橋まで足を延ばすことにして丸の内側に戻る。

 行幸通りは内堀通りまでを一直線で結んでいる。途中の外堀通りの和田蔵門の交差点から振り返れば東京駅がテーマパークの入り口のように見える。江戸時代の城郭跡を色濃く残す皇居と対比するように丸の内に高層ビルが林立する。その両方を同時に眺められるこの場所は近代都市のテーマパークといっても過言でないように思う。
 和田蔵門から二重橋に向かう。一週間後には天皇誕生日である。広大な皇居前広場にはその準備のためのテントが何張りも並んでいた。二重橋に着き、お決まりのポーズの二重橋を人の姿を入れないで写真に収めようとするが、難渋する。今も昔も二重橋は東京観光必須の名所なのだろう。平日の午後ではあるが観光客の姿が想像していた以上に多い。私が初めて二重橋を見たのは中学生の修学旅行の時。あの時は団体旅行の学童や学生で二重橋は人で満ちていたと記憶に残るが、今も人の多さは変わらないものの、人の姿は変わっている。修学旅行生らしい少人数の学生のグループを目にすることはできるが、圧倒的に多いのは海外からの団体旅行客。東京ばかりでなく、今では地方都市や辺鄙な観光地でも頻繁に目にする光景で、決して珍しくはないが、それでも異文化の集団として過剰に意識して構えてしまう。偏見は持っていないと、自分に言い聞かせてはいるが、とっさに本性が出るのは、やはり社会的に落ちこぼれた我が身の性なのかもしれない。

 ずいぶんと昔、バブル経済といわれた時代が始まろうとしていた頃、表参道の並木が今のLEDの光でなく豆電球の光で覆われていた時期がある。イルミネーションで彩られた表参道を訪れるのはその時以来のことだ。山手線の原宿駅で降り表参道に向かう。時刻は午後4時半頃。東京駅を離れるときは曇り空ですでに夕闇の雰囲気であったが、原宿に着くと晴れ間も覗く。まだ夜が訪れるには少し間がある感じだ。
 「暗くなるまで待って」はオードリー・ヘップバーン主演のサスペンス映画の題名。老夫婦の会話には似つかわしくない台詞だ。「暗くなるまでお茶しよう」と若い子の言葉使いでカミさんが先に立って歩きだす。東京駅や皇居では私が主導して先に歩いていたが、ここでは主従が入れ替わる。ここはカミさんにとって勝手知ったる街のようだ。カミさんは紅茶と何やら派手な彩りのケーキのようなものを注文する。私はというと、メニューをめくって特製カレーを注文。その場の雰囲気を考慮することなど、空腹には変えられない。
                                                                                イルミネーションで飾られた並木道を見ようと集まった人の数は想像していた通りで、車道も歩道も混雑していた。それでも、時刻はまだ6時、この街では早い時刻であるのだろう、人の動きも車の列も整然としている。かつての私のように酔っぱらってそぞろ歩きする人の姿が見られない。ちょっと寂しい気分だ。もっともそんな酔っ払いに行く手を遮られれば、自身のことは棚に上げて、しかめ面で睨み返すに違いない。
 原宿から青山通りの表参道口まで歩く。2Kほどの距離でしかない。僅かな時間だが、久しぶりにイルミネーションで飾られた並木道を歩くと、それだけで気分は高揚する。少しだけ若返った気持にもなる。これでアルコールでもあれば何の不満もないのだが、監視つきでは、今日のところは諦めるしかない。
 とはいえ監視役のカミさんも、多分、久しぶりの夜の街の散策なのだろう。私同様に気分はハイになっている様子だ。高い場所から街の灯りが見てみたいという。それならスカイツリーに行こうといったが、東京タワーがいいと言う。カミさんなりのこだわりがあるようだ。
 そういえば、30代の後半に東京に転勤になり、真っ先に訪れた場所が東京タワーだった。展望台に上り大都会を目の前にする。まだ小学生低学年の子供を連れて、これからはじまる東京での生活(実際には横浜に住居を構えたのだが)を思い描いたことがあった。過ぎ去った日々はすべてが懐かしく、そして美しい。聞いてはいないが、おそらくカミさんもそんな思いでいるのだろう。と、勝手に想像したが、カミさんの心はもっと現実的だ。道々、ショーウインドウを覗いてはため息をついている。(2017.12.15)



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