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日本の城 幕末の藩と最後の藩主

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幕末の藩と最後の藩主


国の名前をクリックすると、その国の詳細情報へリンクします。

蝦夷地・東北地方の藩(32)         
 蝦夷  1 松前藩             
 陸奥  17  八戸藩  七戸藩   黒石藩  弘前藩  南部藩  一関藩   仙台藩  
  相馬藩  平藩  湯長谷藩  泉藩  棚倉藩  福島藩  二本松藩 
  三春藩  守山藩  会津藩         
 出羽 14  秋田藩  亀田藩  本荘藩  矢島藩  秋田新田  新庄藩   松山藩 
  庄内藩  天童藩  長瀞藩  山形藩  上山藩  米沢藩  米沢新田 
関東地方の藩(55)       
 上野  9  館林藩  沼田藩  伊勢崎藩  前橋藩  高崎藩  吉井藩  小幡藩 
  安中藩  七日市藩           
 下野 10  黒羽藩  烏山藩  大田原藩  喜連川藩  高徳藩  宇都宮藩   壬生藩 
  吹上藩  佐野藩  足利藩         
 常陸 12  松岡藩   水戸藩  麻生藩   笠間藩  宍戸藩   府中藩  志波藩 
  土浦藩  矢田部藩  牛久藩  下妻藩  下館藩      
 下総  8  結城藩  古河藩  関宿藩  小見川藩   多古藩 高岡藩  佐倉藩 
  生実藩             
 上総  7  鶴牧藩  一宮藩  大多喜藩  久留里藩  請西藩  飯野藩  佐貫藩 
 安房  2  館山藩  勝山藩           
 武蔵  5  岩槻藩   忍藩 川越藩   岡部藩  金沢藩      
 相模  2  荻野山中  小田原藩           
信越・北陸地方の藩(32)        
 越後 11  村上藩  黒川藩  三日市藩   新発田藩  村松藩  三根山藩  与板藩  
  長岡藩  椎谷藩   高田藩  糸魚川藩       
 越中  1  富山藩             
 加賀  2  加賀藩  大聖寺藩            
 越前  6  勝山藩  大野藩  丸岡藩  福井藩  鯖江藩  敦賀藩    
 若狭  1  小浜藩             
 信濃 11  飯山藩  須坂藩  松代藩  上田藩  小諸藩  岩村田藩  田野口藩 
  松本藩  諏訪藩  高遠藩   飯田藩       
東海地方の藩(27)           
 駿河  4  沼津藩  小島藩  静岡藩  田中藩  堀江藩      
 遠江  4  相良藩  掛川藩  横須賀藩   浜松藩       
 三河  9  吉田藩  田原藩  大垣新田  西太平藩  挙母藩  岡崎藩  西尾藩 
  西端藩  刈谷藩           
 尾張  2  犬山藩  尾張藩           
 美濃  8  苗木藩  岩村藩  郡上藩   高富藩  加納藩  大垣藩  高洲藩 
  今尾藩             
近畿地方の藩(60)             
 伊勢  7  長島藩  桑名藩  神戸藩  菰野藩  亀山藩   津藩  久居藩 
 志摩  1  鳥羽藩             
 近江  8  宮川藩  彦根藩   山上藩  西大路藩   水口藩  大溝藩  三上藩 
  膳所藩              
 山城  1  淀藩             
 大和  8  柳生藩  柳本藩  芝村藩  田原本藩  高取藩  郡山藩   小泉藩 
  櫛羅藩             
 紀伊  3  新宮藩  田辺藩  紀州藩         
 和泉  2  岸和田藩  伯太藩           
 河内  2  狭山藩  丹南藩           
 摂津  4  麻田藩  高槻藩  尼崎藩  三田藩       
 丹波  7  亀山藩   園部藩  山家藩   福知山藩  綾部藩  柏原藩   篠山藩 
 丹後  3  田辺藩  宮津藩   峯山藩          
 但馬  3  出石藩   豊岡藩   村岡藩         
 播磨 11  明石藩   福本藩  三草藩  小野藩  姫路藩   林田藩   安志藩 
  龍野藩  山崎藩  三日月藩  赤穂藩       
山陽・山陰地方の藩(28)        
 因幡  3  若桜藩  鳥取藩  鹿野藩          
 出雲  3  母里藩  松江藩   広瀬藩          
 石見  2  浜田藩   津和野藩            
 備前  1  岡山藩              
 備中  9  足守藩  岡田藩  庭瀬藩  新見藩  松山藩  浅尾藩  岡山新田  
  成羽藩   鴨方藩            
 美作  2  津山藩  勝山藩           
 備後  1  福山藩             
 安芸  2  広島新田  広島藩            
 周防  2  岩国藩  徳山藩           
 長門  3  長州藩   長府藩  清末藩         
四国地方の藩(14)          
 阿波  1  徳島藩             
 讃岐  3  高松藩   丸亀藩  多度津藩         
 伊予  8  西条藩  小松藩  今治藩  松山藩  新谷藩   大洲藩   吉田藩  
  宇和島藩             
 土佐  2  土佐藩  土佐新田           
九州地方の藩(36)       
 豊前  3  小倉藩   小倉新田  中津藩         
 豊後  7  杵築藩  日出藩  府内藩  臼杵藩   佐伯藩  森藩  岡藩 
 筑前  2  福岡藩   秋月藩           
 筑後  3  久留米藩   柳河藩  三池藩          
 対馬  1  対馬藩              
 肥前 10  蓮池藩  佐賀藩  唐津藩   小城藩  鹿島藩  島原藩  大村藩 
  平戸新田  平戸藩  五島藩         
 肥後  4  熊本新田  熊本藩  宇土藩   人吉藩       
 日向  4  延岡藩   高鍋藩   砂土原藩   飫肥藩       
 薩摩  1  薩摩藩              
 琉球  1  琉球藩             

※ 最後の藩主の年齢は慶応3年末(1867)の時点の数え年です。
※ 家紋は最後の藩主のもの。
※ 写真をクリックするとそのお城・陣屋の訪問記にリンクします。
 

蝦夷地・東北地方の藩(32) 

 蝦夷
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
001 松前藩

3万石

北海道・松前町 
松前城


丸に武田菱
安政4年(1854)ロシアの南下に備え、それまで館でしかなかったものを幕府の命で築城。
明治元年(1868)に幕府軍によって占拠される。
昭和24年(1949)焼失。
昭和35年(1960)再建される。   
松前徳広 
23歳 外様
第13代藩主
幕府軍によって追われ、逃亡先の弘前で25歳で病死した。  
 
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陸奥
藩名・石高 家紋  城郭の歴史 最後の藩主
002 八戸藩

2万石

青森・八戸市

八戸陣屋


南部鶴
寛文4年(1664)南部藩3代藩主の死に伴い、その弟が2万石を分与されて独立。陣屋は本丸、2の丸、3の丸からなっていたが現在は本丸の土塁の一部が残るのみ。  南部信順 
54歳 外様 南部藩分家。薩摩藩主・島津重順の子。奥羽越列藩同盟に参加したが秋田藩とともに脱退。 
003 七戸藩

1万1千石

青森・七戸町

七戸陣屋


南部鶴
中世に七戸南部氏が10カ所の曲輪を持つ壮大な規模の七戸城を築いた。江戸時代になり南部藩の分家が支配して七戸城に陣屋を構えた。文政2年(1819)に加増となり立藩。当初は新田藩を名乗るが、明治2年(1869)に七戸藩に改称した。  南部信民 
34歳 外様 宗家南部藩に従い列藩同盟に参加。  
 004    黒石藩
 
1万石

青森・黒石市

黒石陣屋


津軽牡丹 
明暦(1656)弘前藩から藩領5千石を分割されて分家。文化6年(1809)1万石に加増されて藩となる。 陣屋は土塁によって囲まれ、南側の浅瀬石川によって守られていた。   津軽承叙 
27歳 外様 
宗家である弘前藩と行動をともにした。
   
 005   弘前藩

10万石

青森・弘前市

弘前城


津軽牡丹 
慶長16年(1611)5層天守閣築城寛永4年(1627)天守閣焼失。
文化8年(1811)現3層天守閣完成。
昭和12年(1937)天守閣他が国宝に指定される。   
津軽承昭
27歳 外様
第12代藩主
熊本藩主の4男で津軽家に婿養子。列藩同盟を脱退し官軍に加わる
。   
 006  南部藩

20万石

岩手・盛岡市

盛岡城


南部鶴
 
天正20年(1592)秀吉より本領を安堵された南部信直が築城を開始、寛永元年(1624)頃に完成。天守閣は寛永10年(1633)の完成とされるが、寛永11年(1634)落雷で焼失。延宝元年(1673)に再建に着手し延宝8年(1680)完成。明治7年(1874)廃城の際に城は取り壊された。     南部利剛 
48歳 外様
列藩同盟に参加し秋田藩を攻撃し敗退。7万両の賠償金支払で財政破綻   
 007    一関藩

3万石

岩手・一関市

一関陣屋


田村茗荷 
万治3年(1660)伊達正宗の末子が分知し立藩。伊達騒動により改易となり、天和元年(1681)伊達一族の田村氏が入封。城郭はなく土塁、堀で囲まれた陣屋があった。現在は市街地化してほとんど痕跡が残っていない。    田村邦栄 
46歳 外様 奥羽列藩同盟に参加。官軍側の秋田藩を攻撃したが敗退。降伏し、謹慎。  
  
 008  仙台藩

62万石

宮城・仙台市

青葉城


仙台笹
 
慶長5年(1600)に伊達正宗が青葉山に築城を始める。慶長7年(1602)には一応の完成をみるが天守はなかった。寛永16年(1639)に青葉山の麓に二の丸完成して藩政の中心をここに移す。正保3年(1646)地震で本丸の櫓倒壊。以後再建されず。昭和42年(1967)大手門脇隅櫓が再建される。    伊達慶邦
42歳 外様
第12代藩主
奥羽列藩同盟を結成して総督に就任。敗れて1868年9月に官軍に恭順    
 009     相馬藩

6万石

福島・相馬市

中村城


九曜 
慶長16年(1611)相馬利胤が中村城を造営。
寛文10年(1670)落雷により天守が焼失。以後再建されず。
明治3年(1870)大手一の門を除き城郭を取り壊す。   
相馬誠胤 
15歳 譜代 
官軍側の奥羽鎮撫総督府に一旦は恭順するが仙台藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。 
  
 010  平藩

3万石

福島・いわき市

平城


藤花輪
 
慶長7年(1602)鳥居忠政が入封して築城を開始し、12年の歳月をかけて完成した。本丸を中心に大手郭、塩硝郭、水手郭、二の丸、三の丸を配す。天守はなく、三階櫓が代用。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け、城を自焼。   
安藤信勇 
18歳 譜代 
前藩主、信正は坂下門外で襲撃されて隠居した。列藩同盟に参加するが、官軍の攻撃を受け降伏した。    
 011    湯長谷藩

1万5千石

福島・いわき市 

湯長谷陣屋


下り藤 
寛文10年(1670)平藩より分知し立藩。延宝4年(1676)に陣屋を造営。慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け落城。現在陣屋の跡地は学校となっている。    内藤政養 
10歳 譜代 総督府に一旦は恭順するが宗藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。陣屋を焼かれて平藩へ逃走   
 012   泉藩

2万石

福島・いわき市

泉陣屋 


本多立て葵 
寛永11年(1634)平藩より分知を得て立藩。寛文11年(1668)に陣屋を造営。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を陣屋は焼失。現在は土塁跡と盛られる高まりが残るだけ。   
本多忠紀 
48歳 譜代 
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。官軍の攻撃を受け陣屋が焼かれる。  
 013     棚倉藩

10万石

福島・棚倉町

棚倉城


 
違い鷹羽
 
寛永2年(1625)丹羽長重が築城に着手。方形の本丸を二の丸が囲み、北西に三の丸を配した輪郭様式。 本丸には四の基二重櫓があったが、明治元年(1868)に官軍の攻撃を受け、自焼した。土塁、水堀の跡が良好な状態で残っている。   安部正静
18歳 譜代 
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。藩主は白河城で敢闘するが降伏した 
 014    福島藩

3万石

福島・福島市

 福島城 


板倉巴 
秀吉の時代に伊勢松阪より会津に入封した蒲生氏郷の家臣木村吉清がそれまで杉目城と呼ばれていたのを福島城と改めて入城。江戸期には幕領になるが元禄15年(1702)に板倉氏が入封。城を修復。本丸を中心に二の丸、三の丸を配置し、阿武隈川の水を引き入れて堀とした。現在は一部土塁が残るのみ。    板倉勝尚 
16歳 譜代 
列藩同盟に参加し、白河口へ派兵したが、二本松城の落城を見て降伏した。   
 015 二本松藩

10万石

福島・二本松市 

二本松城


丹羽直違い  
中世、畠山氏によって城が築かれたのが 最初。寛永20年(1643)丹羽氏が入封して本格的に城を整備。戊辰戦争の際に官軍の攻撃を受けて自焼。
昭和57年(1982)に箕輪門、多門櫓、二重櫓が再建された。  
丹羽長国 
33歳 外様  
織田信長の重臣丹羽長秀の子孫。列藩同盟に参加。城を攻撃されるが米沢へ脱出。その後降伏   
 016    三春藩

5万石

福島・三春町

三春城


秋田檜扇 
戦国時代に三春田村氏の居城。田村氏は奥州平定によって改易。会津の支城となる。寛永4年(1627)会津藩の分知を得て立藩。城の大改修が行われる。
天明5年(1785)火災で建物全焼。城の南西麓に御殿を設ける。明治3年(1870)楼門、堀を廃止   
秋田映季
9歳 外様 
藩政は叔父が代行し、列藩同盟に参加。棚倉城の落城を見て友軍を攻撃、官軍側に着く。   
 017    守山藩

2万石

福島・郡山市

守山陣屋


守山三葉葵 
元禄13年(1700)水戸藩の支藩として誕生。城郭は築かれず、藩主は基本的には定府で、陣屋には代官が置かれていた。
陣屋跡地は宅地化されて、現在では遺構はほとんど確認できない。   
松平頼升 
35歳 家門  
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。  
 018 会津藩

28万石

福島・会津若松市

会津若松城


会津葵 
戦国時代は蘆名氏の居城。秀吉の奥州平定により蒲生氏郷が入封。蒲生氏は城を若松城と改称して七重の天守を築く。
明治元年(1868)新政府軍の攻撃を受け城を焼失。
昭和40年(1965)天守および走り長屋が外観復元される。平成13年(2001)には南走り長屋、干飯櫓が復元される。
   
松平容保 
32歳 家門 京都守護職であった。新政府軍に対して徹底抗戦。北越戦争、会津戦争で敗北で謝罪、恭順する。  
  
 
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出羽
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
019 秋田藩
(久保田藩)

20万5千石

秋田・秋田市

久保田城


佐竹扇
慶長8年(1603)水戸より転封となった佐竹氏が築城着手。天守閣は造られず、本丸の2階建て櫓を代用。寛永10年(1633)および安永7年(1778)に本丸焼失。都度再建されたが明治13年(1880)の火災でほとんど焼失。平成元年(1989)に隅櫓を復興。  佐竹義尭 
42歳 外様 相馬家からの養子。列藩同盟を脱退して官軍として庄内藩・南部藩と戦う。莫大な戦費の為の借財で苦しむ。
 
020   亀田藩

2万石

秋田・由利本庄市

亀田陣屋


岩城立て引き 
元和8年(1622)最上氏が改易後に信濃更科から岩城氏が2万石で入封。城郭はなく陣屋が築かれたが、高城山の中腹に内堀、外堀で区分された御殿があった。別名、天鷺城ともいった。現在は美術館が模擬御殿として建てられている。    岩城隆邦 
23歳 外様 列藩同盟に参加後、官軍側に着いたが、同盟軍が進撃すると再び同盟軍側に。結局敗退した    
 021   本荘藩

2万2千石

秋田・由利本庄市

本庄城
 

六郷亀甲
慶長15年(1610)最上氏の重臣楯岡氏が築城。元和7年(1621)楯岡氏改易後、六郷氏が入封。
明治元年(1868)新政府側に着いた六郷氏に対して幕府側の鶴岡藩の攻撃を受け、城は焼失。   
六郷政鑑
15歳 外様 
列藩同盟をいち早く脱退し官軍側に着いたが、同盟軍の攻撃で城を捨てて退却。後に奪還する
  
 022    矢島藩

1万石

秋田・由利本庄氏

矢島陣屋


生駒車 
寛永17年(1640)生駒氏が讃岐高松から移封されて、それまで打越氏の居城であった矢島城に入る。生駒氏はここを領国経営の陣屋として整備。戊辰戦争時、官軍側に着いた生駒氏に対して幕府側の鶴岡藩の攻撃をうけて陣屋は焼失。 現在は土塁、堀の痕跡が僅かに残るのみ。   生駒親敬 
18歳 譜代 元々は大名格でなかったが、東北戦争で官側に協力したことが評価されて明治元年(1868)に大名となる。
  
 023   秋田新田藩

2万石

秋田・秋田市

椿台陣屋


丸に佐竹扇 
元禄14年(1701)秋田藩から2万石の分知を得て立藩。藩主は代々江戸藩邸にいたが、明治元年(1868)に秋田に戻り陣屋を構築。宗家とともに官軍側に着き、陣屋一帯は幕府側の鶴岡藩との戦闘の場となる。現在陣屋の後はゴルフ場の一部地なっている。    佐竹義諶 
30歳 外様 
秋田藩とともに官軍側として戦う。最後の藩主義諶は相馬藩からの養子。後に貴族院議員となる
。 
 024    新庄藩

6万8千石

山形・新庄市

 新庄城


石持ち地抜き九曜 
寛永元年(1624)最上氏の改易後に入封した戸沢氏が築城を開始。方形の本丸と南西に付属する二の丸を三の丸が囲む、典型的な輪郭式の構造。寛永4年、寛永13年(1636)の火災で天守は焼失。明治元年(1868)に幕府軍の攻撃を受け城の大半が焼失。石垣、土塁、堀が良好な状態で残っている。    戸沢正実 
35歳 外様 母親が島津家の娘。一時列藩同盟に参加したが官軍側につき、新庄城は官軍の拠点に。    
 025   松山藩

2万5千石

山形・酒田市

 松山城


隅入り平角に片喰  
正保4年(1647)庄内藩より分知を得て立藩。
寛文4年(1664)加増により築城の許可を得て、天明元年(1781)に築城を開始したが、一部未完成のまま築城を中止。本丸、二の丸、三の丸が囲む梯郭式構造。現在は大手門のみ現存する。   
酒井忠良 
36歳 譜代 宗家庄内藩と行動を共にし、江戸薩摩藩邸焼き打ち、列藩同盟にも参加した。
   
 026 庄内藩

18万石

山形・鶴岡市

 鶴ヶ岡城


庄内片喰 
慶長6年(1601)最上氏の支城として修築。
元和8年(1622)最上氏改易となり酒井氏が入封。城下の大改修を行う。本丸を二の丸が囲み、家臣団の住居がある広大な三の丸が囲む典型的な輪郭式構造。城郭建築は明治にすべて取り壊された。本丸、二の丸の堀の一部が残る。
   
酒井忠篤  
14歳 譜代 列藩同盟に加わり、新庄藩を攻略するが、会津が降伏するのを見て恭順。洋式銃を持った最強軍団だった。    
 027    天童藩

2万石

山形・天童市

天童陣屋


五瓜に唐花 
天保元年(1830)織田氏は陸奥信夫郡の領地から転封となり、天童に陣屋を造営。戊辰戦争で焼失し、現在陣屋跡地の真ん中を山形新幹線が通り、遺構はほとんど確認できない。   織田信学 
48歳 外様 
当初は官軍側の羽前地方鎮撫の先導役を任命されたが庄内藩の攻撃を受け列藩同盟に参加した。最後は官軍に恭順。   
 028    長瀞藩

1万1千石

山形・東根市

長瀞陣屋


米津団扇 
寛政10年(1798)幕府直轄領であったが、米津氏が武蔵久喜より転封となり陣屋を造営。陣屋は3重のの水掘りによって区分けされていたが、戊辰戦争時に焼失。現在は水掘りの一部が残る。    米津政敏 
16歳 譜代 列藩同盟には参加せず、同盟軍によって陣屋が焼かれる。明治2年に常陸竜が崎に転封となり、藩主は貴族院議員。    
 029  山形藩

5万石

山形・山形市 

山形城
(霞城)


水野沢潟 
室町時代初期に羽州探題・斯波兼頼ヶ山形に城を築いたのが最初といわれる。戦国時代に斯波氏は最上氏に改名、文禄・慶長年間(1592~1615)に現在見られる城の原型を築いた。江戸時代を通じて譜代大名の赴任地となったが、禄高が減少して城の維持が困難となり荒廃。明治3年(1870)城内建物はすべて撤去された。   水野忠弘 
11歳 譜代 藩主は官軍に恭順するが、国元では家老が主導して列藩同盟に参加。家老は責任を負わされ処刑される。  
 030  上山藩

3万石

山形・上山市

上山城
(月岡城)


石持地落片喰 
戦国時代に上山氏が築城したのが最初。寛永5年(1628)に土岐氏が入封して本格的な築城。本丸には3重櫓の天守が建てられたが、元禄5年(1692)一時廃城となり本丸建物は取り壊された。以後は二の丸が城の中心となる。昭和57年(1982)に模擬天守復元される    松平信庸 
32歳 譜代 
庄内藩とともに薩摩江戸屋敷焼き打ち、列藩同盟にも参加したが、降伏。 
 031   米沢藩

18万7千石

山形・米沢市

 米沢城


上杉笹
 
天文17年(1548)伊達晴宗が城と城下町を整備。
慶長13年(1608)直江兼続の縄張りで大修築。
延宝元年(1673)本丸に天守代用の三階櫓造営。
明治4年(1871)城内建物破却。  
上杉斉憲 
47歳 外様 藩主は種痘の奨励、軍制改革を積極的に行うが、列藩同盟に加わらず、官軍に恭順。会津にも降伏を勧め    
 032    米沢新田藩

1万石

 山形・米沢市
 


米沢笹 
享保4年(1719)に1万石を分知されて立藩。陣屋はなく、藩庁は米沢城二の丸にあった。また藩主御殿も米沢城内にあった。    上杉勝道 
41歳 外様 米沢藩の支藩。米沢藩主の弟で、官軍と列藩同盟諸藩の仲介役を務める。 
   

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関東地方の藩(55)  

上野
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
033 館林藩

6万石

群馬・館林市

館林城 


五瓜に唐花
天文元年(1532)または弘治2年(1556)に長井照光が築城したのが最初といわれる。その後、上杉、北条の攻撃を受け攻略される。家康の関東入城時には家臣の榊原氏が城主となる。天守は築かれなかった。現在は三の丸に城門、土塁、井戸屋方が復元された。  秋元礼朝
20歳 譜代
第1次征長時に長州・幕府の調停に努める。戊辰戦争では官軍側で北越から奥州まで転戦した。 
034 沼田藩

3万5千石

群馬・沼田市

沼田城 


土岐桔梗 
天文13年(1544)に沼田氏によって築城。天正19年(1591)から慶長2年(1597)にかけて修復。二の丸、三の丸、水の手曲、五重の天守を造営した。一時廃城となり、元禄16年(1703)本多氏が転封となり城を修復したが館程度の規模となった。    土岐頼知
18歳 譜代
前藩主は第2次征長に参加するが、情勢不利と見て隠居。土岐頼知は官軍に恭順。    
 035    伊勢崎藩

2万石

群馬・伊勢崎町

伊勢崎陣屋
   


丸に剣片喰 
天和元年(1681)に前橋城主酒井忠清の二男・忠寛が2万石を分与されて立藩。赤石城跡地に陣屋を築く。2の丸には藩主の御殿もあり陣屋とはいえ本丸、2の丸、乾碕曲輪をもうけた城郭であった。現在は小学校や市街地となり、当時をとどめる門も、侍屋敷から移築したもの。    酒井忠強
32歳 譜代
日和見な対応であったが、最終的には官軍の東山道先方隊総督府に恭順。沼田に進駐し、三国峠の戦いに参加した。
    
 036 前橋藩

17万石

群馬・前橋市

 前橋城 


三葉葵 
延徳年間(1489~1492)箕輪一族が利根川東岸の厩橋に築城したのが始まり。元禄年間(1688~1704)に城主であった酒井氏の代に厩橋を前橋と改称。宝暦7年(1757)利根川の浸食により城が崩壊、川越に移転。前橋城は一旦廃城とる。文久3年(1863)地元の要望により前橋城の再建に着手し慶応3年(1867)に川越から移転    松平直克
27歳 家門
直克は幕府の政治総裁職を務め、大政奉還後も幕府側に立って行動したが、官軍が迫ると帰藩して恭順した。    
 037  高崎藩

8万2千石

群馬・高崎市

  高崎城  


高崎扇 
慶長3年(1598)家康が家臣の井伊直政に命じて、中山道の要害に立つ和田城を取り込んだ形で新城を築かせ、名を高崎城と改めた。ほぼ方形に本丸を2の丸、西の丸、西曲輪、榎曲輪、三の丸が取り囲む壮大な規模であった。現在、本丸、二の丸は失われ、三の丸の土塁と堀の一部が残るのみ。乾櫓と東門が移築されている。   大河内輝聾
19 歳 譜代
文久4年(1864)水戸の天狗党討伐の幕命を受けて領内の下仁田で戦うが惨敗。その後甲府城代を命じられる等、幕府要職に就くが、官軍の進出に恭順。  
 038    吉井藩

1万石

群馬・吉井町

吉井陣屋


上野牡丹 
宝永6年(1709)それまで7千石の旗本格であったが3千石加増されて大名となる。宝暦2年(1752)陣屋を吉井村に構える。現在陣屋跡は市街地になっているが、郷土資料館横に表門が移築されて保存。土塁の一部も残る。   鷹司信謹
14歳 家門 
最後の藩主信謹は米沢藩からの養子。官軍の進出により恭順。三国峠の戦いに参加した。 
 039   小幡藩

2万石

群馬・甘楽町

小幡陣屋


九曜 
元和3年(1617)大和郡山藩主の織田信雄の4男が甘楽他3郡2万石を拝領、寛永19年(1642)織田信昌が陣屋を築く。嘉永4年(1851)松平忠恵のときに城主格となり、小幡城と称した。現在は織田信雄が造らせた大名庭園「楽山園」が県の史跡として残る。   松平忠恕 
42歳 譜代
天狗党討伐の際に高崎藩とともに出兵。敗北する。官軍の進出により恭順し、三国峠で会津軍と戦う。    
 040    安中藩

3万石

群馬・安中市

安中城


左三つ巴 
慶長19年(1614)井伊直勝が3万石を与えられ、戦国時代に築かれた安中城跡地に築城。明治まで城は存続したが規模は小さく陣屋程度であった。現在は土塁、空堀の一部が残るだけ。   板倉勝殷 
47歳 譜代
やや保守的な慎重派で、日和見的な対応であった。幕臣として碓氷峠の防衛を担当したが、碓氷峠に現れた赤報隊を討伐。官軍に恭順した。    
 041   七日市藩

1万石

群馬・富岡市

 七日市陣屋


星梅鉢 
元和2年(1616)加賀前田利家の5男・前田利孝が大阪の陣での戦功を認められ1万石を与えられて七日市村に陣屋を築いた。天保12年(1841)陣屋が全焼するが天保14年に再建。陣屋跡は現在小学校の敷地で、御殿の一部が残っている。   前田利豁 
44歳 外様
利豁は富山前田家からの養子。上京して新政府に恭順した。    
 
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下野
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
042 黒羽藩

1万8千石

黒羽陣屋 

栃木・太田原市



大関沢潟
天正4年(1576)大関高増が陣屋を築く。承応3年(1654)大関増栄が本丸を築くが、享保10年(1725)焼失。文政5年(1822)には居館が全焼。文政6年に再建。現在は公園化されて、土塁、堀の一部が残る。模擬望楼も建設されている。  大関増裕 
30歳 外様
御家騒動で前藩主が隠居した後、遠州横須賀藩から養子に入り後を継ぐ。藩政改革に努め、その名声から幕府の陸軍、海軍、若年寄りの要職を勤めた。
043   烏山藩

3万石

烏山城

栃木・烏山市

 
 

那須
大久保藤
応永25年(1418)那須資重が那須川左岸の八高山に城を築いたのが最初。天正18年(1590)秀吉によって那須家は所領を没収されれる。城は典型的な中世山城の構えであったが、現在は城の主要部分は山林となっている。山上部分に土塁、空堀が、山麓には三の丸の石垣が残り当時の面影をとどめている。  大久保忠順
10歳 譜代
官軍の東山道先鋒総督府に恭順し、白河口の戦いに参戦した。忠順は明治政府の貴族院議員となる。    
 044   大田原藩

1万1千石

太田原城

栃木・太田原市
 


丸に釘抜き 
天正12年(1543)太田原資清が最初に築城。その孫晴清が秀吉の小田原攻めに加勢し、1万2千石を拝領。以後明治まで一族が支配。現在城跡は龍城公園となり、本丸、2の丸、3の丸に土塁と空堀が現存する。   大田原勝清 
6歳 外様
大政奉還後に官軍に恭順したが、会津軍と大島圭介の導く軍から攻撃を受け、城を放棄した。勝清は後に貴族院議員となる。    
 045     喜連川藩

3千石

喜連川陣屋

栃木・さくら市 
 

五七の桐
天正18年(1590)古河公方足利家の断絶を惜しんだ秀吉により小弓公方足利義明の孫国朝に古河公方の娘を嫁がせて3千石を与える。国朝は文禄2年(1593)に陣屋・居館を築き、3千石ながらその血筋から徳川の代となってからも大名格として扱われる。陣屋の遺構現在はない。   喜連川綱氏
23歳 外様 
官軍に恭順して会津攻めに参加した。 
 046    高徳藩

1万石

高徳陣屋

栃木・足利市

   


 
戸田忠至が慶応2年(1866)宗家宇都宮藩主戸田忠友から1万石を分与されて立藩。鬼怒川段丘の中世の古城の跡に陣屋を築く。
戸田忠至は朝廷の山陵奉行として多くの陵墓を調査し、その功により立藩が認められたという。
現在陣屋の遺構は存在しない。 
 
戸田忠至 
58歳 譜代
宗家の宇都宮藩に従って行動。官軍につき、合図攻めにも参戦。  
 
 047  宇都宮藩

7万7千石

宇都宮城

栃木・宇都宮市 


星梅鉢 
康平6年(1063)宇都宮氏の祖、藤原宗円が居館を構えたの最初とされる。慶長2年(1597)に宇都宮氏は所領を没収され滅亡。元和5年本田正純が入封されて城を改築。この時天守閣が築かれたという。江戸中期には天守閣は存在せず、本丸5か所に櫓を設けて、そのうちの清明櫓を天守の代用としていた。現在は本丸の一部が残るだけ。   戸田忠友 
20歳 譜代
官軍に恭順したが大島圭介・土方歳三の軍に攻められ城は陥落。その後大垣藩兵の助力で奪還。会津攻めの功により賞典1万石を得る。   
 048   壬生藩

3万石

壬生城

栃木・下都賀郡
壬生町 


鳥居笹  
寛正3年(1462)壬生胤業が築城したのが最初とされる。
正徳2年(1712)に鳥居氏が入封し、明治まで続く。
現在跡地は城址公園となり本丸に土塁の一部と堀が残る。 
鳥居忠宝 
22歳 譜代
官軍の東山道先鋒総督府に恭順して、旧幕府軍と戦うが敗北。旧幕府軍に兵糧を与えて城下を迂回してもらう。 
 
 049   吹上藩

1万石

吹上陣屋

栃木・栃木市  
  


左三つ巴 
天保11年(1840)上総五井藩主有馬氏郁が領知替えとなり、天保13年に中世の吹上城本丸跡に陣屋を築く。
現在陣屋の遺構は見られないが、吹上城の土塁と空堀の一部が残る。
  
有馬氏弘 
17歳 譜代   
官軍の東山道先鋒総督府に恭順。
宇都宮にて旧幕府軍の大島圭介らと交戦する
。 
 050    佐野藩

1万6千石

佐野陣屋

栃木・佐野市
    


堀田木瓜 
貞享元年(1684)古河藩堀田正俊の2男正高が1万石を分与されて立藩。元禄11年(1698)正高は近江へ入封されて一旦廃藩となる。文政9年(1826)堀田正敦が若年寄りを務めた功により加増されて近江より佐野(植野村)に移転。文政11年に陣屋を構える。現在陣屋の中心部は公園となり、土塁の一部が残っている。   堀田正頌 
25歳 外様
官軍に恭順したものの最初は出兵を拒んで装備の提供をしただけであったが、叱責をうけて宇都宮で大島圭介の軍と交戦。その後会津軍とも戦った。   
 051   足利藩

1万1千石

足利陣屋

栃木・足利市
   


星梅鉢 
宝永2年(1705)甲府宰相綱豊の付家老戸田忠利が足利の3郡を拝領して大名となる。宝暦8年(1758)になってその一族が陣屋を築き明治まで続く。
現在陣屋跡は市街地化して、石碑があるのみ。  
戸田忠行 
20歳 譜代
忠行は幕府の陸軍奉行を務めたこともあり当初は佐幕派であった。しかし宇都宮藩の支藩の立場にあり、宗家に倣い官軍に恭順した。  
 
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 常陸
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
052 松岡藩

2万5千石

松岡城

茨城・高萩市 


枡に月 
慶長7年(1602)戸沢政盛が出羽角館より移り、中世の山城であった龍子山城の麓に曲輪を築いて松岡城と称した。元和8年(1622)以降水戸藩に属し藩の付家老中山信正が城主となる。一時廃城となったが、享和3年(1803)再建。陣屋程度の規模。明治元年(1868)に付家老は正式な大名格となる。  中山信徴 
21歳 諸侯
水戸藩付家老職が代々城主を務めていたが、他の御三家の付家老と同様に明治元年に独立した。水戸藩の混乱に翻弄される。  
053 水戸藩

35万石

水戸城

茨城・水戸市 


水戸三葉葵
 
鎌倉時代初期に馬場資幹が馬場城と称した館を築いたのが水戸城の始まりとされる。戦国時代に江戸氏が水戸城と改め、天正18年(1590)佐竹氏が水戸城を奮取し大改築する。慶長14年(1609)に徳川家康の11男頼房が入封し、以後徳川御三家として続く。寛永2年(1625)城を修復。2の丸に天守代用の3階櫓を建てる。   徳川慶篤 
35歳 御三家
尊王攘夷派の中心的人物であった斉昭の死後に藩主となるも、藩内の佐幕派、勤王派の対立を抑えられず「よかろう様」と揶揄される。   
 054   麻生藩

1万石

麻生陣屋

茨城・行方市


左三つ藤 
慶長9年(1604)新庄直頼が3万石で摂津高槻より入封。霞ケ浦東岸の突き出た岬の先端に陣屋を築いた。延宝4年(1676)後次がなく一旦除封されるが、先代の養子が1万石で後を継いだ。現在陣屋の跡は小学校の敷地となっている。   新庄直敬
49歳 外様
新政府に恭順し、旧幕府軍の取り締まりを命じられるが、小藩であり実績を上げられなかった。   
 055  笠間藩

8万石

笠間城

茨城・笠間市 


丸に牧野柏
承久元年(1219)宇都宮氏の一族塩谷時頼が佐白山に築城。その後笠間氏が城主となるが、秀吉の小田原攻めに北条方につき滅亡。笠間城は佐白山の地形を生かした山城で中世山城の遺構を活用した近世城郭として貴重な存在。現在、石垣の一部、土塁、空堀が残る。かつての2重櫓が城下の寺に移築されている。   牧野貞直 
37歳 譜代
官軍に恭順して旧幕府軍と戦うが、装備は鎧かぶとに火縄銃で、敗北する。   
 056 宍戸藩

1万石

宍戸陣屋

茨城・笠間市
    


松平大炊葵  
天和2年(1682)水戸光圀の弟松平頼雄が1万石を分与されて立藩。天保15年(1844)に中世の宍戸城跡地に陣屋を築く。
現在、陣屋跡地は農地や宅地となっている。長屋門形式の表門が笠間市街に移築されて現存する。  
松平頼徳 
36歳 家門
幕府の命を受け天狗党征伐に向かったが、逆に天狗党に寝返り幕府軍と戦う。結局投降して、切腹する。 
 057    府中藩

2万石

府中陣屋

茨城・石岡市
   


松平大炊葵 
元禄13年(1700)水戸藩徳川頼房の5男松平頼隆が2万石を分封されて立藩。旧府中城の三の丸跡地に陣屋を築く。ただし、頼隆は定府で江戸務めであったため御殿はない。陣屋跡は市民会館、小学校の敷地となっている。土塁、空堀の一部が残り、陣屋門が小学校わきに移築されている。   松平頼縄 
62歳 家門
水戸藩の支藩という立場で官軍に恭順。会津に出兵し戦う。  
 058    志波藩

1万石

志波陣屋

茨城・かすみがうら市  


笹竜胆 
慶長6年(1601)本堂茂親が出羽仙北郡本堂から入封。中世の志波城跡に陣屋を築く。最初は8千5百石の旗本であったが、明治元年(1868)に1万石に加増されて大名格となる。
陣屋跡地は小学校の敷地となり、土塁と、空堀の一部が残る。  
本堂親久 
38歳 諸侯
明治元年に創設した藩で、本堂親久が最初で最後の藩主。   
059 土浦藩

9万5千石

土浦城
(亀城)

茨城・土浦市
  
 

立三ツ石 
永享年間(1429~41)にこの地を支配した小田氏の家臣、今泉三郎が築城したのが最初とされる。以後小田氏の家臣が居城したが、天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めとともに滅亡する。貞享4年土や政直が駿河田中より入封し明治まで続く。土浦城は霞ケ浦の水を引いて5重の堀に囲まれた平城。水に浮かんだ亀に似ていることから亀城の別称がある。   土屋寅直
47歳 譜代
寅直は徳川斉昭の17男で養子。水戸藩とは違い、早くから官軍に恭順し、東北戦線にも出兵した。 
 060    谷田部藩

1万6千石

谷田部陣屋

茨城・つくば市


陰の九曜 
元和2年(1616)細川忠興の弟細川興元が東谷田川と西谷田川に挟まれた台地に陣屋を築く。現在陣屋跡は小学校の敷地となっており、御殿玄関と陣屋門がつくば市街に移築されている。   細川興貫 
35歳 外様
細川家の分家であり、天狗党討伐に参加。官軍に恭順して会津攻めにも出兵した。    
 061    牛久藩

1万石

牛久陣屋

茨城・牛久市

  


山口菱
寛永6年(1629)山口重政が1万5千石(その後弟に5千石を分与)に加増されて入封。文久3年(1863)に牛久沼東岸にあった中世の牛久城跡地に陣屋を築く。ほぼ方形。現在は小公園になり、土塁や堀の一部が残っている。陣屋門は民家に移築されて現存する。   山口弘達 
7歳 譜代
官軍に恭順して水戸街道の警護に当たる。   
 062    下妻藩

1万石

下妻陣屋

茨城・下妻市


井上鷹の羽 
正徳2年(1712)美濃郡上八幡の城主井上正任の3男正長が1万石を得て大名に列せられ、中世この地を支配した多賀谷氏の築いた下妻城西方に陣屋を構えた。元治元年(1864)天狗党討伐軍の本拠地をこの地に置いたため、陣屋は天狗党の攻撃を受け、藩主は陣屋を自焼して江戸に逃れた。陣屋跡にはご陣屋稲荷と呼ばれた城山稲荷が残る。  井上正巳 
11歳  譜代
新政府に恭順したが旧幕府軍の協力要請を断り切れず。藩士の一部が旧幕府軍に従うことを認めるなど混乱。 
 063    下館藩

2万石

下館城

茨城・筑西市


丸に笹竜胆 
文明10年(1478)水谷勝が氏五行川左岸の丘に築城したのが最初とされる。東の五行川と西の沼地を自然の外堀とした平山城で天守や櫓はなかった。丘の北側が本丸、南に二の丸、三の丸、外曲輪が配置され、それらが渦巻状に連続することから「螺城(ほらがいじょう)」と呼ばれた。現在城址は市街地となり遺構は見当たらない。   石川総管 
26歳 譜代
藩主は幕府の若年寄りを務めるなどしたが、いち早く官軍に恭順。旧幕府軍の協力要請もはねつけた。  

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下総
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064 結城藩

1万8千石

結城城

茨城・結城市


水野沢潟
養和元年(1181)結城朝光が地頭に補任されて寿永2年(1183)に結城城を築城。天正18年(1590)小田原の役後に家康の長男・秀康を婿養子に迎えるが、慶長6年(1601)に越前へ移封となり、一時廃城となる。元禄13年(1700)水野勝長が入封して元禄16年、中世の結城城跡に城を再建。ただし、陣屋程度の規模であった。  水野勝知
29歳 譜代
藩論は藩主と家老とで2分され、藩主勝知は幕府軍につき、自ら彰義隊とともに結城城を攻めて落城させる。 
065 古河藩

8万石

古河城

茨城・古河市 


六つ水車 
享徳4年(1455)鎌倉公方足利成氏が古河にうつって築城。以降、古河公方の居城となる。西を渡良瀬川、東と南は湿地帯を守りに利用。本丸を中心に西に二の丸、東に帯曲輪、北に三の丸、丸の内曲輪等を配置。
現在、城跡の大部分は渡良瀬川河川敷となり、土塁の一部が残る。  
土井利与 
16歳 譜代
藩主土井利与は雪の結晶を顕微鏡で観察したことで有名な人物。官軍に恭順し、城は日光街道における官軍の基地となった。   
 066 関宿藩

4万8千石

関宿城

千葉・野田市
    


 久世鷹 
江戸川と利根川の分岐点にあり、川と低湿地を要害とした平城。長禄元年(1457)古河公方の家臣簗田成助が築いたのが最初と伝わる。江戸期に方形の本丸を置き天守に相当する三階櫓を設ける。現在本丸の大部分は江戸川の改修工事により河川敷となる。城址北に城郭を模した三階櫓が博物館として建設された  久世広文 
16歳 譜代
前藩主広周は和宮降嫁に尽力した人物。当初は佐幕派であったが、鳥羽伏見の戦いの後、官軍に恭順した。  
067   小見川藩

1万石

小見川陣屋

千葉・香取市
   


内田轡
享保9年(1724)内田正親が1万石を与えられて下野都賀郡鹿沼から入封。土塁と堀で囲まれた陣屋を築く。げんざいはそのまま小学校の用地となっているが、土塁、堀の遺構は残っていない。   内田正学 
20歳 譜代
江戸を脱出した旧幕府軍で組織した撤兵隊から協力を強要されてやむを得ず協力。その後官軍に恭順した。   
 068   多古藩

1万2千石

多古陣屋

千葉・香取郡
多古町  
繋ぎ梅鉢 寛永12年(1636)松平(久松)勝義が8千石で入封し居館を築く。その後に3千石加増となり大名に列せられる。陣屋は多古村の西丘陵地に建設され、現在小学校のグランドになっている。土塁、石垣の一部が残る。   久松勝行 
35歳 譜代
江戸を脱出した旧幕府軍で組織した撤兵隊から協力を強要されてやむを得ず支援。その後官軍に恭順した。      
 069    高岡藩

1万石

高岡陣屋

千葉・成田市
   


井上鷹の羽 
寛永17年(1640)大目付であった井上政重が1万石に加増されて大名に列せられる。陣屋を築いたのは延宝4年(1676)になってから。現在跡地は住宅地となり遺構は残っていない。   井上正順 
13歳 譜代
高岡藩は遠州浜松藩の分家。新政府に恭順して房総の警備を担う。   
 070 佐倉藩

11万石

佐倉城

千葉・佐倉市
    


堀田木瓜 
近世の佐倉城は、戦国時代に千葉氏が築いて未完成であった鹿島城跡を利用して、幕府の要職にあった土井利勝が7年の歳月をかけて元和3年(1617)に完成させた。鹿島川と高崎川に囲まれた丘陵に本丸を築き、二の丸、三の丸、総曲輪が配置されている。石垣はなくすべて土塁で築いた平城。天守は寛政11年(1799)に焼失。   堀田正倫 
16歳 譜代
前藩主は順天堂塾(現在の順天堂病院)を開設するなどの開明派で老中職にあったが井伊直助に罷免される。その子正倫は最後に官軍に恭順した。    
 071   生実藩

1万石

生実陣屋

千葉・千葉市
   


丸に片喰 
寛永4年(1627)森川重俊が大坂夏の陣の功績を認められて1万石を与えられ、戦国時代の生実城跡に陣屋を築く。現在陣屋跡は住宅地となっているが、森川氏が造営した生実神社との境に土塁と空堀の一部が残る。   森川俊方 
18歳 譜代
森川氏の先祖は旧今川家の家臣。比較的早くに官軍に恭順した。    

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上総
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072 鶴牧藩

1万5千石

鶴牧陣屋

千葉・市原市

 


石持ち地抜き沢瀉
 
文政10年(1827) 水野忠韶が東・西・北の三方を境川に囲まれた台地上に陣屋を築く。水野忠韶は城主角であったので陣屋は「鶴牧城」と称した。鶴牧の名は藩主の江戸屋敷が早稲田の鶴巻町にあったからと言われている。陣屋跡は現在小学校の用地となっていて遺構は見当たらない。 水野忠順 
43歳 譜代
陣屋近くに上陸した旧幕府軍の徹兵隊の要請を受け兵糧を支援したが、後に官軍に恭順。 
073    一宮藩

1万3千石

一宮陣屋

千葉・長生郡
一宮町
  


丸に違い柏  
文政9年(1826)伊勢・下総・上総・上野に1万3千石を領する加納久儔が戦国時代の一宮城跡に陣屋を築く。陣屋は現在城山公園となり土塁の一部が残っている。   加納久宣 
19歳 譜代
早くに官軍側に恭順したが、旧幕府軍の撤兵隊に強要されて兵糧を提供。後に新政府側から叱責を受ける。   
074  大多喜藩

2万石

大多喜城

千葉・大多喜町 


三つ扇  
天正18年(1590)家康の重心本田忠勝が10万石を得て入封し、戦国時代からの多喜根古屋城の南西側に大多喜城を築く。夷隅川に囲まれた台地の上に本丸を配置、二の丸、三の丸が順次造営された。元禄12年(1699)禄高が減少し幕命により城の規模を縮小。天保13年(1842)火災により天守・御殿が焼失。現在模擬天守が再建。   松平正質 
23歳 譜代
鳥羽伏見の戦いでは淀の幕府本営で指揮を執った。その後新政府の追及を受けて佐倉城に幽閉された。   
 075   久留里藩

3万石

久留里城

千葉・君津市
   
 

黒田枡形に月
康正2年(1456)武田信長が古久留里城を築く。天文6年(1537)里見義尭が南東の山頂に新久留里城を築く。天正18年(1590)里見氏が滅亡し、以後徳川の家臣が居城するが延宝7年(1679)廃城となる。寛保2年(1742)黒田直純が入封し城を再建。現在本丸に模擬天守が復興されていて城址公園となっている 黒田直養 
18歳 譜代
旧幕府軍の撤兵隊の強要により兵糧を支援したが、同時に官軍に対しても物資を提供。うまく立ち回る。 
 076     請西藩

1万石

真武根陣屋

千葉・木更津市 
左三つ巴に一の字  嘉永3年(1850)にそれまで貝渕にあった陣屋を真武根に移して請西藩と名乗る。明治元年(1868)に旧幕府軍に加勢するため陣屋を自焼。現在陣屋跡は畑や雑木林。土塁の一部が残る。   林 忠祟 
19歳 譜代
自ら進んで旧幕府軍が組織した遊撃隊に脱藩して(藩主を辞任)加わり各地を転戦。最後は仙台で官軍に投降した。   
 077     飯野藩

2万石

飯野陣屋

千葉・富津市
  


平方九曜 
慶安元年(1648)信濃高遠藩保科正直の3男正貞が1万7千石を得て立藩。飯野村に陣屋を築く。陣屋は城郭に劣らぬ4万坪の広大な敷地を有し、本丸、二の丸、三の丸と区分されていた。現在陣屋敷地の多くは農地や宅地になったが、陣屋の外周にあった堀と土塁の一部が残っている。   保科正益 
34歳 譜代
藩主の正は益第二次長州征伐の折に幕府軍の石州口総督の任にあった。鳥羽伏見の戦い後に、謹慎処分を受ける。  
 078    佐貫藩

1万6千石

佐貫城

千葉・富津市
 
 

丸に違い鷹羽
応永年間から応仁年間(1394~1469)にかけて武田義弘が築城したとされる。里見、後北条の支配の後、家康の関東移封後はその家臣が城主に封じられる。元禄元年(1688)に一時廃城となるが宝永7年(1710)阿部正鎮が入封し城を再建。天守はなかったが本丸、二の丸、三の丸が配置された。現在大手口の石垣、土塁の一部が残る。   阿部正恒 
28歳 譜代
旧幕府軍の遊撃隊や撤兵隊と協力して富津陣屋を攻めるなどしたが、官軍が迫ると、自ら謹慎した。   
 
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安房
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
079 館山藩

1万石

館山陣屋

千葉・館山市
 


隅切り角に三文字
天明元年(1781)小田原藩主の一族稲葉正明が1万石に加増されて大名に列せられる。寛政3年(1791)その子正武が戦国時代の館山城跡地に陣屋を築く。 陣屋跡の大部分は宅地となっているが土塁やマスが他の一部は残り、城山公園に模擬天守が建設されている。 稲葉正善
19歳 譜代
藩主が上京して不在の間に前藩主が独断で旧幕府軍の遊撃隊に兵糧を支援。藩主は新政府に恭順。  
080    勝山藩

1万2千石

勝山陣屋

千葉・安房郡
鋸南町 


 剣片喰 
寛文8年(1622)若狭小浜藩から1万石を分与されて勝山に陣屋を築いて立藩。陣屋跡地には井戸と屋敷稲荷が残るが後は宅地化した。   酒井忠美  
9歳 譜代 
藩主不在の間に重臣の判断で請西藩の要請に応じて一部の藩兵を旧幕府軍部隊に提供。犠牲者を出す。  
 
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武蔵 
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
081 岩槻藩

2万3千石

岩槻城

埼玉・さいたま市 


大岡七宝 
長禄元年(1457)扇谷上杉持朝が太田道真に命じて築城させたのが始まりとされる。大永5年(1525)に後北条氏に侵略され、徳川家康の関東入封後は家臣、譜代大名の赴任地となる。現在城の中心部は宅地化され、外曲輪、鍛冶曲輪が城址公園となっている。土塁や空堀の一部が残っている。  大岡忠貫 
20歳 譜代
最初は佐幕派であったが、官軍が江戸に迫ると恭順した。幕府軍脱走兵の取り締まりに当たった。  
082 忍藩

10万石

忍城

埼玉・行田市
    


三つ葉葵 
永徳3年(1491)山内上杉家の重臣・成田親康が城を築いたと伝えられる。天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際に石田光成らによる水攻めの攻撃を受けたが持ちこたえる。忍城は広大な沼地に点在する島を利用し、本丸の南に二、の丸三の丸を配置し、北に諏訪曲輪、西に土蔵曲輪をめぐらす。本丸に天守、櫓は造られなかった。   松平忠誠 
12歳 家門 
少年ではあったが藩主は鳥羽伏見の戦いに幕府軍として参戦。敗れて紀州へ敗走した。 
 083   川越藩

8万石

川越城

埼玉・川越市
 


石州蔦  
長禄元年(1457)扇谷上杉の命により重臣太田道真・道灌親子が築城した。周辺の湿地を利用した平城。上杉家が代々の居城としたが、天文15年(1546)後北条氏に奪取される。寛永16年(1639)智恵伊豆と言われた松平信綱が入封し城を大増築し、三つの櫓と八つの門が築かれた。現在は一部が初雁公園となっている。   松平康英 
37歳 譜代
康英は松井家分家の旗本の子から養子となる。外交の専門家で外国奉行、神奈川奉行の後に老中となる。大政奉還後老中を辞任し官軍に恭順    
 084    岡部藩

2万石

岡部陣屋

埼玉・深谷市

   


安部梶の葉  
天正18年(1590)安部信勝が5千石を与えられて陣屋を築く。慶安2年(1649)1万9千石に加増されて大名となる。現在陣屋跡は住宅地や農地となり遺構はない。   安部信発 
22歳 譜代
彰義隊が結成されると旧幕府軍側に味方することを決意したが、官軍が高崎に迫ると新政府軍に恭順した。   
 085    金沢藩

1万2千石

金沢陣屋

神奈川・横浜市
  


隅切り角に花菱  
享保8年(1723)1万2千石を領した米倉忠仰が金沢八景を望む久良岐郡社家分村谷戸のちに陣屋を築き大名格となり、金沢藩と称した。
現在陣屋の後は住宅地となり遺構はない。 
米倉昌言 
30歳 譜代
鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。横浜港の警備や旧幕臣の探査を担当した。   
 
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相模   
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
086 荻野中山藩

1万3千石

荻野山中陣屋

神奈・厚木市

 
丸に変わりの大の字  宝永3年(1706)小田原藩主の2男大久保教寛が1万1千石に加増されて大名格となる。当初陣屋は駿河に置いたが、天明3年(1783)愛甲郡中荻野村の荻野川東岸台地に陣屋を移転した。慶応3年(1867)に勤王派浪士の襲撃を受けて焼失。  大久保教義
42歳 譜代 
宗藩の小田原藩が官軍に恭順するとこれに従い、恭順した。
087 小田原藩

11万3千石

小田原城

神奈川県・小田原市  


大久保藤 
鎌倉時代の初期、土肥遠平が最初に城を築く。明応4年(1495)北条早雲が奪う。以後、北条家の居城として4代にわたる関東攻略の本拠となる。秀吉の小田原攻めに対抗して壮大な城壁を建設するが天正18年(1590)降伏する。現在小田原城は公園となり、天守が復元され、順次復元工事が継続されている。  大久保忠礼
26歳 譜代
藩主は讃岐高松藩からの養子。名門譜代の立場であったが、鳥羽伏見の戦で幕府側が敗れると官軍に恭順。   
 
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信越・北陸地方の藩(32) 

越後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
088 村上藩

5万石

村上城

新潟・上越市


岩船藤
最初の築城は室町時代の本庄氏によるとされる。標高130mの臥牛山の北・西麓に展開する平山城。慶長3年(1598)堀秀治の越後入封に伴い、その与力大名村上頼勝が入城して城下を整備。八つの櫓を建てた。寛文元年(1661)に松平直矩が三重の天守を築くが寛文7年に落雷で焼失。以後再建されていない。現在天守台や本丸、二の丸の門跡などの石垣が残っている。  内藤信民
17歳 譜代
奥羽越列藩同盟に参加したが官軍の攻撃を受け、城に火をつけて撤退。藩主信民は自害した。  
089    黒川藩

1万石

黒川陣屋

新潟・胎内市  
 

 柳沢花菱
享保9年(1724)柳沢吉保の四男・経隆が2万石を賜り黒川藩が成立。陣屋を築く。陣屋は東西100間、南北110間の規模であったが、現在は小学校の用地となっている。   柳沢光昭 
44歳 譜代
奥州越列藩同盟に参加し、越後口の戦闘に参加。後に新政府軍に帰順した。  
 090    三日市藩

1万石

三日市陣屋

新潟・新発田市
  
 

柳沢花菱 
宝永6年(1709)柳沢吉保の五男・時睦が1万石を得て三日市藩を立藩。享保9年(1724)三日市に陣屋を築く。その後陣屋は館村に移転。陣屋跡地は現在小学校の用地となり、土塁の一部が残る。   柳沢徳忠 
13歳 譜代
宗家である大和郡山藩に従って新政府軍に恭順。ただし、藩主不在中に国元藩士が列藩同盟に参加、後に帰順。   
 091 新発田藩

10万石

新発田城

新潟・新発田市  


溝口菱 
鎌倉時代、地頭職にあった佐々木源氏の一族が新発田性を名乗り築城したのが始まりとされる。慶長3年(1598)溝口秀勝が6万石で入城して城郭の大修理に着手。承応3年(1654)三代藩主の時にに完成した。本丸表門と二の丸隅櫓が残り重要文化財に指定されている。また、本丸三階櫓と辰巳櫓が本格的な木造建築で再建されている。   溝口直正 
13歳 外様
当初は東北雄藩の圧力を受けて奥羽越列藩同盟に参加したが、密かに官軍に通じて、長岡城攻めでは官軍を手引きした。  
 092    村松藩

3万石

村松陣屋

新潟。五泉市
   


 釘抜き 
寛永16年(1639)村上藩主の二男直時が3万石を分与されて立藩。正保元年(1644)旧上杉時代の古館を改修して陣屋を築く。嘉永元年(1848)には城主格となり城郭を整備し帯曲輪を築く。陣屋(城)跡は現在公園として整備されている。   堀 直賀 
24歳 外様
佐幕派と勤王派と藩論が二分。勤王派藩士が粛清されて奥羽越列藩同盟に参加。官軍の攻撃を受けて落城。敗退した。 
 093    三根山藩

1万1千石

三根山陣屋

新潟・新潟市
 

丸に牧野柏 
寛永16年(1634)長岡藩主の四男牧野定成が6千石を分地されて三根山に居館を築く。その後文久3年(1863)に1万1千石に加増されて大名格となり、居館を陣屋として整備。現在遺構は残っていないが、戊辰戦争で敗れて困窮していた長岡藩に米百俵を贈った逸話の碑が建っている。   牧野忠泰 
23歳 譜代
宗家長岡藩に従い奥羽越列藩同盟に加わるが、官軍が優勢になると帰順した。そのご、官軍の要請で庄内藩の攻撃に加わる。   
 094    与板藩

2万石

与板城

新潟・長岡市
 


丸に橘 
寛永11年(1634)長岡藩主の二男牧野康成が1万石を分地されて立藩。陣屋を築く。元禄15年(1702)牧野氏が転封となり宝永2年(1705)井伊直矩が2万石の城主格で入封。築城に着手して文政6年(1823)に完成した。戊辰戦争時に焼失して、遺構は残っていない。   伊井直安 
16歳 譜代
最後の藩主直安は井伊直弼の実子。彦根藩の支藩の立場であり、いち早く官軍に恭順。官軍の越後攻撃の拠点となるが、同盟軍の攻撃で城は焼失。    
 095  長岡藩

7万4千石

長岡城

新潟・長岡市


丸に牧野柏  
慶長10年(1605)堀直奇が現在のJR長岡駅一帯に築城を開始したが城の完成を待たずに改易、元和4年(1618)に牧野忠成が長岡に入封し、同年に完成した。本丸、二の丸の周囲を三の丸他の曲輪が取り巻く平城。石垣は築かれずすべて土塁。戊辰戦争で官軍に敗れ焼失。現在遺構は何も残っていないが、悠久山公園に模擬天守がある  牧野忠訓 
23歳 譜代
前藩主は幕府の要職を歴任。幕末に京都所司代に就任する。大政奉還後、奥羽越列藩同盟に参加するも落城して会津へ逃れ、米沢で降伏した。 
 096    椎谷藩

1万石

椎谷陣屋

新潟・柏崎市



子持亀甲に花菱 
寛永19年(1642)三条城主であった堀直政の孫、堀直景が越後と上総の両国で1万石の所領を得て立藩。正徳5年(1715)に現在の柏崎市に陣屋を築く。
陣屋は高さ4mの土塁で囲まれていたが、慶応4年(1868)に水戸の浪士によって焼かれる。現在は土塁の一部が残っている。  
堀 之美 
22歳 譜代
鳥羽伏見の戦いの後、官軍側に恭順。しかし、水戸の脱藩兵の攻撃を受け陣屋は焼失した。 
 097  高田藩

15万石

高田城

新潟・上越市


榊原源氏車  
慶長15年(1610)家康の6男松平忠輝に越後と信濃で60万石の所領を与えて入封させ、慶長19年(1614)奥羽、甲信越の大名の他加賀の前田氏ら13の大名に普請を命じて高田城を築城。元和2年(1616)忠輝が不行跡により改易された後は家門・譜代大名の赴任地となる。明治3年(1870)の火災により焼失後は荒廃。  榊原政敬 
24歳 譜代
早くに官軍側に恭順し、城を官軍に開放。北越戦争の官軍側の拠点となった。   
 098    糸魚川藩

1万石

糸魚川陣屋

新潟・糸魚川市  


三つ葉葵 
享保2年(1717)松平直之が1万石を得て立藩。代々藩主は江戸定府で、糸魚川には陣屋がおかれたが間口50間奥行き15間の小規模なもの。現在陣屋跡は高校の敷地の一部となり遺構は残っていない。   松平直静
19歳 譜代
官軍に恭順したが、小藩であり兵力は出さず。軍事物資の支援、その運搬に協力した。  
 
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  越中
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史  最後の藩主  
 099 富山藩

10万石

富山城

富山・富山市
  



 富山梅鉢
室町時代の初期に築かれた館跡が発掘されたが、本格的な築城は天正10年(1582)織田信長の重臣佐々成政が入封して以降。本能寺の変後前田利長が越中一国を支配し、寛永16年(1639)に加賀2代目藩主の二男利次が10万石の分封を得て富山藩が成立。万治4年(1661)に城を大改修する。明治になり廃城となり城郭は解体される   前田利同
11歳 外様
前藩主が本家加賀藩と対立して隠居。加賀藩12代目藩主の11男である利同が4歳で藩主に就任。戊辰戦争では本家に同調して越後、会津に参戦した  
 
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加賀
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
100 加賀藩

102万石

金沢城

石川・金沢市
 


加賀梅鉢
加賀100万石前田家の居城。前田利家が文禄元年(1592)に5層の天守や櫓を築いたが、もともとは一向宗の御堂があった場所に天正15年(1546)信長の家臣佐久間氏が城を築いていた。 慶長7年(1602)天守及び本丸御殿が焼失。以後天守は再建されず。石川門、30間長屋が現存して重要文化財に指定されている。 前田慶寧 
37歳 外様
藩主に就任前は勤王派であったが前藩主の命で謹慎。鳥羽伏見の戦に幕府の命で出兵するも途中で幕府軍の敗北を知り官軍に恭順した。 
101    大聖寺藩

10万石

大聖寺陣屋

石川・加賀市
  
 

大聖寺梅鉢 
鎌倉時代に狩野氏によって城郭が築かれ、中世、戦国時代を通して戦乱の場になった。江戸時代、金沢を本城とする前田家の領地となったが一国一城令により大聖寺城を破却。寛永16年(1639)に前田利治(加賀藩主の3男)が7万石を分地されて大聖寺藩を立藩。大聖寺城跡に陣屋を築く。   前田利鬯 
26歳 外様
藩主は佐幕派であったが加賀藩の支藩として立場から本家の方針に従う。幕府から京都市中の警護を命じられていたが官軍優勢の報により恭順した  
 
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越前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
102 勝山藩

2万2千石

勝山城

福井・勝山市
 


三階菱
天正8年(1691)柴田勝安によって築城。江戸時代になり結城秀康(家康の二男)松平忠直親子の支配地となるが、一国一城令により破却。元禄4年(1691)小笠原貞信が入封。宝永5年(1708)に城主格となり翌年に築城に着手。城跡は現在市役所、市民会館などの敷地となっている。  小笠原長守
31歳 譜代 
藩校を創設し産業の育成に尽力するなど藩政の改革を実行。鳥羽伏見の戦いでは京に出兵したが最終的には官軍に加担した。
103  大野藩

4万石

大野城

福井・大野市
  
丸に六つ水車  天正3年(1575)金森長近が築城。江戸時代になり一時越前北の庄城(福井城)の属領となったが寛永元年(1624)に松平直政(徳川家門)が入封し、以後は家門・譜代の赴任地となる。安永4年(1775)に城が全焼。以後は本丸の建物は再建されなかった。現在天守などが復元され公園となっている。   土井利恒 
18歳 譜代
前藩主は幕府から樺太の入植権を得て漁業開発を進めていた。利恒は官軍に恭順して函館戦争に参戦した。  
 104  丸岡藩

5万石

丸岡城

福井・坂井郡
丸岡町 



 五瓜に剣唐花 
天正4年(1576)柴田勝家の養子柴田勝豊が築城。2重三階の天守が建築された。昭和23年(1948)の福井地震で倒壊したが、昭和30年(1955)に部材を組みなおして再建。現存する天守としては北陸地方に残る唯一のもの。本丸は五角形に堀に囲まれていたが、昭和の初期に埋められた。   有馬道純 
30歳 外様
キリシタン大名として知られた有馬晴信の末裔。鳥羽伏見の戦い時には江戸に居住し、幕府に人質を取られ、弾薬などの物資を供出した。   
 105   福井藩

32万石

福井城

福井・福井市
  


三つ葉葵  
天正3年(1575)に柴田勝家が築いた北の庄城の跡地に慶長6年(1601)徳川家康の二男結城秀康が築城を開始し慶長11年に完成した平城。本丸の北西隅に四重五階の天守が建てられたが、寛文9年(1669)の火災により焼失。以後再建はされていない。現在は福井県庁がおかれ、天守台、内堀の石垣等の遺構が見られる。   松平茂昭
31歳 外様
先代藩主は幕末の「四賢候」と称された松平春獄。茂昭は支藩糸魚川藩からの養子で外交は春獄、藩政は茂昭が担当。官軍として北越、会津に出兵   
 106    鯖江藩

4万石

鯖江陣屋

福井・鯖江市
  


丸に三つ引き  
享保5年(1720)間部詮房の弟が5万石を得て立藩。直轄地時代の幕府代官所跡地に陣屋を建てる。天保11年(1840)に当時の藩主間部詮勝が老中職に就任し城主格となり、築城を許されたが実現していない。陣屋を中心に鯖江の南北の入口に土居を設けていたが、現在遺構は残っていない。   間部詮道 
14歳 譜代
7代将軍家継の実力者間部詮房の子孫。金沢にあった官軍の北陸総督府に呼び出されて恭順した。   
 
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 若狭
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
107 敦賀藩

1万石

敦賀陣屋

福井・敦賀市

  


丸に剣片喰 
天和2年(1682)小浜藩主酒井忠直の二男が1万石を分封されて敦賀藩が成立。代々藩主は江戸在府であったため居住することはなかったが駿河湾の東岸にある鞠山に小規模な陣屋が築かれた。明治期に陣屋は払い下げられて市街地となり遺構は何も残っていない。  酒井忠経 
19歳 譜代
小浜藩の支藩。鳥羽伏見の戦後に官軍に恭順。北陸道先鋒総督府とともに江戸へ進軍した。 
108  小浜藩

10万3千石

小浜城

福井・小浜市
 

若狭剣片喰
慶長5年(1600)京極高次が若狭一国を得て入封。それまでの後瀬山城を廃して、小浜湾に流れる北川、南川を外堀とし、河口の中洲に本丸を築いた。2重3階の天守と約30の櫓が建てられた。明治になり城の大半が火災により焼失。天守は残ったが明治7年(1874)に解体された。本丸跡地には酒井忠勝を祭る神社がある。   酒井忠氏 
32歳 譜代
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍として参戦。敗退して国元に帰還途中に丹波で官軍と遭遇。帰順して北越戦争に官軍として参戦。  
 
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信濃
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
109  飯山藩

2万石

飯山城

長野・飯山市
  


本多立ち葵
永禄7年(1564)甲斐の武田信玄の侵略を防御するため上杉謙信が本格的な築城をした。城は千曲川を望む丘陵地にあり、本丸は石垣造り。また虎口は外枡形に造られた。上杉景勝が居城とした時期もあり中世より北信濃の要害の地として重要な位置にあった。享保2年(1717)より本多氏が城主となり明治まで続く。 本多助成 
21歳 譜代 
官軍に恭順して会津へ出兵。城下は明治元年(1868)に旧幕府軍の衝鋒隊の攻撃を受けた。
110   須坂藩

1万石

須坂陣屋

長野・須坂市
   
亀甲に卍  越後三条城主堀直政の子、堀直重が大坂の陣の戦功により加増され須坂藩を立藩。元和3年(1617)直重の子、直升が陣屋を築く。陣屋跡は現在藩祖堀直重を祀る神社と小学校の敷地となっている。   堀 直虎 
31歳 外様
大政奉還後に若年寄り兼外国奉行に登用される。鳥羽伏見で幕府が敗退後に将軍に無条件恭順を直言したが拒絶され、切腹した。    
 111  松代藩

10万石

松代城

長野・長野市
  


真田六文銭 
永禄3年(1560)武田信玄が川中島に海津城を築いたのが松代城の起源。元和5年(1619)に真田信之が入封し、松代城と改名。本丸は総石垣造りであるが、二の丸他は土塁造り。10万石の居城としては小振りだが中世の城郭様式が残った縄張りを保っている。平成16年(2004)に本丸の北不明門、太鼓門、土塀が復元された。  真田幸民 
17歳 外様
真田信之を藩祖に持つ。鳥羽伏見の敗北後に官軍に恭順。甲府城防衛、北越戦争に参戦した。   
 112  上田藩

5万3千石

上田城

長野・上田市
 


上田桐 
天正11年(1583)に真田昌幸によって築かれた。千曲川を望む段丘上に築かれ、天正13年(1585)、慶長5年(1600)の2度にわたって徳川軍の攻撃を受けたが撃退した難攻不落の城として著名。関ヶ原の戦以後に家康によって破却されたが、寛永3年(1626)以降に整備された。本丸に西櫓、北櫓、南櫓が残っている。   松平忠礼 
17歳 譜代
鳥羽伏見の戦で敗北後も佐幕派を宣言していたが 、官軍が迫ると恭順した。  
 113   小諸藩

1万5千石

小諸城

長野・小諸市
 


丸に牧野柏 
長享元年(1487)武田の家臣大井光忠に寄って築城されたのが最初とされる。天正18年(1590)豊臣大名の戦国秀久が入封して本格的な築城を行い三重の天守を築いた。天守は寛永3年(1626)の落雷により焼失。以後の再建はない。現在城跡の大部分は懐古園となっている。  牧野康済 
26歳 譜代
第2次長州征伐に従軍した佐幕派であったが、官軍の東征軍が迫ると恭順した。   
 114     岩村田藩

1万5千石

岩村田陣屋

長野・佐久市
  


岩村田藤 
元禄16年(1703)内藤正友が武蔵赤松から転封となり信濃岩村田に陣屋をおく。安政5年(1858)に城主格となり文久元年(1861)より築城を開始したが、完成を待たずに廃藩置県を迎えた。   内藤正済 
22歳 譜代
第2次長州征伐に従軍し将軍家茂と大阪入りして市中警護にあたっていたが、最終的には官軍に恭順した。 
 115 田野口藩

1万6千石

田野口陣屋
(龍岡城)
長野・佐久市
   


鬼蔦  
元治元年(1864)それまで三河奥殿を居住場所としていた松平乗謨は所領であった田野口に居所を移して陣屋をおいた。陣屋は五つの稜保を持つ西洋式城郭として造られ慶応2年(1866)にはほぼ完成した。現在陣屋跡は小学校の敷地となるが、堀、石垣、土塁が残っている。   松平乗謨 
28歳 譜代
陸軍奉行の職にあったが官軍の東山道総督府に帰順。郡県制を上奏し、自ら進んで廃藩した。    
 116   松本藩
 
6万石

松本城

長野・松本市


離れ六曜 
戦国時代に小笠原、武田の支配を受け深志城を築く。、天正18年(1590)に石川数正が入城して城郭を大改築。深志を松本に改名。この頃に現存する五重六階の天守は完成したといわれる。寛永10年(1633)松平直政が入封して天守に付随する辰巳櫓、月見櫓を増築。享保12年(1727)本丸御殿が焼失したが天守は残る。   戸田光則 
39歳 譜代
第2次長州征伐に参戦した佐幕派であったが鳥羽伏見の戦いで敗北後に官軍に恭順した。   
 117  諏訪藩

3万石

高島城

長野・諏訪市
  


諏訪梶の葉  
天正18年(1590)豊臣秀吉の大名であった日根野吉明が築城。吉明が慶長6年(1601)に下野壬生へ転封後に、代々諏訪大社の大祝であり諏訪湖周辺に勢力を張っていた諏訪頼水が入封。築城時は諏訪湖に突き出すように築かれていたが、江戸末期には湖水側は埋め立てられて水田と化していた。昭和45年天守、櫓が復元された。    諏訪忠誠 
46歳 譜代
老中として外国との交渉役を務める。長州征伐に反対して罷免された後は勤王派として行動する。    
 118  高遠藩

3万3千石

高遠城

長野・伊那市
 
 

 下り藤
築城時期は定かでないが諏訪氏の一門であった高遠氏が居城としていいたのが最初とされる。本格的な城郭としての体裁を整えたのは武田信玄で、山本勘助に命じて大規模改築させたとされる。段丘上に築かれた平山城で武田氏城郭の特徴を残した縄張りが残っている。現在は桜の名勝地として著名。   内藤頼直
27歳 譜代
1次、2次の長州征伐に参加した佐幕派であったが、家臣の説得を受けて官軍に恭順した。    
 119     飯田藩

1万7千石

飯田城

長野・飯田市
  


丸に向う梅  
鎌倉時代に当地を支配していた豪族坂西氏によって築かれたのが最初とされるが、近世に通じる城郭を築いたのは天正18年(1590)に城主となる毛利秀頼、文禄2年(1593)に城主となる京極高知の時とされる。現在、本丸跡にわずかな石垣を残すのみとなっている。   堀 親義 
53歳 譜代
老中職を務めるも最終的には官軍に恭順した。  
 
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東海地方の藩(27) 

 駿河
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
120 沼津藩

5万石

沼津城

静岡・沼津市
 


丸に立ち沢潟 
安永7年(1778)側用人水野忠友が戦国時代の城跡に築城したもの。城の南東を流れ狩野川を天然の堀とし、さらに二重の濠に囲まれていた。本丸には天守相当の三重櫓が置かれ、二の丸、三の丸のも櫓が建てられていた。明治維新後、沼津兵学校として使用されていた時期もあるが、現在は鉄道、道路の用地として破壊されて遺構はない。 水野忠敬
16歳 譜代
鳥羽伏見の戦い後に幕府から駿河城の守備を命じられるが、尾張藩の勧めで官軍に恭順。官軍から甲府城番を命じられ、近藤勇の甲陽鎮撫隊と戦う。 
121    小島藩

1万石

小島陣屋

静岡・静岡市
  
 

丸に桔梗
宝永元年(1704)甲州往還(身延道)の要害の地に陣屋を築く。4mを超す石垣で曲輪を囲み、枡形の門を構えるなど天守や櫓がなかっただけで城郭と同じ様相であったとされる。廃城後は、一時小学校として使用されたが、現在は耕地となっている。石垣は当時のまま残っている。   松平信敏 
16歳 譜代
官軍に恭順。徳川氏受けが駿府へ移住したのに伴い上総桜井へ移った。    
 122    静岡藩

70万石

府中城

静岡・静岡市


徳川葵 
室町時代に駿河守護職であった今川氏の館があった場所。今川氏の滅亡後に徳川家康が駿府城を築き浜松から移住して居城とした。関ヶ原の戦後、慶長12年(1607)に中部地方の諸大名を動員して城の大改築を行う。家康はここを隠居所とし最期を迎えた場所となる。二の丸、三の丸の堀と石垣が現存。巽櫓、二の丸東門が復元されている   徳川家達 
4歳 徳川宗家
慶喜から家督を譲られ、幕臣6千5百人と駿府へ移住。府中を静岡に改名し静岡藩の成立。家達は欧州留学後に貴族院議長となる。   
 123    田中藩

4万石

田中城

静か・藤枝市
  


本多葵 
元亀元年(1570)信玄が今川の支城・徳一色城を攻略して田中城と改名。低丘陵の頂部に方形の本丸を置き、それを中心に二の丸、三の丸、総曲輪が同心円状に取り囲む甲州流築城とされる特異な縄張り。
現在は氏が生かされて堀と土塁の一部が残るのみ。  
本多正訥 
40歳 譜代
本多正信の弟の家計。駿河城代を務めたが城を官軍に明け渡して江戸攻めに協力した。   
 
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遠江
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
124 相良藩

1万石

相良陣屋

静岡・牧ノ原市


七つ星
江戸時代初期に徳川家康の相良御殿があった場所。明和4年(1767)に田沼意次が城主格となり築城。しかし意次の失脚により城は破却される。文政6年(1823)意次の二男が大名として復帰し、二の丸跡に陣屋をおいた。現在は小学校の用地や相良庁舎として使用され、石垣の一部が残るのみ。  田沼意尊 
49歳 譜代 
田沼意次の子孫。天狗党征伐にあたり、敦賀で天狗党を処刑。鳥羽伏見の戦のあとは官軍に恭順した。 
125  掛川藩

5万石

掛川城

静岡・掛川市
  
 

太田桔梗
明応6年(1497)今川の家臣朝比奈氏が築城したのが始まり。永禄11年(1568)に徳川家康が攻略し、家康が関東入封後に山内一豊が城主となり、今に通じる近世城郭に改修。現在は文久元年(1854)に建てられた二の丸御殿が現存し、平成6年(1994)に創建当時の天守を模した木造の天守閣が復元された。   大田資美 
13歳 外様
鳥羽伏見の戦の後幕府から駿府城警護を求められたが帰藩。自ら上京して新政府に恭順した。    
 126   横須賀藩

3万5千石

横須賀城

静岡・掛川市
 


西尾櫛松 
天正6年(1578)武田の高天神城攻略のため家康の家臣大須賀氏が築く。当初は遠州灘の海岸線に沿って築城され、四重の天守が建てられていたが、宝永4年(1707)の地震で崩壊、また海岸線が後退した。現在、本丸、西の丸が整備され、特徴的な川原石による石垣が再現されている。   西尾忠篤 
17歳 譜代
官軍に恭順して東海道筋の警護に当たる。    
 127   浜松藩

6万石

浜松城

静岡・浜松市
   


井上鷹の羽   
中世に築かれた引馬城の跡に、元亀元年(1570)三河から遠江に進出した家康が新たな城を築いて居城とした。天正18年(1590)家康が関東に移封されると秀吉の家臣堀尾氏が入城して大改修を行う。丘陵地の最高地点に本丸曲輪を置き、二の丸、三の丸がが階段状に並ぶ連郭式の配置。堀尾氏の時代には天守があったが、江戸初期にはなかった   井上正直 
56歳 譜代
2度老中を務め、横浜開港や生麦事件の解決に尽力した。鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。東海道の警護に当たる。 
 128    堀江藩

1万石

堀江陣屋

静岡・浜松市
  


丸に抱き花杏葉 
永禄12年(1569)堀江城の大沢基胤は家康に恭順し、幕府の儀礼典礼を司る高家として江戸時代を通じて代々その職を世襲してきた。旧堀江城の麓に陣屋を構える。現在陣屋は舘山寺温泉の旅館街となって遺構は残っていない。   大沢基寿
不明 譜代 
禄高を架空計上して大名格を得たが、嘘が露見して禁固1年の刑に処せられた。   
 
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三河
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
129  吉田藩

7万石

吉田城

愛知・豊橋市


 吉田蝶
永正2年(1505)今川氏親の家臣、牧野古伯が築城したのが始まりとされる。今川氏滅亡後、徳川家康が攻略。天正18年(1590)家康が関東へ移封後、池田輝政が入城して城郭を大改修。豊川に面した本丸を中心に二の丸、三の丸を取り囲むように配置。城下全体を総構の堀で囲む。9基の櫓が建てられたが天守は建設されなかった。  大河内信古
38歳 譜代
知恵伊豆と呼ばれた松平信綱の家系。鳥羽伏見の戦い後、官軍に恭順。 
130  田原藩

1万2千石

田原城

愛知・田原市
  


三宅輪宝 
渥美半島に勢力を持った戸田宗光が文明12年(1408)に築城したのが最初とされる。今川、徳川の支配の後、天正18年(1590)に池田輝政の吉田城の支城となり近世城郭として大改修がされる。本丸、二の丸、三の丸が一列に並ぶ連郭式の縄張。二の丸二重櫓、桜門が復元され、石垣、土塁、堀の一部が残る。   三宅康保 
36歳 譜代
家老・渡辺崋山が洋式帆船の建造、軍制改革など開明政策を断行。鳥羽伏見の戦いの後、官軍に恭順。    
 131     大垣新田藩

1万石

畑村陣屋

愛知・田原市
  
 

 九曜
元禄元年(1688)大垣藩から三河、美濃で1万石の分地を得て立藩。陣屋を渥美郡畑村に置いたことから畑村藩ともいわれる。明治2年(1869)に陣屋を美濃大野郡野村へ移転したため、遺構は残っていない。   戸田氏良
28歳 譜代
宗家大垣藩に従い幕府側に立ったが、鳥羽伏見の戦いで敗戦後は官軍側に恭順。会津討伐に出兵した。   
 132    西太平藩

1万石

西大平陣屋

愛知・岡崎市
 
 

大岡七宝
寛延元年(1748)江戸町奉行を19年間務めた大岡忠相が加増されて西大平藩を立藩。東海道岡崎宿と藤川宿の中間地点に陣屋をおく。
現在陣屋跡地に門と塀が復元されている。  
大岡忠敬 
39歳 譜代
大岡越前守を祖先に持つ。鳥羽伏見の戦いの後、官軍に恭順。    
 133   挙母藩

2万石

挙母城

愛知・豊田市
   


 内藤藤 
寛延2年(1749)に上野安中より入封した内藤政苗の養子内藤学文が天明元年(1781)に標高65mの童子山に築城。石垣を巡らせた本丸と二の丸を配置。本丸に御殿の他2基の櫓を建築。天守は建てられなかった。現在は本丸の隅櫓が再建されている。   内藤文成 
12歳 譜代
鳥羽伏見の戦い後、官軍に恭順。    
 134   岡崎藩

5万石

岡崎城

愛知・岡崎市
  


本多葵 
康正元年(1455)三河守護代西郷氏によって築城されたのが最初とされる。享禄4年(1531)徳川家康の祖父が城を攻略し、松平家の居城となる。慶長6年(1601)本多康重が入封して近世城郭に城を大改修した。 
天守、井戸櫓、付櫓、大手門が復元され、石垣、土塁、堀の一部が残る。 
本多忠民 
50歳 譜代
徳川四天王といわれた本多忠勝の家系。藩主は老中職にあったが、鳥羽伏見の戦いの後、官軍に恭順。    
 135   西尾藩

6万石

西尾城

愛知・西尾市  
葵の字  西尾城はかつて西条城と呼ばれ承久年間(1219~22)に三河守護足利義氏によって築かれたのが最初とされる。天正18年(1590)岡崎城主が支城として整備拡張。寛永15年(1638)に入封した田中氏が城下を堀で囲む総構えの工事に着手。明治維新後城の建物は取り壊され堀も埋め立てられる。平成8年本丸櫓、二の丸櫓門が復元された。   松平乗秩 
28歳 譜代
これまでに3人が老中職についた名門家系。藩主は江戸にいたが、官軍が侵攻してきたため重臣たちの協議で官軍に恭順。   
 136    西端藩

1万石

西端陣屋

愛知・碧南市
  
 

本多葵
元和2年(1616)近江膳所藩主の2男、本多忠相が1千石の分地を得、その後8千石の加増を得て大身旗本となる。元治元年(1864)江戸警備の功により1万5百石となり大名格となる。西畑に陣屋をおき藩庁とした。
現在陣屋跡は宅地化され遺構は残っていない。
  
本多忠鵬 
10歳 譜代
ながらく一族は大身旗本であったが元治元年(1864)に大名格となる。鳥羽伏見の戦後に官軍に恭順。
    
 137   刈谷藩

2万3千石

刈谷城

愛知・刈谷市
八つ水車  刈谷城は衣浦湾に突き出す小山に築かれた平山城。本丸、二の丸、三の丸が配置される。曲輪は土塁で囲まれ石垣は一部に用いられていた。
現在、本丸と二の丸の一部が公園として整備され、本丸を囲む土塁と堀が残る。  
土井利教
20歳 譜代
藩主は佐幕派であったが、藩士の一部が勤王派として脱藩。家老を殺害する事件を起こす。鳥羽伏見の戦後に官軍に恭順。
    
 
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尾張
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
138 犬山藩

2万3千石

犬山城

愛知・犬山市

 



 丸に片喰
犬山城は木曽川左岸の城山に本丸、二の丸をおき、、麓に三の丸を配置した平山城。現在の位置に築城されたのは秀吉の時代で、近世城郭に改修したのは慶長6年(1601)に城主となった小笠原吉次。本丸には天守と四基の櫓が建てられた。現在天守、堀、石垣が残されている。  成瀬正肥 
32歳 譜代
藩主は佐幕派として自ら兵を率いて戊辰戦争に参加。甲州、信州を転戦したが敗れる。
 
139  尾張藩

61万9千石

名古屋城

愛知・名古屋市


尾張葵 
戦国時代に今川氏によって那古野城が築かれ、天文7年(1538)織田信秀がこれを攻略。信長を城主に据えた。 現在の城郭は慶長15年(1610)家康の命により西国大名20家を動員して築城。本丸には5重5階の天守があったが、昭和20年(1945)の空襲で焼失。昭和34年(1959)再建された。  徳川義宣  
9歳 御三家
義宣の父で前藩主の慶勝が実権を握る。慶勝の実弟、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定勝は幕府側として戦ったが、慶勝は官軍の主力として甲州、信州を平定。   
 
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美濃
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
140 苗木藩

1万石

苗木城

岐阜・中津川市


丸に内二つ引き
苗木城は中山道、飛騨街道を見下ろす標高420mの高台に築かれた山城。頂上部に本丸を置き、西に二の丸、北に三の丸を配した。本丸には三重の天守があり二の丸、三の丸に5基の櫓が建てられた。維新後に城の建物は解体されたが石垣は昔のままに残っている。  遠山友詳 
48歳 外様
藩主は若年寄りを務めたが、藩内は勤王派が優勢となり、鳥羽伏見の戦の後官軍に恭順。  
141    岩村藩

3万石

岩村城

岐阜・恵那市  


丸に蔦  
文治元年(1185)御家人加藤景廉が最初に築城したといわれている。信長の時代に森蘭丸が城主となった時期もある。岩村城は標高720mの城山に築かれた山城。最上部に本丸を配し、二の丸、出丸、東曲輪、帯曲輪、八幡曲輪が配置された。本丸に2基の櫓があったが天守はない。明治になって城は取り壊された。  松平乗命 
19歳 譜代
藩主は陸軍奉行。藩内は佐幕派勤王派が対立したが、最後は官軍に加担した。   
142  郡上藩

4万8千石

郡上八幡城

岐阜・郡上市  



青山菊 
  青山幸宣 
14歳 譜代
国元は勤王派。江戸藩邸は佐幕派で官軍と戦った。   
 143    高富藩

1万石

高富陣屋

岐阜・山県市  


繋ぎ九つ目 
宝永2年(1705)旗本本庄道草が1万石に加増されて立藩。宝永6年(1709)に高富村に陣屋を築く。現在、陣屋跡は公民館の敷地となり遺構は残っていない。   本庄道美 
47歳 譜代
江戸定府大名で最初は佐幕派だったが、鳥羽伏見の戦いの後早々に官軍に恭順。信濃討伐に参戦した。    
 144  加納藩

3万2千石

加納城

岐阜県・岐阜市
   


石持ち地抜き柰  
文安2年(1445)美濃守護職土岐氏の出城と築かれたのが最初とされる。斉藤道三が稲葉城を本拠にしてからは廃城となり、慶長6年(1601)家康の命により稲葉城(岐阜城)を廃城として旧加納城跡に天下普請で新たに築城された。
明治維新後に城の建物は取り壊され、現在は石垣と堀の一部が残るのみ。  
永井尚服 
34歳 譜代
藩主は若年寄。鳥羽伏見の戦の後、辞職願を出して官軍に協力した。   
 145  大垣藩

10万石

大垣城

岐阜・大垣市 


九曜  
大垣は北に中山道、南に東海道をのぞむ交通の要。戦国時代は斉藤氏の支城があり、信長、秀吉も重臣を城主に据えた。関ヶ原の戦の時、石田光成の本陣となる。慶長6年(1601)石川康通が入封して城を大改修。総構えの堀は4kmに及んだ。4重4階の天守が建てられたが昭和20年(1945)の空襲で焼失。昭和34年天守が再建された。   戸田氏共
13歳 譜代
早くから軍制改革に取り組み幕末の最強軍団と言われた。鳥羽伏見の戦の後、官軍の主力として奥州で戦果をあげる  
 146     高須藩

3万石

高須陣屋

岐阜・海津市 


高須三つ葵  
初めて城が築かれたのは大永2年(1522)といわれる。元禄13年(1700)尾張藩主徳川光友の二男松平義行が入封されて陣屋を置く。
現在、陣屋跡は学校、公園の敷地となり、土塁、堀の一部が残る。  
松平義勇 
8歳 家門 
藩主は高須四兄弟の末弟。鳥羽伏見の戦の後、兄の尾張藩と行動を共にした。  
 147   今尾藩

3万石

今尾陣屋

岐阜・海津市


隅立四つ目結  
元和8年(1622)名古屋城主徳川義直の付け家老として入封。戦国時代の今尾城跡地に陣屋を置く。正式な大名となったのは明治元年(1868)になってから。
陣屋跡地は小学校の敷地となり、土塁、堀の一部が残る。  
竹腰正旧 
16歳 譜代 
尾張藩の支藩。佐幕派であったが、最終的には尾張藩と行動を共にする。   
 
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近畿地方の藩(60)

伊勢
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
148 長島藩

2万石

長島城

三重・桑名市


増山雁金
寛元3年(1245)藤原道家が館を築いたのが起源とされる。元亀元年(1570)一向一揆の拠点となるが織田信長によって攻略される。木曽川と揖斐川の三角州に築かれた天然の要害。慶長6年(1601)入封した菅沼氏が城を修築。本丸、二の丸、馬場などが配置され、三重の堀で守られていた。現在城跡は小学校の用地となっている。  増山正修 
47歳 譜代
当初は佐幕派だったが鳥羽伏見の戦いの後に官軍に恭順。正修は明治2年に死去。 
 149 桑名藩

11万石

桑名城

三重・桑名市
 

星梅鉢 
桑名市街の東端にあり揖斐川に臨む水城。東海道桑名宿(7里の渡し)があり交通の要所にある。永正10年(1513)伊藤武左衛門が城館を築いたのが起源とされる。慶長6年(1601)徳川四天王の一人、本多忠勝が入封し城郭の整備を行い、4重6階の天守、51基の櫓などを置いた。天守は元禄14年(1701)に焼失。以後再建されていない   松平定敬 
31歳 親藩
鳥羽伏見で敗戦し、将軍慶喜、兄で京都守護職・会津藩主松平容保とともに江戸へ。最後まで幕府側として戦うも越後柏崎で降伏。  
 150   神戸藩

1万5千石

神戸城

三重・鈴鹿市


本多葵   
この地を支配した豪族、神戸氏によって天文年間(1532~55)築かれた城で、天正8年神戸氏の養子になった織田信孝(信長の三男)によって拡張され、5重の天守が築かれた。その後破却された城を享保17年(1732)に入封した本多忠統が再建。本丸、二の丸、三の丸が連なる平城。現在内堀の跡が公園として整備され、石垣などが残る   本多忠貫 
34歳 譜代
山田奉行(伊勢神宮を管理)職であり、中立的な対応を貫く。    
 151    菰野藩

1万1千石

菰野陣屋

三重・菰野町 


左三つ巴 
慶長6年(1601)菰野に所領を得た土方氏が戦国時代からあった代官所の跡に陣屋を築く。土方氏は幕末までここを居住地とした。現在陣屋跡は小学校の用地となり、土塁、空堀、石垣の一部が残る。 慶長6年(1601)菰野に所領を得た土方氏が戦国時代からあった代官所の跡に陣屋を築く。土方氏は幕末までここを居住地とした。現在陣屋跡は小学校の用地となり、土塁、空堀、石垣の一部が残る。   土方雄永 
16歳 外様
鳥羽伏見の戦いでは等持院を警護。官軍に恭順。 
 152  亀山藩

6万石

亀山城

三重・亀山市


丸に笹竜胆 
北伊勢の中心、鈴鹿川北岸の台地上に築かれた平山城。天正18年(1590)に秀吉の家臣岡本宗憲によって築かれた。本丸、二の丸、三の丸からなる連郭式縄張り。天守は寛永9年(1632)に幕府の命を取り違えた堀尾忠晴によって取り壊される。現在天守台には多門櫓が現存し、公園となっている。   石川成之 
12歳 譜代
家臣が勤王派と行動を共にするように説得中に鳥羽伏見の戦いは終了。その後官軍に恭順して桑名藩攻撃の先鋒隊を勤めた。   
 153   津藩

32万3千石

津城

三重・津市
 


藤堂蔦  
古代より「安濃津」と呼ばれた伊勢の中心。戦国時代に城が築かれたが、慶長16年(1611)藤堂高虎によて大改修がされた。安濃川、岩田川を天然の外堀とし、本丸、東丸、西丸を内堀で囲みそれを二の丸が囲む輪郭式の平城。現在は本丸、西の丸、内堀の一部が現存し、三重の櫓が再建されている。   藤堂高猷 
55歳 外様
当初は病気を理由に官軍、幕府の呼び出しに応じなかったが、鳥羽伏見の戦は官軍として参加。以後積極的に官軍として各地に出兵。  
 154   久居藩

5万3千石

久居陣屋

三重・津市


丸に蔦 
寛文9年(1669)藤堂高道が津藩から分地されて立藩。翌年久居を住居として陣屋を築く。本丸に相当する「御屋敷」は三方を土塁で固め、堀を巡らせた。
現在陣屋の跡地は中学校、公園の用地となり、空堀の一部が残る。  
藤堂高邦 
21歳 外様
宗家の津藩と行動を共にする。    
 
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志摩
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
155 鳥羽藩

3万石

鳥羽城

三重・鳥羽市 


稲荷茗荷 
鎌倉時代の豪族橘氏の居城のあった場所といわれる。文禄3年(1594)水軍の頭領・九鬼嘉隆が城郭を整備。寛永10年(1633)入封した内藤忠重が二の丸、三の丸を築いて近代城郭とした。安政元年(1854)の地震で城は大被害を受け、その後再建されていない。 城跡は小学校の用地となり、わずかに石垣土塁が残る。 稲垣長行 
16歳 譜代
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍として参戦したが、その後に亀山藩の斡旋で官軍に恭順した。  
 
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近江
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
156 宮川藩

1万3千石

宮川陣屋

滋賀・長浜市 


堀田木瓜 
元禄11年(1698)上野矢田から1万国の定府大名として入封。宮川藩を立藩。陣屋は土豪宮川氏の屋敷跡で加田街道、長浜街道に囲まれた交通の要地。現在は宅地化されて遺構はない。  堀田正養 
19歳 譜代
鳥羽伏見の戦の後、官軍に恭順した。  
 157  彦根藩

35万石

彦根城

滋賀・彦根市  


丸に橘  
慶長5年(1600)家康は重臣の井伊直継に石田三成の所領を与える。井伊直継は慶長8年(1603)から20年の歳月をかけて琵琶湖の内湖と善利川に面した彦根山に新たな城を築く。三重三階の天守を擁する本丸に太鼓丸、西の丸、鐘の丸を配置し、三重の堀を巡らせた堅固な城であった。天守は現存して国宝に指定されている。   井伊直憲 
19歳 譜代
大政奉還後は勤王派を積極的に支援。鳥羽伏見、会津戦争も官軍として参戦。  
 158    山上藩

1万3千石

山上陣屋

 滋賀・東近江市   
丸に稲荷茗荷   貞享2年(1685)稲垣重定が加増され立藩。稲垣氏は定府大名であったため陣屋は寛政6年(1794)になってから構築。
現在陣屋の遺構は何も残っていない。  
稲垣太清 
27歳 譜代
定府大名で若年寄を出すなどした名門。鳥羽伏見の戦の後、新政府に恭順。   
 159   西大路藩

1万8千石

仁正寺陣屋

滋賀県・日野町  


 三つ盛り菱 
元和6年(1620)市橋長政が入封し、蒲生氏の居城であった中野城(慶長8年・1603に廃城)の跡地に陣屋を構えた。当初は地名から仁正寺藩と名乗ったが文久2年(1862)に西大路藩と改称した。現在陣屋跡の大半はダムに水没した。   市橋長和 
46歳 外様
京都、四つ塚門の警護を担当したことから勤王色が濃い。鳥羽伏見の戦いは官軍側に着く。  
160 水口藩

2万5千石

水口城

 滋賀・甲賀市   


 下り藤  
中世以来の水口城は関ヶ原の戦に西軍に加担したため落城。寛永9年(1632)徳川家光が上洛の際の宿舎にするため築城したものが現在に残る。しばらくは将軍の上洛時の宿舎用であったが天和2年(1682)に加藤明友が入封し水口藩主となる。現在、城跡は高校の敷地となり、東出丸に模擬櫓、門が建てられ資料館となっている。   加藤明実 
19歳 外様
王政復古後に上京し、鳥羽伏見の戦いでは勤王派として内侍所を警護した。  
 161   大溝藩

2万石

大溝陣屋

 滋賀・高島市   
 

丸の内三つ引
元和元年(1619)分部光信が入封し立藩。陣屋は戦国時代織田信長の甥、信澄が築いた城郭跡に置いた。
現在は戦国時代からの名残の天守台と本丸石垣が残っている。  
分部光貞 
53歳 外様
比叡山の警護にあたり、早くから勤王派を表明。鳥羽伏見の戦いには率先して官軍に加担した。   
 162   三上藩

1万2千石

三上陣屋

 滋賀・野洲市  


亀甲に四方花菱 
元禄11年(1698)遠藤胤親が入封して立藩。近江富士と呼ばれる三上山の麓に陣屋を置いた。現在、遺構は何も残っていない。   遠藤胤城 
29歳 譜代
旗色を鮮明にしなかったが、最後は官軍に恭順した。
 
 163   膳所藩

6万石

膳所城

 滋賀・大津市  


本多葵 
慶長6年(1601)家康の命により築城が開始される。京都守護の前線基地の役割から譜代大名が歴代藩主を務めた。琵琶湖の水面に本丸が突き出すように築かれ、二の丸も幅の広い堀で囲まれた典型的な水城であった。明治になって廃城となり石垣が遺構として残る。   本多康穣 
32歳 譜代
最初は藩内の勤王派を粛清したが、大政奉還後は官軍に味方。桑名藩追討の先鋒や北陸戦争に出兵した。    
 
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山城
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
164 淀藩

10万2千石

淀城

京都・京都


隅切り角に
三文字
元和9年81623)徳川秀忠の命により伏見城を破却して淀城を築く。宇治川と桂川を堀として活用、5重の天守を築く。城址は現在公園として整備されている。  稲葉正邦 
33歳 譜代
鳥羽伏見の戦の時は老中職にあったが、国元は幕府軍の入城を拒否。将軍が江戸に帰還後も老中職に留まり恭順派をまとめた。  
 
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大和
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
165 柳生藩

1万石

柳生陣屋

 奈良・奈良市 


柳生笠 
藩祖は柳生宗矩。代々幕府の剣術指南役であったため江戸定府大名であったが、寛永19年(1642)所領管理のための陣屋を築く。現在陣屋跡は公園として整備されている。  柳生俊益 
16歳 譜代
剣豪柳生宗短の子孫。佐幕派と尊王派と藩論が二分したが、佐幕派が粛清されて官軍に恭順。  
 166     柳本藩

1万石

柳本陣屋

 奈良・天理市  


織田瓜 
元和元年(1615)織田有楽歳が5男の織田尚長に1万石を分与して立藩。寛永年間に(1624~44)に中世柳本城の城跡に陣屋を築いた。陣屋跡は現在小学校の要地として使用され堀と石垣の一部が残っている。なお、陣屋の表向御殿は橿原神宮に移転されて重要文化財に指定されている。   織田信成 
24歳 外様
織田信長の末弟で茶人として知られた織田有楽斉の子孫。京都所司代の命によって天誅組を追討。官軍に協力。    
 167    芝村藩 

1万石

芝村陣屋

 奈良・桜井市  
 

織田瓜
元和元年(1615)織田有楽斉が四男の織田長政に1万石を分与して立藩。最初は戒重に陣屋を置いたが延享2年(1745)に芝村に陣屋を移転した。
現在藩の跡地は小学校の敷地となり一部石垣が残っている。  
織田長易 
43歳 外様
織田信長の末弟で茶人として知られた織田有楽斉の子孫。京都所司代の命によって天誅組を追討。官軍に協力。    
 168   田原本藩

1万石

田原本陣屋

 奈良・田原本町   


 丸に三つ鱗 
藩祖は賤ヶ岳七本槍の一人平野長泰。慶安元年(1648)田原本町に陣屋を構える。ただし所領は5千石で旗本交代寄合に列して大名格を与えられていた。明治元年(1868)になって石直しにより正式の大名となる。陣屋跡地は町役場などになり、堀跡が一部残っている。   平野長裕 
22歳 譜代
鳥羽伏見の戦の時は5千石の旗本であったが官軍に協力。明治元年に大名格となる。    
 169     高取藩

2万5千石

高取城

 奈良・高取町  


丸に龍剣に一文字 
日本三大山城の一つ。中世前期から城は築かれ、豊臣秀長の家臣本多利朝によって改修された。寛永17年(1640)に植村氏が入封し幕末まで続く。標高583mの山頂から尾根伝いに曲輪が続く典型的な山城で、各曲輪はすべて石垣で築かれた。本丸には三重の天守と4基の櫓が建てられていた。現在建造物はないが石垣は残っている。   植村家保 
30歳 譜代 
当初は天誅組に協力したが、天誅組が高取城の攻略を企てたため、これを反撃。新政府軍に協力。 
 170  郡山藩

15万1千石

郡山城

奈良・大和郡山市 


柳沢花菱  
戦国時代初期から築城され、豊臣秀長が大改修した城は大坂夏の陣で焼失。元和2年(1616)水野勝成が入封して、天下普請によって再建される。30万坪の広大な敷地に本丸、二の丸、三の丸を配してそれぞれ濠に囲まれていた。本丸には5重5層の天守があった。現在大手門と二重の隅櫓が再建されている。   柳沢保申 
21歳 譜代
天誅組の討伐に率先して当たる。もともと勤王はであり、鳥羽伏見の戦い後は官軍に恭順。畿内の警護に当たる。  
 171    小泉藩

1万1千石

小泉陣屋

奈良・大和郡山市  
 

割り違鷹の羽
賤ヶ岳の七本槍の一人片桐旦元の弟片桐定隆が藩祖。関ヶ原の戦の後、慶長5年(1600)に家康によって1万石を与えられ立藩。元和9年(1623)中世に築かれた小泉城の跡地に陣屋を構える。陣屋であったが内堀、外堀を備えた連郭式の平城であった。現在跡地の一部が公園として整備され2重の櫓が復元されている。   片桐貞篤 
24歳 外様
京都所司代から天誅組の討伐を命じられ吉野へ出陣。明治になって幕府討伐軍に協力。  
 172      櫛羅藩

1万石

櫛羅陣屋

 奈良・御所市  
 

永井一文字三つ星
延宝8年(1680)刃傷事件を起こして改易となった兄の跡目を継いで弟の永井直円が大和新庄で1万石を与えられて立藩。文久3年(1863)に新庄から櫛羅へ陣屋を移転。櫛羅(くじら)藩と改称した。葛城山の地形を利用して陣屋は築かれていたが遺構は残っていない。   永井直哉 
17歳 譜代
鳥羽伏見の戦いの後、官軍に恭順した。  
 
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紀伊
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
173 新宮藩

3万5千石

新宮城

 和歌山・新宮市 


水野沢瀉 
元和5年(1619)和歌山藩の付家老として水野重仲が入封。寛文7年(1667)3重5階の天守が完成。
現在城跡の一部が公園となり、天守台、枡形虎口などの石垣が残る。 
水野忠幹 
32歳 譜代 
代々紀州藩の付家老職で明治元年に大名に列せられた。
 174    田辺藩

3万8千石

田辺城

和歌山・田辺市 


下り藤に安の字  
元和5年(1619)和歌山藩の付家老として安藤直継次が入封。戦国時代の湊城の跡地に田辺城を築く。もっとも、陣屋程度の規模で天守は最初からなかった。明治元年(1868)に正式な大名に列せられて田辺藩が成立した。現在跡地は宅地となり一部の石垣が残るのみ。   安藤直裕 
46歳 譜代  
代々紀州藩の付家老職で明治元年に大名に列せられた。直裕の前藩主は紀州藩主慶福(家茂)の第14代将軍擁立に成功した立役者。 
 175 紀州藩

55万5千石

和歌山城

 和歌山・和歌山   


紀州三つ葵 
天正13年(1585)豊臣秀吉の命により築城される。関ヶ原の後、桑山氏、浅野氏が入封し元和5年(1619)家康の10男頼宣が入城。城の大改修がされる。天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、2基の櫓が渡り櫓によって繋がる連立式。昭和20年の空襲で天守他の建物が焼失。昭和32年(1957)に天守郡が再建された。   徳川茂承 
23歳 御三家
第2次長州征伐の惨敗で藩財政が破綻。御三家であったが日和見的対応。藩主は新政府軍の人質として京都にとどめられ、官軍に兵、物資を供出。    
 
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和泉
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
176 岸和田藩

5万3千石

岸和田城

大阪・岸和田市


左三つ巴 
岸和田には南北朝時代から砦や城郭が築かれていたが近代的な城郭は天正13年(1585)に秀吉の家臣小出秀政によって築かれる。元和5年(1619)に松平康重が入封し大改修した。変則5角形の本丸に5基の櫓と5重の天守が建てられた。文政10年(1827)天守が落雷で焼失。現在本丸、二の丸は公園となり、天守と隅櫓1基、多門櫓が再建されている。  岡部長寛 
58歳 譜代
鳥羽伏見の戦いのとき藩主は江戸に在住。国元は官軍寄りの意見で、官軍に兵力は提供しなかったが7千両の軍資金を出す。 
 177   伯太藩

1万3千石

伯太陣屋

大阪・和泉市   


丸に渡辺星  
享保12年(1727)大阪定番を務める渡辺基綱が1万3千石を拝領して和泉・信太山の中腹に陣屋を構える。
陣屋は現在と口化されて遺構は残っていない。  
渡辺章綱 
34歳 譜代
当初は模様眺めで判断に迷ったが、鳥羽伏見の戦い後は官軍に恭順。和泉にあった一橋・田安家の所領の管理をする。  
 
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河内
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
178 狭山藩

1万石

狭山陣屋

大阪・大阪狭山


北条鱗 
北条宗家の名跡を継ぐ北条氏信が元和2年(1616)狭山池のほとりに陣屋を築く。狭山池から流れる東除川に南面して大手門を設け、上、中、下の三つの池を配して防御とした。
現在陣屋跡は遊園地や学校の用地となり、下池が残っている程度。
北条氏恭 
22歳 外様
戦国大名北条氏の末裔。勤王派に属し、鳥羽伏見の戦いでは京都4つ塚門の警備をする。 
 179   丹南藩

1万石

丹南陣屋

 大阪・松原市
   


高木鷹の羽  
元和9年(1623)大阪定番であった高木正次が加増され丹南藩を立藩。南北朝時代の丹南城の跡地に陣屋を構えた。現在、陣屋跡は宅地化されて遺構は残っていない。   高木正坦 
38歳 譜代
幕府の大番頭の職にあり江戸に詰めていたので鳥羽伏見の戦には参戦せず。最終的には新政府に恭順した。    
 
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摂津
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
180 麻田藩

1万石

麻田陣屋

大阪・豊中市 


三盛り洲浜 
元和元年(1615)豊臣の家臣だった青木一重が1万石を拝領して立藩。麻田に陣屋を築く。陣屋は東西に内堀を巡らせて本丸と外堀を巡らせた二の丸で構成されていたが、現在跡地は宅地化されて遺構は残っていない。  青木重義 
14歳 外様
藩主は江戸にいたが、オランダ式兵法の訓練をしていた藩兵が京都市内の警備に当たる。藩主の上洛は遅れたが官軍に恭順。  
 181   高槻藩

3万6千石

高槻城

 大阪・高槻市  


 永井鉄線  
戦国時代、キリシタン大名高山右近の居城であったが元和3年(1617)土岐氏が入封し、幕府の命で城を修築。
三重の天守の建つ本丸に二の丸、厩曲輪、弁財曲輪が内郭として配置され、三の丸、出丸などが外郭として配置された堅固な城であったが、明治になり城郭は破却されて遺構は残っていない。  
永井直諒 
18歳 譜代
鳥羽伏見の戦い時は江戸にいたが、勝敗がはっきりしてから上洛。官軍に恭順した。    
 182    尼崎藩

4万石

尼崎城

 兵庫・尼崎市   
 

九曜
近畿と西国を結ぶ流通拠点として古くから重要視された場所。元和元年(1615)戸田氏が入封し、幕府の命で城郭を整備する。本丸を二の丸、松の丸、東・西三の丸が渦巻状取り囲む。本丸には4重の天守が建てられた。明治になり石垣は尼崎港の修理に転用され、現在敷地は学校の用地他となっている。   桜井忠興 
19歳 譜代
鳥羽伏見の戦後、(桜井)松平の姓を桜井に変え、葵の紋を撤去して官軍に恭順した。    
183   三田藩

3万6千石

三田陣屋

 兵庫・三田市   


七つ星  
寛永10年(1623)熊野水軍の頭領であった九鬼氏が海のない三田に転封。戦国時代の城跡に陣屋を築く。小高い丘の上に本丸、二の丸を配し、本丸には内堀を巡らせた。現在陣屋跡は学校の用地となって、堀の一部が残っている。   九鬼隆義 
30歳 外様 
九鬼水軍の末裔。幕末に甲冑などの旧式武具を捨て最新式の銃を購入。大政奉還後新政府に恭順。摂津内の幕府領の管理をする。   
 
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丹波
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
184 亀山藩

5万石

亀山城

 京都・亀岡市 


丸に利の字 
天正年間(1573~92)に明智光秀が丹波攻略の拠点として築城したのが最初とされる。慶長14年(1609)家康が大阪城包囲の目的で藤堂高虎等に命じて城を大改修。層塔型の5重の天守が築かれ、本丸を取り囲むように内堀、外堀、総構堀が同心円状に配置された。現在城の跡地には宗教法人の本部がある。 松平信正 
15歳 譜代
前藩主は幕府中枢にいて安政の大獄に協力。藩是は佐幕であったが、山陰道鎮撫使の攻撃を受けて官軍に恭順。
 
 185    園部藩

2万6千石

園部陣屋

 京都・南丹市   
 

園部額
元和5年(1619)小出吉親が入封し陣屋構築に着手。方形の本丸を中心に二の丸を配し、背後の山を詰城として三重櫓を築く。また2kmにわたる外堀を巡らせ4基の櫓も構築して陣屋というより城郭であった。
現在本丸跡は高校の用地となり、櫓門、巽櫓、番所、石垣、土塁、堀の一部が残る。 
小出英尚 
18歳 外様 
勤王派を早くから表明。城を大改修して万一の場合の天皇を受け入れる準備をした。 
 186    山家藩

1万石

山家陣屋

 京都・綾部市 


 谷 蝶 
天正10年(1582)に秀吉が丹波を支配するとその家臣谷衛友に山家を領有させた。谷氏は由良川を見下ろす山上に山家城を築いた。慶長5年(1600)関ヶ原の戦で谷氏は西軍に加担したが許されて所領を安堵される。山上の城を破棄して、その麓に陣屋を構えた。現在陣屋跡は公園となり、表門、石垣の一部が残る。   谷 衛滋 
50歳 外様
鳥羽伏見の戦い時に藩主は江戸にいたがすぐさま上京して官軍に恭順。     
 187  福知山藩

3万2千石

福知山城

 京都・福知山市  
 

隅立て四つ目結
丹波攻略のために明智光秀が天正年間(1573~92)に築城。関ヶ原の後、慶長5年(1600)に有馬豊氏が入封して大規模の改修を行い現在の姿となる。由良川と土師川の合流点の丘陵に築かれ、本丸、二の丸、三の丸を連ねた縄張り。昭和60年(1985)本丸中央に3重4階の天守が再建された。   朽木為綱 
22歳 譜代
鳥羽伏見の戦い後に官軍に恭順。  
 188    綾部藩

1万9千石

綾部陣屋

 京都・綾部市  


左三つ巴 
寛永11年(1633)熊野水軍九鬼嘉隆の孫九鬼隆李が弟の久隆と跡目争いをして、幕府の裁定で孫が園部藩を立藩した。
陣屋は由良川の河岸段丘に築かれ、本丸を中心に周りに曲輪を配した。慶安3年(1650)に火災で全焼し、翌年に由良川から離れた上野台に方形の陣屋を再興した。現在陣屋跡は小学校の用地となり遺構はない。   
九鬼隆備 
33歳 外様
当初は佐幕派として禁門の変では幕府がとして戦ったが、大政奉還後は官軍につき、鳥羽伏見の戦では丹波口の警護をした。   
 189    柏原藩

2万石

柏原陣屋

 兵庫・丹波市


 織田細瓜  
元禄8年(1695)織田信休が入封し、正徳4年(1714)に陣屋を築く。文化13年(1816)に御殿が全焼するが文政3年(1820)に再建され現存する。また長屋門は正徳4年当時のものが残っている。   織田信親 
17歳 外様
勤王派として鳥羽伏見の戦に参戦。御所の警備に当たる。 
 190    篠山藩

6万石

篠山城

  兵庫・篠山市  


 青山銭 
山陰・山陽から京都へ通じる街道の防護として慶長14年(1609)旧豊臣方の大名20家に命じて天下普請で築かれる。本丸、二の丸は高石垣で築かれ、三の丸は一部を高石垣、他を腰巻石垣で築かれている。本丸に天守はなかったが多門櫓で囲まれていた。建物は残っていないが、本丸、二の丸の石垣、堀は当時の姿で残っている。   青山忠敏 
33歳 譜代
鳥羽伏見の戦いに幕府側の立場でいたが、藩主は江戸にいて戦闘には参戦せず。戦後直ちに上京して官軍に恭順。     
 
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丹後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
191 田辺藩

3万5千石

田辺城

 京都・舞鶴市 


丸に牧野柏
天正6年(1578)に丹後を制圧した細川藤孝が築城。東に伊佐津川、西に高野川、北は舞鶴湾、南は湿地帯と天然の要害にあった。寛文8年(1668)に牧野親成が入封し城を整備改修した。本丸、二の丸、三の丸を並列する輪郭式平城。本丸中央に付け櫓を持つ天守が建てられた。現在、櫓、門、塀が再建されている。 牧野誠成
35歳 譜代
大政奉還後、藩主は江戸にいたが国元は恭順を決めた。 
 192    宮津藩

7万石

宮津城

 京都・宮津市
 

繋ぎ九つ目
関ヶ原の戦後に京極高知が入封し、戦国時代の宮津城の跡地に築城。大手川を外堀とし、本丸を中心として二の丸、三の丸が取り囲む。天守は建築されず、8基の櫓が配置された。現在は市街地化して石垣の一部が残るのみ。    本庄宗武 
21歳 譜代
第2次長州征伐で捕虜となった長州の家老を放免。鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順した。    
 193    峰山藩

1万1千石

峰山陣屋

 京都・京丹後市


繋ぎ四つ目結 
元和8年(1622)京極高道が分地を得て立藩。戦国時代の峰山城の麓に陣屋を築く。現在、陣屋跡地は農地となり遺構は残っていない。   京極高富 
32歳 外様
鳥羽伏見の戦いのとき藩主は江戸にいたが、国元は官軍に恭順。藩主自身は上洛が遅れたことにより謹慎隠居処分となった。    
 
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 但馬
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
194 出石藩

3万石

出石城

 兵庫・豊岡市  


永楽銭
戦国時代には背後の有子山に築かれた山城であったが、慶長9年(1604)に山城の居館があった山麓に築き直される。山麓を四段に造成、稲荷曲輪、本丸、二の丸、下の曲輪を配した。明治になって建物は取り壊されたが城の石垣は昔の姿を留めて、昭和43年(1966)に二重櫓が復元された。  仙石久利 
47歳 外様
藩主は勤王派。藩論は佐幕派が優勢であったが最終的には官軍に協力。 
 195    豊岡藩

1万5千石

豊岡陣屋

 兵庫・豊岡市  
 

隅立て四つ目結 
戦国時代の豊岡城の山麓に承応2年(1653)京極高盛が入封して陣屋を構えた。
陣屋跡地は現在図書館の用地に利用されている。  
京極高厚 
34歳 外様
藩主は佐幕派であったが、国元は藩主の意向を無視して官軍に恭順した。   
196    村岡藩

1万1千石

村岡陣屋

 兵庫・香美町   
 糸輪に二つ引き  寛永19年(1642)山名矩豊が黒野村に陣屋を築き、黒野から村岡へ呼称を変えた。陣屋は尾白山の山麓に築かれ小城郭の構えであった。陣屋跡は現在公園として整備され、奥方部屋、桜山御廟などの遺構が残っている。   山名義済 
31歳 譜代
室町時代から続く山名一族の末裔。6700石の旗本であったが、明治新政府の石直しで大名に列せられた。   
 
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播磨
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
197  明石藩

8万石

明石城

 兵庫・明石市 


三つ葉葵
元和4年(1618)一国一城令によって廃城となった船山城、三木城、高砂城の資材を利用し、西国諸藩の備えとして幕府の命を受けた小笠原忠真が築城。海岸を見下ろす丘陵地に築かれた平山城。現在城跡は公園となっており、本丸巽櫓、坤櫓、本丸、二の丸、三の丸の石垣、三の丸の土塁、中堀が残っている。  松平慶憲 
41歳 家門
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍に援軍を送るがすでに戦闘は終結。戦後に官軍に恭順。  
 198    福本藩

1万石

福本陣屋

 兵庫・神河町  


 揚羽蝶   
寛文2年(1662)池田政直が入封して福本に陣屋を築く。現在陣屋跡は神社となり庭園が残されている。   池田徳潤 
13歳 譜代
鳥取藩の支藩。佐幕派であったが、鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。 
 199    三草藩

1万石

三草陣屋

 兵庫・加東市  
 

丹羽扇
寛保2年(1742)丹羽薫氏が入封し陣屋を三草に置く。 現在陣屋跡は学校用地となり、井戸跡が保存されている。  丹羽氏中 
36歳 譜代   
鳥取藩の支藩。佐幕派であったが、鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。   
 200    小野藩

1万石

小野陣屋

 兵庫・小野市  
 

一柳釘抜き 
承応2年(1653)一柳直次が小野が原の丘陵地に陣屋を築く。陣屋跡地は小学校等の用地となり遺構は残っていない。   一柳末徳 
17歳 外様
早くから勤王派を表明。鳥羽伏見の戦いでは大阪周辺を警護。  
 201  姫路藩

15万石

姫路城

 兵庫・姫路市  


姫路剣片喰   
天正8年(1580)に秀吉によって築かれた城を土台として慶長5年(1600)に池田輝政が入封して現在見られる規模に大改修された。天守は5重7階建てで現存する天守として最大。また東、乾、西の小天守を渡り櫓でつなく連立敷き天守として知られる。国能に指定されているほか世界遺産にも登録されている。   池田忠惇 
28歳 譜代 
鳥羽伏見の戦いで敗れ、藩主は将軍とともに江戸へ。藩主不在の姫路城は官軍に囲まれ無血開城。15万両を供出した。  
 202    林田藩

1万石

林田陣屋

 兵庫・姫路市  
 

建部蝶 
元和3年(1617)建部長政が入封し、戦国時代の窪山城の跡地に陣屋を置いた。陣屋は丘陵地にあり、石垣、堀を巡らせた。現在、陣屋跡は公園となっており、建物はないが石垣と堀の大部分が残っている。   建部政世 
13歳 外様
藩主は早くから官軍に恭順したが、積極的な対応をせず様子見に徹した。  
 203    安志藩

1万石

安志陣屋

 兵庫・姫路市  
 

三階菱 
享保2年(1717)中津藩主小笠原長サトの跡目を継ぐ形で弟小笠原長興が立藩。安志に陣屋を築く。現在陣屋跡は小学校の用地となり遺構は残っていない。   小笠原貞孚
17歳 譜代 
藩主は早くから官軍に恭順したが、積極的な対応をせず様子見に徹した。    
 204 龍野藩

5万1千石

龍野城

 兵庫・たつの市    
 

 輪違い 
明応8年(1499)に赤松氏が鶏籠山上に築いたのが龍野城の始めとされる。寛文12年(1672)脇坂安政が入封し、城を山麓に新しく築く。昭和54年(1979)多門櫓、櫓門、二重櫓、土塀が復元された。   脇坂安斐 
28歳 譜代
鳥羽伏見に戦の後官軍に恭順し、姫路藩の討伐に出兵。また東北の戦線には新造船「神龍丸」を派遣した。    
 205    山崎藩

1万石

山崎陣屋

 兵庫・宍栗市  


本多葵 
延宝7年(1679)本多忠秀が入封し、元和元年(1615)に池田輝政の四男、池田輝澄が築いた山崎城の跡地に陣屋を置く。陣屋跡地は史跡として保存されている。  本多忠明 
34歳 譜代
藩論は佐幕派が優勢であったが、鳥羽伏見の戦後は官軍に恭順。
    
 206    三日月藩

1万5千石

 三日月陣屋

 兵庫・佐用町
 

鶴の丸
元禄10年(1697)津山藩主森長武の弟長俊が宗家の断絶に伴い立藩。千種川の支流、志文川を外堀とし背後を山に囲まれた地に陣屋を構築。入口を枡形に造り、城郭造りの陣屋であった。現在、物見櫓と中御門が復元されている。   森 俊滋 
32歳 外様
早くから勤王派として行動。藩主自ら北越、庄内へ兵を引き連れ参戦した。    
 207  赤穂藩

2万石

赤穂城

 兵庫・赤穂市  
 

 鶴の丸
天正年間81573~92)に宇喜多秀家が岡山城の支城として築城。正保2年(1645)浅野長直が入封して現在の規模の城に改修。浅野家は元禄14年に江戸城で刃傷事件を起こして改易となったことは有名。昭和30年(1955)三の丸隅櫓が復元され、以後も順次城内の整備が進められている。   森 忠典 
20歳 外様
幕府軍として参戦した鳥羽伏見の戦の時、勝敗が決する前に撤兵。戦後に官軍に恭順した。    
 
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山陽・山陰地方の藩(28)

因幡
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
208 若桜藩

1万5千石

若桜陣屋

 鳥取・若桜町 


松平因幡蝶 
元禄13年(1700)鳥取藩主池田綱清の弟清定が分地されて立藩。当初所領はなかったが、明治元年(1868)に若桜に陣屋を築いた。現在陣屋の遺構は何も残っていない。  池田徳定 
19歳 外様
藩主は京都知恩院にあった英国公使の警備を担当した実績があり。戊辰戦争は宗家鳥取藩とともに官軍として出兵。 
 209     鳥取藩

32万5千石

鳥取城

  鳥取・鳥取市  


 因幡蝶
中世、但馬山名氏によって築城されたのが最初とされる。慶長5年(1600)池田輝政の弟、池田長吉が入封して中世以来の城跡に築城。城は山上と山下に分かれ、山上の城は戦国時代の城の部分を改修したもので、二重の天守が、山下には3重の櫓が築かれた。 城跡は公園となり石垣、堀の大半が残されている。  池田慶徳 
30歳 外様
水戸藩主・徳川斉昭の5男、将軍慶喜の兄。尊王攘夷の旗手であったが藩内は佐幕、尊攘派が対立。西園寺公望の説得で官軍として各地に出兵。  
 210    鹿野藩

3万石

鹿野陣屋

 鳥取・鳥取市 
 

五瓜に揚羽蝶
貞享2年(1685)鳥取藩主池田光仲の2男・仲澄が分地を得て立藩。当初は鳥取城下に藩庁を構えていたが、慶応4年(1868)に戦国時代の鹿野城の跡地に陣屋を構える。現在陣屋跡は中学校の用地とんっているが、堀と土塁が残っている。   池田徳澄 
13歳 外様
宗藩鳥取藩と行動を共にし、鳥羽伏見の戦いでは官軍として出兵。東北戦争にも出兵した。   
 
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  出雲
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
211 母里藩

1万石

母里陣屋

 島根・安来市


三つ葉葵
寛文6年(1666)松江藩主松平直政の3男が分封されて立藩。貞享元年(1684)陣屋を築く。宝暦10年(1760)財政難のため陣屋を売却。陣屋跡は水田となって遺構は残っていない。 松平直哉 
19歳 家門
松江藩の支藩で定府大名。鳥羽伏見の戦い後、官軍に恭順。  
 212    松江藩

18万6千石

松江城

 島根・松江市  


三つ葉葵 
慶忠5年(1600)堀尾吉晴が関ヶ原の功で24万石を得て入封。それまでの月山富田城を移転して宍道湖を臨む亀田山に築城。最上部に本丸、宍道湖に面して階段状に2の丸、三の丸が配置された。天守は4重5階で南側に付け櫓が付随している。
天守は現存して、平成13年(2001)に南櫓、中櫓、太鼓櫓が復元された。  
松平定安 
32歳 家門
2度の長州征伐には幕府軍として出兵。鳥羽伏見の戦では御所の警護のために出兵。敗戦後に官軍に恭順。    
 213    広瀬藩

3万石

広瀬陣屋

 島根・安来市  
 

三つ葉葵
慶応6年(1666)松江藩主松平直政の2男・近栄が分封されて立藩。貞享元年(1684)に陣屋を置いた。嘉永3年(1850)城主格となったが陣屋を拡張した程度で築城はされていない。現在、陣屋跡は一部石垣が残る程度。    松平直己 
35歳 家門
松江藩の支藩。山陰道鎮撫使が鳥取に到着した際に官軍に恭順。    
 
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石見
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
214  浜田藩

6万1千石

浜田城

 島根・浜田市 


三つ葉葵
元和5年(1619)古田重治が入封し、松原湾を望む標高67mの亀山山頂に本丸を築く。中腹に二の丸、東山麓に3の丸を配した。本丸に天守台を築かずに3重の天守が建てられた。慶応2年(1866)第2次長州征伐の折、萩藩兵に攻められて城を自焼。現在城跡は公園となり、石垣が保存されている。 松平武聡 
25歳 家門
水戸藩主・徳川斉昭の10男。第2次長州征伐では幕府軍の前線基地となり敗退。  
 215    津和野藩

4万3千石

津和野城

 島根・津和野町  


隅立て四つ目結   
慶長6年(1601)坂崎成正が入封し、吉見氏時代に標高367mの霊亀山に築かれた城郭を大改修。山頂部分に本丸、一段下がって天守台、北に二の丸、南と西に三の丸を配した山城。天守は貞享3年(1688)に落雷によって焼失。物見櫓、馬場先櫓が現存する。
  
亀井茲監 
42歳 外様
長州と結んで討幕運動に参加。第2次長州征伐の際は、長州軍の藩内通過を認める。鳥羽伏見の戦いは官軍として参戦。  
 
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備前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
216 岡山藩

31万5千石

岡山城

 岡山・岡山市


備前蝶
天正18年(1590)宇喜多秀家が従来の城を大改修。本丸が上段、中段、下段で構成されている特異な縄張りを持つ。天守は5重6階の望楼型で一階部分は不均等5角形。月見櫓、石垣、内堀などの数多くの遺構が残っているが、天守は昭和20年の空襲で焼失。昭和41年(1966)に再建された。  池田茂政 
28歳 外様
水戸藩主・徳川斉昭の子であったが親長州として行動。鳥羽伏見の戦い後は積極的に官軍として出兵。福山藩、姫路藩を討伐。  
 
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備中
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
217 足守藩

2万5千石

足守陣屋

 岡山・岡山市 


木下日足 
一度家康に所領を没収された木下定家が大坂の陣での戦功を認められて元和元年(1615)足守の旧領を復活。陣屋は寛文2年(1662)木下利貞が築く。足守川の西岸にコの字状に石垣と堀を巡らせた。現在は宝永5年(1708)に造営された回遊式の庭園と御殿が残り公園として公開されている。  木下利恭 
35歳 外様
岡山藩と行動を共にして官軍として積極的に参戦。北越戦争で活躍。 
 218    岡田藩

1万石

岡田陣屋

 岡山・倉敷市  
 

庵木瓜
元和元年(1615)伊東長実が旧領を安堵されて陣屋を築く。現在、陣屋跡は小学校用地となり遺構は残っていない。   伊東長ツマ 
23歳 外様
岡山藩と行動を共にして官軍として出兵。姫路藩討伐に参戦。  
 219    庭瀬藩

2万石

庭瀬陣屋

 岡山・岡山市  
 

左三つ巴 
慶長5年(1600)戸川達安が2万9千石を得て立藩。旧庭瀬城の二の丸に陣屋を築く。久世氏、松平(藤井)氏と藩主が交代し、元禄12年(1699)板倉重孝 が入封し明治まで続く。陣屋は小規模で現在は宅地、神社敷地となっている。  板倉勝弘 
29歳 譜代
戊辰戦争が開戦した当初に官軍に恭順した。ただし、藩士の一部は上野戦争で純忠隊に加わった。    
 220    新見藩

1万8千石

新見陣屋

 岡山・新見市  
 

鳳凰丸
元禄10年(1697)関長治が1万8千石を得て立藩。翌年に陣屋が完成した。陣屋跡は現在学校の敷地となり、石垣の一部が残っている。   関 長克 
27歳 外様
官軍として備中松山藩を攻撃。同藩との攻守同盟の存在から、攻撃側の隊長・丸川義三は城を接収後に切腹した。  
 221  松山藩

5万石

松山城

 岡山・高梁市  


板倉巴  
標高480mの臥牛山に築かれた山城で仁治元年(1240)地頭であった秋葉氏によって最初の城が築かれた。現在の姿になったのは元和元年(1681)に入封した水谷勝宗による。日本三大山城の一つで、2重2階の天守、2重櫓、土塀が現存し重要文化財に指定。櫓、門、塀が再建されている。   板倉勝静 
44歳 譜代
老中として将軍を補佐。戊辰戦争敗退後将軍慶喜とともに江戸へ。奥羽列藩同盟の参謀役となり函館まで転戦した 
 222    浅尾藩

1万石

浅尾陣屋

 岡山・総社市  


八つ星  
慶長5年(1600)に蒔田広定が1万石で入封したが、寛永13年(1636)広定の子、定正が弟に3千石を分与したため大名格から旗本になる。その後、文久3年(1863) に江戸警備の功で1万石に加増されて再び大名格となり陣屋を築く。慶応2年(1866)長門萩藩の攻撃を受け陣屋建物は焼失。現在跡地は神社、公園になっている。  蒔田広孝
18歳 譜代
鳥羽伏見の戦いで敗北後も東北、函館と転戦。最後まで佐幕派として戦った。    
 223     岡山新田藩

1万5千石

陣屋はない

 岡山・岡山市 


三寄り替蝶  
岡山藩の内高1万5千石を当てて立藩したが、陣屋は置かれず政務は岡山藩が見た。幕末に生坂藩と称したとも言われている。   池田政礼 
18歳 外様
岡山藩の分家。岡山藩と行動を共にし、官軍として東北、函館と転戦した。  
 224    成羽藩

1万3千石

成羽陣屋

 岡山・高梁市 


山崎扇 
一時廃藩となっていたが、明歴元年(1655)に交代寄合で5千石の旗本山崎豊治が入封。以前からあった陣屋を拡張した。明治元年(1868)に石直しによって大名に列せられる。現在陣屋跡は小学校、役場、等の敷地になり石垣堀の一部が残る。   山崎治祇 
12歳 譜代
交代寄合の旗本格であったが明治元年に大名に。
   
 225    鴨方藩

2万5千石

鴨方陣屋

 岡山・浅口町 


池田向い蝶 
寛文12年(1672)岡山藩主池田綱政の二男政言が2万5千石を分与され立藩。陣屋は元治元年(1864)になって中世の鴨山城跡に近い山麓に置いた。現在陣屋跡は宗教団体の敷地となっている。   池田政詮 
31歳 外様
岡山藩を尊王攘夷派に導いた人物といわれる。明治になり岡山藩主となる。  
 
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美作
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
226  津山藩

10万石

津山城

 岡山・津山市 


三つ葉葵
小早川氏が断絶になったあと慶長9年(1604)森忠政が入封し、翌年より新城の建設に着手。元和2年(1627)まで13年をかけて完成。城は高石垣で構築され、本丸、二の丸、三の丸を螺旋状に配置し、5重の天守が建てられた。維新後建物は解体されたが、平成16年(2004)本丸備中櫓が再建された。  松平慶倫 
40歳 家門
長州征伐、鳥羽伏見の戦では幕府軍として参戦。岡山藩の斡旋で官軍に恭順。 
 227    勝山藩

2万3千石

勝山城

 岡山・真庭市  


三浦三つ引 
明和元年(1764)三浦明次が入封し、廃墟となっていた城を修復。勝山城として居城とした。城は標高321mの如意山と標高261mの勝山を利用し、旭川の流れを自然の堀とした。
現在山上の本丸付近は山林と化し、石垣、堀切が残っている。 
三浦弘次
45歳 譜代 
早くに官軍に恭順したが、前藩主が彰義隊に派兵を強要されて24名の藩士を参加させた。   
 
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備後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
228 福山藩

11万石

福山城

広島・福山市 


安部鷹の羽 
元和5年(1619)水野勝成が10万石を得て入封。中国地方の重要拠点として築城に着手。元和8年に完成した。5重の天守と3重櫓7基、2重櫓16基、楼門10基の大城郭であった。天守は昭和20年(1945)の空襲による火災で焼失。昭和41年(1966)復元された。  阿部正方 
19歳 譜代
前藩主は幕府の重臣だったが、鳥羽伏見の戦いで長州の砲撃を受けて官軍に恭順した。
 
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安芸
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
229 広島新田藩

3万石

吉田陣屋

広島・安芸高田
 


五瓜に違い鷹の羽
広島藩浅野綱長の三男・長賢が3万石を分与されて立藩。文久3年(1863)に幕府の命により陣屋を構築。毛利時代の郡山城の山麓に、土塁、築地を巡らす3千坪の陣屋を構築。陣屋跡は現在高校の用地となっているが、堀跡が現存する。  浅野長厚 
24歳 外様
宗家の広島藩と行動を共にする。  
 230     広島藩

42万6千石

広島城

広島・広島市


芸州鷹 
天正17年(1589)中国地方を支配した毛利輝元によって築かれる。太田川河口に築かれた平城で、天守は5層5階で2基の3重小天守と連結。昭和20年の原爆投下によってすべての建物が焼失。天守は昭和33年(1958)に復元。平成6年(1994)に二の丸御門、平櫓、多門櫓、太鼓櫓が再建された。   浅野長訓 
55歳 外様
公武合体派だが長州討伐には反対して出兵せず。鳥羽伏見の戦いでは津藩とともに敗走する幕府軍を追撃。  
 
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周防
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
231 岩国藩

6万石

岩国城

山口・岩国市 


 九曜
慶長5年(1600)関ヶ原の戦で敗れた吉川広家が3万石に減封されて岩国に入封。錦川の段丘上に居館、背後の山の山上に城を築いた。山上の城は一国一城令によって元和元年(1615)に破却。昭和37年(1962)に本来の位置とは異なる場所に4重6階の天守が再建された。  吉川経健 
12歳 外様
早くから勤王派として長州と志を同じとした。 
 232    徳山藩

4万石

徳山陣屋

山口・周南市 


徳山三つ星  
元和3年(1617)萩藩藩主毛利秀就の弟が分地されて立藩。慶安元年(1648)野上村に陣屋を築き、徳山と改称。現在陣屋跡には庭園の遺構が残っている。   毛利元蕃 
51歳 外様
宗家長州藩と行動を共にする。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍を山崎で破り、以後、奥州、北越、函館へと転戦する。  
 
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長門
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
233 長州藩

36万9千石

萩城

山口・萩市


長州三つ星
関ヶ原の戦で敗者となった毛利輝元が周防、長門の2カ国に転封されて慶長9年(1604)に築城を開始。城は日本海に突き出た小島・指月山の南麓に、5重天守や本丸御殿が築かれた。また詰めの城として指月山さん城に総石垣の天守を持つ山城が築かれた。明治になって建物は取り壊されたが石垣と堀が現存している。  毛利敬親 
48歳 外様
薩摩とともに倒幕の中心勢力。新政府樹立に貢献。 
 234    長府藩

5万石

長府陣屋

山口・下関市 


府中三つ星  
慶長7年(1615)毛利輝元の養子秀元が分封されて、櫛崎城を改修して居城とするが、元和元年(1615)の一国一城令によって城を破却、山麓に陣屋を築く。現在陣屋跡は高校の用地となっている。   毛利元周 
40歳 外様
長州藩と行動を共にする。  
 235     清末藩

1万石

清末陣屋

山口・下関市 


長州三つ星 
承応2年(1653)毛利秀元の2男が分地されて立藩。陣屋を築く。現在陣屋跡地は中学校の敷地となり、堀と土塁の一部が残る。   毛利元純 
35歳 外様
長州藩と行動を共にする。  
 
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四国地方の藩(14) 

阿波
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
236 徳島藩

25万8千石

徳島城

徳島・徳島市  


丸に万字
徳島城は吉野川河口の三角州上の小山に築かれた平山城。鎌倉時代の地頭・高野氏が最初の築城者とされる。現在に残る城郭は天正13年(1585)蜂須賀家政による。山上の本丸を中心に東・西二の丸、西三の丸の四つの曲輪を配置。天守は当所本丸の弓櫓付近に建てられたが、後に二の丸に移転。明治以後建物はすべて取り壊された 蜂須賀茂韶
歳 外様 
前藩主斉裕は11代将軍家斉の22男で養子。佐幕派で2度の長州征伐に出兵。鳥羽伏見の戦後に急死。茂韶が跡を継ぎ、勤王派に転向。
 
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讃岐
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
237 高松藩

12万石

高松城

 香川・高松市
 


三つ葵
天正16年(1588)生駒親正により築かれたのが最初。寛永19年(1642)松平頼重(水戸藩主の子)が入封し、現在残る城郭に修築。瀬戸内海に面した本格的な海城。天守は三重四階であったが明治になって取り壊された。現在、北の丸月見櫓、水手御門、渡櫓、東の丸長櫓、旭門、埋門などが遺構として残る。  松平頼聡 
33歳 家門
前藩主は水戸藩主・徳川斉昭の兄。夫人は井伊直助の二女。幕府の中枢として佐幕派であった。鳥羽伏見の戦い後、官軍に8万両を払い恭順。  
 238 丸亀藩

5万1千石

丸亀城

 香川・丸亀市
   


平四つ目結  
慶長2年(1597)高松藩主だった生駒親政の隠居所として築城されたのが最初。標高33mの亀山に築かれた平山城。本丸、二の丸、三の丸を配置し、天守は当初本丸の最高地点に建てられたが、万治3年(1660)に入封した京極高和によって本丸北側に3重3階の天守が築かれ現在に残る。   京極朗徹 
39歳 外様 
室町時代の守護職を務めた名門の出身。早くから勤王派として行動。  
 239    多度津藩

1万石

多度津陣屋

 香川・多度津町   


隅立て四つ目結 
元禄7年(1694)丸亀藩主の子京極高通が1万石を分与されて立藩。文政9年(1826)4代目高賢が多度津に陣屋を築く。陣屋は取り壊されたが、侍屋敷、船溜などの遺構が残る。  京極高典 
31歳 外様
早くから洋式兵法を取り入れ、戊辰戦争には官軍として出兵。   
 
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伊予
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
240 西条藩

3万石

西条陣屋

 愛媛・西条市 


西条三つ葵
寛永13年(1636)一柳直重は父・直盛が6万8千石を得て西条に入封する途上で急死。3万石を襲封し立藩。西条に陣屋を置くも、江戸定府の大名で陣屋は代官が在住。寛文10年(1670)松平頼純が入封し陣屋を引き継ぐ。陣屋は現在高校の用地となって、土塁、堀の一部が残る。  松平頼英 
24歳 家門
御三家紀伊藩の分家であったが 、藩主は早くから勤王の立場を表明していた。しかし疑われて土佐藩の監視下に置かれる。
 241     小松藩

1万石

小松陣屋

 愛媛・西条市


一柳釘抜き   
寛永13年(1636)一柳直頼が父・一柳直盛の遺領のうち1万石を分地されて立藩。寛永17年(1640)陣屋を築く。現在跡地には石碑が立つだけで遺構らしきものはない。   一柳頼紹 
45歳 外様
兵制の改革や大砲を鋳造するなど近代化に努める。戊辰戦争では官軍として越後方面の戦いで奮闘した。 
 242  今治藩

3万5千石

今治城

愛媛・今治市
  


星梅鉢 
慶長7年(1602)藤堂高虎によって築城が開始される。瀬戸内海に面した海城。本丸に5層の天守が築かれたが、天下普請で築かれた丹波亀山城の天守閣として慶長15年(1610)に移築された。現在石垣、内堀が現存し、本丸北隅櫓あとに5層の模擬天守、二の丸に山里櫓が再建されている。   久松定法
33歳 譜代
第2次長州征伐に出兵したが途中で兵を引き幕府に中止を説く。鳥羽伏見の戦い後は官軍として京都を警護、甲府にも従軍した。   
 243  松山藩

15万石

松山城

愛媛・松山市 


星梅鉢 
慶長7年(1602)加藤嘉明が標高132mの勝山に築城を開始。現在の城郭は寛永12年(1635)松平定行が入封して改修。当初5重であった天守は3重に建て替えられた。天明4年(1784)に落雷により天守が焼失するが嘉永5年(1852)に再建されて現在に残る。   久松定昭 
22歳 家門
津藩からの養子。鳥羽伏見の戦では幕府側につき、徹底抗戦を主張するも説得されて恭順。官軍に15万両を献金させられた。   
 244    新谷藩

1万石

新谷陣屋

 阿姫・大洲市  


蛇の目 
元和元年(1623)大洲藩主の子・直泰が1万石の分地を得て立藩。寛永19年(1642)陣屋を築く。現在陣屋跡地は小学校の用地となっているが、庭園の遺構が残る。   加藤康令 
29歳 外様
大洲藩の支藩。早くから勤王派として鳥羽伏見の戦いは官軍側で参戦。  
 245   大洲藩

6万石

大洲城

 愛媛・大洲城   


蛇の目 
鎌倉時代末期、元弘元年(1331)に宇都宮氏によって築城されたのが最初とされる。慶長15年(1609)に入封した脇坂安治によって改修され、4重の天守が建てられた。肱川左岸に突き出た標高20mの小山に築かれた平山城。山頂に本丸、北の丸、南に二の丸、内堀を挟んで3の丸を配置。天守は明治になって取り壊されたが平成16年復元   加藤泰秋 
21歳 外様
早くから勤王派を表明。鳥羽伏見の戦いでは長州藩兵の上陸を助け、勝因を作った。  
 246   吉田藩

3万石

吉田陣屋

 愛媛・宇和島市   
 

宇和島笹
明歴3年(1657)宇和島藩主の子伊達宗純が3万石を分与されて立藩。翌年、万治元年(1658)に陣屋を築く。陣屋であるが堀を掘削し、隅櫓を設けた。現在跡地は図書館用地となっているが石垣などの遺構が残る。   伊達宗孝 
46歳 外様
宇和島藩の支藩。宗藩と行動を共にする。
 
 247  宇和島藩

10万石

宇和島城

 愛媛・宇和島市  


宇和島笹 
中世以来の板島丸串城の跡地に文禄4年(1595)藤堂高虎が入封し本格的城郭に修築。寛文2年(1662)伊達宗利(政宗の長男)が入封し現在残る城郭に改修。この時建てられた3重3階の天守が現存する。   伊達宗徳 
37歳 外様 
前藩主伊達宗城は「幕末の四賢候」と言われた一人。早くから勤王派として行動。ただし、薩長の武力討伐には同調せず中途半端の対応をした。    
 
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 土佐
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
248 土佐新田藩

1万3千石

陣屋はない

高知・高知市


丸に土佐柏
安永9年(1780)山内豊産が土佐藩より1万3千石分与されて立藩。定府大名であり管理は宗藩が行う。当初より陣屋はない。 明治3年(1870)に土佐藩に編入された 山内豊福 
31歳 外様
定府大名で江戸の佐幕派の意向と宗藩の土佐藩の意向に翻弄され、夫人とともに自害した。
 249   土佐藩

24万2千石

高知城

高知・高知市   


丸に土佐柏  
慶長5年(1600)土佐一国の城主となった山内一豊が慶長8年(1603)に標高40mの大高坂山に築城。山頂を石垣、塀で囲み、南の本丸、北に二の丸、北東に3の丸を配置。本丸に4重6階の天守を建てる。享保12年(1727)の火災により建物の大部分を焼失したが宝暦3年(1753)再建される。現在、天守他多くの建物が残る。  山内豊範 
21歳 外様
前藩主容堂は井伊直助と対立して失脚。家督を豊範に譲るが桜田門外の変後に復帰し公武合体策を進めるも頓挫。戊辰戦争では土佐藩兵が活躍。  
 
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九州地方の藩(36)  

 豊前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
250 小倉藩

15万石

小倉城

福岡・北九州市


三階菱
天正15年(1587)秀吉の九州平定後、森吉成が入封し、中世の城郭跡に築城。慶長5年(1600)細川忠興が入封し、現在に残る城郭に改修した。本丸、北の丸、松の丸、二の丸、三の丸で構成され、本丸には4重5階の天守が築かれた。天保8年(1837)天守が焼失。慶応2年には長州との戦で城を自焼。昭和34年天守が再建される  小笠原忠忱 
5歳 譜代
第2次長州征伐では長州の騎兵隊に敗れ、小倉・門司を割譲させられる。藩主は熊本へ亡命。  
 251    小倉新田藩

1万石

千束陣屋

福岡・豊前市 


三階菱 
寛文11年(1671)小倉藩主の弟、小笠原忠雄が1万石を分地されて立藩。藩庁は小倉城にあったが、明治になってから千束に陣屋がおかれた。陣屋跡は神社の敷地となり石垣の一部が残る。   小笠原貞正
27歳 譜代
宗藩である小倉藩と行動を共にする。幼い宗藩藩主の後見役となる。
 
 252     中津藩

10万石

中津城

大分・中津市  
 

奥平団扇 
天正15年(1587)秀吉の九州平定後に黒田如水が入封し城郭を築く。その後、慶長5年(1600)に細川忠興が入封し、総石垣の総構えの城に改修。現在は本丸跡に神社があり、昭和34年に模擬天守と二重櫓が再建された。  奥平昌邁 
12歳 譜代
家康の娘・亀姫を祖先に持つ名門。前藩主は佐幕派であったが鳥羽伏見に戦い後に隠居。官軍に恭順し、甲府、会津へ出兵した。      
 
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豊後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
253 杵築藩

3万2千石

杵築城

大分・杵築市


杵築笹
室町時代明徳4年(1393)この地を支配した大友氏の一門である”木付氏”が築城したのが最初とされる。その後、前田氏、杉原氏、細川氏が入城し、近世城郭へ改修した。守江湾に突き出した台地上に突き出した山上に本丸が築かれ、西側の山麓に曲輪が配置されていた。昭和45年、本丸跡に3重の模擬天守が建設された。  松平親良 
57歳 譜代
元治元年(1864)から寺社奉行を務め佐幕派であったが、国元では薩摩藩の勧告で子の親貴が上洛し恭順。  
 254  日出藩

1万5千石

日出城

大分・日出町   


木下独楽 
慶長6年(1601)秀吉の甥である木下延俊が入封し、別府湾に面した海岸沿いに新城を築く。本丸、二の丸、三の丸が梯郭式に連なる縄張り。本丸には3重の天守が建築された。現在建物は残っていないが石垣が保存されている。   木下利ヨシ 
26歳 外様
北の政所を祖先とする家柄。また長州清末藩主は木下家出身。このことから勤王派として行動。  
 255   府内藩

2万1千石

府内城

大分・大分市 


 丸に釘抜き 
大友氏改易の後に入封した福原直高が慶長2年(1597)大友館を廃して大分川河口に新城を建築。北側が大分湾に面し、本丸、二の丸、山里丸、北の丸で構成された梯郭式の縄張り。本丸に4重の天守が建設されたが、寛保3年(1743)の火災により焼失。以後再建されていない。現在、宗門櫓、人質櫓が保存されている。   松平近説 
39歳 譜代
若年寄りとして江戸に在住していたが、国元は鳥羽伏見の戦い後に官軍に恭順。姓を松平から大給に変えた。   
 256  臼杵藩

5万石

臼杵城

大分・臼杵市


隅切り角に三 
大友宗麟が築いた中世城郭に慶長5年(1600)入封した稲葉貞道が近世城郭に改修。三方を臼杵湾に囲まれた丹生島に本丸、二の丸、三の丸を配置。
現在、畳櫓、卯寅口門脇櫓が現存している。  
稲葉久通 
24歳 外様
鳥羽伏見の戦い後に官軍に恭順して京都市内の警護に当たる。藩主は岡藩、薩摩藩の説得を受けて上京。    
 257     佐伯藩

2万石

佐伯城

大分・佐伯市


丸に矢筈  
慶長6年(1601)毛利高政が入封して築城を始める。本丸、二の丸、三の丸、西出丸、北出丸を配した山城。本丸には3重の天守が建てられた。現在城跡は公園となり石垣、三の丸櫓門が保存されている。   毛利高謙 
27歳 外様
大政奉還時には病気と称して上洛しなかったが、鳥羽伏見の戦い後に上洛。   
 258     森藩

1万2千石

森陣屋

大分・玖珠町


隅立て角に縮み三文字  
慶長6年(1601)来留島長親が入封し、中世の山城・角牟礼城跡の山麓に陣屋を築く。
現在陣屋の庭園が残り、県指定の文化財となっている。  
久留島通靖
15歳 外様
早くから勤王を表明。フランス式の砲兵術を取り入れる。天領であった日田陣屋を接収し薩摩藩に渡す。   
 259   岡藩

7万石

岡城

大分・竹田市


中川柏 
鎌倉時代初期に築城された山城を文禄3年(1594)中川秀成が入封して近世城郭へ改修。本丸、二の丸、三の丸、西の丸を配した山城。建物は明治以降に取り壊され、高石垣が累々と残る。滝廉太郎の”荒城の月”の舞台になった城として有名。   中川久昭 
47歳 外様
早くから勤王派として行動したが、 兵力が少なく十分な功績を上げられなかった。 
 
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筑前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
260 福岡藩

47万3千石

福岡城

福岡・福岡市 


黒田藤巴 
慶長5年(1600)黒田長政が入封し、古代の迎賓館として使用された鴻蘆館跡地に築城。玄界灘を北に臨み、本丸、二の丸、三の丸を配した平城。本丸には天守台が築かれたが天守は建てられなかった。現在城址は大濠公園となり、二の丸多門櫓が現存している。  黒田長溥 
42歳 外様
薩摩藩主島津重豪の子。実父の影響で開港を主張する公武合体派として行動するが、幕府目付の糾弾を受け勤王派を粛清。鳥羽伏見の戦後に恭順  
 261    秋月藩

5万石

秋月陣屋

福岡・朝倉市
  


黒田藤巴  
元和9年(1623)福岡藩主黒田長政の三男・長興が5万石を分地されて、翌年陣屋を築く。現在陣屋跡地は学校の用地となっている。   黒田長徳 
19歳 外様
鳥羽伏見の戦い後に福岡藩の指導で恭順。   
 
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筑後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
262 久留米藩

21万石

久留米城

福岡・久留米市 


竜胆車
天正15年(1587)秀吉の九州平定後に毛利秀包が入封し築城。元和7年(1621)有馬豊氏が入封して近代城郭に改修。本丸、二の丸、三の丸を配した連郭式の平城。本丸には7基の櫓が建てられたが天守は建てられなかった。現在建物は取り壊されて、本丸石垣のみが残されている。  有馬頼咸 
44歳 外様
最初は佐幕派であったが大政奉還後方針を変更。官軍として関東、仙台、函館に出兵。 
 263     柳川藩

11万9千石

柳川城

福岡・柳川市  


柳川守り 
永禄年間(1558~70)に蒲地氏によって築かれたのが最初とされる。慶長6年(1601)田中政吉が入封し、近代城郭に改修。本丸と二の丸を配した平城。本丸は石垣で囲まれていたが二の丸は土塁。5重の天守が築かれた。現在本丸跡は学校の用地となって、石垣の一部が修復された。   立花鑑寛 
38歳 外様
長崎貿易で財政を立て直し、京都に強力な兵力を送った。   
 264     三池藩

1万石

三池陣屋

福岡・大牟田市  


 立花守り 
元和7年(1621)柳川藩主の甥・種次が分地を受けて立藩。陣屋を築く。現在陣屋跡地は学校用地となっている。   立花種恭 
31歳 外様
幕府の老中職にあったが、職を辞して新政府に恭順。    
 
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対馬
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
265 対馬藩

10万石

府中城

長崎・対馬市 


五七桐
府中城はもとからある金石城(金石屋形)と延宝6年(1678)に完成した桟原城(桟原屋形)で構成される。現在桟原城は陸上自衛隊の駐屯地となり、金石城には平成元年(1998)に櫓門が再建されている。  宋 重正 
20歳 外様
藩内では勤王派、佐幕派が激しく対立して武力衝突も起きたが、最後は勤王派としてまとまる。  
 
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肥前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
266 蓮池藩

5万2千石

蓮池陣屋

佐賀・佐賀市


鍋島花杏葉
寛永16年(1639)佐賀藩主・鍋島勝茂の三男・直澄が3万5千石を分地されて立藩。戦国時代に築かれた蓮池城の跡地に陣屋を置く。現在陣屋跡は公園となり、水堀がのこる。  鍋島直紀 
41歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに官軍として戦う。 
 267    佐賀藩

35万7千石

佐賀城

佐賀・佐賀市   


鍋島杏葉 
天正13年(1585)龍造寺政家が中世城郭の村中城を修復したのが始まり。多布施川と八田江に挟まれた平城。慶長7年(1602)鍋島直茂が城を拡張整備。本丸、二に丸、三の丸を配置し、5重の天守が建てられた。享保11年(1726)天守他が火災で焼失。以後天守は再建されていない  鍋島直大 
21歳 外様 
アームストロング砲で武装して、官軍の主力部隊として活躍。   
 268   唐津藩

6万石

唐津城

佐賀・唐津市 


三階菱  
慶長6年(1601)寺沢広高が入封し、唐津湾に注ぐ松浦川河口の満島山に築城。本丸、二の丸、三の丸、外曲輪が配置されたが天守は築かれなかった。築城には秀吉の名護屋城の部材が使用された。建物塔は明治になり取り壊されたが、昭和41年(1966)模擬天守が建てられた。   小笠原長国
43歳 譜代
子供である藩主代理の長行は佐幕派で函館まで転戦したが、藩主は親子の縁を切って官軍に恭順。  
 269   小城藩

7万3千石

小城陣屋

佐賀・小城市


小城花杏葉 
元和3年(1617)佐賀藩主の3男・鍋島元茂が7万3千石を分地されて立藩。元禄3年、3代目藩主が陣屋を築く。陣屋は居宅として使用していたもので、櫓などは建てられなかった。陣屋跡は小学校の用地となり、御殿の庭園は公園になっている。  鍋島直虎 
13歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに戊辰戦争では東北各地を転戦、功績を得る。   
 270   鹿島藩

2万5千石

鹿島陣屋

佐賀・鹿島市
 


鍋島花杏葉 
慶長14年(1609)佐賀藩主鍋島勝茂の弟・忠茂が2万5千石を分地されて立藩。陣屋は当初鹿島の常広城を使用したが文化元年(1804)に高津原の丘陵地に移転。現在、表門などが遺構として残っている。   鍋島直彬 
24歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩と行動を共にする。  
 271    島原藩

7万石

島原城

長崎・島原市


 島原扇 
元和2年(1616)松倉重政が入封して築城。本丸。二の丸を連郭式に配置し、北に3の丸、外周に侍屋敷を配置した。本丸には5重の天守が建てられた。寛永14年(1637)天草一揆の襲撃を受けたが撃退。昭和32年(1957)5重の天守他の建物が復元された。   松平忠和 
16歳 譜代
藩主は将軍慶喜の弟。長州征伐には幕府軍として出兵するが、戊辰戦争は官軍として出兵した。   
 272   大村藩

2万7千石

大村城

長崎・大村市


大村瓜  
慶長3年(1598)大村喜前が三方を大村湾に臨む玖島崎に新城を築く。本丸の南に二の丸、西に三の丸を配置。天守は築かれなかった。城跡は公園として整備され、平成4年(1992)に板敷櫓他が復元された。   大村純煕 
37歳 外様 
長崎奉行を勤めたが勤王派。様式銃を導入して鳥羽伏見の戦いは官軍側として積極的に参戦。恒に官軍の先鋒として戦った。 
 273   平戸新田藩

1万石

館山陣屋

長崎・平戸市 


平戸梶 
元禄2年(1689)平戸藩主・松浦棟の弟・昌が1万石を分与されて立藩。 館山に陣屋を置く。  松浦 修 
35歳 外様
平戸藩の支藩。兵力がなく、何の行動もしなかった。      
 274   平戸藩

6万2千石

平戸城

長崎・平戸市 


平戸梶 
慶長4年(1599)松浦鎮信が三方を平戸瀬戸に臨む亀岡山に築城したが、慶長18年(1613)火災で焼失。元禄17年(1704)に再建に着手し宝永4年(1707)に完成。天守は築かれなかった。昭和37年(1962)に模擬天守他の建物が復元された。   松浦 詮 
27歳 外様
最初は公武合体を推進するが、大政奉還後は官軍として京都に兵を送る。明治天皇の祖母は松浦家の出身。  
 275    五島藩

1万2千石

福江城

長崎・五島市


丸に花菱 
五島氏は慶長19年(1614)に当時居城としていた江川城が焼失し、石田に陣屋を構えて藩庁とした。嘉永2年(1849)になり幕府の築城許可を得て、城は文久3年(1863)に完成。天守は建てられなかった。現在城跡は史跡公園となり、石垣、土塁、内堀、外堀などが残っている。   五島盛徳 
27歳 外様
尊王攘夷派を表明し、京都に兵を送る。 
 
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肥後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
276 熊本新田藩

3万5千石

高瀬陣屋

熊本・玉名市


細川九曜 
寛文6年(1666)熊本藩主・細川光尚の二男・利重が3万5千石を分与されて立藩。江戸城府大名で陣屋を置いたのは慶応4年(1868)になってから。陣屋跡地は小学校の用地となっている。  細川利永 
38歳 外様
熊本藩支藩だが定府大名。最終的に宗藩と行動する。
 277  熊本藩

54万石

熊本城

熊本・熊本市 


細川九曜  
慶長6年(1601)加藤清正が戦国時代の千葉城と隈本城を含む茶臼山地域で築城に着手。慶長12年(1607)に完成し熊本城と改称した。本丸に5重6階の天守、3重4階の小天守を建てる。明治10年(1877)の西南戦争で城の大半が焼失。宇土櫓他10の建物が現存。昭和35年(1960)大天守と小天守が復元された。   細川韶邦 
32歳 外様
佐幕派が優勢であったが、藩論は分かれていた。第2次長州征伐では長州軍に敗れる。鳥羽伏見の戦は尾張藩に同調して官軍に。以後官軍として転戦  
 278    宇土藩

3万石

宇土陣屋

熊本・宇土市


 細川九曜
正保3年(1646)熊本藩主・細川忠利の弟・立孝の子細川行孝が3万石を分与されて立藩。承応3年(1652)陣屋を築く。現在陣屋跡は宅地化されて遺構は残っていない。   細川行真 
25歳 外様
熊本藩支藩。宗藩と行動をともにする。    
 279    人吉藩

2万2千石

人吉城

熊本・人吉市


 相良瓜 
鎌倉時代の初期に人吉庄の地頭相良長頼によって築城されたのが最初とされる。球磨川左岸の丘陵地にある平山城。寛永年間(1624~44)に近代城郭として整備される。西南戦争時に新政府軍と西郷軍の戦場となり荒廃。現在、多門櫓、長塀などが復元されている。   相良頼基 
26歳 外様
薩摩藩の説得で勤王派として行動。  
 
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日向
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
280 延岡藩

7万石

延岡城

宮崎・延岡市


内藤藤 
天正15年(1587)高橋元種が入封し、中世の城跡がある延岡山に築城。五瀬川、大瀬川に挟まれた丘陵地の山頂を本丸、西に二の丸、三の丸を配置。天守閣は築かれなかったが3階櫓が代用した。天和2年(1682)に三階櫓が焼失。以後再建はされなかった。現在城跡は公園として整備され、石垣が残る。  内藤正挙 
17歳 譜代
鳥羽伏見に戦いは幕府側として参戦。「幕府荷担7藩」の一つとして最後まで官軍ににらまれる。
 281   高鍋藩

2万7千石

高鍋城

宮崎・高鍋町


秋月撫子 
平安時代の斉衡年間(854~57)に土持氏が築城したのが最初とされる。財部城と呼ばれた。慶長12年(1607)秋月種長が財部城跡地に近世城郭を築城。さらに寛文9年(1669)に秋月種信が大修築した。延宝6年(1678)に高鍋と改称した。現在城跡は公園として整備され石垣が残る。   秋月種殷 
50歳 外様 
藩主は官軍の参与として奥羽戦線に出兵。戦果をあげる。 
282   佐土原藩

2万7千石

佐土原城

 宮崎・宮崎市


陰窟十文字 
建武年間(1334~36)に田島氏が築城したのが最初とされる。一つ瀬川の南方に位置する城山に築かれた平山城。天文11年(1542)伊東義祐が城郭を整備。慶長8年島津征久が入封し、寛永2年(1625)にその子忠興が山上の天守を廃棄して山麓に居館を建てる。平成5年(1992)居館の建物が再建された。  島津忠寛 
39歳 外様
洋式兵法を取り入れて官軍の強力部隊として活躍。  
283 飫肥藩

5万1千石

飫肥城

 宮崎・日南市    


 庵木瓜
南北朝以来抗争の場であり、長禄2年(1458)以降島津、伊東の領有権争いが続いたが天正15年(1587)伊東氏が入封した。城は酒谷川が蛇行する丘陵地に築かれ中世城郭の縄張りを残している。 現在城跡には大手櫓門と松尾丸御殿が復元され、周辺地には侍屋敷が残っている。
 
伊東祐相 
12歳 外様
王政復古後薩摩藩の勧めで官軍に。越後などへ出兵した。  
 
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  薩摩 大隅
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
284  薩摩藩

77万石

鹿児島城

鹿児島・鹿児島市  
 
丸に十字
慶長7年(1602)島津家久が標高107mの城山の東麓に築城。平城で、中世城館の伝統を踏襲して天守や重層の櫓は建築されなかった。西南戦争では激戦地の一つとなった。現在、本丸石垣、堀、石橋などが残る。  島津忠義 
27歳 外様
藩主の父・久光が実権を握り藩政を動かす。武力討幕を決するが、西郷・大久保に任せて鹿児島にとどまった。  
 
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 琉球
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
285 琉球藩

8万9千石

首里城

沖縄・那覇  
尚 泰  
24歳 
 
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