源義経関係、新史跡の案内

            『源義経ファンクラブ』公認
   

        
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                    じゅ  なん
 @『静御前、受難の地』
  
   文治2年(1186),鎌倉にて源義経と静の子が頼朝の命令で殺害される。頼朝
                  
 いなせがわ
  の命令を受けた安達盛長は稲瀬川河口で赤ん坊を殺害する。そこで「稲瀬川」

  石碑を『源義経ファンクラブ』公認の源義経関係の史跡
『静御前、受難の地』

 
(義経と静の子が殺害された場所)とします。



   

    『静御前、受難の地』神奈川県鎌倉市、稲瀬川河口  


                 
  A『源氏水軍集結の地』

    元暦2年(1185)2月に讃岐の屋島で平家軍を打ち破った源義経率いる
                  
 ながと    ひこしま
   源氏軍は、平家の根拠地『長門の彦島』を攻める(壇之浦の戦い)ために、

   伊予の国(愛媛)にて熊野水軍、河野水軍、瀬戸内海周辺の水軍の集合を
                
きぬぼしやま      はちまん
   待った。今治市内の衣干山にある 『八幡神社』(伊予の河野氏が石清水
        
かんじょう
   八幡宮を勧請
)で源義経が味方の水軍の集結を待った。この『八幡神社』

   を源義経ファンクラブ公認の源義経関係史跡
『源氏水軍集結の地』としま
                                 
 おおやまずみ
   す。その後、源義経は河野氏と共に大三島にある『大山祗神社』にて戦勝

   祈願をしたと思われます。そして壇ノ浦の戦い後、源義経は大山祗神社に
           
 よろい
   勝利を感謝して鎧(国宝)を奉納 しました。



   


    『源氏水軍集結の地』愛媛県今治市、衣干山の八幡神社



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