『源義経なき後の日本(鎌倉)』
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                                         (平成19年4月〜)

      
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 源義経が平泉の『高館の戦い』で姿を消した後、奥州藤原氏は鎌倉軍に攻められ、

あっけなく滅亡した。そして源頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府が成立した。その

結果、権力が京の朝廷から鎌倉の幕府に移った。同時に
『権力の魔物』も移動した。 

  また鎌倉幕府の成立において、「目的のためには手段を選ばず」という手法(多くの

謀略行為)を用いたため、
「結果良ければ、すべて良し」とはならなかった。頼朝の天下

制覇の過程で、無実の罪で殺害された人々は
『怨霊』となって、権力の都・鎌倉に集ま

ってきた。

  日本の歴史は太陽のような存在であった源義経が活躍する
『源平争乱』の時代から

冷たい夜を感じさせる月の下で、権力の亡者たちが血みどろの権力闘争を行なう
『暗

黒時代』
へと突入する。鎌倉に集まった権力の魔物・怨霊の影響か、鎌倉では「源氏

一族、北条氏、関東武士団」の三つ巴の権力闘争
(鎌倉の争乱)が勃発する。そして

最終的には、北条氏の一人勝ち
(北条幕府成立)となる。しかし、下克上(主君殺し、朝

廷の弾圧)
実施は世の乱れに繋がり、北条幕府の時代は政権交替ごとに争乱が発生

し、政権の安定時期は役人の不正が絶えなかった。良くも悪くも、
「下は上を見習う」

不法な手段で成立した政権下で、役人がまじめに働くわけがない。

  源義経は兄弟合い争うことを避けるために、都を離れ九州の地に
『理想の国・義経

王国』
を建国しようとしたが失敗し、北陸を経て奥州平泉にたどり着いた。しかし、その

間に愛する静御前が鎌倉で悲惨な目に合わされ、心境の変化となる。義経は、

「自分の理想の国を建国するには、ナンバー1にならないとだめなことに気がつく」

それが日本で無理なら、外国において。


  義経が北陸の『皇祖皇太神宮』に立ち寄ったときに、願文をささげました。

「生国に望み無きを以って、蝦夷、唐国の王を望む……」

この言葉は、日本が義経を見捨てたと言うより、義経が権力の亡者が支配する日本を

見捨てたと言えます。



「太陽のような存在である義経に見捨てられた日本(鎌倉)では、権力の亡者と怨霊に

 支配された暗黒時代が到来した。」


 

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