『南朝の興亡、大義の戦い』スタート

                                                古訪未夢


 
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 …………… 『大義のない戦い』ほど空しいものは無い。………………………………

                      えんげん              ごだいご
 日本の歴史書によれば、延元1年(1336)12月、後醍醐天皇吉野に御所を移した
                               
あしかがたかうじ     こうみょう       こうごん
時から、南朝(南北朝時代)は始まりました。京には足利尊氏が擁する
光明天皇光厳
                                                  
 さん
上皇
(光明天皇の父親)の北朝がありました。この時、天皇が即位する時に必要な『三

しゅ    じんぎ

種の神器』
は後醍醐天皇が所持していました。実力の北朝、正統の南朝ということでし

た。

                                                         かいらいか
 南朝は天皇の正統性を掲げ天皇中心の政治を行ない、北朝は天皇を傀儡化し足利

幕府中心の政治を行なった。北朝側の武士たちは領地を得るために、大義のない戦

いに駆出されていった。

                       よしの          あ の う         かわかみむら   かみきたやまむら
 一方、南朝側では御所が『吉野』→→『賀名生』→→『川上村、上北山村』と変わって

も、楠木一族などの南朝勢力は最後まで抵抗をやめなかった。いったい何が、彼らをそ

こまで追い込んだのだろうか。

  後醍醐天皇は亡くなる時に、
     
ぎょくこつ         こけ         こんぱく     ほっけつ
 「……玉骨はたとひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん……」

 
                          ご むらかみ
と遺言を残した。これを聞いた後継者の後村上天皇や公家たちは足利幕府への憎しみ
                                                
みなとがわ
を増し、京都奪回に果てしない妥協のない戦いを繰り広げる。また、楠木正成も湊川の
        
じ  は          まさ き
戦いで破れて自刃するときに、弟・正季の言った、

 「……七度までも同じ人間に生れ来て、必ず朝敵を滅す……」

に同意した。湊川における壮烈な戦死を聞いた楠木一族は足利幕府への果てしない

戦い
を繰り広げた。
  めいとく                    よしみつ            ごういつ
  明徳3年(1392)、3代将軍・足利義満は『南北朝の合一』を成し遂げた。しかし、

天皇が交代で就任するという約束はやはり守られなかった。南朝方の『三種の神器』
                                               
ちょうろく
奪回、南朝天皇の即位→→北朝方の『三種の神器』の奪回、南朝天皇の殺害(長禄

の変)
が発生し、日本の歴史に汚点を残した。

 この作品では、
天皇の正統性政権の正当性朝廷のあるべき姿武家のあるべき

姿鋭く指摘したいと思います。



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