吉田松陰先生のコメント(平成18年12月より公開開始)

   
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 ※吉田松陰先生を尊敬し弟子を自認する古訪未夢は、松陰先生から学んだ
  ものを、世の中に少しでも生かしたいと思います。松陰先生の教えを皆
  さんに伝えながら、それを現代に応用することで少しでも世の中を良く
  するために『吉田松陰先生のコメント』を掲載していきたいと思います。



                        
①H1812 古訪未夢

  幕末・長州で『松下村塾』を主宰した吉田松陰は、日本に迫る欧米列強の

脅威を知り、
武士と公家の堕落を知り、日本全国を旅して庶民(農民、町人)

の貧しさを知り、特権階級(武士、公家)による国の運営に限界(危機)を

感じました。このままでは、日本が危ない! 

 松陰先生は長く続いた封建制度の中で、うっせきした庶民のエネルギーを

活用した
『草莽崛起論』を唱え、弟子たちは庶民と既存勢力を動かし、明治

維新を達成しました。日本は長く続いた封建制度により、世界の流れから取

り残されたが、身分制度の廃止により庶民が国造りに参加することで、急速

な近代化を成し遂げた。

  このように、特定の人々だけが国造りに参加すると、かたよった国となるが、幅

広い人々が国造りに参加すると、立派な国となります。歴史は繰り返す、過去の教

訓を今後に生かしましょう。




 


    吉田松陰先生のコメント
                       
②H19、1 古訪未夢

 吉田松陰先生は日本全国を旅し、迫り来る欧米列強の脅威を感じながらも、

それに対して日本は身分制度の中、武士階級が腐敗堕落し、庶民は貧しく、

武士は米泥棒と成り果て、有効な対応がとれなかった。そこで海外の優れた文

明を学び、日本の近代化を目指した松陰先生は、下田から海外密航を試みたが

失敗し、萩にて自宅謹慎となった。

 迫り来る欧米列強の脅威の中で動けなくなった松陰先生は、『松下村塾』

て普通の若者に、自らの体験から得た事や海外情勢や国内の状況を教え、憂国

の志を持つ人々
憂国の志士に明日の日本を託した。松陰先生の教えは、自

ら率先して行動し、それを弟子に伝える方法であった。松陰先生の命がけの教

えは、

「松陰先生に続くことは、肉体の死を意味するが、続かないことは、魂の死を

意味する」


であった。

 世の中と言うのは、社会の指導者クラスが良いお手本を示せば、それが庶民

の行ないを良くし、すばらしい国となるが、指導者クラスが悪いお手本を示せ

ば、庶民の行ないが悪くなり、モラルの低下した無秩序な社会となる。





 


    吉田松陰先生のコメント
                                      ③ H19,2  古訪未夢

  吉田松陰先生は欧米列強の脅威にさらされ、滅亡の危機にさらされていた日本を救

うために外国の優れた文明を取り入れようと、下田から海外密航しますが失敗し、萩に

て幽閉されます。そこで『松下村塾』にて日本の若者に期待することにした。
 
 松陰先生は外国の優れた文明(技術)は取り入れるが、日本人としての独立心は国を

維持するために必要と考えた。攘夷の気持ち(外国が平等の立場で接してくると友好関

係を築くが、植民地化しようと迫って来た時ははっきりと拒絶する)はいつの時代にも必

要です。
        
 わ こん ようさい
  明治政府は
『和魂洋才』と言って、

「外国の優れた技術は取り入れるが、日本独自の文化・伝統は維持し、独立心を保つ」

ことを国策とした。その結果、日本は急速な近代化を遂げた。ところが、戦争に負けたこ

とで日本古来からの良い所まで否定し、無制限(良い所、悪い所の区別なく)に外国の文

明が流入し、日本はどこの国かわからない混乱状態となってしまった。これ以上日本の風

土・文化に反する文明を無制限に流入させると、経済・文化を中心に無秩序な混乱した

社会になり、
『安心して住めない国』になってしまう。





 


   吉田松陰先生のコメント
                                         ④H19,3 古訪未夢

 吉田松陰先生が亡くなる1年前に弟子たちに送った言葉を紹介します。このころ、

『安政の大獄』の嵐が吹き荒れ、長州藩を初め諸藩は嵐を過ぎるのを待っている状況

でした。そのとき吉田松陰先生は、『安政の大獄』で次々と憂国の志士・知識人が犠牲

になるのを見て、決起することを弟子や長州藩に呼びかけた。しかし長州藩も弟子の

多くは動かず、松陰先生は獄舎に入れられてしまった。このような状況の中で、松陰先

生の言葉は生まれた。

「志を立てるためには、人と異なることを恐れてはならない。世俗の意見に惑わされても

 いけない。死んだ後の業苦(ごうく)を思いわずらうな。また目前の安楽は一時しのぎと

 知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちは、どうかいたずらに時を過ごすことのな

 いように……。」


  長く続いた封建制度を終了させ、近代日本の礎(いしずえ)を築くためには、今まで

の固定観念を排除し、外国にせよ、国内にせよ、良いことは取り入れ、悪いことは除き、

自分の確固した意志を持つことが大切である。


  そして権力者が庶民の幸福ではなく、自分たちの体制維持を優先した時、死を恐れ

ずに決起することが重要である。もし決起を躊躇(ちゅうちょ)したり、様子眺めをすると、

決起するチャンスを逃すことになり、百年たっても機会はやって来ないかもしれない。

  残念ながら、吉田松陰先生の言葉(遺言)は、松陰先生が徳川幕府に殺されてから、

弟子たちが残された文献を読み、生前の松陰先生の発言や行動を思い浮かべて、

初めて理解された。

 
必死で学問しないと、学問の成果を生かすこともできない、と言うことである。


 





    吉田松陰先生のコメント
                                  ⑤H19,6 古訪未夢
 

 吉田松陰先生は晩年、日本の行く末を思い、
「天皇に高所で幅広い視野を持って

物事を的確に判断してもらいたい」
と願いました。また、権力や地位や財産を持ってる

人間(幕府、朝廷、諸藩、上級武士)はいざという時に保身に走り期待は出来ない。

「身分の低い庶民が立ち上がらなければならない。」と発言しました。

  日本の維新史は松陰先生の『草莽崛起論』を日本の現状(諸藩の力が強い)に合

わせて応用した弟子たちの決起により、明治維新が達成された。

  松陰先生の天皇への願いは、近代史の最後に達成されました。戦後は、国民が

天皇に替わって、
「高所にて幅広い視野を持ち物事を的確に判断」しなければなら

なくなりました。

  現代社会は以前から心配していた、国際化の美名のもとに外国の制度や文化を

無制限に取り入れたために、低価格競争による品質と安全の低下での混乱、拝金

主義による心の荒廃、安易な他力本願と他人の批判など、日本の良さが少しずつ失

われています。

 
いつまでも指導層だけに期待せず、庶民(消費者)が自ら、高所にて幅広い視野

を持ち物事を的確に判断しなければ『良い世』はつくれない。」









        
吉田松陰先生のコメント
                                      ⑥H19,7 古訪未夢

    
 吉田松陰先生は主宰していた『松下村塾』の塾舎を増築するとき、自分と弟子たちの

手で行なった。これは建築資金が乏しかったという現実的理由と、

「自ら汗を流して働く労働の大切さと、労働の汗を流す時が人の心がもっとも良く通じ合

う」


と考え、弟子たちがそのことを身を持って学ぶようにしたからです。

 一般社会でも、上司がデスクに座って命令するだけでなく、率先して仕事をしたり、一緒

に汗を流して頑張ったり、お手本になる行ないをすれば、部下も仕事をまじめに行なうよう

になる。

 鎌倉幕府後半、北条氏の専横が目立ち始めたころ、政権が安定していたが、役人の不

正が多発していた。なぜか? 政権を担当していた北条一族が不法な手段で他人を蹴落

とし、自分達の利益だけを考えた政治を行なっていた。こういう政権下で、役人たちはまじ

めに働く意欲をなくし、不正に手を染めていた。

「上役たちが大きな不正をしても容認されているのだから、下の我々が少々役得を得ても

かまわないだろう。」

と言う考えであった。大悪の下に小悪の花が咲き、組織(国)は腐り始めていた。

 
「このように、上に立つ者が、下の人間のお手本になる行ないをしなければ、組織(国家

)は崩壊を始める。税金泥棒、法律破りの利益追求、他人を犠牲にした利益追求などもっ

てのほかの行為である。」








       
吉田松陰先生のコメント
                                    
 ⑦H19、8 古訪未夢


 
 日本は古来から豪族政権、天皇政権、貴族政権、武家政権と続いてきた。しかし、

幕末長州藩の
吉田松陰は貴族政権や武家政権にダメ出しをした。吉田松陰は長州藩の

下級藩士の家に生まれ、生活の貧しさから土地を耕す農作業も行なった。少年時代の松

陰の生活は学問と農作業の日々で経済的に恵まれた生活ではなかったが、
武士と農民

の気持
ちを理解することができた。

 松陰は成人し、長州藩の兵法家として日本各地を旅し、有識者と交流し書物を読み知

識を深めていった。松陰はこの旅により、
日本に迫る欧米列強の脅威を切実に感じ、これ

対して庶民(農民)の貧しさ、武士の横暴、公家の無能さを知った。

 吉田松陰先生は少年時代の体験、成人してからの体験をもとに、新しい国づくりの指針

弟子に遺言として残した。武士としての役割を果たさなくなった武家政権の終わりと天

皇を補佐することの出来なくなった公家を排除し、庶民が中心となり、新しい国づくりが出

来ることを目指した。とりあえず、指導者は各藩の有識者がなり、外国の脅威に対抗する

には国民の心をひとつにするために
天皇(高所の立場で判断できる)の存在を必要と考え

た。そのためには、天皇の周囲から旧態依然とした武家や公家を除き、
近代国家の天皇

となるに
ふさわしい知識、能力、技能を身につける環境整備を行なった。

 このように国づくりの上で必要なことは、

「武家や公家のように、自らの目で確認せずに現地から送られてくる情報だけで、国政を

行なうと、間違った政策をとる場合が多い。やはり、自らの目で現地を確認して、国づくり

に生かすことが必要である。また庶民の目線で国づくりを行なうには、庶民の生活を身近

にいて良く理解する必要もあります。現代社会はコンピューター社会に成りつつあるが、

動けないコンピューターに頼りすぎる傾向がある。やはり自分の足で現地確認して政策を

考えることが失敗しない賢明な手法である。」






 
     
 吉田松陰先生のコメント
                     
⑧H19,9 古訪未夢

 
 
徳川幕府末期、封建制度の支配者階級である武士、公家の中でも、身分の高い人た

ちは保身に走り、日本や庶民の事を忘れ、恵まれた生活に安住していた。また幕府を支

える旗本は
『先祖の七光り』、能力がなくても恵まれた生活が保障されていた。そういう状

況のため、欧米列強の脅威が迫るなかで、幕府は体制の維持に力を入れるが、国難に

有効な手が打てなかった。そこで、保身に.走る上級武士や公家は役に立たないのに恵

まれた生活を送っていたので、

 
「米ドロボウ!!」

と呼ばれ,,武士や公家の時代は終わった。当時は米が給料として給付されていた。吉田

松陰先生は身分の高い人たちには、もはや期待できない。失う物がなくハングリー精神

のある
『草莽』(庶民)に期待した。松陰先生は常に『庶民感覚』で物事を判断し、日本の

未来を若者に託した。

 現代社会においても、支配者階級の政治家、官僚の中で、二世議員は
『親の七光り』

で政策立案能力がなく官僚頼りである。ところが、高学歴出身の官僚が頭が悪いことが

判明してしまった。官僚は最初は現地や庶民の生活を身近に見て政策を考えたが、高

級官僚となるとデスクにいて各地から情報を得て(自らの目では確認せず)政策を立てる

ために、現実離れの庶民感覚のない政策となった。また
「数字遊びの政策」(数字をごま

かし自分に都合の良い政策を正当化する)
が目立ち、それを信じた政治家が政策を実行

し、国と国民の不幸に繋がった。また、政治家も官僚も
『お手盛り政策』(自分達の待遇を

良くする政策)
には熱心だが、国民の生活の苦境は選挙に負けないとわからない。このま

までは高級官僚や政治家は、

 
「税金ドロボウ!!」

と呼ばれ、彼らの時代は終わる。それでは国と国民の不幸に繋がる。それを防ぐには国

民の税金で生活している人たちは、
『国民のしもべ』という意識を持ち、庶民の目線で物

事を判断しなければいけない。そのためには学歴や親の経歴よりも、人間性や公共性

(しもべ度)を重視して選ばなければならない。

 身分制度の時代でも
『名君』と言われた人たちは、自分の目で庶民の生活を確認し、

政治に生かしていた。明治天皇も成人してから、日本全国を回り庶民と接する機会を増

やし、日本の民主化、近代化を目指した。

「どちらにせよ、楽して得られるものはない。 庶民感覚のある人の意見や政策は信用

できるが、名ばかりの改革にごまかされてはいけない。真の改革は庶民の多くが幸せに

なる事であり、一部の人たちだけが幸せになる改革は『改悪』であり、改革の美名にごま

かされてはいけない。」

 
格差社会、弱者や地方切り捨て、許すまじき、
   
う ら   
「この恨み、晴らしてくれよう、ホトトギス」








        
吉田松陰先生のコメント
                   
⑨H19、10 古訪未夢

 
徳川幕府末期、長州藩の吉田松陰は誰よりも早くから幕府を見限り、身分制度を廃止
                                   
 かえい
して天皇を中心に能力のある人々による政治を目指した。嘉永6年(1853)、ペリーの黒船

来航により、幕末動乱がスタートした。アメリカを始め欧米列強の脅威が迫る中で、幕府
                  ぼんよう               いえさだ                      えいめい            ひとつばし    よし
内外では病
弱で凡庸な将軍・徳川家定に替わって、成人で英明と言われた一橋家の慶
のぶ
の将軍擁立運動が始まった。
           
あ べ まさひろ       まつだいらよしなが        しまずなりあきら          
  これには老中・阿部正弘、越前藩主・松平慶永、薩摩藩主・島津斉彬、宇和島藩主・
 だ てむねなり       やまのうちとよのぶ
伊達宗城、土佐藩主・山内豊信、幕府の役人など、徳川一族や譜代・外様大名が超党

派で日本の危機に強力する姿勢を示した。
             
     いえもち        い い なおすけ たいろう
  ところが
、紀州藩主・徳川家茂(10歳)井伊直弼大老(彦根藩主)が譜代大名の支持

を得て強引に将軍に擁立した。また井伊大老はアメリカの圧力に負けて『日米通商条約』
                                                 
そんのう
(不平等条約)を天皇の許可なく強引に締結した。これに対して、一橋慶喜擁立派、尊王
じょういは  ふんげき                               よしかつ
攘夷派は憤激した。一方、井伊大老は徳川一族(尾張藩主・徳川慶勝、水戸藩主・徳川
よしあつ    なりあき
慶篤、徳川斉昭(慶篤の父)、一橋慶喜、松平慶永)を、隠居や登城停止処分を行なった。

  また井伊大老は
「身分の低い者が幕政に口出すことは許さない」と言って尊王攘夷の
       
 はしもと さない  よしだしょういん             あんせい   たいごく
憂国の志士(橋本佐内、吉田松陰ら)
を弾圧した。この『安政の大獄』により、井伊大老は

幕府による専制政治を推進した。しかし、徳川一族の内部争い、外様大名は幕政改革

から討幕へ、憂国の志士も幕政改革から討幕へと追いやる結果となった。そういう中で

長州藩
吉田松陰は誰よりも早く徳川幕府を見限り、討幕を提唱した。もはや封建制度

(分制度)による武士や公家による政治では、欧米列強の脅威から日本を守ることはでき

ない。

  井伊大老による『安政の大獄』(幕政改革派の弾圧)は、徳川幕府の最後のあがきとな
                                     
 さくらだ もんがい  へん
り徳川幕府の反対派を増やした。井伊大老は水戸浪士による
『桜田門外の変』で亡くな
    
 しきょう                                        いえもち
るが、
四境戦争(幕府対長州の戦い)にて将軍・家茂も心労により亡くなった。そして、いよ

いよ英明と言われた
徳川慶喜の誕生となった。しかし、慶喜の将軍擁立に奔走した幕政

改革派(譜代大名、外様大名)は有力な諸藩が協力して、日本の国難(外国の脅威)に対

応しようとした。ところが、将軍・慶喜は従来の幕府中心の政治を推進しようとした。慶喜

に裏切られた諸藩は下級武士(憂国の志士)を中心に、討幕の動きが加速し、もはや藩

主の力では押さえられない状況となった。 

  そして王政復古、鳥羽・伏見の戦いと続き、泰平の中で大事に育てられた慶喜の実体
          
えいめい                                        はんめい
が明らかとなり
英明ではなく、英明と言われていた(泰平の時代向き)人物であることが判明

した。そして
徳川慶喜は最後の将軍となった。ひとつの政権が終りを迎える時には、暴君
   ぼんよう
凡庸な指導者が登場し、悪政により人々の支持を失っていったり、難局に必要な対応

が取れなかったり
していく。
 
 せんけん   めい                           い し
  『先見の明』(未来予測)が優れていた吉田松陰先生の遺志は弟子たちに受け継がれ

るのであった。松陰先生の死により、弟子たちが目覚め奮起したとも言えます。







  
       
 吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑩H19,11古訪未夢



  
幕末、長州藩の憂国の志士・吉田松陰先生は、

  「地位や身分のある人々は保身に走り、真の改革が出来ない」
                               
 そう もう くっき ろん
と言って、身分の低い庶民が中心になり立ち上がる
『草莽崛起論』を唱えた。松陰先生は

草莽崛起による武力討幕を目指した。そして、松陰先生の遺志を継いだ弟子たち(高杉

晋作、久坂玄瑞ら)は庶民の軍隊・奇兵隊を結成し、薩摩藩と同盟を結び討幕を成し遂

げた。
 
  この過程で土佐浪人であった坂本龍馬と中岡慎太郎はライバル関係にあった薩摩藩
                                         
 かめやましゃちゅう
と長州藩を結びつけ
『薩長同盟』を締結させた。坂本龍馬は長崎に『亀山社中』を設立し、

薩摩から借り受けた船で交易を行ない、利益を薩摩に還元していた。そして、その船で

武器を薩摩藩名義で購入し、長州へ売り渡すことで、両藩を結びつけた。この敵対関係

にあった二藩を結びつけたことは二人の大きな功績であった。

  ところが、亀山社中の船が海難事故で失われ、坂本龍馬は土佐藩に帰り藩から船を

借りて、海運業を続けた。土佐藩は
『明治維新へのバス』に乗り遅れそうになり、体制を

一新して新たな政策を模索していた。土佐藩は徳川幕府の譜代として
『討幕路線』は取
                                           たいせいほうかん
れないので、坂本龍馬の意見により、
『大政奉還』を推進することになった。徳川慶喜は

これを取り入れ、大政奉還を実施しました。

  ただ、日本の歴史の中で現政権が平和的に政権を次に譲った例はなく、平和的手法

(争いを避ける)が必ずしも良いとは限らない。旧政権を打倒することで、庶民に新しい時

代の到来を目に見える形で知らせることも必要となる。現実に徳川幕府が勢力を温存し

たまま、身分制度を維持する徳川家と身分制度を廃止しようとする薩摩・長州では、一緒

に政権を担当することは難しく、争いになれば内紛が長引き、外国の干渉を招く恐れがあ

る。やはり、天皇の権威のもと早急に討幕を目指し、新しい時代の到来を庶民に知らせ、

身分制度を廃止し幅広い人々が
『国づくり』に参加することが必要です。
                                                    

  それでは
『薩長同盟』で賢明な判断を実行した坂本龍馬が何故、『大政奉還』という愚
さく
作を提案したのか。そこには坂本龍馬の立場の変化がある。浪人という自由な立場の時

の坂本龍馬は日本を第一に考え、薩長同盟を推進した。ところが土佐藩に復帰した坂本

龍馬は、
『明治維新へのバス』に乗り遅れた土佐藩に同情し、外国のすぐれた制度を取り

入れた国を徳川家と薩摩・長州藩が協力して設立する案を提案した。ただ、吉田松陰先

生は多くの書物を読み、日本の歴史、日本に大きな影響を与えた中国の歴史、先進の欧

米の歴史を理解し日本の進むべき道(新しい政府の元に日本の民主化・近代化)を示し

ました。それに対して、坂本龍馬は知識の少なさから、旧勢力と新勢力をごっちゃにした
                                             ぎじょう    くうろん
不安定な上に新しい制度を取り入れようとした。いわゆる、
『大政奉還』「机上の空論」

であった。

  人間と言うのは完全ではなく、間違った判断もときには行なう。吉田松陰先生も失敗を

繰り返しながら、自分の理論
『草莽崛起論』を完成させていった。坂本龍馬が『大政奉還』

で判断ミスをしたとしても、
『薩長同盟』締結の功績が消えるわけではない。

  また日本の歴史を見てみると、宗教関係者が政治に関与して世の中を混乱させたり、
                                          
せんどう
近代史では言論機関が政府の政策をそのまま国民に伝えて、民衆を扇動した歴史が

ある。
                                    
せんどう
「宗教人や言論機関が必要以上に政治に関与して、民衆を扇動したり世の中の混乱を
 
じょちょう      げん
 助長することは厳に慎まなければならない。」






     吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑪H19,12古訪未夢
  

  幕末・長州の吉田松陰は身分のある武士や公家は保身に走り国や庶民の事を忘れて

いるので、期待できない。そこで失う物がない身分の低い人たち
(草莽)に期待した。

末、武士も公家も保身(身分、地位、財産)に走り、国と庶民を忘れた時に、それぞれの

時代は終わった。


  現代社会でも、政治家や官僚が保身に走り国と庶民の事を忘れると、彼らの時代はい

ずれ終わる。


  『天命』とは「天の意思」であり、人間一人一人感じるものが違うと思われます。時には

「民意」であり、時にはその人に合った「天から与えられた使命」かもしれない。


  『民意』とは何であろうか。人間には物事をすばやく的確に判断できる人、判断に時間

がかかる人、判断能力のない人の3タイプがいます。物事をすばやく的確に判断できる人

が多数であれば「民意」をすぐに尊重し『天命』となる。しかし物事を的確に判断するのに

時間がかかる人が多ければ、今の少数意見が将来多数意見となる可能性があるので

「民意」をすぐに尊重する必要はない。また、物事を的確に判断できる人が少なければ

「民意」を尊重する必要はない。

 
民主主義の時代、物事の善悪の判断を早急に的確に行なえる人が増えれば、国の発

展と国民の幸せに繋がる。そのためには各自が物事の判断能力を高める必要がある。








      吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑫H20,5古訪未夢


  日本の歴史を見てみると、何度か大きな改革を行なうことにより国と社会の発展や
                          
 あすか           たいか    かいしん
庶民の幸せを図ってきた。第一の改革
飛鳥時代の『大化の改新』で、力のある豪族

により不法な手段により天皇が決められた野蛮国家から、天皇を中心とした中央集権の

近代国家への道を歩みだした。能力があれば小豪族や渡来人であっても朝廷で官位を

得て国づくりに参加できるようになり、日本は大きく発展した。


  第二の改革
『明治維新』です。それまで天皇、貴族、武士が権力を争い特定のグ

ループの利益を優先したため、国づくりに一部の人たちしか参加せず、国の発展は遅れ
                                         
そうもう くっ き ろん
ました。そこで、徳川幕府末期に長州藩の吉田松陰先生の唱える『草莽崛起論』により、

明治維新が達成され、全ての国民を国づくりに参加させるために、天皇をトップにいた

だき、その下の階級の人々を全て同じ立場にする(四民平等)ことで、諸民に活力を与え

た。そのため日本は急速に近代化の道を歩んだ。

  このように日本は第一の改革で豪族や渡来人(主に技術者)を同じ立場で競争させ、

国づくりに参加させた。第二の改革では天皇以外を同じ立場で競争させ、国づくりに参

加させた。しかし、最近、地位や収入や財産による経済的格差により、生活に余裕に

ある人は自分の利益を守ることにこだわり、生活に余裕のない人は自分の生活に追

われ、庶民間に一体がなくなり、国や社会に貢献する人が減少し、国の発展が止まり

庶民の幸せも少なくなった。そろそろ第三の改革が必要になってきました。

  それでは第三の改革とは何であろうか。全ての国民が協力して国や社会の発展に

尽くし、結果として自分たちの幸せに繋がるにはどうすれば良いのだろうか。一つの方
     
 とみ  さいはいぶん
法として、『富の再配分』がある。不法の手段で利益を得た場合は国が没収したり被
                           
るいしん
害者に返還したりする。収入や利益の全てに累進課税をし、国や社会に貢献(寄付行為)

した人を顕彰し名誉を得ることで社会貢献の必要性も自覚させます。富の再配分により

経済的余裕ができた人はボランテアに参加し、税金の節約にも繫げます。立場の弱い人

たちを犠牲にするのではなく、立場の強い人たちが進んで国や社会に貢献するようにし

たい。税金のがれで外国に逃げている人たちは『半永久追放』処置をとるなどの賞罰も

必要と思われる。






        吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑫H20,7古訪未夢

 徳川幕府が倒れ、明治政府が成立したが、幕末においてすでに幕府は財政難に
おちい               ねんぐ
陥っていた。理由は農民の年貢(米の物納)に頼り切った財政を徳川幕府が長年

続けたからです。農民の年貢で支配者階級(武士)を養っていたが、吉田松陰先生

が言ったとおり、武士が長く続いた泰平により戦う意欲も能力も失い国難(外国から

の脅威)に有効な対応が取れなかった。つまり、

「給料はもらうが、役に立たない。」

状況であった。

  古い政権が倒れて、新しい政権が成立しても、天からお金が降ってくるわけではない。
                                       
ろ く
明治新政府は国家を運営する上で、支出の半分以上を占める『禄』(武士の給料)に

注目した。武士は親が亡くなると家督相続し禄も受け継いだ。またよほどのことがなけ

れば、禄は子々孫々まで受け取ることができた。ところが、長く続いた泰平のため、
    
ぜいたく
武士は贅沢になり戦う意欲も能力も失い、また刀にこだわるために洋式軍隊(銃、大砲、

軍艦の操作など)の要員としても使えなかった。
                             
ろ く
 
そこで給料に合った仕事が出来ない武士の『禄』を廃止し、一生分の給料をまとめて

退職金と言う形で分割払いとした。これにより国家財政に余裕ができ、貧しい農民の年貢

を減額、日本の近代化の資金とした。また藩を廃止し県を置き、中央集権化により、全国

一体での政策を実施した。


  このように国の運営にお金が不足した場合、安易な増税をするのではなく、

「給料に合った仕事をしていない人々に大ナタをふるい、組織の廃止や改革により人員

 整理、給料の減額などを行ない、新たな資金を得て国の運営に使う。」


ことが必要となります。

「お金は天から降ってくるのではない、地から湧き出してくるわけではない。そうなると

 不公平の是正(仕事に合った人員と給料)、必要のない組織の見直し、などが必要に

 なります。」





          吉田松陰先生のコメント
                     
 ⑬H20,9古訪未夢 

             せんけん  めい
 吉田松陰先生は『先見の明』(未来予測)に優れていました。優れすぎていたからこそ、

すぐには周囲にすぐには理解されなかった。
未来予測をするには過去の歴史を学び、

現在を的確に分析し、それらを参考にして未来を予測します。


 また
物事を的確に判断するには、幅広い知識が必要になります。書物を読んだり有

識者の話を聞いたり
あらゆるところから情報を仕入れる必要があります。世の動きに

興味を持たず、自分の周囲の事しか興味が無い人は、大事な時に的確な判断を下す

能力を身につけることが出来ず、他人や身近な人(いずれ本人も)の不幸に繋がります。

他人の判断ミスで自分が不幸になるのに納得できない人も多い思います。

 民主主義の時代は多数決で物事が決まっていきます。ところが
物事の的確な判断を

すぐに出来る人が国民の3分の1
物事の的確な判断を出来ない人が3分の1、物事の

的確な判断をするのに時間がかかる人が3分の1
になります。(3分の1理論)つまり多く

の人が判断を誤ると、多くの人が不幸に陥ります。この中で、物事の的確な判断が出来

ない人に的確な判断をしてもらうのはなかなか難しい。そこで物事の的確な判断をする

のに時間がかかる人に速く的確な判断してもらう必要があります。そのためには多くの

情報を発信し、理解してもらう必要があります。

 現在の日本の状況は、幕末(徳川幕府末期)に似てきています。当時の誰が現在の誰

に似ているかはともかくとして、一つの時代が終り、新たな時代となるでしょう。なぜなら、

現在のシステムが機能不全に陥り、世の中の動きに迅速で必要な対応が取れないから

です。そこで
国民の皆さんが今度こそ的確な判断が出来ることを願っています。






          吉田松陰先生のコメント
                     
 ⑭H20,10古訪未夢      

 
 吉田松陰先生は日本の歴史を学び、日本は天皇家の歴史であり、天皇中心の政治を
                                                
求める勤皇家であった。欧米列強の脅威から日本を守るために、日本人の心を一つに

するため天皇をトップにすえる方式を目指した。
そのため明治政府は天皇の宗教的活動
 
よう ご           しんとう
を擁護するため神道を宗教の中心とした。そのためキリスト教を押さえ込んだ。

  キリスト教は「イエス・キリストの教え」を広める活動であるが、当初は信仰すれば誰

でも幸福になれるということで、貧しい人たちの間に広まった。しかしキリスト教徒は国王

や領主よりも、イエス・キリストを主としたため、支配者から迫害された。その後、裕福な

人たちや国王も信仰すれば幸福になれるとゆうことで急速に信仰は広まった。だが権力

と結びついたキリスト教は、西洋諸国の世界進出の手先となってしまった。まずキリスト

教の宣教師を送り込み民衆に対して布教活動を行ない、領主や国王に対しては交易に
                                              
ふにん
よる利益を保障し、布教活動を認めてもらった。そして宗教や貿易関係者の赴任を増や

し、いざと言う時には自国民保護と言う名目で軍隊を派遣し、支配を強めて行きます。

すべてのキリスト教関係者がこのような手法を取り入れているとは限りませんが、

要注意です。

  日本の場合は飛鳥時代に仏教が伝来し日本国内にも広まりました。仏教を信仰

すれば国や家が栄えるということで、お寺などの仏教施設は土地や税の優遇をされ、

りっぱな建物、広い土地を所有し僧兵を擁し、ぜいたくな暮らしをして政治にも干渉
                                  
てっつい
していた。戦国時代、行き過ぎた宗教活動に織田信長が鉄槌を下す。信長の手法は
                                         
てんばつ
行き過ぎた方法だが、宗教活動が行きすぎの状況になると何らかの天罰が下る。

  現代社会でも、宗教関係には税が優遇され、信者の多額の募金により立派な

施設が建築され、信者は募金の多い人、新しい信者を多く獲得した人、選挙で多くの

票を獲得した人などが高く評価され、組織での出世に繋がるようである。

  本来、宗教活動は心が不安定な人などを宗教にて救済し、安定した日常生活が

できるように手助けするものである。ところが、宗教組織が政治に関与し、宗教活動

より政治活動を優先したり、無理な勧誘(相手に別理由で親しげに近づき、いきなり

宗教活動を行なう)を行なったりすると、宗教の存在理由がなくなります。また信者

にとっても、信仰のために入会したのに、営業ノルマのように募金集め、信者獲得、
                     
 ほんまつてんとう
選挙活動をしいられるのであれば、本末転倒である。

                               
てんばつ             
 
日本の歴史をみれば、行き過ぎた宗教活動には天罰が下る。
        
 じちょう
それを理解し自重を望みたい。




           吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑮H20,11古訪未夢  

 
 明治維新は吉田松陰先生が日本の歴史を深く理解し、もはや公家も武士も日本の

ために役には
立たない。ただ日本人の心を一つにして欧米列強の脅威に対抗するには

天皇の存在が必要ということで、国民の学力や政治的判断能力の向上を見て立憲君主

制へと移行した。日本は『廃藩置県』により中央集権国家となり、日本の近代化と民主化

を推進した。

 ところが
、どのようなすばらしい制度・法律も100年が経過すると、歴史の流れ(変化)

に有効な対応が取れなくなる。
最近、特に公共機関が世の中の動き(問題発生)にすば

やく有効な対応が取れない。自分の首が危なくなって、やっと動くと言うていたらくとなっ

た。そろそろ制度・規則の大幅な改革が必要となった。


  また、吉田松陰先生は日本の歴史をくわしく理解し、幕末の状況を正確に理解し、明治

維新への道を示しました。松陰先生の願いである、

  「天皇を中心に日本人の心を一つにし、日本の近代化・民主化を推進しました。」

このように日本の歴史を詳しく正確に理解していれば、的確な指針を示すことができ

ます。

  しかし日本の歴史を少々かじっただけでは、間違った安易な政策を示すことになり

自滅に繋がります。あるベテラン政治家が、

  「最近の若い政治家はもっと日本の歴史を学ばなくてはならない。」

と言っていました。日本の指導層には、きちんとした歴史認識を持っていてもらいたい。

 現代社会でも政治家や軍人の歴史に対する認識のなさには、あきれるばかりである。

もっと歴史をくわしく理解し国の行く末を誤らないでほしい。





          吉田松陰先生のコメント
                    
 ⑯H20,12古訪未夢  

                                いじょう
  日本の歴史を見ると、平和的に権力(政権)の委譲が行なわれた例はなく、幕末におい
                     
 たいせいほうかん    いつわ
ても国政が行き詰った徳川幕府は、
『大政奉還』と言う偽りの政権委譲を行なった。つま

り、政権を朝廷に返すが、徳川家の力は残し引き続き政権を担当しようと言う、ずるがし
                                    
 おうせいふっこ    と ば ふしみ
こい政策であった。それを見破った討幕派(薩摩、長州)は、
『王政復古~鳥羽伏見の戦
             さくりゃく ぼうりゃく                                
い』にかけて政治的策略(謀略)、戦術、戦略、命がけの意気込み、などにより討幕を

すいこう

遂行していった。
 
 徳川幕府を最初に見限ったのは、長州の吉田松陰であるが、幕末において最も軍事
                             
おおむらますじろう
的能力(戦術、戦略)が優れていたのは、長州の
大村益次郎であった。大村益次郎は、

長州を攻めてきた幕府軍を撃退した後、徳川幕府はまだ強大であるので、討幕には

有力諸藩が協力しても、5年後になるだろうと予測した。ところが1年後には王政復古・

鳥羽伏見の戦いとなり、歴史の大きな流れは軍事専門家の予測を大きく上回った。

そして歴史の大きな流れは、それに反する人々を弾き飛ばし、あるものは亡くなり、

あるものは没落していった。
 

  新しい時代は、民衆に
「新しい時代の到来の認識と国造りへの参加」を促す必要が

あり旧政権の関係者の完全な排除が必要である。また現政権の存在が民衆にとって、

大きな不幸であれば少々の政略と戦いは必要となる。


  あとは幕末に西郷隆盛が言ったように「短刀一本があれば…」に代表される命がけ

の意気込みが必要である。





 
         吉田松陰先生のコメント
                   
 ⑰H21,1、2古訪未夢
 

  吉田松陰先生は徳川幕府末期の『安政の大獄』にて無念の死を迎えた。しかし高杉

晋作、久坂玄瑞など弟子たちの活躍により明治維新は達成されました。
これは松陰

先生の命がけの教えが成果を出したのでした。また弟子に恵まれたとも言えます。

 
  一方、薩摩の西郷隆盛は薩摩藩を率いて討幕・維新に活躍し、その後、故郷の鹿

児島に帰った。だが、近代日本軍の創立を目指していた長州の大村益次郎が暗殺

され、明治政府が目指す廃藩置県を実行するために、薩摩・長州・土佐から御親兵

として藩兵を東京に集め
た。そして西郷隆盛を総指揮官とした。そのなかで薩摩の兵

(幹部)は明治維新を理解せず、自分達がかつての旗本(徳川幕府)のような立場に

なれると勘違いし、自分達の活躍場所として征韓論(朝鮮侵攻)を唱えた。
薩摩軍幹部

は鹿児島で西郷隆盛の後輩として
『郷中教育』(少年~青年時代に先輩が後輩を教える)

を受けた。と言うことで西郷隆盛の弟子のような存在であった。西郷隆盛は薩摩の軍幹

部を押さえ、押さえながらも征韓論に引きずられていった。学問を軽視し武勇を尊ぶ薩摩

兵は、日本国の安泰よりも戦いを求めた。結局、征韓論は欧米諸国を歴訪し外国を見て

回った人たちにより阻止された。

  征韓論に敗れた西郷隆盛は責任を取って参議を辞任し、故郷の鹿児島に帰った。
                                              
  ばんせつ
薩摩軍の幹部も後に続いた。そして西南戦争となった。
西郷隆盛が英雄として晩節を
まっと
全うできなかったのは、弟子に恵まれなかったとも言える。
ただ西郷隆盛にとって後輩

の軍幹部は弟子のような存在ではあるが、
『郷中教育』で武芸や薩摩武士のあるべき

姿を教えただけで、吉田松陰先生の弟子とは根本的に違う。


  幕末において思想で動いた長州藩(松陰先生の教えを弟子が実行する)と、人で動

いた薩摩藩(その時の実力者の意志で動く)の違いが、明治維新の理解度の差となっ

た。討幕戦で活躍した薩摩藩,明治政府での日本の近代化で活躍した長州藩となる。

  学問と武勇、どちらが重要か。理想は両方共に重要であるが。結局、戦争にしか興

味を持たない軍人と、幅広く国のあり方を見れる政治家の違いを見るにつれ,学問の

重要性が高まったとも言えます。






         吉田松陰先生のコメント
                  
 ⑱H21,1、11古訪未夢

 
 吉田松陰先生は討幕・維新を達成する過程で、フランス革命の精神(自由、平等)や

ナポレオンの活躍
を念頭に置いていた。フランス革命の前には、「舞踏会や酒宴で優雅

な生活をおくる王侯・貴族などの特権階級、寒さに震え貧しい生活をおくる国民」
と言う、

まさに
『革命前夜』と言う情景が長く続いた。
 
 
誰が見ても不公平、納得のいかない状況が長く続けば、革命や大改革の前兆となる。

ただ民主主義の時代、良い政策を持っていても多数の国民の支持を得なければ実施

出来ない。つまり時間がかかるというわけである。そこで強い指導力と説得能力のある

政治家の登場を待ちたい。







          吉田松陰先生のコメント
                   
 ⑲H21,1、28古訪未夢



  徳川幕府末期、欧米列強の脅威を受け、日本人の心を一つにし外国に対抗するため、

徳川幕府を打倒し明治維新を達成した。これは吉田松陰先生の
『草莽崛起論』を高杉

晋作などの弟子が応用し庶民の軍隊(奇兵隊)にて長州藩を動かし、薩摩藩と同盟し徳川

幕府を打倒した。
そして廃藩置県にて中央集権化を成し遂げ、強力な官僚組織を作り上

げ、日本の近代化を成し遂げた。

                                             
  しもべ
  その後、百年余が経過し日本を豊かにした官僚組織は、
「公務員は国民の僕ではなく、

選ばれた人間・特権階級」となった。特に官僚は大学出身者が多く、デスクワークは得意

だが現場(庶民の生活)を知らず、政策・企画が庶民感覚から離れ、
『机上の空論』となっ

た。
官僚はずるがしこいが、頭の悪い階級となった。それを政策・企画能力のない政治家

が採用・実施したため、民意から大きく離れた政策が国民生活を悲惨なものとした。


  これを打破するには、高校出身者の公務員採用を増やし特に国民と直接接する部署

(役所の窓口、民情視察担当者など)に配置し、
「困ったことがあれば役所に来い→→国民

の生活を定期的に視察し問題を早期に解決する」
に政策転換を実施しなければ、国民の

エネルギーを集め国の発展と国民生活を豊かにすることができない。
会社は社員の労働

環境を整備し、社員が労働意欲を高めて働くことで、会社の発展と社員の幸せに繋がる。

国も国民が労働や生活をしやすいような環境を整備し、国民のエネルギーを集約し国の

発展と国民生活を豊かにすることができます。








           吉田松陰先生のコメント
                   
 ⑳H21,2、21古訪未夢

 徳川幕府末期長州藩の吉田松陰先生は早い時期に幕府を見限った。それは憂国
     
 い い       あんせい   たいごく
の志士を井伊大老が
『安政の大獄』で弾圧したからだ。もはや幕府は日本のことより
      
 あん たい
徳川幕府の安泰を優先した。憂国の志士を弾圧することにより、幕政改革派(国政に

有力諸藩も参加する)は討幕派へと路線の転換を徐々に行なった。
                 
 さくらだもんがい  へん          こうぶ がったい かずのみやこうか
  徳川幕府は井伊大老が
『桜田門外の変』で亡くなると、公武合体(和宮降嫁)長州
せいばつ               いえもち
征伐を行なうが、将軍・徳川家茂が病死した。そこで次の将軍として水戸徳川家出身で
えいめい             よしのぶ
英明と言われた一橋家の慶喜が就任した。徳川慶喜は幕政改革派が大きな期待を

寄せたが、慶喜は従来どうり徳川幕府による専制政治を目指したために、幕政改革派

は全て討幕派に路線転換することとなった。
     
 と ば ふし み                               ちょうてき
  そして
『鳥羽伏見の戦いで幕府側が不利となると、徳川慶喜は『朝敵』になるのを恐れ
        

たのか、命が惜しくなったのか、将兵を置き去りにして江戸に逃げ帰った。一方、官軍と
                                               
 しった げきれい  
なった薩摩藩の西郷隆盛は将兵に
「自分も死ぬからお前達も死ね」と言って叱咤激励し

た。長州藩は薩長側が敗れた場合を考え、天皇を担いで中国道での戦いを考慮した。
 
  結局、徳川慶喜は薩摩や長州の指導者の能力・迫力に負けてしまった。
慶喜が「英明」

「英明」と言われていたのは身内びいきであり水戸徳川家から将軍を出したいという理

由から宣伝したと思われる。また将軍候補の中で一番英明であるが、長く続いた徳川幕府

の中で人材難の低いレベルの中での話でもある。
『お殿様』である将軍と討幕・維新を達成

して日本を外国の脅威から守ろうと、命をかける薩摩・長州の指導者の意識の差であった。

 現代社会でも「有能」といわれながら、実際は身内びいきや宣伝、レベルの低い中での比較

である場合もあるので、実体の見極めが重要である。選択を誤れば、いずれ自分の身に不

幸が忍び寄る。
また 国の指導者は、自分の行いたい政策だけを実施しようと無理すれば、

国民
の支持を失い政権が破綻するか、大きな後遺症が残ります。指導者はまず国民の希望

する政策を実施したり、国のために必要な政策を実施し、国民の信頼を得てから自分の希望

する政策を実施するのが望ましい。






  

       吉田松陰先生のコメント
                   
 (21)H21,9、2 古訪未夢



 久しぶりの作品なので歴史と現代社会の比較を行ないます。数年前から現代社会は幕末

(徳川幕府末期)に似ていると思っていました。

  ぺりーの黒船来航により、外国の脅威が目前に迫ってきた。それに対して徳川幕府は

有効な手が打てなかった。日本の将来に危機を抱いた諸大名や憂国の志士は、まず幕政

改革を唱えた。これに対して徳川幕府は井伊大老による
『安政の大獄』により徳川一族や

外様大名を処罰し、諸藩の憂国の志士を処刑にしました。いわゆる、

「日本は徳川幕府が統治している。庶民が口出しするのは無用である。」

と言う思い上がった考えであった。この強権発動により徳川幕府は一見強固になったよう

だが、徳川幕府を支えた徳川一族まで敵に回したために,『桜田門外の変』で水戸徳川家

の元藩士に暗殺された。

  井伊大老の残した傷跡は大きかった。井伊大老は朝廷、徳川御三家、外様大名、憂国

の志士を弾圧し、徳川幕府の基盤を壊し幕政改革派(本来は徳川幕府支持派)を討幕派に

追いやった。そして長州藩の吉田松陰が幕政改革ではもはや日本の危機に対応できない、

徳川幕府を打倒し、明治維新を達成する必要がある。そのためには
保身に走る公家、

武士は頼りにならない.。どうしても幅広い庶民が立ち上がる必要があることを唱えました。

いわゆる
『草莽崛起論』ですだが『安政の大獄』で吉田松陰は亡くなり、その遺志を継い

だ弟子たち(高杉晋作、久坂玄瑞など)は長州藩を動かし、薩摩藩と協力して討幕・維新を

達成しました。そして外国の脅威に対抗するために、
『廃藩置県』により中央集権化し、

幅広い階層から優秀な人材を集めて、日本の近代化、民主化、富国強兵を目指しました。

今まで武士だけに頼った偏った政治が、国民の全てが国づくりに参加できる制度をつくり、

多くのやる気のある優秀な人材が集まってきました。国民の中に、

「自分は日本人であり日本を一流国にする。」

意欲が高まってきました。 日本は中央集権により政治家が国家目標を示し、優秀な官僚

機構により日本の運営を行なっていましたが、ここ数年政治家が確固たる国家目標を示

せなくなると、官僚も
保身と自分の組織の利益を優先し始めました。政治家も国民の幅広

い意見を聞いて政策を決めなくてはならないのに、政治家と官僚と関連団体の勝手な考え

で政策を決定し、後は説明と宣伝に力をいれ国民から支持されないと説明や宣伝がたら

なかったと、ごまかしました。

  最近、国民全体の負担になるのに意見を充分に聞かず勝手に決めたものに、
『地デジ

放送』
『裁判員制度』がある。『地デジ放送』により映像が良くなるようだが、今後テレビ

を見るためにはアンテナとテレビの交換又は付属設備の設置が必要となる。特に生活に

余裕のない人や大家族のためテレビを数台持っている家庭の負担は大きく、お金のない

人はテレビが見えなくなる。また『裁判員制度』は戦前の召集令状のように無差別で送ら

れてきて、特別の理由がなく参加しないと処罰されるという問題の多いものである。そして

国民の時間を制約し精神も支配します。やはり志願制度に改めて、その中から適任者を

選ぶことが、国民が裁判に気持ちよく参加し誤審を防ぐ方法だと思います。

  4年前に小泉総理により
『郵政選挙』が行なわれ、予想に反して与党(自民、公明)が

大勝しました。
「郵政が民営化されれば、世の中がバラ色になる」というあり得ないマニフ

ェストが都市部を中心に配られ、それを信じた人々が与党に多数投票したようです。地方

では公共性のある郵便局を民営にすれば不便になるので反対が大方でした。予想どおり

地方の郵便局は閉鎖や営業時間の短縮など不便になりました。郵政マニフェストを信じた

人々は、いわゆる
「だまされた人々」であり、やはり騙した人が天罰を受けるべきだと思い

ます。マスコミがいつまでも
「小泉人気」に頼った番組づくりをするなか、生活困窮者は怒

りを高めていたようだ。

  本来、政治家は国民の意見を聞いて官僚の手助けを受け政策を決定します。ところが、

小泉、安倍、福田、麻生と雲の上から地上の国民を見て政策を決めるような手法で国民

に理解されないと、勝手な事を言っていた。幕末に該当者を求めれば、徳川幕府の基盤

を壊し反対派を次々処罰した井伊大老が、反対派に刺客を送り自民党の基盤を壊し国民

に負担だけ押し付けた小泉氏であろう。安倍、福田、麻生は2世政治家としての育ちの良

さはあるが、庶民感覚ゼロで発言を聞くたびに怒りを感じた人は多いであろう。

  現在の自民党は反省もなし人材もなし。公明党も宗教政党として創価学会の勧誘にも

問題が多い。自民党は今後10年間は政権への復帰の可能性がないので、今のうちに

民主党は
「新しい国づくり」に幅広い国民が参加できる制度をつくり、明治維新後のように

幅広い国民が新しい国づくりに参加してもらいたい。マニフェストは100%実現出来なくても

80%達成できれば良いと思う。政治家と言うのは、

「幅広い国民の意見を直接聞いて、高い目標や理想に向かって努力する姿勢が重要で、

最初から努力しないのでは政治家失策である。」


 

 


      吉田松陰先生のコメント
                   
 (22)H21,9、8 古訪未夢


   吉田松陰先生は松下村塾で弟子たちに学問を教えたが、その中には山鹿流兵法など

 の軍事的なものもあった。徳川幕府末期までは戦術・戦略を駆使して勝利したものが、国

 の政権を担当しました。明治維新後は憲法発布により、選挙に勝利し多数を取った勢力

 が政権を担当しました。そこで選挙に勝利しないと自分たちの政策を実施できなくなりま

 した。いくら良い政策を考えても実施できなくては
「絵に書いたもち」状態でした。そのた

 め選挙に勝つために選挙戦術・戦略が必要となりました。

   4年前の郵政選挙では、小泉氏は争点を
『郵政民営化』のひとつに絞り、

 「郵政民営化を実施すれば内政、外交も良くなり、世の中バラ色になる。他の改革も

 順次実施し国民は 一時的の苦しさに耐えれば、いずれ良い時代となる。」

 と言い、党内の反対派に選挙で刺客を送り、マスコミの注目を集め国民に、

 
「郵政民営化に賛成する人は改革派、反対者は抵抗勢力と見せた。」

  野党からは
『詐欺選挙』『マジック選挙』と言われながら、国民は小泉氏のさわやか

 な弁舌、イケメンブームに乗って、まじめに政策を訴えていた岡田氏(民主党)を破る

 結果となった。

  これは私が以前jから言っている
『1/3理論』が原因です。つまり有権者の全てが

 政治に興味を持ち詳しいわけではないので、物事がすばやく的確に判断できる人は

 1/3ぐらいで、後の1/3は物事が的確に判断できない人(地縁・血縁・人物の好みで

 投票する人)、重要なのは後の1/3で物事の的確な判断をするのに時間がかかる人、

 です。この選挙の勝敗のカギを握っている1/3にいかに早く的確な判断をしてもらうの

 が重要です。

  小泉氏の競争原理(安売り競争)により主婦はデパート、スーパーで買い物に熱中

 している間に、主人が失業したり子供が就職難に陥ったりし、小泉政治の実態が少し

 ずつ国民に知られてきました。その後、民主党は小沢氏の
『国民生活が第一』の路線

 を押し進めた。政治家は政策立案能力と実行力と庶民性が重要で、発言を聞いてい

 ると庶民の実情をどの程度理解しているかがわかります。


   翌年の参議院選挙では小泉改革の実体に気が付いた人々が年金問題もからんで、

 的確な判断をしました。ただ1/3の多くはまだ小泉改革の幻想に酔っていた。

  選挙は公約(マニフェスト)選挙となった。マニフェストの内容は政策立案能力、庶民

 性、実行性が見てとれる。選挙戦術・戦略については、小泉氏の刺客選挙は一応成功

 したが、自民党内に郵政改革の対立構造を残し、今回の選挙に悪影響を与えた。結局、

 小泉氏の公約は改革部分は公約倒れとなり、
『自民党をぶっ壊す』という公約は実施さ

 れた。

   今回の民主党の選挙はマニフェストが良かった。一時的な政策はバラマキだが、長期

 的展望を持った政策はバラマキではなく先行投資です。その違いを知らない専門家とマス

 コミには困ったものである。、小泉改革の実体(セーフティネットなし)が多くの人々に知ら

 れ、民主党の幹部の役割分担も上手くいった。選挙を指揮した小沢氏の
『逆刺客戦術』は、

 自民党・公明党の有力者に若い女性候補を刺客として送りこんだ。この戦術は小泉戦術

 を真似たと見られたが実体は違っていた。この戦術の効果は、

 ①マスコミを通して有権者に新人候補者の名前を宣伝し、民主党の宣伝にもなる。

 ②若い女性候補がベテラン政治家に挑む構図を作り上げ世代交代を訴え、若い候補者

   は体力があり有権者に多数接することにより当選をめざし、比例票の増加も目指した。

 ③自民党や公明党の幹部政治家に当選危うしの雰囲気を与え、全国遊説を出来なくさ

   せ、他の地域の運動員も集め、他の地域を手薄にする。


 ※吉田松陰先生は弟子たちの長所を生かし、それを伸ばす方法で成果を出し、欠点を

   目立たなく させた。政治家も能力・適正に応じて役割分担して世の中を良くしてもらい

   たい。マスコミや有権者も自分の好みだけで政治家を見ないようにしてもらいたい。







      吉田松陰先生のコメント
                  
 (23)H21,9、29 古訪未夢 

   明治時代、徳川慶喜は『朝敵』を許され華族に列せられた。徳川慶喜が成人した明治天皇

 に拝謁した後、天皇は側近に次のように漏らした。

 
「お礼を言うべきだったかな、天下を取らせてもらったことを……」

  徳川慶喜は将軍として薩摩藩の挑発に乗って京の朝廷に兵を差し向けた。古来、朝廷に

 兵を差し向けて『朝敵』となれば、一時的勝利は得ても、最終的な勝利を得ることは難しい。

 『鳥羽・伏見の戦い』で徳川慶喜は戦いの最中、薩摩・長州側に錦旗が渡り官軍となった時、

 幕府側に裏切りが続発し、慶喜は兵を置き去りにして江戸に帰ってしまった。本人は朝敵に

 されたのが非常に不本意だった。しかし指揮官が兵を見捨てて敵前逃亡したため、兵は戦い

 をやめて江戸に引き上げるしかなかった。そして徳川幕府として戦いをやめた。そのため薩摩

 ・長州は敵を最小限にすることができた。慶喜の行動が討幕・維新の戦いをスムーズにした。

 徳川慶喜が
『英明』と言われたのは、他の将軍候補との低いレベルの比較であった。

  現代、数年前から幕末の状況に似てきたようでした。幕末は武士や公家が本来の役割を

 失い身分の低い人々の中に優秀な人材が登場しはじめました。現代も官僚や官僚に頼りすぎ

 た政治家が本来の役割を果たせなくなりました。新しい国づくりに情熱を燃やす人々が各分野

 から政治家や政策アドバイス要員として国政に参加していきます。昔は戦いに勝利すれば新

 政権の誕生となります。現代は選挙に勝利すれば新政権が樹立できます。小泉氏の後、安倍

 氏、福田氏、麻生氏といたずらに選挙を引き伸ばし、選挙に勝つ気のない政策を間際に間に

 合わせのように出し、野党に都合の良いときに選挙を実施した。民主党の勝利は麻生氏の

 
庶民感覚のなさ、政治情勢が読めないこと、など麻生氏のおかげで新政権が樹立できた部分

 もある。もちろん民主党が国民の立場に立った政策の実施への期待が大きい。ただ民主党の

 議席数は麻生氏の解散時期が最悪だったことも影響している。私は民主党が勝ちすぎて2/3

 の議席(再議決できる数)を取らないように願った。自民党のように暴走すれば、新しい国づくり

 
『平成維新』が中途で挫折する恐れがあるからだ。

  麻生氏については明るさ、演説の得意さ、などが評価され自民党の総裁、総理大臣となっ

 た。ただ、自民党の人材難の中で選ばれたところが、レベルの低さを感じる。麻生氏は総理

 大臣になってから、バーで側近と会合したり、国内視察、外国訪問によく出かけたが、なんと

 なく役者が総理大臣を演じ、総理大臣を楽しんでいる感じがしました。やっと総理になれたの

 だから、少しでも長く総理大臣を楽しみたい。

 
 側近の話では、麻生氏は良く言えば楽天家、悪く言えばノー天気だそうです。それを聞いて

 何となく納得しました。やはり『ラスト将軍』だったようです。

 





      吉田松陰先生のコメント
                  
 (24)H21,10、26 古訪未夢 


   明治維新により樹立された明治政府は、前政権(徳川幕府)の負の遺産(問題点)を多く抱

 えていた。農民の年貢(米による納税)だけに頼りすぎたために財政が赤字状態、欧米との不

 平等条約の改定、遅れた日本の近代化を達成し近代国家を建設して欧米列強に肩を並べ

 る、などでした。そのため身分制度を改め優秀な人材は身分に関係なく登用し、国民が学問

 により優秀な人材となり国づくりに参加出来る道を開いた。日本の近代化を達成するために
                                      
ろく
 は資金も必要となり、国家財政の半分を占めていた武士の禄(給料のようなもの)を、武士が

 国のために役に立たず必要がなくなったので、禄の国家による買取り(分割払い)により国家

 財政の安定化を目指した。また華族制度を設け、元藩主や元公家だけでなく、国家のために

 大きな貢献をした人も華族として扱い、国のために働くことの重要性を示した。

   現代社会においても、民主党政権は前政権の負の遺産を受け継ぐことになった。累積赤

 字、税金の不透明な使い方、国民生活の困窮、ずる賢い人の増加など、国家と国民の衰退

 の危機であった。

 
「絵に描いたモチはおいしそうだが、口に入らなければ空腹は満たされない」

   現代社会は、どんな良い政策も少数野党であれば実現できない。選挙に勝利して多数党

 となり政府を運営すれば自分たちの良い政策が実現できる。しかし実現させるのに時間のか

 かる政策もある。そのためには10年以上は政権を維持していく必要がある。そのためには

 選挙に勝ち続ける必要がある。そのためにはいつ吹くかわからない風に頼らず、固定支持

 層が必要になります。そのためには選挙公約を着実に(少々の修正はかまわない)実行し、

 
新たな強固な支持層を確立する必要があります。雑音(選挙公約にこだわらなくてもいいの

 ではないか)に惑わされて、新たな支持層を失わないようにしてください。良い政策は一度に

 実施はできないので、優先順位をつけて実施してください。

  
『明治維新』の成果は明治が終わった時に判断できました。日本は幅広い国民が国造り

 に参加し急速な近代化を達成し一流国家の仲間入りを果たした。『平成維新』も達成するの

 に時間がかかることは念頭に置いていたほうが良い。








      吉田松陰先生のコメント
                 
 (25)H21,11、1 古訪未夢 


   数年前から現在の政治・社会情勢が徳川幕府末期に似ていると思っていました。そう言う

  時に
『平成維新』と言う言葉が方々から出てきました。政権が新しくなれば、すぐに世の中が

  バラ色になると思うのは、日本の歴史を知らない人だけであろう。

   明治維新を参考のために見てみよう。明治維新が達成され明治政府がスタートしたが、

  徳川幕府の時が良かったと言う声が方々から聞こえた。何故か? 薩摩と長州によって討幕

  ・明治維新が達成された。徳川幕府を打倒するための戦い(戊辰戦争)を実施するためには

  朝廷(天皇)の命令により薩摩や長州以外の諸藩も動かさなければならない。朝廷には戦費


  (兵糧や武器や戦争資材の調達と運搬の費用)がない。朝廷は徳川幕府の体制化で収入(領

  地の年貢納入)が少なく余裕はなかった。そこで畿内の大商人から戦費を借り、担保をこれ

  から没収する徳川幕府の領地の年貢とした。そのため天領(徳川幕府の領地)の農民を救済

  するための年貢半減令もすぐに取り消された。

   
新しい政権ができても「天からお金が降ってくるわけではない」お金は捻出しなければ

  ならない。


   
徳川幕府は農民の年貢のみで政権を維持すると言う奇跡的(大いなる無理)な政策を取って

  いた。それ以外には鉱山(金、銀など)収入、貿易収入、商人への臨時課税などがあった。徳

  川幕府初期は貯蓄が多く余裕があったが、将軍を始め武士の暮らしがぜいたくとなり、貯蓄

  はなくなりました。そのため八代将軍・吉宗のときに、財政改革として倹約、新田開発などを

  幅広く行ないました。その後も財政が苦しい時には同様な政策が実施された。これで260年

  余も政権を維持したのは奇跡とも言える。

   明治政府は討幕後、日本を近代化し欧米列強に対抗できるように
『富国強兵』を目指し、

  産業の育成、軍備の整備を開始した。そのためには多くの資金が必要になる。そこで支出の
          
ろく
  大半を占める
(武士の給料)をなくすことを検討した。外国で革命が起きたときは労働者や

  農民が貴族や王侯の政権を打倒するため、貴族や王侯の資産を没収し庶民の負担を減らし

  身分を平民に落とした。まさに天と地がひっくり返るようであった。日本の場合は長州などの

  庶民が討幕に参加 したが、武士が主体であった。また長年にわたり年貢に苦しんでいた農

  民の負担も軽減したいが、年貢を物納から現金化して納入にしたため逆に負担は増えた。

  そこで明治政府としては武士の禄 を廃止して年貢の減免による農民の負担軽減を考えた

  が、武器を所持する武士に対して豊臣秀吉 以来武器を持たない農民を比較した場合、農

  民が決起した時よりも武士が決起した方が政府が持たないと判断し、武士の禄は国が分割

  で買い取り武士に支払い転職を促した。その一方で農民の事は後回しにした。

   せっかく多くの犠牲の上に成立した新政府を維持することが日本の改革のためには必要

  と言う、苦渋の選択でした。しかし、それではたまらないと全国で農民の不満が高まり、結局、

  年貢の軽減を実施した。民主主義の時代、自分たちの希望や要求を粘り強く国にしていけ

  ば、 いずれ実現できる時代ととなった。

   結局、武士の禄をすべて支払いながら、日本の近代化を実施するという、ゆるやかな革命

  (維新)でした。明治維新の成果は日露戦争に勝利し、ロシアの南下を阻止し、国を守りきった

  ことで した。そして日本は欧米列強と並んで一流国となった。

 
  このように国の形を大幅に変更するには時間(年数)がかかる。結果を早く求めるあまり、

  せっかくスタートした『平成維新』の行く道を妨害しないこと、またそういう勢力に加担しない

  こと、成果が出るには4~8年ぐらいはかかるであろう。





       吉田松陰先生のコメント
                  
 (26)H21,11、6 古訪未夢 


   戦いに勝利するには戦術・戦略を駆使し時には謀略を使うこともある。徳川幕府末期には

 長州の大村益次郎のような戦術・戦略に詳しい軍略家が登場し、薩摩の謀略により
『鳥羽・

 
伏見の戦い』を勝利した。その後、西郷隆盛の政治力と大村益次郎の洋式兵法により、幕府

 を倒し明治維新を達成しました。

   現代社会において戦いは
『選挙』による政権奪取の戦いとなりました。先日、NHKで最近

 の権力闘争の特集をしていました。その中で以前から疑問に思っていたことの答えを見つけ
 
 ました。数年前に行なわれた
『小泉構造改革』はどうも官僚や学者に頼りすぎて、セーフティ

 ネット(改革に伴う問題点の除去)が不十分でした。特に公共性の強い郵便事業を民営化する

 必要性はあまりなく、郵便事業の資金の使途に問題があれば必要な制度や法律を制定すれ

 ば良い。郵政民営化により心配された利益優先政策のために、地方の郵便局は減少し分社

 化により、ある窓口にお客が並び隣の窓口は暇でも分社化のために仕事の応援ができず、

 不便な郵便局となりました。小泉氏の郵政改革への情熱は異常で、政治家の使命よりも個人

 的恨みを郵政関係者に持っているのではないかと思っていました。NHKの番組によれば、

 
小泉氏の長年の政敵グループの権力基盤が郵政会社その他なので、郵政改革により政敵

 
の打倒を目指したようです。小泉氏の改革は権力闘争の一面が強いので、不十分な改悪と

 なった。脳裏に国民よりも政敵打倒が強かったので、結果は良くならなかった。しかし、その

 ために有力政治家や国民をだまして使い捨てにしたのは許されることではない。日本の歴史

 でも権力者が人をだまして利用して使い捨てにして悪名を残した。

  
小泉改革で生活苦に陥った人たちの恨みは大きいと思います。特に小泉氏がイケメン

 ブームの一環で人気が出たのを、視聴率狙いのマスコミが押し上げ国民の判断を誤らせ

 た。自分の判断ミスで自分が不幸になるのは、納得がいくが、自分の判断は正しいのに他

 人の判断ミスで自分が不幸になるのは納得いかないでしょう。


   太平洋戦争(日米戦争)に突入して多くの国民を悲惨な目に合わせた原因は、
軍人

 
治家マスコミの三者である。軍人は国家・国民を忘れて私欲に走り、政治家は体を張って

 軍人の暴走を止められず、マスコミ(新聞)は新聞を売るために戦争を賛美し、国民の判断

 を誤らせた。
マスコミは視聴率で放送を考え、人気を創作し、手のひら返しを得意とする。

 
マスコミの論調に惑わされずに自分で的確に判断する必要があります。

   小泉改革の実体を国民が知れば、マスコミは手の平を返すように、小泉氏から離れて

 いくでしょう。

 


  

    吉田松陰先生のコメント

                  
 (27)H22,1、1 古訪未夢 

    
 吉田松陰先生は討幕・維新を達成する過程で、フランス革命の精神(自由、平等)や

ナポレオンの活躍
を念頭に置いていた。学生時代、世界史の教科書にはフランス革命

の前には、

「舞踏会や酒宴で優雅な生活をおくる王侯・貴族などの特権階級、寒さに震え貧しい生活

 をおくる国民」
と言う、まさに『革命前夜』と言う情景が掲載されていた。

  平成20年12月、アメリカ発のリーマンショックにより日本には失業者が溢れ、東京では

『年越し派遣村』が開設され多くの失業者が集まってきた。人々は寒さと空腹に耐え、まさに

『貧困階級』の情景であった。その後、都内で大企業の新年会が華やかに行なわれ、まさに

『富裕階級』の情景でした。そして、派遣村の代表が大企業の新年会に『嘆願書』を持って

押しかけ、労働者の解雇をやめて雇用を確保して欲しいと訴えました。この二つの状況を

見て、フランス革命の
『革命前夜』の情景が思い浮かび、

「このままでは、すまされないだろう。」

と思った。そして9ケ月後には
『政権交替』となった。

 政治家も経済人もマスコミも、もう少し歴史を学び、過去の教訓を参考にすれば、おろかな

発言や行動が少なくてすむのだが、それぞれの分野において、お手本になる人(過去、現代)

を見つけ出すことも必要であろう。

  国の指導者は、家臣に適材適所で役割分担をさせ、最後は自分が決定する『集団指導

タイプ』、強力な指導力にて家臣を引っ張っていく『独裁タイプ』の2つがあり、どちらも一長一短

があり、どちらを選ぶかは自由である。この指導者はどうゆうタイプかを、理解するぐらいは

できないと、みっともない。

 




              吉田松陰先生のコメント
                  
 (28)H22,4、1 古訪未夢

 現在の世間の状況は幕末~明治維新に似通っていると思います。『平成維新』と言う言葉が

語られるのが、その表れです。明治維新の当初も、新しい時代となってもすぐに世の中が良く

ならなかったので、前の政権(徳川幕府)の方が良いと言う意見もありました。ただ、前政権の

負債が大きいと簡単には、世の中が良くならない。政権が新しくなっても、天からお金が降って

くるわけではない。国全体の制度改革は総論賛成、各論反対が多く、自分の利益になることは

賛成し、利益にならないことは反対すると言う、自分勝手が多い。やはり自分の利益にならなく

ても、他人の利益でも賛成すると言う、
他人への思いやりが必要です。

 最近不況の影響か、マスコミの過当競争(異常報道)が目立つ。いわゆる、新聞やテレビの

週刊誌化
で、視聴率や売り上げ部数が伸びるのであれば精度の低い情報であっても放送し、

もし間違であっても小さい訂正記事を載せれば良い、と言う発想である。現実に誤報や推測
    
 かたよ                                 にしき  みはた
記事や偏った放送が多く、それをもとに行なった世論調査結果を
『錦の御旗』のように振り回す
   
こっけい
のは滑稽でしかない。特に若い記者の知識の低下が気になる。ベテラン記者は世の中のことを

良く知っているので発言がまともである。ところが若い記者はインターネットによる手軽で浅い知

識をもとに活動しているので
発言や記事のレベルが低い。もっと過去の出来事を学び知識を

深め、物事の表面だけでなく深く掘り下げて考え表現する必要があります。

 
大規模な国家的改革はすぐには結果が出ないので、妨害勢力や無理解層を放っておいて

改革を断行する強い決意と実行力が問われています。







              吉田松陰先生のコメント
                  
 (29)H22,6、18 古訪未夢

 今年は大河ドラマ『龍馬伝』の放送の影響か、政界でも坂本龍馬や薩長連合の話が良く出て

くる。ただし、薩長連合はすでに行なわれていたのです。数年前の
『旧民主党と自由党の合同』

それにあたります。薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎による薩長連合結成は自由党の小沢

氏と民主党の菅氏の間で行なわれ、坂本龍馬の役割が誰かはわからない。


 徳川幕府の末期、外国の脅威に対抗できる近代日本を建国するために、長州藩は吉田松陰

先生の提唱する
『討幕・維新』を推進していった。日本の大改革への熱意と人材が豊富な長州

藩であったが、書生外交では討幕を実施する実力と政略が不足していた。松陰先生自体が

「正しいことを実施するには正々堂々と行なわなければならない」

と言う考えであった。弟子たちも大きくはかわらない。ただ、権力者は簡単には政権を手放さ

ない。そこで戦国以来の強力な軍事力と政略ができる人材のいる薩摩藩の力が必要となった。

 民主党は当初、鳩山氏と管氏により結成され、国政改革を志す人たちが集まってきたそうだ。

改革への熱意と政策研究により人材も育ってきた。ただ、
『政権奪取』は正しいことを主張する

だけでは実現できない。私のかねてからの主張の
『1/3理論』の関係もあるが、全員の理解を

得るまで待っていたら国や国民にとって手遅れになる場合もある。
武力により政権奪取をする

場合は、政略や戦略や戦術を駆使して戦います。選挙によって政権奪取する場合は、良い政策

と選挙時期を選ぶ必要があります。
良い政策は長年勉強・研究すれば身に付きます。しかし選

挙時期を選ぶことは、政権与党には出来ても
野党には難しい。そこで政権奪取の経験がある

自由党の能力(政略)
が必要となってくる。ただし、討幕実行勢力と維新改革を行なう勢力が違

うように、政権奪取勢力と改革実行勢力は違うようだ。

 明治維新においても、討幕と明治初期の大改革は薩摩の実行力が必要であったが、その強

引さが国民の支持を失い、国民の意見を取り入れた
『立憲君主制』を進める長州(伊藤博文)

の出番となった。また山県有朋が推進する
『国民皆兵』も国防上必要であった。平成維新にお

いても、政権奪取は政略と強引さが必要かもしれないが
、国政改革は地道な努力と謙虚さ

必要である。

 今回は、政治は政治家が得意であるが、歴史は歴史家が得意と言うことで書きました。それ

にしても、
かつては政略、戦略、戦術を駆使して戦ったが、現在はマスコミをいかにして利用し

て『世論誘導』を行なうことができるかが、勝利のポイントとなった。困ったことであるが、『1・3

理論』がある以上仕方がない。ただ、世論誘導が得意な政治家が名君扱いとなり、下手な政治

家が凡君扱いされるのは納得いかない。吉田松陰先生が亡くなる前に弟子たちに残した言葉

は今までの言動や行動をもとにしたため、弟子に大きな影響を与えた。政治家の去り際の言葉

もそれまでの行動に裏打ちされたものであれば、残った人たちに大きな影響を与えるようだ。






              吉田松陰先生のコメント
                  
 (30)H22,9、30 古訪未夢

  明治維新と平成維新の比較、明治と平成の比較をしてみます。時代が変わると人間の考え

方や国のあり方も少しずつ変化していきます。先日、行なわれた民主党の代表選挙は国会議

員、地方議員、党員・党友がそれぞれ投票し、管氏の再選が決まりました。本人がいみじく


たように『明治の西南戦争』と同じだと、私も思いました。歴史家は過去の歴史を学び、現在

の状況を理解し、未来を予測するのであるが、今回はあまり自信がなかった。民主党員の良識

に期待はしていた。小沢氏の代表戦立候補は側近が自分達の存在感を誇示するために、民

意を無視して行なったもので時期尚早であった。かつて西郷隆盛を側近が自分達の都合よく動

かそうとした『西南戦争』とよく似ている。権力奪取の方法が戦争から選挙に変わっただけであ

る。ただ、西郷隆盛と小沢氏は存在感の大きさでは似ているが、違いも多い。西南戦争は古い

体質から抜けきらない薩摩勢力(武士が軍事を担当する)と維新の推進(身分制度の廃止、

国民皆兵…庶民の軍隊)をする長州勢力の戦いであった。明治維新を理解し最初から突き

進んだ長州と途中から参加し維新への理解が少ない薩摩の差が出た。平成では選挙の結

果が民主党員の良識が試されることでもあった。

  管氏は明治になって病弱だが、次の世代が育つまで頑張っている木戸孝允(桂小五郎)

のイメージであった。鳩山氏が予想より早く退陣したので、管氏にはもう少しがんばってほ

しい。以前も言ったように『平成維新』を達成するには10年は必要である。10年後には野

党にも優秀な人材(総理候補)が育つであろう。戦前は政党が特定団体の利益代表となり

国民の期待に応えられず、軍部の台頭に繋がった。平成では是非、二大政党制を完成さ

せてほしい。

  最近、日本と中国が領土問題にからみ関係が悪化しているが、冷静に両国の歴史を振り

返り判断と対応が必要である。現在の中国は戦前の日本のように軍部が強く、
覇権主義(軍

事力により国家を維持する)
の考えを持っている。戦前、日本が武力を背景に中国に無理

難題を要求した報いかもしれない。戦争で加害者になると戦争のことは早く忘れたいと思うが、

被害者は親から子へと語られ100年以上たたないと恨みは減少しないかもしれない。日本と

中国と朝鮮が同時期に維新を達成していれば協力して欧米列強に対応できたが、維新の時

期の違いが近代史の不幸に繋がり、現在にも影響が続いています。今回の政府の対応に

『弱腰批判』が各方面からわき起こっているが、戦争をする覚悟があるならともかく、その覚悟

も無いのに安易な批判は国論分裂の印象を外国にもたれ、国益を失うことになる。対外危機

のときは、政府の足を引っ張るのではなく、一致団結しないとならない。しかし、今回のことで、

中国の覇権主義と強引な手法がアジア諸国や欧米から非難や警戒され、常識のある日本の

方が支持者を増やすことになる。

 
明治においてロシアの南下政策(アジア進出)が日本や欧米諸国の共通する脅威となり、

協力関係を構築できた。平成においても中国の覇権主義がこれからも続けば、反中国包囲

網が形成されるであろう。今回のことで日本と中国のどちらが損をしたかは、いずれわかる

ときがくる。
もう少し、歴史を知らないと的確な意見もでてこない。中国が日本と同じ失敗を

しないように願っているが、人間も国家も調子に乗りすぎているときは他人や他国の言うこ

とには耳をかたむけない。状況の変化を待ちたい








          吉田松陰先生のコメント
                  
 (31)H22,11、24 古訪未夢

 
 
明治維新と平成維新の比較をしてみます。
明治維新は欧米列強の脅威から日本を守る

ために、日本の近代化と民主化を有能な人たちが推進しました。その方法は多数派工作と

妨害勢力を排除するために軍事力の行使
でした。また教育に力を注ぎ有能な人材を育て新

しい国の建設
に生かした。

  平成維新は、
民主主義の時代には改革に時間がかかることを理解しなければならない。

法律を作成し国会を通さないと改革に使えない。多数派工作を平和的手段で実施しなければ

ならない。ところが、
政府の内外に妨害勢力の存在がある。

  政府内は次の選挙までは変化しないであろう。政府外は
旧政権の勢力(歴史的に役割を

終えた政党、新党の顔をした旧政権の別働勢力)
成果を焦る一部国民と世論操作を目論む

一部のマスコミ
である。古い政党は野党時代が長くなると政党の一体化が図れないので選挙

をあせる。また新党の顔をして国民を欺いた旧政権の別働勢力は実現できないことを言って

国民の支持を得てメッキがはげるまでに選挙を実施するべきだと焦っている。両者は共に政

府の足を引っ張り改革を妨害している。改革を実施されると自分たちの支持勢力に不利にな

るからだ。またマスコミは広報媒体であり営利団体でもある。そのためオーナーの立場により

偏向報道が目立つ。

  民意についても、自分の好みの男性(又は女性)が見つかるまで交際相手を探し、いつまで

たっても結婚できない独身貴族に似ていて、自分の満足する政府を求めるあまり次々と選挙

で違った結果を求め、結果的に改革を遅らす結果となっている。もっと歴史と民主主義を学ん

で対応するべきであろう。
結果を早く求める考えは「一時の感情で動き、大局を見失う」ことに

つながる。
相手(政府)に求めるだけでなく、自分自身も努力したりじっと待つことも必要で

ある。また
感情的なマスコミ報道に影響されないように注意しましょう。





       吉田松陰先生のコメント
                  
 (32)H22,12、22 古訪未夢


 今回はマスコミ報道と戦争について語ります。幕末長州の吉田松陰は日本や中国や世界の

の歴史を深く理解し、幕末の状況を深く理解し、これからの日本の進むべき道を示しました。

それを受けた弟子たちは討幕・維新を達成しました。

  日本の歴史を深く見てみると、
日露戦争、日米戦争の前にはマスコミ(新聞、ラジオ)による

世論扇動(戦争賛美)がありました。マスコミも営利企業であり、新聞を多く売り、テレビの視聴

率を高くすることでCMのスポンサーを獲得できます。そこで国民に刺激的な報道を行ない結

果的に世論操作
世論の扇動を行ないます。

  冷静になって日本の歴史を見つめなおし、的確な判断をする必要があります。現代社会は

マスコミ機関が、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットと多様化しています。入ってくる情

報が増えるに従って、情報を選ぶ能力を身に付ける必要があります。

  選挙で言えば、投票率向上よりも的確な判断ができる人が増えないと日本の議会制民主

主義に未来はない。
太平洋戦争前、政党政治が国民から見放され軍部が台頭し戦争に繋が

りました。歴史は繰り返される。人間の発言にはいずれも意図(目的)があります。そのまま受

け止めないほうが良いでしょう。特に歴史にくわしくない人(マスコミ関係者、戦争を知らない

世代)が心配になります。






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