『飛鳥の夜明け』スタート
古訪未夢
ようこそ、あなたは
番目のお客さんです。
やまと てんのう おおきみ ごうぞく
大和朝廷では『天皇』は『大王』と呼ばれ、豪族と呼ばれた武装勢力の力関係により選出
ぼうりゃく せいりゃく あんさつ せんそう ふほう
された。そのため、時として天皇の選出において謀略、政略、暗殺、戦争などの不法な手段
ぶっきょう めぐ もののべし もののべのもり
も用いられた。 その後、仏教の普及を巡り(天皇の選出を巡り)、軍事担当の物部氏(物部守
や そが うまこ
屋)と財政担当の蘇我氏(蘇我馬子)が戦い、物部氏が滅亡し蘇我氏が台頭する。この戦いには
しょうとくたいし
蘇我氏の血を引く少年時代の聖徳太子が、蘇我氏側として参加し、仏教を守るための戦いで
すいこ
あると蘇我馬子や推古天皇に言われ、それを信じて戦った。しかし後日、聖徳太子は蘇我馬子
が権力を握るための戦いであったことに気づき、戦いにて物事を解決する手段を取らなくなっ
すしゅん めい
た。蘇我馬子は自分の思い通りにならない崇峻天皇を暗殺し、姪の推古天皇と摂政として聖徳
おい
太子(推古天皇の甥)を擁立した。このように、日本は力のある豪族が天皇を殺害して権力を手
やばん
にする『野蛮国家』であった。
聖徳太子は天皇家の一員でありながら、蘇我氏の縁戚でもあり、平和的な手段により両者を
和解・妥協させながら、庶民の幸せ追求、天皇の地位と日本の地位向上を目指した。聖徳太子
ずい
は中国の隋に使節を派遣し、進んだ文明を取り入れ、豪族や役人が法律に基づいて政治に関与
かんい
するように『冠位十二階の制、憲法十七条』を制定した。これは日本における初めての法律で
あった。これにより天皇家と豪族を筆頭とする役人に立場の違いを明らかにし、天皇家の権威
により武力をなるべく使わず物事を解決することを求めた。聖徳太子は蘇我馬子の権力欲を必
死で押え、平和的手法で国政を運営した。蘇我馬子は人望のある聖徳太子との妥協による権力
やばん ほうち
維持を目指した。このように聖徳太子の時代には日本を『野蛮国家』から『法治国家』へのス
タートを切ることができた。
おうぼう めぐ
しかし聖徳太子の死により、再び、蘇我氏の横暴がひどくなり、ついには天皇位を巡っての
そ が いるか やましろのおおえのおう
争いから、蘇我入鹿(蘇我馬子の孫)が山背大兄王(聖徳太子の子)一族を攻め滅ぼした。聖徳
すいこう
太子が平和的手段で法治国家にて天皇中心の政治を遂行する理想の道は閉ざされた。もはや残
された道は実力行使しかなかった。
なかのおおえのみこ なかとみのかまたり
聖徳太子の目指した天皇中心の政治は、中大兄皇子と中臣鎌足(藤原鎌足)に引き継がれた。
きゅうもん おう みささぎ
蘇我氏は自邸を宮門、子を王子、墓を陵と呼ばせ、天皇家と同格、あるいは天皇家に取って
そが いるか
替わろうとした。蘇我入鹿は中国の王朝交代(現王朝が衰えると力のある人間が新たに王朝を
樹立する)を見て、蘇我氏の血を引く皇子が天皇になれるのであれば、蘇我氏の主の自分が新
たに王朝を樹立して王になってもかまわないと考えた。武勇はあるが学問のない蘇我入鹿の横
暴、錯覚、勘違いは越えてはならない一線を越え一族の自滅に繋がった。
なかのおおえのみこ なかとみのかまたり あすかいたぶきのみやだいごくでん
天皇家と自らの危機を感じた中大兄皇子は中臣鎌足と協力し、飛鳥板蓋宮大極殿にて蘇我
入鹿を殺害し、蘇我氏を滅亡させる。天皇や皇子が自ら剣をふるい天皇家を守ることは、めっ
たにはない。
うちつおみ たいか かいしん
中大兄皇子は皇太子(天皇の後継者)となり、中臣鎌足は内臣となり、大化の改新(日本を
ずい とう りつりょう
隋や唐のような天皇家を中心とする律令国家とする)を開始した。日本は少しづつ法治国家
ありま
としての体制を整えていったが、中大兄皇子がなかなか天皇に就任せず政敵として有間皇子
はくそんこう しらぎ
の殺害、朝鮮にて『白村江の戦い』(日本・百済対唐・新羅の戦い)での敗戦により、権威と
てんち
人望を失う。その後、天智天皇として即位するが、唐の侵攻に備えて西日本各地に築城した
さきもり
り防人の配置など、庶民の負担は増大した。結局、天智天皇は天皇の権威を高めることに失
こころ
敗し、天皇中心の政治を目指した試み途上で病気にて亡くなった。
ち せい おおあまのみこ じんしん らん
その後、天智天皇の治世を手助けした大海人皇子は、有力豪族の支援を得て壬申の乱(天
おおとも てんむ
智天皇の子・大友皇子との戦い)に勝利し、天武天皇として即位した。天武天皇は皇族を大臣
ていき きゅうじ
として天皇親政を確立した。天武天皇は古代日本と天皇家の歴史を記録した『帝紀』と『旧辞』
を整理・編集し、『古事記』『日本書紀』の作成を命じた。またその後、天皇制の確立により
有力な側近を得た女帝も登場した。日本は権威のある天皇のもと、戦いを通して天皇を中心に
した法治国家となっていった。まさに飛鳥時代は『日本の夜明け』であった。