庭訓往来

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庭訓往来(ていきんおうらい)とは、往来物(往復の手紙)の形式をとる、寺子屋などで習字や読本として使用された、初級の教科書の一つである。南北朝後期ないし室町初期から一般化した事象についての記事を多く採録している。著者は南北朝時代の僧玄恵とされるが、確証はない。

往来物」ないし「往来」というのは、わが国の古代末期から近代初期にかけて(11世紀後半から19世紀後半)、約9世紀もの間、さかんに編まれて広く流布した一群の初歩教科書のことである。今日に残されているものだけでも、7000種をくだらない。「庭訓往来」は、その代表的なものである。

擬漢文体で書かれ、武士・庶民の日常生活に必要な実用的知識を、網羅的に収録している。衣食住、職業、領国経営、司法、職分、仏教、武具、教養、病気など、多岐にわたる一般常識を内容とする。1年12ヶ月の往信返信各12通と8月13日の1通を加えた25通からなり、多くの単語と文例が学べるよう工夫されている。長く初級教科書として用いられ、江戸時代に入っても寺子屋などの教科書として使われた。写本や注釈本、絵入り本などが多くある。

天明以降の江戸後期から末期にかけて、庶民用に改編された庭訓往来が多数普及した。それ以前のものも含めて全体では、古写本で30種、板本で200種に達する。

尚、庭訓とは、『論語』季子篇の中にある孔子が庭を走る息子を呼び止め詩や礼を学ぶよう諭したという故事に因み、父から子への教訓や家庭教育を意味する。

形式(手紙文の「書き出し」、生活上必要な「単語群」、手紙文の「締めくくり」、日付、差出人名、宛名の順序)

刊本は、大きく分けて「手本系」・「読本系」・「注釈本系」・「絵抄系」の四つに分類できる。

普及について
 「庭訓」普及についてのもっとも古い証拠は、応永28年(1421)の書写に、「10月状往返」に採られている語句のみを集めた単語集が付けられていたというもの。続いて古辞書や古往来の類に、続々とその書名が記載される。
 学習した実例としては、寛正4年(1463)、岡山の地頭館が火災の際、『御成敗式目』などとともに、「庭訓往来」を失ったという記録がある(東寺百合文書)。地方武家の子弟も使った証しと言えるだろう。
 武田信玄は享保元年(1528年)、8歳で長禅寺に登って手習い・学問を修めたが、そのひとつに本往来があったとされる。
 毛利元就に仕えた玉木吉保は、その自叙伝のなかで、13歳の頃に寺に寄宿して勉強をはじめたが、この年のうちに本往来を習い覚えてしまった、と書いている。
 近世では、中江藤樹は10歳で学び、新井白石は11歳の折に10日で浄書したという。
 1430年頃朝鮮で、日本語通詞の資格認定の国家試験の参考書に指定され、清の康熙17年・わが国延宝6年(1678年)まで、約200年の間活用された。


参考文献
石川松太郎校注『庭訓往来』東洋文庫(平凡社)1973


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