攝津正/『新しい労働社会』書評その3:よくわからない点(2010年1月3日(日))

 畏友倉数茂から賀正メールが来て、濱口桂一郎のブログで好意的に取り上げられていることを教えられた。倉数は自分の名前を出さなくても、と言っていたが僕としてはどのようにして濱口の存在を知ったのか経緯を書くことが大事であった。『新しい労働社会』とは図書館が許す限り気長に付き合っていく所存だが、まず、僕によくわからない点があることを明記しておきたい。それはホワイトカラーエグゼンプションの問題と日雇い派遣の問題である。労働運動の論理、その常識からいえば、ホワイトカラーエグゼンプションには無条件で反対、日雇い派遣原則禁止ということだと思うのだが、著者は若干異なった見解を抱いているように思える。その真意を読み解きたい。

 労働側のまともな反論
 これに対して、労働政策審議会における労働側の反論は筋が通っていました。JAM(機械金属産業労組)の小山正樹氏は「本当に自律的に、仕事量も自分がすべて調整しながら働いているんどという人はいないのではないか」「本当にそういう人がいるというのでしたら、具体的な職場なり働き方の方においでいただいて、ヒアリングでもしてみたらどうかと思うのです」と皮肉をかませながら、「実態としては、そこに自由な働き方、自立的な働き方などというのはないのだと。むしろ長時間働きすぎて、それによって過労死や過労自殺が生じているのだという実態を踏まえていただきたいと思います」と突っ込んでいる。
 この頃、過労死遺族会が厚生労働省に「自律的な労働制度」を導入しないように求めました。「労働時間規制がなければ過労死・過労自殺に拍車がかかるのは明らか。犠牲をこれ以上出さないでほしい」と、規制の厳格化や企業への罰則強化を求めたということです。
 しかし、実は経営側にはこれに対する再反論の余地は十分あったのです。そもそも上記の日本経団連の提言では「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩」と述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずる」ことを主張していました。経営側の立場から弁護士活動をしている経営法曹の西修一郎氏は、「結局、賃金対象労働時間ではないが、安全配慮義務という観点から、拘束時間は結局は管理せざるを得ないですね。だからそういう意味で拘束時間という言い方を私はしますが、それを考えればエグゼンプションをどうやっても、どういう制度をやっても、拘束時間を管理するという制度は、結局は残るのです」と述べている。
 もし経営側がこういう論理を提示して、「そうだ、在社時間や拘束時間の上限という形で労働時間を管理するんだ。それなら時間外手当は適用除外でいいんだな」と反撃すれば、労働側に二の矢があったかどうかはたいへん疑わしいと思います。しかし、そういう議論は一度も行われませんでした。(p32-34)

 「しかし、実は……」以降の議論が僕にはよく呑み込めなかった。お金の問題でなく時間の問題だというなら、在社時間・拘束時間を管理し、他方時間外手当は適用除外にする、という議論が経営側の立論としてあり得、それに対する労働側の反論は困難という理解でいいのだろうか?
 濱口は一貫して、残業代ゼロ法案というフレームアップを疑義に付しており、真に重要なのはいのちを守る時間の問題、時間の規制なのだという考え方を示している(ように僕には読める)。だとすれば、一定程度高給の人の時間外手当は適用除外という議論もあり得るのではないだろうか。この辺りが、よく分からない。

 次の僕によく分からなかったのは、日雇い派遣に関する議論である。
 頁数で言うと「日雇い派遣事業は本当にいけないのか?(p80-p82)」というコラムであるが、本当はこの章全体が重要だ。
 正直言って何度読み返してもよく分からないのだが、請負にせよ日雇い派遣にせよ、適切な労働法の規制があればいいのではないか、という議論のように思える。著者が言うように、戦前には請負に関する規制があったのに、戦後には失われていた。また、建設業では請負労働の法的規制が残っているのに製造業ではその考え方が失われた、としている。

 p83以下の議論では、製造業のみ派遣を禁止するという政策の合理性に疑問を呈し、EUの制度を紹介して対比している。それによると、「日本の議論で当然とみなされている業務限定は、EUでは違法」なのだという(p85)。著者は、本来のネガティブリストは「危険有害業務の適用除外」であると考えているようだ(p91)。たまたま不況の影響が製造業に集中的に現れているからといって、製造業派遣禁止を唱えても、非製造業に「派遣切り」が拡大していったらどうするのか、という問い掛け(p90)は本質的だ。これは労働運動では余り見られない議論のように思える。
 著者は「登録型派遣事業禁止論」にも批判的である(p92以下)。それをやっても、派遣切りが有期切りに姿を変えるだけだ、という(p92)。そしてEUの制度を対比する。
 著者の提言は、「一定の労働法上の制度の適用において、一定の要件を充たす有期契約を期間の定めなき契約と見なすという制度を導入すること」である(p97)。僕もそれには賛成だ。
 p98以降では「均衡処遇」を説く。著者は、「非正規労働者が就労を開始したときの水準は正社員の初任給を下回らないものとし、その後は定期昇給の最低ラインを下回らないものとするという形」を提言するが、もっと深くは、「賃金制度と社会保障制度総体を基本構造から改革する長期的課題」として、生活給を公的な仕組みで負担すべきことを説く。

 さて、以上の議論に関して、僕は著者の意見は合理的だと思う。ただ、運動の論理は一致団結のために時に単純化を必要とするから、著者の論理と違うからといって直ちに間違いとは言えないとは思うのだが。例えば、朝日新聞の偽装請負告発キャンペーンやホワイトカラーエグゼンプション反対運動の論理に幾らかの無理があったとしても、それは運動としては言わねばならぬ言葉であり、いわば必要悪であったと思う。均衡処遇については、稿を改めて論じたいが、生活給を公的に負担する仕組みを作ることに基本的には賛成である。労働運動は、最低、時給千円以上を求めているし、民主党のマニフェストにも盛り込まれていたと記憶するが、それだと中小企業は体力がないので実行不可能ということになりかねぬ。そうであれば、時給千円ないし千二百円に達しない分を政府が補助して、実質的に低賃金のパート労働者を救済するというのは合理的で現実的な考え方だと思う。

 ここで一旦送る。