攝津正/処方箋は有効か?━━『新しい労働社会』書評その2(2009年12月30日(水))

 濱口桂一郎は本書で、「現実的で漸進的な改革」を示そうとしている、と述べている。その試みは成功したのだろうか。

 まず、p38以下の「いのちと健康を守る労働時間規制へ」。それ以前の、ホワイトカラーエグゼンプションを巡る議論への著者の批評を読むと、暗にいのちと健康を守る労働時間規制へという視点が労使双方に欠けていたのではないかと言いたげである。(p34辺り。)この辺、僕は詳しくないので詳しい方のご意見なり批評をいただければ幸いである。著者は、「時間そのものを規制すべきではないのか」というのが「まともな議論」だと言う。

 p41以下の、「まずはEU型の休息期間規制を」で著者の考える処方箋が提示される。

 現在の日本に「時間外含めて週四八時間」という規制を絶対上限として導入しようというのは、いささか夢想的かも知れません。しかし、せめて一日最低連続一一時間の休息時間くらいは、最低限の健康確保のために導入を検討してもいいのではないでしょうか。
 上記安全衛生法改正時の検討会では、和田攻座長が、六時間以上睡眠をとった場合は、医学的には脳・心臓疾患のリスクはないが、五時間未満だと脳・心臓疾患の増加が医学的に証明されていると説明しています。毎日六時間以上睡眠がとれるようにするためには、それに最低限の日常生活に必要な数時間をプラスした最低一一時間の休息時間を確保することが最低ラインというべきではないでしょうか。
 なお、情報老連に属する九つの労働組合が、二〇〇九年春闘で、残業終了から翌日の勤務開始までの勤務間インターバル制度の導入を経営側と妥結しました。二社が一〇時間、七社が八時間と、EU指令よりやや緩やかですが、いのちと健康のための労働時間規制という方向に向けた小さな第一歩として注目すべきでしょう。(p42-43)

 尤もだと思う。その通りだと思う。だが違和感を覚えるのは、僕が一日八時間労働でも長過ぎると感じているからである。僕が惰民だからか? 闇の医療相談室というサイトで、八時間労働が辛いと書いたら、横の人がレスしてきて、正社員は一日十二時間、十三時間以上労働している、貴方は甘えているのではないか、という意味のことを言われた。それは確かに事実であろう。しかし、僕はそんな重い労働には到底耐えられない。過重労働に耐えられない者には永遠に正社員への扉は閉ざされる? そして非正規のままでは食っていけない賃金? 行くも地獄、退くも地獄とはこのことだ。例えば今日も、昨日残業であったので、過労のため体が動かず出勤できずやむを得ず欠勤して、これを書いている。僕には一日九時間労働すら無理なのだ。そういう人もいる。そういう人はどうやって生きていけばいいのか? 全く分からない。

 次の引用はp47以下からである。

 こうした男性正社員の過重労働の原因となっているのは、彼らに課せられている過重責任です。もちろん、企業がどの労働者にどの程度の責任を要求し、要求しないかは、基本的に企業労使が決めることですが、多くの男性正社員が長時間労働をしなければこなせないような過重な責任を負わされている現状のままでは、ワークライフバランスは絵に描いた餅でしょう。
 この男性正社員の過重責任が、一方では非正規労働者の低い労働条件を正当化する要因になっています。労働法学者の水町勇一郎氏はかつて『パートタイム労働の労使政策』(有斐閣)の中で、同一義務同一賃金原則を提示しました。残業や配転を自由に命じることができ、年休の自由な取得もままならない正社員と、そういった拘束の少ない非正規労働者では、待遇が異なることも正当化されるという考え方です。拘束と報酬の社会的交換という意味ではもっともな議論なのですが、それを正社員と非正規労働者に割り当てることがどこまで社会的に正当化されるかが、今日再検討すべき問題なのではないでしょうか。
 正社員のワークライフバランスの回復と非正規労働者の低い賃金・労働条件の改善とは、とりわけ男性正社員に当然の前提として課されている過重な拘束をいかに見直していくかという問題の楯の両面でもあるのです。その将来像として、今までの女性労働者の働き方を男女労働者共通のデフォルトルールとし、本人が希望して初めてそこから個別にオプトアウトできる仕組みとすることで、次章で見る非正規労働者との均等待遇問題に新たな視野が開けてくるように思われます。(p47-48)

 この議論にも賛成。僕は自分の職場で社員さんたちを見ていて、自分も社員になりたいとかなれるとは到底思えない。彼らが負わされている重い責任と過重な労働を目の当たりにしているから、自分には無理としか思えないのだ。だが、現状の賃金では生きていけない。この矛盾にどう立ち向かっていくかが自分自身の課題だ。

 ここで一旦送る。