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と 女性解放運動
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福田英子(旧姓・景山英子) 1865(慶応元)−1919(昭和2) 岡山県出身。教育熱心な母親の影響をうけて育つ。18歳の時に聞いた岸田俊子 (中島湘烟)の演説に触発されて家出同然に上京。21歳で大阪事件に連座し、 投獄される(3年)。 獄中で事件の首謀者・大井憲太郎と恋愛。出獄後、大井との間に一児をもうけたものの、やがて大井の裏切りにあい、別れる。「東洋のジャンヌ・ダルク」は彼女の虚名であった。 40歳で自伝『妾(わらわ)の反生涯』を出し、大阪事件に関与したことは大きな間違いであったことを反省。大井憲太郎が清水紫琴(旧姓・清水豊子)にも一児を産ませていたことを暴露する。 その後、平民社の仲間の福田友作と結婚したが死別。 晩年は福田の書生をしていた11歳も年下の石川三四郎と同棲。 死ぬまで言論活動はおとろえなかったが、貧窮のなか、三四郎にも去られ、不遇 のまま死去。 ☆現在、女性解放運動というと平塚らいてうからしか語れない。学校でそう習うからである。しかし平塚らいてうより20年も前に、女性の自立と開放のために闘った女たちがいたことに驚きを禁じえない。それは、男たちに遅れてやってきた女の明治維新というべきものであった。 日本の近代化の夜明けである明治維新、しかし女たちにとってそれは、夜明け以前のものであった。人としての基本的人権を要求する自由民権運動が、いかに男性本位のものであったか、これ一つをとっても分かろうというもの。 彼女たちはあまりにも早くめざめ過ぎたために、その一生も男たちに翻弄されることになったのである。 |
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福田英子40歳。『妾の半生涯』の口絵写真 |