第四章 還るべき場所

 帰ってくるつもりなんて無かった。
 再び、足を踏み入れる気も無かった。
 ここは私の居るべき場所じゃない。
 故郷なんかじゃない。
 でも、もしもう一度訪れるのなら、
 今度こそあの場所に行きたい。
 遠い日の約束。
 たどり着けなかった過去へ。






























 デートから三日後。
 アルトフォードはこの上なく重い面持ちで海里に話を持ちかける。
 「次の…目的地なんだが、どうしてもこの時期に行っておきたい場所があるんだ」
 「…………」
 忘れる筈が無い。
 忘れられる訳が無い。
 それでも言葉を濁してしまうアルトフォードの優しさが、胸に痛かった。
 「うん。グナハーンに、行きたいんだよね?」
 だから、先に言ってあげることにした。
 「あ、ああ」
 「リヴィオの命日、ちょっと過ぎちゃったけどね……」
 そう。
 春にさしかかるこの季節。
 リヴィオヴェルクは命を落とした。
 「過ぎたぐらいが丁度いいんだ。あれでも一応国家魔法師だったからな。命日はとても
じゃないが近づけない。俺も四年前、黙って国を出た身だからな」
 時期が時期なだけに謀反人扱いされていてもおかしくはない。
 入国手続きの時はいつも偽名を使っているが昔の知り合いに顔を見られたらアウトだ。
 「海理は、その、国境付近で宿をとって待っていてくれると有り難い」
 海理はグナハーンに入ることは出来ない。
 いくら魔法で姿を変えているとはいえリスクが大きすぎる。
 国境に近づくだけでも本当は危ない。
 「…………」
 海理にとってグナハーンは嫌なことを思い出す場所でしかない。
 それでも、それでも俺は親父の命日だけはちゃんと故郷で墓参りをしたい。
 我が儘だって分かってるけど、譲れない想いだってある。
 「悪いな。本当は近づくのも嫌なんだろ?でも、海理を遠くに置いていくのも心配だし
……」
 「うん。大丈夫だよ。私はもう四年前とは違うから」
 「海理、ホント…ごめん!!」
 「謝らないでよ。うん、でも心配してくれてありがとう」
 でも大丈夫。
 四年前とはもう違う。
 ただ逃げることしかできなかったあの頃とはもう違うから。
 私だって、少しは強くなったつもりなんだ。
 今ならきっと、自分の過去と向き合うことだってできる。
 強くなる。そう決めたから。
 どんなことからも逃げない。
 目を逸らさない。
 立ち向かってみせる。
 「アルト。私もグナハーンに入国する」
 「いや、それはさすがにマズイって!」
 「大丈夫だよ。姿も変えてるし」
 「でも……」
 「どうしても、行っておきたい場所があるの……」
 「…………」
 「お願い!」
 「……分かった。でも、気をつけるんだぞ」
 「うん。ありがとう」
 万が一何かがあったとしても海理と俺なら切り抜けられるだろう。
 身の危険は心配していない。
 俺が心配しているのは、海理の精神面。
 グナハーンに戻ることで、海理の精神が不安定にならなければいいのだが。


 グナハーンに発つ前に色々と旅装備を揃えておこうということになった。
 やってきたのは少し大きめの雑貨屋。
 保存食からテントまで旅用品はそこそこ揃っている。
 「海理。どこ行くんだ?」
 まだ何も選んでないうちから海理は換金所の方へ向かっていく。
 「今手持ちが少ないからちょっと換金してくる」
 「それなら俺が……」
 「いいのいいの。現金を持ってないってだけで別にビンボーって訳じゃないんだよ。こ
れでも」
 ホラ、と手に持っていた袋ををあけてみせる。
 「…………マジ!!?」
 袋に入っていたのは宝石の数々。
 一つでも売れば三年は遊んで暮らせるであろう上質の石ばかり。
 「激戦地ばかりに送り込まれてたからね。結構リッチでしょ?」
 「ハハハ……」
 リッチどころの話ではない。
 軽く俺の全財産の数十倍はある。
 「現金でもって歩くと嵩張るでしょ?だから宝石で持ち歩いてるの。銀行に預金するっ
て方法もあるけど私の場合アシがついたら面倒だしね」
 銀行のような国を行き交うネットワークには必ず捜査の手が回る。
 もし利用していたならグナハーンの情報網に確実に引っ掛かっていただろう。
 実年齢十二歳にしては賢いじゃないか。

 「グナハーンまでここから一週間はかかるよね。街道を避けるとしたら一週間野宿だか
ら……」
 海理は携帯食料と生モノの購入の割合を真剣に考えていた。
 そんな様子を微笑ましく見守りながら声を掛ける。
 「海理。携帯食は五日分でいいぞ。二日間は俺が作る」
 「え!?パンとか買うんじゃなかったの?」
 「いくら根無し草だからって多少の自炊は必要だぞ。簡易的な料理セットなら常に持ち
歩いてるしな」
 「アルトのごはん……♪」
 海理の瞳がキラキラしてきた。
 手作り料理一つでここまで喜ぶなんてこいつ一体今までどんな食生活を……いや、考え
ないでおこう!
 「海理は料理とかしないのか?」
 恐る恐るそんなことを聞いてみる。
 「したことはあるよ。前にリヴィオが料理してるの見たことがあるから。それを真似し
てみたんだけど……」
 「…………」
 嫌な予感がしてきたぞ……
 「何か凄いモノが出来上がっちゃって……それ以来どうしても料理する気になれない」
 「ハ……ハハ……ハハハハハハ…………」
 ア……アレを再現したのか!?
 ある意味すげえ!
 ここに第二の殺人料理人が居るぜ!!
 「ま、まかせろ!料理は俺担当な!海理は何もしなくていいぞぉ!!…ってゆーか何も
しないでくれ!」
 「…………」
 あ、何か傷ついてる。
 失言だったか?
 「イ…イヤ!海理が悪い訳じゃないぞ!ただ手本にした人物に問題があっただけだ!う
ん!!」
 「………うん」
 …………
 あーあ。ヘソ曲げたよ。
 仕方ない。今夜はちょっと腕をふるってうまいモノでも食わせて機嫌を直してもらうと
しよう。


 と、いうわけで野宿一日目の晩飯はちょっと手を込ませたカレーライス。
 どのあたりに手が込んでいるかというと、中に入っているニンジンがうさぎさんの形を
しているあたりかな。
 じゃがいもはさすがに崩れやすいので形を変えられなかったが……。
 「おいしー♪」
 海理も大満足のようで何よりだ。
 うさぎさんニンジンについては食べることすら葛藤を覚えるようだが……
 普通に作れば良かったのか……?
 「アルトのごはんって久しぶりに食べた」
 「そうだな。あれから色々あったしな」
 「……うん」
 少し、気まずくなる。
 「アルト……」
 「ん?」
 「今度、料理教えて。私も何か作りたい」
 「……そうだな。海理を第二の殺人料理人のままにしておくのも問題だし、よし!今度
ゆっくり教えてやるよ!」
 「ほんと!?わーい!!」
 お、久しぶりに聞いたなそのセリフ。
 懐かしさがこみ上げてくる。
 あの時は、ずっとこんな時間が続くと信じて疑わなかったのにな。

 「海理。手、出して」
 「なになにー?」
 アルトフォードは海理の手の上にカツラと眼鏡をのせた
 「変装グッズ……?」
 「グナハーンに入国するときにはそれをつけること。用心に越したことはないからな」
 海理はじーっと変装グッズを眺めた直後、実際に身につけてみた。
 一部紅の混じった茶髪は黒髪に、大きな瞳には眼鏡が装着され、知的度が当社比三くら
い上昇した。
 「似合うー?」
 「おー♪似合ってる似合ってる。この前のワンピースの次くらいに似合ってるぞ!」
 というより雰囲気がガラッと変わったな。
 これなら変装としては申し分ないだろう。
 「……二番目なんだ」
 「あれは別格。今もすっげー可愛いけどあれは反則的ってぐらいに可愛かった」
 思い出しただけでもニヤけてくるね。
 あれはスバラシイの一言に限る。
 「……アルトは、私がまたあんな服着たらうれしかったりする?」
 「着てくれるのか!!?」
 おずおずと聞いてくる海理にずいっと期待に満ちた目で詰め寄ってくるアルトフォード。
 「か……かんがえとく」
 「よっしゃ!楽しみが増えた!期待してるぜ!!」
 「う…うん」
 やっぱり次にあの服を着るときも剣は持てないのかな、とか考えつつ海理も満更ではな
い気分だった。

 「Incursio Limitare Defensio」
 半径十メートル以内に侵入制限の結界魔法をかける。
 これで結界の中は一応安全ということになる。
 万が一、結界を破って進入してくるモノがあっても結界への接触があれば結界を敷いた
アルトフォードが感知できる。
 これで夜の間は寝ずの見張りは必要ない。
 ゆっくりと眠っていられる。
 「よし。海理。もう眠っても大丈夫だぞ」
 半分くらい目が虚ろになっている海理はふにゃ〜っと地面に倒れ込んだ。
 「おやすみ〜」
 と呟いた三秒後には寝息が聞こえていた。
 早い早い。
 さすがお子ちゃま。
 「俺も寝るかな」
 荷物を枕にして、地面に寝っ転がる。
 「おやすみ、海理」
 火を消して、月灯りだけが視界を補う。

 正直なところ、海理までグナハーンに入国することになるとは思わなかった。
 リスクは高いだろう。
 あそこは、色々なことがありすぎた場所。
 「でも、俺はきっとこうなることを望んでいた」
 海理と一緒にグナハーンの地に足を踏み入れることを望んでいた。
 そうすることで俺と海理の過去に一つの区切りをつけられる気がしていた。
 「ケジメ、ってやつなのかな。これも」
 すぐ傍には穏やかな寝息を立てる海理がいる。
 心配なことはたくさんある。
 でも今はこの温もりがあればいい。


 グナハーン国境に着いた頃、アルトフォードと海理はお互いの状態を確認した。
 「カツラよーし!メガネよーし!」
 「偽造身分証よーし♪」
 偽造ってゆーな……
 確かに偽造だけどさ。
 二枚の身分証にはデタラメのプロフィールと変装済みの写真が貼り付けてある。
 俺達のことを知っている人相手だと少し怪しまれるが国境警備隊の下っ端相手ならこれ
で十分だろう。
 「一応これで入国は出来ると思うけど、本当に気をつけろよ」
 「うん。アルトもね」
 「俺はいいんだよ。もう三回目だしな。お前よりはずっと手慣れてるさ」
 「ならいいけど」
 腹を決めて、グナハーンの国境警備隊へ入国手続きの申請を行う。
 「滞在期間は?」
 いつも通りのお役所仕事。
 マニュアル通りの対応。
 良く飽きないよな、って時々思う。
 「三日間」
 念の為、海理はアルトフォードの後ろに隠れる形で入国する事になった。
 「…………」
 海理がグナハーンに足を踏み入れた瞬間、妙な違和感が体を支配した。
 微弱な違和感。
 気のせいかもしれないと思えるぐらい、それは弱々しい感覚だった。
 「どうした?フィア」
 『フィア』というのは偽造身分証に記されていた海理の名前。ここで油断して『海理』
とでも呼ぼうものならすぐさま王室に伝わりかねない。
 「だ、大丈夫。何でもないよ。ジルエット」
 ちなみに『ジルエット』とはアルトフォードの偽名である。
 とにもかくにも偽名コンビ入国成功!

 宿は目的地からそんなに遠くない場所にとることにした。
 「フィア。ツインでいいか?」
 「…………」
 海理はグナハーンに入ったときの違和感について考えていた。
 あれは、一体何だったんだろう。
 気にする程の事ではないかもしれない。
 でも、何かが引っ掛かる。
 「フィア!」
 「ーー!!ご、ごめん!ぼーっとしてた。何?」
 「シングル空いてないからツイン一室でもいいか?」
 「うん。いいよ」
 アルトフォードは受付に戻って宿泊手続きを進める。
 中心市街地から少し離れたこの宿屋は市街地に宿泊するよりも三割ほど安い値段で泊ま
れる為、利用者は意外と多い。
 シングルが空いてなかったのは痛いが、ツインがとれただけでも助かった。
 さすがにダブルはちょっとな……。

 「コラ!フィア!!寝るな!!寝るなら先に風呂に入ってからにしろ!!」
 部屋に二人っきりになった後も本名は使えない。
 ここはグナハーン。優れた魔法師もたくさんいる。
 場所の記録を引き出される可能性がある以上痕跡を残すような真似は出来ない。
 だからグナハーン国内では『フィア』と『ジルエット』で徹底することを二人で決めた。
 「おやすみぃ……ジル〜……」
 「…………」
 偽名まで略すなよ……
 完全に睡眠モードに入ってしまった海里は朝まで起きることはないだろう。
 「本当によく寝るヤツ。寝るのが好きなのか?」
 それとも……
 活動時間を削らなければならない程に消耗しきっているのか?
 「お前は……何も言わないからな」
 辛い時も、苦しい時も、決して表には出さない。
 たった一人で耐え続ける。
 笑い続ける。
 「お前は、一人じゃない。だけど、優しすぎるから……」
 だから、俺が安心できるように笑い続けるんだな。
 海理は知らない。
 海理のそんな優しさこそが俺を不安にさせているということに。
 きっと、これからも気づかない。
 「今の俺が、してやれること」
 今も自分の魔力をギリギリまで削って封呪刻印を維持している海理。
 その海理の負担を減らす方法。
 ただ一つ、今の俺に出来ること。
 「悪いな。ちょっと借りるぜ」
 アルトフォードは海理の荷物の中から黙って宝石を取り出す。
 「Fluctus Cieri Absorptio」
 宝石にありったけの魔力を込める。
 魔力の流動。
 自分の魔力が宝石に移っていくのがはっきりと分かる。
 「う……ぐ……」
 魔力を流すということは生命力を流すということに等しい。
 さすがに体への負担は半端じゃなく大きい。
 「もう……だめ……だ……」
 限界を感じて宝石から手を離す。
 「結構、込められたよな……」
 魔法そのものはあまり上手くなくても魔力だけならリヴィオヴェルクとタメを張れるの
だ。
 今、手に持っている宝石には相当の魔力が込められているはず。
 宝石を海理の荷物に戻して、立ち上がろうとしたら酷い目眩がした。
 「……!やべぇ……俺も…ベッドに直行かも……」
 風呂に入る体力は残ってそうにないな。
 海理のことをとやかく言えないじゃないか。
 「結構しんどいな。でも……」
 海理はもっとしんどかったはずだ。
 俺と違って血液そのものを魔力に変換していたのだから。
 「…………」
 こんなことしても、雀の涙ぐらいの足しにしかならないのかもしれない。
 でも、出来ることがあるうちは何かをしていたい。
 出来ることからやっていく。
 その考えは今でも変わってない。
 少しでもいい。海理の助けになりたい。
 「俺が……まも…る……から……」
 アルトフォードもまた、深い眠りの中に落ちていった。


 そのころ、グナハーン城では魔法師達の動きが慌ただしくなっていた。
 グナハーン国王依築・ハーネスト・グナハーンの寝室に緊急の知らせが届けられた。
 「何!!?その話は本当なのか!!?」
 依築はついさっき耳にした言葉が信じられずに再び聞き返す。
 「間違いありません。国境に敷いていた探査魔法陣が反応を示しました。魔力波長も四
年前のものと一致しています。間違いなく海理・ルナリス・グナハーン様のものです」
 「そうか。ようやく……!!」
 ようやく、見つけたのだな。
 海理・ルナリス・グナハーン!
 今度こそ、王の責任において貴様を処断する!!
 「入国者の照合は?」
 「既に完了しております。魔法陣が反応を示した時間に入国したのはジルエット・リー
ンとフィア・カイエの二名です。反応を示したのはフィア・カイエの方です」
 「そうか。今はフィアと名乗っているのか、小賢しい真似を……!」
 たかだか十二歳の小娘に偽名を使って入国するなどという頭が回るとは思えない。
 傍に協力者が居るはずだ。
 「ジルエット・リーン。こいつか?協力者は……」
 この男は海理の素性を知っているのだろうか?
 いや、知っているのだろう。
 でなければこんな手の込んだ方法で入国してくるはずがない。
 アレの素性も正体も知っていて、関わろうとする者がいるとはな……
 正気か?その男……
 「ジルエット・リーンについての詳細はまだ分かっていません。ただ、三年前から毎年
この時期に同じ名前で入国してきています。それから、確証はないのですが……」
 現・国家魔法師が言葉を濁す。
 「何だ?気になることがあるなら言ってみるがよい」
 「ハイ。その……ジルエット・リーンの魔力波長を調べたところ、リヴィオヴェルク・
サルヴァムの魔力波長に酷似していまして……」
 「…………」
 四年前に死んだ男の名前が出てくるとは思わなかった。
 かつてこの国に存在した最高の魔法師。
 リヴィオヴェルク・サルヴァムに酷似した魔力波長を持つ者。
 そんなもの、一人しかいない!
 「ハ…ハハハハハ……ハハハハハ……!!」
 自然と、依築は笑いがこみ上げてきた。
 この国の災厄そのものと、裏切者がともにいるのだ。おかしくないはずがない!!
 「そうか!あの男の息子か!!これは愉快だ!!」
 名前は確か、そう、アルトフォードだ!
 アルトフォード・サルヴァム。
 再びこの国に戻るか。
 災厄と共に。
 いいだろう。愚か者どもよ。
 私が教えてやろう。
 このグナハーンに、お前達の居場所など無いとう事を!!
 「緋星を呼べ!ジオクライストもだ!!」
 「ハイ。仰せのままに」
 グナハーン城には依築の笑い声だけが響き渡った。



 リヴィオヴェルクの墓には早朝に行くことになった。
 まだ、日が昇ってないうちから宿を出たアルトフォード達はシレンティウムの森の中を
歩いていた。
 この森を抜けたところに墓地がある。
 命日にはたくさんの人が訪れたのであろう。
 多くの花がリヴィオヴェルクの墓に供えられていた。日数が経った所為で殆ど枯れてし
まっているけれど、そこに残した想いは枯れていない。
 「凄いね。リヴィオ」
 「一応元・国家魔法師だったしな。これぐらいは普通だろ」
 毎年こんなものだ。
 顔も広かったみたいだしな。
 「リヴィオのお墓はたくさんの人が参ってくれる。それはきっとリヴィオがたくさんの
人に好かれていたからだと思う」
 「そうだな……」
 一部を除いて、人当たりはいい人間だった。
 多くの人に好かれていた。
 一部というのは言うまでもないだろう。
 「……ねぇ、ジルエット」
 「なんだ?フィア」
 「私が死んだら、誰かお墓つくってくれるのかな……?」
 身近に迫っている自分の死を感じて、そんな言葉が出てきた。
 「さぁな。少なくとも俺はお前の墓なんかつくらないし、参ってやる気もねぇよ」
 「……けち」
 本当は少し期待していたのに。
 アルト冷たい。
 少し泣きたくなった。
 「俺は、お前より後に死ぬ気はないから」
 「アル……ジルエット……?」
 「守るって言ったろ?だから墓なんてつくらない、参ったりもしない。どっちも死人に
は無理な話だからな」
 「…………ばか」
 「ばかって言うな。傷つくだろ」
 海理は今度こそ泣いていた。
 でもそれは嬉しさからじゃない。
 アルトフォードの心に自分と同じモノを見たから。
 その事が、すごく哀しかった。
 その場にいることも、苦しかった。
 「私、花……さがしてくる……」
 「ああ」
 アルトフォードは笑っていた。
 穏やかなまま、リヴィオヴェルクとよく似た笑い方。
 「…………」
 海理はそのまま走り去った。

 見たくない
 聞きたくない
 知りたくない

 分かってしまった。
 あの笑顔の裏の気持ち。
 アルトは、私とリヴィオが居なくなった後の世界で生きていくつもりがないんだ。
 それは、アルトの優しさであり、どうしようもない弱さでもあり、そして、耐えること
の出来ない寂しさ。
 「私が……あんな風にしてしまったの?私と……リヴィオの死が、アルトを壊してしま
ったの?」
 いやだよ。アルト。
 私、そんなのうれしくない。
 うれしくないよ……!!
 せめて、アルトにだけは生きていて欲しいのに……。
 笑っていて……ほしいのに……!
 「ねぇ、リヴィオ……私、どうしたらいい……?」
 一人で、死んでいくのは寂しい。
 だけど、もう一度アルトに出逢えたから。
 もう一度、その手をさしのべてくれたから。
 だから、一人じゃないって、そう思えたのに……!

 「どうする必要もないよ。君はここで死ぬんだから」


 「また、やっちまった……」
 リヴィオヴェルクの墓の前でアルトフォードはボーッと立っていた。
 瞳に涙をためて走っていった海理の姿がまだ瞼の裏に焼き付いている。
 「親父。俺、やっぱり馬鹿のままだよ」
 リヴィオヴェルクの魂は海理と共に在る。
 今、こうやって墓の前で話しかけているのは単なる気休めだ。
 自分への……
 また、海理を傷つけてしまった。
 でも、どうしても、想像できないんだよ。
 海理も、海理の中にいる親父も居なくなった後で、ただ一人生きている自分の姿が。
 酷い堕落ぶりだな。
 いつからこんなに弱くなった?
 アルトフォード。
 「俺、一体何がしたかったんだろう」
 海理を捜して、今度こそ守るって決めて、それだけが生きる目的になって、でもその海
理だってもうすぐ居なくなってしまう。
 幸せになって欲しいのに、泣かせてばかりだ。
 「情けねぇ。成長してねえじゃん、俺。馬鹿みたいだ」
 ガン、と近くにあった木を殴りつける。
 その時、三本のナイフが風を切った。
 「!」
 三本全てよけたところでアルトフォードはよく知る姿を見つけた。
 「確かに、四年前も、そして今の君の行動も、愚かとしか言いようがないな。アルトフ
ォード・サルヴァム」
 変わらない声。変わらない威厳。そして今にも襲いかかってきそうな鋭い殺気。
 「………ジオクライスト隊長」
 「久しぶりだな。アルトフォード。いや、今はジルエット・リーンと呼ぶべきか?」
 ジオクライストの後ろには二十人ほど控えていた。おそらく、その全てが特務隊の人間
だろう。見覚えのある顔も何人か居る。
 「どちらでもかまいませんよ。どうぞお好きに」
 すでに囲まれたアルトフォードは自分の剣を抜いた。
 「まさか、再びこの国に戻ってくるとは思わなかったぞ。しかも忌子まで一緒とは」
 シュン、とナイフがジオクライストの方へと飛ぶ。先ほどアルトフォードを狙ったナイ
フは持ち主であるジオクライストの頬を掠めた。
 「ナイフ。返しておきますよ。次にその言葉を言ったときには残り二本を心臓と脳天に
お返しすることになりますがね」
 その顔からは四年前の少年らしい面影は一切消えていた。
 その瞳からはナイフのように鋭い殺意が感じ取れる。
 不敵に笑うアルトフォードにジオクライストの部下が声を荒げる。
 「貴様!!」
 「隊長!!」
 「静まれ!たいしたことはない、狼狽えるな!!」
 ぱっくりと裂けた頬を押さえてジオクライストが自分の部下を牽制する。
 「俺のところにこれだけの兵が送られているって事は、当然海理の方もマークされてい
るんでしょうね……」
 「ああ。緋星殿下が向かっている。思ったより冷静だな。心配ではないのか?」
 「別に。あいつ俺なんかよりずっと強いし。むしろ殿下に同情するね。短い人生だったなって」
 アルトフォードがそう言って周りを見下しきった目で眺めた後、ジオクライストの部下
が一斉に襲いかかってくる。
 「そしてあんた達にも。その程度の人数でのこのことやってきた馬鹿さ加減に、同情す
るよ!」

 「ぐっ!!」
 「うあぁ!!」
 「がはっ!!」
 一人、また一人とアルトフォードによって倒されていく。
 「一対多数で襲いかかられて手加減しれやれるほど俺はお人好しじゃない。お前ら全員
死んでも恨むな」
 アルトフォードは向かってくる敵全てを殺した。
 かつての同胞だったことなど関係ない。
 敵に情けなど必要ない。
 墓地が血で染められていく。
 絶望と悲鳴が響く中、アルトフォードただ一人が笑っていた。
 それは狂気にも似た笑い方。
 弱者を痛めつけるときの高揚感。
 本来、アルトフォードにそんな嗜好はない。
 しかし、今はグナハーンに対する複雑な思いが、アルトフォードの心のタガを外してい
た。


 「君はここで死ぬ。だから他人の心配なんて必要ないんだよ」
 海理の目の前に現れたのは十七、八歳ぐらいの青年と、その他大勢の兵士達。
 「はじめまして。海理・ルナリス・グナハーン」
 海理は自分を殺しに来た相手の顔を正面から見据える。
 「…………」
 「僕は緋星・アスライツ・グナハーン。依築陛下の命で君を殺しに来た」
 緋星は軽く頭を下げた。
 「緋星……兄……上……?」
 「兄と呼んでくれるとは思わなかった。まいったな。少しうれしくなってきた。僕が君
の存在を知ったのはつい最近でね。どんな子なのかなって、正直会うのが楽しみだったん
だ。たとえその後、殺すことになってもね」
 緋星の後ろには十数人の魔法師達が呪文を発動させる。
 「なるほど。グナハーンに入ったときの違和感はこういう事だったんだ。もう四年経つ
のに、陛下も随分と執念深い」
 発動した魔法は動きを封じるものでも、攻撃呪文でもない。
 封じたものはただ一つ。
 「それで?兄上自らが私を殺しに来たワケですか?」
 「王命だからね」
 数人の兵士に囲まれた海理は静かに笑っていた。
 「君に魔封じの呪文を掛けさせてもらった。これで僕たちを魔法で攻撃することは出来なくなった。さあ、どう切り抜ける?」
 緋星は海理を試すように問いかけた。
 海理から魔力を奪ってしまえば、ただの子供に過ぎない。
 そう、考えているのだろう。
 「ふ……ふふふ……あっはっはっはは!!」
 海理はその場で大笑いした。

 何も分かっていない。
 何も知らない。
 なんて、馬鹿な人達……
 なんて、おめでたい人達……
 
 笑いながら、海理の姿は十二歳に戻っていった。魔封じの影響で自身にかけていた魔法
が解けていく。
 気が済むまで笑った後、完全に十二歳の姿に戻った。 
 その小さな体でニホントウを抜く。
 「悪いけど、気長に相手をしている暇はないんだ。早く、アルトのところに戻らないと
いけないから」
 「余裕だな。魔力を使えない子供に何が出来るか見せてもらおう。あの裏切者のとこ
ろにもジオクライストが出向いている。どちらにしても君に還る場所なんて無いんだよ」
 「…………」
 裏切者。
 アルトは、そんな風に呼ばれているんだ。
 ごめんね、全部、私の所為なんだよね。

 「わざわざ魔封じなんかかけなくても今の私は魔力なんて使えない。そんなもの雑魚相
手になんか必要ないし?」
 意識が高揚する。
 十二歳に戻った小さな体が、森の中を疾走する。
 海理に襲いかかる全ての人間が鮮血を撒き散らしながら倒されていく。
 悲鳴がこだまする。
 「あんたたち、弱すぎるよ」
 人を殺すことに、随分と慣れてしまった気がする。
 血を見る度にこみ上げてくる熱い感覚。
 今はもう、全然苦しくない。
 もっと、血を見たい
 もっと、悲鳴を聞いていたい
 もっと、誰かを痛めつけたい
 躊躇うことなんて無い
 だってみんな、敵なんだから
 私は、自分の身を守っているだけ
 だから、罪の意識に苛まれる必要なんて無い
 全部、殺してしまえばいい

 声がする。
 私の中の誰かじゃない。
 これは、私の声。
 私の意志。
 これは、わたしのココロ。

 壊せ

 殺せ

 全てを!


 アルトフォードがジオクライストの部下を九割ほど片付けた頃、残った人間は既に後退
の足取りになっていた。
 「つ、強い!!」
 「隊長!我々だけでは無理です!!」
 「…………」
 血まみれの剣を一振りして、血を落とす。
 「なんだよ、もう終わりか?だったら向かってくるなよ。面倒だから」
 アルトフォードは剣を携えたままジオクライストの方へを歩み寄る。ジオクライスト達
が道を塞いでいるその先に海理がいる。
 もう、あいつらなんて眼中にない。
 早く、海理のところへ向かわないと。
 相手が緋星殿下となると海理も平静ではいられないだろう。最悪、反転する恐れもある。
 「どけよ、まだ死にたくないだろ?」
 その一言だけで、道は開いていく。
 特務隊も随分と軟弱者が増えたものだ。
 「まて、アルトフォード」
 アルトフォードを呼び止めたのは他でもないジオクライスト。部下達とは違い、剣を構
えてアルトフォードの行く手を阻む。
 「強くなったな。アルトフォード。あの時とは比べものにならない程に」
 「ずっと、戦場にいましたから。王室警護で平和ボケした奴らなんかに遅れはとりませ
んよ。そして隊長、あなたにもね」
 「本当は逃げたい。しかし私には責任がある。ここを通すわけにはいかんのだよ」
 ジオクライストはそのままアルトフォードに斬りかかってきた。
 重くて、鋭い斬撃を受け流しながら海理の居る方向を見据える。

 もう少し、待っていてくれ。
 必ず行くから。

 右に薙ぎ払った剣を後ろに飛ぶことで避けて、着地と同時に地を蹴ってガラ空きになっ
た胴体に自分の剣を突き刺した。
 「ぐっ……!!ア…ルト……フォード……!!」
 腹部を貫かれたジオクライストは手に持っていた剣を地面に落下させた。
 どばどばと流れ落ちる血液。
 下がっていく体温。
 襲いかかってくる激痛。
 アルトフォードは顔色一つ変えずに自分の剣をそのまま引き抜いた。
 「ぐあ!!」
 ジオクライストの腹部に再び激痛が走り、そのまま地面に倒れ込んだ。
 「急所は外しました。大人しくしていれば助けが来るまでは保つでしょう」
 「…………」
 ゴフッと口から大量の血を吐き出したジオクライストは力の入らない右腕を伸ばし、ア
ルトフォードの足首を掴む。
 「…………」
 アルトフォードは一切の容赦なくその手を踏みつけた。そのままぐりぐりと体重を載せ
て痛めつける。
 「ぐ……!あっ…!!ぐっ!!」
 耐えきれずジオクライストが呻き声を漏らす。
 指の骨が全て踏み折られた。
 「本当に殺しますよ」
 見下ろすその目には冷酷な光が宿っていた。
 少年らしいあどけなさも、無邪気さも、あの頃の面影など一切感じさせない冷たい眼差
し。
 「変……わったな…アルトフォード……」
 「年月は人を変える。四年もあれば、様変わりして当然でしょう」
 「君は、この国の騎士だった……はずだ。グナハーンと、そして陛下に忠誠を誓った誇
り高き騎士。それなのに……なぜ、我らを裏切った…!?」
 自慢の部下だった。
 いずれは自分の後釜になったであろう、将来有望な若者。
 それがなぜ……!
 「隊長。俺はあなたにとって良い部下ではありませんでしたね。今も昔も。俺は、守る
べきものを選んだだけなんです。この国を守ることよりも、陛下への忠誠よりも、俺には
海理を守ることの方が大事だった。騎士としての裏切りはその結果に過ぎない」
 「……そうか」
 アルトフォードは倒れたままのジオクライストを一度振り返る。
 「……親父の好きだったルーシスの花。毎年、その花が必ず墓前にありました。すぐに
隊長だって分かりましたよ。急所を外したのはその礼みたいなものです」
 いつも、喧嘩ばかりしていたけれど、本当は誰よりもお互いを認めていた二人。誰より
も理解していた存在。
 だから、あの花は隊長だって確信していた。
 「もう、行くがいい。私の……負けだ」
 アルトフォードはその場から走り去った。
 ジオクライストは遠のいていく意識の中でその姿を見送る。
 「随分と、変わってしまったと思っていたが……本当は…何一つ、変わってなどいない
のかもしれんな……リヴィオヴェルク」
 氷のような殺意は決意の表れで、悪魔のような冷酷さは、歩んできた道の過酷さを示し
ている。
 それでも、根っこの部分は変わっていない。
 純粋で、真っ直ぐで、自分の信念にこの上なく一途に生きている。
 四年前の惨劇がなければ、アルトフォードはきっと今も変わらずあのあどけない笑顔を
見せてくれたのかもしれない。
 二度と戻らないであろう、あのあたたかな面影。


 「海理!!」
 アルトフォードが海理の元へ辿り着いたとき、そこは血の海となっていた。
 いつかの光景が蘇る。
 十二歳の姿に戻った海理は、紅い髪、紅い瞳の姿でそこに立っていた。
 「反…転……!?いや、ちがう。まだ完全に消えたワケじゃない!!」
 酷く微弱になってはいるが、まだリヴィオヴェルクの気配は感じ取れる。
 まだ、封呪刻印が消えたワケじゃない。
 まだ、間に合う!!

 「痛い?でもしょうがないよね……弱いんだから」
 「ぐ……あぁぁぁぁぁ!!!」
 海理は倒れている兵士にざくざくとニホントウを突き刺す。
 何度も、何度も……
 楽しそうに。

 「海理!!」
 アルトフォードは海理の腕を掴みあげた。
 海理の腕からニホントウが落ちる。
 「ア……ルト……?」
 「もういい。海理。やめるんだ……」
 「…………」
 海理は赤い瞳を見開いてアルトフォードの顔をじっと見上げる。
 「海理。頼むから……!もう、十分だろ!?」
 「…………」
 海理の髪が徐々に茶色に戻っていく。
 瞳からも紅い光が失われ、そのままアルトフォードの方へと倒れ込んだ。
 「いい子だ。それでいい」
 「アルト……ごめん、私……」
 「悪かったな。遅くなって。もう、大丈夫だから」
 アルトフォードは倒れてきた海理を強く抱きしめた。

 「助かった、と言うべきなのかな?アルトフォード・サルヴァム」
 片手に海理を抱えたまま、声のする方へと振り返る。
 「緋星殿下」
 「安心していい。これ以上君たちをどうこうするつもりはない。と、いうよりこっちが
全滅しかねないからね。逆に僕たちを見逃して欲しいぐらいだ」
 「……調子のいい事を!」
 「分かっているさ。もちろんただでとは言わない。明日の午前中まで、君たちがこの国
にいる間、我々は手を出さないと約束する。本当なら今すぐに出て行って欲しいところだ
けど、海理を休ませる必要があるだろう?僕が陛下に話をつける。明日の午前中まで君た
ちに時間を与えると言っているんだ。どうだい?悪い話ではないだろう?」
 「…………」
 確かに緋星の出してきた条件は悪くない。
 いくら俺でもこの状態の海理をつれてグナハーンの追手を振り切るのは難しい。
 「なぜわざわざそんな事を?このまま兵達を投入すれば俺達を殺すことも出来るかもし
れないのに」
 わざわざ俺達に手を貸す物言いをする緋星が分からない。
 「そうかな?このまま攻め続けてもこちらの被害が拡大するだけだと思うね。海理は魔
力を封じた状態でなおこれだけの力を持っているんだ。もし再び暴走したならば、四年前
の惨劇の比ではないだろう……」
 「よく、分かってるじゃないか……」
 緋星の言う事は当たっている。
 もしあの状態が続いていれば海理の封呪刻印は確実に消滅している。その時こそ、大規
模な破壊が行われていただろう。
 「僕は、この国の王位継承者として最善の道を選ぶ義務がある」
 「…………」
 緋星は、為政者の顔をしていた。
 後にこの国を治めるものとしての威厳と貫禄が、既にこの少年には備わっている。
 「分かった。その条件を呑んでやる。俺達は明日の午前中までにこの国を出る。そちら
から仕掛けてこない以上は大人しくしててやる。それでいいか?」
 「ありがとう」
 「……礼を言うところか?そこは」
 「何となくね。君たちを見ているとそんな気分になった」
 「何だよそれ……」
 アルトフォードは海理を抱えたまま緋星を睨みつける。
 「僕は、海理に会ったのは今日が初めてなんだ。最近まで自分に妹がいることすら知ら
なかった。そして陛下から聞いたのは海理という名前の妹がいる事と、四年前の惨劇の記
録のみ。だから僕は海理をこの国の災厄と言っていた陛下の言葉をそのまま信じた」
 アルトフォードは緋星を見据えたまま、黙って話を聞いていた。
 緋星もそのまま話を続ける。
 「でも初めて海理に会ったとき、海理は僕のことを兄上と呼んでくれた。それが、少し
うれしかった。そしてアルトフォード。君と海理の絆の深さ。あれだけ変貌していた海理
を一瞬で元に戻した。海理がどれだけ君に心を許しているかが、よく分かった。君たちは
我々が危害を加えようとしなければ無害だ。違うかい?」
 自分の目で見て、理解したこと。
 与えられた情報だけが全てではない。
 目の前にいる人間が無害だと分かれば、攻撃を仕掛ける理由もない。
 「俺達はリヴィオヴェルク・サルヴァムの墓参りに来ただけだ。この国に対してそれ以
上の干渉を行うつもりはない」
 どうやら緋星は陛下よりも随分と話の分かる人間のようだ。
 彼がこの国を治めていたならば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
 「僕はこの国の王位継承者だ。だから、この国に害を為す者を放っておく事は出来ない。
でも、良き王になりたいと思っている。正しい道を選びたいと思っている。だから、僕は
もう君たちを追わない。陛下の説得はさすがに無理だけどね。あの方は自分の意見は決し
て曲げない」
 そう言った緋星の瞳はひどくすまなさそうだった。
 そして、くやしそうでもあった。
 「緋星殿下。一つ教えておいてやるよ」
 「?」
 「俺も、海理も、そしてかつてのリヴィオヴェルクも、あの時望んでいたのはたった一
つのことなんだ。ただ、三人で笑い合える日常。それだけでよかった。それはリヴィオヴ
ェルクが死んだ今も変わらない」
 「アルトフォード……」
 「だから、もうグナハーンには二度と戻らない。俺も、海理もな」
 アルトフォードはそのまま緋星の前から立ち去ろうとするが、緋星にその腕を掴まれた。
 「殿下?」
 「アルトフォード。頼みがある」
 緋星の腕は震えていた。
 たった一言を言う為に、こんなにも緊張している。
 「一度でいい。海理を、抱きしめさせて欲しい」
 「…………」
 「僕に、そんな資格がないのは分かってる。でも、それを承知で頼む……!!僕は……」
 緋星の言葉が終わる前に、アルトフォードは抱えていた海理を緋星の傍に寄せた。
 「アルトフォード……」
 「早くしろ」
 緋星はそのまま海理を抱きしめた。
 強く、強く抱きしめた。
 「海理、すまない。君に…酷いことをした。酷いことを言った。それなのに、僕は君を助けることが出来ない。酷い兄で、本当にごめん……!!」
 緋星は自分の無力さに歯を食いしばる。
 「……兄……上……?」
 「海理!?」
 そこには、意識を失っていたはずの海理が目を覚ましていた。緋星の腕の中で。
 まだ、完全に覚醒はしていないのだろう。虚ろな目のまま緋星を見ている。
 「兄上の腕……あったかい……」
 海理は穏やかに笑う。
 緋星に対して初めて見せた笑顔。
 海理はこの時初めて本当の家族の腕に包まれることが出来た。
 「海理。ぼくはただの『緋星』として君の幸せを願っている。それだけ、言いたかった」
 緋星は海理をアルトフォードの腕へと戻した。
 海理はその腕を緋星の頬へと伸ばす。
 「兄上……私は、あなたの妹でいてもいいよね……?」
 「ああ。もちろんだ」
 海理は緋星に笑いかけた。
 そしてそのまま意識を失った。
 緋星は、それで十分だった。

 「緋星殿下。グナハーン王家が海理にした事を、俺は決して許さない。でも、あんたが
いた事は海理にとって一つの救いだったはずだ。俺も、あんたがいい王になることを願っ
ている。ああ、ついでに向こうに隊長が倒れているから助けてやってくれ。あんたならで
きるだろ?見たところ魔力は強そうだ」

 アルトフォードは今度こそ緋星の前から姿を消した。
 
 強くて、そして優しい人たちだった。
 もう二度と会うことのない家族。 

 「僕も、強くなるよ。色々な意味で……」
 緋星はアルトフォードの言葉通りにジオクライストの救出へと向かった。