プロローグ

 生きている意味なんて特に無かった。
 それでもこのからだは熱を持ち、鼓動を打
って、息をしている。
 瞳を閉じれば蘇る過去の残滓。
 血に塗れてなお求めるものがあるのなら、
それはきっとただひとつの約束。
 あの日交わした約束を、誓いを、果たしたい。
 生まれて初めての、最初で最後の約束。
 叶わない事と理解しても、それでももし許されるのなら、ただひとつだけ。
 この命が終わる前に…
 この願いを…



























第一章 戦場での再会

 炎と血の匂いに包まれた大地に、幾人もの人影が舞う。
 交える剣の音は旋律に、飛び散る鮮血は花のように、ただ戦場を彩る絵の一部となる。
 「どけ!」
 ひとり、またひとりと斬り倒して行く。
 刃は血を浴びて、脂がこびりつき、切れ味が劣り、峰打ちと変わらない代物に成り果て
ても、向かってくる敵を貫いた。
 絶望も、孤独も、恨みすらもこの身をすり抜ける。
 そんな物に囚われていてはとっくに死んでいる。
 「アルトフォード!後ろだ!」
 「分かってる!」
 声をかけられた時には既に振り向きざまに剣を振り下ろしていた。
 
 肉を裂く音がする。
 骨を砕く音がする。
 返り血がまとわりつく。

 この地獄絵図は更に半日続いた。

 
 月が見下ろす静寂の下、小さな滝の中に身体を潜らせる。 
 バシャバシャと落ちてくる水とともに、体中に浴びせられた血も少しずつ落ちていく。
 「アルトフォード。メシ置いとくぞ」
 「おう。悪いなガルヴィ」
 ようやく血を落として滝の中から出てきたアルトフォードは自分の食料を確保してくれ
た仲間に感謝の意を告げた。
 「落ちたか?」
 「何とか…」
 「今日は失敗した。全身血まみれになったからな。生臭くて堪んないよ」
 「まぁあれだけの人数だったしな。ウチも半数はやられた。それこそ返り血にまで気を
遣ってる余裕なんざなかっただろ」
 「まぁな。でも血でベトベトな上に内臓やら肉片やらが身体にへばり付いてくんのはち
ょっと勘弁」
 「…俺はメシ時に平気でそんな話するお前の方が勘弁してくれと言いたいがな」
 うぇ〜っと食欲が半分は減退したガルヴィから半睨みされたアルトフォードはスマン!
と両手を合わせて謝った。
 「悪い悪い。まぁ明日までの辛抱だ」
 アルトフォードは月を見上げた。
 少しだけ欠けた円が、明日は満月になるだろうことを教えてくれた。
 「明日…か」
 この国の内乱に傭兵として参加して一ヶ月。
反乱軍の鎮圧もあらかた終わり、残る仕事は後退している残党を制圧するのみとなってい
た。
 現在先陣を任されているこの傭兵部隊は、一言で言うなら『使い捨て』。
 正規軍を簡単に送り込めないような厄介事を引き受けている。
 たとえば最前線、囮、陽動、攪乱など。
 おかげで生存率はとても低い。
 当初は百五十人はいたであろう部隊で最初から今まで生き残ったのは三十人弱。残りは
全て補充兵。使い捨てもここまできっぱりしていると文句も浮かばない。
 それも明日で終わる。
 反乱軍が最後の悪足掻きとして陣取っている砦を制圧すれば、この部隊の仕事は終了だ。
 そこから散っていった残党の処理は正規軍がやるだろう。
 「アルトフォード」
 「ん?」
 「この戦いが終わったら、どうする?」
 既に生き残ること前提の会話だった。
 「うーん。どうすっかなぁ〜。また別の戦場でも探すさ」
 「意外だな」
 「何が?」
 「戦に身を投じなければならない程金に困っている様には見えない。ただ血を求める殺
人狂にも見えない。それだけ腕が立てばどこの戦場に行っても重宝されるだろう。だがお
前さんには戦場を渡り歩かなければならないような理由があるようには見えない」
 「確かに金には困ってないな。別に戦好きってわけでもないし」
 「気になるね〜」
 ガルヴィはいかにも興味あります、といった面持ちで詰め寄ってきた。
 「人捜しをしてるだけさ」
 「戦場で!?殺人狂か?そいつ」
 戦場を渡り歩いて捜さなければならない奴なんて一体どんな危ない奴だよ!とガルヴィ
は顔をしかめた。
 「さぁな。ただ何となく戦場で会える気がするだけさ。真っ当な環境に身を置いて生き
ていける奴とは思えないしな」
 「…なんかヤバげな人生送ってるな。お前もその捜し人も。リスク犯してまで捜す程拘
ってんのか?親の仇とか?」
 「親の仇…ね。確かにそいつには親父を殺されたっけ…」
 「おいおい…」
 親の仇と自分で口にしておいて、その表情はまるで穏やかなままというのは別の意味で
怖い。相手への憎しみがまったく感じられないというのは一体どういうことなのだろう。
 「逢ってどうするかはおいおい考えるさ」
 「…ま、いいけどな」
 他人の込み入った事情に首を突っ込んでも仕方が無い。
 余計なことを考えた分だけ命を縮める。
 ここはそういう場所なのだ。

 「そういえば知ってるか?」
 「何を?」
 「敵さんの中に『死神』がいるらしい…」
 「…………」
 大真面目にそんなことをヌカしたガルヴィを見てアルトフォードは大笑いした。
 「バーカ!!んなこと言ってたら俺達みんな『死神』じゃねーか!!」
 まさか戦場で大真面目に『死神』なんて口にする奴がいるとは思わなかった。
 『死神』
 魂を狩るもの
 命を奪うもの
 人を殺すもの
 まさしく今の自分達にぴったりと当てはまるではないか。
 「ひっでーなぁ。そこまで笑うか普通?俺だって噂で聞いただけなんだよ。圧倒的に有
利な人数だったのに気がついたら周りの仲間がほとんど殺されていたんだってさ。たった
一人相手に」
 「ほーう。そいつはまた…」
 「そんで生き残った奴の話によると、その『死神』は返り血を浴びて変わった剣を突き
立てたまま笑っていたらしい」
 「…………」
 「恐怖でまともな理性が働かなかったんだろうなぁ。命からがら逃げてきて、戻ったと
きには『死神』の噂をばら撒いてたってワケだ」
 何とも情けない話だ。ただ単に自分たちが弱すぎたというだけの話ではないのか?
 「敵さんも切羽詰ってるころだし明日あたり俺たちもその『死神』サンを拝めるかもし
れないぜ」
 「へぇ。そりゃ楽しみだ」
 人殺しばかりの戦場で『死神』の名を冠する者がどれ程のものかほんの僅かに興味を抱
いた。
 満月の下に佇む死神。
 ひょっとしたらものすごく絵になるかもしれない。


 最後の仕事は拍子抜けするほどあっけなかった。
 反乱軍の残党は思っていたよりもずっと少なく、陣取っている砦の制圧は時間の問題と
いったところだ。
 「結局『死神』サンとは逢えずじまいか」
 噂なんて所詮その程度のものだ。
 それなのにほんの少しだけがっかりしたのはやはりどこかで期待していたからかもしれ
ない。
 「…何か手がかりになればと思っていたんだがな」
 敵の九割方が退却を始めた頃、『それ』は姿を現した。
 「−−−−−−!!」
 人間が、まるで紙のように斬り捨てられていく。
 ひとり、またひとり。
 断末魔の声が上がっていく。
 地獄の切れ端。

 みつけた… 
 あれが…

 「『死神』」
 それは少女の姿をしていた。
 そして変わった形の剣を持っていた。
 刀身が細く、美しい形状をしたもの。
 見覚えがある。
 あれは確か『ニホントウ』という剣だ。
 今はもう存在を目にすることも稀な代物。
 前文明の遺物。
 とにかく歴史的価値の高いものだということは分かる。 
 しかしよくあんなポンコツを実戦で使う気になれたものだ。
 「…………」
 次々と味方が斬り倒されていく中、その死神は確かに笑っていた。
 そしてその刃はまもなくアルトフォードに狙いを定める。
 「−−−!!」
 咄嗟に防御の構えを取ることで何とか初撃は防いだ。
 だが繰り返される連撃は鋭く、こちらから攻撃に転ずることが出来ない。
 「アルトフォード!!」
 「下がっていろ!お前らが敵う相手じゃない!!」
 駆け寄ろうとしていたガルヴィ達を怒鳴りつけることで牽制する。
 剣を交えた時から理解した。 
 目の前の『死神』と呼ばれる少女は恐ろしく、強い!

 アルトフォードと少女の小競り合いは暫く続いた。
 剣を交える音と、大地を蹴る音が無数に響いていく。
 「すっげー…」
 「あいつがあんなに苦戦するの、初めて見たな」
 ただ目の前で繰り広げられる戦いに、ガルヴィたちは息を呑む。

 「くっそ…!!」
 互角どころの話ではない。
 完全に押されっぱなしだ。
 「……ル……ト…」
 「!?」
 今まで速過ぎる動きと長い髪に隠れていた少女の顔をようやく見ることが出来た。
 視界に入ったのはまだ十五、六歳くらいの幼い少女の顔。
 そしてその端正な顔は、血に塗れて笑っていた。
 確かに、笑っていた。
 とても、無邪気に。
 そのとき僅かに少女の瞳が紅く光ったように見えたのは、気のせいだろうか?

 「……お前」
 その瞳が酷く、懐かしい感覚を呼び起こした。
 「ア……ルト……」
 「−−−−−−!!」
 再び繰り返される激しい連撃。
 まだだ!
 まだ何とか防げる!!
 「な…!?」
 次の瞬間少女が仕掛けてきた攻撃はまったく予想外のものだった。
 鋭く振り下ろされた剣を紙一重で避けたところに、振り下ろした剣をそのまま地面に突
き立て、その剣を軸に体を反転させて蹴りをいれてきた。
 「ぐっ…!!」
 まったく予期していなかった攻撃の為、防ぐことも出来ずに直撃を喰らった。
 更に手にした剣の柄で顎を強打され、地面に倒される。
 後は剣を振り下ろせばそれで終わる。
 完全に負けた。
 「アルトフォード!!」
 近くでガルヴィが叫んでいるのが聞こえた。
 もうすく、あいつの声も聞けなくなるのか。
 だがその呼びかけに反応したのは…
 「…………」
 まさに剣を振り下ろそうとしていた少女の方だった。
 少女はそのまましゃがみこんで剣を持っていない方の手で、額に触れてくる。
 左眼の少し上に刻まれた歪な傷跡。
 触れた手からはかすかな戸惑いと、震えが伝わってくる。
 「…ア…ルト…」
 「お…おい…?」
 「アルトフォード…サルヴァム…」
 「お前……」
 予感が確信に変わった瞬間。
 目の前を染めたのは真っ赤な血の色。
 少女の体は名前を呼んだ直後に血を吐いて崩れ落ちた。

 「アルトフォード!!無事か!?」
 少女が倒れた後慌てて駆け寄ってきたガルヴィは呆然とするアルトフォードを抱き起こ
した。
 「無事…っつーか……」

 頭がこんがらがってきた。
 一体何がどうなっているんだ?
 ただ一つ言えるのは目の前に倒れているこの少女は見知らぬ『死神』ではなく俺のよく
知る人物かもしれないということだ。
 信じ難いことに。

 「こいつ…どうする?」
 「いきなり血を吐いて倒れるし、正直訳分かんないな…」
 「だが起き上がられても厄介だ」
 ガルヴィは剣を抜いて、倒れている少女に止めを刺そうとしていた。
 「よせ!!」
 「アルトフォード!?」
 「やめろ!ガルヴィ!!」
 「おいおい、まさか今更になって女子供に手をかけるななんて言うつもりか?」
 「そうじゃねぇ!俺はまだこいつに用があるんだ!勝手に殺すな!!」
 「用って…」
 アルトフォードは倒れている少女の胸倉をつかみ、そのまま乱暴に起こした。
 「海理…なのか…!?」
 「………」
 「答えろ!!」
 「……リ…ヴィオ…ヴェルク…」
 「お前…!!」

 『リヴィオヴェルク』
 『海理』に殺された父親の名前。

 左手で胸倉を掴み上げたままもう一方の手で剣を突きつける。

 額の傷が熱い。

 『海理』につけられた額の傷跡。

 こんなことをしたかったわけじゃない。
 こんなことの為に四年も探し続けてきた訳じゃないのに…
 感情が、それを揺るがす。
 殺したかった訳じゃない。
 ただ、理由が知りたかった。

 「何で…何も言わないんだよ…!」
 「…………」
 海理は瞳を閉じて自らに向けられた刃にその首を近づけた。
 「いいよ…。アルトには…その…権利が…ある…」
 「………くそったれっ!!」
 結局、その剣を海理に突き立てることは出来なかった。
 そして海理はそのまま意識を失った。

 「アルトフォード…。お前が捜してたのって、もしかして…」
 「…………」
 アルトフォードは何も答えなかった。
 
 信じ難いことに、こいつが海理であることは間違いない。
 色々と辻褄の合わない事柄も多いし、ここまで弱っているのも予想外だった。
 俺にも、海理にも、残された時間はあまり多くない。
 だったらやることは決まっている。
 真実を知ること。
 そして可能ならば…


 「ガルヴィ…俺、ここで抜けるわ」
 「…そっか。短い付き合いだったな」
 ガルヴィは遠ざかっていく同僚を止めようとはしなかった。
 どんな言葉をかけたところで、戻ってこないことを理解していたから。
 それでも一言だけ声をかけることを決めた。
 「アルトフォード!」
 「…………」
 「俺はさ、迷ってるときは過去のしがらみを一度飲み込んで、僅かな間でも平穏を選ぶ
のも、悪くないと思っている」
 「…………」
 一度だけ振り返ったアルトフォードは、少し困ったように笑っただけだった。

 そして一人の男は戦場を去った。
 過去の決着をつけられないままに。
 答えを先延ばしにすることを選んだ。
 その先に待ち受ける運命も知らずに…