第二章 封じられた記憶

 俺はあの日、確かにお前に救われた。
 だけど、俺を救ってくれたお前が、いつまでも救われない。

 気に入らなかったんだ。
 無くして惜しい記憶だとは俺は絶対に思わない。
 むしろ無くした方がいいに決まってる。

 だけどやっぱり今になって思い知るんだ。
 全てにフタをすることは出来ないんだな。
 
 だけど一つだけ変わらないこともある。
 俺は、お前の『マスター』じゃなくて『家族』になりたかったんだ。

 『ミルアルド』のマスターじゃなくて、
 『ディート』の家族に……
 



























 冷たい雨が降りしきる。
 見上げた空は、雲と水ばかり。
 雨が全てを洗い流してくれるというのなら、どうか……このどうしようもない絶望も洗い落としてくれ……


 「お前……」
 絶望に打ちひしがれるアルティオ・トーディロスの目の前には、落ちていく水の粒と、そして落ちていく命があった。
 ボロボロに破壊されたヒトガタ。
 手足がちぎれかけ、指はあらぬ方向へと曲がって、頭は大分変形していた。
 「お前……人形か……」
 人間ならとっくに生命活動を停止しているはずだ。
 それなのにまだギリギリのところで命を繋ぎ止めているのは、この少年が人ならざるものである証。
 そして、魔法に長けたアルティオだからこそ感じ取ることが出来る精霊の気配。
 「…………」
 かろうじて生きている。
 そしてもうすぐ死ぬ。
 素体が限界だ。
 魂も一緒に、元素へと還る。
 「そうか……おまえ、死ぬのか……」
 「…………」
 その時、少年と目が合った。
 虚ろな瞳はアルティオを見上げようとしている。
 まるで、今のアルティオの言葉を否定するかのように。
 「…………」
 「…………」
 お互いに、ただ見つめ合う時間が流れる。
 雨は降り続いて、お互いの体温を下げる。
 「……俺は」
 多くの命を奪った。
 何一つ、救えなかった。
 遠い昔の、俺じゃない、俺自身の魂の記憶。
 何も知らずにいられたらよかった。
 知ってしまったからには逃げられない。
 忘れたままでいたかったこと。
 思い出さなければならないこと。
 混沌する記憶の中で、
 混乱する頭の中で、
 絶望だけが確かな感触としてそこに在った。
 
 何一つ守れなかった。
 一番大切だと思った人さえも……
 
 「…………」
 それは俺じゃない別の人生の記憶。
 だけど思い出してしまった以上は俺の記憶になってしまった。
 今になって、記憶が甦るように仕組まれていたのは、初めからでは、生まれたときからではその事実に精神が耐えられないと判断したためであろう。
 そして大人になった今も崖っぷちで耐えている。
 殺すことしかできなかった自分。
 従うしか道の無かった過去。
 「なあ、お前、生きたいか?」
 だけど今は違う。
 俺は、目の前の運命を変える力を持っている。
 誰かを殺すことしかできなかったあの時とは違う。
 「なあ、答えろよ。お前、そんなになってもまだ、生きたいか?」
 人形だとしても、生きたいというのなら俺は助けられる。
 救うことが出来る。
 もしも、この少年がそれを望むのなら……
 人形にだって、心はあるから……
 
 「…………」
 「…………」
 この少年はボロボロで、その姿を見ただけで今までどんな扱いをされてきたぐらい容易に想像がついた。
 死を望んでいる可能性もゼロじゃない。
 これ以上過酷な現実に立ち向かう力など、残っていないのかもしれない。
 「…………」
 世界最悪の殺人者である俺が、生きろなんて言えない。
 そんな資格はない。
 だけど……
 「…………」
 「…………」
 やっぱり無理なのか……
 お前はもう楽になりたいのか……?
 「…………」
 結局俺は、何も変えられない。
 誰も救えない。
 「い……」
 「!」
 今、聞き間違いじゃない……
 間違いなく少年の声が聞こえた。
 「生きたいか?」
 アルティオは期待を込めてそう聞いた。
 「…………」
 少年はそれから口を動かさない。
 「…………」
 いや、動かせないでいた。
 元々喋れるような状態ではない。
 人形といっても死ぬ一歩手前。
 言葉など、思考などとうに凍り付いている。
 それでも、この少年は確かな意志を持って言葉を紡いでいる。
 「ゆっくりでいい。聞かせてくれ。お前の意志を」
 どんなに時間をかけても、その望みを知ることが出来たのなら……
 「……い…………」
 一言ずつ……
 「き…………」
 気の遠くなるような時間をかけて……
 「…………た……」
 決して諦めることなく……
 「…………い…」
 己が望みを紡ぎあげる。
 
 生きたい

 その、ただ一つの望みを……

 「強い子だ。その願いは俺が聞いてやるよ」
 アルティオは少年の体を抱き上げる。
 そして、少年の意識を断絶する。
 「今は眠るといい」
 少年の体の時間を止めて、元素に還ろうとした魂を固定化する。
 ここまででも結構重労働だったが、この先はアルティオの技術の及ぶところではない。
 「専門家に頼るか」
 アルティオは空を見上げて笑った。
 絶望は心の奥に。
 消え去ることはなくても、受け入れることは出来る。
 今はたった一つの存在を救うためだけに、全てを費やそう。


 ファウミーへと辿り着く船を下りるアルティオ。
 住処もなく、アテもなく一人旅をしていたアルティオにとって、初めて目的のある旅になった。
 「よっと」
 トランクを抱えてファウミーの港へと乗り上げる。
 雨の日とは比べものにならない日差し。
 まぶしさに目を細めながら、青い建物を目指す。
 「世界屈指の人形師。アイオード・イシスか……」
 アルティオが元の能力を限定解除して得た情報。
 死にかけの少年の肉体を修復できる人材。
 人形に関してはその人物に頼るしかないのである。
 「あそこまで歩きか……」
 事前に得た情報でここからあの建物までざっと徒歩六時間ほど。
 トランクを抱えて徒歩で行くのは溜息の一つもつきたくなる距離である。
 「しかし泣き言も言ってられない。急がなければ固定化が解ける」
 アルティオが少年に施した肉体の時間の固定、そして魂の固定化。
 この魔法もずっと効果が持続する訳じゃない。
 時間に干渉する架空元素魔法であるため、熟練の魔法師でも長時間の維持は難しいとされている。
 かくいうアルティオも保ってあと一日が限界だった。
 「うっし。頑張って歩きますか!」
 重たいトランクを抱えてアルティオは目的地へと歩き出した。
 その途中……

 「もうしばらく会えないよね。アイオードさん」
 「いや、シグノージェナスに行けば案外会えそうな気もするが……」
 二十代前半ぐらいの男と、十二、三歳ぐらいの少女。
 「…………」
 この二人が『アイオード』の話をしていたのでつい耳を傾けた。
 「あ、そうか。フィデリテースとラブラブだもんね」
 「……いや、あれはどっちかっつーとアイオードが一方的に」
 にこにこと笑う少女の横で複雑そうな顔をする青年。
 どうやらアイオードのプライベートの話らしい。
 「うん。世の中すごいカップルもいるんだね!」
 「…………」
 アイオードと『フィデリテース』は微妙な恋仲らしい。
 「…………」
 そして、すぐに遠ざかっていった二人。
 一つだけ分かったのはアイオードという人形師が癖のある人物だと言うこと。
 「はぁ……」
 ますます気を重くしながらアルティオは山へと足を踏み入れる。
 救うと決めたのだ。
 こんなところで足を止めてなんかいられない。


 「…………」
 恐らく呼び鈴であるボタンに震えながら手をかける。
 絶望的に嫌な予感がするのは何故だろう……
 「ええい!ままよ!!」
 ぽちっとな……

 『はあい!あ・た・し♪今すぐ出るからちょっと待っててねぇ〜ん♪』
 
 「…………」
 アルティオはかなり嫌そうな顔をして数歩身を引いた。
 「…………」
 や……やばい……
 この人形師、性格的にやばい気がする。
 虫の知らせとか直感とか、とにかくそう言うモノがびしびしと危険信号を訴えてきているぞ?

 そして……
 がちゃりと……
 扉が開く……
 
 「いらっしゃ〜い♪どちらさまぁ?」
 「…………」
 出てきたのはのんびりとしたしゃべり方をする美女だった。
 
 「緑茶とコーヒーと紅茶と私のスペシャルブレンド、どれにするぅ?」
 アイオードがアルティオを家の中へと招き入れてお茶の好みを聞いてくる。
 「スペシャルブレンド以外なら何でも」
 アルティオは気まずそうに答えた。
 スペシャルブレンド……
 ちょっと好奇心に駆り立てられそうになりながらも間違いなく危険な香りがしたのでやめておいた。
 「…………」
 台所でちぇっと舌打ちしているアイオードの様子路見る限りこの選択は間違ってなかったと思われ。
 
 コーヒーをテーブルの上に置いてアイオードもアルティオへと向き直る。
 「それでぇ?用件はぁ?」
 「この人形を修復して欲しい」
 アルティオはトランクの中から一つの球体を取り出す。
 手に平におさまるくらいの球体の中に、ボロボロの少年が眠っていた。
 「…………」
 アイオードはその球体をまじまじと見つめる。
 そしてその顔がだんだんと険しいモノへと変わっていく。
 「アルティオ、といったかしら?」
 「ああ」
 「一つ聞きたいんだけど」
 「…………」
 アルティオに厳しい目を向けたまま、アイオードが問いかける。
 「この子をこんな風にしたのはアルティオ?」
 人形師として、ここまで破壊され尽くした素体に怒りを覚えていた。
 一日二日で破壊された訳じゃない。
 もう何年も、繰り返された暴力の痕。
 アイオードは人形を一つの命だと思って創っている。
 こんな、道具以下の扱いに激しい怒りを抑えきれなかった。
 「…………」
 そしてアルティオも、そんなアイオードの怒りを正面から受け止める。
 敵意を向けられているのに、それが嬉しいと感じてしまった。
 この人形師は人形を『個人』としてみてくれると分かったから。
 安心して任せられると感じたから。
 「違う。俺は棄てられていたこいつを拾っただけだ」
 だからアルティオも偽り無く答えた。
 アイオードはその答えに満足して球体に目を向ける。
 「助けたかったのね。この子のこと」
 「ああ。助けたい」
 アルティオははっきりと答えた。
 アイオードを真っ直ぐと見据える。
 「…………」
 「…………」
 お互いを見つめ合う時間。
 お互いの真意を差ぐらい合う時間。
 「よし。分かったわ。助けましょう」
 アイオードは嬉しそうに笑った。
 普通は一般の依頼は受けないアイオードだったが、アルティオのことを随分と気に入ったらしい。
 アイオードは球体を持って自分の工房へと移動する。
 アルティオもその後をついて行く。
 「…………」
 もっと素体がずらっと並んでいると思ったが、何の工夫もない、ただの作業場だった。
 「早速取りかかりましょう。幸い材料は先客の分が余ってるしね」
 「早速か?」
 アルティオにとっては有り難いが、アイオードも大分疲れているように見えた。
 先客といっていた。
 もしかしなくても一仕事終えた後なのかもしれない。
 「うん。私も結構疲れてるけどぉ、アルティオ、あなたも限界でしょう?」
 「……さすがだな」
 アルティオは素直にアイオードの洞察力に感心した。
 そう。時間の固定化、架空元素の魔法行使は保ってあと半日だった。
 「もう解いていいわよ」
 「…………」
 アルティオは言われたとおりに全ての魔法行使を解除する。
 圧縮の解除。
 肉体の時間停止の解除。
 そして魂の時間停止の解除。
 三つの魔法行使を解除したアルティオは、その直後に無理をしたツケを払うことになる。
 「……ぐっ!!」
 右腕に走る激痛。
 上位魔法の長時間使用によって、肉体に還る反動。
 右腕一本で済んだのが幸いだった。
 骨は粉々に砕け、皮膚は全て黒ずんでいる。
 「うわぁ〜、本当に無茶してたのねぇ……その右腕、一生使えないわよぉ?」
 アイオードがあっさりと残酷なことを口にした。
 しかしアルティオもがっかりすることはなく、
 「まあ、これぐらいは覚悟していたさ。能力を制限したままで人間の限界を超えようとすればそれ相応の代償が付き纏うのは当然だからな」
 激痛に顔をしかめながらアルティオが笑う。
 アルティオの右腕はボロボロだった。
 そして、アルティオ以上にボロボロの少年はアイオードの作業台に寝かせられている。
 「分からないわねぇ。『拾った』ってことは、アルティオにとってこの子は元々無関係でしょう?どうしてそこまで出来るの?」
 アイオードは興味本位でアルティオに問いかける。
 何となく知りたくなっただけだから無理矢理聞こうとは思わない。
 しかしアルティオは、
 「一度でいいから……誰かを救ってみたかった……」
 泣きそうな顔でアイオードに己の真意を告げた。
 「……そう」
 アイオードもそれ以上問いつめることはせずに少年の素体を治すことに専念した。


 「アルティオ」
 「何だ?」
 「料理は得意?」
 「?」
 黙々と作業を続けていたアイオードが唐突にそんなことを聞いてくる。
 「人並み程度には……」
 「じゃあよろしくぅ!私手が放せないからぁ」
 「…………」
 色々言いたいことはあったが、アルティオは言うことを聞くことにした。

 「…………」
 台所に着いたアルティオは冷蔵庫の中の材料を確認する。
 「うわ……」
 中にはずっしりびっしり色んな材料が詰まっていた。
 おそらくは宅配業者だろうかこの場合は素直に感心した。
 「手が放せないと言っていたな……」
 だったら手軽に食べられるものがいいだろう。
 というか片手では色々と限界があるし、簡単なモノで我慢してもらおう。
 アルティオはひょいひょいと材料を見繕う。


 「おーい。できたぞー」
 アルティオはサンドイッチを載せた皿を片手に持って、アイオードの作業場へと戻ってきた。
 「あらぁ〜♪ご苦労様ぁ!こっちも一段落付いた所よぉ」
 のんびりしているアイオードを見る限り、峠はこえたっぽい。
 それにアルティオもほっとする。
 「だったら別に軽食じゃなくてもよかったかな」
 「ううん。何でも作ってくれるのは有り難いわぁ。私料理嫌いだから♪」
 「…………」
 俺だって嫌いだよ……
 どっちかというと食べる方が好きだよ。
 複雑な気持ちのままアルティオは自分の作ったサンドイッチを頬張る。
 「うむ」
 まあまあ良しの出来である。
 「ん〜」
 もっきゅもっきゅ。
 そして僅かに溜息。
 「…………」
 「オイ……」
 人に作らせといてその態度はあんまりだと目で訴えるが、
 「ああ。ゴメンゴメン。うん。アルティオのサンドイッチは普通においしいわぁ。うん」
 「だったらその溜息は何だよ」
 「う〜んとぉ……ちょっと前まで料理のすごく上手い子がいたからそのこと比べてたらつい……」
 気まずそうに謝るアイオード。
 アルティオの料理に不満があるわけではないらしい。
 「女か?」
 「ううん。男」
 「…………」
 「アルちゃん……」
 「ーーー!?」
 今こいつはなんと言った!?
 なんか激しく寒気のする呼び方をしなかったか!?
 「…………」
 アルティオはかなり嫌そうな顔をしてアイオードから距離を取る。
 その様子にアイオードがきょとんとなる。
 「…………」
 そこでやっと理由に思い当たった。
 「ああ。ごめん。アルティオの事じゃないのよぉ」
 「?」
 「似たような名前なんだけどね。アルトフォードって言うの。で、通称『アルちゃん』。すっごく料理上手なんだからぁ」
 「ふーん」
 どうやら俺はその『アルちゃん』とやらと比べられていたらしい。
 「でも格好良さではアルティオの方が上かな。アルちゃんも美形だけどアルティオはちょっと格が違うって感じ」
 うふ〜っと怪しい目をして迫る人形師。
 どうやらアルティオに興味を持ったようだ。
 「…………」
 アイオードは美形だし、本来迫られて悪い気はしないのだが……
 「俺、そのケはないから」
 「…………」 
 と、
 はっきりとアイオードを拒絶した。
 一方アイオードはびっくりして固まっている。
 「えーっと……もしかしてぇ……気づいてるぅ?」
 だらだらと冷や汗を流しながら問いかけるアイオード。
 「あんたがオカマだってことか?」
 しれっと、顔色一つ変えずに事実を突きつけた。
 「うわーん!やっぱり気づいてたのねぇ!アルティオいつからぁ〜!?」
 あははーっと気まずそうに笑うアイオード。
 「最初から。おれそーゆーのピンと来るんだよね」
 「うわーん!ちょっとは自信あったのにぃー!!」
 わざとらしく泣いてみせるアイオード。
 傍目には可愛く映るのだが、男と知っている以上気持ち悪いだけだ。
 「で?それはあんたの趣味か?」
 それ、というのはアイオードのオカマ趣味のことを指しているのだろう。
 アルティオとしては腕が確かなら文句はないが何となく興味本意で聞いてみた。
 「んふ〜♪趣味というかぁ〜、私が振り向かせたい人が男だからぁ、妥協案として私が女になってみましたぁー!」
 にこやかに笑う変態人形師。
 つまりホモか……
 「俺に被害が及ばなければ問題ないので好きにしてくれ。理解しようとは思わないがな」
 「あー!何その態度ぉ!性差別よそれってぇ」
 突き放すアルティオの態度に不満そうに抗議するアイオード。
 しかしアルティオの態度は変わらない。
 「別に。あんたがオカマだろうがホモだろうが俺には関係ないから好きにしてくれって言ってるだけだけど?」
 「うわーん!その突き放した物言いが嫌なのー!!アルティオはなんか人として冷たいー!!」
 がーっと抗議するアイオード。
 それに対してアルティオはあっさりと、
 「そうかもな」
 肯定した。
 「…………」
 「…………」
 沈黙が続く。
 ちょっと気まずくなる。
 今まで半分ふざけていただけのアイオードだったが、ふとアルティオの心の闇に触れたような気がして言葉を失う。
 
 「まあ、何だ。あんたも『フィデリテース』ってヤツとよろしくやってればいいさ」
 その沈黙を破ったのはアルティオの方だった。
 「え?え?え?えーー!?」
 アイオードが赤くなっておろおろする。
 それはそうだ。何しろ……
 「何でアルティオがフィーちゃんのこと知ってるのよー!?」
 そう。フィデリテースの名前をアルティオの前で出した覚えはない。
 それなのに何でアルティオの口からその名前が出てくるのか。
 「なんだ。やっぱりあの二人組はあんたの客か」
 「あの二人組?もしかしてアルちゃんと海理ちゃんのこと?」
 「さあ。名前はしらねーけど。女の子の方が妙な気配だったんで目について、よく見るとあんたの話題を出してた。その中にフィデリテースって名前があったからカマかけてみただけ。ビンゴだな」
 「あーーーー……うーーーーー……」
 あははーっと気まずそうに笑うアイオード。
 早とちりしたらしい。
 「冷蔵庫に食べ物が溢れかえってたのはその二人がいたからか?」
 「あ、うん。アルちゃん料理上手だったから作らせ甲斐あったしね♪」
 「…………」
 そんな料理上手なヤツと比べられても困るぞ俺は。
 あくまで標準なんだから。
 「幸せになって欲しいなぁ……あの二人……」
 アイオードが遠くを眺めて優しい顔をする。
 先客二人はアイオードにとって、すごく大事な存在らしい。
 「あんたの仕事は女の子の方か?」
 「へぇ〜よく分かったわねぇ。正解よぉ」
 アイオードが素直に感心する。
 魂の気配に敏感な人形師ならとにかくあの状態のあの子の違和感を敏感に感じ取れる人がいるとは思わなかった。
 「何か気配が微妙だったから。精霊の気配じゃないけど、でも人間にしても違和感があったというか……」
 アルティオが神妙な顔をして語り出す。
 「またまた正解。アルティオ人形師に向いてるかもねぇ」
 アイオードは素直に感心する。
 「なる気はないけどな。でも興味はあるからカラクリぐらいは教えてくれよ」
 「いいわよぉ。海理ちゃんは人間よぉ。器がボロボロになっちゃって、人形の素体に入ってるけど、元々は人間なの」
 「…………」
 アイオードはあっさりとその秘密を暴露した。
 その事実にアルティオも驚く。
 「人形の素体ってのは人間の魂でも同調させられるのか?」
 アルティオが驚きながらもアイオードに聞き返す。
 「うん。他に人形師には無理だと思うけどねぇ。そこが私の天才たる所以♪なーんてね」
 冗談っぽく笑うアイオード。
 しかしその言葉の通りアイオードは世界屈指の人形師だった。
 「すげぇ。不老不死も夢じゃねーな」
 「まあね。その試作品が今の私だし?」
 「…………」
 アルティオ絶句。
 「ちょっと待て。アイオード。あんたからは妙な気配なんて……」
 しないのに……と思って気がつく。
 人間の魂をも素体に同調させられるとんでもない人形師。
 それならがそんな気配ぐらい簡単にごまかせるのではないかと。
 「アルティオったら本当に優秀ねぇ。その鋭さに免じて昔の私の写真を見せてあげましょう♪」
 アイオードは楽しそうに引き出しから一枚の写真を出してくる。
 それを受け取ったアルティオは十秒ほど思考が停止した。
 
 「なぁああああーーーーーー!!???」
 
 その後奇声を上げながらアイオードを指さして後ずさる。
 その写真に写っていた過去のアイオードらしきモノは今のアイオードとは似てもにつかない別人だった。
 今のアイオードはオカマいえども見た目は結構美人で、華奢で、何というか悪くないと思う。
 しかしこの写真のアイオードは……

 びしっ!
 むきっ!!
 ででーん!!!

 眉毛太!
 筋肉モリモリ!!
 ガハハ笑いの似合いそうな完全に男らしさ全開のマッチョ野郎。

 これが目の前の女もどきと同一人物なんてにわかには信じらんねー!!
 こんなもん魔法でも説明がつかねーって!!
 ファンタジーの世界にも程がある!!!
 「なあ……ほんっとーに、これあんた?」
 未だに信じられずに聞き返すが……
 「うふ。まぎれもなくあ・た・し♪六十年前のね♪」
 「…………」
 しかも歳までサバ読みまくり。
 今のアイオードはどう見ても二十代前半にしか見えない。
 だんだんと気力を失いながらも必要なことだけは聞き出そうと顔を上げる。
 「なあ、素体ってのは魂を設計図にして形状を変えるんだろう?ここまで本来の姿とかけ離れさせることは可能なのか?」
 「可能よ。この私にかかれば素体の改造くらい朝ご飯前だものぉ!」
 「あっそ……んであんたがそんな凶(狂?)行に走った原因は……いや、聞かなくても何となく分かった」
 「いやーん!愛の力に決まってるじゃなーい♪」
 くねくねと体を動かすアイオード。
 その姿でやってる分にはまだいいが、写真のマッチョ男とダブらせると吐き気がしてくる。
 つまりその愛しい『フィーちゃん』とやらの為にこんな姿になったのであろう。
 
 「もう一つ質問。どうせ素体を自由な姿に変えられるならそんな半端な体じゃなくてきっちり女になればよかったんじゃないのか?」
 「…………」
 アイオードがきょとんとなった後、寒気のする笑みを浮かべた。
 こーゆー顔の後でまともな発言は期待できるわけがない。
 「んー。でも私はぁ〜、受けよりは攻めの方が好きだからぁ〜♪」
 「…………」
 アルティオは頭を抱えた。
 こいつ結構筋金入りの変態さんかもしれない……
 天は彼(!?)に二物も三物も与えたが……
 どうやら余計な嗜好まで与えてしまったらしい。
 「まさかもう……襲った後とか……?」
 一番聞きたくないことなのに、どうしてこの口はそんなことを聞いてしまったのか。
 心の奥底の好奇心の成せる業なのか?
 聞いたら後悔することは分かり切っているのに……
 「うふふ……」
 「…………」
 「うふふふふふふふ……」
 「…………」
 「ふふふふふふふふふ♪」
 「…………」
 この後約五分ほどアイオードの怪しい笑いは続いた。
 「…………」
 『フィーちゃん』とやらの悲壮さが少しだけ垣間見えた気がする。


 「アイオード。どうだ?調子は」
 アルティオがアイオード宅に滞在して六日。
 そろそろ少年の方も快方に向かっているかと思われる。
 「ん。順調よぉ。この調子ならあと二日で元通りになると思うわぁ」
 「それはよかった」
 「ところでアルティオ」
 「ん?」
 「その右腕ぶった切る気なぁい?」
 「…………」
 今、こいつはなにを言いやがったのか?
 
 『ソノミギウデブッタギルキナァイ?』
 
 聞き間違いでなければそう聞こえたぞ?
 「…………」
 「…………」
 いくら役立たずの腕とはいえ……
 回復の見込みは全くないけど……
 しかしぶった切れとはいきなりあんまりじゃないか?

 そしてアイオードは、
 「じゃじゃーん!実はアルティオの義手なるものを作ってみましたぁー♪」
 誇らしげに腕を抱えるアイオード。
 「義手……?」
 「そう。私の腕は素体同様ちゃーんと受肉するから、治れば元の腕と殆ど変わらないわよ?どうせその腕もう役に立たないでしょう?」
 「…………」
 うん。
 役には立たない。
 だからアイオードの義手は有り難い。
 有り難いけど……
 「うーん……」
 自分の腕をぶった切るというのに躊躇いを覚えた。
 「いらないなら別にいいけどぉ」
 「いる!」
 義手とはいえ動かないよりは動く方がいいに決まっている。
 「じゃあぶった切って♪」
 「今か!?」
 「今です♪」
 「…………」
 「…………」
 こいつ絶対楽しんでやがる。

 「…………」
 いきなり腕をぶった切れと言われても、それなりの覚悟が必要だと思うわけですよ?
 「…………」
 しばらく難しそうな顔で考えた後、
 「!」
 覚悟を決めた。
 「Aura Vulnus」
 アルティオは左手に風を纏う。
 右腕の付け根に振り下ろせば真空の刃となって肉を切断するだろう。
 「うっ……」
 まさか自分で自分の腕を切り落とす羽目になろうとわ……
 さすがに少し怖いと思いながら覚悟を決めて左腕を振り下ろした。
 「ーーーーー!!!」
 痛い……
 もの凄く痛い……
 そしてたとえようのない喪失感。
 人間、腕一本失うだけでここまで物足りない気持ちになるんだな……
 「Figere」  
 痛みに耐えながら滝のように流れ出す血を止める。
 魔力によって固定された傷口にアイオードの義手が接合される。
 「ぐるーん♪」
 「?」
 訳の分からないことを言いながらアイオードはアルティオの右腕になるモノを接合した。
 「はいおしまーい♪」
 「早っ!」
 動かない右腕を見つめながら痛み止めの魔法をかけるアルティオ。
 「一ヶ月ほどで受肉するからぁ♪」
 「一ヶ月か……」
 それまでは結構不便な生活を強いられそうだ。
 「早い人は二週間でものにしたけどねぇ」
 怪しく笑うアイオード。
 こいつがこんな笑い方をするときは決まってろくな事が起こらない、というのを数日の間に学習した。
 「例の女の子か?」
 「ううん。アルちゃん。あの子も見事に右腕バッサリやっちゃってねぇー。でもさすがに国家魔法師の息子だけあって魔力のコントロールはばっちりでねぇ。二週間で見事動かして見せたわぁ」
 「へぇ……」
 なんだ二人ともアイオードの客だったのか。
 さすが世界屈指の人形師なだけあって客もただ者じゃないな。
 国家魔法師の息子と元人間の少女か。
 この辺を突っ込んで聞いてみるのも面白そうではあるが、他人の事情なので止めておこう。
 「俺はのんびりでいいさ。どうでもいい他人に対抗意識を燃やす気なんか無いからな」
 冷静に切り返すアルティオ。
 「うん。確かにアルティオにアルちゃんほどの才覚は見いだせないから無理かもね」
 そして冷静に失礼なことを言ってくれる変態人形師。
 「ほっとけ。制限をかけた状態ではこれが精一杯なんだよ」
 「制限?前もそんなこと言ってたわねー。なんのこと?」
 「こっちの事情。俺の本来の能力は魔法師じゃない。限定解除すれば確実に世界に影響を及ぼす疫病神の力だよ」
 この世界の災厄そのもの。
 それが、アルティオ・トーディロスの本来の姿。
 「なにそれー!すっごい興味あるんだけどぉ?もしかして竜が人間に恋しちゃった〜とかよりもすんごいネタ?」
 目をキラキラさせて近づいてくるアイオード。
 「…………」
 しかしそのどっかで聞いたようなネタはなんだろう……

 「ノーコメント。他人の事情に首を突っ込むな」
 「ぶー。何よぉ。私のフィーちゃんのことは知ってるくせにぃ」
 「それはあんたが勝手にバラしただけだろう?」
 そしていつの間にかアイオードのものになっているらしい『フィーちゃん』とやらに僅かに同情する。
 「話してくれたら代金まけてあげるわよぉ?」
 「必要ない。これがある」
 アルティオは青い綺麗な石を懐から取り出す。
 「何それ?」
 アイオードが首を傾げる。
 「ふふん」
 アルティオがその辺の石を取り出して呪文を呟く。
 「Ingenium Variatio」
 その辺の石が見事に金塊へと変化した。
 「おおー!!すっごーい!!なにそれー!!」
 「前文明の知識と今の魔法理論を組み合わせて作った試作品。さしずめ『賢者の石』とでも呼んでみるか?」
 古来より、石を金に変える練金の業。
 それを可能とする超物質を『賢者の石』と呼んできた。
 アルティオはアイオード宅に滞在中、戻った記憶と戻った能力、アクセスできる記録、その全てを駆使して創り上げた『お財布二号』。
 アルティオは我ながら上出来、と胸を張る。
 「いいなぁ……お金じゃなくてそれが欲しいよぅ……」
 「金じゃなくて大元を欲しがるあたりあんたもがめついな……」
 「ぶー。ちがうわよー。その石の用途って金を創るだけじゃないでしょう?」
 「……たしかに。使い道は色々だな」
 魔力の強化。
 前文明の核爆弾に匹敵する魔弾。
 一国をも滅ぼせる力を持っている。
 そして、その反対、使い方によっては新たなる命の可能性も。
 原初に繋がる石。
 全ての源、そこからすくい出した力の片鱗。
 はっきり言って、出来ないことはあんまり無いって言うぐらいすごい代物だったりする。
 「人形師としてその石の研究をしてみたいのよ」
 「探求は魔法師の生業だと思っていたが」
 「その石は別格。フィーちゃんでも興味を抱きそうだけど私だって興味あるもん」
 「…………」
 この発言で『フィーちゃん』とやらが魔法師であることも判明した。
 後から聞いた話だが、『フィデリテース・ヴェネフィカス』はシグノージェナスの国家魔法師らしい。
 つくづく顔の広いヤツ。
 っつーか一国の国家魔法師を毒牙にかけるあたりこいつもある意味大物だ。
 「どうせ試作品だしな。悪用しないと誓うのなら譲ってもいい」
 「それは誓うわ。私人道に反したことは許せないタチだから」
 「道徳に反することはいいのかよ?」
 「愛は時に性別を超えるのよ!」
 「…………」
 それは胸を張って威張ることなのでせうか?
 被害者にまた同情しながらアルティオは石を手渡した。
 「やったー!」
 「よし。これで俺の事情についてあれこれ詮索するのはナシだからな」
 「んふふー」
 しかし了承するどころか怪しく笑うアイオード。
 「おい……」
 嫌な予感が止まらないアルティオはジト目でアイオードを睨む。
 「いやーん。べっつにぃ〜。アルティオの過去について問いただす気はないわよぉ」
 しかし怪しい笑いは一向に変わらない。
 「じゃあなんだその笑いは?」
 「うん。ただアルティオの正体が聞くまでもなくいくつか思い至っただけよぉ」
 「ほほう?言ってみろ」
 面白い、とでも言うようにアイオードに挑むアルティオ。
 「確証はないけどね。竜、魔属、混血……」
 「…………」
 「そして、葬世の王」
 「!」
 「このどれかだと当たりをつけてるんだけど?どうせ当たってるでしょう?」
 得意げに無い胸を張るアイオード。
 「その根拠は?」
 「魂の気配を感じ取れるのは人形師の第一条件よ。そしてその違和感に敏感なのもね。アルティオの魂の気配は通常の人間よりもかなり異質だったから。ずっと、どこか別の所に繋がってる感じね。今はセーブしてあるみたいだけど全開すれば竜に匹敵するんじゃないかしら?」
 「ハズレ。完全解放すれば恐らく竜すら殺せる」
 「わーお。じゃあ葬世の王で決まりね♪」
 「…………」
 これがいわゆる誘導尋問というヤツなのか?
 恐るべし変態人形師。
 「俺の前世が、だ」
 「ふーん」
 今度は口の下あたりに人差し指を当てて目を細める。
 怪しさ五十パーセント増し。
 「というか、あんたが何で『葬世の王』の存在を知ってるんだ?」
 
 葬世の王。
 前文明で世界を滅ぼした人間の名称。
 前文明の生き残りである竜や魔属ならとにかく今の世代の人間はその存在すら知らないはずだ。
 
 「私の顔の広さを甘く見ない事ね。竜とは直接面識はないけど、竜の血に連なる知り合いならいるのよーん」
 「…………」
 竜の血に連なるもの。
 竜と人間の混血。
 そこで思い至ったのは、最近滅びたとされる一つの国。
 「グナハーンの王族か……」
 つくづく知り合いの多いヤツ……

 竜の遺跡グナハーン。
 その王族は竜の血を引いているという。

 「せいかーい!ちなみにそれ海理ちゃんの事よ。アルちゃんも少しだけ王家の血を引いてるみたいだけどね」
 「…………」
 何とも妙な巡り合わせだ。
 こいつの人間関係一体どうなっているのかまたまた興味がわいてきたではないか。
 「なるほどねー。ある意味世界最凶の殺人者ね」
 「…………」
 一番、言われたくないことをあっさりと言われた。
 
 分かってる。
 そんなことは分かっている。
 あれは俺じゃない。
 葬世の王はアルティオじゃない。
 だけど同時に紛れもない俺自身の魂の正体。
 思い出したときは、死にたくなった。
 こんな胸くそ悪すぎる記憶を抱えて生きていくなんて冗談じゃない。
 だけど、結局生きていても、死んでいても同じ事。

 魂は、命は巡る。

 俺が死んで別の人生を送っても、結局葬世の王の記憶は残るのだ。
 世界と最も深く繋がった魂の持ち主として、変わらぬ運命を背負っている。
 それが、葬世の王の残した呪い。
 
 意味がない。
 それではあまりに意味がない。
 サクヤは俺に後悔させるためだけにあの忌まわしい記憶を残したんじゃない。
 それはきっと、守れなかった一人の女の子。
 自分の所為で死なせてしまった大切な人を忘れたくなかっただけなんだ。
 それがたとえどんな痛みを伴う記憶だとしても、ずっと彼女のことを覚えていたかっただけなんだ。
 それは分かる。
 人の想いは強いから。
 だけど……
 サクヤはそれでいいのかもしれない。
 でも俺はどうなる?
 俺は今まで普通の人間として生きていたんだ。
 サクヤの都合で今の俺の人生を台無しにされたようなものなんだ。
 同じ魂の持ち主。
 俺自身。
 それでも、憎みたくなった。
 俺は思い出したくなんか無かったんだ。
 俺以外の他人の記憶なんて、重たいだけだ。
 
 世界最凶の殺人者。
 
 俺の前世、葬世の王。

 無薙朔夜という男を俺は決して許さない。

 「なるほど。アルティオがあの子を助けた理由が何となく分かった気がするわ」
 「…………」
 壊すことしか、
 殺すことしかできなかった。

 俺じゃない、でも俺の記憶。
 自己嫌悪に陥るには十分なくそったれた結末。
 過去の俺に価値がなかったように、今の俺も同じモノだと認識する。
 でも耐えられない。
 あんな想いは二度と……

 たった一度でいい。
 ただ一人でいい。
 俺にだって、誰かを救えるんだって思いたかった。
 あの少年を助けたのはそれだけの理由だった。
 そして、それだけでよかった。

 「大丈夫。アルティオの右腕を無駄になんかさせないわよ。あの子は必ず助かるから心配無用よ」
 「ああ。頼りにしてる」
 そう。あの子は助かる。
 俺がただ一つ救えたもの。
 それがあれば、俺はこの痛みを背負って生きていけるような気がした。
 俺はあの子を救って、そして、それ以上に俺自身が救われる。
 それだけでいい……


 「アイオード!!目を覚ましたって本当か!?」
 アルティオが息を切らせながらアイオードの工房へと駆け込む。
 「本当よぉ。ほらぁ〜」
 アイオードの後ろにはしっかりと目を開けた茶髪の少年が立っていた。
 「……よかった」
 安堵の息をつくアルティオ。
 もう、死んでしまいそうな傷なんてどこにもない。
 俺はこの子を救えたんだ……
 「ありがとうございます。あなたのおかげで助かりました」
 「あ……ああ」
 嬉しそうに笑う少年。
 しかし、この時まだアルティオは気づいていなかった。
 「…………」
 「アイオード?」
 自分の行動の結果が、どんなものなのか。
 気まずそうに目を逸らすアイオードの真意も分からないままに、アルティオは少年へと歩み寄る。
 「俺はアルティオ。アルティオ・トーディロス。君の名前は?」
 「ミルアルドです。アルティオさん、一つお聞きしてもいいですか?」
 ミルアルドがアルティオに質問しながらきょろきょろとあたりを見る。
 「ああ。俺に答えられることなら」
 そして次の瞬間ミルアルドが口にした言葉でアルティオの思考が凍り付いた。

 『マスターはどこにいるんですか?』

 「…………」
 そうだ。
 この『ミルアルド』は人形だ。
 だから『マスター』がいるのは当然だ。
 ミルアルドをあんなボロボロにして棄てたマスター。
 そんなヤツのことをまだマスターなんて呼んでいるこいつが信じられなかった。
 「ミルアルド。お前のマスターはお前を棄てた。それは分かってるか?」
 なるべく怒気を悟られないように、それでも声は低くなった。
 しかしミルアルドの方は気にした風もなく、
 「はい。使えなくなったのだから棄てられて当然です。しかしアルティオさんのお陰でまたこうしてマスターの為に尽くすことが出来ます」
 「…………」
 臆面もなく言い切った。
 自分を、あんなボロボロにしたヤツに再び仕えるのだと。
 「お前……」
 「アルティオさん?」
 「…………」
 ミルアルドはアルティオが怒っている理由が本気で分からないらしい。
 アイオードは黙ったまま二人を見ている。
 「俺からも一つ質問だ、ミルアルド。お前の存在理由はなんだと思っている?」
 「…………」
 ミルアルドはしばらく考えた後、はっきりと迷い無く告げた。
 「生まれて死ぬまで、マスターの暴力衝動を受け止め続ける道具です」
 「ーーーー!!」
 アルティオは間髪入れずにミルアルドへと掴みかかる。
 「ちょっと、アルティオ!!?」
 さすがにアイオードが止めに入るが、お構いなしにミルアルドの頭を掴みあげる。
 「あっ……!」
 ビシッと体が痺れる感覚と共にミルアルドの意識が落ちる。
 倒れるミルアルドを抱えたアルティオがそのままミルアルドの頭に手を当てる。
 「何する気……?」
 心配になったアイオードがおそるおそるアルティオに話しかけるが、
 「黙っててくれ……」
 「…………」
 泣きそうなアルティオの顔によって言葉を失った。
 

 「マスター」
 「ミルアルド。お前は俺のものだ。どこにも行くな、俺だけの人形……」
 「はい。どこにも行きません。マスター」
 
 アルティオが垣間見たのはミルアルドの記憶だった。
 ミルアルドのマスターと、そしてミルアルドの映像。

 『自分だけのもの』

 『所有物』
 
 それは人形とマスターの間では当然の関係で、別にそれだけならこんなにも腹立つことはなかった。
 アルティオが許せなかったのはその後。
 ミルアルドの存在理由。
 マスターのストレス発散のためか、それともそれ自体が娯楽なのか、とにかくミルアルドはマスターの男にとことん痛めつけられていた。
 暴力の限りを尽くされて、それでもマスターに忠誠を誓う人形。
 それがミルアルドの正体。

 「…………」
 そして……
 最後の映像……

 「マ……スター……」
 もう人のかたちが崩れかかったその体をマスターが乱暴に打ち捨てる。
 「お別れだ。ミルアルド。長い間ご苦労だったな」
 「あ……」
 遠ざかっていく背中。
 「マスター……行か……ないで……下さい……僕は……まだ……」
 あれだけの暴力の中、解放された喜びなど微塵もなく、自分にとって唯一絶対のマスターに見捨てられたことが何よりも辛かった。
 もう、これまでか。
 自分には価値がない。
 マスターは僕の事なんてもう必要としていない。
 マスターは、僕の事なんてもう要らない……
 「…………」
 ミルアルドの心を支配していたのはマスターだった男ただ一人。
 死にゆくその時さえも、マスターのことを思っていた。
 
 そしてアルティオと出会う。
 生きたいと告げる。
 必死で……
 何よりも強い気持ちで……


 「なんだよそれ……」 
 ミルアルドの記憶の中で、アルティオが震えながら唇を噛む。
 「ふざけんな……」
 ふざけんなよ……
 俺はこいつを、そんなことのために救ったんじゃない。
 救った以上は幸せになって欲しい。
 だけどこいつの幸せはあんなマスターに仕えること?
 そんなの……納得できるか!!
 たとえミルアルドにとってそれが最善だとしても、俺はそんなの嫌だ。
 人形にだって心は在る。
 痛めつけられたら辛いのは当たり前だ。
 でもこいつはそんな当たり前の感情すら許されていない。
 「俺は認めない……そんなことは認めない……」
 意識のないミルアルドの頭に手を当てたまま、アルティオが一つの魔法を発動させる。
 「ちょっとアルティオ何する気!?」
 「こいつの記憶を消す」
 「な……!?」
 やめなさい、と叫びながらアイオードがアルティオからミルアルドを引き剥がそうとするが……
 「責任は俺が負う!!」
 「アルティオ……」
 「アイオード。あんたはこいつの状態を見てあれだけ怒りをあらわにしていた。こいつの記憶を消さない限り、またこいつはあんな風になってしまう。あんたはそれが許せるか!?」
 「…………」
 怒鳴り散らしながら記憶消去の魔法を発動させるアルティオにアイオードが黙って身を引いた。
 アイオードもそんなことは望まない。
 たとえそれが、ミルアルド自身から大切なものを奪うことだとしても、
 「ミルアルド……俺はお前の記憶を奪う。お前の為じゃない、俺が許せないから……」
 魔法が発動する。
 「う……ん……」
 ミルアルドの中から、大切なものが一つ一つ引き剥がされていく。
 ミルアルドと、そしてマスターとの絆も……
 「い……やだ……」
 忘れていく。
 抜け落ちていく記憶の中でミルアルドが辛そうに首を振る。
 「…………」
 それをアイオードが辛そうに見つめながら、それでも黙ってその場で耐えていた。
 「全部奪う。ミルアルドの大切なもの。その代わり、お前は俺を憎んでいい。許さなくていい。だからこれからは、自分の為に生きてくれ……」
 「あ……あぁ……ああああああーーーー!!!」
 全ての記憶を消されたミルアルドは、最後に泣きながら手を伸ばした。
 その場にいない、誰かに向かって。
 「…………」
 その、誰もいない虚空に向かって伸ばされた手を、アルティオが掴んだ。
 「俺が、お前から奪ってしまったものの代わりを、これからは俺が果たすよ」
 唯一動く左手で、しっかりとミルアルドの手を握る。
 「アルティオ……」
 アイオードはアルティオにハンカチを近づける。
 「…………」
 自分でも気がつかないうちに泣いていたらしい。
 「サンキュ……」
 右腕は不能で、左腕はミルアルドを抱えている。
 ハンカチに顔を近づけてアルティオはその涙を拭いた。
 
 アルティオはその日、大切なものを奪って、そして唯一のものを得た。
 

 「…………」
 「…………」
 「…………」
 目を覚ましたミルアルドに二人とも黙り込んだ。
 「う……ん……」
 ミルアルドは辺りをきょろきょろと見渡して、
 「ここはどこ?」
 「私の家」
 アイオードが答える。
 「僕は……だれ……?」
 「ミル……ぶぐー!!むぐぐぐぐー!!?」
 ミルアルド、と言おうとしたアイオードの口を無理矢理塞ぐアルティオ。
 「アルティオ……」
 アイオードが不満そうな目でアルティオを睨むが、アイオード自身もアルティオの言おうとしていることが何となく分かったので大人しく従った。
 「あの……」
 「名前分からないんだろ?」
 アルティオが尋ねる。
 「うん……」
 記憶が無い所為で話し方も少し変わっている。
 もしかしたら、これがこの子の本来の性格なのかもしれない。
 「記憶も、無いんだろ?」
 「う…うん……」
 ミルアルドが不安そうに俯くとアルティオが笑った。
 「だったら俺が名前を付けてもいいか?」
 「え?」
 「嫌か?」
 「嫌じゃないけど……いいの?」
 「ディート。ディートって名前はどうだ?」
 内心ハラハラしながらアルティオが聞いてみる。
 センス悪くないかなーとか、
 気に入らなかったらどうしようとか……
 「……ディート」
 覚えたての名前を自ら反芻する。
 「えっと、嫌なら他の名前でも……」
 「ありがとう!ディート、この名前気に入った!」
 しかしそんな不安も一瞬で吹き飛ばすくらいの笑顔が返された。
 「よかった……」
 アルティオも自分で馬鹿馬鹿しいくらいにほっとした。
 こうして『ミルアルド』は『ディート』になった。
 
 「ところで記憶がないんなら行く当てもないだろう?しばらく俺の所に来ないか?」
 「…………」
 いきなりの提案の連続にディートはびっくりしながらも、
 「いいの?」
 と期待を込めてアルティオを見つめる。
 記憶もない。
 行く当てもない。
 どこに行っても同じなら、安心できるところがいい。
 ディートは心のどこかで感じ取っていた。
 この人が自分を助けてくれた人だと言うことを。
 今の、何もない自分にとって何よりも安心できる人だと言うことを。
 「俺はアルティオ。アルティオ・トーディロスだ。これからよろしくな、ディート」
 ミルアルドに名乗った名前を、今度はディートに対して名乗った。
 そして手を差し伸べる。
 「うん。よろしく、アルティオ!」
 ディートも迷うことなくアルティオの手を取った。
 心からの笑顔で。
 「ああ」
 ミルアルドの時の、自分の意志がない表情ではない。
 

それでアルティオは確信する。
 たとえミルアルドがそれを望んでいなかったとしても、俺は俺自身の行動に胸を張っていられると。

 こうして、アルティオ・トーディロスは、ディート・ラグディレルという相棒を得た。
 生涯ただ一人。
 殺すことしかできなかった魂が初めて救った存在を。
 
 まずは住処だ、とアルティオはフォルトゥーナの廃屋を買い取った。
 アルティオとディートが出会った場所。
 アルティオがサクヤの記憶を取り戻した場所。
 ここは特別な、始まりの場所。

 この場所で生きてみよう。
 奪うことしかできなかった俺が、ディートを救えたように、
 ここで、俺に出来ることが他にもあるかもしれない。