何気なく生きる日々に、何の疑いも持っていなかった。
 当たり前の日常。
 当たり前の喧嘩。
 
 ずっと、続くと思っていた。
 騒がしくもいとおしい日々。
 
 知らなかった。
 知りたくなかった。

 虚飾の裏側の、残酷なる真実を……

 取り戻したかった記憶。

 だけど、それは本当に、取り戻すべきものだったんだろうか。
 
 もしも俺の記憶が、初めから無いのではなく、意図的に消されたのだとしたら……


























 第一章 つくられたもの

 「♪」
 まるちの店員、ディート・ラグディレルは今日も非道の主の元でせっせと働いていた。
 「なんだ?珍しくご機嫌だな下僕一号」
 いい匂いにつられてキッチンに出てきたアルティオが、鼻歌まじりに料理をするディートに声をかけた。
 「あ おはよーアルティオ。って誰が下僕一号だ!」
 「まあまあ、気にすんな。それよりなんで朝から無駄に元気なんだ?」
 「無駄にって……」
 ディートは棚の上に置いてある石華に目をやる。
 「リーアがくれた石華さ、養分与えたらすっごい綺麗になってさ。まるで宝石みたいなんだ」
 「…………」
 リーアののこしていった石華はディートの血液を養分とすることで、深紅の花を咲かせていた。
 その色はとても美しく、まるで花の形をした宝石を見ているようだった。
 「さすが吸血花。命の上に成り立つ美しさだな」
 「あはは……それを言うとちょっと気分凹むけどね」
 ディートが苦笑いして、食事をテーブルに並べる。
 「あ そうだ。後で買い物行って来い」
 「え?いいけど。また変なもん造る気じゃねーだろーな?」
 最近毒薬造りが趣味と化してきているアルティオに不審のまなざしを向ける。
 「うるせーな。人の趣味にけちつけんなよ」
 「……やっぱり毒薬か」
 がっくりうなだれながらも、ディートは買い物リストを受け取る。
 「俺で実験しなければ文句は無いけどね」
 「…………」
 「おい。何だその間は?」
 不審のまなざしが更に不審の色を増す。
 「気にするな。今日も元気に働こー!」
 「…………」
 なんかすっげーらしくないこと言ってごまかしてるよ……
 アルティオにやる気がある日なんて女がらみ以外では見たことがない。
 「じゃ、よろぴくー♪」
 残りのご飯を平らげて、アルティオは片づけもせずに散歩へと出ていった。
 「…………」
 なにがよろぴくだ。
 似合わないからやめてくれ。
 
 そしてディート少年は今日も不毛な一日を送るのであった。


 「これと、これと…これと……うぅ……やだなぁ……」
 お馴染みの魔法具屋さんで、お馴染みのヤバげな材料を購入する。
 そしてお馴染みのレジで、お馴染みの店員さんに、しつこいようだがお馴染みの不審に満ちた顔をされる。

 『この人一体何をやってるんだろう……』
 
 「…………」
 ああ。
 そんな奇怪なモノを見るような目で俺を見ないでくれ。
 俺はただの買いだし担当なんだ。
 使用者はアルティオなんだよぉ!
 「…………」
 と叫びたくなるが……
 訴えたくなるが……
 「はぁ……」
 しかし結局は自分もその一員であることも事実なので、仕方なく痛い視線に耐え続けるのであった。
 「よっと……」
 ディートは紙袋いっぱいの劇薬や劇薬のモトを抱えて、店の外へと出る。
 紙袋が大きいので視界がわずかに塞がれるが、何とか前方は見えるのでそのまま歩き出した。
 「重たい……アルティオの奴ヒトにこんな重労働させて自分は今ごろ何やってんだか……」
 ……考えようとしたがすぐにやめた。
 どうせまたどっかで女引っ掛けてるに決まってる。
 念のため、店に戻るときは裏口を使おう。
 
 人ごみを避けながら、ディートは歩く。
 「しっかし今日は人が多いなぁ……何かあったっけ?」
 人の流れを観察してみると、どうやらみんな広場へと向かっているようだった。
 気になったのでディートも広場の方に近づいてみると、移動店舗が止まっていた。
 「お菓子屋さん……?」
 甘い匂いが漂ってくる。

 「まさかトラジェメータの移動販売に出くわすなんてツイてるよなー」
 「うん!ちょっと懐かしくなるね」
 近くにいた男女二人がうきうき顔で会話していた。
 
 「トラジェメータ……」
 ああ、思い出した。
 世界各地で絶大な人気を誇るお菓子店。
 人気商品は予約必須で、平日、休日問わず行列が絶えないっていう、あのトラジェメータ……
 「まさかこんな辺境に来るなんてね」
 ディートは列に並びたい欲求に駆られたが……
 「…………」
 無理かもしんない……
 絶対自分に回ってくる前に売り切れる……
 「くっ……」
 食べてみたいが仕方がない。
 諦めよう……
 ディートが泣く泣くきびすを返すと、
 「あーー!!」
 そこにはトラジェメータの印刷が付いた紙袋を抱えてご機嫌に歩くアルティオの姿があった。
 「ん?」
 聞き覚えのある叫び声に気が付いたアルティオが声のする方向へと首を動かす。
 そしてディートの姿を見つけた。
 「よう。ちゃんと全部買ったか?」
 「…………」
 片や劇薬いっぱい紙袋。
 片や人気お菓子店の紙袋。
 この差は何だ……
 「全部買った……」
 「うむご苦労」
 アルティオは紙袋からシュークリームを取り出しておいしそうに頬張る。
 そしてそれを少しうらやましそうに眺めるディート。
 「何?欲しいのか?」
 ディートの物欲しそうな視線に気が付いたアルティオがそう尋ねる。
 「……欲しいけど、どうせくれないだろ?」
 アルティオの鬼畜っぷりをよく知っているディートははかない望みなど初めから持たない。
 「ほら」
 「え?」
 しかし(超)意外なことにアルティオはディートに一つ差し出した。
 「…………」
 「いらねーのか?」
 差し出された手はそこで止まったまま、ディートが受け取ろうとすれば即座に引いて『ハイ上げた』なんていう古典的な嫌がらせに走る可能性もなくは無い。
 「くれるのか?」
 「だからやるっつってんだろ?ホレ」
 「あ、ありが……」
 ディートはかなり意外だー、と思いながらもシュークリームを受け取った。
 「あ おいひー」
 もくもくと幸せそうにシュークリームを頬張るディート。
 「しかしどういう風の吹きまわしだ?」
 絶対くれないと思ってたのに……
 アルティオなら『いーだろー♪』とか言いながら見せびらかすだけ見せびらかした挙句、全部一人で食べてしまう方がずっとしっくりとくる。
 「もちろん、タダじゃない」
 「…………」
 やっぱりきた。
 何かきた。
 どんな交換条件を出すつもりだこの野郎。
 食べてしまったものは返せない。
 すでに言うことを聞くしかない状況に追い込まれている。
 「それで?何を要求するつもりだ?」
 ジト目でアルティオの顔を見るディート。
 アルティオは対称的ににっこりと笑って、
 「ソファーに隠してあるミオちゃんのヘアピン。片づけとくように!」
 「…………」
 そうきましたか。
 まあ、思ったより軽い要求で助かったけど。
 依然ひっきりなしに女の子を連れ込むアルティオにお灸を据えようと、前の女の子の残していったものを分かりやすいところに隠しておいた。
 ……いわゆる爆弾みたいなものだ。
 結果、アルティオは平手を食らって大成功だったのだが……
 これは効果的だと悟ったディートは片づけることなく忘れ物はそのままにしておこうと学習した。
 「…………」
 つまり、爆弾撤去要求だった。
 そして、女ったらしは今日もあのソファーで誰かを押し倒すのだろう。 
 「OK、ボス……」
 今回限りは爆弾撤去に応じよう。
 しかし次からも片づけるとは一言も言わないディートであった。
 トラジェメータのシュークリーム。
 高くついたのか安くついたのか……
 「俺店に戻るけどアルティオは?」
 「まだぶらつく」
 「了解。んじゃあとでな」
 ディートはアルティオと別れて、まるちへと足を進めた。
 
 「しかし微妙だよな……」
 女の子たらし込んで仕事しないのと、仕事したと思ったら毒薬造りに没頭する。
 はたしてどちらがマシなのか……
 すでにアルティオにまともさなど期待していないディートは、どちらをマシと考えるかで悩んでいた。
 「……っと……わっ!?」
 考え事に気をとられていたら人とぶつかった。
 「す、すみません。大丈夫ですか?」
 「…………」
 ディートは慌てて謝るが、相手の男はディートを凝視したまま、何も言わなかった。
 「あの……すみませんでした……」
 反応がないことでかなり怒っていると思ったディートは再び謝る。
 「ミルアルド……?」
 「え?」
 男はいきなりディートの胸倉を掴みあげる。
 「あ…あの!?」 
 ぶつかったのがそんなに気に触ったのか、ディートは訳が分からないまま慌てる。
 「お前…ミルアルドか!?」
 男は険しい形相でディートに問い詰める。
 「ミルアルド……?誰ですかそれ?俺はディートって名前ですけど……」
 「ディート……?」
 男は怪訝な顔のままディートを離す。
 「…………」
 「いや……そうだな。他人の空似か……」
 ぶつぶつと呟き始める男は、ディートを見つめたまま、
 「ああ……そうだ。あの状態で壊れていないはずがない。俺とした事がどうかしていた……」
 「…………」
 壊れる……?
 人に、人間に対して使う言葉とは思えなかった。
 「あの……大丈夫…ですか?」
 「あ?ああ。少々取り乱した。驚かせてすまなかったな」
 相手が怒っていない事が分かってディートもほっとした。
 「じゃあ俺そろそろ行きます。すみませんでした」
 ディートは最期にぶつかったことをもう一度謝って、男と別れた。
 「…………」
 男は去っていくディートの背中をしばらく見つめていた。
 「瓜二つだな……ミルアルドに……」
 身長から体つき、骨格や顔つき、声から仕草に至るまで……
 自分の知っていたミルアルドとまったく同じだった。
 「他人の空似にしては出来過ぎているな……この街にいることも……」
 ディートの姿が見えなくなってから、男は笑った。
 「しかし、俺を見て何の反応も示さないということは、記憶がなくなっているのか?それとも本当に別人か?」
 好意的とはいえない笑みを浮かべたまま、男はディートの居なくなった方向を眺めていた。
 「まあいいさ。『ディート』か……少し調べてみるか」
 男は満足そうに笑った後、ディートが立ち去った方向とは反対方向へと歩き出した。
 「ミルアルド……もしも、あの子が本当にミルアルドならば……」
 二度と、手に入らないと思っていた。
 二度と、戻らないと思っていた。
 壊して、痛めつけて、ボロボロにしてもまだ足りない。
 「必ず、取り戻す」
 男の瞳には、正気ではない光が宿っていた。
 

 ディートはまるちに戻ると、買ってきた材料を棚に並べていた。
 「…………」
 毒薬・毒薬・劇薬・爆薬・睡眠薬・治療薬・毒薬・毒薬・媚薬・麻薬・毒薬……
 「…………」
 まともな薬の割合が少なすぎる……
 「アルティオらしいっちゃーアルティオらしいけど……」
 全部並べ終わったディートはソファーに座って一息つく。
 「あ そうだ。ヘアピン……」
 ディートはシーツをめくって、『ミオちゃん』のヘアピンを取り出して、ごみ箱へと捨てた。
 「約束はこれでよし、と」
 シュークリーム一つ分の働きは完了した。
 
 カーテンから暖かい日差しが入ってくる。
 「…………」
 ぽかぽか……
 ぬくぬく……
 「…………」
 ぽかぽか……
 ぬくぬく……
 「…………」
 ぽかぽか……
 うとうと…… 
 「ん……」
 ぬくぬく……
 こっくりこっくり……
 「むにゃ……」
 ぐーすかぴー……
 
 ぽかぽかぬくぬくと気持ちがいい日差しの中でディートは眠りの誘惑に負けた。

 …………
 そこは暗闇。
 光はある。
 しかし、そこはやはり暗闇だった。
 希望のない暗闇。
 「……っ……ぐっ……!」
 たくさん、たくさん、殴られる。
 痛いと叫びだす間もなく、蹴りが入る。
 「…………」
 咳込む間もなく、髪を掴み上げられ、頭ごと壁にたたきつけられる。
 「…………ぁ」
 意識がある間ずっと、この暴力は続く。
 
 背の高い男だった。
 顔はよく分からない。
 靄がかかっているのか、それとも光の加減で見えないのか、とにかく顔を確認できない。
 そして、また殴られる。
 意識がある間ずっと……
 男の気が収まるまでずっと……
 痛くて、痛くて、もう駄目だと思うと、さらに激しい暴力が襲いかかってくる。
 「………スタ…」
 しかし不思議と辛い、嫌だと感じたことは無かった。
 仕方がない、これは当然の事。
 これが自分の役割なのだから受け入れる理由があった。
 その為に、壊れるまで痛めつけられる為だけに、存在するモノ。
 嘆くことも、逆らうこともなく、主人の為に尽くす。
 それが……の存在理由。
 「……マスター…」
 それが俺の、存在する意味……
 最期は棒切れか何かで身体ごとふっ飛ばされて意識が途切れた。


 「うわぁぁぁー!!」
 夢の中で意識が途切れて、現実で目が覚めた。
 「な……なんだ……?今の夢……」
 はぁ…………はぁ…………
 息切れしながらバクバクする心臓を落ち着かせる。
 「…………」
 殴られ、蹴られ、ふっ飛ばされ、虐待されまくっていた少年。
 「あれってまさか……」
 いやいやいや。
 それは無い。
 だって俺は殴られて黙ってるほどお人好しじゃない。
 少なくとも誰かに痛めつけられるために存在するなんて、そんな馬鹿なことに納得してたまるか。
 自分の存在は自分だけのものだ。
 誰にも、他人の誇りを踏みにじる権利なんてありはしない。
 「でも……嫌な夢だった……」
 あれが俺じゃないにしても、あんなもの見たくなかった。
 思い出しただけでも悲しくなる。
 
 「…………」
 「…………」
 わずかな沈黙。
 明らかな違和感。
 「…………」
 「…………」
 そこに、ディートのすぐ真横にアルティオ・トーディロスの姿がなぜかあった。
 「よっ」
 「…………」
 いつからそこにとか、居るなら声ぐらいかけろとか、そんなありきたりの事を言う前に……
 「うわぁああああ!! 」
 まずは驚いた。
 慌ててずり下がるぐらい驚いた。
 「……その反応は結構傷つくぞ?」
 まるで幽霊でも見たような顔で後ずさりしたディートにアルティオが顔をしかめる。
 「わ、悪い。でもびっくりした。いつからそこに居たんだ?」
 「三十分くらい前から」
 「…………」
 しっかりばっちり醜態は見られてしまったらしい。
 「せっかく女の子連れ込んだのにお前がソファー占領してるからお茶だけご馳走して帰した」
 面白くなさそうに文句をたれるアルティオ。
 ナンパは成功したが据え膳を食らったことがいたく不満らしい。
 ご愁傷さま。
 「ごめん……」
 ん?
 思わず謝ったけどここって謝るとこ?
 むしろアルティオが健全なお付き合いができて喜ぶべきところなんじゃ……
 というか店のソファーはアルティオのナンパ専用ではない……ハズ……
 「ところで……」
 「?」
 「ずいぶんうなされていたみたいだが、怖い夢でも見たのか?」
 さっき叫びながら起きたときの事を言っているらしい。
 「ああ、あれは怖いというか変な夢」
 「きかせろ」
 「なんで?」
 「暇だから」
 「…………」
 やっぱりこいつ悪趣味。
 人の悪夢を暇潰しのタネにするな!
 
 「何か変で、よく分からない夢だったよ。俺とよく似た男の子が、毎日毎日誰かに殴られたり蹴られたりとか、とにかく痛めつけられる夢。何故かその男の子はそれを当然のように思っていた。あれじゃあまるで人形だ。自分に姿が似ているだけに胸くそ悪くて吐き気がした」
 「…………」
 ディートが気分悪そうに夢の内容を話すと、アルティオは珍しく神妙な顔をして黙りこんだ。
 「アルティオ……?」
 冷や汗らしきものを流しながら、難しい顔をしたアルティオにディートが首をかしげる。
 「ディート。今日、変わった事なかったか?」
 「え?どうしたの?いきなり」
 「いいから。何か変わった事は?」
 アルティオの表情から焦りを感じたのは多分、気のせいではないと思う。
 「……そういえば、今日ぶつかった男の人に、『ミルアルド』って呼ばれた。多分人違いだと思うけど」
 「…………」
 「でも一概にそうとはいえないかもな。二年前以前の俺の記憶は無いんだし」
 「…………」
 「アルティオ?」
 「…………」
 「おーい……」
 アルティオの表情が固まったままなので、ディートが目の前でひらひらと手を振ってみせる。
 「むぐっ!?」
 アルティオはディートの頭を掴んで引き離す。
 「何すんだよー!」
 心配しての行動なのに仇で返されてふくれるディート。
 「ディート。そいつには二度と近づくな」
 アルティオが少し怒ったような口調でディートに言い聞かせる。
 「え?なんで?」
 「いいから言うこと聞け!!」
 「…………」
 初めてだった。
 いつも鬼畜で、ロクデナシの人でなしだけど、こんな風に本気で怒鳴られたのは初めてだった。
 「……分かった。ただの通りすがりだし、多分会うことは無いと思う」
 「…………」
 ディートは言われた内容よりも、怒鳴りつけたれたショックの方が大きかった。
 自分はそんなにアルティオを怒らせるような事をしたんだろうか。
 「…………」
 理由が分からないまま、モヤモヤした気持ちだけが蓄積していく。
 アルティオは不機嫌なまま立ち上がる。
 「部屋に戻る」
 「う…うん……」
 アルティオはディートと目を合わせないまま自室の扉を開ける。
 そして部屋に入る前に、
 「さっきは、怒鳴って悪かったな……」
 「へ?」
 「でも、今言った事は守れよ」
 「…………」
 ぱたん。
 扉が閉められる。
 一枚隔てられた壁の先に、お互いの想いが錯綜する。 
 「あ…う……はい……?」
 ショックがふっ飛んで更なるショック。
 アルティオが……
 あのアルティオが……
 「悪かったって……」
 あの、天上天下唯我独尊俺様至上主義が……
 謝ったよ……
 うわー……明日の天気ヤバイよなぁ……
 「…………」
 そりゃー悪い気はしないけど。
 ただ、そんな意外すぎる言葉が出てくるぐらい、今のアルティオは冷静じゃないって事だよな……
 「いやー……まさかね……」
 もしかして俺の事を心配している……とか?
 でもそうでなければあの態度の説明が付かない。
 「…………」
 でも、アルティオは俺に記憶が戻って欲しくないみたいだった。
 それは決して意地悪からではなく、俺の為に戻って欲しくないと思ってくれてるんだ。
 「……らしくないよな」
 誰かの為にあんな風になるなんて、本当にアルティオらしくない。
 でも……
 「悪い気分じゃ…ないけどね……」
 たまにはそんな一面を見るのも悪くは無い。
 ただ……
 アルティオが心配なだけ。
 無理……するなよ……


 「くそ……!!」
 アルティオは自室で一人、苦虫噛み潰したような顔をしていた。
 「記憶が……戻りかけてる……」
 かつて、アルティオ自身が封印したディートの記憶。
 封印する際に垣間見たディートの記憶と、さっきディートの話していた内容。
 そして何よりも『ミルアルド』という名前は、過去にディート自身から聞いたあいつの本当の名前。
 「間違いない。その男、『ミルアルド』のマスターか……」
 冗談じゃない。
 二度と会わせない。
 『ディート』は渡さない。
 その男がディートをあんな風にした張本人なら、渡す訳にはいかない。
 
 記憶が戻りかけてるのなら、再度封印すればいい。
 ただ…その男はもう一度ディートに接触してくるかもしれない。
 そうなれば、封印しても同じ事だ。
 「どうする……どうすればいい……?」
 アルティオは一人頭を抱えたまま、その日は一日自室で過ごした。
 

 次の日。
 ディートは市街地の大型百貨店に足を運んだ。
 百貨店『エリサテリ』。
 フォルトゥーナ各地に店舗を置く有名百貨店。
 「♪」
 実は今日ここで茶葉の特売が行われるのだ。
 ディートはお茶が大好物で、まるちの茶葉は全部ディートが管理していた。
 そしてこだわりもある為、エリサテリの品物入れ替えはマメにチェックしている。
 そして今日はその特売日。
 お茶好きの心をくすぐる響き。
 さあ、どんな葉っぱが俺を待っている!?
 ウキウキ気分でディートはエリサテリへと足を踏み入れた。

 「おう。お目が高いねぇ、少年。それは今日入荷したばかりのシグノージェナス産の紅茶だ。安くしとくよ?」
 「買う買う♪いくらー?」
 ディートはノリノリで店員と話す。
 「三百グラムで、こんだけ!」
 店員は指を二本立てた。
 二千ナムス、という事らしい。
 「んー……もう一声!」
 「うわぁ、少年。顔に似あわず言う事きびしいねぇ。んじゃこれでどう?」
 今度は右手指一本左手指五本。
 千五百ナムス。
 「買った!」
 ディートは値切り成功にガッツポーズを決める。
 別にお金に困っているわけではない(お財布二号のおかげで)が、単に値切るのが楽しいだけであった。
 ほかにも緑茶、ウーロン茶などを見て回って、紙袋いっぱいに茶葉を購入して気分ほくほくだった。
 「♪いいのいっぱいあったなー」
 ディートはご機嫌に街中を歩く。
 エリサテリはいろんな国から茶葉を仕入れてくれるから選び甲斐があるし。
 今日のシグノージェナス産の紅茶、楽しみだなー♪
 「ご機嫌だな」
 「…………」
 後ろから声をかけられた。
 振り返ると、昨日会った男の人が立っていた。
 「こんにちは。ディート君、だったかな?」
 「……コ、コンニチワ……」
 ま…まずい……
 会ってしまった……
 アルティオに二度と近づくなって言われてたのに……
 ど……どどどどどど……どうしよう……
 「き、昨日はすみません」
 「いや、気にしなくていいよ」
 「それならいいんですけど」
 どうやってこの場から不自然にならないように立ち去るかを必死で考える。
 「ディート君。これから時間あるかい?」
 「え?」
 「少し、君と話がしたいんだ。駄目かな?」
 「……だ…だめ……だめというか、すいません。俺これから用事が……」
 特に用事などないが、とにかくこれ以上関わらないようにしなければ……
 アルティオとの約束を破らないためにも。
 「時間はとらせないよ」
 しかし男の方も引き下がらない。
 どうする……どうする……!?
 「す…すいません!俺、急ぐんで!!」
 何も思いつかなかったディートはその場から無理矢理逃げ出した。
 最後に軽く頭を下げる。
 「…………」
 男は逃げていくディートを無言で眺める。
 「さて。記憶が戻ってるわけではなさそうだが。今のマスターの仕業か?」
 しかし男はどうしてもふに落ちないことがあった。
 ミルアルドの、ディートのあの変わりよう。
 笑ったり、焦ったり、くるくると表情が変わる。
 「あれじゃあまるで人間だ」
 男はギリっと歯を食いしばった。
 面白くなさそうに、歯がゆそうに。
 「俺の、ミルアルドをあんな人間もどきにした奴が、今のマスターか……」
 男はディートの去っていた方向を睨みながら、少し震えていた。
 自分のモノを横取りされた屈辱。
 自分のモノが変わってしまった不快感。
 気分が悪い。
 最悪だ。
 許さない。
 ミルアルドも……そして『ディート』のマスターも……
 「…………」
 男は一つの決意を胸に秘めて、人ごみの中へと消えていった。


 ばたーん!
 「た……ただいまー……」
 ぜー……ぜー……っと息を切らせながらディートはまるちへと帰ってきた。
 「おかえり。何だ?帰るなり騒がしい。お目当てのモノは買えたんだろう?」
 アルティオがのんびりお茶をすすりながら問いかける。
 「あ…会ってしまった……」
 「?」
 「だからあの人。昨日会った男の人にまた会っちゃったよ……」
 「…………」
 アルティオの表情が目に見えて不機嫌なものへと変わる。
 「…………」
 うわー!やっぱり怒ってるー!
 しょーがないだろー!
 ふかこーりょくだー!!
 「それで?会ってどうした?何か言ってきたのか?」
 低い声で尋ねるアルティオ。
 メチャクチャ機嫌悪くなってます。
 「何も……話してない。話がしたいって言われたけど、逃げてきた。アルティオが近づくなって言ったから」
 「…………」
 ますます不機嫌な顔に……
 っていうか俺が悪いのか?
 「あの……怒ってる?」
 少しでも接触したのが気に入らないのか、アルティオは険しい表情のままうつむく。
 「お前にじゃねえよ。その調子で避け続けろ。恐らくまた接触してくる」
 「…………」
 「いいな?」
 「あのさ、アルティオ。理由が知りたいんだけど……」
 「…………」
 アルティオは黙りこんだまま何も言わない。
 「多分、そのうち分かる。知ってほしくはないがな」
 「アルティオ?」
 「…………」
 アルティオはディートを睨む事でそれ以上答えることを拒否した。
 「…………」
 アルティオはそのまま部屋へと戻る。
 ディートを避けるように。
 「……はぁ」
 ディートはため息をつく。
 「あの態度はちょっとキズつく……」
 見ず知らず(多分)の男に近づくなとか、理由は言えないとか、かなり横暴だけど、でもそれは全部俺の為なんだと思う。
 っていうかそうでも思わないと納得できないし。
 それでも……
 こうやって避けられるのはキズつくし、アルティオが聞くなというなら聞かないけど、そのうち分かるというのならその時まで待つけど……
 俺はそんな事よりもアルティオと早く元の状態に戻りたいよ。
 今の状態は、何かギスギスしていて嫌だ……
 
 しかし、その願いは届かない。
 状況は更に悪化するように仕組まれていた。
 

 『うぎぇあう゛ぉぁぁぁぉぉぉおお』

 いつもの音。
 いつものため息。
 「はいはーい。今開けまーす」
 まともなお客さんであることを期待しながらディートは扉を開けた。
 「こんにちは」
 「…………」
 そして硬直。
 にこやかに笑うお客さん。
 そう。アルティオが近づくなといった男が目の前に立っていた。
 「あ…あ……」
 ディートは冷や汗を流しながらアルティオがいない事を確認しようとするが……
 「…………」
 いるし!
 ばっちりいるし……!!
 こういう時に限っていつも外ほっつき歩いている奴は部屋から出てきていた。
 「…………」
 「…………」
 うわ。
 ちょー機嫌悪そう。
 「君が店主かい?ここよろず屋だろう?売って欲しいものがあってね」
 男はにこにこと笑いながら店へと入る。
 ディートは止めることもできないまま、とりあえず扉を閉めた。  


 「…………」
 「…………」
 「…………」
 気まずい……
 空気がぴりぴりする。
 「あの……どうぞ……」
 「ありがとう」
 ディートの出したお茶を男は笑って受け取る。
 「…………」
 アルティオは男を睨んだまま、お茶には手もつけないまま座っていた。
 「あんたの名前は?」
 素っ気ない口調のまま、アルティオが客の名前を尋ねる。
 「サイノス。サイノス・フォーガルド」
 「…………」
 男は笑って応えるっが、アルティオは不機嫌なままだった。
 「それで?何を売って欲しいって?」
 「人形を」
 「…………」
 「ある人形を売って欲しいんだ。とても大事なものでね。手放してからずっと寂しかったんだ」
 そう言って、サイノスはディートの方を見る。
 「?」
 ディートは意味が分からず首を傾げる。
 「ディート」
 「何?」
 「向こう行ってろ」
 「え?何で?」
 いきなり追い出されようとしている理由が分からなくて聞き返すが、
 「いいから向こう行ってろ!」
 「…………」
 「ここにいて欲しいな。是非」
 「え?」
 「行けよ。向こうに」
 「…………」
 ここから出て行けという声と、
 ここに居て欲しいという声、
 どちらを優先させるかと聞かれれば勿論アルティオの筈なのに、この時ばかりはサイノスの言葉を選んだ。
 「俺は、ここにいる」
 サイノスは笑い、アルティオはディーとを睨む。
 「…………」
 引き下がらない。
 アルティオに逆らってでも、知りたいことがあるから。
 アルティオに嫌われても、知るべきだと思うから。
 サイノスは俺の過去を知っている。
 これは確信だ。
 俺の二年前以前の記憶を、この男は知っている。
 「……勝手にしろ」
 アルティオはディートを睨みつけて、ぶっきらぼうにそう言った。
 「…………」
 ごめん。アルティオ。
 悪いことをしてるとは、分かっている。
 アルティオが俺を心配してくれている気持ちを無駄にしていることも。
 だけど目を背けたらいけないこと、いつまでも逃げてはいられないことが、あると思うから。 
 今ここでアルティオの言葉に従ったら、俺は逃げているだけになるから。
 目を背けない。
 それが、今の俺がしなければならないこと。
 「人形、売ってくれるかい?」
 サイノスがアルティオに問いかける。
 「どんな人形がいいんだ?アンティークか?それとも可動タイプか?」
 アルティオはサイノスの真意が分かっていてそんなことを聞いていた。
 「くっくく……アルティオ君、だったかな?君も人が悪い。本当は分かっているんだろう?だからそんなにも俺を敵視する」
 「…………」
 「俺が欲しいのは人形師の作品だ。子供のオモチャではなく、見た目人間と変わらない動く人形だ」
 サイノスはずっとディートを見ている。
 「…………」
 何で、サイノスはずっとこっちを見ているんだろう?
 動く人形?
 まさか……ね……
 「だったら人形師の所に行けばいいだろう。俺の管轄外だ」
 有機人形は人形師の生業。
 アルティオは錬金術師。
 よろず屋といっても取り扱えないものは存在する。
 「いやいや。君の持っているものでいいんだがね」
 「…………」
 「アルティオ?人形なんか持ってたっけ?」
 一人だけ、事情が分からないディートがそんな質問をする。
 「持ってる訳ねーだろ」
 「…………」
 アルティオは不機嫌なままそう答える。
 サイノスは笑いながらディートを見る。
 「まさかとは思うが、自分で気づいていないのか……?」
 「え……?」
 サイノスの言葉に、ディートの瞳が揺れる。
 「ディート。聞かなくていい」
 「君も君だ。まさかそいつを人間扱いしているとはね。正気か?」
 サイノスが楽しそうに笑う。
 こちらの動揺をあざ笑うように。
 「どういう……こと……?」
 「黙れよ……」
 アルティオは今にもサイノスに掴みかかりそうな形相で睨みつける。
 「俺は欲しいのは元々俺のものだった人形だよ。『ミルアルド』というね。そう、いまは『ディート』というらしいが」
 サイノスはディートを見てそう告げた。
 容赦なく、冷徹に、本人に自覚のない真実を突きつける。
 「え……?」
 「…………」
 アルティオは黙り込んでサイノスを睨みつける。
 「おどろいたよ。まさか人間のふりをしていたとはね。しかも自覚無しに」
 サイノスはおかしくてたまらないとでも言うように笑い続ける。
 「……俺が……人形……?」
 ディートは自分に向けられた言葉が信じられずアルティオの方を見る。
 「アルティオ……嘘……だよね……?」
 「…………」
 嘘だと言って欲しい。
 何かの間違いだと否定して欲しい。
 「だから、向こうに行ってろって言ったんだよ」
 「え……?」
 アルティオは一言も否定せずに、逃げなかったディートを責めた。
 「俺……ずっと……自分を人間だって……思って……。それが……全部嘘だったのか……?アルティオはずっと……俺に嘘をついていたのか……?」
 「俺はお前が人間だと言ってやった覚えはない。嘘はついていない。ただ、真実を告げなかっただけだ」
 「…………」
 アルティオは冷たく真実を突きつける。
 そうだ、アルティオは嘘なんかつかない。
 隠し事は沢山するけど、嘘をつくような人間ではない。
 だから、今の言葉は紛れもない事実であり真実。
 「俺は……人形……」
 ディートはまだ自分に突きつけられた真実が信じられずに呆然としていた。
 「分かっただろう?君は人間じゃない。そして『ディート』でもない。俺の所有物『ミルアルド』だ」
 「…………」
 今まで好意的だった視線が唐突に支配的なものへと変わった。
 自分が上だとでも言うように。
 「…………」
 ディートは何も言えなかった。
 真実だった悪夢。
 あれは俺自身。
 あれは、過去の俺……
 「…………」
 じゃあ、今の俺は……偽り……?
 「どうして記憶を無くしているのかは分からないが、まあいい。じっくり調教し直してやるさ。なあ?ミルアルド」
 「!」
 ミルアルド。
 そう呼ばれる度に、体がびくつく。
 俺の、本当の名前。
 本来の俺。
 夢の中の、あんな姿が俺のあるべき姿。
 そんなの……
 「記憶は俺が消した」
 「なに……?」
 アルティオの言葉にサイノスが顔をしかめる。
 そしてディートは……
 「どういう…事……?」
 「ディート。お前の記憶はショックで消えた訳じゃない。俺がこの手で消した」
 はっきりと告げた。
 アルティオ自身の手で、『ミルアルド』の記憶を奪ったと。
 「貴様……」
 サイノスはアルティオを殺しかねない形相で睨む。
 そしてディートは…… 
 「どうして……」
 どうして消したのか……
 戻りかけている記憶。
 それを思い出せば、自然と答えは分かるような気がした。
 「気に入らなかったんだよ」
 「…………」
 「お前はあの時破壊され尽くした状態で、雨の中に廃棄されていた」
 「…………」
 二年前、雨の日の記憶。
 ディートにとって、一番大切な記憶。
 今でも忘れない。
 忘れたくない、大切な……
 「サイノス。お前がミルアルドのマスターだというのなら、お前は一度ミルアルドを棄ててマスターの権利を放棄したはずだ。壊れるはずだった廃棄品を俺が回収して活かした。それだけの話だろう?」
 「…………」
 廃棄品……
 今まで俺を『ディート』として扱ってくれたアルティオから初めてモノ扱いされた。
 そのことが深く心を抉った。
 「そうだね。もう使い物にならないと思ったから廃棄した」
 「…………」
 そして、マスターだった人からの痛みを伴った言葉。
 「だから金は払うと言っている。一度棄てた。だが今は取り戻したい。いくらなら売ってくれる?」
 サイノスは売るのが当然のように言い放つ。
 元々は自分のモノだから、返すのが当たり前だと。
 そしてアルティオの答えは……

 「断る」
 「…………」
 アルティオがそう言った瞬間、サイノスの顔が強張った。
 「それは何故かな?言い値を払うつもりだよ」
 平静を装いながら、それでも隠しきれない怒りがあふれ出しそうになる。
 「そうして買い取って、またこいつをあそこまでボロボロにするつもりか?」
 そしてアルティオも怒りを隠そうともしなかった。
 「ミルアルドは俺のモノだ。どう扱おうと俺の勝手だろう?」
 「そうだな。『ミルアルド』は確かにお前のモノだったんだろう」
 「…………」
 ずっと俺が人形であることを認めた会話が続く。
 聞きたくなかった。
 人間だと思っていた時間。
 その時間が、この事実を否定し続ける。
 『心』がある様な気がして、泣きたくなる。
 アルティオですら、俺にとって家族だと思っていたアルティオですら、俺を今人形として会話を進めている。
 「…………っ!」
 家族だと思っていた。
 身内だと思っていたかった。
 だけど俺は、家族でも身内でもなくて、アルティオにとってはただの所有物だったんだ。
 「…………」
 苦しい。
 胸が締め付けられる。
 こんな心はいらない。
 こんな辛いだけの感情はいらない。
 器が人形だというのなら、昔のように、夢の中のように心まで人形になってしまえばいい。
 そうすれば、こんな苦しい気持ちは味あわなくて済むのだから。
 人形に……戻りたいよ。
 人間だと思っていた時間など、忘れていいから……
 「でも……」
 「アルティオ……?」
 アルティオがディートの方を真っ直ぐに見据える。
 決意を秘めた瞳で。
 「でも『ディート』はまるちの店員で、俺の身内だ。お前なんかには譲らない」
 「……!」
 「…………」
 サイノスの瞳に殺意が宿る。
 そしてディートは……
 「アル…ティオ……」
 人形じゃない。
 身内だって、言ってくれた……
 そうだった。
 いつだってアルティオはひどかったけど、俺を人間として扱ってくれてたじゃないか。
 そして今も……
 それだけで、胸がいっぱいになる。
 「…………」
 アルティオはディートを見て笑った。
 そしてサイノスの方へと向き直り、腕を組んでふんぞり返る。
 アルティオらしい、いつものどうでもいい他人を見下した態度だった。
 「と、いうわけで交渉は決裂。お前なんかにディートはやらない。お帰り願おうか」
 フフン、と明らかに上からものを言っている態度。
 いつもの、ディートのよく知っているアルティオ。
 その姿にいつもは呆れていたのに、今はそれが心地よかった。
 「ミルアルド!」
 サイノスがディートを縋るような目で見る。
 「…………」
 「ミルアルド!お前は俺の、俺の人形。俺だけのモノだったはずだ!お前の居るべき場所はこんな場所じゃない!この俺の所なんだよ!なぁ?分かるだろ!?」
 ディートの服を掴み、必死で訴える。
 「…………」
 しかし……
 ディートはその言葉を受け入れられなかった。
 「サイノスさん。今の俺は『ミルアルド』じゃなくて『ディート』だ。だからあなたの言うことは分からない」
 「…………」
 突き放された言葉。
 向けられた拒絶。
 その事実を受け入れられないサイノス。
 「…………」
 ミルアルドは、黙って俺に従っているだけの人形だったのに……
 こんな、人間みたいな表情することなんて、許されないのに……!
 「駄目だ!!」
 「サイノスさん?」
 「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!ミルアルド、お前は俺のモノなんだ!だからこんな所にいるべきじゃないんだ!」
 既にまともな思考が出来なくなっていたサイノスは、無理矢理ディートの腕を引っ張る。
 従わないのなら無理矢理従わせる。
 必ず連れて行く。
 「ちょ……ちょっと……!!」
 腕を掴まれ出口へと向かわされるディートは力一杯サイノスの手を振り払った。
 「……ミル…アルド?」
 「…………」
 ふりほどかれた手。
 拒まれた絆。
 ディートはサイノスを睨みつける。
 「俺は行けない。俺は、アルティオの家族だから。あなたとは行けない」
 「…………」
 はっきりとした拒絶。
 明らかに自分のモノではないモノに変わってしまった人形。
 そのことが、サイノスを打ちのめす。
 「……く……そ……!」
 サイノスは震えながら、ソファーでふんぞり返るアルティオを見る。
 「お前が……俺からミルアルドを奪ったんだ!」
 「お前がミルアルドを棄てたんだろう?」
 感情の限り言葉をぶつけるサイノスと、いつものように相手を見下すアルティオ。
 その態度に、サイノスがなお逆上する。
 「うるさい!お前が、俺のミルアルドをあんな人間もどきに変えたんだ!許さない!絶対許さないぞ!!」
 「それで?バカに付き合うほど俺も暇じゃないぜ?」
 「…………」
 アルティオは人の神経を逆撫でする天才だとディートは実感した。
 「ミルアルド……絶対……取り戻す……!!」
 「…………」
 オニのような形相でサイノスに睨まれたディートは思わず数歩後ずさった。
 「…………」
 そのまま無言でまるちから出て行くサイノス。
 そして、店の中にはアルティオとディートのみが残された。
 「…………」
 「…………」
 お互いに気まずい沈黙。
 「……あ」
 何を話せばいいんだろう。
 いや、違う。
 何から聞いたらいいんだろう。
 どうして、二年前俺を助けてくれたのか……
 どうして、俺の記憶を消したのか……
 そして……どうして、俺を人間扱いしてきたのか……
 二年前から歳をとっていないような気がする自分に対して疑問も持たなかった。
 そんな疑問も必要がないぐらい、毎日がとても充実していたから。
 アルティオの気持ち。
 アルティオの真意。
 俺は、ちゃんと知りたい。

 『俺は知っていく事って、結構大事だと思うんだ』
 
 そう、知ることは大事だ。
 自分で言った言葉。
 今も強く、そう思う。
 「アルティオ……」
 「…………」
 アルティオはディートと目を合わせないまま、ソファーにもたれかかる。
 「…………」
 目を合わせてくれなくてもいい。
 俺に必要なのは、守るための隠し事じゃなくて、前に進むための真実。
 「教えて欲しい。色々と……」
 「…………」
 「俺、引き下がらないから」
 「…………」
 ディートはアルティオを真っ直ぐに見る。
 逃げ出さないために。
 そして、逃げられないために。
 「…………」
 アルティオは大きな溜息をついた後、ディートと目を合わせる。
 「ディート」
 「うん」
 「お茶」
 「…………」
 真面目に話をする気があるのか無いのか。
 アルティオはそんなことを言ってきた。
 「あのなあーーー!!」
 があーっとアルティオに詰め寄るディートの頭の上にあるティオの手が軽く置かれる。
 まるで、撫でているみたいに。
 「長い話だからな……」
 今度こそ逃げずに、全部話すと、そう言っていた。
 「……うん」
 ディートは笑って頷いて、アルティオと、そして自分のためにお茶お入れた。