
| EpisodeW 「それぞれの運命」 E | |||
| 6 空に浮かんだ二つに並んだ月が、淡い光を地に注ぐ。 月光に照らされ、そこに姿を現したのは、小さな佇まいの庭園。 燕尾服に身を包んだ執事がウサギの面を被って――いや、むしろその逆、燕尾服に身を包んだ白ウサギの執事が、これまた西洋の装束に身を包んだ野ウサギの客達が気を荒くして追加の注文を叫ぶのに、せわしなく走り回る。 そこは三月ウサギの庭園。 現実から隔てられた小さな世界、陽子の用意した魔術空間だった。 「馬鹿言うなよ! そんなの受け入れられるか!」 庭園の騒がしい喧噪の中に、恭介の怒鳴り声が響く。 その声に呼応してなのか、空は晴れているというのに雷雲が低く轟くような音が小世界の地平線の向こうから聞こえてくる。 今は随分と、心象が不安定だ。こんな現象が魔術空間に具現化することは今まで無かったはず。 もちろん何故こんな事になっているか、理由は簡単だった。 今までになく心が動揺しているからだ。 オーク材の小さなティーテーブルを荒々しく叩く音、そしてそれに続く遠雷。傍らで給仕をしていたウサギの執事がその音にびくりとし、思わずトレイから紅茶の注がれたカップを取り落とす粗相をしてしまって、彼の小さく赤い瞳が顔色を伺い見上げてきたのさえ気付くのに数秒かかってしまった程だ。 普段と変わらないはずなのだが、庭園の野ウサギ達もいつになく喧々囂々しているようにも思えてしまう。全ては胸が苦しくて酷く思考が回らないせいだ。 そういえば、私はさっきまで何を話していたのだったか。そうだった、兄に告げなくてはならない運命について……だ。 声を荒らげる兄に、テーブルの対面に落ち着かない様子で腰掛けていた陽子が心苦しく返事をした。 「簡単には受け入れられないのはわかります。しかし、それが史文の家から課せられた運命……そして貴方にそれを告げ、貴方の力を解放するのが私に与えられた黒鍵としての役目なのです……」 思った通りの反応だった、と陽子は胸が更に締め付けられる感じを覚え、それを少しでも紛らわせるようにミルクティーに口を付けた。 兄が激昂するのも仕方がないことではあった。彼が課せられたのは運命の二文字で片づけられた理不尽な注文だからだ。 ミウ・カーミラ・カルンシュタインの抹殺。 しかも、自らの命と引換に。 心を寄せる神良深憂と望まぬまま無理心中しろと言っているような物なのだ。 「貴方様は、永遠の命を持つ真祖の吸血鬼を存在ごと消滅させる――つまり殺すことのできる強力な魔力を持って生まれました。それ故に貴方の潜在する魔力に魅了されるように真祖の本能は引き寄せられ、貴方を愛するようになり、やがて吸血鬼の女王として人間の世界を滅ぼそうとする事は予見されていたのです」 「予見? ふざけるなよ、どうして深憂さんがこの世界を滅ぼそうとする事を選ぶのが偶然じゃないと言うんだ」 陽子が遠慮がちに頷いた。 「……彼女の吸血鬼としての能力は、白鍵という真祖の吸血鬼の魔力を封印・解放する事のできる聖遺物によって封印されていました。しかし、その封印も完全ではなかった。封印が完全だったら彼女がこの世界の人間達に蔑まれる事も無く、人間と自分との違いに嘆く事も無かったでしょう。そして実際に彼女は自分から吸血鬼の女王となってしまった」 「だから、俺に深憂さんを止めるために殺せと?」 「もう、そうせざるを得ないのです。この世界は、真祖の非常に強力な魔力によって吸血鬼の世界に変えられようとしています。それを彼女は、ミウ・カーミラ・カルンシュタイン自身が心から望んでしまったから……」 胸の奥でつっかえる言葉を噛み殺すように言う陽子に、恭介が怒鳴った。 「深憂さんが本当にそんな事を望んでるとでも言うのかよ!」 「ええ、彼女はそれを望んでいるわ」 林檎が口を挟むのに、恭介は訝しげに彼女を見た。 彼女がこの場にいる事が恭介にとっては不服ではあったが、それは陽子の申し出によるものだった。 デイライト・ウォーカー級の吸血鬼が飛び回る空の下で落ち着いて話をするのは危ういのもあったが、できる事なら彼女の手助けが欲しいというのが陽子の判断だった。 カインとの戦いで焼けた彼女の制服は、陽子の有り合わせのドレスに着変えられていた。 比較的ゆったりした物が選ばれたにもかかわらず、陽子に合わせたサイズが少し小さいのか深紅のドレスを少し窮屈そうにしていたが、ドレスの赤色は凛とした彼女の美貌を際立たせている。 恭介は不本意ではあったが、自分がそう思ってしまった事を悔しげに奥歯を強く噛んだ。 林檎が三月ウサギの庭園の景色に、その場にいた現実では存在し得ない人間のように歩くウサギに、夜空に浮かぶ双子の月に視線を巡らせ、言った。 「二足で歩く兎、二つの月。明らかに現実の物ではない――魔術によって作られた世界。神良深憂がしようとしているのは、この空間と同じ原理よ」 「どういう事だよ」 恭介が不機嫌に言葉を返すが、林檎はそれを気にした様子も無く続ける。 「貴方も、街が消えて彼女の城が現れていったのを見たでしょう」 「まるで透明な津波が街を飲みこんでいくようだったな。それがどうしたって言うんだ?」 「彼女の空間魔術が現実を浸食しているという事よ。でもあれは小世界なんていうレベルではない。世界を作る空間魔術は術者の心象世界――想像で作り出した空想の世界を具現化したものだと聞いているわ。あれだけの空間魔術を発動させるのには強く願う心の力が必要よ。強大な魔力があったとしても、この世界を変えたいと思う強い意志が無ければあのような事にはならない」 「そんな……、それじゃあ本当に……」 林檎の言葉に恭介は言葉を失い、陽子がそれに頷く。 「林檎さんの言う通りです。もうこの世界に残された時間は後わずか、吸血鬼達の物になるのも時間の問題です。そして、もう彼女を止められるのも貴方しかいない……」 心苦しく言う陽子に恭介は奥歯をぎりりと鳴らす。 「……だから俺が深憂さんを殺せと。俺に死ねと言うんだな……! 親戚連中が決めた運命だからっていう理由で……!」 「……」 恭介が睨み付けてくるのに、ただ陽子は押し黙るしかなかった。 毅然としていたとしても、涙が自然と溢れ返ってくる。 昔から、ずっと抱えてきた気持ちが陽子の中でぐらぐらと揺れ動き、押さえきれずに爆発しそうになる。 「――できれば」 呟く陽子の瞳からぼろぼろと涙の粒がこぼれ落ちる。 胸の奥で沸き上がる悔しさが今まで押さえていた気持ちを溢れさせた。 「……できれば私だって、こんな事……言いたくない……よ」 「陽子……?」 「……決められた事だからって、お兄ちゃんに死んで欲しいなんて思う訳ないじゃない! 血を分けた……兄妹なんだよ……!?」 今までの粛然とした口調は崩れ、感情を剥き出しに陽子は悲嘆する。 涙でぐちゃぐちゃになった顔で、溢れ出てくる嗚咽を歯で食い縛りながら、陽子は途切れ途切れに言葉を続ける。 「理不尽……っ……だよ。運命だなんて、こんな……誰かに仕組まれた話に付き合わされて……。こんな辛い思いをしなくちゃいけないなんて……」 「仕組まれた……? どういう事だよ、それは!」 「全ては……、抹殺者達《Negateors》で吸血鬼狩りをしている吸血鬼の仕業なの――」 恭介が問うのに陽子が涙声で答えたのは、深憂がこうなってしまったのはバチカンの吸血鬼達に仕組まれていたという事だった。 彼女の幼い時から今に至るまで、彼女の行く先々で蔑まれて来たのはバチカン市国の夜の棲人の世界に属さないはぐれ吸血鬼達の仕業。 彼女が恭介と一緒の高校に進学したのも、史文の強い魔力に引き寄せられたからで、世界を変えるための心象を作り出す為に愛という強い意志の力を利用するのが目的だった。 そうして深憂が世界への絶望を抱く土台を作った上で恭介に恋をするようにし、愛という感情を芽生えさせた。 下準備を終えた後は人間に対する絶望を完全な物にし、真祖として目覚めさせた上で真祖の無限の魔力でこの世界を吸血鬼に変えさせようとすると、そういう事だった。 それこそが、泣きじゃくる陽子が訴えた、仕組まれた運命の真相だった。 「お兄ちゃんの血は吸血鬼にとっては最上級の魔力を含んだ物……、深憂さんがお兄ちゃんの事を好きになってしまうのは当然で……。私はオカルト研究部で彼女の様子を監視しながら、運命の時が来た時の対処を考えてた……。深憂さんがお兄ちゃんを好きなだけなら大丈夫だと思って、二人の恋路は邪魔せずにバチカンの吸血鬼達が来る時の事ばかり考えてた……」 「……」 「それが甘かった……よ。吸血鬼騒ぎがあった時、三人で吸血鬼探しをしたよね。事件が起こった時、彼らが最後の仕上げに来たんだと思ってた。深憂さんにバチカンの吸血鬼が接触するかもしれないと思って、陰から二人の様子を伺ってたの。きっと未然に防げるはずだから、防ごうって思ってた」 「……」 「でも何も起こらなかった。今思えば、浅はかな考えだったって思うよ……」 恭介は、脳裏で深憂と初めて唇を交わした時の情景を思い返していた。 ベンチの裏で隠れ、突然姿を現した陽子が二人の睦まじい様子をただ楽しんで覗き見ていた訳では無かった事に気付く事さえなかった。 陽子に自分の知らぬ所で苦労をさせてきた事に、自身は何も知らず、ただ二人きりの時を満喫していただけだったのだと思うと恭介は自分に憤りを感じた。 「どうして……言ってくれなかったんだよ……」 「言わなければ、私だけがこらえて黙っていれば、このまま皆と平穏な毎日を暮らす事ができたと思ったの……。でも、結局深憂さんはお兄ちゃんの事を噛みたくなるまで愛するようになって、だけれど自分が吸血鬼で人間の世界では生きていけないと絶望して、吸血鬼の世界を作り出すよう願ってしまった。こうなるくらいだったら、いっそ深憂さんがお兄ちゃんを好きにならないように邪魔ばかりしていれば良かった……っっ!!」 陽子が悲痛に声を震わせ、視線を落とす。 ――駄目だ、また涙が溢れ出してくる。 どうしてこんな事になってしまったんだろう。 全てを知っていながら、結局見ているだけで何もできなかった。 結局、家に決められた運命を果たすしか、ちゃんとした理由をつけて選べる選択肢は無かったのだ。 例えそれが、自分では決められないからと言って運命という言葉で片付けた逃げの選択であったとしても。 結局、死なせたくなかったはずの兄には無理な難題を押しつける事となった。 同じ部活の仲間を、兄の好きな人を殺すのを選ぶ事になった。 親友とは立場上敵になった。 避けたかった事態、それを全部防ぐ事ができなかった。 全て自分の責任だ、自分が甘いから。 だから胸が張り裂けて、このままこの世から消えてしまいそうなくらい、痛い。苦しくてたまらない。 自責に押し潰されそうになる陽子。そんな彼女の頭にぽん、としっかりとした感触が乗せられた。 柔らかく、そして優しく髪を撫でる感触が陽子の悲痛な心持ちを和らげてくれた。 不思議と落ち着かせてくれるそんな優しくて大きい掌――それは立ち上がり、テーブルをまたいで腕を伸ばした恭介の物だった。 「……陽子、お前に苦労ばかりかけてごめんな」 「お兄ちゃん……」 頭を上げた陽子が見た恭介の表情は、笑顔だった。 今まで見た兄の顔の中で、それは一番優しい表情に思えて、どうしてか先程とは違う感覚で胸が締め付けられるように陽子は感じた。 「俺しか深憂さんを止められないのはわかった。俺が何とかする」 「でも……、それじゃ……お兄ちゃんが死んじゃう……!」 「いや……」 恭介が首を横に振る。 「俺は死なない」 恭介が表情を笑顔から戻し、真剣な眼差しを陽子に向けて言う。 それは決意を孕んだ物で、陽子は何故兄がそんな事を言うのか意図を読むことができなかった。 「どういう……事……?」 「陽子の話を聞いて、ピンと来たんだよ。とにかく俺に任せてくれ。時間が無いんだろ? お前の力を俺に貸してくれ。陽子が運命に逆らおうとしたように、きっとまだ抗える」 困惑する陽子に押し切るように言い、恭介が林檎に視線を向ける。 「音無さん、あんたも協力してくれ」 「貴方は良いの?」 林檎が不可解な物を見るように聞き返すのに、恭介は首を横に振る。 「正直、俺はあんたを信用してない。深憂さんを一度は殺したからな。でも今はそんな事言ってる場合じゃない。それに、さっきのカインって奴との様子を見る限りあんたは今は敵じゃない」 林檎が眉根を上げてみせ、恭介の言葉に感嘆した。 「随分と冷静なのね」 「ここであんたがした事を咎めたって事態が良くなりはしないだろ」 真剣な、決意を孕んだ強い口調に、林檎が瞼を伏せふっと息を吐いた。 「……わかったわ。それで、具体的には何をすれば良い?」 「今からあの塔に乗り込む。陽子と音無さんは、俺が深憂さんの所に辿り着けるまで護衛して欲しい。俺が深憂さんを止めてみせる」 「それは女王陛下を我々から奪い返すつもり……という事ですか」 突然、男の低い声が恭介に言葉を投げかけた。 「誰だ……!?」 それに驚き振り返るが、そこには相変わらず騒がしいウサギ達の茶会の光景が目に映るだけで、声の聞こえた方向には誰もいない。 空の向こうの雷雲は更に激しく光を発し、荒々しく雷鳴を轟かしている。 「気のせい……ぐァッ!?」 突然、恭介の身体を何者かの腕が絡めとり羽交い締めにしたかと思うと、ふわりと足が地から浮く。 得体の知れない力によって自分がテーブルから遠ざかって飛んで行くのに恭介が横目でちらりと背後を向いた。 そこにあったのは一面の、闇。 恭介の瞳に映ったのは、喧噪に包まれていた庭園が、現れた闇雲に瞬く間に飲み込まれていく光景だった。 「侵入者!? この空間は外界から遮断してあるはず……どうして……」 陽子が呟き、ハッとする。 先程までの雷鳴は心象が不安定なせいだけではなかった、強い魔力が陽子の世界を作り出す魔力にぶつかり、魔術空間に亀裂を入れる音だったという事か。 陽子が表情を曇らせるが、魔術空間の侵入を可能にする事ができる人物を思い浮かべると、悔しげに舌打ちした。 ――カーミラだ。 閉鎖した魔術空間に干渉、または侵入するのは術者の作り出した世界の構造を理解し、そのほつれから侵入するという方法である。それを行うならば、術者の事をよく理解している者にとって侵入は容易。 言ってしまえば魔術空間への侵入は心象世界のほつれ、つまりは心の隙間に入り込むという事だからだ。 陽子と林檎から数メートル離れ、恭介を縛する闇から伸びた腕が実を現していく。 暗影から肩が、胴が這い出で、闇の中に顔が現れた。 男の顔だ。 やがて闇から実体を全て現すと、男は無表情に、淡々と告げる。 「貴方方の思うようにはさせません。彼女が居なければ私達の目的は泡沫に消えてしまいますからね」 恭介の左の脇腹に、硬い何かが押しつけられた。 それが何であるか理解し恭介が強ばらせるのに、男が口を開く。 「そう、賢明な判断です。私の銃は貴方の左胸をすぐにでも貫ける。そこのお二人もじっとしていて下さい。でなければ彼の命の保証はありませんよ」 ――突きつけられているのは拳銃。 無骨な銃口が押しつけられたとわかった瞬間、冷たい威圧感を感じて、凍るような震えが恭介の背筋を走っていく。 「貴方……」 闇から姿を表した男の姿を見るなり、林檎はすぐさま拳銃を手元に呼び寄せ、銃口を男に向けた。 ![]() 「ロニ……ッ!」 憎悪に満ちた瞳で、林檎はロニを睨む。 彼女の表情に、向けられた銃口に、ロニは悲しげに眉根を下げた。 「……数刻ぶりですね。貴方を裏切った私を恨みますか、林檎様」 「そうであって、そうじゃないと言っておこうかしら。どちらかと言えば、貴方と再会できて私は嬉しくてたまらないの」 「それは光栄……と言いたいところですが、純粋に私の事を想ってというわけではなさそうですね」 「……貴方の顔を見たいわ。本当に長く感じれた貴方と離れていた時を埋めたいの。ロナルド・ジェイムス・ディオと名乗っている男の顔ではない、貴方の本当の顔を見せて」 言われ、ロニはあくまで表情には出さなかったものの、その場に訪れた沈黙は彼の困惑を如実に現していた。 諦めたように瞼を伏せ、ロニが発する言葉に魔力を込める。 『Eject《仮面を脱せ》』 たちまち、黒い髪はブロンドの髪に彩を変える。 頬と顎の骨格がごきごきと鈍い音を立て形を変えていく、やがて、ロニのイタリア人系の顔は、まるで被る仮面を付け変えたかのように別人の顔に変わった。 ロニが瞼を上げ、碧眼に変わった瞳で林檎を見た。 「……カインから、聞いたんだね」 「ええ。百年振りの再会ね、"ロニ"」 林檎の言うロニとは、ロナルドの愛称としてではなく、彼女を吸血鬼にした男の愛称の意味だ。 「ロニ、いえ……ロノウェ、まさか貴方がこんなにも近くにいるだなんて。貴方が部隊に来たのは十年前……、悠久とも思える旅路で私の感覚も鈍ったのかしら。百年前のロンドンで貴方が消えた朝から、この日を気が遠くなるほど待ち望んだというのに」 「……」 「私を噛んだ次は、次は人間を装って側にいる……まるで物語の吸血鬼のよう。噛んだ者の前にもう一度現れるなんて、偶然とは言えないと思うわ」 言われ、ロニ――ロノウェ・ランスロット――はしばらく黙り込んでいたが、重く閉じた口を開く。 「……偶然じゃない。部隊に君が居る事を知って、私は君に近づいた」 その口調は、もう自分より上の立場の者に向けるといった風情ではなかった。上下は関係ない、もっと対等な立ち位置。 それは副隊長のロナルドではなく、百年前に音無林檎という少女と暮らしていた頃に彼がしていた口調だ。 しかも別人が話しているかのように、その声の色は変わっていた。 百年前と変わらぬ口調、声でロニが語りかけてくるのに、林檎は怪訝な表情で聞き返した。 「何のためにかしら?」 「それは――」 聞かれ、ロニが口ごもった。 躊躇したように首を横に振る。 「……言えない。言った所で今の君が銃を下ろしてくれるとは思えない。できれば、私は君と争いたくはない……」 「痴れ言を……!」 林檎が、ロニへ向けて拳銃の引き金を引いた。 銃弾は盾にされている恭介の頭上をかすめ、ロニの額へと一直線に飛ぶ。 しかし、銃弾は彼の額を撃ち抜くことはなかった。 ロニの身体を覆う闇色の雲がしなる触手のように伸び、額に届く前に銃弾を飲み込んだのだ。 「無駄だよ。林檎、君の銃弾が私を貫く事はない。お願いだ、大人しく銃を下ろしてくれないか。私は君を傷つけるつもりはない」 「眠っている私を襲わせて、何を言っているの」 「配下の吸血鬼を君にけしかけたのは、カインがミウ様に入れ知恵をしての事だ。君は吸血鬼を心底憎んでいるから、私達の目的の障害になると言ってね。しかし、私はそんな事は望んでいない。私は君を愛しているんだ、できれば傍に居て欲しい。君に私達の力になって欲しいんだよ……」 ロニの懇願に林檎は不愉快に眉根を吊り上げた。 ――私を噛み、忽然と姿を消した男が今更何を言っているのか。 吸血鬼に家族を殺された、それだけではなく自分自身さえも吸血鬼となった。 愛という名の甘い嘘で何も知らぬ少女の私は汚された。人の血肉を求める化物にされ、理性を保つ事ができるようになるまでどれだけの罪の無い人間を噛み殺し、その生き血をすすって来たか。 気の遠くなるような年月をこの男を抹殺する為だけに、牙を削り、できる限り人間としての魂を失わずに生き繋いできたというのに。本当は傍にいる事など気付きもせず。 愛という言葉に騙され、次は姿も声も変えて傍に居て裏切られ―― それがまだ、そんな、甘い戯言で私を騙そうとしているのか。 吸血鬼の世界を作る一員として、私を取り込もうとでも……? 「馬鹿を言わないで……ッッ! 貴方もカインも、快楽に身を任せて人を喰らい殺す輩の仲間のくせに……!」 林檎の叱責に、ロニが悲しげな表情を浮かべて見せ、瞼を伏せる。 「……それは否定できない。君の側にいた十年、自分を生かす為に私は君に隠れて吸血を繰り返していた。だが、この世界の全ての人間が吸血鬼になれば、ミウ様の無限の魔力によって吸血鬼が人間を噛む必要が無く生きることができる。人間と吸血鬼は元は同じ存在。全てが一つになれば、互いの考え方の相違によって生まれる悲しみがなくなる、互いの存在を認め合う事のできる世界ができるんだ。お願いだ、林檎……わかって欲しい」 「下らないわ。理解を求めようとする方が間違いね」 明確な拒否。それも、包み隠さず、確かな敵意を込めた。 憎悪に染まる彼女の表情を寂しげに見つめ、ロニは静かに呟いた。 「そうか、残念だよ」 そっと、腕を上げた。 恭介とロニに絡み付いていた闇雲が四方八方に広がり、三月ウサギの庭園全体を飲み込んでいく。 陽子が咄嗟に掌中の種子を覚醒させ、ホワイトアッシュの大槌に変えるとそれを手に身構え、ロニを睨みつけた。 「兄を連れて行くつもりですか。そうはさせません」 「悪いが、君達には邪魔をさせない。陛下は彼が居ない世界には興味を持たれない。それでは困るからね」 闇は恭介とロニ、二人をも濃密に包み込み、その気配が黒い濃霧の中に紛れて行く。 「待ちなさい、ロニ!」 「お兄ちゃんは連れて行かせない!」 林檎と陽子が後を追い、暗雲の中に飛び込もうとする。が、その二人の行動も恭介の一声に遮られた。 「二人とも止めるな! このまま連れて行かせてくれ!」 「何で!? どういう事、お兄ちゃん!?」 恭介が叫び申し出るのに、陽子が驚いて聞き返す。 しかし、それに恭介は答えることは無かった。 「俺を深憂さんの所に連れて行ってくれ」 恭介がロニに言うと、ロニは意外そうに眉を上げた。 「変わり身が早い。ミウ様の奪還は諦めた、という事ですか。ミウ様と吸血鬼の世界を作るのに、快く同意していただけると?」 「勘違いするなよ、あんたらの思うようにはさせないさ」 恭介が強い口調で言い返すのに、ロニはフッと息を吐き出した。 「面白い事を言う方だ。良いでしょう。何を企んでいるかは知りませんが、貴方の望み通りにして差し上げます」 呟き、ロニが腕を虚空に差し出して指を鳴らす。 『Leaping《私と彼を塔へと誘え》』 「待て!」 陽子と林檎が闇雲の中の気配に駆け寄ろうとするが、もう遅い。 ロニの空間跳躍の魔術が発動し、魔力が魔術空間のひび割れた空に空間の隙間を開けた。それを抜けて、二人の姿が掻き消える。 ロニの作り出した闇雲の全てが空に開いた穴に吸い込まれ消える頃には、陽子の作り出した魔術空間は音を立てて壊れ去り、現実世界の昼の林道に戻っていた。 |
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