EpisodeT 「彼女の唇は鮮血のように紅く」 D
   5

 吸血鬼事件対策本部発足ほどなくして、オカ部一行は学校から帰宅しすぐさま街に繰り出す運びとなった。
 時刻は7時00分。森彼方駅は事件のあった公園からは、歩いて行けるような距離にあり、恭介達が住む撫蘭町からは一駅行けば到着する。
 日が暮れかけた駅前、そのロータリーには仕事帰りのサラリーマンがバスを待っていたり、大学生くらいのカップルが森彼方市の中心街である駅前へ遊びに来ている様子が伺えた。吸血鬼事件があったことなど知らないのか、それとも知っていても「自分には関係ない」と他人事のように思っているのか。どちらにせよ、街の様子はいつもと変わらない光景を保っている。
 しかし、恭介はその平穏の中に局所的に緊張感を隠す街の微細な異変を感じ取っていた。
 それは交番の前に立っている警察官の様子だった。メタボリックな、それでいても太いなりにほどよく引き締まった体型の中年警察官がやけに厳しい眼差しで道行く人に目を光らせているのが恭介は気になっていた。
「妙だな……」
「何が?」
 隣で陽子が顔を上げて聞き返してくるのに、恭介が言葉を続ける。
「吸血鬼事件があったのはわかるけどさ、なんかやけに警察が厳戒態勢なように見えないか?」
「そうなの?」
 陽子が交番の前で立番する警察官を一瞥する。
「そういえば変だよね。いつもだったらこの時間には、交番の前でお巡りさんが番なんてしてないし……。警察も事件に警戒してるのかもね、また誰かが吸血鬼に襲われるかもしれないって……」
「そんなまさか……」
 気のせいだと思いたい。
 妹の好奇心で吸血鬼事件を探ろうとしている矢先に、本当に警察が厳戒態勢で今にも危険が差し迫っているというのは避けたい物だった。犯人が吸血鬼であるかはこの場合問題ではない。
 どちらにせよ、警察が警戒している様子を見せているということは、犯人は次の被害者をみつけようとしているかもしれないと危惧しているのには間違いないのだ。好奇心は猫をも殺すではないが、恭介にとってはここで深入りして危険な目にあうのは免れたいところではある。
「良いじゃない、好都合だよ。ますますこの事件、面白くなってきそうだよ」
 交番の様子から視線を戻した陽子が野次馬根性丸だしに瞳を輝かせているのを見て、恭介は疲れたような表情を浮かべた。
「何が『面白くなってきそう』だよ。陽子が犯人に襲われても、俺は逃げるからな」
「お兄ちゃんって結構薄情だよね……」
「バカ、お前みたいな危ないことにまで首を突っ込みたがる奴に付き合わされている俺の身にもなれよ」
「じゃあ、お兄ちゃん帰れば良いじゃん」
「ああ、そうさせてもらいたいよ」
「あれ? 恭介君帰っちゃうの?」
 突然背後から声がして、恭介は驚いて振り返った。
「やっほ〜、お待たせぇ」
 そこには、いつもの白いキャミソールにターコイズグリーンのカーディガンを羽織った深憂が小さく手を振っている姿があった。
 深憂の姿を確認するや否や、恭介が目の色を変えて先の発言を誤魔化すように笑った。
「かっ……帰らない、帰らないよ! むしろ喜んでついて行くさ!」
 両手をばたばたと振って弁明する兄の姿に、陽子はやれやれと嘆息するとしみじみと言った。
「本当、お兄ちゃんって変わり身早いっていうか……。わかりやすいよね……」



 事件のあった公園に着くや否や、オカルト研究部の面々は部員総出(と言っても3人だけだが)の捜査を開始した。
 聞き込み、陽子の怪しい魔術による現場検証、あまりにも何も証拠が見つからないので自販機で買ったジュースを飲みつつ通行人を眺めてまったりしてみる等の独自の捜査方法で事件を考察した結果、陽子は一つの結論を下した。
「やっぱり、吸血鬼の仕業に違いないよ……!!」
 陽子がベンチから立ち上がり、一体どこを見ているのだというくらいに空を仰いで拳を握る。それはもう理屈も糞も無いくらいの、決め付けの甚だしさである。
 そんな彼女に、ベンチ座って缶コーヒーを飲んでいた恭介が一言投げかけた。
「んなわけないだろ……」
 実際問題、吸血鬼の仕業と決めるにはあまりにも情報が少なかった。
 そもそも聞き込みしようにも、事件があった場所であるせいなのか、人の姿はまばらだった。話が聞けたのは5人くらいだったが、どれもこれも恭介にとっては本当にどうでもいい話ばかりだったのだ。
 深憂と陽子が犬が可愛いとじゃれてたお陰で飼い主から愛犬に対する「いとしさと、せつなさと、いといしげさと」について延々と語られる羽目になったり、どれだけ話しかけても「武器は装備しないと意味が無いんだぞ」としか返事してくれない人を相手にしていただけに、恭介は心底げんなりとしていた。
 唯一事件に関係のある話と言えば、いつも犬の散歩をしているというお爺さんから聞いた話では、被害者のOLの容姿についての話だけだった。
「よく来ているから顔は見ていたけど、美人だったねぇ……ってそれが何の役に立つんだか。それに、陽子の魔術で調べてみるってのも胡散臭いしなぁ……」
 甘味の混ざったコーヒーの苦味と酸味が口内に広がるのに、恭介が一息つく。
 陽子が言うには、人間界における人間の死を観測している悪魔と契約して、情報を聞き出したということらしい。しかし、恭介にとっては眉唾もいいところの話である。
「あー! お兄ちゃん、私の魔術を信用してないでしょ!」
「ああ、信用してない。俺は現実主義者なんでね、犯人を安易に吸血鬼とも思ってないだけさ」
「オカ部の部員なのに、まだそんなこと言ってる……。じゃあ、わかった」
 と、陽子が決意するかのように拳を握ると、恭介に踵を返した。
「私がここに吸血鬼を連れてきて、犯人が吸血鬼だってことを証明してあげるんだから!」
 猛スピードで、陽子が駆けだしていく。遠ざかる彼女の小さな背中に、恭介が嘆息混じりに一言。
「本当に吸血鬼だったら、戻ってきた時にはお前も吸血鬼だよ……」
 元気な奴だ、と恭介は呆れた表情を浮かべていた。
 そんな二人のやり取りを、恭介に隣り合わせでベンチに座っていた深憂が微笑ましく目を細めて見ていた。くすりと笑みをこぼすと、口を開いた。
「あたしは恭介君と逆の意見で吸血鬼の仕業だと思ってるけどな。実際、証拠がないのは確かなんだけど」
「吸血鬼の仕業、ね」
 そう呟いて、恭介は缶コーヒーの残り一滴を飲み干すと言葉を続ける。
「何らかの証拠を見つけたとして、犯人が吸血鬼かは別として真相に辿り着いたら危ない目に合うような予感はするな」
「予感?」
「嫌な予感って奴かな。今ここに、吸血鬼事件の犯人が来てたりしてたら……ってね」
「ああ、犯人は現場に戻ってくるってやつだよね?」
「そうそう」
 恭介がゴミ箱に向かって空になったコーヒーの缶を投げた。
 放たれたそれは放物線を描いて目標に向かうが、ぎりぎりのところでゴミ箱の縁に当たって跳ねてしまった。狙いのはずれた缶は、地面に落ちてカラカラと音を鳴らした。
「それが本当に吸血鬼だったら……って思うとね、余計にそう考えてしまうよ。そんなことありえないとは思うけどさ」
「やっぱり、恭介君は吸血鬼の存在を信じることができない?」
 深憂が少し眉を寄せて言うのを背中に、恭介は缶を拾ってゴミ箱の中に入れる。そしてベンチに座り直すと、困ったような表情を深憂に向けた。
「うーん……今朝のホームルームでの話じゃないだけどさ。吸血鬼は実在しますって言われて、はいそうですかって信じるのは簡単じゃないよ」
「なるほどね……」
 恭介の返答に、深憂は唇に人差し指を当てて考える素振りをした。そして何か思いついたのか、明るい表情を浮かべると言った。
「そうだ、じゃああたしが吸血鬼のハーフだってことを証明するよ。そうしたら、恭介君は吸血鬼はいるってわかってくれるよね」
「え?」
 ぽかんとした表情を浮かべる恭介に、深憂がにこりと笑顔を返す。
「だから、吸血鬼の存在を証明するよ。あたしが証拠を見せるから、信じて欲しいな」
「そ、そりゃ吸血鬼って証拠があれば信じるよ」
「だから、ちょっと協力してほしいんだけど……」
「協力……? なにを?」
 恭介が聞き返すと、急に深憂が頬を朱に染めて視線をそらした。その様子を、恭介が不思議そうな視線を送る。
「どうしたのさ、深憂さん。協力って?」
「今、二人っきりだよね……?」
「ああ、陽子はあっちに行っちゃったからね」
「誰も見てないよね……?」
 もじもじとして言う深憂の発言に、恭介が周囲を素直に見渡した。
 夜の公園は、起きたばかりの吸血鬼事件の現場だというのと、すっかり時刻も遅くなっただけあって人通りもなくなっていた。
 彼女は何を恥ずかしがってるのだろう。これから何を協力してもらうつもりなんだろうか。吸血鬼の証明ってだけに、人間らしからぬ能力を見せるつもりなのかもしれない。コウモリに変身とかだろうか。それだったら別に協力も何も必要なさそうな感じはするし、人に見られたくないというのはあってもこうも恥ずかしがることもないはずだ。じゃあ、一体何が彼女をこうさせるのか。
 恭介はそんなことを思いながら、深憂に告げた。 
「誰もいないよ」
「そっか……」
 深憂がほうと一つ、深く息を吐き出した。
「じゃあ……」
 意を決したように深憂が顔を上げ、真っ直ぐに恭介を見つめた。相変わらず彼女が頬に浮かべた朱色は肌の白色を染め続けているどころか、さらに赤みが増して蒸気しているようにさえ見える。
「えっと……」
 深憂が困ったように、まごついた。顔は真っ直ぐ恭介に向けらてはいたが、視線は右往左往に泳いでいた。
 恥ずかしそうに顎を引き、視線を下げる。
「んっと……」
 胸の前で両手を組んでもじもじとさせると、視線を上目遣いに深憂が消え入りそうな声で言った。
「ここで、……てくれないかな」
「え、何?」
「だから……ここで、……してほしいんだけど」
「深憂さん、ごめん。よく聞こえないな……」
 恭介の返答に深憂が視線を脇に置き、恥ずかしそうに口の中でごにょごにょと呟いていた。
 普段は自分をからかってくる彼女が照れくさそうにする姿は、恭介とってはこの上なく可愛くてしょうがないと思えた。そんな表情を浮かべる理由もわかれば心の中では更にぐっとくるものが湧いてでただろうが、残念なことに理由は恭介にはわからなかった。
 深憂がむくれた表情を浮かべると、恭介に耳を貸すように催促してきた。
 恭介が、素直に彼女に耳を傾ける。彼女が耳元で囁いてきた要求に、恭介は頭の中がかぁっと急激に熱くなるのを感じた。
「え……!? いや、そ、それはちょっと……」
「イヤ?」
 深憂が少し唇を尖らせるのに、恭介が先の言葉を否定する。
「そ、そんなわけじゃ……ないけどさ……」
「じゃあ協力してよ」
「え、で、でも……。ほ、ほら、別にここじゃなくても良いんじゃないかな?」
 恭介が焦って視線を深憂から自分の膝元へと落とす。
 そんな彼に、詰め寄るように深憂が頬を赤らめたまま強い口調で言った。
「今すぐ、ここじゃないとだめ」
「……絶対?」
「絶対だよ」
 恭介が顔を上げて再び深憂を見る。そして、ごくりと喉を鳴らした。
 彼女が要求してきたこととは、今すぐ、この場で、彼女を“抱く”ということだった。
 もちろん、抱くといってもハグという同義ではなく、もうちょい突っ込んだ意味である。
 恭介の脳裏にお茶の間の子供達には見せられないようなピンク模様の深憂とのめくるめく情景が浮かんだ。彼の脳内では今頃、赤い薔薇の花が無数に飛び交っていることだろう。
 鼻の奥が熱くなるような感覚を覚えて、恭介はそれを誤魔化すように人差し指で眼鏡の位置を直す素振りを見せた。
「そ……! そんなことできないって! 大体、それが何で吸血鬼の証明に――」







 言葉を言いかけた恭介の掌に、突然柔らかな感触が押しつけられた。
 深憂が恭介の手を掴むと、強引に自分の淡い膨らみに置いたのである。
「ちょっ……!?」
 温かく、軽く押せばほのかな弾力を返す感触に恭介の鼻の奥が灼熱する。
 トマトが急激に熟れていく早回し映像のように、恭介の顔が赤く染まっていく。深憂は、恭介の鼻から鮮やかな紅の液体が流れ出てくるのを見逃さなかった。
 唇が悪戯な笑みを浮かべると、はむっと恭介の鼻を包み込むように甘噛みした。
 彼女の舌のざらついた感触が恭介の鼻を這い、流れ出た液体を舐めとっていく。恭介の掌と深憂の身体、唇と鼻の接触を解き、彼女はしてやったりと笑った。
「えへへ、作戦通り……」
 やられた、と恭介は思った。悪戯が成功して喜ぶ子供のような彼女の笑顔に、先ほどの恥じらう態度が自分がこうなる事を見越しての演技だった事に恭介は気付かされた。
「深憂さん、また俺をからかって……。本当は血が吸いたかったんじゃないか……」
 むすっと不満そうな表情を浮かべる恭介に、深憂がぺろりと舌を出した。
「ごめんね」
「……嘘までつくことないじゃないか」
 恭介が眉をひそめた。
 だまされるのは良い気分ではない。まぁ、そのお陰で良い思いをしたのは確かではあるのだが。
 恭介の不満げな言葉に、深憂の眉根が下がる。
「ごめん。でも、怒らないで。血を吸いたいって言ったら、噛みつかないといけなくなるから」
「それって……。もしも深憂さんが正直に言って、俺が承諾したら……」
 言葉の続きは口にしなかった。
 恭介の脳裏には深憂が首筋にかぶりついてくる様子が浮かんでいた。
 言わんとしている意味を察して、深憂が首を横に振った。
「あたしは、吸いたくなんてないから……」
「え?」
「だって、あたしには吸血鬼の牙があるから。それを恭介君の首筋に立てるなんてしたくない」
 そう言う深憂の唇から覗く彼女の鋭い犬歯に、恭介はぎょっとした表情を浮かべた。
「やっぱり、噛まれたら吸血鬼になるってこと……?」
「わかんない。試したことはないから」
「深憂さんの思いこみ……とかじゃないかな。確かに吸血鬼みたいに牙みたいな――八重歯があるけど、深憂さんが本当に吸血鬼だったら今頃は問答無用で噛みつかれてるはずだろ?」
「少なくとも、あたしが吸血鬼の血を持ってることは本当だよ」
 深憂が真剣な表情を浮かべ、恭介の瞳を覗き込んだ。そして、口を開いた。
「見て」
「何を……?」
「あたしの目を見て。すぐにわかるから」
 恭介が、言われたとおりに深憂の瞳を凝視する。
 変化はすぐに訪れた。深憂の瞳が、碧眼からほのかに赤く色を変え始めていたのだ。
「これって……」
 深憂が頷く。
「人間の血を吸うとこうなるの。小さい時、偶然人の血を舐めたことがあったの。その時に瞳の色が赤くなることがわかったわ。ああ、自分はもしかして吸血鬼の血を持ってるのかなって思ったわ」
 遠い記憶を思い返し、深憂が瞼を伏せる。
「その時までは自分のこと人間だと思ってた。無闇に人の血を吸いたいなんて思ったこともなかったし、日の光に当たっても灰になることもない。普通に人として生活をしてきたから何の疑問も抱かなかった」
「深憂さんが吸血鬼の血を持ってることはよくわかったよ。でも、何で吸血鬼のハーフだと思ったのさ」
「ママが、普通の人間だったからだよ。あたしが舐めたのはママの血だったんだけど、ママは何もかも知ってたみたいなの。私の瞳がこうなるのは、パパの血を引いてるからだって教えてくれたわ」
「お父さんが吸血鬼だったってこと……?」
 深憂が瞼を上げ、くすりと微笑を返すと視線を恭介から夜空へと移した。
「あたし、本当はパパを知らないの。私が物心ついた時には、お父さんは家にはいなかったから。パパはアメリカ人の吸血鬼だったみたい。私の髪がこんな色なのも、吸血鬼みたいに牙が生えてるのもパパの血を引いてるからなんだって」
 外灯の下であっても、夜空には星が肉眼で見つけられる。深憂はアッシュ・ブロンドの髪をかきあげて、夜空の向こうに紅に染まった瞳を向けていた。
 まだ見ぬ父親に彼女は思いを馳せているのだろうと、恭介は思った。
 深憂が視線を下ろし、再び恭介に向き合った。
「だから、今回の吸血鬼事件の犯人は本当に吸血鬼なんだって思ってる。この事件を追及していけば行方知れずになってるパパに会えるんじゃないかって、そう信じてる。だから、真相に近づきたいんだ」
 深憂が少し寂しそうに笑う。
 恭介はそんな彼女の手をそっと握り、優しく語りかけた。
「大丈夫だよ」
 彼女は、妹のように面白半分・興味本位で吸血鬼事件に首を突っ込もうとしているわけではない。行方不明になった肉親の手がかりを探しているのだと知った恭介は、ある決意を胸にしていた。
 握った手を胸の高さまで持ち上げ、真剣な表情で恭介は言った。
「俺もこの事件を調べるの協力するよ。最初は乗り気じゃなかったけど、そんな話を聞いたらやる気を出さないわけにはいかないから」
 恭介の言葉に、深憂の赤い瞳が感激に震えていた。
「恭介君……」
 手を包み込んでくる恭介の手を、深憂はぎゅっと握り返した。
 赤色になっていた瞳が、すっと血の気が引いていくようにいつもの碧眼へと戻る。
 突然、深憂の顔が恭介の顔に接近した。
 彼女は少し身体を伸ばし、恭介の唇へ自分の唇を押し付けた。
 恭介の口内に、彼女の唾液が少し流れ込んできた。
 彼女とのキスは、色に例えるなら鮮やかな紅色。口内に広がる味は、彼女が先ほど舐めとった自分の血の味も混じっていた。そう、鉄分の味だ。
 恭介は驚きはしたものの、自然と彼女の柔らかな唇を受け入れていた。
 どのくらいの間、彼女と唇を交じらせたのだろうか。そっと、深憂が二人の唇の距離をあけた。
「ねぇ、恭介君」
「ん?」
「血、吸って良い?」
「えっ?」
 甘ったるい声で言う深憂の言葉に、恭介が一瞬身を強張らせ目を丸くする。
「冗談だよ」
 驚いて固まっている恭介を見、深憂がくすりと笑う。その表情に、恭介は参ったなと頭をぽりぽりと掻いた。
 彼女が吸血鬼の血を引いているのが本当だとわかってしまっただけに、その冗談もちょっとだけ冗談に聞こえないものがある。
 恭介は笑みを浮かべる彼女の口元をそっと見た。唇に微かに残るのは、彼女の柔らかく温かな感触。薄紅色に潤った彼女の唇は、恭介の脳裏に焼きついた甘い記憶を刺激し鼓動を一層激しいものにさせる。
 自分がさっきまで彼女とキスしていたのを思うと妙に名残惜しく思い、しばらくの間恭介は自分が欲していることを彼女に正直に言うかどうかで迷っていた。しかし、弱弱しくも決心をつけると、気が引ける思いを押し返すように照れくさそうに言った。
「ちっ、血を吸われるのはちょっと勘弁だけど……。も、もう一回、キスなら――」
「見〜〜〜た〜〜〜ぞ〜〜〜!!」
「ぎゃあああああ!!」
 恭介の言葉を遮るように現れた突然の声に、恭介は驚いてその場から飛びのいた。
 二人の座っていたベンチの背もたれの後ろには、陽子がひょっこりと頭を出して半目でこちらを見ていた。いわゆるジト目という奴だ。
「よ、陽子!? いつからそこに!?」
「私がいなくなったら、二人でイチャイチャイチャイチャして……。隠れてキスするなら、車の中にしろー!!」
「国民的バンドの歌の題名かよ!!」
 その姿を見るや否やサッとその場から逃げ出した恭介を、陽子が物凄い勢いで追い掛け回す。その様子を眺め、深憂が唇に笑みを浮かべた。
 結局、その日は吸血鬼事件の犯人に繋がる収穫は何も得られなかったが、恭介にとっては違った意味で収穫を得た。それは、深憂の言っていた秘密をまがりなりにも理解したことでもあるし、単純に彼女とキスをしたことでもある。
 妙なことを約束してしまったけれど……ま、なんとかなるだろう。相手が本当に吸血鬼だった場合は、その時はその時だ。
 妹に追いかけ回されつつも、恭介は幸せな気分に浸りながらそう心の中で呟いた。
 この時の恭介は、後々自分たちがえらい事件に巻き込まれることになるとは思ってもいなかった。
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