君が生まれた日

 君が生まれた日
 君と出会い
 共に育った

 たとえ今は分からなくても
 いつか
 君はきっと見つけるだろう……

 君の答えを
 君の進むべき道を



 冬の夜は、珍しく澄んで星空が見える。久しぶりの東京。

 浅見陽一郎は独り、黒いロングコートの襟を立て我が家の前まで来ていた。
エリートゆえに各地の警察を次々と渡っては、それなりのポストに就いて働く……
短期間で実績を残しては異動し、すべては「将来へのステップアップ」のため
に家族や婚約者の和子になかなか連絡が取れずにいた。

 明治期から続く高級官僚の家柄の長男という役割の重さにも、陽一郎は小言
ひとつ言わず、自ら進んで果たしていた。

 --------静まり返った西ヶ原の街に、強い北風が吹き抜け、陽一郎は肩を
すぼめながら、玄関に入った。

 灯りはともっていた。

「おかえりなさい、陽一郎さん」
 母の雪江が労いの言葉で迎えてくれた。2年前に父が亡くなった以来、気丈
なまでに浅見家を支えてくれる人で、陽一郎はこの母のためならばどんな苦労
も惜しまない、それほど大切でかけがえのない存在である。女でひとつで幼い
妹たちの生活や受験生の弟・光彦に尽くす苦労は量りしれなかった。

「ただいま戻りました、母さん。いきなり帰宅する電話をした挙げ句、こんな
に夜遅くまで起きていて下さって……申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「何をおっしゃるの、あなたには本当に感謝していますのよ。だから謝る必要
はありません。ほら、カバンを……お疲れさま」
 母のやさしい笑顔と、暖かい手がそっと包み込む。本当に、「ここが私の家
なのだな」という安らぐ気持ちに陽一郎はふと学生時代に浸ってしまった。

 初めの試練は高校受験だった、その時もこんなに冷えきった季節にそれこそ
夜遅くまで鉛筆を握りしめ、母がそっと持ってきてくれた夜食と、手の温もり
にどれだけ助けられたのだろう--------。

「……そういえば、母さん。光彦はもうすぐ受験なのでしょう? 小石川に受
けると聞きましたが、どうですか?」
 陽一郎は母にビジネスバッグを渡しながら、尋ねてみたら、
「まったくあの子は、陽一郎さんに言うのもなんですけど、さっぱり。本気で
受験する気があるかもどうか分からないくらいですよ、やれやれ」
「はははっ、実にあいつらしいじゃないですか。意外なところ、母さんの知ら
ないところで、本人は努力しているかもしれませんよ?」
「そうかしらねえ……? そうには見えないけれど」
 と苦いため息まじりの愚痴を聞きながら、陽一郎はそれがおかしくて思わず
「ははは、まあそう言わずに」とまた笑ってしまった。
「一度、様子でも見に行きますよ。まだ起きているんでしょう、光彦は」
「えっ、ええ……まあ。でも、そんなあなたがお疲れのところに……」
「構いませんよ」
 陽一郎は母にやさくし微笑んで、振り切るように2階へと上がった。出張や
異動による疲労感よりも、14歳も年が離れている弟へ、一言伝えたいことが
あるのだ。

 薄暗い2階の廊下を歩き、弟の部屋の前まで辿り着いた。ドアから微かに光
が漏れていたが、音ひとつもしない。
 軽くノックしてから、「光彦、入るぞ」と言ってドアをゆっくりと開けた。

 突然、陽一郎の脇をひたすら冷たく、透き通った冬の空気が流れては消える。
弟の光彦は窓を全開に開け、頬が紅潮した顔を仰向かせ、瞳を輝かせていた。
デスクに放り込むように乱雑に並べられた参考書と短くなった鉛筆さえ、彼の
生き生きとした表情を見れば、責めるどころか微笑みすら浮かべてしまう。

 光彦は人の気配を感じ取ったように、ゆっくりと振り返った。
「あっ、兄さん! おかえりなさい!」
 心地よいバリトンが響く。声変わりして、しばらく経ったのに、いつまでも
陽一郎は年の離れた弟を子供のように思えた。無邪気で、それでいてちょっと
したいたずらをしたりと、自分にはない奔放さに惹かれつつも、やはり弟では
なく、保護すべき子供だと思っていた。

 三十路近いエリート警察官僚と、中学3年生の少年という歴然とした差。

 だからこそ、ただ純粋に弟を愛せるかもしれない。

「ああ、ただいま。夜遅くまでご苦労さん、受験勉強の息抜きかい?」
「はははっ、ご覧のとおりですよ、兄さん」
 光彦は頭を掻きながら、恥ずかしそうに笑った。やはり勉強は……母の言う
とおり進んでいないのか?
「どれどれ……、」
 とデスクの上にあるノートを手に取ってみると、陽一郎は驚いた。ノートに
光彦らしい柔らかくもしっかりとした楷書体の字がびっしりと書かれてある。
試しに参考書の問題集と比べてみたが、全問、解いて正解しているのである。
「すごいじゃないか、光彦」
 陽一郎は2月の寒さが肌に感じないほど、弟の紅顔を見つめたら、
「どうでしょう」
 とさらりと交わされる。喜ぶどころか、ふっと表情が曇ったように陽一郎は
見えた。

「……ねえ兄さん。僕ね、今まで星を眺めてたんですよ。兄さんが久しぶりに
家へ帰ってきたことも分からないぐらいに、星を眺めながら考えていたんです。
 たとえ、高校に受かったにしても、落ちたにしても、僕は一体この広い空の
下“どこへ流れて、どこで自分という星を輝かせるんだろう”って……」
「光彦、君は……」
 と言葉を失った。弟の少年なりの悩みやコンプレックスを垣間見たような気
がして、「もう君は子供じゃないんだな」と思わせる真剣な瞳で光彦が見つめ
返してきたのだ。

 陽一郎は、ようやく弟と差しで心を通い合わせた気がした。

 そうだ--------。

「--------君は知っているかい?」
 と陽一郎は頬を緩ませたまま、部屋の窓を締めてやり、始めから消えていた
石油ストーブにライターで火を着けてあげた。

 埃まじりの弱い炎が、あの重く、それでいて懐かしい油の香りを散らす。
炎は徐々に昂まり、満天の透き通った空へと昇っていくように吹き上がる。

「もうとっくに2月10日だよ、15歳の誕生日、おめでとう--------」
 弟に「ほら」と1時前を示した腕時計の針を見せてやり、きゃしゃな肩を励
ますように叩いて、心から祝ってやった。
「兄さん……」
 光彦があっけにとられたように、放心しているから、
「--------ほらほら、早くストーブで暖まってから休めよ。風邪を曳くと
受験に響くだろ? まったく世話を焼かせる弟だな」
 陽一郎は笑いながら弟を椅子に座らせ、茶化すように額を突いてやった。



 君が生まれた日
 君と出会い
 共に育った

 たとえ今は分からなくても
 いつか
 君はきっと見つけるだろう……

 君の答えを
 君の進むべき道を

 そして

 君の
 君自身の星を


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