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3 私の声を、あの人に伝えて
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新しいアパートは荷物も何も入っていなかった。別の部屋に最初から備えつけてあったベッドだけがあり、気を失ったままのノーマをそこへ寝かせるとアイルは戻ってきた。 床に座ったセリアが何か言いたそうにアイルを見上げた。 「待ってくれ。それ以上は言わないでくれ。セリアの言葉じゃないけど、命が幾つあっても足りないようなことになる」 「今更?」 セリアが言った。 アイルは言葉を失って友人を見下ろし・・小さく笑った。 「そうだな。・・・俺のこともちゃんと話すよ。けど最初にセリアの方から話してくれないか」 同じように床に腰をおろすと、セリアに向き直った。開いた傷口から流れた血が彼の服を染めて、いたいたしかった。 「また服を買ってこないといけないな。とりあえずこれでも着てなよ。外に出ると皆が何事かと思ってふりむくだろ」 アイルは自分が着ていた上着を脱いで手渡した。 「これくらいなんでもない。・・ああ、お前に全部話してきかせるって約束だったな・・・」 ここまで言って、セリアの言葉が途切れた。 当然だ、とアイルは思った。 きっと、たくさん話すことがあるんだろう。 ふだん口数の少ない彼が、どれから言えばいいのか迷うほど。 「マジシャン・・・」セリアがぽつりと言った。 「マジシャンのことでこの間言ったことがあっただろ。アグメナイトも以前、彼らマージカ星の人間のようになっていたかもしれないと」 アイルが黙って頷くのを見てから、セリアは話を続けた。 「連邦法上で『人間でない』という規定は受けなかったが、センテスにとってはどうでもいいことだった。アグメナイトは充分に軍事利用できる存在だったんだ。こんな風に・・・」 セリアは機械化した自分の腕を指し示した。 「腕の戦闘能力をあげてしまえば、アンドロイドより安く同等の性能を持つ兵士ができあがる」 アイルは唾をのみ込んで、機械の腕を凝視した。 「自分でやったんじゃないのか・・・!」 セリアが小さく肩をすくめた。 「星には徴兵制がある。成人したアグメナイトでこの姿じゃない奴はいない。・・唯一違うのは、俺達はセンテス自治領に兵士を差し出す代わりに、星の自治権を獲得したっていうことだ。・・・マージカのような植民星にはならなかった。 だが、あまり変わらないかもな。よほどの事でもない限り、軍から退役出来る奴はいないから。 とにかく、俺達はそうやって自分達の星の自治権を保ってきた。だから・・・そうだな。よその星の連中よりは、俺達は民俗意識が強いと言ってもいいだろう。 で、ここからが本題だ。 センテス自治領がゴーザ自治領と境界宙域の一部を接しているのはおまえも知っているだろう?」 アイルは頷いた。 「確か、領土問題でもめてたよな。一月くらい前から会議が開かれてるけど、ぜんぜん進展無しで」 「そうだ。しかも俺の生まれた星は今回問題になっている宙域にあるんだ。ゴーザの領土と認められれば、確実に植民星になるだろうと言うのが、故郷での見通しだ。特に裕福でもなく他の自治領に比べて強みを持たないセンテスでは、アグメナイトで構成された白兵戦部隊は失うわけには行かないと言うのが本音だろう」 連邦における領土獲得のための戦争は、主に白兵戦が中心だ。 巨大な宇宙戦鑑の主砲を使えば、星一つを丸ごと、分子の欠けらまで分解して宇宙の塵に変えてしまうことも可能だし、レーザー砲で地上を焼き尽くすことも、核を使って星に住む生物全体の遺伝子を破壊することも簡単に出来る。 だが、そうやって手にいれた土地が一体何の役に立つ。 星を丸ごと分解したのでは領土獲得にならないし、レーザーで焼き尽くされた土地には何の実りもない。ましてや核などを使えば、生物の体系を根こそぎ破壊してしまう。 そんな星には何の利用価値もないのだ。 こういった場合の戦争にもっとも有効な手段は白兵戦だ。巨大なミサイルなどで土地を破壊すると、戦いが終わった後すぐに土地を利用することが出来なくなる。だが白兵戦だけですめば、環境の破壊は最小限に押さえられるからだ。 だからこそ、アンドロイドやアグメナイトや、マジシャンなどが必要とされるのだった。 「そこで、政府は故郷に打診してきた。星がゴーザの自治領に組み込まれれば、お前達も困るはずだと。ゴーザがこの国に裏から干渉しているというのは前から噂があって、あわよくばこの国を占領してしまおうとしているのは結構知られていることだ。 会議には連邦政府も臨席している。 そこで何かゴーザにとって都合の悪いことを探し出して、内々に突きつければ、ゴーザも大人しく引きさがるだろうというのがこの国の政府の考えだった。 故郷では外惑星に出払っていて、軍に従事していない者にまで声を掛けてきた。自分達の生まれた星を守るためにゴーザの弱みを探し出せとね」 「それで、セリアは・・・」 「いつお尋ね者になってもおかしくないような生活をしていながら、自分の民族を思う気持ちだけは残ってたってことさ」 セリアは自嘲的に言った。 「テンネットの回線に入り込むまでは、そんなことどうでもいいことだと思っていた。が、そこで組織の背後にゴーザ自治領が絡んでいるらしいことを知った俺は、いつの間にか証拠をあげようと必死になっていたのさ。俺の話はこれで終わりだ」 アイルは無言でセリアを見つめた。 セリアの自嘲的な笑いは、自分の故郷への思いの強さゆえだろう。 自分達の呪われた遺伝子の、誇りゆえにだろう。 彼は自分が思っていたよりもずっと、故郷の事を愛していたのだ。 それを感じたアイルは、彼のことをうらやましく思った。そんな風に故郷を大切に思える彼を。 幼い少女が草原を歩いていた。 振り注ぐ陽光は鮮やかで、緑の海は風に揺れて地平線まで続いていた。 彼女は両親の顔を知らない。彼女だけでなく、この星に住む殆どの人間は親の顔を知らずに育つ。生まれて一年以内に草原に捨てられるからだ。 たまたま見付けてくれた人々が、両親の代わりになって赤ん坊を育ててくれる。 少女の育ての親は二人いた。「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」だ。 もちろん、血はつながっていない。赤ん坊だったノーマをたまたま拾い上げ、名前をつけてくれたのがこの二人だったというだけの関係だ。 少女の隣には二人が並んで歩いていた。 今日で三日、休むこともなく歩き続けていた。 草原は長閑かで目が眩むほど美しかったが、少女にはそれが地獄のように思えた。どこか姿を隠す場所が見つかればゆっくり休もう。兄はそう言ったが、そんな場所はこの三日間どこにも見つからなかった。 殆ど眠ることが出来ず、足は引きつって棒のようになっていた。それでも少女は、滲む涙を何とか押さえて、懸命に育ての親について歩いていった。 もう疲れたと泣きじゃくって、地面に座り込んでだだをこねても良かった。 そうしたかった。 だが、そんな事をしても二人は足を止めなければ振り向きもしないだろうということを、少女はよく知っていた。 世の中がそういうものであることを、彼女は嫌というほど知っていた。 「昼食にしよう」 兄がそう言って、立ち止まってくれた。 「二人は先に座って休んでくれ。十五分で交代だ」 声に応じて少女と女性は腰をおろすと、姉が肩に担いだ荷物袋をおろして、中から干した肉の固まりを取り出して少女に与えた。 「ばかね、ノーマ」 干肉をまるごと口にほうり込み、噛み切ろうとする少女を見て、女は優しく諭した。 「この前、魔法を教えたでしょ? こうやって近くの草からほんの少し水を取り出して、それを複製して干肉に服ませるのよ。そうしたら少し柔らかくなって食べ安くなるから」 女性は自分の食料で見本を実演して見せた。 少女は目を皿のようにして彼女がやることを見ながら、自分も同じ事をやろうとした。何度やってみてもうまく行かない。この前は、何とか成功したのだが。 それでも少女は姉に泣きつくことはしなかった。これは自分がどうしても覚えなければいけないことなのだと言うことを、本能的に知っているからだ。 ここで生きていくためには、泣き言は邪魔な存在でしかなかった。 男は立ったまま懸命に魔法を覚えようとする少女をほほえましげに見つめた。 微笑んだわけではない。口はきつく結ばれ、神経は常に周囲への注意を怠ってはいなかった。ただ、少女を見つめる瞳が、ほんのすこし和らいだだけだった。 その瞳が、はっと少女の後ろに固定された。 少女の後ろ、ほんの数リーガル先の地面から、こつぜんと「手」が生えていた。 その「手」は音もなく草の間を縫い、地面を泳ぐようにして少女に近づいていっている。 男は声を発するより早く行動した。
座り込んでいる少女を思い切り遠くへ突き飛ばした。
突然の出来事に驚きのまなざしを兄に向けて、少女は宙を舞って、地面に投げ出された。 「何をするの?」
女が男の行動に対して言葉を発するのと同時に、少女が座っていた位置に着地した男が悲鳴をあげた。
男の右手首から先が、消失していた。 かわりに、地面が鮮血で染まった。
「『しもやけ』だ! ノーマを連れて逃げろ!」 地面に膝を着き、失った手首を押さえて男は叫んだ。
『しもやけ』・・それはこの星に住む狂暴な肉食生物の名だ。地面に接した箇所を移動し、そのため壁などの障害物も一切の意味を成さない。
この生物は「手」から出現し、獲物の手から喰い破る。 手を喰われると、獲物の遺伝子情報を取り込み、自分の遺伝子と「取り替え」を行う。これによって追尾式ミサイルのように獲物を追い始める。獲物をすべて喰い尽くすまでその追跡の手を休めることはない。 彼らは貪欲で、人間を始め地上の生物の殆どすべてを喰う恐ろしい生き物だ。彼らに「手」を喰われたもので生き残れた生物はいままでにただの一人もいない。
最初「手」から現れ、獲物の手を喰う。次に「足」が現れ、足を喰う。その次に「胴体」が現れ、最後に「自分の首」が頭を喰うのだ。 生きたまま自分に喰われる・・『しもやけ』が本来どのような姿をしているのかは知られていない。獲物の遺伝子情報を取り込み次々と姿を変えるためだ。
現れるとき同様、消えるときも突然消え去る。
だが、人間を喰うときは人間の手の姿をしてあらわれ、無慈悲にも生きたままむさぼり喰う。 この星の人間達にとって、もっとも恐ろしい天敵だった。
再び、男の呻き声があがった。地面から生えた「手」が、今度は左の手首を喰いちぎった。 「早く逃げろ!」
男は叫んで立ち上がると、彼女たちのいる方向とは逆に向かって走り出した。 地面から生えていた「手」が地中に潜ると、次には「足」が生えて猛スピードで男の後を追って、右足を喰いちぎった。
女は悲鳴をあげた。 あげながらも何とか立ち上がると、男が喰われていく光景を呆然と見つめるノーマを抱えあげ、反対方向に向かって駆け出した。
「お兄ちゃんが!」 ノーマは声をあげて、血まみれで地面に倒れた兄に向かって手を伸ばした。
「駄目よ。ノーマ」 そう言った女の声が震えていた。少女を抱きしめる腕に力が入った。
「でも・・」姉の顔を見上げたノーマの声が途中で消えた。
姉の頬が涙で濡れていた。始めてみるその涙にショックを受けたノーマは、幼子心にも兄は本当に助からないのだと直感した。 そう思うと、わけの分からない恐怖がつきあげてきて、ノーマは姉の服をしっかりと握りしめた。 だが彼女らの逃亡劇は長くは続かなかった。 「お姉ちゃん後ろ!」
姉に抱え上げられているノーマは後ろをずっと見ることが出来る。自分達の後ろに迫ってくる血まみれの「手」に気づいたノーマは悲鳴をあげた。
姉が振り返って、絶望的な叫び声を発した。 突然現れて兄を生きたまま喰い殺した「手」が、目前に迫っていた。
「もう駄目だわ! あたしはまだ空間転移の魔法が使えないのに!」
姉は涙に濡れながら、逃げ切ることが叶わないのを悟った。 「でも・・この子だけでも・・・」
ノーマを抱く手に力が入った。彼女が急いで呪文を唱えると、ふいにノーマは自分の体が軽くなるのを感じた。
「逃げるのよ。ノーマ。せめてあなただけでも生き残って・・・。あたしの意識がある限りは、あなたを遠くへ運んであげるから。『しもやけ』は地面に接していない獲物は狙えない。あたしは自分の体を宙へ長く浮き上がらせることは出来ないけど、あなたくらいなら・・・」
女はノーマを握る手を放した。 「お姉ちゃん!」
急速に空に浮き上がり、遠ざかっていくノーマに向かって、女は涙に濡れた顔を上げて笑った。死を覚悟した者の、壮絶な笑みだった。
「お姉ちゃん!」
ノーマの体はどんどん姉から遠ざかっていった。 ノーマの目から止めどなく涙が溢れた。点ほどになった姉の人影が地面に膝をついた。こんなに遠くまで、彼女の断末魔が響いてきた。
ノーマにかけられていた魔法が突然消えた。 落下し始めたノーマは、そんなことも構わずに泣き続けた。
あたしが強かったら。 あたしがもっと強かったら、あんなやつなんかに負けないのに。
いくら怒りでごまかそうとしても無理なほど、深い悲しみがノーマを支配した。
どうして自分は、こんなに無力なんだろう。 どうして自分には、大切な人を守る力がないんだろう。 どうして自分達は、こんな地獄のように恐ろしい場所で生きなければならないんだろう。 それはまだ幼い彼女にとって、残酷過ぎる現実だった。
「はっ!」
ノーマはベッドから跳ね起きた。息が荒々しく弾んでいた。 ノーマは最初ここがどこなのか分からず辺りを見回した。 わずかに開いた扉の向こうから、アイルとセリアの話声が漏れてきた。
ああ、そうだった・・・ここは、あの草原ではないんだった・・・。 ノーマはぼんやりとそう考えた。
体中が汗だくになっていた。ノーマは呼吸を整えながら、顎を滴り落ちる汗をぬぐった。 そこで初めて、自分が汗をかいているだけではなくて泣いていた事を知った。頬が涙で濡れている。
さっきまで見ていた夢の中の悲しみが、再び現実のものとなった。
ノーマは静かに両手で顔を覆い、声を押し殺して忍び泣いた。
2
「向こうで物音がしたみたいだ」 アイルはノーマが寝ている部屋の扉を見た。 「起こしてこようか」 セリアがそう言って立ち上がると、アイルは慌ててそれを制した。 「待ってくれ、セリア。俺の話はノーマには聞かせたくはないんだ。もし彼女が目を覚ましたのなら、話は後でさせてくれ」 セリアは無言でアイルを見つめ、すぐに頷いた。 「ありがとう」 アイルはすまなそうに言って、部屋のドアを開けた。 が、ベッドの中にノーマの姿はない。 「? 一体・・」セリアが端正な眉を寄せた。 この部屋には窓もない。出入口はこのドアだけだ。アイル達に気づかれずにどこかへ行けるはずが無かった。 「まさか・・・」呆然として空のベッドを見下ろすアイルが呟いた。 そして突然走りだし、アパートの外へ駆け出そうとした。 「テンネットだ! 無茶だノーマ。相手はブルー・マジシャンだぞ!」 「一体どうしたっていうんだ? え? アイル!」 外への扉のノブに手をかけたアイルが、哀しげに顔を歪ませて振り返った。 「俺のせいだ・・・」 「・・」 「俺のせいだ」アイルは辛そうに首をうなだれた。 「・・マジシャンなんだ」ポツリ、とアイルが呟いた。 「そうさ。俺はマジシャンなんだ。しかも『登録』を前に脱走した・・・」 アイルの悲壮な顔がセリアを凝視した。
崩れかけた廃ビルの一角を歩いていたマジシャン・トーマは歩みを止めて、闇に包まれた前方を見た。 「やはり来ましたね。出て来たらどうです?」 薄暗い柱のむこうから、ゆっくりと人影が現れた。 「何年かまえに連邦への『登録』を控えていながら脱走した二人のマジシャンの噂を聞きました。あなた達ですね」 闇のように黒い瞳が目前の女性を見た。 「お願い・・・!」固い声が言った。 「お願い! 見逃して頂戴!」 ノーマだった。彼女は両手を広げ、懸命に訴えた。 「あなただって、あたし達の気持ちが分からないはずないでしょ? 同じ星で育ったんだもの! あたし達は他のマジシャンみたいに、連邦のいいなりになって『戦争の道具』になるのが耐えられなかったのよ!」 答えはない。代わりに、ノーマの周囲を殺気が包み込んだ。 「・・」 ノーマは言葉を失って、目の前の同族を見つめた。自分を殺す気だということはすぐに分かった。 もとより、マジシャンにはそれ以外の生き方など無いのだ。 「あたしを殺すのは仕方無いわ・・・。だけど、せめて。・・せめて、アイルだけでも見逃して欲しいの」 我知らず声が震え始めていた。だがこの条件だけは、何としてものんでもらいたいのだ。 ノーマは消え入りそうになる勇気を奮い立たせて言葉を続けた。 「だってアイルは、あたしの為に昔の記憶を封じてでも幸せにしようとしてくれたんだもの・・」 ノーマの胸はアイルへの思いで一杯になった。 マジシャン・トーマは無言で右手を上にあげた。手にはパワーソードの柄が握られている。 「あたしは・・・。あたしは、もう二度とあんな思いをするのは嫌!」 ノーマの脳裏に、先程の夢の中の光景が浮び上がってきた。ノーマは激しく首を振り、自分の中に膨らんできた悲しみを振り払おうとした。 「あんな・・・! 自分の力が足りないばかりに大事な人を守ることが出来ず、自分だけが生き残るなんてこと。絶対に嫌!」 あたしは彼を守りたいのよ! あまりに思いのたけが深くて、それは言葉に出来なかった。 「見せてご覧なさい。貴方のやり方で」 突然、答が返ってきた。 ノーマは驚いて顔を上げ、目前のマジシャンを凝視した。不気味なほど静かな殺気に身を包んで、立ちつくすブルー・マジシャンがいるだけだ。 幻聴だったのだろうか? ノーマは自問した。 いや・・。 彼女の口元がほころんだ。 「もちろんそのつもりよ」 ノーマの手にもパワーソードがあった。 ここへくる前に仕入れてきたのだ。光が揺らぎ、光学の剣が形を成した。 ノーマは剣を振りかざすと、最初の一打を交わすべくマジシャンに向かって走り出した。
セリアは目を見開いて、愕然とアイルを見た。 次に言うべき言葉が見つからない・・彼が受けた衝撃を表現するとしたら、それが一番ぴったりだったろう。 アイルはそんな友人を見て、皮肉そうに笑った。 「ほんとうはこんなことをセリアに言うわけにはいかなかったんだ。一生隠し通すつもりでいたし、誰にも言う気はなかった。それに第一、政府にそんな扱いを受けてでも同族を思うセリアに対して、言えることじゃないよな。だって俺達は同族を見捨てて、逃げ出したんだから・・」 声が細くなって、アイルはうなだれた。 「だけど俺達は、どうしてもあのままマージカにいたくなかった。『登録』が終われば、一生同族と戦い続けることになるんだ・・・俺にはそれが納得できなくて」 「脱走を?」 セリアの言葉に、アイルは頷いた。 「ブルー・マジシャンクラスになれば、何百光年も離れている星への空間転移も可能だけど、俺もノーマもグリーン・マジシャンだからさ、星間移動なんてとても出来ないから、逃げ出すのには苦労したんだぜ。・・まあもっとも、空間転移の魔法を使うには、正確な距離や位置が分からないことには無理だから、たとえブルー・マジシャンでも行ったこともない星へ行くのは不可能だけどな」 「戦闘用アンドロイドを倒した『閃光』。あれも魔法?」 アイルは頷いた。 「正体を隠すために俺に嘘をついたのか?」 「いや」 アイルはゆっくりと首を振った。 「半分はそうだ。・・・けど、残りの半分はノーマがそばにいたからだ」 言葉の意味が理解できずに首をかしげるセリアに、アイルは説明をした。 「アルメストへ来てすぐ、ノーマの記憶を封じたんだ」 アイルの顔が苦しげに歪んだ。 「彼女にはマージカでの地獄のような記憶を持ったまま、新たしい生活をさせるわけにはいかなかった。自分が脱走したマジシャンであることを隠し、逃げ続ける生活をさせるわけには・・。だから、彼女の記憶を封じた」 アイルは唇をかみしめた。 ノーマの記憶を封じることが、アイルの一人よがりな感情による行動でしかないことは、彼自身が一番良く知っていた。 だがアイルには、どうしても彼女にマジシャンである記憶を持っていて欲しくなかったのだ。 心の優しいノーマは、同族を見捨てて自分たちだけが逃げ出したという罪悪感に、胸を痛めるだろう。 あれほど苦労して脱走したというのに、ようやく手にいれた自由を、罪な事だと思うだろう。 ・・・いや、自分たちがしたことが罪なのは事実だ。だからこそアイルは、ノーマにそれを忘れさせたいと思った。 自分がどのように生きるか選べる自由。恋人と共に暮らせる幸せ。惑星マージカよりは安全な場所での生活。 それらの自由と希望を、彼女に与えてやりたかった。 だが、ノーマの記憶を封じたことを自分が忘れてしまうわけにはいかない。だからアイルはたった一人で辛い記憶を持ち続けた。 それは万が一こういう事態に陥ったときのためであり、また、アイル自身、ノーマにしたことが許せなかったからでもある。たとえどんな理由があろうと、その罪の意識は消せない。 「自分一人だけが昔の記憶を持っていることに耐えるのは辛かったけど、自分がノーマにしたことへの償いだと思えば耐えられた。むしろ、彼女に自分が脱走者だと思い出されることのほうがずっと辛かった。 でも、命に危険が迫ると、無意識のうちに魔法を使ってしまうのは、どうしようもない条件反射だ。だから俺はノーマの記憶が戻らないことを願って、彼女を欺き続けようとした。今までそうしてきたのと同じように。だけど・・・」 アイルは振り返って、彼女が寝ていたはずの部屋の方を見た。 ドアが開け放たれて、そこから空になったベッドが見えた。 自分がマジシャンであることを忘れているはずの彼女が、出口のない部屋から消えた。それが意味することはただ一つ。 「ずっと恐れていたことが起こった。彼女の記憶が戻ったんだ。空間転移の魔法を使った。俺がマジシャン・トーマから逃げるために使ったのと同じように。だとしたら、行き先は一つしかない」 「テンネットか」 アイルは頷いた。 ずっと、こんな日が来なければいいと思っていた。アルメストでの平穏な生活が、いつまでも続きますようにと、毎日目に見えない誰かに向かって祈った。 けれど・・そんな存在など、いるはずがないのだ。祈りの対象となる絶対者など最初からいなかった。 アイルはきつく手を握りしめた。自分の爪で手のひらが傷ついて血が流れるのも構わずに、固く、固く握りしめた。 「行こう」 声にはっとして顔を上げると、目の前で白い髪が揺れて玄関の扉を開いた。 「セリア?」 呆然とするアイルに構わず、セリアは外へ出た。 テンネットへ行く気だと気づいたアイルは友人を追って駆け出した。 「駄目だセリア! これは俺の問題なんだ。お前を巻き込むわけには・・」 「違う」 セリアが振り向いて、アイルの言葉を途中で打ち消した。 「元々、俺の問題だ。俺が巻き込まなければ、こんなことにはならなかったはずだ」 この優柔不断め。無愛想な白い顔はそう言っているかのようだった。 アイルは言葉を失って、ただセリアの顔を凝視した。だが彼の心の中には戸惑いとも喜びともつかぬものが渦巻いていた。他人の優しさなど、マージカでは誰も教えてくれなかった。 この男に会えてよかった。アイルは心の底からそう思った。
相手が自分より優れたマジシャンである場合、魔法による勝負は問題にならない。魔法において才能の差と言うものは、努力では埋められない絶対的な溝だ。 そんな相手とやりあうなら、相手に魔法を使う隙を与えない剣術での勝負に持ち込むのが常套手段だ。 植民星であり人間でないと定められたマージカの人々には、当然のことながら人権保護が無い。そのために遺伝子改造が頻繁に行われ、アンドロイドでさえ立ち打ち出来ないほどの反射神経と戦闘能力を生まれながらに持っていた。 この能力だけは魔法の才能と違って殆ど差が無い。あるのは経験による差のみ。 だから、もし戦う相手が自分より優れたマジシャンなら、腕力だけの戦闘に持ち込んだほうが勝てる確率が高くなるのだ。 抜刀一打。光の剣が目にも止まらぬ速さで弧を描き、両者の刃が噛合った。 強い・・。それがノーマの素直な感想だった。力においても、剣技においても、ノーマはマジシャン・トーマの足元にも及ばない・・・。彼女はたった一合交えただけで己の敗北を悟った。 ・・が、だからと言って、ここで逃げ出すことも負けを認めることも出来ない。 マジシャン・トーマは見せてみろ、と言った。 アイルだけは絶対に守り通して見せるとノーマは言った。口には出さなかったが、マジシャン・トーマにそれは伝わったはずだった。でなければこうして、ノーマの勝負に付き合ってくれるはずがなかった。 ノーマは後ろに跳び退いた。パワーソードを握る手が痺れた。たった一度の打合せで、これほどの衝撃を受ける。相手との差は歴然だった。 床に着地と同時に、ジャンプ。剣を腰に引き、敵に向かって飛び込んだ。 下方から薙ぎ上げたマジシャン・トーマの白刃が、宙に舞ったその体を捉えた。 柄を握ったノーマの持ち手が変わった。そのまま流れるような動作で、剣は攻撃から防御へと移った。 その剣技は一流。彼女がどれほど多くの敵に向かって相対してきたかを物語った。 つと、マジシャン・トーマの右手が引いた。後ろへ。ノーマがそれに気を取られた刹那、左手が複雑な印掌を一瞬のうちに組み上げ、呪文がその魔法を確定した。 赤い光の球がマジシャン・トーマの手の中で凝縮した。ノーマがそれを視認したのと空気が炸裂したのとが同時だった。 「がっ!」 魔法はノーマの腹の上で爆発した。口から血が糸を引いた。内臓が裂けてはじけとんだ。 吹き飛ばされた彼女は、痛みに一瞬気を失いそうになりながらも、宙で体制を整え直し、剣をふりかざした。 視界の中にマジシャン・トーマが飛び込んできた。 しまった。間合いに入られた! ノーマは体をひねって脇へ避けようとした。が、腹は殆ど吹き飛んでいる。力が入らなかった。 腹部に衝撃を感じ、ノーマははじけ飛んだ。 体が軽い。そう思った。 床は目前だ。着地を・・そう思ったが、下半身の感覚が全く無かった。自分と反対方向で、どさりと音がした。肩から床に突っ込んだノーマは尚も戦おうと、立ち上がろうとした。 感覚がおかしい・・神経がイカれたのか。ノーマは自分の下半身を見て、愕然とした。 ・・ 腹から下がない。痛みで感覚が麻痺したわけではなかったのだ。はっとしてノーマは先程音がしたほうに目をやった。 離れた位置に、下半身だけの自分が投げ出されていた。 ノーマのすぐ目の前に、マジシャン・トーマが優雅に舞い降りた。 「・・」 ノーマはマジシャン・トーマを見上げた。口から血泡が溢れた。視界が急速に遠退き始めた。 「負けだわ。あたしの」 魔法を使う隙も与えず剣を打ち込んだはずなのに、それでもかなわなかった。負けたのだ。自分に。今度もまた、自分の力の無力さゆえに大切な相手を守ることが出来なかった。 「そのくらいの傷なら、たいしたことはないでしょう」 ・・・ もちろんだ。ノーマは思った。脳以外全部ダメになったことだって、何度もある。 だがそれが何だと言うのだろう? なぜ彼はとどめを差さない? マジシャン・トーマの言葉を理解しかねたノーマは、ぜえぜえと赤い息を吐き出しながら彼を見上げた。 「見せていただきました。勝負はあなたの勝ちですよ」 表情の伺えない漆黒の瞳が、彼女を見下ろした。 「恋人を連れて逃げなさい」 その言葉にノーマは驚愕して目を見開いた。 「でも・・」 ブルー・マジシャンの姿が虚ろいだ。 ノーマは呆然とそれを見つめながら、なぜだか知らないが自分が勝ったことを悟った。マジシャン・トーマは「見せてみろ」といった。そしてノーマは、己の誓いの強さを彼に見せた。だから、自分はこの勝負に勝ったのだと・・。 「ふ・・ふふ・・・」 ノーマの口元に笑いが込み上げてきた。すでに視界は闇の中だ。心臓の鼓動が急速に小さくなっていく。 マジシャン・トーマは大した傷ではないと言ったが、それはマージカでの事だった。 あの地獄では、たとえ心臓の鼓動が止まっても、体が全部吹き飛ばされても、脳さえ生きていれば、何度でも全身再生を施してくれる。 自分がそれを望まなくても。 すぐに死んでしまう以外に、あの地獄から逃げ出す道はない。 ・・ だが、ここは違った。 再生には金がかかる。自分にはもう動けるだけの力は殆ど残っていない。自分の脳波が止まるまでに、誰かが見付けてくれる可能性は薄い。 見えなくなった目から、涙があふれてきた。 命はついえようとしているのに、そんなことはどうでも良かった。 自分は勝ったのだ。今度こそ、愛するものを守り通したのだ。その喜びだけがノーマを支配していた。 逃げて、アイル・・・。 ノーマはその言葉を口に出そうとした。 マジシャン・トーマはあたし達を見逃してくれるのよ。あたし達は自由よ。もう誰も、あたし達の自由を奪ったりしないわ。だから逃げて。 ノーマは己の意識が途切れるまで、心の中で言い続けた。
不思議な襲撃者が現れたのは、午後をかなり回っていた頃だった。 旧区でももっとも古い区域にあるテンネットの支部の建物の入り口には、それとわからぬように監視がつけられていて、常に来訪者に目を光らせていた。 壁に同化してしまう監視カメラはもちろんのこと、あたりをうろついている浮浪者や立話をしている男たち。 亀裂の入った灰色の壁と、うらぶれた男たちの行交う姿。空気までもが淀み、陰湿で闇と欲望の入り混じった背徳の町並み。 ぱっと見た目には、寂れた旧区の中でもごくありふれた光景だ。 だが、ひとたびポリスを始めとする組織の敵対者が現れれば、いつでも戦闘体制が整えられるようになっていた。壁にすがって座り込む放浪者たちはレーザー銃を手に立ち上がり、グルーピーと戯れていた男たちは機械化した自慢の体で侵入者に襲いかかる。 それらの防衛網を突破したとしても、ビルへの扉をくぐることは難しいだろう。 一見何のへんてつもないその扉は、DNAパターンを鍵とする最新のロックシステムで、鍵偽装を90%の割合で看破する。 また、扉を開けることが出来ても、監視カメラの目をごまかすことは出来ない。カメラはあらかじめ登録された人物以外の者が横切ると警報を発するように作られており、この判別法は表皮細胞のDNA判定になっている。顔の整形をしたくらいでは、ごまかせないのだ。 さらに、扉は開くのに一定の時間がかかるように作られており、それは監視カメラが侵入者の警告を発するに充分な時間となっている。 侵入者が扉をくぐった途端、コンマ100分の1秒でレーザーに射抜かれるのがおちだ。少なくとも、テンネットがここに支部を構えて以来、この防衛網を突破した者はまだ誰もいない。 襲撃者達は突然に現れた。 それは言葉通り、本当に突然だった。 たった今までそこには何もなかった。 次の瞬間。目の前に二人の男が現れても、即座に対応できるものは誰もいなかった。 確かに今まで何もなかった空間に人間が現れた。現れたのに、それがあまりにも唐突だったために、脳がそれを理解できなかったのだ。 肌も髪もすべてが白い男が跳躍した。 もう一人の男が目にも止まらぬ速さで走りだした。壁と完全に同化しているカメラの位置を、どうやって知り得たというのかは分からないが、監視カメラの据えてある場所を真っすぐにめざしていた。 彼らが侵入者だとようやく理解した男たちは、遅ればせながら応戦体制に入った。 いや。銃を構え、襲撃者に向かっていった者は殆どいなかった。 放浪者が立ち上がる前に目の前に白い男が現れた。鈍い音と共に男は壁に叩きつけられた。 二人の侵入者のどちらに応戦すべきか迷っていたサイボーグ男は、扉に向かって走る男のほうを攻撃しようとした。 侵入者の片割れが扉の横の壁に拳を打ち込んだ。コンクリートが割れ、破片が辺りに飛び散った。 走る男の前に、白い影が流れた。同時に、男は衝撃で後方へ吹き飛び、何度も地面をバウンドした。 灰色の塵塊の舞う煙の中から男の姿が現れた。もう一人の襲撃者だ。突き出した男の目の前の空気に模様のような光が浮き上がり凝縮し、炸裂した。 その男を中心に熱風が巻き起こった。 悲鳴があがった。 風が流れて消え、舞い上がった塵が収まったとき辺りの光景は一変し、その場には二人の男が立っているだけだった。 砕けた壁。湾曲した地面。幾つかの死体。ごくありふれた旧区の風景は殺りくのあとになっていた。 「セリアに言われた通り、監視カメラを通じて、電子防御機構には負荷をかけて使用不能にしたよ」 男のうち、一人が言った。 「以前ロードの脳を奪取しそこねたから、内部の見取り図はわからないぞ」 アイルは頷いた。 「知らない場所に転移は出来ない。足を使っていくしかないけど・・俺は行く」 「同じ言葉を繰り返すなよ」 セリアの言葉にアイルは苦笑した。 「ありがとう」 アイルの言葉に、セリアは無言で返事を返すと、彼らは共にテンネットへの扉をくぐった。
3
外観からは想像もできないほど、複雑に入りくんだ廊下を幾つも抜けて、二人は走った。 テンネット自慢の電子防御機構は働いていない。応戦は激しかったが、相手は元白兵戦専用兵と、連邦最強と言われる兵器マジシャン。・・誰も行く手を阻むことは出来なかった。 「言えっ! ノーマはどこだ?」 極彩色の派手なシャツの襟首を掴んだ手が激しく揺すられた。 「よせ。もう気を失っている」 そう言った手が、アイルを押さえた。 そこで初めてアイルはそのことに気付いて、男を掴み上げる手を放した。 「組織の支配者はゲルーシャという男だ。ゴーザと絡んでいるなら、そいつがマジシャンに命令を出しているはず」 「そのゲルーシャって奴を探した方が早い?」 アイルの言葉にセリアが頷いた。 「できれば、そいつの脳が欲しい。テンネットとゴーザに関する情報が引き出せる」 現在の科学力では、生脳からでも専用の機械さえ使えば記憶をデータとして取り出せる。嘘をついているかそうでないか、自白剤や拷問などで調べ出す必要はない。わざわざ生かしておく必用が無いなら、殺した後データだけを取り出せばいいのだ。 アイルは、セリアがロードを殺そうとしていたのは、ハックだけでは調べられないテンネットの内部情報を調べるためだとようやく気付いた。 そのためだけに、人の命をやすやすと奪う・・・ここはそういう町だった。 アイルは押し黙ってセリアを見た。 「俺はゲルーシャを探す。お前はノーマを探せ」 「分かった」アイルは頷いた。 「いいえ。そんなことはさせません。あなたたちはここで死にます」 声に驚いて振り向くと、二人の前にドレス姿の女が立っていた。 女の目から瞳孔が消えた。レンズアイが人間と同じ視覚映像処理から赤外線探知を行うバトルモードに移行する。戦闘用アンドロイドだ。 白いドレスの裾が優雅に揺れて宙に舞った。胸で交差した腕の皮膚が裂けて、内蔵兵器が飛び出した。白銀の鎌。手首の表側に備えつけられた麦苅り鎌がアイル立ちに向かって跳んだ。 鎌が空を切った。 女の目の前にいた二人は、白銀の刃が筋肉を両断する前に左右に跳び退いた。アイルは女が次の攻撃に移る前に体を屈めると足を薙ぎ払った。女が均衡を崩し、倒れる。アイルは女の首に手刀を振りおろした。 異様な音がして、機械仕掛けの首が床に転がった。 女がアイル達に襲いかかってからきっかり二秒。 セリアは言葉を失って、友人の足元に転がるアンドロイドを見た。 噂には聞いていたが、マジシャンとはアンドロイドをも遥かに凌駕する。 そして生身の腕でどうやったらこれほどの力が出るのか。 「遺伝子操作の賜物さ」 セリアの心中を察してか、アイルの顔が苦々しげに歪んだ。 「俺の腕は機械化してない生身だけど、生まれたときのままっていうんじゃない。何度も再生をしてる。その度に最新の強化筋力加工を施されてね! アンドロイドなんか、簡単にスクラップに出来るさ!」 吐き捨てるように言った言葉は、怒りとも哀しみともとれた。 自分の体を構成する反自然の遺伝子さえ憎まずにおけない怒りと、それ故の悲哀が滲み出ていた。 アイルは数秒をかけて、憤りを無理矢理抑え込んだ。 「・・ごめん。やつあたりだ。・・・行こう。ゲルーシャとノーマを探し出さないと」 「その必要はないぞ。マジシャン」 あちこちに亀裂が入っている廊下の向こうから声が響いた。 スーツに身を包んだゲルーシャが見下すように二人を見た。ボディガードは一人も連れていない。腕に自信があるのか、それとも見えない場所にマジシャン・トーマが控えているのか。 「このまま逃げ続ける生活をしていていいのか?」 ゲルーシャの横柄な声がアイルに向けられた。 「何だって?」 何が言いたいのか理解できないアイルは眉をしかめた。 「天敵に脅えるドブネズミのように、汚物にまみれた闇に隠れて生きる生活を、一生続けたいのかと言ったんだ。それとも、マジシャンと言うのはそういう生活をするものなのか?」 アイルの顔が怒りに歪んだ。 誰も好き好んでそんな生活をしているわけではない。すべては連邦のせいだ。 歯ぎしりをするアイルを見て、ゲルーシャは小気味良さそうに笑い声を漏らした。 「だがこのままでは、マージカ脱走という犯罪者の烙印は一生ついてまわるんだぞ。つらくはないのか?」 「・・何が言いたい」 「フ・・・」ゲルーシャは冷笑した。 「私の元に来れば、そんな心配はしなくても済むようになるぞ。偽造などではない正規のIDカードも発行してやれるし、薄汚い場所で生活し、隣の男のような犯罪者に身を落とすこともない。・・恋人だって、まともな暮らしがしたいだろう」 甘い話半分と脅しが半分。ゲルーシャのような男がもっとも得意とする会話だ。 もちろん、目の前のマジシャンの恋人は、マジシャン・トーマが既に始末しているはずだった。 ゲルーシャにだって分かっている。蛆虫のような生活をするのが嫌だからこそ、この男はマージカを脱走したのだ。 「悪い話では無いはずだ。これは純然たる取り引きだよ。お前の身分を保証する代わりに、私にお前の力を貸して欲しい。それだけだ」 アイルは怒りに我を忘れた。 自分たちマジシャンから人間であることを奪った連邦への怒り。マジシャンは人間ではない。・・・そういう価値判断を植え付けられ、それが当たり前だと思っている、ゲルーシャのような人間に対する怒り。自分達を利用し、武器としてモノとして扱う連中へのいいようのない、目も眩むほどの怒り。 自分たちは確かに人間なのに、染色体さえも好き勝手に組変えられてしまう。この筋力も。反射神経も。連邦がマジシャンにかけた、いまいましい呪いだ。 それらを代表するかのような、ゲルーシャの見下した笑いに対して湧き起こる怒り。 「騙されるなアイル。不正に入手したマジシャンをまともに使うわけが無い」 侮辱と脅しによる怒りに我を忘れかけていたアイルの耳に、セリアの抑揚のない声が届いた。いつどんなときでも揺るぎのない冷静な声・・それがアイルを現実に引き戻した。 そうだ。今は怒りに身を任せている時じゃない。ゲルーシャの脳を手にいれて、ノーマを連れ返って。マジシャン・トーマの目を掠めて。またもとの生活に戻るんだ。 アイルはここへ来た本来の目的を思い出した。 「大丈夫。セリア。俺はあんな言葉に騙されたりしない」 ゲルーシャの顔が引きつった。 「恋人がどうなってもいいのか? 今ごろマジシャン・トーマが行っているぞ」 アイルがぴくりと反応した。それを見たゲルーシャは、唇の端をつり上げた。笑っているのだ。マジシャンの弱点は恋人だ。そこをつけば簡単に手に入るだろうと。 アイルは拳を握りしめた。 ゲルーシャはマジシャンはアイルだけだと思っている。それはアイルにとって嬉しい誤解だったが、マジシャン・トーマがすでにノーマの元に向かっているとすれば、あるいは、すでにノーマは・・・。暗い不安がアイルの胸を掠めた。 と、隣で影が揺らぎ、セリアが風のようにゲルーシャに向かって跳んだ。 機械の腕が、ゲルーシャの首を捉えた。自分だけのマジシャンが手に入ると安心しきっていた、その不意をつかれたゲルーシャは、そのまま壁に叩きつけられた。セリアの手が首から放されることはない。 「危ない、セリア!」 アイルが叫んだ。ゲルーシャを掴み上げるセリアの首に、マジシャン・トーマの持つパワーソードの切先が固定されていた。たった今まで、その空間には何も無かったはずだ。アイルは空間の歪みに気付いてすぐにセリアに声をかけたが、間に合わなかった。 「ゲルーシャの首から手を放しなさい。でなければあなたの首が飛びます」 マジシャンの言葉に、セリアは無言で答えた。 「仕方がありませんね」 マジシャン・トーマが言った。 「セリアから離れろ!」 素手で自分より位が上のブルー・マジシャンに向かっていくのが無茶なことだと、アイルは充分に承知していた。 マジシャンは振り向きもせず体を僅かにそらした。皮一枚の差でアイルの拳は空を切り、アイルはよろめいた。が、床に手を突くとそのまま体をひねって回転蹴りを食らわせる。再び、空しく虚空を着いた。マジシャンの持つ剣はセリアの喉から離れない。 セリアがこんなに近くにいるのでは、攻撃魔法は使えない。それでもアイルは諦めなかった。 セリアはアイルがアルメストで手にいれた、ノーマと同じくらい大切な友人だった。アイルは懸命になってマジシャンに向かっていった。 唐突に、マジシャンが一歩後ろへ下がった。剣の切先がセリアの喉元から離れる。と、その切先が優雅に弧を描いた。パワーソードは、とっさに下へと身を沈めて避けたセリアの頭上を通過して、ゲルーシャの首をはねた。 「な、なぜ・・・」 潰れた声が動揺をあらわした。ゲルーシャにはマジシャン・トーマが自分を殺す理由を理解できなかった。もちろん、アイルとセリアにも。 驚く二人を前に、マジシャン・トーマはゲルーシャの首が床に落ちる前にそれを掴んで止めた。 「どうして味方を・・」 アイルが呟いた。 「味方? ゲルーシャは味方でもなければ私の所有者でもありません。私の仕事は組織と政府との関わりを断つこと。残念ですがアグメナイト・・あなたの苦労を無駄に終わらせることが目的です」 ゲルーシャもまた、政府の捨て駒にすぎなかった。 「で、でも」 ノーマを、自分を、捕まえるのはゴーザの意向では無いのか。マジシャンは自分たちを殺す気ではないのか。アイルは思ったことを口に出しかけた。 「アルメストのテンネットを潰すこと。私の仕事はそれだけです」 再び驚いて、アイルは顔を上げた。 それではこのマジシャンは、政府に自分たちの存在を連絡していないのか。この町には始めからマジシャンは存在していなかったと、そういうことにしてくれると言うのか。 「そのように約束しました」 マジシャンはアイルには理解できないことを口にした。その言葉の最後に呪文が続き、マジシャンの手が幾つかの掌印を組み上げた。 途端に床に一リーガル程の大きさの魔法円が現れた。めまぐるしく変わる色彩の円の中には文字らしき光が浮び上がっている。 「なんだ? あれは」 「破壊の魔法円だ」 セリアの問いに、アイルが答えた。 「光はすぐに消える。その後魔法円に接する部分の分子が破壊される。・・つまりこのビルを壊す気だ」 視線を光の魔法円から放すと、既にマジシャンの姿は無かった。魔法円の発する明かりに照らし出されて、不気味に静まり返った廊下にすがるようにして、首の無いゲルーシャがうずくまっていた。 「急いで脱出しよう」 アイルはセリアに合図して、駆け出した。廊下の突き当たりは階段になっていた。二人は急いで階段を掛け降りた。 空間転移の魔法でここから逃げ出すこともできたが、このビルのどこかにノーマがいるはずだ。見捨てていくわけには行かなかったし、だいいちアイルにはそんなことは出来なかった。 アイルの気持ちがセリアにも分かっているのか、何も言わずに共に走っている。 破壊の魔法円の効果は分子分解砲と同じ効果だ。接した部分が音もなく破壊される。 一部分の物質が分解されると、それに隣接する分子も連鎖反応を起こして次々に分解していく。その物質に接している部分はすべて、ハケで掃いていくように、あっという間に空気に変換されてしまう。 破壊の魔法円が分子分解砲と異なるのは、その効果範囲を特定できることだ。普通なら宇宙船一つを丸ごと分解するまで連鎖反応が止まらないところを、特定範囲に限定できる。たとえば、このビル一つを分解するだけ。というふうにだ。 アイル達の頭上から、音の無い恐怖が迫ってきた。 ふいにアイルが足を止めた。 「どうしたんだ?」セリアはアイルの視線を追った。 柱の影に隠れるようにして、人影が座り込んでいた。 「ノーマ」 アイルは叫んで、走り出した。続く短い悲鳴。 後を追って駆け付けたセリアがその人影を見て、悲鳴のわけを理解した。柱に背を持たせていこと切れているノーマを見下ろすアイルの顔に苦渋が広がった。 「ノーマ・・・ノーマ・・」 続いて、涙が。アイルは上半身だけの恋人の名を何度も呼びながら、抱きしめた。 セリアは上を見上げた。音の無い闇が迫っている。 「アイル。ここももうすぐ危ない」 だが返事は返ってこなかった。かわりに、恋人の名を呼びながら啜り泣く声がセリアの耳に届いた。 「アイル・・」 セリアはもう一度言った。しばしの無言の後、アイルは恋人の亡きがらを抱きしめたまま、首を振った。 「俺はここに残る。お前だけで逃げてくれ。ノーマがいないなら、俺は生きていても何の意味もない」 声は悲しみに満ちていた。セリアはノーマのいた床に目を止めると、突然アイルの襟首を掴んで頬を打った。 「何を・・・」 言いかけるアイルにさらに平手打ちをくらわして、セリアは床の一点を指差した。 「あれを見ろ!」 初めて聞くセリアの怒鳴り声に、アイルは頬の痛みさえ忘れて呆然とした。セリアは押し付けるようにしてアイルの首をそちらに向けた。 そこには文字がかかれていた。おそらく、ノーマが最後の力を振り絞って書いた血文字が。 「なんて書いてある?」 セリアの厳しい声が言った。 アイルはそれを読んだ。文字は共通語でこう書かれていた。 ただ一言『逃げて』と。 私の代わりに。私の為に。 私達の夢を果たすために。 私がたった一つ望むこと。あなたに生きていて欲しい。生きて頂戴。そして、どこまでも逃げて。逃げ続けて。マジシャンが誰も見ることが出来ない世界を見るために。私達の未来のために。 たった一言の文字に、たくさんの意味が込められているような気がするとアイルは思った。 「これでもまだ死にたいなんて言う気か!」 アイルは歯を噛み締めてノーマを強く抱きしめた。 無の闇が頭上から降ってきた。 アイルは恋人を抱きしめ、声もなく涙を流した。 離れたくない。離れられない。自分がここまで連れてきたのに。守り切れずに死なせてしまった。それどころか、マジシャン・トーマが自分を殺さなかったのはノーマの命と引き換えだと約束したからなのだと、ようやく気がついた。自分が愛しい女の命を奪ったのだ。 セリアは険しい表情で頭上を見上げた。生きているものもそうでないものも全て空気に変えてしまう魔の力が降り注いでくる。今さら逃げても、もう間に合わなかった。 「セリア。俺の近くに寄って。なるべく近くに」 アイルの悲しみに沈んだ声が細く聞こえた。視線を落としたセリアはアイルの顔を見た。絶望に染まったアイルの瞳が、セリアを見上げていた。 周囲の壁が解けた。床が解けて消えた。目を閉じたノーマの体も同じように空気になった。
宙港ポートに発着便のアナウンスが流れた。 メールサービスのカウンターの前でホログラフニュースの検索を行っていた男が固いため息を小さく漏らした。 「結局、何とか間に合うには間に合ったか」 電源のスイッチを落として、男はそこを離れ、すぐ側のベンチに腰掛ける男の前に立った。 「結果はどうだった?」 ベンチの男が顔を上げ、白い男に声を掛けた。 「ゲルーシャの件は駄目だったが、政府に流したデータが役に立ったようだ。ゴーザ経由で流れてきた密輸品を押さえて、それについて言及されたニュースがでていた。これで向こうも強気の交渉には出られなくなる。まあ、しばらくは独立を保てたってとこか」 ベンチに座った男は小さく微笑んだ。ようやく、微笑むことが出来るようになった。 再び、アナウンスが流れた。 「俺達の乗る便だな」 白い男がアナウンスに耳を傾け、相棒に向かって顎をしゃくった。 「行こう。アイル」 アイルは頷いて立ち上がった。 「すまないな。IDまで用意してもらって」 「何言ってる」 声は相変わらず無愛想だった。
アイルはふいに頭に浮かんだことを口にした。 「そのうちセリアの生まれ故郷にも行ってみたいな」 友人が振り向いた。 「何もない所だぞ。あるのは地平線まで続く野菜畑と、俺達の天敵の肉食獣のセルゲギィアだけ。あの星の支配者は俺達人間じゃない」 「それでもいいよ」 アイルの瞳が暗くなった。とにかく、ここではない場所へいけるならどこででも。 「ああ、故郷と言えば思い出したが」 セリアが言った。 「俺達の星では、存在する全てのものには魂があるっていう考えがあるんだ。人間にも。椅子とか野菜とか。俺達を喰うセルゲギィアにも。それで、それらを喰ったり壊したりしたら、それの持ってる魂は壊した奴が引き継ぐことになるらしい。そうやって命は滅びるけど魂は滅びること無く引き継がれるんだとさ。それが俺の星での、永遠と言う時間の概念だ。・・・まだ科学が発達していなかった頃の、古代の思想だが。ナチュラリストどもは未だに信じてる。もちろん、俺は信じてないけどな」 「俺の星にもそういう考えってあるよ」 アイルの唇がほころんで、暗さがうすらいだ。今日のセリアはよく話す。およそ彼らしくない台詞まで口にして。自分に気を使ってくれているのだと、アイルは感謝した。
ここを去る今になって、この町に来てからの、様々なことが思い出された。生活は苦しかったはずだが、思い出したのは楽しいことばかりだった。
笑えるようになったのは、ここに来てからだった。夜、物音に脅えずに眠ることが出来るようになったのも。恋人と楽しく甘い時間を過ごしたことも、明日という言葉に夢を託すことを知ったのも。「楽しい」という感情は、何もかも、ノーマと共にこの町で学んだことだった。
そして又、自分の幸せの全てを奪ったのもこの町だ。 いや、一つだけアイルの手元に残ったものがあった。
新たな船の到着を知らせるアナウンスが宙港ポートに流れた。 新しい夢や希望を持ってアルメストにやってくる者。絶望と後悔を胸にこの町を去る者。対象的な二つの姿はどれも真実であり、それこそがこの町の姿なのだった。 ざわめきは常に止むことなく響いている。この町ができて以来ずっとそうだったように、それはこれから先も変わることはないだろう。この町は、人々の生きる生命力そのものを原動力として存在しているようだと、アイルは思った。 歩き始めた二人の姿は宙港ポートを埋め尽くす人の波の中にまぎれ、やがて消えていった。 ノーマがアイルに向け、最後に残した伝言だけを持って。
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