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革命の危機―チェコスロヴァキア軍団事件と反革命戦争(14)

白衛派の陰謀

 

ボリシェヴィキと軍団兵士との間の相互不信が高まっていく中で,一触即発の大事件への下準備が着々と進行していた。

 

軍団内の対ソ強硬論者たちによって,将兵のボリシェヴィキへの不信感を煽って意思決定におけるイニシアティヴをとり,軍団と白軍とを連携させてボリシェヴィキ政権を打倒しようという反乱計画が練り上げられていた。この計画で指導的役割を果していたのが,第1師団第7連隊長のラドラ・ガイダ(ルドルフ・ガイドル)大尉で,賛同者たちと共同して配下の将校たちを使って軍団内の反ボリシェヴィキ・ムードを醸成させていった。

 

ガイダ大尉を中心とする白衛派の対ソ強硬論者たちは,王党派の将校・元軍人に人脈をもち,シベリア各地の反革命地下組織とつながりがあった。彼らは,主流派であるマサリクとチェコスロヴァキア国民会議によるロシア政情への不干渉の基本方針を無視し,着々と反ボリシェヴィキ革命計画を練り上げていった。

 

53日にはチェコスロヴァキア軍団中央軍事本部のあるオビ河沿の都市ノヴォニコラエスフスクにおいて反革命派による秘密会議が開催された。この秘密会議では具体的な日時は明示されなかったが,中央軍事本部のグリシン=アルマーゾフ大尉の指令の下で決起をすること,各地区ソヴィエトの有力指導者の逮捕,国立銀行の接収,交通の要所の占領,後方かく乱などの計画実行時における各任務の分担等が確認された。【注25

 

すでにロシアを離れていたマサリクは,このような陰謀が繰り広げられていたことは知る由もなかった。軍団内にはボリシェヴィキに同情的・好意的な将兵もいるにはいたが,外務人民委員ゲオルギー・ワシリエヴィッチ・チチェリンから発せられた移送停止命令と,それに続くムルマンスク,アルハンゲリスクへの目的地変更の指示というボリシェヴィキ政権による不手際と不信感を抱かせる対応は彼らの態度を硬化させ,ペンザ協定を反故にして自分たちをドイツ・オーストリア同盟軍に引き渡すのではないかという猜疑心を醸成させることになった。

 

ここでもボリシェヴィキの施策が裏目に出ることになった。彼らは,単に国家運営の素人であるために失策を繰り返したというだけではなく,その猜疑心の強さから数多の施策を失敗に導いたものといえる。相手に対する疑いの心を持っているからこそ,方針が一定に定まらず,次々に前とは違う指示・命令を連発するようになる。結果として,相手の猜疑心も呼び覚ますことになり,相互不信が助長される。何よりも,軍団内部の反ボリシェヴィキ・ムードの高まりがそれを如実に物語っていた。

 

ボリシェヴィキ中央から猫の目のように変わる一貫しない指示に対し,軍団司令部も混乱をきたしていた。このままでは,軍団を無事にヴラジヴォストークへ輸送することはできないと見たチェコスロヴァキア国民議会ロシア支部の代表者たちは,事実関係を確認し,ペンザ協定に基づく軍団全員の速やかなヴラジヴォストークへの輸送の実現を要求するため,モスクワ(この時,レーニン政権中枢は既にペトログラードからモスクワに移っていた)へ代表を派遣することを決定した。

 

この代表たちがモスクワに到着し,レーニン政権と今後の移送計画を討議をしていたまさにその時,この後の情勢を大きく転換させることになる事件が起ころうとしていた。



【注25】
反乱計画への英仏の関与



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