第十五章 君あれば

「うわ、なんだ、気持ち悪りい」
 殺嘉は思わず両肩をさすった。
 淘汰も鹿子も、この奇妙な感覚の原因を突き止めようと緊張している。
「あっちからだ」
 鹿子は顔を都の西にむけた。
「あそこに、何かあったっけ」
 考えて、殺嘉はすぐに思い当った。玲帝の陵墓がある方向だ。
「おおい!」
 反対側から聞き慣れない男の声がした。木々の間から、兵が今にも転びそうなほど慌てて全
力疾走しているのが見えた。格好からして、都の外を見張っていた兵だろう。
「誰か! 占司殿の方はおらぬか! 朱様に伝えてもらいたい!」
「なんだ、一体!」
「壁の外に、なにかおかしな物が!」
「おかしな物?」
「黒い、へどろのような物が。半分溶けたような獣や怪鳥も現れて。操吟様が兵を従えて人々
を守っていますが、このままでは」
「ヒルコだ」
 そう言って、鹿子がこくりと唾を飲み込んだ。
「今はまだいい。でも、犠牲者でたらますます穢れが強くなる。ヒルコも本格的に荒ぶる神にな
るかも知れない」
「巫女の内から何人か、援軍に回そう。操吟に伝えよ。清めの人数が減るのは痛いが。わらわ
は占司殿に戻る。後援の場所もつくらねばならないからの。これから荒ぶる神がわんさと現れ
るぞ」
 一礼して、兵は伝言を伝えに森の中へ消えていった。
「やはり、玲帝の陵墓か」
 声を姿に似合わぬほど低く落として、朱は呟いた。
「僕も確かにさっき陵墓の方から嫌な気配を感じたけど。帝が何か関係あるの?」
 殺嘉が聞きたかった事を、淘汰が代わりに聞いてくれた。
「実はね。りん、いえ、操吟様が鏡を持って来られたらしいの」
「もし柚木がどこかで何かやってるとしたら、玲帝と関係のある場所の可能性があるってわけ
か」
 鹿子うなずいて衿を正す。
 殺嘉が淘汰をうかがうと、淘汰もこちらを見ていた。うなずきも合図もなく、視線だけで互いの
考えを確認する。
「淘汰、殺嘉。傷があるなら、手当てを早く。これから、玲帝の陵墓に行く。柚木様を止めるわ
よ」
「ごめんなさい、鹿子様」
 淘汰がにっこりと微笑んだ。
 噛み合わない応えに、鹿子が振り返ろうとした。その細い首に、淘汰が手刀を叩きつけた。
 驚いて一瞬見開いた鹿子の目が、力なく閉じていく。
「とう……た?」
 崩れ落ちる鹿子の体を、殺嘉が支えた。
 暖かできゃしゃな体を、抱き抱えるようにしてゆっくりと地面に寝かせる。
「二人とも、何を」
 詩虞羅が驚いたように二人を見上げた。
「柚木を殺す」
 殺嘉と淘汰の声が重なる。
「詩虞羅、鹿子の呪いは柚木を殺さなければ解呪できない。そうだったな」
「だからといって、鹿子様に柚木を殺させるわけにはいきませんよ」
 殺嘉も淘汰も、鹿子が巫女をめざした理由を本人から聞いて知っている。そして、憧れの巫
女様を語るときの、鹿子の嬉しそうな顔も。淘汰の言う通り、そんな鹿子に人殺しを、まして柚
木を殺させるわけには行かない。
「詩虞羅。悪いが、鹿子を占司殿の中に入れてやってくれ。逃げないように牢へでもつないでお
け」
 殺嘉の言葉を聞いていた朱がうなずいた。
「ふむ。鹿子には今度こそ刀を置いて休んでもらおう。占司殿に指示を与えたら陵墓へむか
う。淘汰、殺嘉。早まって二人きりで乗り込むなよ」
「朱様、私もともに……」
「黙りや、薙覇!」
 詩虞羅の言葉を遮り、斬りつけるような勢いで朱が言った。
「たわけがぁっ! 御主は告屠の偽物すらも斬れなかったではないか! 仲間が姿を盗られ、
冒涜されているというのに、惑わされおって! もし鹿子が柚木に刀を向ければ、御主は鹿子
の邪魔をするであろ。逃げる逃げないではない、運命に立ち向かう資格すらないわ!」 
 詩虞羅は胸をえぐられたように顔を背ける。
 朱は魁にまたがり、物凄い速さで占司殿へ駆けさって行った。
「二人きりで乗り込むな、だってよ。待ってられるかよ」
 地面に横たわった鹿子は、眉をしかめていた。薄く開いた唇も、両の頬も青ざめているいる。
 元気そうに見える鹿子だが、それは符のおかげにすぎない。傷はそのままに、薬で痛みだけ
を無理やり押さえているようなものだ。このままにしていて、長く持つはずがない。何よりも、柚
木の事は他の巫女達に任せて起きたくはなかった。
「まさか、今からすぐに行く気ですか」
「そういうこと」
 驚いた様子の詩虞羅に、殺嘉は不敵に笑って見せた。 
「呪いの進行が心配です。詩虞羅さん。鹿子についていてくれますか?」
 珍しく敬語の淘汰に詩虞羅は頷いた。
「あばよ、じゃなかった、またあとで、な」
「お互い、生きていたらまたお会いしましょう」
 二人は手を振ると、詩虞羅に背を向けた。

 戻る  第十六章 死地


トップへ
トップへ
戻る
戻る