第八章 葛葉の

  詩虞羅が慌てて陣幕の中へ飛び込んできた。
 すでに外の気配に目を覚ましていた鹿子は、自分の刀に手をかけた。
「いけません、柚木様!」
 起きあがろうとした鹿子の肩を、詩虞羅の手が押さえつける。
「お願いですから、ここに……」
「柚木様? 私は鹿子ですよ、詩虞羅様」
 笑みを含ませた鹿子の言葉に、詩虞羅が射られたように体を硬直させた。
 その横を通り、鹿子は陣幕から飛び出ると淘汰達の方に駆け寄った。
 詩虞羅の術の腕は確かなようだ。完全とはいかないものの、傷の痛みは刀を振れるほどに
は引いている。
「大丈夫ですか、鹿子様」
「平気よ。それよりもあの荒ぶる神をなんとかしなければ」
 黒い影は、触覚が見えるほどに近づいて来た。
「なんだ、ありゃ!」
 殺嘉は思わず叫んだ。
 うねうねと動く無数の足。鎧の胴を連ねたような体。木依の村で狩ったような、大ムカデ型の
神のようだった。ただ、背のはし、それぞれの足の上に、小鳥のような翼が無数についてい
る。
「おい淘汰! ムカデって、あんな気の利いたもん、生えてたか?」
「生えてるわけないだろう!」
 大きさこそ異常ではあるものの、荒ぶる神は自然界にいる生き物と同じ姿を取る。きっと
神々も、世に満ちている生き物も、同じ混沌からできた兄弟であり、映し身だからだろう。
 だから、羽根の生えたムカデなど、不自然でありえない物だった。
「射て!」
 駆け昇る流星雨のように、兵達の矢が荒ぶる神に飛んでいく。ほとんどの矢は、硬い外骨格
にはじかれた。運よく数本刺さった矢から、光が立ち昇って散っていく。 
 荒ぶる神は身を振るわせた。そして黒い疾風となり襲いかかってきた。
「うわああ!」
 兵達が慌てふためいて逃げていく。逃げ遅れた何人かが、吹き飛ばさされた。
 ムカデは陣幕に突進する。
「凛音様!」
 袖で渦巻く風から顔をかばいながら、鹿子が声をあげた。
 幕を押さえていた柱が引き抜かれ、荷物を入れた木箱が舞い上がり、地面に叩きつけられ
た。
 荒ぶる神は、引きちぎられた布を引っかけたまま、再び空へ舞い上がる。
 ごそごそと陣幕の布の下から、凛音が這いだしてきた。
 元従者だけあって、細身の刀をかまえた詩虞羅が凛音をかばっていた。
「くそ、何なんだ一体! 危ないねえ!」
「ちょ、り、凛音様!」
 彼女の格好を見て、鹿子が焦った声をあげる。
 荒ぶる神に引っかけられたのか、胸を覆う鎧が外れ、着物の胸元がはだけている。
「詩虞羅様、むこう向いてむこう!」
 凛音に駆け寄って、襟元を直してやる。
 むき出しになった白い胸に首から下げた勾玉が乗っていた。その色は、帝だけが身につける
事ができる紫。
「凛音様、あなたは……」
「来るぞ!」
 殺嘉が警戒の声をあげた。
 空中で半転した荒ぶる神が、凛音めがけて再び突進してきた。どういうわけか、荒ぶる神は
彼女を標的に決めたようだ。
 鹿子はムカデにむかいに走りながら作戦を練る。
 このままでは凛音が押しつぶされてしまう。かといって、この勢いでは斬りつけた所で止まら
ないだろう。
 ならば。
 道を譲るように、荒ぶる神の進路からわずかにそれる。
 鹿子の真横を無数の足が波打ちながら通りすぎていく。羽ばたきが布を振りたてたような音
をたてる。
 鹿子は刀を水平に構え、ムカデの胴にそっと刃を当てた。荒ぶる神が突き進む勢いで、魚の
鱗のように、翼がそぎ落とされていく。ちぎれた翼が飛び散り、地面に落ちる前に光となって消
えていった。時折刃とムカデの背が触れて、ギギッと金属同士が触れる耳障りな音が響く。
 均衡(きんこう)を失ったムカデは、散らばった柱や布を巻き込みながら、半円を描くように地
面に落ちた。足が土に無数の線を彫った。もうもうとあがる土ぼこりに、ムカデの影が映る。そ
の大きな影に、二つの小さな影が走りよる。
 硬い物に斬りつける、涼しげな金属音。淘汰と殺嘉が白刃で描いた銀の弧が、土煙を貫(つ
らぬ)いて輝いた。
 弱って動きが鈍くなったムカデの上に飛び乗ると、神の背に刀を突き立てた。ムカデは胴を
のけぞらせ、激しく地面を打った。暴れる勢いが弱まり、その体が光の塊になって消えていく。
「はあ、はあ……」
 支えが消え、地面に落ちた淘汰は、その格好のまま息を整えていた。
 兵達が歓声をあげる。
「凛音様」
 鹿子の呼びかけに、凛音は少し驚いたように振り返った。凛音は操吟の前にひざまずく。
「その胸の勾玉……あなたは操吟様なのですね」
「静かにしろ! 私は忍びで来てるのだ。本当の身分を知っているのは詩虞羅だけだが」
 隠していた秘密を暴露した鹿子に対してか、ムカデに襲われたからか、少し機嫌が悪そうだ
った。
 幸い、兵達は地面に残された荒ぶる神の痕跡に驚いたり、互いの無事を確認したり、散らば
った荷物を拾い集めたりして鹿子の言葉を聞いている者はいないようだった。
 鹿子達が戦っている間にしっかり服装を正していた凛音は背筋を正した。
「そうだ。私こそ操吟よ。八百万(やおよろず)の神がおかしいと朱から聞いてな。様子を見に
都を出て来たのさ。私につきあうハメになった、運の悪い兵士と共にな」
「まさか、帝が直々にいらっしゃるとは」
 いつの間に話を聞いていたのか、従者二人が傍にひかえていた。
「そしてあなたは……」
 笑いを消して詩虞羅の方へ振り返る。
 荒ぶる神を迎え撃つため起きあがろうとした時、詩虞羅は鹿子を間違えて柚木の名で呼ん
だ。ああいう時は、呼び慣れた名でないと口からでない物だ。
 詩虞羅は、静かに鹿子の目を見つめ返した。
「はい。前にも言った通り、私はある巫女に使える従者でした」
 静かな口調で、詩虞羅は言った。
 自分が言った言葉でどんな反応が起きようと、それを受け入れる覚悟はできているのだろ
う。
「私が仕えていた巫女の名前は、柚木様」
 言った瞬間、従者二人が刀の切っ先を詩虞羅にむけた。
「やはり、柚木様の従者だったのですね」
 占司殿は、男子禁制だ。払いの旅に出ない間は、巫女と従者は別々の場所で過ごす。だか
ら鹿子が巫女となってから、占司殿で柚木に会うことはあっても、彼女の従者と顔を合わせる
ことはなかった。考えてみれば、自分の村が襲われたあの時以来かもしれない。
 命を救ってくれた恩人に、私の従者が刀をむけている。悪夢か、ひどくタチの悪い冗談みた
いだ。
「教えてください。この村で昔、何があったんですか?」

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