第四章 黄泉近き場所 

 三人は、まるで悪巧みをしているように、村を囲む塀の外でこそこそと話をしていた。どこに
村人の耳があるか分からない村の中では込み入った話がしづらい。
 幸い時刻は昼下がりで、皆一休みをしているのか、村の外に人影はなかった。でなければ、
村長辺りから「無意味に話かけて、巫女様方を煩(わずら)わせるな」とでも言われているの
か。
 周りの山からは、耳が痛いくらいの音でセミが鳴いていた。
「村長の話、どう思う?」
 壁を作っている、先を尖らせた木の杭に寄りかかり、殺嘉が言った。
「どうもこうも、信用できないよ。それに村人達のあの態度。何か隠してるよ、明らかにね」
 ふん、と鼻で笑って淘汰は言った。
「たぶんそうね」
 柚木が村を去った日、妹の希月も亡くなった。単純に考えて、偶然とは思えない。
「一体、ここで何があったんだろうね?」
 誰にともなく淘汰が呟いた。
「きっと、私達に言うのがはばかられるほど、忌まわしい事よ」
 かといって、村の誰かに聞いてもあれ以上聞き出す事はできないだろう。こういった村の結束
は固い。まさか拷問して聞き出す訳にもいかないし、そもそもそんな事したくもない。
「仕方ないから、自分で調べるしかないわね」
 これからやらなければならない事の怖ろしさに気が滅入って、鹿子は溜め息をついた。
「調べるって、どうやって? 村長によると、柚木の姉妹には他に家族がいなかったから、家も
私物も皆処分されたって話だったが」
 訊(き)きながらも、大体見当が付いているのだろう。殺嘉の眉はしっかりしかめられていた。
「墓穴を調べるの。希月様の亡骸(なきがら)を調べれば、病死か、そうじゃないかぐらい分か
るかも知れない。それに、そこぐらいしか調べられる所はなさそうだしね」
「やれやれ。ここまで来て墓をあさる事になるとは思わなかったよ。ま、暑気払いにゃちょうどい
いかな」
 殺嘉はブツブツ言いながらも、村で墓あさりに必要な物を調達してきてくれた。
 墓は大抵村の北に作られる。村人の話と地形から、三人は墓があるだろう場所にむかった。
 山道に葉の影がチラチラとまだら模様を描いている。頭上の枝葉で日差しが遮られて薄暗
い。木陰は涼しく、汗をかいた体に風が肌寒いほどだった。
「あれ、何かしら」
 村から少し離れた所に、緑色の綿のような森に半分埋もるようにして、黒く染まった何かがあ
った。ちょうど墓のある方角で、鹿子達は自然にその場所に近づことになった。
 距離が縮まるにつれて、それが小屋の焼け落ちた跡だという事がわかった。斜めに、あるい
はまっすぐに地面に刺さったままの柱も、横たわる梁も、地面そのものも、墨をぶちまけたよう
に黒く焼け焦げていた。夏の風にも浄化しきれない臭いと埃っぽさが漂ってくる。
「忌み屋(いみや)の跡ですね」
 淘汰がかすかに顔をしかめた。 
 出産、ケガ、病はけがれに繋がる。そのけがれは人々に罪を犯させ、災いを呼び、生命力を
削り取る。そして何より恐ろしいのは、伝染病のように人々の間に移っていくことだ。
 だから人々はお産をする女性を、大きなケガをした者を、重い病を得た者を、小屋に隔離し
た。そしてその小屋が必要無くなった時―中にいた人間が無事出られるまで回復した時、ある
いは死人になった時―小屋は火をかけられ、炎で清められる。
「ここで希月様は亡くなられたのかも知れない」
 鹿子は我知らず呟いた。穢れが移るのを防ぐため、忌み屋には最低限の世話をする者しか
訪れることは許されない。どういう気持ちなのだろう。一人、離れた場所で死んで行くのは。
「確かに、柚木様が神を狩った後、希月さんに会いに戻って来たのがここなら、村の人は気づ
かないわね」
 忌み屋は、同じ場所に何度も建てられる。足下では繰り返し焼かれほとんど砂になった炭が
地面を黒く染めていた。焼け焦げた板が、無造作に転がっていた。
 その板の一枚に、五本の細長い傷がついていた。誰かが、相当力を込めて引っかいたのだ
ろう。おそらくは、大切な人を亡くした悲しみと、その人を救えなかった後悔に突き動かされて。
傷はほとんど生木で燃え残った芯まで深く達していて、これを付けた者は爪ぐらい剥がれたか
も知れない。
 どうか、この傷をつけた人が今は幸せでありますように。そして亡くなった人が黄泉の国で安
らっていますように。鹿子はそう願わずにはいられなかった。
「行きましょう、鹿子様」
 淘汰にうながされ、鹿子は歩きだした。
 空気に残った焦げ臭さが消え去った頃。ぞわりと寒気を感じ、鹿子は歩みを止めた。荒ぶる
神の攻撃を紙一重で攻撃を避けた時に似た、暑い中でも心地いいとは言えない寒気だった。
 少し離れた斜面に、虚ろな洞穴が開いていた。陰気はそこから吹き寄せて来る。どうやら、
村人達はこの穴に棺桶を安置しているらしい。
 穴は小さく、棺桶と、前後にそれを担ぐ人が最低でも二人は必要なのに、村人達はどうやっ
てここに入るのだろうと鹿子は考えずにはいられなかった。
「さあ、行きましょう」
「大丈夫ですか、鹿子様。少し休んでからでも」
 淘汰の言葉に鹿子は苦笑いする。
 傷はまだ癒えていなかった。それどころか、日が経つにつれ痛みは増しているようだった。
時々めまいがするほどだ。
 しかし、そのことは殺嘉にも淘汰にも言っていなかった。なにせ旅の途中の事だ。思うような
手当てはできない。薬の調達だって難しい。痛さを訴えた所で、従者二人にできる事はなく、た
だ心配させるだけだから。
 できるいつも通り元気にふるまっていたのだが、とっくにバレていたようだ。
「大丈夫よ。行きましょ」
 松明(たいまつ)に火をつけて、殺嘉が先頭をいく。二人はその後をついていった。
 むっと湿気が体を包む。そして頭の芯が痺れるような死臭。鹿子は思わず片袖で鼻と口を押
さえた。
「臭っせ〜!」
 殺嘉の呟きが大きく響いた。
 松明に照らし出された三人の影が、所々柱で補強された土壁に踊った。ゆるい角を曲がり、
入り口から差し込む光が途絶えると臭気が一気に強くなった。
 行く手の両端の壁に、大きな棚が取りつけられ、道を狭くしていた。棚の上には長方形の影
が乱雑に積み重ねられている。棺桶だった。
「それにしても、わざわざ棺に入れるなんて手間がかかるだろうに」
 淘汰は並ぶ箱を眺めながら呟いた。
「淘汰の村は違うの?」
「僕の所は、死者を山に返すのです。まあ、平たく言えば野ざらしですね。山の獣が処分してく
れますよ」
「そういう言い方をするものではないわ、淘汰。死者が自然に還るように、という祈りが込めら
れているんでしょうから」
「……なあ、ここでこういう話はやめにしないか」
 二人の無神経さに呆れているのか怖がってるのか、殺嘉がポツリと呟いた。
 湿気のせいか、板が腐り落ちている棺桶がほとんどで、隙間から腐乱した死体がのぞき、松
明(たいまつ)の炎にぬらりと照らされている。なかには、上に積み上げられた棺桶の重みに耐
えかねつぶれてつぶれている物もあった。
「うう、やっぱり二人に着いてきてもらって良かった」
 なんだか、今にも無念を語るこの世ならざる声が聞こえてきそうだった。
 どうやら村の人々は最深部から棺桶を収めて行ったようだ。奥へ行くほど棺桶は古く、傷ん
でいる。
「希月が亡くなったのは数十年。柚木の妹はもう骨になっているだろうね」
 淘汰が形のいい眉をしかめた。
「大体それぐらいの腐りぐあいの死体を調べればいいでしょう」
「それにしても、どうやって希月の死体を探し出すんだ? 棺桶に名前なんて書いてないだろう
し、例え村の奴に聞いたとしても十年前の事で、詳しい場所なんて覚えていないだろう」
「探す当てならあるのよ」
「へえ」
「希月は装飾品を作るのが好きだったの。柚木様は、いつも希月さんが作った腕輪をつけてい
た。お揃いだって嬉しそうに教えてくれた事があったわ。きっと希月さんはその腕輪と一緒に葬
られたと思うの」
 上の物に邪魔され、下の段にある棺桶のふたは開けられそうになかった。鹿子はぐっと腹に
力を入れて覚悟を決めると、見当をつけた棺桶をのぞきこんだ。
 干物のような茶褐色の肉がこびりついている骸骨。ほとんど紙屑のようになった着物は辛うじ
て男物だと分かった。
「希月さんじゃない……」
 その上にあったのは、小さな子供用の棺。これは見る必要はないだろう。次の棺桶の中に入
っていたのは、女性のようだったが、腕輪はしていない。
 死、死、死、どこを見ても死ばかりだ。
(私も、荒ぶる神に殺されたらこんな風になるのか……)
 震える足に力を入れて、もう一つの棺に近づく。
 一番上に乗せられた、その棺のフタは、半分崩れ落ちていた。まるで鹿子がここに来て、中
に眠る者を見てくれるのを待っていたように。
 殺嘉が松明を棺に近づけてくれる。 
 枯れ木のようになった、元はふっくらしていただろう足。奇妙な蛇のようにねじれた背骨。曲
げた竹を並べたようなあばら骨。長い年月でヒビが入った手首の骨の下にはばらばらになった
腕輪の玉が散っていた。
「希月さん……」
 その顔を見たとたん、締めあげられたように息が苦しくなった。乾燥したトウモロコシのような
希月の歯。それがコケのような緑色に染まっている。
「毒だ……」
 鹿子は、この色を見た事があった。子供の頃、物置のそばで。
 ネズミ返しが悪かったのか、物置にネズミが入り込んだ事があった。大人達は、毒を混ぜた
餌を仕掛けた。そして数日後、倉の裏で遊んでいた鹿子は、大人が死んだネズミを捨てる所を
見てしまった。堅くなったネズミの、苦しげに開いた口。そこから覗く乾いた歯を染める、毒々し
い緑。
 長い間、穢れた場所にいるせいか、受けた衝撃のせいか、脇腹が痛んだ。棚に手をつき、体
を支える。
「希月様は、病で亡くなられた? 嘘だ。誰かに毒を飲まされたんだ……」
 額に浮かんだ脂汗を、袖でぬぐう。鹿子はよろけて、棚に手をついて体を支える。
「大丈夫ですか、鹿子様!」
 淘汰が顔色を変えて体を支えてくれた所を見ると、相当ひどい顔をしていたのだろう。
「とにかく、早く外へ」
 促されるままよろよろと洞窟の外に出た所で、鹿子は座り込んだ。
「どこか、横になれる所を……」
 淘汰の言葉に首を振る。
「それよりも、先に穢れを祓わないと。どこか、身を清められる場所を」
 巫女である鹿子は、薄絹のように穢れが体にまとわりついているのを感じた。早くこれを取り
のぞきたい。そうすれば、この傷の痛みも少しは楽になるだろう。
 何より、一人でゆっくり希月の歯を染めた緑色の事を考えたかった。
「それでしたら、村のそばに河が」
「河美ノの村だもんね」 
「鹿子、付き添ってやろうか?」
 ニヤニヤとイヤらしさを装った殺嘉の冗談に、ちょっと鹿子の心が軽くなった。
「残念でした。どうせ着物ごと河に浸かるのよ。洗い清めたいしね」
「ちぇ、じゃあおとなしく荷物番してますか」
「そうしてちょうだい」
 鹿子はゆっくりと立ち上がった。

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