毒薬と追憶

 ユフィールは瓶づめを抱え、街の出口へと歩いていた。ちょうど今の天気をそのまま染め付
けたような曇り空色のローブを身につけた若い男だ。肩まである灰緑の髪と同じ色の目には片
眼鏡《モノクル》。
 林の中にある住み家の塔から出て、何日かぶりにやってきた街は、記憶にあるのとまったく
同じだった。教会の古い壁も、角の家の壊れた風見鶏も。
夕方になると買い物客で大通りがあふれることも。 
 季節は、冬になりかけていた。
「……寒い」
 自分の耳にも届かないほどの小声で呟く。
 こんな日は、自分の塔でゆっくり実験をしていた方が暖かいのだが、食べ物がなくなったので
は買い物に行くしかない。それにどれだけ居心地がよくても塔にいたくない理由があった。
 何もない両手から炎を生み出し、死者と語らい、一呼吸の間に湖の水を凍らせる。そんな魔
法の力を人間が失ってから長い時間がたった。ユフィールは文献をあさり、炉で霊薬を煮詰
め、失われた魔法を今に呼び戻そうとする魔学者の一人だった。そして、今はもういないラスカ
も。
 ユフィールとラスカが出会ったのは、魔学者の会合の時だった。金色の髪をした、美しい女性
だった。魔学者としての腕は、ユフィール以上。
 たまたま話したのがきっかけで、二人とも意外と近くに住んでいたことと、ユフィールのほうが
性能のいい実験炉をもっていたことが判明したのだ。それ以来、ラスカはちょくちょくユフィール
の家に来て炉を借りるようになった。
『会えて良かったわ、ユフ』
 あの日、買い物から帰って来たときも、ラスカはいつの間にか塔に入り込んでいた。
『ラスカ! 来ていたんですか? 寒い寒い、振ってきますよ絶対に!』
 買い物袋から飛び出ている丸めた毛布を床に置く。
『久しぶりですね。元気でしたか? なんでそんな所に立っているんです?』
 実験で出た煙を逃がすために、塔の窓はドアほどの大きさがある。ラスカは、その窓の縁に
立ち、窓ガラスに寄りかかっていた。真中の掛け金状の鍵だけが、彼女の体重を支えていた。
『ラスカ?』
『会えてよかったわ、ユフ』
 ラスカは小さくうなずいた。それはなにか重大な決心をしたときの彼女のクセだった。 
 不吉な雰囲気を感じた物の、ユフィールは動けなかった。一度決めたら決心を翻すことのな
いラスカだから、自分ではどうすることも出来ないと、どこかで気がついていたのかも知れな
い。
『今までありがと、ユフ。楽しかったわ、本当に……』
 細い指が、掛け金を外した。ラスカの体は、仰け反るようにして外へと消えた。開け放たれた
窓から、白い雪がひとひら舞い込んできた。そして、血の匂いも。
 ラスカが賢者の石の精製方法を見つけ出したことを知ったのは、彼女の遺書を読んでだっ
た。ラスカのその発見をある犯罪組織が嗅ぎつけてしまったこともそこに書かれていた。問わ
れた問い全てに答えるという賢者の石。それが悪用されれば、世界は滅びかねない。ラスカ
は、力づくで精製方を聞き出される前に、自分で自分の口を封じたのだ。
 そして、その遺書には、ラスカのユフィールに対する想いも書かれていた。
 自分はラスカを愛していて、ラスカも自分を愛していてくれて。でも、そのことに気がついたと
き、彼女はもういなくて。
 冬の塔は、ラスカを思い出す。だから、塔には居たくない。
 あのときと変わらない街。けれど、ここの道はこんなにさびれていただろうか。ここの石畳は
こんなに汚れていただろうか。メッキの剥がれたように汚さばかりが目についてしまう。ラスカ
がいないだけで。
 体に何かがぶつかって、ユフィールは現実に戻る。何かが割れる音に、頭の奥が痛くなるほ
どの大きな女性の悲鳴。
「きゃああ!」
 高級そうな服を着た女性が、長いスカートを汚すのも構わず道に座り込んでいる。その前に
は割れた植木鉢。真横にある建物を見上げれば、開いている窓が一つ。どうやら落下中の植
木鉢に運よく気づいた女性が身を引いて、ユフィールにぶつかったようだ。
「べた……」
 そういえば登場人物がこんなふうに死ぬお話があったなあ。ユフィールはポケッとそんな事を
考えていた。まあ自分の頭に当たらなくてよかった、と思ったとき、ようやく背筋が寒くなる。
「あの人よ。あの人だわ」
 女性はまだ泣き叫んでいる。おそらく彼女の恋人だろう、優男が彼女の背をさすっていた。
「落ち着け。死んだ奴の呪いなんてあるわけないだろう」
 男は優しく女に声をかけてから、ユフィールへ軽く会釈をした。
「どうも。お怪我はありませんでしたか?」
「ええ、まあ」
 ユフィールは買物袋の中を確認した。買い蓄めた食べ物も魔学で使う瓶詰もなんとか無事だ
った。
「魔学者さんですのね?」
瓶の中身をみた女性がユフィールにすがりつくようにして話し掛けてきた。瓶の中身でユフィー
ルの職業がわかったのだろう。魔法陣の彫られた木の根のアルコール漬け。魔学を扱う者で
なければ使い道のないものだ。
「ええ、まあ、そうですが」
 なんとなくいやな予感がしてきた。
「お願いです。お力を貸してください」
「お、おいやめたほうがいいよ」
 赤の他人に遠慮したように男がいう。
「でもカレル、魔学者なら、人間の魂と話ができるのでしょう?」
「いえ、話はできないですよ。昔の聖者ではありませんし。器具を使って存在を感じることがや
っとです」
 自分の得意分野のことで思わず訂正してしまう。
「それでも結構です。力になってください」
 必死な女性の顔を見ながらユフィールはどうしたものか考えた。
 こんな可愛らしい女性が呪われるようなことをしたのだろうか。それに「あの人」といってい
た。呪っているのは死んだ知り合いというのだろうか? そもそも、呪いなんて形のない人の意
志が、物理的に影響を及ぼすほど強くなるのだろうか。少し気になる。
 けれど、どうせ時間を裂くならやりかけの実験を続けたい。ああ、でもそのためには新しい実
験器具をかわないと。
「もちろんお礼はさせていただきます」
 身なりのよい女性の一言に、気づけばユフィールは速答していた。
「私で良ければ」

 ユフィールは森のなかにぽつんと建った自分の住家に二人をまねいた。唯一三人座れるほ
どかたづいている部屋に通す。モーラといった女性はためらうようにゆっくりと今の状況を話始
めた。
「私には婚約者がいたんです。リシュという」
 うつむき、顔をあげないままモーラはいった。
「私はその人を愛していましたわ。幸運なことに、あの人も私を。でも、彼は病で亡くなってしま
ったんです。そして……」
 頬をわずかに染め、隣のカレルをうかがう。
「この人と会いました」
「モーラは僕を愛してくれました。そして私との婚約を承諾してくれたのです」
「それはそれは」
 ユフィールは半分になった視界から、半眼になっているのを自覚した。
「それからなんです。私の身に不吉なことが起こり始めたのは」
 高熱が出て、うなされる。道を歩けば馬車にひっかけられそうになる。通り魔に斬りかかられ
たこともあった。運がない、では片付けられないことが続いた。
「リシュが怒っているんです、きっと。私があの人を裏切ったから……」
「そうでなければ、あなたを呼んでいるのかも」
 ふと、思いついたように魔学者は言う。 内容の不吉さとうらはらに、その言葉は優しげだっ
た。まるで美しく悲しい物語を読み上げているように。そう、どこかモーラを羨んでいるように。
「もう一度自分のそばにきて欲しくて」
「あの……」
 不思議そうな顔をしたモーラを見て、ユフィールは慌てて手を振った。
「あ、ああ、なんかすごく失礼なことをいった気がする。ご、ごめんなさい。気にしないでくださ
い」
 ユフィールは慌ただしく立ち上がる。
「そうだ、少し待っていてください。霊視鏡を持ってきますから。たしかどこかにしまったと思うん
ですけど。そうそう霊をみる必要なんてありませんからねえ」
 すぐ戻る、と言い残して魔学者は二階へ上っていった。
 モーラ達がおとなしく待っていると、天井の上ですごい音がした。なにか積み上げた物が崩れ
るような。続いてユフィールの「あー!」という悲鳴。様子を見に行こうかどうしようか、カレルが
迷っていると、ようやくユフィールが戻ってきた。
「いやいや、積み上げた本の山が崩れちゃって。雪崩に飲み込まれました」
 灰緑の髪にわたぼこりがついている。
「は、はあ。どうもすみません、面倒をおかけして」
「いえいえ。ではモーラさんと、カレルさんの家にお邪魔していいですか? 家や土地に悪さす
る物がいるのかも知れませんから」
「ええ。父親の許しがでれば」
「ええ。主人の許しがでれば」
 モーラとカレルが似ているが違う言葉を同時にいった。

 モーラの家は街の中心にあった。
「では、お父様にあなたをお通ししていいか聞いてまいります」
 モーラはそう言ってカレルとともに館の中に入ってしまい、ユフィールは門の外にポツンと残さ
れた。
 門の前で頑張っている門番に、愛想笑いをしながら話かけてみる。
「それにしても大きなお屋敷ですねえ」
「ええ」
「カレルさんてモーラさんちの執事だったんですねえ」
「ええ」
 続かない話に居心地の悪さを感じる。このまま帰ってしまおうかと思ったところにようやくモー
ラがやってきた。
「父の許しがでました。これであなたに正式な依頼ができます。どうぞお入りください」
 勧められるままに庭を通り、家へあがる。
 とても大きい家、というか豪邸だった。廊下も豪華なら通された主人の部屋も豪華だった。作
った人に同情したくなるほど細かい模様の施された絨毯。天井にはシャンデリア。壁には見た
ことのない鳥の羽が額に入れられて飾られていた。
 家の主人ことモーラの父バエルは、地味だけれど高そうな机についていた。短い白髪をオー
ルバックにして口髭を蓄えている、いかにも紳士といった男だった。
「魔学者、よく来てくれた。カレルにモーラ、後で皆で話し合おう。用意を」
 お嬢様と恋人の執事はなかよく部屋を出ていった。
「ずいぶんと思い切ったことしましたね、執事と娘さんを結婚させるなんて。嫌な話、こんな金持
ちの娘さんだとだんなさんもよく選ばないといけないんじゃないですか?」
 モーラに持たせる持参金だけでもたいした額になる。普通、それと釣り合う何かしらの利益を
もたらす者とでないと縁組はしないだろう。地位とか、自分の家を上回る財産とか。「貴銭結婚
だ」
「キセン……? えっと、たしか配偶者に財産の相続権がない結婚、でしたっけ」
 つまりカレルにはお金は入らない。
「そうだ」
「へええ」
 というとカレルは本当に婚約者のことが好きで結婚するのだろう。当然のことだけれど素敵な
ことだとユフィールは思った。
 ノックの音がして、モーラが顔をのぞかせた。
「お父さま、カレルがお茶の用意をしてくれましたわ」
「わかった、今いく」
「ユフィールさんもいかがです?」
「あ、お言葉に甘えて」
 客間にいくと、ティーセットの乗った盆がテーブルに用意してあった。
「どうぞ、好きなところへ」
 カレルに促されてユフィールとバエルは席についた。しばらくして、プチケーキを持った皿を持
ってモーラがやってきた。
「簡単な物を用意しましたわ。お口に合うと嬉しいんですけど」
「ああ、どうぞおかまいなく」
 ユフィールは軽く頭を下げた。
 カレルが一ヶ所に集められたカップに紅茶を注ぐ。
「さあ、どうぞ」
 カレルの勧めで各々のカップをとる。この地域のマナー通り、茶をついだカレルが最後に残っ
たカップを手に取った。
「カレル、お前も座りなさい。将来の妻に関わることなのだから」
「恐れ入ります」
「それで、祟りっていつから起こったんですか?」
 床に置いた荷物の位置を直しながらユフィールがいう。
「あの人がなくなったときから一年くらいです」
 モーラが紅茶で喉を湿らせてからいった。
「短いような、長いような、微妙な線ですね」  
「ああ、そういえば塔で何を探していたのですか?」
「ああ、あれですか」
 カレルの問いを聞いて、ユフィールは背負い袋の口をあける。実際、持ってきた現物をみせ
たほうがわかりやすいだろう。
 取り出されたのは、なんの変哲のない虫眼鏡のようだった。ただし、柄の部分に彫られた文
様をみると、それがなにか魔法の力を秘めているのがわかるだろう。
「悪しき霊を見る事のできる道具です。ただし、霊の訴えていることまではわかりませんけど」
 ユフィールはその虫眼鏡を通してモーラの周りを観察した。ユフィールに一同の視線が集ま
る。
「あれ、いないなあ、誰も」
「いないのですね、リシュは」
 ほっとしたような、がっかりしたような声でモーラがつぶやいた。
「ええ」
 くらり、とモーラの体がかたむく。カレルが慌ててその体を支えた。
「モーラ、いくら安心したからって…… モーラ? モーラ!」
 モーラは小さく咳き込んだ。口の端から血が一筋、流れでた。
「モーラさん、しっかりして!」
 毒だ。胸を押さえて苦しむモーラの様子を見ればすぐわかる。
 ユフィールはポケットの中から符を取り出し、それをロウソクの火に近付ける。符は燃え上が
って灰になる。
「水を!」
 メイドの一人がもってきたコップにその灰を溶いて、モーラに飲ませる。東洋の呪術士が造っ
たという解毒の符だ。魔学者仲間からもらった効果があるのか怪しげな代物だが、無いよりは
ましだ。ポケットになんでもつっこむ魔学者の習性をユフィールはこれほどありがたく思った事
はなかった。
 モーラの白い喉が微かに動く。三人は毒を盛られて呼吸ができない娘につきあうように、息を
ひそめる。
 時計が、馬鹿らしいほど呑気に午後四時を告げる。
 細かった呼吸が落ち着いてきて、ユフィールは安堵のため息をついた。

「モーラは?」
 部屋から出てきたバエルに、カレルが駆け寄った。
「今は落ち着いて眠っている。礼を言うぞ魔学者」
「良かった、モーラ……」
 カレルは安堵の溜息をついた。
「しかし、犯人はどうやってモーラさんに毒を盛ったのでしょう?」
 ユフィールは首を傾げた。色々と頭のなかで仮説をたててみる。
「仮説その一。飲み物に毒が入っていた」
「それはない。あのとき、席についていた皆が紅茶を飲んでいた」
 バエルが言った。
「仮説その二。カップに塗ってあった」
「皆、一ヶ所に集めたカップから好きなのをとったんだ。モーラをだけを狙うことはできない。た
しかに、今一番疑われるべきなのは僕だろうけど、覚えているかな、僕はマナー通り最後にカ
ップを取ったんだ。どれか一個に毒をいれたとしても、僕に避けることはできなかった。なんで
そんな賭けみたいなことをしなければならないんだ?」
 仕込んだのがカレルなら、毒杯をひいても飲まなければいいのだが、彼はきちんと飲み干し
ている。
「仮説その三。実は、ケーキに入ってた」
「あの、ユフィールさん。あのケーキ、リセスが焼いたんですけど」
「ですよねえ」
 照れ臭そうにぽりぽりと頭をかく。
「ここで色々考えていてもしかたない。とりあえず、今できる事をやって見ましょう」
 居間に戻ったユフィールは、ポケットからビンに入った粉を取り出した。
「それは?」
 バエルが覗き込んできた。
「毒の検査薬です。暗殺防止用の。どんな物でも人体に害のある物が入っていれば赤く色が変
わります。幸い、モーラさんは紅茶を残しています」
 ユフィールはビンの栓を抜いて、残りの茶に振りかけた。
 まるで子供が蝶の羽化でも観察しているように大人三人が頭を突き合わせて一つのカップを
見つめている様子は少しおもしろかった。
 白い粉は砂糖のように溶けていく。
「あれ、色、変わりませんねえ」
 なぜか自分が失敗したように、頭をかいてユフィールはアハハと笑った。カップにもケーキに
も反応はなし。
「だめだ…… わからない」
 ユフィールはテーブルの上に突っ伏した。
「なんで皆で同じ物を飲んで、同じ物を食べて、同じ会話をしていたのに、モーラさんだけ毒に
やられてしまったんでしょう?」
 対照実験で、一つだけ違う結果が得られた場合、そのサンプルと他の物とどんな違いがある
のか考えるのが大事だ。
 モーラと、バエル、カレルの違いは? 女であること。でも女性だけにしか聞かない毒など聞
いた事がない。それから?
 モーラの部屋から、使用人を呼ぶためのベルがチリリと聞こえ、ユフィールはガバッと顔を上
げた。
「モーラが目を覚ました!」
 バエルが戸口に突進した。他の者もそれに続いた。
 勢いよく開けられた扉に、ベッドの上のモーラは驚いたようだった。
「ご心配をおかけしてすみませんでした、皆さん」
「よかった。君が死んでしまったら、僕は……」
 モーラの手を取ったカレルに、バエルがわざとらしい咳払いをして見せる。恋人同士はパッと
距離を取った。
「今日はゆっくり休むがいい、モーラ」
 バエルがそっと娘の頭をなでた。
「私達は外に出ていよう。犯人がわからない以上、使用人も部屋に入れない方がいいだろう。
モーラ、なにかあったらさっきのようにベルを鳴らすのだぞ」
 バエルとカレルが廊下に向かっても、ユフィールは部屋の中を見回していた。
 取り込んでから、効果が出るまで時間が掛かる遅効性の毒という可能性もある。モーラは居
間ではなく、ここで毒を盛られたのかもしれない。ユフィールと出会う前に。
 だとしたら、この部屋のどこで? 花瓶に生けられた花、その下のテーブル、小さな化粧台…

「魔学者、何をしている?」
「ああ、すみません。少し気になる物を見つけまして」
「気になる物?」
「これです」
 ユフィールが手に取ったのは、人差し指と親指で作った輪の中に納まるほどの小さな缶だっ
た。
「それ、私の口紅です。カレルからもらった」
「まさか、その中に毒が入ってるとか言うつもりじゃないだろうね」
 カレルがユフィールを睨んでくる。
「開けて見るとわかると思うけれど、最近モーラはその口紅を使ってくれていた。もし、毒が盛ら
れているのなら、とっくの昔に死んでいるはずだ」
 試しに缶を開けてみると、確かに中身が減っていた。フタの裏にしまってある小さなブラシも
赤く染まっている。
「そうみたいですねえ」
「いつまでモーラを騒がせるつもりだ」
 バエルがいらだった口調で言った。
「ああ、すみません」
 ユフィールは口紅を鏡台に返すふりをしながら、ソッと自分のポケットにしまいこんだ。
「魔学者、すまないが今日は泊まって行っていただきたい」
 モーラの部屋の戸を閉めるなり、バエルが言った。
「あれ、ひょっとして私も容疑者のうちに入ってます? 逃げるのを防ぐため、とか?」
 ユフィールは自分を指差すと、困ったように眉をハの字にした。
「まさか。君は娘がたまたま連れて来たにすぎない。疑ってはいないさ。でも、またモーラの容
態が悪化したら、処置して欲しいんだ」
「はあ、それはわかりました。ついでに、犯人も見つけられると思うんですけど…… どうしま
す?」
 あまりにもあっさり言われて、バエルはしばらく言葉の意味がわからないようだった。
「分かったのか? 犯人が?」
「いえ、まだです。でも、分かると思うんですよ、協力していただければ」
「協力?」
 ユフィールはにっこり微笑んだ。
「キッチンを貸してくれますか?」

「はーい、皆さんできましたよ〜」
 ひよこのアップリケのついたエプロンで手を拭きながら、ユフィールがキッチンから出てきた
のはお茶の時間を少しすぎた頃だった。
「さっきからいい匂いがしていたが、一体何を作っていたのかな?」
 男が料理など、と言いたいのだろう。バエルが顔をしかめていた。
「お父様。もう少し愛想よくしてくださいませ。ユフィールさんは私の命を救ってくださったのです
よ」
 一晩寝て起き上がれるほど回復したモーラが言った。
「いえいえ。こうやって勝手にキッチンを使わせてもらってるんですから、こっちの方こそ感謝を
しなくては。実は、毒が盛られたときの再現をしてみようと想いまして。残念ながら、ケーキの作
り方がわからなかったのでクッキーですけど」
 ユフィールに促されて、モーラ達は昨日と同じ席についた。
 テーブルには、三色のクッキーが山になった皿が人数分と、お茶のセットが用意されていた。
「これ、全部ユフィールさんが?」
 カレルが星型のクッキーを手に取った。
「ええ。基本のバニラに、食紅を混ぜたピンク、野菜嫌いの子供用ほうれん草入り緑です! 
どれも味に大して違いはありませんが、おいしいと思いますよ? 魔学者のクセで、材料をきっ
ちりミリグラム単位で計ってますから」
 ユフィールはエプロンをたたんでテーブルの隅に置いた。
「で、ユフィール。犯人は?」
 カレルが昨日と同じように茶を注ぎながら言う。
「そうでした、そうでした」
「ユフィールはポケットの中から小さな缶を取り出した。
「問題は、これです」
「モーラの口紅…… まさか、まだここに毒が入っていると言い張るつもりじゃないだろうね」
ユフィールは静かに首を振った。
「いいえ、ここに毒は入っていませんよ。ほら」
 ウソではない証拠に、検査薬を口紅にかけて見る。口紅が赤いせいで少し分かりわかり辛か
ったが、粉は白いまま変わっていない。
「よかった…… やっぱりカレルじゃ……」
「モーラさん」
 少し真剣に名前を呼ばれ、モーラは少し緊張した。
「ちょっとの間、自分の部屋に戻っていてもらえますか?」
 静かだが、反論を許さない強さがあって、モーラは大人しく部屋を出ていった。
 カレルは、バニラのクッキーをかじる。
「で、口紅がなんだって?」
「やっぱり、クッキーには紅茶ですよねえ」
 カレルの言葉が聞こえないふりをして、のんきにユフィールは言った。
「パンにはミルク、お肉にはコショウ! 定番の取り合わせって奴ですよねえ」
「でも、合わない組み合わせもある。水気の多いくだものに揚げ物、青い魚に赤い実って」
 ユフィールはヒタリとカレルの目をみすえた。
「何が言いたい!」
「カレルさん。あなたの皿の中に、一つだけ赤いハート型のクッキーがあります。それ、食べて
見てくれますか?」
 ユフィールはテーブルの上に置きっぱなしだった口紅の缶のフタを閉めた。
 その時カレルにチラリと見えた中身は、どういうわけか昨日より減っているようだった。そう、
まるでクッキーを作る食紅として使ったように。
 カレルはハート型のクッキーを見つけ出した物の、ずっと持ったまま口に運ぼうとはしない。
「そう、あなたは食べたくないはずだ」
「これはなんの茶番だ魔学者? 一体どういう……」
「犯人は、口紅と、カップ全部に薬を塗ったんです。別々に食べるなら無害ですが、二つ同時に
取り込むと劇毒になる薬を」
 淡々と、ユフィールはバエルに説明を始めた。
「万が一、メイドさんあたりがこの会話を聞いていてマネされるといけませんから、具体的な名
前は伏せておいた方がいいでしょう。片方はその辺にゴロゴロしている成分。現に、この部屋
にもしっかりあります。もう片方も、ちょっと難しいですが入手できないことはない」
「なんと……」
 バエルはきょろきょろと部屋の中を見回した。
「なんのことはない、ここにいる全員、一服盛られていたんです。毒の成分を、半分だけ。仕込
まれた口紅をつけていたモーラさんだけが、口の中で毒を完成させてしまった」
「くそ!」
 カレルは立ち上がりながら小さなナイフを取り出した。ユフィールの息の根を止めようと、一
歩前に踏み出す。テーブルの上のエプロンから、銀色の光が飛び出した。黒い柄を持つ短剣
だった。見えないジャグラーに投げられたように剣は回りながら飛び、切っ先をカレルの喉もと
にむけてピタリと止める。
 二歩目を踏み出す事もできず、カレルは動きを封じられた。
「なめないでください。これでも自分の身を守る術《すべ》は知っている」
 低い声でユフィールは言った。
「もっとも、最近はその術を使うのも面倒くさくなっていますが。それでも、あなたのような人に殺
されたくはない」
「くっ……」
「一つ、わからないことがあります」
 紅茶を一口すすって、ユフィールは続けた。
「なぜ、モーラさんを? あなたとモーラさんは貴銭結婚を決めていた。モーラさんがしんだ所
で、バエルさんからお金は相続できないはず」
「思い出した…… 思い出したぞ!」
 突然バエルが声をあげた。
「聞いたことがある。事故や、原因不明の病死に見せ掛けて殺すのを得意とする殺し屋がいる
と!」
 金属同士がぶつかる音がして、ユフィールの短剣が弾き飛ばされた。カレルの剣が、ユフィ
ールの腹部を捕らえようとしたとき。
「うっ!」
 カレルは剣を取り落として床にうずくまった。まるで見えない誰かに剣を叩き落され、みぞお
ちを殴りつけられたように。
「まさか、まさか魔学者。本当にカレルに毒を盛ったのか!」
 ユフィールを見るバエルの目は、恐怖が隠しきれていなかった。こんなにおっとりと微笑みな
がら、この男は人を殺す罠を張ったのか、と。
「ええ、盛りましたよ」
 無邪気とすら言えそうな笑みを、ユフィールは浮かべた。
「チーズになりそこねた牛乳を少し、カレルさんのクッキーに、ね。平たくいえば傷んだミルクで
すね」
 ゴギュル、と不穏な音がカレルの腹から聞こえてきた。
「さ、トイレにでもぶち込んで、ドアを塞いでおきましょう。治安維持隊が来るまでね」

 カレルはこれ以上ないほど惨めな状態に陥りながらもほくそ笑んでいた。おそらく、自分はも
う逃げられまい。だが、罠はすでに張った。暗殺は実行される。おそらく、あの魔学者がモーラ
を自室に帰したのは、安全をはかるためと、婚約者が暗殺者だったということをモーラに知ら
せまいという心遣いからだろう。しかし、それがあだになった。それで仕事はやりやすくなった
のだ。いわば、あの男がモーラを殺したのも同じ。

 モーラは家の最深にある自室に戻ってきていた。ここまでくると、応接間の音も聞こえなくなっ
てしまう。静かで、安全な場所にある部屋だが、少し寒い。部屋に入ったモーラは、壁にかけて
あったカーディガンを羽織ろうとした。手首に付けられた、先端が毒で茶色に染まった針にも気
がつかずに。
 ダンダンとノックをする音がした。戸の叩き方から、たぶん父だろう。
「お父様?」
 父の足音が応接間のほうへかけさっていった。
「何かありましたの?」
 カーディガンを着るのも忘れ、モーラは部屋を飛び出した。

「とりあえず、まだなにか仕掛けてないか家のなかを総点検させたほうがいいでしょう」
 ユフィールの言葉を聞いて、バレルはうなずく。
「しかし、変な話ですよね。なんで殺し屋の手を一年もすりぬけることができたのでしょう、モー
ラさんは」
「神のご加護、という奴か?」  
 バレルがうなった。
「あ」
 なにか思いついたらしく、ユフィールが小さく息を飲んだ。
「あ、ああ、ああ、そうか」
 ユフィールの目から涙がこぼれた。
「ま、魔学者、なにを泣いている?」
 次の瞬間、モーラが部屋に飛び込んできた。
「お父さま!」
「モーラ。どうした、そんなにあわてて」
「え? だって、いそいでここに来るように、お父さまがノックを……」
「まさか。私は部屋から出ていないよ」
 顔を見合わせ、言葉をなくす二人に、静かなユフィールの声が聞こえた。
「リシュさんが…… リシュさんが守っていたんだ。死してなお、モーラさんを」
 ユフィールは霊視鏡をのぞいた。悪霊ではなく、善の魂を見ることのできるものを。金色の光
が、モーラにまとわりついていた。
「あなたに死んで欲しくないと。自分がいなくなっても、最後まで生き抜いて欲しいと」
 今言った言葉は、誰からのメッセージだろう。リシュさん? それともラスカ? 現実と想像が
入り混じって、ユフィールは軽い目眩を感じた。不思議と、不愉快ではなかった。
 金色の光が、ゆっくりと消えた。

 重いため息をつき、ユフィールは塔の自室のベッドに寝転んだ。
「死してなお残る思い、ね」
 今いる自分は、流転しつづける魂が仮にとっている姿であるというのが、魔学の思想だ。  
 水が霧になり、雲になり、雨になるのと同じ。金属が溶けて液体になり、また形を変えて固体
に落ち着くのと同じ。死んだら魂は形を変えて生き続ける。そして、その変化を留めるのは忌
むべきことだという。
「とっとと次にいっちゃった人は楽でしょうけどね。それとも、まだこの辺りにいるんでしょうか」
『なんであんたなんか待たないといけないのよ』『だって、あなた一人じゃなにもできないんだも
の。心配で』
 矛盾する二つの答えがふと浮かんで、ユフィールは苦笑した。なんか、どっちもいわれそうな
気がする。
 ふと、視界に金の光が映った。冬でも暖かなこの光。ラスカの髪の色。
 驚いて顔をあげると、サイドボードに置いた霊視鏡が夕日を受けて反射しているだけたった。
「……寝よ」
 ユフィールは、二面の霊視鏡の隣に片眼鏡を置くと、目を閉じた。

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