終着しない列車 まいなすよん

 あ、姉さん、来てくれたんだ。それにカズキも。
 T駅で降りたのも久しぶりでしょ。なかなか終点まで乗る機会はないよね。
 カズキ、いくつになった? へえ、じゃあもう幼稚園には。。。来年から? そうなんだ、へえ。
 なに? おや、ミニカーじゃんか。ゼンマイで走るやつだね。確かぼくも持ってたと思ったけど。。。いや、今すぐには判らないな。見つけたら教えるよ。ああ、あっちで走らせといで。
 そうだよね。姉さんところは長い廊下がないものね。
 あはは、そりゃ無理だよ。大人は見舞いのつもりで来てるかも知れないけど、カズキにしてみりゃ、おじいちゃん家に遊びに来たとしか思えないもの。ことに、当の怪我人がこんなにのんきにしてるんだから。
 多分だけど、また母さんが大げさに言ったんでしょ。足は折れてない。痛みはまだ残ってるから、壁伝いになっちゃうけど、歩けないわけじゃない。腕は固定してるから少し不便かな。でもまあ、一日ごろごろしているだけだから。
 うん、父さんは仕事。退院の日と次の日は休んでくれたよ。母さんは買い物だって言ってた。しばらく行けてなかったから遅くなるかもって。ついさっき出たばかりだよ。行き違いになったんだね。
 大学は、まあ、本当は大丈夫じゃないんだけど、ぼくがいないと回らない実験とかないし、しばらく考えないことにするよ。正直なところ、いま行っても邪魔なだけだしね。
 ああそうそう、お茶とかどう? うん、どうとか聞いといてお茶っ葉代えてきて欲しいだけなんだけど。なかなか億劫でね。無理をしない程度には動いて刺激を与えるほうがいいらしいんだけど。
 ありがとう、ふう、やっぱりお茶は濃いほうがおいしいね。
 え? だって、母さんから聞いてるんだろ? 本当だよ本当、本当に歩道橋から転げ落ちたの。
 笑うなよ、もう。みんな笑うんだからな。酔ってたならわかるけどってのは理不尽だよなあ。いい気になって飲みすぎた人間の失敗が許される世の中ってのはおかしいよなー!
 うん、まあ、そうだね。芳川と一緒だったら助かったかもしれないね。やっぱり母さんから聞いてるんだ。なんでも話すんだね。いいけどさ。
 芳川、家に帰ってないんでしょう、あの夜からずっと。うん、多分最後に会ったのはぼくだよ。やつ、T駅のひとつ前のN駅で降りたんだ。もし、ぼくと一緒にT駅で降りてくれていれば、ぼくも落ちずに済んだかも知れないし、芳川もそのまま家に帰ったかも知れない。でも、今となっては言ってもしょうがないことだよね。
 芳川がN駅で降りた理由? さあ? 隣の駅なんだし、なにか用事があったんじゃないの。理由を聞いては。。。うーん、いなくはないんだけど。。。
 あのさ、これは怪我人の妄想と思ってくれていいんだけどさ。
 ぼくは、歩道橋から転げ落ちた覚えがないんだ。それどころか、電車を降りた記憶すらない。
 いや、別に芳川とN駅で降りたわけじゃなくてね。。。ひととおり順を追って話すからさ、とりあえず聞いてくれないかな。

 あの日は、珍しく帰りの電車が芳川と同じになった。高校の頃の友達の話とか野球の話とか、まあ、はっきり言ってどうでもいいことを喋ってたね。あの路線には珍しく途中でどんどん人が降りて、気が付くと車両にはぼくと芳川しか乗っていなかった。まあ、そのこと自体は珍しいけどまったくないというわけでもない。
 最初に異変に気づいたのは芳川のほうだった。「なあ、B駅って、さっきも通らなかったか?」ってね。
 なにを言われているんだかまったく判らなかったよ。確かに、集中して駅を確認していたわけじゃなくて、外を流れ行く景色としてぼんやり見てただけだけど、終点まで行って折り返したらさすがに判らないはずはない。
「思い違いじゃないの?」
「それはないと思うんだけどなあ」
 まあ、B駅といえばT駅まではあと5駅だし、話している間にN駅を過ぎていた。このまま乗って行けばT駅に、着くはずだったんだ。ところが、、、
「え?」
 ぼくらの乗った電車はB駅に入っていたんだ。
 どういうことかって、ぼくに聞かれても解らないよ。とにかくそういう事態になったんだってこと。一通り話させてくれる約束だろ? 
 で、どうすることになったかというと、乗り続けて様子を見ようということになった。どちらかというとそうしようと決めたというよりは、自分の行動を決めかねて立ち尽くしていたというのが近いかな。
 次にN駅を出る時は緊張したよ。N駅とT駅の間は姉さんも良く知ってるだろ。別になんてことはない普通の町並みだけど、トンネルを通るわけでもないし、家がなくなって真っ暗闇になるわけでもない。でも、、、よく言うけど、頭にもやがかかった感じ? あんな感じで、途中から風景が、ぼやけるわけじゃないんだけど、見たことがあるようなないような気がしてきて。。。
 気が付くとまた、そこはB駅だった。
 その頃には芳川はだいぶ気味悪そうにしていたね。でも、ぼくは降りたくなかった。好奇心はなくはなかったと思うけど、なんというかね。
 ぼくが熱心に口説いたおかげか、芳川はもう一度付き合ってくれた。車窓の外を見ながら、「ここは見覚えがある」「ここまでは変じゃない」と確認までしてくれたよ。でも、駄目だった。ぼくも芳川もどちらからともなく口数が少なくなって、そして電車はT駅には着かなかった。
 そこまでしてくれた芳川を、もう引き止めることはできなかった。でも、芳川にしてみればB駅で降りてしまってもいいところを、最後にN駅まで付き合ってくれたんだから、彼なりにぼくのことを心配してくれていたんだろうな。
「なあ、本当に降りないのか」
 ぼくは無言で首を横に振った。芳川もあきらめたようで、駅員もいないN駅のホームに降りた。
 窓をはさんでぼくを見つめる芳川の顔は、理解しがたいものを見るというよりは、理解したくないものを見るようだったな。
 芳川と別れて車両にぼくひとりになっても、N駅からB駅へのループは続いた。ぼくはもう外を見るのを止めて、カバンから本を取り出して読み始めた。もともと、電車の中で一人でいる時は、ぼくは本を読んで過ごすんだ。研究に使えそうな資料なんだけど、いつか読もういつか読もうと思ってカバンの中に入れっぱなしだった本だ。最初のほうは癖がつくくらい開いてはいるんだけど、後ろのほうはぱらぱらめくっただけっていう、そんな本。いくら読んでも論理の展開が追えなくて、何度も挫折したところがあったんだけど、その夜はどういうわけかすらすら読めた。ぼくは夢中で読み続けた。車両の中にはぼく一人だけ。この空間が、ぼくと目の前の本のためだけにある。それでも、N駅を過ぎる時だけはちらりとホームに目が行った。芳川の姿はなかった。
 夜の街を高速で移動する空間の中にぼくひとり。ぼく自身は、どこに行こうという意思もなくここにいる。いや、本当にぼくはここに存在しているのだろうか。車両の中のことは手に取るように解る気がするし、車両の外にはなにもなくていい。ぼくが車両全体に広がっていくのか、それとも車両がぼくのサイズに小さくなっているのか。きりきり、、、キリキリ、、、

 でまあ、気がつくと歩道橋の下に倒れていたわけだけど。
 なんだそりゃって、なんだそりゃだよね。こんなこと話しても誰も納得してくれないでしょ? 歩道橋から落っこちたことにしたくなるでしょ?
 まあ、ぜんぜん根拠はないんだけど、異世界に迷い込んだ、とかじゃなくて、ちょっと歯車がずれたとかそんなんだと思うよ。現にぼくも、ここにこうしているわけだし。だから芳川も、きっとこの世界のどこかにいると思うんだ。
 ほら姉さん、カズキが呼んでるよ。
 え? 姉さんじゃなくてぼく?
 おーおー、懐かしいなあ、そう、さっき言ってたミニカーはそれだよ。どこにあった? 電話台の下? へえ、よく見つけたねえ。まだ動くかな。試してごらん。
 ああ、気をつけて、古いからゼンマイが弱くなってるかもしれないよ。巻きすぎて切れると、はじかれて怪我をするかもしれないよ。
 おおっ。走るねえ。上手いもんだ。
 適度にゼンマイを巻いて離すと、いったいどこまで行くんだろうね。
 。。。今のは、カズキのミニカーの話だよ、もちろん。