中世の鷲頭氏

2012.7.29
北極星が照らすもうひとつの大内氏。
下松ゆかりの大内氏の一族
鷲頭(わしず)氏は、中世、下松にあった鷲頭庄(わしずのしょう)を苗字の地とした一族です。
琳聖太子や妙見社と関わりの深い大内氏の同族ですが、詳しいことはわかっていません。


新装なった図書館
下松市市民交流拠点施設
「ほしらんどくだまつ」
サルビアホール

下松市大手町2-3-1

全国から参加した熱心な聴講者。勿論、会長の姿も。
2012.8.2The Daily New Shunan
大内氏の“本家”は鷲頭氏!
県文書館の和田さんが指摘
下松地方史研の講演会に230人

下松市の下松地方史研究会(田村悌夫会長)の特別講演会が七月二十九日、市民交流拠点施設ほしらんどくだまつの開館を記念して同館サルビアホールで開かれ、県文書館専門研究員の和田秀作さんが「中世の鷲頭氏〜下松ゆかりの大内氏の一族」と題して下松市を拠点にした豪族、鷲頭氏が戦国時代に中国、九州まで勢力を広げた大内氏の“本家”だった可能性があると述べて関心を集めた。
この日は市内外から二百三十人が参加。大内氏は守護大名として平安時代から戦国時代まで栄えたが、和田さんによると鷲頭氏はその一族、家臣として扱われるていどで史料がほとんど残されていないため、研究対象の時期や分野も偏りがちであるという。その中で、鷲頭氏の視点から権力構造を全時代的に解明し、歴代の事跡、家臣団の構成、下松市の鷲頭庄のほか現在の長門市の深川庄が拠点で、ゆかりの神社、寺院があること、石見、長門の守護代を務めるなど大内氏の家臣としての役割などを説明した。
最後に本家にあたる惣領家かどうかの問題を取り上げ、その基準として‥時の一次史料に明記してあり、それが客観的に信頼できる⊂綉藐⇔呂貿Г瓩蕕譴討い覘0貘欧防蟆櫃気譴討い詭鬚覆匹良蘆瓦鮗茲蠅泙箸瓩討い覘に槊里鯀蠹舛靴討い覘グ貘欧虜怎権を持っているの五点を示した。
その上で和田さんは後に大内氏の家臣になるが、それまで鷲頭氏は一貫して室町幕府の守護家であり、また山口の妙見社は下松の鷲頭山妙見社を勧請したもので妙見信仰の本家は鷲頭山であることから、基準の△鉢イ鯔たしており、当時の古文書にある多々良一族の記載順にも鷲頭氏を上位とするものがあると指摘した。
最後に現在の降松神社の前身、鷲頭山妙見宮は大内氏研究の聖地であると述べて「鷲頭氏のことを誇りに思ってもらえるとうれしい」と結んだ。

山口県文書館専門研究員 和田秀作先生
1962年山口県生まれ。広島大学大学院修了。山口県史編纂室研究員などを経て現職。
主な論文に「萩藩士宇野家と陶氏の系譜」「大内氏の領国支配組織と人材登用」など。
専門は日本中世史。
今回の講演では、現存する限られた史料を通して、鷲頭氏の実像について
考えようと思います。

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