不登校と高校中退に宛てた手紙
 Home−横浜高校中退と不登校ナナメ読み

不登校高校中退ナナメ読み
不登校と教育ニュース

学校信仰−「学校」と「習い事教室」の違いって…

学校は知識を身に付ける所。全国にたくさんある習い事教室も知識を身に付ける所。その違いは?


学生も保護者も(日本人全体)少なからず学校信仰というものを持っている。
学校信仰とは、学校をまるで神様のように崇め、そこに所属しなければならない、行かなければならない執着心。

学校は決して悪い場所ではない。知識を身に付けたり、様々な体験をしたりできる役立つ場所。人生経験をたくさん積める場所だ。
でも、そこに行かなければ一生棒に振るってしまうわけではない。
不登校の子供や保護者が持ちやすい学校信仰は、世間体の後押しもあって「学校が人生のすべてだと信じる」、いわば学校依存病なのかもしれない。それだけ学校の価値が高いのだとも思う。

話は変わるけれど、「学校」と「習い事教室」に違いについて考えたことがある。

学校での音楽の授業は、街の音楽教室(ピアノ教室)でも同じように学べる。
英語の授業は、英会話教室でも似たような授業を受けられる。
一般的な科目であれば、学習塾で十分に補える。友達だって塾で作れる。

つまり学校以外でも、役割を果してくれる場所がたくさんある。

ただ1つだけ違うのは、習い事教室を途中で辞めてもなんともない。親子で悩むこともないし、不登校とも呼ばれない。一度辞めたり、再び通ったり、自由に移動できる。

ところが、学校は違う。学校を途中で辞めたら、急に世間体を気にしだし、親子喧嘩がはじまり、周りからは不登校と呼ばれてしまう。
学校は国家が与えた義務教育、お稽古教室は単なる習い事、重みの違いがあるのは当然なのかもしれない。でも、わだかまりが残る。

結局は、内申書とか卒業資格のような、目には見えない価値観≠ノ操られているのだと思う。そういった価値を学校に置くことで、不登校という言葉が生まれてきたのではないか。もし学校が、習い事教室と同じ位置付けだったらどうなっただろう。
おそらく、「不登校」なんて言葉、日本には存在しなかったのではないだろうか。


 リンクについて ・ファッション
「中学生、高校生と保護者を応援する。不登校と高校中退に宛てた手紙」

発信地 神奈川県横浜市