
Triangle Valentine
年末が過ぎ、新年を迎えた後にやってくるイベント。
恋する女の子が、心を浮き足立たせて準備にいそしむこのイベントは、男の子にとってどう感じているものなんだろうか?
女の子から、意中の人(または友達)に、心を込めて贈るチョコレート。
2月14日、バレンタイン。
男の子にとって、どんな思いで過ごす一日なのだろう。
「彼女がいる人は楽しみだろうけど、フリーだったらどうってことのない一日だよね……いやいや、むしろ街中に貼られたやたらハートとかピンクの装飾は、見ていてうっとおしいことこの上ないのかもしれないし」
心の中で呟いていたつもりだったけれど、うっかりと声に出してしまっていたようだ。
ここは、私の彼氏がお父さんから引き継いだ溜まり場。
私立学校の理事長である彼氏のお父さんが、学校移設による新校舎を建設するに当たって、旧校舎を解体したのだけれど、比較的まだ新しく広いこの体育館だけを残し、息子に譲り渡した。
そこらで屯すよりは、一箇所、しかも人気のない場所で集まる方がマシだというのが理由だそうだ。
その体育館の端っこに置かれていたテレビで、デパートのバレンタイン特設会場の様子を流した番組を眺めながらの呟きだった。
声に出してしまってから、しまったと思った。
今、私の右隣には幼馴染の尊、左隣には彼氏の大和がいる。
大和だけならまだしも、フリーの尊の前で言うべき台詞ではなかったかもしれない。
慌てて私は尊を見上げ、
「ご、ごめん、別に尊のことを言ったわけじゃないの。ただ、一般論としてどうなのかなって……」
そう言い訳する私をきょとんと見下ろしていた尊は、残念な半分眉毛を不機嫌に寄せることなく、いつものようににこにこ笑顔を浮かべた。
「何で理央ちゃん、謝るの?」
「い、いや、だって……」
「そっか、もうバレンタインかあ。一年って早いねえ。理央ちゃん、今年も俺にもチョコ、くれる?」
「欲しいの?」
「うん、欲しい。去年はカナダから送ってくれたでしょ? すげえ嬉しかった」
素直に言う尊に思わず苦笑を浮かべてしまった。
尊は、チームの一員としての顔でなければ、まず可愛いといえる顔立ちだ。
幼い頃はもっと可愛かったのだけれど、少しだけ男っぽいところが増えたとしても、私からしたらまだまだ可愛い。
年上の人に使う表現ではないかもしれないけれど、私が尊に抱く思いはこの言葉に全て凝縮されているような気がする。
うん、尊は可愛い。
だけど、何で眉毛を半分に剃ってしまったんだろう。
私以外に、尊を可愛いと言った女の子でもいたんだろうか。それが男のプライドを傷つけて、わざとこんな顔にしたのだろうか。
いやいや、もしかしたら私が尊をそんな風に思っているのが嫌で、尊の私に対する無言の抵抗なんだったりして。
尊の、尊なりの反抗期を迎えているんだったりして。
そう、思春期の男の子が、母親に反発するように。
私は尊の顔を眺めながら、悶々とそんなことを考えてしまっていると、逆隣の大和が短い溜息をついた。
「今年は、バレンタイン禁止令出すか」
「え……何で」
そんなことをされたら、私も大和や尊にチョコをあげられなくなってしまう。
大和に顔を向けると、彼は少し不機嫌そうな顔でテレビに目を向けたまま、ビールを煽ってもう一度溜息をついた。
「面倒臭ぇ」
「……は?」
「まあねえ、お返し出来る量じゃないしね。貰って貰いっ放しってのも気が引けるしな。俺もバレンタイン禁止令に賛成。あ、でも理央ちゃんは別だよ。理央ちゃんは、ちょうだいね」
そう朗らかに言う尊にもう一度顔を向ける。
邪気の無い尊を見上げ、そして大和に目線を移す。
面倒臭いって、どんだけ?
お返し出来る量じゃないって、どんだけ?
去年のバレンタインの日、日本にいなかった私は、その言葉の意味を推し量ることが出来ず。
「あの、そんなに、凄いの?」
「凄いってもんじゃないよ、大和なんかさ、ダンボール幾つ分だろ。しばらくここに保管してたら、それから一ヶ月くらい、チョコの匂いが充満してたような気がしたよ。気持ち悪いのなんのって」
……ダンボール……
箱単位って……
「お前の分だってあっただろうが。俺だけのせいにしてんじゃねえ」
「えー、でも俺よか全然大和の方が多かったじゃん。てかさ、あのチョコ結局最後どうしたの?」
「チームの連中に食わせて、いくつか隼人に持って帰ってやったら、あいつ鼻血出しやがった」
「くはっ! 隼人、鼻血出すまでってどんだけ食ったんだよ!」
「あの、あの……」
二人の会話を遮るように、おずおずと手を挙げた私に、男の子の視線が集中する。
「あの……そんなに、凄いの? そんなにたくさん貰ってるの?」
思わずそう尋ねると、答えをくれたのは私と尊の間ににょっきりと伸びた手の持ち主だった。
「そりゃそうですよ、『湘南連合』の総長とNO.2ですからね。はい、理央さん、アイスティー」
そう言って私にグラスを差し出してくれたのは、いかつい顔に優しげな笑みを浮かべた青山さん。
驚きながらもグラスを受け取ると、青山さんはにっこり笑いながら、
「でも、今年はどうかな。大和さんの彼女がいると周知になりましたからね。控える女も現れるんじゃないですか?」
「はあ……」
「あ、でもその分、尊さんに殺到するかも。大変ですね、尊さん」
「うわー、やめてくれ。しばらくチョコにうなされる。おい、大和、やっぱ今年はバレンタイン禁止令出そうぜ、な!?」
そっか、そうだったのか。
私の知らない尊の姿を教えられてしまった。
尊って……尊ってモテるんだ!!
そりゃそうだよね。
眉毛は本当に残念だけど、ルックスはまあまあいいし、優しいし、……ちょこっとオバカさんだけど。
それに尊って、NO.2なんだよね。
それに、喧嘩がめちゃくちゃ強いって言ってた。
それじゃ女の子は放っておかないか。
普段チームで見せる尊は怖いかもしれないけれど、バレンタインに賭けて、彼女の座を射止めようと思う女の子も現れるんだ。
本当は幼馴染としては両手放しで喜ぶべきところなんだろうけれど、でも、何か釈然としない思いが残るのはなぜだろう。
首を傾げた私に、心を読んだかのような大和がさらっと言った。
それは、「理央ちゃんのチョコだけあればいいんだもんねー!」と声を上げつつ、尊が私にギューッと抱きついた次の瞬間。
「この姿、連合の女共に見せてやれ。そしたら呆れて誰もチョコなんてくれねえよ」
と、そう言った。
ああ、そうか。
尊がモテると安心したけど、なぜか残るこの不安。
それは尊のこの過剰なまでのスキンシップを伴う、私への依存症を危惧してのことだったんだ。
……た、確かにこの姿を見たら、尊に恋する女の子は引くかも。
ていうか、私、女の子達に、超怨まれる。
それは嫌だ。怖い。避けたい。
だけど尊を無碍に扱うことなど出来ない。
だって尊を護るのは私だと、心に誓ったんだから。
うう、どうすればいいの。
尊に春が来るように仕向けるには、一体どうすれば……
「ねえ理央ちゃん、俺ねえ、チョコレートケーキがいいな!」
そう無邪気に笑う尊を見て、私は深い深い溜息をついた。
「おい、いい加減にしろ。いつまで抱きついてんだ。理央、お前も少しは……」
大和が不機嫌絶頂の声を上げた瞬間。
私は、ぴんと閃いた。
そうだ。何で今まで気付かなかったんだろう。
尊が行動しないなら、私が動けばいいことだったんだ。
私が尊の女の子の好みを聞きだし、由香里さんに合コンでもセッティングしてもらえば、尊にも無事春が来るに違いない。
学校で由香里さん達以外友達がいないので、他人任せなのが何とも情けないけれど、今現在で最良な策のように思えて、私は意気込んで尊に尋ねた。
「ねえ、尊。今まで聞いたこと無いけど、尊ってどんな女の子が好き? ほら、芸能人とかでもいいから、タイプ教えて?」
率直にそう聞くと、尊は私から身体を離して少し宙を見上げ、私に目線を戻してにっこりと笑みを浮かべた。
「タイプって別に無い」
「……え?」
「芸能人にも、別に興味無い」
「……は?」
「ってか、女なんてどうでもいい。理央ちゃん、面白いこと聞くね。あ、青山、まだビールあんのかな。俺も喉渇いちゃった」
尊はそう言うや、すっくと立ち上がって冷蔵庫の方に向かっていってしまった。
呆然とそれを見送っていると、青山さんがくすくす笑って膝を曲げ、私を正面から覗き込んだ。
「敗退しちゃいましたね」
「……分かります?」
「ええ。でも、本当に尊さんは今現在、女には興味無いんだと思いますよ。理央さん以外はね」
そうくすくす笑いながら言う青山さんは、ちらりと大和に目を向け、尊の後を追うようにして私たちから離れていった。
残された私は、尊のこれからを思うと心配で心が重くなり、何度目か分からない溜息をついていると。
私の肩が掴まれて、ぐっと左に引き寄せられた。
私を抱き寄せた大和は、胸元から響く低い声を小さく放つ。
「心配しなくても、そのうちあのバカにも気になる女が現れる」
「……そうかな」
「ああ、今は女に興味が無くても」
「本当に?」
「ああ。ある日突然気付くもんだ。……俺のように」
そう囁いた大和の声に、私の心臓は一瞬激しく打ち鳴り、そしてその後は全幅の信頼を込めた安心感に変わっていく。
不思議ね……不思議ね、大和。
本当に、そう。
異性に興味なんて全然無くとも、ある日突然恋に落ちることがある。
私とあなたのように。
「……そうね。じゃあ、その日までは、私がやっぱり尊の傍にいなくちゃ」
「……ムカつくけど、仕方無ぇ」
大和はぶっきら棒にそう言って、角度を変えて私の唇にそっと触れた。
他の人がいるのに。
突然こんなことをされたら、私は真っ赤になって硬直するしかない。
「……ずるい」
「こんなこと出来んのは、俺だけだ。だから、させろ」
その言葉にドキッとして顔を上げたら、大和の切れ長の目が目前にあって、私を真っ直ぐ見つめていた。
「尊だから。お前だから。だから、許せる。だけど、……」
分かる。
大和が私たちの関係を―――私と尊の関係を寛大なまでに認めてくれていること。それに私たちは感謝しなくちゃならない。
だから、私は出来るだけ大和の言葉は聞くようにする。
続きを待つ私の耳に、信じられない言葉が流れてきた。
しかも、少し不貞腐れたような声で。
「チョコレートケーキは嫌だ」
「……え?」
「俺、ケーキって好きじゃねえ。普通に硬いチョコレートが食いてえ」
その言葉を聞き、私は思わず弾かれたように噴出した。
何て愛おしいんだろう。
その思いで、胸がいっぱいになった。
その後迎えた、バレンタイン本番当日。
予想を超えて、大和と尊へ贈られたチョコレートは、ハンパ無かった。
ダンボール単位なんて大袈裟なと思っていたけれど、本当にダンボール単位だった。それでも去年よりは少ないって話だった。信じられない。
そして嬉しかったことも。
レディースの一部の人たちが、私へ『友チョコ』を贈ってくれた。
総長の彼女への義理なんだろうけれど、それでも飛び上がるくらい嬉しかった。ちゃんとホワイトデーにお返ししなくちゃ。
そして、私からも。
尊や幹部の人達に、まとめてで申し訳ないけれど、大きなホールのチョコレートケーキを作ってプレゼントした。
尊は口の周りをチョコでベタベタにしながらも早速喜んで食べて、幹部の三人組は「美味しいですよ」とウィスキーを飲みながら食べてくれた。
そして大和には、二人きりになった時に。
あまり綺麗にラッピング出来なかったけど、ゴールドの紙に包んだ箱を手渡した。
大和はそれを受け取って、丁寧に包みを開けると口元を綻ばせた。
「美味そうだ」
「ど、どうかな。ご希望のものだといいんだけど」
私の手作りチョコなんて、美味しいか分からないけれど。
戸惑いながらもそう言うと、大和は小さく首を振って、ハート形のチョコレートを一つ摘んで、珍しく嬉しそうに目を細めた。
「美味いに決まってる。初めて、チョコを欲しいと思った女から貰えたんだから」
「え?」
瞬きをしている間に、大和の手のチョコは口に入り、大和は口をもぐもぐさせながら私を両手で包み込んだ。
「サンキュ」
「……ううん」
「しばらく、お前のおやつはチョコレートだな」
私が貰ったものと、大和が貰ったもの。
どちらも、私が食べてもいいらしい。
「ふふっ、そうだね。大変、太っちゃうかも」
「太ったって、構わねえ」
「でも」
「お前がお前でいてくれりゃ、それでいい」
……大和って、本当にずるい。
最高の殺し文句を告げた唇が、私に重なる。
生まれて初めて、恋した相手に捧げたチョコレート。
それは自分の想像以上に甘く、蕩けるような味だった。
来年も、再来年も。
あなたに、あなただけに。
チョコにこの思いを乗せて贈ろう。
ハッピー・バレンタイン。
END