
54 未来へ
白衣の男性が、ベッドに横たわる大和に覆いかぶさっている。
ベッドの向こうには、大和のお母さんが、目を見開いて硬直している隼人くんを抱きしめてボロボロと涙を零していた。そしてただ、大和の名前を叫んでいる。
数瞬の空白の後、私はその白衣の男性が自分の父親だと気付き、駆け寄ろうとしたのだけれど、私は背後から羽交い絞めにされていた。
「やっ、尊、離して!!」
もがく私の耳元で、決して私を離そうとしない尊の声が響く。
「待って理央ちゃん、落ち着いて」
「落ち着いてなんて、いられない! いいから、離して! 大和の傍に行きたいの!!」
「り、理央ちゃん……」
「やだあ、離せ、離して!! 大和、大和!!」
叫ぶ私に気付き、お父さんは眉を寄せて気難しい顔をしながら振り返った。
その表情を見て、心臓が止まりそうになる。
やだ、……まだ、終わりじゃない。
私と大和、これからじゃない。
せっかく、私、大和の世界を少しだけ理解し始めたのに。
こんな中途半端な状態で突き放すなんて、酷い。
酷いよ、大和。
もう一度声を上げようと唇を開いた瞬間。
か細い、小さな声がした。
「……理央」
弱々しいけれど、絶対聞き間違えることなんてない声。
今まで、私を何度も呼んだ声。
私を抱きしめて、耳元で囁いてくれた……私の大好きな人の声だった。
見開いた目から、涙が吹き零れて止まらない。
だけど今、聞こえてきた言葉は決して幻聴なんかじゃない。
「う……そ……」
情けないけど、思わずそう呟いた私に、お父さんは苦笑して手を鷹揚に振った。
「お前、マジでウザいわ。邪魔だから、まだ外出てろ」
「え……ま、待って、お父さん、大和、……意識、……」
へなへなとその場に崩れ落ちそうになるのを、背後の尊が抱きとめてくれている。
私からは、大和の顔が見えない。
機材とか、看護師さんに囲まれている大和が、ちゃんと目を開けているのか確認できない。
でも、けど。
今の声は、絶対大和だ。
大和が、私の名前を呼んでくれた。
戻ってきてくれた。
人目をはばからず、子供のように号泣する私を抱きかかえ、尊は病室を出たすぐ横に設置してあるソファに私を座らせ、彼自身も隣に座り、ずっと私の肩をさすってくれた。
「大丈夫だよ、もう。きっと大丈夫だ」
「……うん」
「おじさんが付いてるんだもん。大丈夫だよ」
「……うん」
そんな会話を、どれくらい繰り返しただろう。
相当長い間待たされた私たちは、やっとお父さんから、病室に入ることを許された。
ただ、少しの間だけ。
長い間、意識不明状態だった大和の体の負担を考えてのことだから、仕方ない。
分かってる。だけどそれでも、嬉しかった。
震える足を叱咤して、ベッドに近づいていくと、ちっとも似合わない病院仕様の寝具を身にまとった大和が、わずかに唇の端を上げた。
「……ブサイク」
「……うるさい」
「泣いてんじゃねえよ」
「……そう言うなら、泣かせないでよ」
どうしてこんな会話なの?
私、全然可愛くない返事をしてしまう。
でも、それは嬉しいから。
大和の憎まれ口が懐かしく嬉しいから、思わずそんな言葉が出てしまう。
「……お前、あの特攻服着たろ」
「……」
「……似合わねえっつってるのに」
そう笑った大和は、私に手を差し伸べた。
咄嗟にその手を掴んだ私は、不覚にもまた涙が込み上げてしまって、この暖かい手に取りすがるかのように膝を落とした。
「……っ、バカ、大和のバカ!!」
「度胸あんな、お前。俺に向かってバカって言うの、お前くらいだぞ」
「何度でも言ってやるわよ。大和のバカ。考え無し。最低よ、信じられない」
「……だな。……悪い」
ずるい。
謝るなんて、ずるいじゃない。
私は大和の手を顔に押し当て、わんわんと泣き叫んでしまった。
今日だけ。
今日だけだから。
張り詰めていた緊張の糸が、きっとここでブッツリと切れてしまったんだろう。
周囲の誰もが呆れるくらい、私は大和との面会を許される時間中、ずっと泣いて泣いて、泣き続けてしまった。
この世の中に、神様がいるんだったら。
神様は、大和に嫉妬してるんだ。
だから、大和に意地悪なことをするんだ。
神様なんて、大嫌い。
そう考えてしまうこともあったけど。
でも、大和は無事に戻ってきた。とりあえず、それだけでいい。
この暖かい手が、私の元に帰って来た。
それだけで、良かった。
大和はそれから驚くべきスピードで回復をしていった。
「若いってすげえな」
ってお父さんも脱帽するくらい。
食事も普通食になり、尊や幹部からチームの状況を報告受けている大和がまだ入院中っていうのが何だか笑えて、その姿を見てはくすくす笑う私に、大和はとても不機嫌そうだった。
そして退院の日を迎えた後、大和は相変わらずあの体育館に入り浸っている。
だけど、今までと異なるのは、報告を受ける合間に参考書を手にしていること。
「おい、理央」
「なあに?」
呼ばれ、テレビの前から立ち上がり、大和の傍に行く。
それを目の端で捉えた尊が、くすりと笑ってる。
「これの意味が、分かんねえ」
参考書を指差した先を目で追って、私は腰を屈めて説明しようとした瞬間。
唇に、掠めるような感触が当たり、目をぱちくりしてしまった。
驚いた私に、大和は相変わらず不機嫌そうな顔でいて、
「いいから、早く教えろや」
「……ずるい」
「あ?」
「不意打ちなんて、ずるい」
唇を尖らせる私を見上げ、大和はフッと笑って私の髪を一房掴んで。
そこに、端正な顔を寄せた。
髪にキスするなんて。
カーッと顔を赤くした私を可笑しそうに見つめた大和は、髪を指先でいじりながら、少し真剣な顔で言った。
「来年も、再来年も」
「……え?」
「五年後も、十年後も」
「……」
「俺もお前も、しわくちゃのジジイとババアになっても。絶対離さねえからな」
「……」
「逃がさねえぞ。覚悟しとけ」
そしてにんまりと笑った大和に、胸に湧き上がる想いを押さえきれずに、私はぎゅっと抱きついた。
辛くて苦しいことがあると、逃げてばかりだった。
そんな私を、大和が変えてくれた。
誰かを支えているつもりでも、私自身、誰かに支えられていることに気付いた。
いつも、どんな時も。
私は一人じゃないって教えてくれた。
でも、一番はやっぱりあなただね、大和。
ずっとずっと、私の一番傍にいて。
これから先も、私の手を離さないで。
暴走族のチームで……湘南連合の総長の彼女だなんていう、非日常的だけど、とても愛おしく思える日々の生活がその後しばらく続き、大和は高校卒業と共に、総長、そして『Devil’s Heaven』の頭を引退した。
華々しいパレードの中、最後に見た大和の姿は……伝統の特攻服を身にまとったその姿は、とても凛々しくて、昂然としていて……
私は、この人と一生付き合っていけることを、誇りに思った。
あれから、十年の月日が過ぎた。
みんな、それぞれ大人になり、それぞれの道を歩んでいる。
そして約束通り、大和は私を離さなかった。
残念ながら、同じ大学に進学することは出来なかったけれど、私たちは今、同じ未来を見つめている。
「先生! 理央先生!」
可愛い生徒の声に、私はぼんやりとしていた意識を戻す。
お昼休みのこの時間、校庭で賑やかに遊ぶ生徒達を眺めながら、ふいに若い頃のことを思い出してしまった。
「どうしたの、斉藤くん?」
「大変だよ、西山と桜井が、また大喧嘩してる!」
「ええー? また?」
私の受け持つ小学部三年生の生徒で、元気をあり余している二人がまたしても喧嘩をしているらしい。
ここは、喧嘩が大の得意だった人に出動してもらおう。
私はくすりと笑って、心配する斉藤くんの頭に手を置いて腰を屈めた。
「それじゃ、理事長先生を呼ぼうか」
「えっ……、り、理事長先生?」
途端に顔を引き攣らせる斉藤くん。
そうよね、小学部の皆は、あの目つきが悪くて言葉数が少ない理事長先生が、怖くて堪らないんだものね。
でもね、理事長先生は、いつも皆のことを考えているよ。
小学部から高等部まで、生徒全員のことを大切に思っているよ。
私は心の中で呟いて、くすりと笑って斉藤くんの手を繋いで歩き始めた。
「よしよし、それじゃ用務員さんに頼もうか」
「うん! それならきっと、西山たちも大人しくなるよ!」
きらきらと目を輝かせる斉藤くんと、裏庭へ向かう。
焼却炉の前にいた、とても大きな男の人に声を掛けようとする前に、斉藤くんが彼に駆け寄り抱きついた。
「用務員さん! 西山たちを止めて!」
ゆっくりと振り返った彼は、いかつい顔に穏やかな、少しだけ困ったような笑みを浮かべて私と斉藤くんを見比べる。
「また、ですか? 困ったものですね」
「ごめんなさい、よろしくお願いします」
私が頭を下げると、用務員さん……私の大切な仲間の一人は、手を軽く払って斉藤くんの手を握り、校庭に向かって歩き始めた。
その後姿を見送っている私の背後から、低い聞きなれた声が流れた。
「……またか? ……締めるか、ガキ共」
そんな物騒なことを言うなんて。
私は思わずプッと噴出して、振り向こうとした瞬間、唇に暖かいものが掠めた。
「……また、不意打ち。ずるい」
恨みがましい目で見上げると、スーツを身にまとった、すこぶる目つきの悪い、だけどとても整った顔立ちの彼が……私の大切な旦那様が、白い封筒を私の目の前にぶら提げた。
「尊から。来月、カナダから戻ってくるそうだ」
「うそ!! 尊、戻ってくるの!?」
尊は高校を卒業してから、私が留学していたカナダへ行ってみたいと一人旅立ち、そしてそのまま居ついてしまっていた。
「カナダの気風が合ってるんだよね。毎日、楽しい。だから、心配しないで」
なんて言っていたけど、分かってる。
尊の気持ち、多分全部分かってる。
だから私も止めずに応援していたけれど、戻ってくるとなると、やっぱり嬉しい。
思わず頬を緩めると、大和は面白くなさそうな顔で、私が伸ばした手から封筒をひらりと避けさせた。
「ああっ! やだ、私も尊の手紙、読みたい!」
「……お前には読まさねえ」
「何でよぉ!」
「ちっ、また争奪戦か……面倒臭ぇ」
「え、何? 何て言ったの?」
「何でもねえ」
不貞腐れた大和を覗き込み、首を傾げる私の額を大和の指が少し強めに弾いた。
「痛っ!!」
「……理央」
大和は、尊の手紙をスーツの内ポケットに仕舞い込んで、私の手を握った。
「……ん?」
「ありがとな」
ありがとう、は私の言葉なのに。
ずっとずっと、言いたい言葉なのに。
けど、いっか。
お互いに言い合うのもいいね。
これから先、ずっと永遠に。
私も大和の大きな少しごつい手を握り返し、二人で校庭に向かって歩き始めた。
まだまだ私たちは、スタートラインから少し進んだばかりだもの。
これから先も、ずっと一緒に。
同じ目標に向かって、頑張っていこう。
大和の総長時代に抱いていた目標。
暴走族にはびこる負の部分を、排除出来る様に。
そのために、ここから頑張ろう。
私と大和は、ずっと二人で、……ううん、違う。
大切な、大事な仲間たちと一緒に、同じ目標に向かって、歩き続けていく。
これからも、ずっと。
END