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ケネディ暗殺と宇宙中継
団塊の世代一代記


ケネディ暗殺と宇宙中継 日米間のテレビジョン衛星中継は1963年(昭和38)に始まった。その時の実験放送で飛び込んできたのが、ケネディ米大統領暗殺という衝撃的なニュースであった。なお、当時は衛星中継ではなく、“宇宙中継”と呼ばれていた。

ケネディ暗殺さる 1963年(昭和38年)11月22日、アメリカ中部標準時間(CST)午後0時30分、 米国大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)は、テキサス州ダラス空港からオープンカーで市内の演説会場に向かう途中、何者かに狙撃され病院に運ばれたが30分後に死亡した。事件がおきたのは、アメリカ東部標準時間(EST)午後1時30分、日本時間では23日(土)午前3時30分のことであった。

当日(23日)の国内における新聞記事(縮刷版)を確認すると、朝日新聞東京本社<朝刊12版>第一面トップにおいて、大統領狙撃事件が起きたこと(事件発生時刻記載なし)、そして、大統領は日本時間午前4時に死亡したことを報じている。

ただし、この時の記事はこれのみで、本格的な報道は<夕刊>からとなっている。なお当日23日は、日本では勤労感謝の日(国民の祝日)にあたり休日であった。

週間文春1963年12月9日号P.14によれば、事件の第一報はUPIで、入電は23日午前3時40分、ついで、同50分までに、AFP、ロイター、APが続いた。その後も刻々と情報が入り、“ついに大統領死亡”が伝えられたのは午前4時30分であった。すでに新聞の都内版締め切りは過ぎており輪転機が廻り始めていた。各社ともそれをストップしてほぼ三分の一程度を刷り直したという。

日米間初のテレビ宇宙中継成功 実はちょうどその日の朝、すなわち、日本時間23日朝(米国時間では22日夕方)、通信衛星を使った日米間初のテレビ宇宙中継(実験)を行うことで、政府間の正式合意(11月19日)が成立していた。

この時の実験放送は、米国から日本に向けて電波を送信するものであった。そして、この計画の推進役であったケネディ大統領から日本へのメッセージをはじめ、すべての番組はあらかじめ録画されていた。

その実験放送で、遠く太平洋を越えてリアルタイムで送られてきたのは、なんとケネディ大統領暗殺というショッキングなニュースであった。

11月23日(土)の実験放送は2回行われた。 第一回:午前5時27分42秒~同48分(20分間) 第二回:午前8時58分~9時15分(17分間)

実験放送には通信衛星リレー1号が使われた。この衛星は、約3時間で地球を一周する低軌道衛星であったため、日米双方から「見える」20分程度が中継の限度だった。

第1回目の内容 アメリカ航空宇宙局のあるカリフォルニア州モハービー砂漠の風景などが送られてきた。実はこの1回目の実験では、あらかじめ録画してあったケネディ大統領から日本へのメッセージが送られるはずであった。

しかし、大統領はこの時すでに暗殺されていた。実験開始直前の5時14分、NASAからの宇宙無電で、「実験は予定通り行うが、大統領が映っている分の放送は取りやめる」という連絡が入っていた。

実験そのものは大成功だった。 朝日・毎日は感動の瞬間を次のように伝えている。

午前5時27分42秒、モニターテレビに濃淡の模様が出た。続いてNASAの模様入りテストパターンが表示され、27分50秒、はっきりとした映像がブラウン管に飛び込んできた。映し出されていたのは、広漠とした米カリフォルニア州モハービー砂漠(米側電波発信基地)の模様で、一本の木、草まで細かく写っている。国内のテレビ放送と何らかわりはない。

“ドキッ”とするようなあざやかな画像 国内放送かと耳を疑うようなハッキリした声・・・ それは宇宙時代の新しい夜明けを知らせるファンファーレでもあった

第2回目の内容(前田治郎さんの日本語ナレーション入り) ケネディ大統領暗殺というショッキングなニュースが飛び込んできた。

ありし日のケネディ大統領の元気な姿が映し出された。 大統領に選ばれた直後(2年10か月前)の演説会の模様である。 テレビは、新聞スタンドに群がる人々、半旗を掲げたビルなど、悲しみと興奮に包まれたニューヨークの生々しい表情も伝えてきた。

これらの映像にナレーション(日本語)を入れた日本人がいる。前田治郎さん(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)である。前田さんは貿易商社から毎日放送に入り、アナウンサー、プロデューサーを経て、1963年2月からニューヨーク支局の駐在員となっていた。

事件当日、彼は仕事のためバスでマンハッタンからニューヨーク市郊外に向かっていた。翌年4月から開催されるニューヨーク世界博の工事現場を視察するためで、他の日本人記者14~5人も一緒であった。

ハイウェイ入口の料金所で係員がバスのドア口から叫ぶ。”ケネディ、デッド”。皆の不安は的中した。実はバスに乗る前に、「ケネディが撃たれたらしい」と、市民がささやきあっているのを小耳にはさんだ記者がいたのである。

ハイウェイではバスはUターンできない。一旦会場までいかざるを得なかった。市内へ引き返した前田さんは、当時業務提携をしていたABC放送の国際部門に駆け込んで、このニュースを日本に送るための資料集めをしていた。そこへ、ABCの広報担当者から思いもかけない提案をうける。

「午後7時(現地時間)から2回目の宇宙中継実験が行われる。君が日本語でこの大事件のニュースを送ってみないか」

ABC国際部門のコイル社長は、当日の実験担当であったNBC放送に電話をかけ、日本に実験電波を送るテレビ映像と音声の回線を設定した。約1時間後 (日本時間午前9時ちょうど)、前田さんの声(日本語)は、そのとき全米で放送されていたNBCのテレビ映像にのせて日本に送られた。

日本に届いた映像は、NHKの全国ネットワークと民放全局を通じて日本全国に流された。「これは輝かしい日米テレビ中継の2回目のテストであります。その電波にのせてこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのはまことに残念に思います」。前田さんの第一声である。

前田さんはコイル社長のデスクに座り、目の前にあるテレビに映るNBCテレビの映像を見ながら<電話>で話をした。映像そのものは、ケネディの就任演説の模様など回顧場面がほとんどであった。

前田さんは、テレビ画面とは別に次々と入ってくるニュースも生で電波に乗せた。その内容は、そばに座っていたABC国際部門のスタッフがメモに書いてよこしたものである。

ケ大統領の遺体は、いまちょうどワシントンのホワイト・ハウスに送られました。 ジョンソン副大統領が、飛行機の中で宣誓を行って大統領に就任しました。 突然のことできちんとした原稿をつくる時間はほとんどなかった。“それこそアドリブでレポートしました” とはご本人のお話である。前田さんの出演(13分12秒)はこうして無事終了した。

コイル社長がABCの東京事務所に国際電話(当時12回線しかなかった)をかけ、日本のテレビで確かに放映されたことを確認する。社長と前田さんはウイスキーを手に中継の成功を祝ったという。


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