更  新  記  録
日本の陰謀 (1) 参照一覧 002


HOME 1 2 3 4 5 6 7 8 9 掲示板 管理 English
松岡正剛の千夜千冊 『改造社と山本実彦』松原一枝

 ぼくは出版人になりたいというより、“生涯一編集者”を覚悟したほうだったが、編集したいものを実現するためにはやはり出版社をおこすしかなかった。それが工作舎だった。けれども出版人にはなりきれず、途中で譲った。  これは、そういうぼくとはまったく逆の生き方をした途方もないスケールの出版人をスケッチした一冊。ディレタクー(編集人)ではなく、プロデューサー(出版人)に徹した男の話だ。水島治男の『改造社の時代』戦前・戦後篇(図書出版)よりずっと軽いので、気楽に読める(ただし、この内容なのに誤植が多いのはどうしてか)。  著者は『お前よ美しくあれと声がする』で田村俊子賞をとり、『大連ダンスホールの夜』で話題を撒いた松原一枝さん。  山本実彦がつくった改造社が何をしたかというと、日本の出版界をガラリと一変させた。変えただけでなく、今日の日本の出版界の母型をつくった。考え抜いたのではない。勢いと全面投入力による成功だ。  ただ山本は、その成功に寝転ばない。山本はたえず時代の渦中を歩み、そのつど新たな爆弾を仕掛ける出版人だった。その爆発に知識人も大衆も躍ったが、当たるたびに儲けを次の活動に投資し、そこで失敗があったとしても、必ずまた何かの仕掛けが当たって、二本の辣腕を翼の下にニョッキリ出した不死鳥のごとく蘇った。  その山本も、最初は雑誌をつくってみたいというところからの出発なのである。

 山本実彦は鹿児島は川内川地方に明治18年(1885)に生まれた。鍛冶屋の伜で、そうとうの赤貧だったようだ。  中学は行ったものの、弟たちを働かせていたのでは続ける気もおこらず、退学をして沖縄のコザに渡って代用教員をした。のちに改造社に入ってくるそのときの教え子は、当時の山本は若き日のペスタロッチのような精根を傾ける授業をしていたと言っている。  徴兵検査で郷里に戻った山本はそのまま上京、同郷で逓信大臣になっていた大浦兼武を頼って大学に入り、「やまと新聞」に入社した。桂内閣の御用新聞である。こういうふうに実力者を頼るところは、のちの山本の人生をあからさまに浮き出している。2年後、ロンドン特派員となってイギリス暮らしを体験、欧州見聞ののちは日本に戻って、さっさと東京市会議員に立候補した。弱冠29歳の青年代議士のデビューである。かの鳩山一郎が同期生にいた。

 そこへ後藤新平から経営不振の「東京毎日新聞」の買収の話がまわってきて、山本はあっさりこれを買う。後藤からの用立てもあったらしい。  これで山本の冒険譚が始まったのかというと、そうではない。大正4年の第12回総選挙に鹿児島から打って出る。山本はあくまで中央の政治家になりたかったようなのだ。ところが台湾の林本源絡みの収賄容疑で召喚されて、新聞社を売却してしまう。事業のほうは失敗続きなのである。  方向を転じざるをえなくなった山本は、1万円をもってシベリアへ行く。鉱物資源の豊富なウラジオストックで器量を取り戻し、ロシア人と共同事業をおこそうとするのだが、これまた事態ははかどらず、どういう経緯からなのか久原房之助(日立の創立者)から大枚6万円の調査謝礼をぶんどって、帰国した。  この怪しい“小遣い”で山本は3~4万をかけて品川浅間台に豪邸をつくる。すぐそういうことをする男だった。それだけでなく赤坂芸者を呼んでは、派手な宴席を催した。しだいに仲間が集い、信頼すべきメンバーの顔が見えてくると、次の総選挙で勝つにはどうするかという機運が盛り上がる。  最初は政治運動の作戦会議が続くのだが、どうもおもしろくなりそうもない。収賄疑念をつけられたイメージを一新させる必要もある。「それなら社会派の総合雑誌をつくろうじゃないか」という手順になって、ここで発案されたのが「改造」だった。

 大正8年(1919)の2月27日は、ちょうど今日である。  この日、赤坂山王下の三河家に、論壇界に加えて田山花袋・徳田秋声・正宗白鳥・佐藤春夫・広津和郎らが招かれ、「改造」発刊の宴が開かれた。文士が多い。政治家の雑誌をつくるには、招いた相手が変わっている。そこに山本のヨミがあったのである。  もっともこのとき招待をうけながら欠席した菊池寛は、「海のものとも山のものとも分からない新雑誌が、このような催しをするのは生意気だと思って出席を断った」と書いている。まだ、多くが山本を疑っていた。  が、船出は船出である。山本はエンジンをふかした。印刷所は秀英社(のちの大日本印刷)、発売が清水書店、編集所が改造社と取り決めた。発禁が多い時代のこと、出版法や新聞法に違反したときに、発行人と編集人の法的責任を分断しておくためだった。  こうして4月、雑誌「改造」が世の中に出る。定価60銭、表紙は石井柏亭の意匠とした。第一次世界大戦後の世界を展望した社説・論説のほかに、安部磯雄・与謝野晶子・山田わか・尾崎行雄・土井晩翠が執筆し、そして幸田露伴が名作『運命』を書いた。  堂々たる陣容だが、どうも政治雑誌とはおもえない。勢いで2万部を刷ったものの、6割が返本。みごとに惨敗してしまう。先行雑誌の「中央公論」の編集長滝田樗陰はそれみたことかと、「編集方針に一貫したものがない」と嘲った。

 2号、3号も2万部を刷ったものの、さらに返本の山がきた。ぼくにも経験があるのだが、この返本が押し寄せる恐ろしい光景に立ち会わされるほど、辛いものはない。倉庫なんてないのだから、乱暴に紐で縛られた反故同然の“冊束”がいくつもいくつも編集室を襲うのだ。  山本はしょせん選挙目当ての総合誌を出したと思われた。山本はさすがに廃刊を決意する。ここで、のちのち改造社を支える横関愛造と秋田忠義の二人の編集担当が反対をした。次号は自分たちに全部を編集させてほしいという懇願だ。もう一号だけ勝負に出るかと山本は、ここで腹をくくった。  表紙を変え、「労働問題・社会主義」号と銘打った4号は、予想に反して発売2日で3万部を売り切った。山本が出版人として初めて成功した2日間である。その後はとんとん拍子となって、常連の「中央公論」「太陽」に一歩も引かず、「改造」は言論界の一角を力づくで切り取ったのである。

 ある日、横関愛造のところに、大阪毎日新聞の村島帰之が「キリスト教の牧師で社会主義者の変わり者がいる」という噂をもちこんだ。神戸の貧民窟にいる賀川豊彦である。  会ってみるとおもしろい。横関は賀川に自伝ふうの原稿を書かせることにした。しかし出来上がった原稿は、考え方や生き方は常識破りであるものの、まるで通俗小説のようで、文章も稚拙、編集部内でも「これはボツだ」ということになった。だが山本は「待てよ、おもしろいかもしれない」とひらめいた。  大正9年の新年号を賀川の『死線を越えて』が飾った。案の定、玄人筋からは惨憺たる批評が寄せられた。アマチュアが何をしているかという罵倒も声高に聞こえてきた。ところが、製本屋の小僧が「ものすごく興奮した」と言っている。  山本はこれは総合誌で読むべきものではないんだと判断し、連載を4回で打ち切ると、おもいきって単行本にすることにした。これが改造社最初の書籍の誕生である。『死線を越えて』はたちまち10万部を売り、なんと次の1年では80万部が売れた。

 改造社の名は上がった。山本は二つの路線を出しつづけるべきだと考える。編集部を充実させて「改造」をつくり、別に単行本では大衆路線を狙う。  時事新報社にいた滝井孝作が入ってきて志賀直哉に『暗夜行路』を書かせたのは、前者の路線である。これは実に足掛け17年にわたる看板連載になった。この連載で志賀の依拠していた白樺派の連中がどっと「改造」の執筆に加わっている。一方、後者の路線は石坂洋次郎の『若い人』や林芙美子の『放浪記』や火野葦平の『麦と兵隊』になっていく。いずれも大当たりを記録した。  しかし山本は、儲けるだけでは気がすまない。なんとか日本を動かしたい。大向こうを唸らせたい。  そこで、まずはバートランド・ラッセルの招聘を皮切りに、海外の大物を呼ぶことにした。来日と出版をパッケージにしようという魂胆だ。山本は素っ頓狂にもアインシュタインを呼ぶ気になっていた。誰もが相対性理論なんて、いかに天才的であろうとも日本人総人口のうちの3人くらいしか関心をもたないと痛烈な皮肉を言ったのに、山本はこれを押し切った。長岡半太郎・田辺元・石原純を動かして、来日を計画した。いや来日ではなく、滞在を計画した。破天荒な滞在42日間ものスケジュールであった。山本には自信があったのだ。

 蓋をあけてみて、日本中が驚いた。全国でアインシュタイン・ブームが沸き上がり、どこへ行っても黒山の人である。  成功の秘密は相対性理論にあったのではなかった。背広一着の着たきり雀で、日本庭園や日本画やワビ・サビに関心を寄せ、裏町の駄菓子にさえ関心を示すアインシュタインの、屈託のない人間像に人気が集まったのだ。堅い理論家が柔らかいナマの魅力をもっていること、山本はそのアンバランスな硬軟両面をアインシュタインがもっているという噂を聞いて、そこに賭けたのだ。  日本人がどんなに異分野でもスーパースターの人間味にからっきし弱いことが証明されたのは、このアインシュタイン・ブームが母型だったのである。

 山本には妙なところがあった。「堅いものこそ、大いに当たる」「高尚なものこそ大衆に与えるべきだ」という信念だ。  文人の船に論壇を乗せた「改造」もそういう方針になっている。ショーやアインシュタインやサンガー夫人を呼んだのもこの信念による。もうひとつ、山本がこの信念にもとづいて乾坤一擲を放ったのが「円本」(えんぽん)だった。 時代は関東大震災のあとのこと、震災で社屋と印刷機と80万冊の本を消失した山本は、自宅に編集局をおいて、捲土重来を図っている。まず編集者たちを京都あたりに待ち伏せさせて、震災で東京から関西へ避難した作家たちをつかまえる作戦に出た。  これが図星で、作家はふたたび「改造」に戻ってきた。次に編集者を応募して700人の中からたった一人を選び、この男にとびきりの高給を渡した。藤川靖夫である。  その藤川がある日、「震災で焼けたのは家だけでない。本も焼けた。これまでの作家の本もみんななくなった。これを一冊ずつ出してもまにあわない。現代文学全集にして出したらどうかと思う。ただしみんなお金に困っているので、そこが難しい」と言った。編集部は「企画が堅すぎる」と疑問を出した。  しかし山本はみるみる顔色を変え、すぐに出版部長を呼ぶと定価を安くした全集がつくれないかという相談をする。コストをはじくと、かなりの部数がはける必要がある。それには資金がない。山本は思案のすえ、取次店で小売もやっていた東京堂の大野孫平を訪ねて企画を打ち明け、「証文なしで金を貸してくれ」と頼む。大野は乗った。  次に電報通信社(電通)の社長の光永星郎が鹿児島出身だったのを思い出し、円本計画を打ち明け、新聞に大広告を出す約束をとりつけた。さらに印刷屋の秀英社と用紙屋の助力を仰いだ。あとは決断だけである。

 大正15年、山本は新聞に『現代日本文学全集』全巻の予約申込み大広告を打ち、第1回配本「尾崎紅葉集」「予価1円」と大書させた。これでもはや後は引けなくなった。函入りの1円の書籍など、誰も見たことがない。  社員全員が1週間にわたって社屋に泊まりこみ、毎日、タクシー15台を借りきって東京近郊を宣伝しまくっていく。書店には書名と改造社マークを染め抜いたハッピを配り、横断幕を垂らした。会社全体が予約獲得に動き出したのだ。  11月30日の締切りがきた。ここで奇跡がおこったのである。予想をはるかに越える25万人もの予約会員が集まったのだ。かれらは、業界では堅すぎると言われた『現代日本文学全集』に手を上げたのだ。山本は感無量になっていた。  改造社の円本は、その後も連打されていく。「マルクス・エンゲルス全集」「経済学全集」「日本地理大系」「日本短歌全集」というふうに。いずれも石より堅い企画ばかり。しかし、これが爆発的に売れた。時代を破る母型の出現なのである。出版界は円本を真似ていく。岩波文庫が生まれたのも、この円本ブームの影響によっていた。「古典と本物を、安い値段の文庫をもって」という岩波茂雄の踏襲だ。

 山本実彦は、戦後はGHQの公職追放令をうけ、復刊された「改造」はしばらく続くのだが、もはや往年の力はもちえなかった。  本書は、そのように衰弱した「改造」と、山本の死後に忽然と消えた改造社の謎にもふれているが、そこまで紹介することもないだろう。なぜなら、山本のすべてのアイディアはもうすでに日本の大手出版社のすべてが吸収しつくしていたのである。誰も、山本を必要とせず、山本のいない改造社も必要とはしていなかった。  出版プロデューサー山本にとって、政治をあきらめられなかったのが宿命だった。出版の中の政治ではなくて、政治の中の出版なのである。  きっと山本は政治家になることを、売上部数のように見てしまったのではないかと思う。それでも、その売上部数が最後に稔ったのが、戦後初の総選挙で改造社の現役社長の身のままに協和党という新党をおこし、14名を当選させたことだろう。選挙後は70名の党員を擁し、幣原内閣から文部大臣の就任要請を受けるに及んでいる。日本政治史上、一出版人がここまでやってのけたのは初めてのことである。そこは鉄幹や外骨とは違っていた(第712夜)。  しかし、こんな成果は『現代日本文学全集』や『マルクス・エンゲルス全集』のようには、歴史の一行にさえ残ってはいない。凡百の代議士記録の片隅に小文字で加えられた記録なのである。


「戦後五十年の生き証人」が語る 田原総一朗 中央公論(C)1996年4月 

やはりリーダーが間違うと国家全体が間違うということだ


四元義隆(よつもと・よしたか) 明治四十一年(一九〇入年)鹿児島県生まれ。第七高等学校卒。東京帝大法学部中退。昭和七年(一九三二年)の血盟団事件に連座し入獄(懲役一五年)。昭和十五年(一九四〇年)恩赦で出款後、近衝文麿、鈴木貫太郎のプレーンとして活躍。農場経営を経て三十年(一九五五年)から田中清玄の後を継いで三幸建設工業株式会社社長に就任。

------------------------

この人物には資料というものがまるでない。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、そして細川護煕まで、戦後歴代首相の指南役として、この人物についての神話・伝説の類は少なからずある。 中曽根康弘首相は、その在任中、週末になると東京・谷中の全生庵で坐禅を組んだが、それは四元義隆の指示によるものだといわれている。

吉田茂が池田勇人に送った手紙の中にも、何度か四元義隆の名前があって、政治の結節点で、彼が両者を結ぶ何らかの役割を演じていたらしいことがわかる。だが、彼の役割がいかなるものだったのかは皆目わからない。資料の類がまったくないのだ。

一体、歴代首相は四元義隆にどんなことを求めたのか。四元義隆は、なぜ歴代首相に重用されたのか。そもそも四元義隆とはいかなる人物なのか。 まったく資料のない、つまり手がかりにならない神話ばかりにいろどられた人物へのインタヴューは難しい。 しかも彼は、いきなり″僕は、マスコミに出るのは昔から大嫌いだ。出たって何もしゃべらない。何もしゃべらないから僕の存在理由がある″のだと言った。 その人物にインタヴユーするとは、まことに矛盾した作業だが、いざ話しはじめると、たちまち四元の世界に引き込まれた。八十七歳とは思えぬ、エネルギッシュで迫力のある話し方だった。
(田原総一朗)


チャップマン仮釈放審査会声明 2000/10/3

(翻訳)

ジョン・レノンの殺人犯マーク・デイビッド・チャップマンの仮釈放申請の却下を決定7したニューヨーク州仮釈放審査会の声明文

仮釈放は却下

申請者はホローポイント弾をフル装填した38口径の特殊拳銃で被害者ジョン・レノンを殺害した。

申請者は全部で五発発砲し、四発を命中させた。・・・・・・
彼は現在ニューヨーク州バッファローの近くにあるアッティカ州刑務所に収監されている。


オレヨロン【超個人的世論】2007/5/4

一見、暴力を憎みマスメディア、古い言い方で言えばペンの力で暴力に対抗して行こうというもっともらしい事に見えます。 しかし、良く見ると内容は右翼批判。 しかも「反日」と言う言葉を使う事についても批判しています。
はっきり言いますと、戦後日本で暴力事件を起こしてきたのは圧倒的に左翼勢力が大半です。
皆さん日本最悪の暴力組織って知ってますか? 暴力団や街宣右翼を普通は想像するかと思いますが、その答えは日本赤軍です。 国際的にも指名手配されるアルカイダやIRAに匹敵する超暴力テロリスト集団です。 世界中で数多くのテロ行為を行い多くの人命を奪ってきました。 日本赤軍とは地下鉄テロや長官狙撃事件を起こしたオウム以上に危険な組織です。 しかしこの組織は現在は解散しており、元党員もほとんどが高齢化しており現状での危険はほぼありません。
では何故朝日は日本の過去の暴力事件を振り返る今回の社説でまったくこの組織に触れないのでしょう。 それは朝日とこの日本赤軍の主張が共に同じ反日、反米、反資本主義だからです。
反日とというレッテル貼りを憎むと言いながら自分は一方的に敵対勢力を右翼と罵り、 挙句に雑誌やネット等の自らを批判するメディアを叩く。
まさにお前が言うな!ですね。
現在の日本で言論の自由を奪っているのはこういったマスメディアのペンの暴力です。


「よいお年を」握り拳をあげる重信被告
産経ニュース 2007.12.20
「いちょう舞い さざんかの咲く日に 法廷の 控訴棄却は終わりにあらず」-。20日、東京高裁で再び懲役20年を言い渡された日本赤軍元最高幹部の重信房子被告(62)は、判決を聞きながら詠んだ4首の短歌を弁護人に託した。
 開廷前、茶色のジャケットを羽織った重信被告は、傍聴席を埋めた長女や姉、支援者らに一礼。安広文夫裁判長に促され、被告人席で起立して判決に耳を傾けたが、1審を支持する判決にも表情を変えなかった。
 「ナンセンス」。安広裁判長が判決主文を読み上げた瞬間、傍聴席から声が上がった。退廷を命じられた男性が声をかける。「頑張れよ」。その声の方向に重信被告は顔を向けた。
 《「控訴棄却」「何があっても支えます」 友の言葉をかみしめつつ聞く》
 判決の言い渡しが続く中、被告人席でひたすらペンを動かし、短歌を詠む重信被告。時折考え込むように顔を上げ、また机に向かっていた。
 判決言い渡しはわずか30分で終わった。閉廷が告げられると、重信被告は傍聴人に向けて、握り拳を作った右手を高々と挙げた。「ありがとう」と声をかける重信被告。手を振り返す傍聴人に、最後は「よいお年を」。
 閉廷後、重信被告と接見した弁護人は「余りにも中身のない判決に重信被告も『がっかりした』と話していた。年内に上告したい」と話した。


2007年4月11日、アルジェリアで連続爆弾テロ 24人死亡
日テレNEWS<4/12 7:48>
 アルジェリアで首相府などを狙った爆弾テロが相次ぎ、少なくとも24人が死亡した。
 アルジェリアの首都・アルジェで11日、首相府や近郊の警察署を狙った連続爆弾テロがあった。AP通信によると、少なくとも24人が死亡、220人以上がケガをしたということだが、ベルハデム首相にケガはなかった。
 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」を名乗るイスラム過激派が、インターネット上で犯行声明を出している。


パキスタン:ブット元首相暗殺される
2007/12/28 【毎日新聞 ニューデリー栗田慎一】

パキスタンの首都イスラマバード近郊のラワルピンディで27日、パキスタン有力野党「パキスタン人民党」総裁のベナジル・ブット元首相(54)が暗殺された。来年1月8日の総選挙に向けた同党の集会会場から立ち去ろうとした際に狙撃された。狙撃した男は直後に自爆、周りにいた少なくとも20人が死亡した。ムシャラフ大統領は「テロリストの悪意に満ちたたくらみは、打ち負かされるだろう」と暗殺を強く非難した。総選挙を前に有力政治家のブット氏がテロの犠牲になったことで、パキスタン情勢が混迷を深めるのは確実だ。

 ブット氏は、首と胸を撃たれ、病院に運ばれたが、まもなく死亡した。AP通信は、人民党幹部の話として、午後6時16分にブット氏が死亡したと伝えた。ロイター通信は目撃者の話として銃撃は2発と報道した。犯行声明などは出ていない。暗殺は会場の入り口付近の路上であり、ブット氏を見送るため、多数の支持者でごったがえしていた。

 ブット氏の死亡で、人民党はカリスマ的な指導者を失い、大きな打撃を受けることになった。政権の足元が揺らいでいるムシャラフ大統領は今月15日に非常事態宣言を解除、ブット氏と総選挙後の協力協議を続けるなど政局の安定を目指していたが、選挙後の連立政権の枠組みの変更を迫られることになる。さらに大統領とブット氏の「連携」により、核保有国・パキスタンの安定を望んでいた米国も、民主化を含めた対応策を根本から練り直すことになりそうだ。

 ブット氏は10月18日、8年半ぶりに南部カラチに帰国した直後のパレードでも自爆テロに遭い、支持者ら約140人が死亡している。ブット氏はこの時、防弾ガラスが施された車にいて、けがはなかった。

 一方、ブット氏が犠牲となった自爆テロの直前に、現場から約15キロの場所で、有力野党「イスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派」の支持者らが銃撃され、少なくとも3人が死亡した。支持者らは、ラワルピンディで演説予定だったシャリフ元首相を出迎えようと路上で待機していた。シャリフ氏は当時、現場から南に約20キロ離れた場所を車で移動中で無事だった。

 ◇ブット氏略歴

 ブット氏は1953年6月21日、アリ・ブット初代首相の長女としてカラチで生まれた。69~77年に米ハーバード大と英オックスフォード大に留学。77年の軍部のクーデターで自宅に軟禁され、その後、英国へ亡命。86年に帰国し反政府運動を展開した。88年11月、ハク大統領の死亡に伴う民政復帰選挙でブット氏率いるパキスタン人民党が勝利。同年12月に35歳でイスラム教国家初の首相に就任した。

 90年8月、当時のカーン大統領に首相を解任された。93年に一時首相に復帰したが、96年に再び解任された。99年には汚職などで禁固刑の判決を受けたが、服役を拒否して出国。今年10月18日、8年半ぶりに帰国していた。


日本人には誰がイイ?
(読売ウイークリー2008年3月16日号より)


 次期米大統領は、民主党のバラク・オバマ(46)、ヒラリー・クリントン(60)、共和党のジョン・マケイン(71)の各上院議員3人に絞られてきた。そこで3人の対日政策をみた。次期政権で日米関係はどうなるのか。

まず、2月5日の「スーパーチューズデー」後、各州の予備選・党員集会で9連勝中と、勢いに乗るオバマ候補である。

 上院議員になって3年というオバマ候補の外交政策を予測・分析するためには、「誰が政策ブレーンを務めているかが重要な手がかり」(日米外交筋)となる。オバマ候補に限らないが、米国では新政権発足に伴って中央官庁人事も総入れ替えとなり、ブレーンから閣僚はもちろん、中央官庁幹部に任命されることも多いからだ。

知日派がそろうオバマ陣営

 オバマ陣営が擁する外交ブレーンは専門家ら約200人というが、顔ぶれは意外に知日派が多い。クリントン前政権(1993~2001)で国防総省日本担当部長、国防長官特別補佐官を歴任したミッチェル氏や、オバマ候補の対アジア、対日政策立案に関与したシファー氏ら若手実力者がそろっている。オァー前ボーイング・ジャパン社長は東京大学で政治学博士号を取得し、滞日経験は計22年に及ぶ。妻も日本人という親日家だ。

大統領選主要候補の選対本部・政策アドバイザー人名録を作成した久保文明・東大教授は、

 「安倍、福田首相の訪米時、オバマ氏は一早く歓迎声明を出しました。対アジア政策における日本の重要性はよく認識しているようです」

 と指摘する。

 例えば、安倍首相(当時)が訪米した07年4月、オバマ候補が上院本会議で行った発言では、日本を「米国の最も緊密な同盟国の一つ」と位置づけ、北朝鮮の核開発やミサイル計画の脅威に協調して対処し、対テロ戦争やアフガニスタン支援、平和維持活動、環境問題での貢献を評価している。

 その一方で、日本への要望として、「日本経済にはまだ輸入や外国直接投資に対して閉鎖的分野がある」と強調し、規制撤廃を求めたほか、(従軍慰安婦問題など)過去の歴史と真摯に向き合うよう求めている。

 オバマ候補自身もアジア地域に深い関心を抱いているようだ。日系人の多いハワイで生まれ、6歳から10歳まで母親の再婚相手であるインドネシア人男性の地元、ジャカルタで暮らした。

 自著「合衆国再生」でもインドネシアでの政変や人権抑圧、汚職、貧困に強烈な印象を受けた様子を記している。その後、再びハワイに戻り、大学進学までを過ごしており、高校時代の初恋の相手が日系人だったとの報道もあった。ただし、訪日歴は少なくともオバマ候補が97年にイリノイ州上院議員に就いて以降確認されていない。

日本に関心ないヒラリー

 それに引き換え、ヒラリー候補があまり日本に関心を持っていないのは多くの関係者が指摘している。ファーストレディー、アーカンソー州知事夫人時代に計4回の訪日歴があるが、日本には親しい政財界要人もいない。

 外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に昨秋寄せた論文でも、日本に言及したのは2か所だけ。「日中両国と協力し、地球温暖化対策に取り組む」「豪州、インド、日本、米国はテロとの戦いで協調する」と述べているが、前者は「米中関係は最重要の2国関係」、後者は「インドは特別な重要性を持つ」と前置きしたうえでの関連記述の中に登場するだけだ。

 ヒラリー候補のアジア政策の中で、日本は完全な脇役。同盟国でもない中印の後塵を拝した格好だ。

 この「日本軽視」ぶりが日本側の不評を買ったため、ヒラリー候補の外交顧問を務めるホルブルック元国連大使は今年1月、同候補の声明を発表し、「日米同盟は米国のアジア・太平洋地域の基礎」と強調してみせた。「ホルブルック氏は、日本の反応を随分気にして釈明に汗をかいた」(関係者)ようだ。

 ヒラリー政権誕生なら、そのホルブルック氏が国務長官に就任する可能性が高いという。同氏について、越智道雄・明治大学名誉教授は、こう解説する。

 「クリントン政権下の1995年、国務次官補としてボスニア問題でデイトン和平合意に導き、外交手腕は高く評価されている。正真正銘、本物の外交官。アジアより欧州重視のイメージが強いが、カーター政権でも東アジア担当の国務次官補として日米関係に関与している」

 このほか、ヒラリー候補の政策アドバイザーには、オルブライト元国務長官、ペリー元国防長官、ルービン、サマーズの歴代財務長官などクリントン政権の大物閣僚が並ぶ。もちろん極め付きは、夫のビル前大統領だ。

 日米貿易摩擦の際、「ジャパン・バッシング」(日本たたき)で鳴らしたゲッパート元下院民主党院内総務もいる。前出の久保教授は、「古い世代の超ヘビー級アドバイザーがそろっている。新鮮味には欠けるが、政策も予測しやすく、安定感がある点は強みになる」と評する。

 クリントン時代には、日本に規制緩和、市場開放などを強硬に求めるバッシングを行う一方、外交面では日本を素通りして高度成長を続ける中国に傾斜して「ジャパン・パッシング」(日本軽視)と呼ばれた。そんな”悪夢”を思い出させる顔ぶれでもある。

 しかし、元外務審議官の田中均・東大客員教授は、「中国の軍備増強、環境、エネルギー、食品安全のどれを取っても米中の2国間で解決できる時代ではない。日米中が中心となって東アジア全体で取り組むべき課題。日本が主体的に関与していけば、ジャパン・パッシングなど起きない」との見方だ。

日米関係重視のマケイン

 共和党のマケイン候補はどうか。「米外交の大きな潮流で、共和党はアジア重視、民主党は欧州重視」(越智教授)と言われるが、3人のうち、日米同盟を一番重視しているのが、安全保障や国防政策のエキスパートであるマケイン候補だ。

 マケイン候補のブレーンには、ブッシュ政権下で対日政策を取り仕切ったアーミテージ元国務副長官、故・椎名素夫衆院議員秘書を務め、日本語に堪能で日本政界とのパイプも太いグリーン元国家安全保障会議アジア上級部長、07年に日米同盟強化の提言作成に関与したシュライバー元国務次官補代理ら知日派がそろう手厚い陣容だ。

 キッシンジャー、ヘイグ、シュルツ、イーグルバーガーといった4人の歴代国務長官もついている。

 ただ、知日派だからといって、日本に甘い顔をするとは限らない。マケイン候補は日本を標的とした貿易関連法案に反対する一方で、日本の軍政ミャンマー支援を批判したこともある。91年の湾岸戦争時は、「関係国は応分の負担をすべきだ」と日本に厳しい姿勢を示した。

 アーミテージ元国務副長官も、真偽不明ながら、米同時テロ後、日本側に「ショー・ザ・フラッグ(日の丸を見せよ)」と対米支援を迫ったと一時話題になった。マケイン政権になれば、日米同盟や対テロ戦争で一層の貢献を要求してくる可能性もある。

 だが、足立正彦・住友商事総合研究所シニアアナリストは、

 「ベトナム戦争の英雄であるマケイン候補は対アジア政策に関心が強く、上院軍事委員会にも所属しています。同候補のブレーンは沖縄のデリケートな県民感情も知り抜いており、日米関係は双方向で構築すべきだと考えています。経済外交でも自由貿易を重視しているので、高圧的な対日姿勢は取らないでしょう」

 と話す。

空洞化進む日米同盟

 ところで、現在の日米関係はどうか。特に日米安保体制を中核とする日米同盟は「一貫して日本外交の要」(外務省)のはずだが、

 「新政権の発足に先駆けて、日米同盟の空洞化が進んでいる」

 と指摘するのは、外交ジャーナリストの手嶋龍一氏だ。

 「ゼーリック前国務副長官は、就任直後に次官級の日米の戦略対話を取りやめてしまった。その結果、日米は共通の対中戦略を協議する場もない。また日本の国連安保理常任理事国入りについても、ブッシュ政権は口先では支持を表明しながら、ついに具体案を示さず実質的に葬り去った。日米同盟が機能していれば、あり得ない事態だ」

 そのゼーリック氏は現在、マケイン陣営の国際経済・通商政策に関する非公式顧問という。

 米国は北朝鮮に対しても、拉致問題が解決していないのにテロ支援国指定解除に踏み切ろうとして日本側の反発を招いた。3候補の対北朝鮮政策も気がかりだが、滝田賢治・中央大学教授は、「北朝鮮は既に核を保有しているので、3候補とも外交交渉を主軸に据えており、腰が引けている」とみる。

 昨秋実施の読売新聞社と米ギャラップ社の「日米共同世論調査」によると、現在の日米関係を良いと思う人は日本で計39%、米国で計46%。00年以降で最低の数値となり、両国の国民感情悪化を示している。米軍の普天間基地移設問題は進まず、今年に入って沖縄県での米海兵隊員による女子中学生暴行事件が起こり、地元住民の反基地感情を一層高めた。

 日米間に小泉・ブッシュの蜜月時代の雰囲気はもう残っていない。3人のうち誰になっても、日米関係は再構築を迫られそうだ。


「史上最も良い」関係、ブラウン首相の訪中でさらに拡大か―イギリス

YAHOOニュース 2008年1月19日


2008年1月17日、中新社がロンドンから報じたところによれば、「中英関係は歴史上最も良い」とみられている。ブラウン英首相は18日から20日まで中国を公式訪問する。就任後初となる今回の訪中について、中国側も、これにより両国の全面的な戦略パートナー関係がさらに一歩前進するだろうと期待している。

200年前、イギリス国王ジョージ三世は使者を派遣し、清朝と正式な外交関係を結ぼうと試みた。双方の誤解からその試みが潰えて以来、中英関係は紆余曲折を経るところとなった。200年後の現在、中英首脳は国際的な場で会談を行うだけでなく、毎年会談を行う関係にまでなっている。1月16日、ブラウン首相と温家宝首相は2日後の会談を目前に電話で両国及び国際問題について意見を交わしている。【 その他の写真 】

政治だけなく、両国の経済貿易関係も同様に“歴史上最も良い”ようだ。イギリスは対中投資額が最も多いEU国となっており、中国からの対英輸出も大幅に伸びている。2002年以降、両国の貿易額は20%以上の速度で伸びており、07年は370億ドルに達していると見られ、今年は2010年に予定された目標(400億ドル)を超えるのではないかと予想されている。

文化的な交流においても「歴史上最も良い」関係となっている。1月15日、イギリスでは過去最大規模となる中国文化キャンペーンが開催の発表され、両国の文化交流に新たな高まりの気運が盛り上がっている。ロンドンでは今年も、華人地区外で最大規模となる旧正月行事が行われる予定となっている。(翻訳・編集/岡田)

最終更新:1月19日15時50分


エベレスト世界初登頂 E・ヒラリー氏死去 88歳
=2008/01/12付 西日本新聞朝刊=


 【シドニー11日共同】ニュージーランドのクラーク首相は11日、世界最高峰のエベレスト(中国名・チョモランマ、8、848メートル)に世界で初めて登頂したニュージーランドの登山家エドマンド・ヒラリー氏が死去したと発表した。88歳だった。

 首相府によると、同日午前、オークランド市内の病院で死去した。死因は明らかにされていない。英BBCによると昨年4月のネパール訪問後、体調を崩していた。クラーク首相は「決意と謙虚さ、寛容に満ちた人生を送った“巨人”だった」と死を悼んだ。

 ニュージーランド北島のツアカウ生まれ。1951年に英国のエベレスト偵察遠征隊に初参加した。53年、英国の第9次エベレスト遠征隊に参加。他の隊員が高山病で引き返すことを余儀なくされる中、ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイ氏(故人)とともに、南東稜から最後の難関の垂直に近い岩場を乗り越え、5月29日午前11時半、頂上に到達した。

 下山後、同僚に語った「やつ(エベレスト)をやっつけた」の言葉が有名になった。登頂成功のニュースは、エリザベス女王の戴冠式で沸く英国に伝わり、王室からナイトの称号を授与された。

 60年代にヒマラヤ基金を設立。シェルパのために学校や病院などをつくる資金を集めるなど、生涯かけてヒマラヤの人々の生活向上のために尽くした。

 99年6月の米誌タイムで「20世紀のヒーローたち」20選に選ばれた。


必死の巻き返し図る 本命ヒラリー氏、正念場
中国新聞 2008/1/9


女性初の米大統領を目指す民主党のヒラリー・クリントン上院議員にとって、八日のニューハンプシャー州予備選は党指名獲得に向けた正念場。初戦のアイオワ州を制したオバマ上院議員が連勝すれば、全米で圧倒的な支持率を保ち「本命候補」と目されてきたヒラリー・クリントン上院議員は失速の危機に直面するだけに、必死の巻き返しを図った。

ニューハンプシャー州は両党の主要候補が初戦のアイオワ州と並ぶ重要州と位置付け、激しい選挙運動を展開した。民主党は、クリントン氏が当初、オバマ氏を支持率でリードしてきた。

しかしアイオワ州でオバマ氏がクリントン氏に勝利。オバマ氏はブッシュ政権からの脱却を求める民主党支持者に加え、無党派層へも支持を拡大、クリントン氏は予期せぬ苦戦を強いられた。

共和党ではアイオワ、ニューハンプシャー両州の選挙運動に全精力を注いだロムニー前マサチューセッツ州知事の勝敗が焦点だったが、マケイン上院議員の勝利が確実となり、二月五日の「スーパーチューズデー」を前にロムニー氏の巻き返しは困難となった。


Workers' Party (Brazil) WIKIPEDIA
主要部分を翻訳


労働者党(ブラジル)


労働者党(PT:ポルトガル語)は、ブラジルの左翼政党だ。労働者党は1980年2月10日、サンパウロのシオン高校において知識人グループにより設立された。ルラー大統領はその発起人の一人で現在も党の有力メンバーだ。

労働者党は1982年2月11日、ブラジルの選挙最高裁判所により承認された。党の色は赤で、党のマークは、赤色の星に白色のPTの文字で表される。党旗は、その逆で、赤色の背景に白色の星で表示される。

労働者党にはルーラ氏の所属する中道左翼グループから共産主義者、キリスト教社会主義者まで約30の派閥がある。ポルトガル語の頭文字から、PTと呼ばれる。労働者党は南アメリカで最も重要な左翼政党のひとつだ。............................

2006年の選挙スキャンダル

総選挙の2週間前に新たなスキャンダルが発覚した。その結果、ベルゾニ氏は、政敵を攻撃するために使われた報告書を詐欺師から買い取るために党の予算を使った責任を取り離党した。2007年4月25日、最高裁判所はこの選挙疑惑について、ルラー氏を無罪とする判決を言い渡した。


梅田、橋下、熊谷氏ら立候補
(2008年01月10日 読売新聞)


商都再生3極対決 与野党33年ぶり

 大阪府知事選は10日告示され、弁護士の梅田章二氏(57)(共産推薦)、自民党府連推薦、公明党府本部支持の弁護士でタレントの橋下徹氏(38)、元大阪大教授の熊谷貞俊氏(63)(民主、社民、国民推薦)、保護司の杉浦清一氏(59)、町会自治会長の高橋正明氏(65)の無所属新人5人が立候補を届け出た。事実上、政党の支援を受ける梅田、橋下、熊谷の3氏による三つどもえの争い。「非共産対共産」の構図が崩れ、同知事選では33年ぶりに与野党3極に分かれて対決することになる。投開票は27日。

 第一声では、各候補とも「大阪再生」を主張した。梅田氏は「これまでの府政が削ってきた福祉、教育、医療予算を回復させる」と語り、橋下氏は「『子どもが笑う、大人も笑う』を基準に、徹底的に府の事業を見直す」と約束。熊谷氏は「大阪をほっとけないという思いで公約を作った。その思いを府庁まで持っていきたい」と訴えた。

 主な争点は、5兆円の負債を抱える府財政の再建や、中小企業支援など産業振興策、小中学校での教育の在り方など。今年最初の大型選挙であり、次期衆院選に影響を与える可能性もある。前回、過去最低の40・49%だった投票率にも注目が集まる。

 前回選に続いての出馬となる梅田氏は、「政治とカネ」の問題で3選出馬断念に追い込まれた太田房江知事への批判を強め、知事与党だった自民、民主、公明の3党を「府民の格差と貧困を招いた」とけん制。「福祉都市おおさか」の実現を訴え、支持拡大を狙う。

 自民党の出馬要請を一度は断ったものの、一転して出馬に転じた橋下氏。自民、公明両党は府組織レベルでの支援にとどめて、政党色を薄める戦略を取る。陣営では「『おおさか』を笑顔にする」をキャッチフレーズに子育て支援などを訴えていく。

 熊谷氏は、民主党が「独自候補擁立」の方針を貫いて出馬を要請。労組に支えられての組織戦を展開する。公約では「大おおさか再興」と、産業振興に力点を置き、財界とのパイプも強調。選挙戦では民主党が党を挙げて全面的にバックアップする。

 同知事選では、1975年に「自民」「共産」「社会・公明・民社」がそれぞれ候補を擁立したのを最後に、非共産各党が「共産府政阻止」を掲げて歩調を合わせてきた。


大阪府知事選 第一声 熊谷貞俊氏
朝日新聞 2008年01月11日


「大阪のガリレオ」こと、熊谷貞俊です。

皆さんの知恵と、大阪の力、優しさ、夢をもとに、必死にマニフェストをつくった。大阪府の隅々まで人々に伝え、府庁までもっていきたい。

「大阪をこのままほっとかれへん」という思いだが、日本の未来、夢にも思いをはせている。日本全体が本当の政治、お笑いだけでない政治を求めている。

府知事選は、明日の日本を占う選挙でもある。海外からもたくさんの激励の言葉をもらった。日本から笑われる大阪にしてはいけない。世界から笑われる日本にしてはだめだ。

私は走ったら速い。(サッカーでは)最後の15分間にグラウンドで走っているチームが勝つ。足が止まったチームが負ける。最後まで走り抜いてがんばりたい。


液体炭酸散布で人工降雨 佐世保市、研究者に依頼へ
長崎新聞 2007/12/08


 水不足に陥っている佐世保市は七日、人工降雨の検討を始めることを明らかにした。飛行機で雲の中を飛び、液体炭酸を散布して氷の結晶を作り降雨につなげる方法を研究している九州大大学院工学研究院の西山浩司助教(39)に依頼する。

 同日の十二月定例市議会一般質問で、新たな水源確保を求めた明石功議員(公明)に朝長市長が「積極的に協議を進めるよう水道局に指示している」と答弁した。

 一九九四年から福岡県と共同で、自衛隊の協力を得て研究している西山助教によると、人工降雨には▽雲の厚さが一キロ以上▽雲の中の気温が零度以下-などの気象条件が必要。好条件下では九九年から今年一月まで六回実施したうち五回で降雨の成果を確認。

 具体的には液体炭酸約六百グラムを散布し約五十万トンの降雨があった。ただ、雲は移動するため、定点観測で何ミリの雨量に当たるのか計算は難しいという。また降雨は液体炭酸散布から約三十分後に始まる。目標地点に降らせるには、雲の移動の予測が必要となる。経費としては小型飛行機の運航代と液体炭酸代が必要だが、液体炭酸は一キロ約百円と安価という。

 朝長市長は「降雨が期待できるなら何度でも試みたい」。西山助教は「まだ実用化に向けての実験段階だが、要請があれば喜んで協力したい」と話している。
液体炭酸散布で人工降雨 佐世保市
newsing 2007/12/08


▽雲の厚さが一キロ以上▽雲の中の気温が零度以下が条件、「好条件下では九九年から今年一月まで六回実施したうち五回で降雨」「具体的には液体炭酸約六百グラムを散布し約五十万トンの降雨」と打率はいい様子。関東のダムと違い、北九州のダムは小さく、尾根ひとつ向こうで降っても、水道には使えないのは玉に瑕。降雨確率が高くても、もう一つの「ピンポイントで降らせる」課題が残る。


鳩山兄弟80億円損した!世界同時株安直撃
(2008年1月23日06時02分 スポーツ報知)


世界同時株安が進んだ22日、福田内閣NO1の資産家でもある鳩山邦夫法相(59)が「(株価急落で)40億円損したのでは」と語った。この日も東京株式市場は続落し、日経平均株価は752円89銭安で終値は1万2573円5銭を記録。2年4か月ぶりに1万3000円を割り込んだ。大損害を受けた邦夫氏だが、動じることなく「兄も損している」。実弟の“失言”に兄の由紀夫・民主党幹事長(60)は「法相なら対策の必要性を言うべき」と激怒した。

米国のサブプライム問題を端に発する世界同時株安は、政界のセレブ兄弟にも直撃した。邦夫氏は閣議後の記者会見で「(株急落で)40億円損したんじゃないかといわれている」と自ら切り出した。

昨年10月公表の閣僚の資産公開では、邦夫氏の資産は約7億3036万円で福田内閣の閣僚18人の中で断トツ。多数の株式も所持しており、大半を占めるのが、母方の祖父で世界的タイヤメーカー「ブリヂストン」創業者の故・石橋正二郎氏から生前贈与された同社株375万4000株。時価数十億円ともいわれるが、今回、年初からの株価急落で約40億円損したとみられる。

さらに、邦夫氏は兄の由紀夫氏もブリヂストン株を持っていることを踏まえ「でも、私が40億円損しているということは兄も40億円損しております」と問われてもいないことを話し出し、悲壮感なく苦笑い。「まあ『兄弟同時損害』ということでしょうね」と相変わらずのリップサービスで報道陣の笑いを誘った。

弟の発言を受けて、同社株約350万株を保有する兄の由紀夫氏は国会内で記者団に囲まれた。最初は「余計なことを話す人だな…」とあきれ気味に語っていた。だが、世界中の株主が青ざめる急激な株安という深刻な事態での「KY(空気読めない)」な実弟の失言に、怒りがこみ上げてきたのか「日本として株価対策を講じなきゃいけないってことでしょう。法相はそれを言うべきだったんじゃないですか」と吐き捨てるように言った。

あまりにもスケールが大きい兄弟で80億円の大損。閣僚は株式の売買が禁じられているが、祖父から受けた財産だけに邦夫氏は「(株を)売るわけじゃないから…」と売却の意思はなし。由紀夫氏も同様の意見で「(損した)実感はない」とサラリ。セレブ兄弟に世界同時株安の影響はなかったようだ。


鳩山法相7億円でトップ 閣僚の資産公開、平均1億1695万円
IZAニュース 2007/10/26


福田康夫首相と閣僚の計18人が26日、9月末の内閣発足時の保有資産を公開した。配偶者らの分を含めた総資産の平均は1億1695万円。計7億3036万円で断然トップの鳩山邦夫法相が押し上げる格好で、安倍前内閣発足時の平均9136万円から約2500万円以上増えた。首相は7211万円で8位だった。

2位は舛添要一厚生労働相の3億6149万円で、資産1億円超は4人。最下位は渡辺喜美金融・行革担当相の403万円だった。

鳩山氏は、東京都文京区にある敷地面積約1300平方メートルの自宅のほか、長野県軽井沢町に別荘、埼玉県八潮市に土地を保有。ことし2月には自らの選挙区である福岡県久留米市にもマンションを購入した。定期預金や国債などは計約2億円に達し、資産の集計対象ではないものの時価数十億円とみられるブリヂストン株375万株など多数の株式も所持している。

舛添氏の資産は約3億2000万円の公社債が主体。首相は、東京・野沢にあるマンションの私邸と、地元の群馬県高崎市に持つ宅地、貸家が資産の大半。

首相の金融資産は貴代子夫人の保有分と合わせても定期預金計480万円だけだった。

副大臣、政務官の資産も同時に公開。副大臣25人の総資産は平均1億2846万円で、より当選回数が少ない「若手」の政務官26人は平均5372万円だった。

今回は、安倍改造内閣の資産公開も兼ねており、8月末の改造で新たに入閣し福田内閣で再任されなかった与謝野馨前官房長官(1億4524万円)、改造後1週間で辞任した遠藤武彦前農相(890万円)らについても公開された。


正念場の2年目を迎える東国原県政
2008年1月23日 オーマイニュース


2007年1月21日、出直し知事選挙で26万6807票を獲得し、第17代東国原英夫宮崎県知事が誕生した。就任2日後の1月23日には、宮崎県日向市の養鶏場で鳥インフルエンザが発生するもすばやい対応をとり、その後、鶏肉の消費を拡大させることに成功し、4月20日時点での知事支持率は86.7%(宮崎日日新聞社調べ)となった。その後の宮崎県や東国原知事の様子は、連日報道されている通りである。その東国原県政が、1月23日で1周年を迎える。

 1 周年を前にした1月20日は、北川正恭前三重県知事ら新旧の首長や識者が「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(代表・北川正恭氏、)の設立を正式発表した。略称を「せんたく」というらしい。 この記者会見において東国原知事は「政権や政治家を選択する基準となるよう、分かりやすい政策の提示を与野党に強く働きかけたい」と意欲を語っていた。

 地域や生活者視点から政策を作り直すことは大いに結構なことだが、「分かりやすい政策の提示を与野党に働きかける」前に、県政においてやらなければならない課題が山積である。

■東国原知事人気を支えているもの

 宮崎日日新聞社の2007年12月の調査では、知事支持率は93.6%。しかしこの数字は、東国原知事が行ってきた政策を県民がつぶさに見てきた結果ではなく、マスコミに乗せられた知事人気が優先された結果ではないかという気がする。

 大手マスコミの報道を見ると、東国原知事の人気度を表すひとつの指針として、テレビ出演回数や新聞・雑誌等の取材回数の多さを取り上げている。大手広告代理店では、テレビなどのPRによる経済効果などをはじき出している。

 宮崎県には民放が2局しかなく、宮崎県民より県外の人のほうが情報をよく知っているという逆転現象も起きている。県外から知事見たさにやってくる観光客を冷ややかな目で見ている県民も少なくないが、当の県民にも問題はあることは確かである。

■宮崎県の県民性にも問題あり?

 県民性を方言で表すと、「てげよだきいこつはせん。てげてげにすいや」である。

 「とても面倒なことはしたくない。適当にしようや」である。人が作ったレールには簡単に乗って、文句のひとつやふたつを言いながら後からはついていく。でも、何もないところに自分でレールを敷いてみんなを引っ張っていこうとすることはしない。すべてにおいて「よだきい(面倒くさい)」からである。

 この「てげてげ精神」はよい意味でも悪い意味でも使われるが、県政に関してはどうであろうか。

・入札・契約制度改革で打撃を受けた建設業対策
・医師不足解消のための対策
・観光・農畜産業以外への経済効果の波及
・県内の雇用問題
・高千穂鉄道への財政支援の断念

 数を上げればキリがないが、やらなければならないことが多いのは確かである。私も「宮崎県事業仕分け委員会」の公募委員の1人として、県の事業の仕分けを行ったが、それも県が行っている事業の数パーセントに過ぎない。県民を巻き込んだ県政運営としては注目されたのだが。事業仕分け委員会が、中間提言を行ったあたりから県民世論の高まりが見られた。

 「宮崎県産業開発青年隊」の事業を不要とした提言に対し、建設業界から反発を受け、期間を限定して民間委託という形で存続されることとなった。しかし、産業開発青年隊への応募が思った以上に集まっていない。あれほど反発した建設業界も、事業の存続が決まったことで安心したのだろうか。それとも、入札・契約制度の改革で対応ができなかったのだろうか。これでは、最初から「不要」にしていたほうがよかった。

 建設業界は、「誰かがやってくれるだろう」という「てげてげ精神」の表れ。県民性を変えるのは容易なことではないかもしれないが、せっかく存続した事業である。県に協力していこうとする態度は示してほしいものである。

 しかし、県政も悪いことばかりではない。例えば、県内の若手行政マンたちが「Miyazaki fun! network」(通称:Mf net、代表:松木孝仁)を立ち上げ、2007年9月より、講演とワークショップを組み合わせた自主勉強会を行っている。毎回、30から50人の参加があるとのことである。若い世代では、「このままではいけない」という危機意識が強いのか、今後の宮崎の望ましい姿をめざしているところである。

 「2年目が正念場」ということばがよく使われるが、東国原知事同様、私たち県民も正念場である。東国原知事にはもっと県民を見てもらいたい。県民生活の実態をもっと知ってほしい。と、同時に、私たち県民も、東国原県政で行われようとしている政策を見守っていかなければならない。お互いをもっとよく見直していくことで、県民の意識改革が進んでいくのではないか。そろそろ、「てげてげ精神」は返上したいものである。


五輪=マラソンのゲブレシラシエ、大気汚染理由に北京大会欠場
アディスアベバ(エチオピア) 2008/3/10 ロイター


男子マラソンの世界記録保持者、ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が10日、中国の大気汚染を理由に、8月に開催される北京五輪で同種目を欠場すると発表した。

ぜんそくを持つゲブレシラシエはロイターの電話取材に対し「中国の汚染は自分の健康にとって脅威。現在のコンディションでは、42キロを走るのは困難」とコメント。

しかし、北京五輪自体を欠場するのではなく、男子1万メートルの競技には出場するという。


日本の歴史教科書への世論 「中国人への侮辱」96%
「人民網日本語版」2005年4月12日


中国社会調査所はこのほど、日本の歴史教科書検定をめぐる問題について、電話での世論調査を行った。調査対象は、北京、上海、広州、南京、瀋陽、武漢、長沙、貴陽、西寧などの市民1千人。

11日に発表された調査結果によると、日本政府のやり方について、「歴史を著しくわい曲している」との回答が93%の割合を占めた。「中国の国民の感情をひどく傷つけた。中国の国民感情に対する蔑視、侮辱だ」との回答は96%に達した。

また、回答者の81%が「日本政府のやり方は、公然とした世界平和への挑発であり、世界平和や調和を破壊する歴史的罪人だ。もし独断専行するなら、自業自得の結果を招くのは必至だ」としている。

「是非を混同し、白黒を倒錯した自らの行為に対し、日本政府が徹底的に反省し、謝罪するよう求める」との意見は97%を占めた。(編集SN)


社説:マラソン代表 夢膨らむ北京でのメダル
毎日新聞 2008年3月11日 東京朝刊


 5カ月後に迫った北京五輪の男女マラソンの代表6選手が決まった。日本のメダルが有望で、注目の高い種目だけに、選考を巡って紛糾したことも少なくない。今回は過去の反省も踏まえ、選考経過がガラス張りにされていたこともあり、すんなりと男女各3人の代表が選ばれたようだ。6選手が8月、北京の街を快走してくれることを期待したい。

 マラソンの代表選考を難しくしているのは、コースも気象条件も異なる複数の選考レースの中から最強の選手を選ぶことにある。選考レースを一本化すれば、あと腐れなく代表を選ぶことができるメリットがある。だが一方で、地域の人々に支えられ、歴史と伝統を刻んできたマラソン大会が各地に並立することで、多くのマラソンランナーが育ち、世界と戦える「マラソン王国」を築き上げた歴史もある。

 これらを総合的に考えれば選考レースの一本化は必ずしもベストの方法とはいえない。

 その観点から今回の五輪代表の顔ぶれを見ると、昨年夏の大阪世界陸上と国内主要大会で実績を残した選手が順当に選ばれており、ベテランから新鋭まで日本マラソン界の層の厚さを感じさせてくれる人選だ。

 とりわけ女子マラソンは00年シドニー五輪の高橋尚子選手、04年アテネ五輪の野口みずき選手の金メダルに続く五輪3連覇の期待がかかる注目種目だ。女子マラソン初の五輪連覇を目指す野口選手と、大阪世界陸上での粘り強い走りで銅メダルを獲得した土佐礼子選手の実績は申し分ない。9日の名古屋国際を制した21歳の中村友梨香選手は初マラソンながら30キロ以降の5キロごとのラップタイムを16分台に上げたスピードと持久力が魅力で、豊かな将来性を感じさせてくれる。

 92年バルセロナ五輪での森下広一選手の銀メダル以降、メダルから遠ざかっている男子は、昨年の大阪世界陸上5位の尾方剛、同6位でびわ湖毎日3位の大崎悟史、福岡国際で日本人トップの佐藤敦之の3選手。いずれも五輪は初出場だが世界選手権の大舞台は経験しており、北京でのメダル獲得に挑む。

 「あきらめなければ夢はかなう」と9日の名古屋国際に挑んだ高橋選手は、残念ながらレース序盤から失速し、アテネ五輪に続いて五輪切符を逃した。限界説も一部でささやかれたが、いつものさわやかな笑顔で現役続行を宣言した。

 陸上競技で日本女子に初めての五輪金メダルをもたらした高橋選手は、女子マラソンを隆盛に導いた最大の功労者だ。先輩の五輪メダリスト、有森裕子さんが身をもって示している通り、走り続けることで多くの人を感動させる道は五輪だけではない。今後もさわやかな走りで日本中に元気と勇気を広めてくれることを期待したい。


コース変更なら出場するかも=北京五輪マラソンでゲブレシラシエ
【北京 2008/3/13 AFP=時事】


BBCスポーツが13日報じたところによると、北京五輪のマラソンに出場しない意向を表明した男子マラソンの世界記録保持者ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)は、コースが変更になるなら、出場を再検討することを明らかにした。(1枚目の写真は今年1月、ドバイ・マラソンで優勝したゲブレシラシエ)

 ぜんそくの持病があるゲブレシラシエは、大気汚染を理由に北京五輪ではマラソンを回避することを決めた。代理人は「マラソン出場は99%ない」と語っている。(2枚目の写真は12日、大気汚染のため、かすんで見える北京五輪主会場)

 ただ、BBCによれば、ゲブレシラシエは「現時点ではいかなる可能性も排除したくない。国際オリンピック委員会(IOC)がコースを変更すれば、私の仕上がり具合によっては出場したい」と述べた。

 これについて、北京五輪組織委員会は「これまでのところ、マラソンコース変更の要望は受けていないし、変更する計画もない」と説明している。


チベット騒乱で北京五輪ボイコット?
スポニチ 2008年03月15日


北京五輪に“黄信号”が点灯した。中国チベット自治区のラサで14日、僧侶を中心とした抗議活動が拡大。警察車両や店舗が燃やされ、戦車が突入する異常事態となった。ラサ市内ではチベット動乱から49年となった10日からデモが発生。チベットと中国は五輪の聖火リレーをめぐっても激しく対立しており、8月8日の五輪開幕に暗い影を落とし始めた。

 血が流れ、銃声が響きわたった。14日にラサ市内をデモ行進していたのは僧侶と住民合わせて約400人。ハンガーストライキに入っていた僧侶2人は、抗議の意をアピールするために自ら手首を切って重体となった。パトカーや道路に駐車してあったバイク、さらには店舗に火が放たれると市内は騒然。AP通信が現地にいる米国人の話として伝えたところによると、警察と軍は群衆に向かって発砲したとされている。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は「戒厳令が敷かれたラサ暴動(89年)以来、最大の抗議行動。隣接する青海省にも広がっている」と指摘。米政府系放送局は、デモ隊に警察が発砲、少なくとも2人が死亡したと報じた。

 抗議活動の狙いは、中国政府による弾圧(同政府は否定)からの解放と独立を勝ち取るためだが、チベット民族を蜂起させた一因は五輪の聖火だ。中国政府は聖火リレーのハイライトとして、4月末から5月初旬にかけて世界最高峰のチョモランマ(8848メートル)へのアタックを計画。しかし同民族にとって世界の屋根は“聖地”でもあり、中国政府の方針には断固反対の立場を取っていた。10日には人権保護を訴えるチベット系活動家がギリシャ・オリンピア遺跡で“採火式”を強行。北京五輪組織委員会へ抗議の意思を示すとともに、自らの手でともした火をチョモランマに持ち帰ろうとして話題になった。米サンフランシスコ在住のチベット系住民は「当地での聖火リレーを阻止する」と表明。聖火をめぐるチベット対中国政府の対立図式はグローバルなものになっていた。

 騒動が長期化すれば五輪開幕に影響を及ぼすのは必至。ただでさえ欧米では中国の人権問題に異を唱える動きが強まっており、80年のモスクワ、84年のロサンゼルスの両五輪と同じように各国のボイコットにつながる危険性もある。当初、中国側は沈黙を守っていたが新華社はついに一連の混乱を報道。五輪というスポーツの祭典を目前に控えた中国政府は難しい対応を迫られることになった。


■■■


■■■


■■■


■■■

English


English


Home Control Counter
web trackers
Pictures References mybb2.com GoStats.com
Google msn Yahoo