日本の陰謀 (2) 参照一覧 027


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日本テレビ 世界の果てまでイッテQ

Q:アホウドリって本当にアホなの?

A:アホウドリはスゴイお人好しだけどアホではない!

アホウドリ(英名:アルバトロス)。
ミズナギドリ目・アホウドリ科に分類される全長およそ1メートルの大型の海鳥。
阿呆鳥(アホウドリ)のアホとは字のごとく、愚かなことを意味するアホから来ている。
果たして、アホウドリはどの様にアホなのか?
そんな疑問を寄せてくれたイッテQキッズは、
趣味がバードウォッチングで、鳥大好きな少年、森田麟將(りんしょう)君。
鳥好きな麟將でも、アホウドリは図鑑でしか見た事がないと言う。
実はアホウドリは、日本にもいるが特別天然記念物に指定されていて、
簡単にはお目に掛かれない幻の海鳥なのだ!

そこで我々は、各国のアホウドリ保護団体に協力を要請!
すると、オーストラリアの保護団体が協力してくれるという・・・
サポーター金子貴俊と麟將はオーストラリアへ向かった!

やってきたのは、シドニーの南に位置する街「ウロンゴン」
ウロンゴンの美しい海にアホウドリは生息しているのだ!
早速、今回の疑問に協力してくれるアホウドリ研究家のリンゼーさんのもとへ。
リンゼーさんは、アホウドリ保護団体のリーダー。
主な活動は、絶滅寸前のアホウドリに番号の付いたタグを取り付け、
年齢や大きさ、繁殖率などを調査し、世界中の保護団体と情報交換をしながら、
アホウドリの保護に努めること。

リンゼーさんからアホウドリの情報を得た2人は、生息地へ向かう事に!

翌朝、幻のアホウドリを求め沖へ船を出し、いざ出発!
アホウドリは海鳥の為、繁殖期のわずかな期間以外は海上で生活しているのだ。
沖に出て、2人を出迎えてくれたのはアザラシやクジラ、更にイルカの大群!

遂に、幻のアホウドリを発見!
2人はリンゼーさんから、まずはアホウドリの「素晴らしい所」を教えてもらう事に。

アホウドリの素晴らしい所 その(1) ~飛翔能力~
飛翔能力は、鳥の中でNO.1!
グライダーのような細く長い翼を持ち、風を捉えるのが抜群にうまい。
この飛び方を「帆翔(はんしょう)」と呼び、
体力を使う事無く24時間以上一度も着地せずに飛ぶ事ができるのだ!

アホウドリの素晴らしい所 その(2) ~一途な愛~
アホウドリは繁殖時期になると島に上陸。
お互いを知る為に求愛のダンスを行い、生涯のパートナーを見つける。
そして一度パートナーとなったカップルは、相手が死ぬまで愛し続けるのだ。

しかし、そんな素晴らしさを全て打ち消すほどのアホぶりが明らかになる!
リンゼー「アホウドリがアホって言われるのは、警戒心が全く無いからなんだ」

実はアホウドリはほとんど海の上で生活している為、天敵がいない。
それ故に、警戒心と言うものが全く無く、簡単に捕まえる事が出来るのだ!

アホウドリを捕獲する為、大好物の牛ひき肉を海にまく。
すると、沢山のアホウドリが船の周りに集まってきた!
リンゼー「よーし、あとは網ですくうだけだ」
金子「網で本当に捕れるんでしょうか?」

鳥の中でNO.1の飛翔能力を持つ野生のアホウドリが、
網で簡単に捕まえられるなど信じがたい…

ターゲットのアホウドリを決め、狙いを定める金子。
そして、網をアホウドリ目掛けて振り下ろす・・・!!!

あっさりとアホウドリの捕獲に成功!
金子「簡単に捕まっちゃいました、でも大人しいね。
   アホって言うより、お人好しなんだよね」

アホウドリは、簡単に捕まるアホな鳥と言われたところからその名が付いた。
この習性を知った人間は、19世紀後半から羽毛採集の為だけにアホウドリを乱獲。
その数は激減し、わずか50年で絶滅の危機へと陥ったのだ。
現在は世界的に保護され、羽毛採集は行われていないがいまだに数は減少し続けている。
その大きな要因となっているのは、漁業で使う延縄だとリンゼーさんは言う。
釣り針がくちばしに引っ掛かり、水死やケガで命を落とすアホウドリが あとを絶たないのだ。
更に、人間が海に流したプラスチックやゴミなどを、
エサと間違えて生まれたばかりのヒナに与え、死に至るケースも問題となっている。

リンゼー「アホウドリは決して愚かな鳥ではない。
アホウドリを絶滅させてしまう人間の方が遥かに愚かな生き物だ…。
でも、まだチャンスは残されている!」
というわけで結論!

アホウドリはスゴイお人好しだけどアホではない!


鹿児島市長選、投票率最低 論戦深まらず関心薄
南日本新聞 2008 12/01


30日投開票された鹿児島市長選の投票率は25.47%で、2004年の前回(40.76%)に比べ15.29ポイント減となり、過去最低を記録した。有権者の7割以上が投票を棄権したことになる。2期目の当選を果たした森博幸氏(59)は、60万県都の首長として十分な信任を得られたとは言い難く、今後のかじ取りに不安を残す結果といえる。

 今回は候補者が2人と少人数にとどまったことに加え、人工島建設のような明確な争点も浮かび上がらなかった。さらに、衆院解散・総選挙の先送りも、選挙への関心をそいだ一因とみられる。

 現職の森氏は8月に立候補を表明。自民、民主、公明、社民の推薦を相次いで受け万全の態勢で臨んだ。一方、共産党が桂田美智子氏(55)を公認候補として擁立したのは11月の告示2週間前。出遅れが響いた。

 選挙戦では、両候補とも投票率の上昇を目指し、街頭演説を多く打ち広く市民に声を届けることに力を注いだ。だが最後まで論戦は深まらず、市民の関心を喚起することはできなかった。

 期日前投票では旧5町の投票者数が伸び悩んだ。最も落ち込んだのは桜島支所で前回比65%減。桜島藤野町の男性(43)は「合併後、選挙に対する関心が低下している気がする。今回は、行かなくても現職が当選するのでは、という雰囲気が漂っていた」という。

 鹿児島大学法文学部の平井一臣教授(政治学)は「政党が相乗りして現職を推薦するなど、対立軸が不明確だった。桂田氏は森氏に勝てるだけの論点を打ち出せず、有権者にとっては結果の見える面白みのない選挙になった」と分析する。

 「投票率の低さは森氏が言う『市民とのパートナーシップ』に対する有権者からのシビアな回答とも受け取れる。空洞化が目立つ中心市街地の活性化や医療、福祉の問題をどうするのか。今後4年間が正念場だ」と話した。


ダイエットエステ業界発展の一端は、ハコ物行政「沖縄海洋博」失敗から?
Livedoorニュース 2007年04月07日


昭和50年7月、通産省の主催で沖縄海洋博の幕が開いた。沖縄出身の歌手・仲宗根美樹さんの夫・白橋栄治氏は地元の政財界の人々の協力を得て、海洋博会場入り口にショッピングセンター「ビックマート」(230店舗)を開設した。ところが、時期がオイルショック直後だったということ、海洋博自体が不人気であったことなどから、白橋氏の事業は破綻した。

 マスコミは「沖縄県民にあやまれ」などと白橋氏と妻の仲宗根美樹さんを猛攻撃。仲宗根美樹さんは、そのときのマスコミの猛攻撃の理由について、1)地元の放送局が建設したショッピングセンターも破産、2)日本の政界の巨頭が役員をしていた3000床からなるホテルも建設中にストップ、3)那覇市内のホテルも、大量の観光客を当て込んだものの、完全に当てがはずれたなどと説明。

 白橋夫妻は「事業の失敗は、沖縄県民にあやまって済むものではない」と考えたことはもとより、負債を抱えた現実を見据え、食べていく手段として、美容学校の経営を思い立った。事業の失敗に打ちひしがれている夫妻に、ある著名な財界人が「いまが君たちにとってチャンスだよ。この体験を自分のものにしなさい」と言ってくれたことが、白橋夫妻が、美容学校経営に乗り出したきっかけだったという。

 昭和50年12月、東京・神田に「東京エレガンスルーム」開業。開業の目的は、いままでの美容よりも、一歩進んだ美容法を考え、実践することであった。昭和52年12月、当初の目的に一歩ずつ前進する意味で、銀座の目抜き通りに「仲宗根美樹<審美容>サロン」を開設。店舗の命名は、白橋氏が、「仲宗根美樹の名前を看板にしよう」という一言だった。その看板がマスコミで話題となり、テレビや週刊誌で紹介され、より広範囲の人に知ってもらうことができた。

 テレビなどの紹介が功を奏し「わたしたちにも看板を分けてください」と、視聴者や読者から要望する声が出はじめた。夫妻は視聴者らに看板を分ける方法として、都市の郊外で人気を呼んでいる外食産業を研究したり、スーパーマーケットの方式を参考にしたりした。だが、美容というのは、封建的な要素を残した徒弟制度の世界であることから、応用できる分野が見当たらなかった。そこで、独自のものと思い、思いついたのが、ボランティアチェーン方式であった。試行錯誤する中、ボランティア方式はどうもぴったりこない。そこで、さらに考えたのがフランチャイズ方式だった。

 以上は、記者が今から30年前に、仲宗根美樹さんが経営する美容学校の入学式のときに、仲宗根さんから、直接聞き取った内容である。記者は歌手・仲宗根美樹さんがテレビに出演し、歌を歌うのではなく、「審美容」という何だか聞き慣れない言葉と、歌手が経営する「審美容サロン」に関する情報に引き込まれ、仲宗根美樹夫妻が経営する美容学校に入学した。入学して教わったことは、「審美容」とは、従来ある美顔術(顔の施術)に加え、女性の体をシェイブアップするための痩身法(ダイエット)や、痩身のための一助となる痩身器具が開発されたことであった。もちろん、審美容師(現在の呼称は、エステティシャン)として基礎知識、解剖学、人体生理解剖、皮膚の生理解剖、電気生理学、心理学、香料品学なども教わった。記者はその後約20年間、審美容のコンセプト(総合美を創造する美容、科学性を持った美容)を基本として、エステ業務に携わった経緯がある。

 記者のエステ(審美容)へのかかわりはさておき、当時、仲宗根美樹さんが個人経営する美容サロンについて、多数のテレビ局が一丸となるかのように、仲宗根美樹さんの事業を支援していた。著書「今なぜ審美容なのか いい顔、いい肌、いい女」には、NHKが仲宗根美樹さんの事業を取り上げてくれたと記されている。このような宣伝行為は、現在のマスコミの報道体制・規制とは、まるで違うように思う。

 沖縄海洋博は、典型的な箱物行政だという声も多い。国の箱物行政の失敗から、財界人の後押しもあり、白橋夫妻の負債の資金捻出のために新天地を切り開いたようだ。現在のダイエットエステ業界の発展のきっかけは、ハコ物行政の失敗からということだろうか。


バングラデシュ:総選挙に向け、非常事態宣言解除
毎日新聞 2008年12月18日


バングラデシュ暫定政府は17日、07年1月に発令した非常事態宣言をほぼ2年ぶりに解除した。29日に実施予定の総選挙に向けた措置。宣言発令は、2大政党のアワミ連盟(AL)とバングラデシュ民族主義党(BNP)の暴力的対立が理由だったが、非常事態下で新たな政治勢力は育たず、両党による旧来と同じ構図の選挙戦になりそうだ。

 ALのハシナ元首相とBNPのジア前首相は非常事態宣言後、暫定政府による汚職摘発を受けて拘置状態にあったが、11月までに両氏とも釈放された。


大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづる kemukemu
「川は流れる」 横井弘【作詞】 桜田誠一【作曲】


病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 
街の谷 川は流れる 
ささやかな 望み破れて 
哀しみに 染まる瞳に 
黄昏(たそがれ)の 水のまぶしさ

思い出の 橋のたもとに 
錆びついた 夢のかずかず 
ある人は 心つめたく 
ある人は 好きで別れて 
吹き抜ける 風に泣いてる

ともし灯も 薄い谷間を 
ひとすじに 川は流れる 
人の世の 塵にまみれて 
なお生きる 水をみつめて 
嘆くまい 明日は明るく

昭和36年、「川は流れる」は
仲宗根美樹によって歌われヒットした。

流れる川をみつめ、
哀しみの中にも、
ささやかに希望を見い出そうとする・・・


バングラデシュ:ハシナ氏、首相返り咲きへ 総選挙
毎日新聞 2008年12月30日


バングラデシュ選挙管理委員会は30日、7年ぶりに実施された総選挙(1院制、300議席)で、ハシナ元首相(61)率いるアワミ連盟(AL)が絶対安定多数の3分の2以上の議席を獲得し、地すべり的勝利を収めたと発表した。ハシナ氏が7年ぶりに首相に返り咲く見込みとなったが、前政権のバングラデシュ民族主義党(BNP)は「多くの不正行為があった」と非難を強めている。

 現地からの報道によると、投票率は約70%。開票を終えた295議席のうちALは229議席、BNPは27議席にとどまっている。在ダッカの各国大使館員ら2500人が国際監視員として投票所や開票所を監視した。

 ALは、1日1ドル以下で生活する国民が人口の4割も占める貧困問題の改善と、民間部門を活用した開発拡大を訴え、貧困、富裕の両層から幅広い支持を集めたとみられる。

 ハシナ氏は選挙結果が最終確定した後、支持者らを前に勝利宣言をする予定だ。

 一方、BNPのジア前首相(63)は選挙期間中、「メディアをコントロールする見えざる手によって、わが党が不利になっている」と述べ、AL側に有利な報道が目立つと懸念を表明していた。

 同国はかつて、ガンジス川がもたらす肥よく土によって「黄金のベンガル」と呼ばれ、世界有数の農業地帯だった。しかし、71年にパキスタンから独立して軍政に移行し、初めて実施された91年の総選挙以降、BNPとALが選挙のたびに政権を奪い合ってきた。汚職やテロなどの暴力に国民は悩まされている。

 新首相就任が確実となったハシナ氏は、「新生バングラデシュ」を唱えてALを勝利に導いただけに、旧弊を断絶する強い指導力が期待されている。


世界人権宣言(仮訳文)
外務省


前  文

 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、
 諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
 国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、
 よって、ここに、国際連合総会は、
 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と尊守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。

第一条
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第二条
1  すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2  さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

第三条
 すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

第四条
 何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

第五条
 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

第六条
 すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

第七条
 すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

第八条
 すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

第九条
 何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。

第十条
 すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第十一条
1  犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2  何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

第十二条
 何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

第十三条
1  すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。
2  すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。


国連総会に同性愛の非犯罪化求める宣言案提出、66か国が賛同
AFP BBNews 2008年12月19日


18日の国連総会(UN General Assembly)本会議で、同性愛の非犯罪化を求める宣言案がアルゼンチンのJorge Arguello国連大使によって提出された。加盟国192か国のうち、66か国が署名したが、アラブ諸国の一部やバチカンは拒否した。

 宣言案では「性的指向や性同一性がいかなる状況でも極刑や逮捕、拘束を含む刑罰の根拠とならないよう法的および行政的を含めたあらゆる必要措置を取ることを求める」と述べられている。

 この宣言案は、世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)が基礎となっている。同宣言第1条では「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたわれており、続く第2条でも、「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」とされている。


パウエル米長官が到着 日中韓3カ国歴訪
47NEWS 2004/10/23


パウエル米国務長官は日本、中国、韓国の3カ国歴訪のためワシントンを出発、23日夕、東京に到着した。  長官は24日までの滞在中、町村信孝外相らと会談し、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議や在日米軍再編問題などについて協議。その後、北京、ソウルを訪れ26日に帰国の途に就く予定。


新潟中越地震、小泉首相の対応は
JANJAN 2004/11/14


10月23日6時56分、新潟県北魚沼郡川口町川口(東京青山、震度3)で震度7(マグニチュードは6.8)の地震が発生した。

 阪神・淡路大震災と同じ震度7の地震だが、11月10日までに震度5弱以上の揺れが15回観測されるなど、大きな余震が続いている。

 阪神・淡路大震災への初動対応の遅れで批判された村山富市内閣の反省のもとに、『災害対策基本法』は、「災害発生時の情報収集体制及び内閣総理大臣等への情報連絡体制を整備」と「内閣総理大臣を本部長とする『緊急災害対策本部』の体制強化や本部長の権限の強化等」を内容とした、全面的な改正を行った。

 今回の新潟中越地震では、「災害発生時の情報収集体制及び内閣総理大臣等への情報連絡体制」は有効に機能し、政府関係者の初動の対応は早く、地震発生の4分後には、首相官邸の危機管理センターに「官邸対策室」が設置され、10分後には第17回東京国際映画祭のオープニングセレモニーに出席していた小泉首相に、連絡が届いた。

 しかし、小泉首相は、すぐに会場を後にすることは無かった。小泉首相が腰を上げるまでに、震度5弱以上の揺れが8回も起きた後の午後7時8分、実に地震発生後から72分後だった。官邸・消防庁・自衛隊等の初動対応とは対照的だった。

 震災発生から13時間54分後の10月24日、村田吉隆防災相を本部長とする「新潟県中越地震非常災害対策本部」が設置された(阪神淡路大震災時は、4時間14分後)。しかし、内閣総理大臣を本部長とする緊急災害対策本部は、11月10日現在にいたるも設置されていない

 『緊急災害対策本部』の設置要件を、政府は、阪神・淡路大震災や関東大震災などの都市における直下型大震災を想定しているが、『災害対策基本法』は、第28条の2で『著しく異常かつ激甚な非常災害が発生した場合において』と規定している。

 前述したように、今回の震災は、震度5弱以上の揺れが15回(11月10日現在)も続き、住宅の浸水や土石流災害が心配される天然ダムなどは、『著しく異常』に該当するのではないかと思われる。大都市で起きた震災と違い山間部で発生した今回の地震の被災者は、人数こそ比べれば少ないかもしれないが、何十万分の一であろうと何万分の一であろうと、被災した個人にとっては「被災率100%」である。

 小泉首相は、10月26日(この日は、衆議院本会議で新潟中越地震の集中審議を行ったが、小泉首相は欠席した)に現地視察を行い、翌27日の党首討論に臨み、「いろいろな要望にどの程度こたえることができるかということに対しましても、地方の、地元の団体そして政府関係府省、緊密に連携をとりまして、どのような支援ができるかと、同時に、できるだけ支援者の声にこたえるような対策を練っていきたい」「さらに、現地に行って私が感じたことでありますけれども、・・・地方公共団体の防災担当者も支援ができるのではないかという声を聞いておりますので、当該新潟県のみならず、自衛隊、消防、警察のみならず、関係地方団体のいわゆる防災担当者も新潟の支援担当者を支援する態勢ができないかということで、総務大臣にも、各地方団体に協力を要請しろと。もういろいろな声を率直に伺って、何ができるか、何をしなければならないかということを、これは与野党の立場を超えて、協力して考えていかなきゃならないと思っております」(46分中、新潟中越地震に触れたのは4分18秒〈約9%、1156文字〉)と述べ、具体策は提示しなかった。

 映画見たさとしか思えない、小泉首相の初動の対応。衆議院本会議での新潟中越地震集中審議の欠席。被災地視察後の党首会談での、「どのような支援ができるかと、同時に、できるだけ支援者の声にこたえるような対策を練っていきたい」の発言。土曜日とはいえ、10月30日に3時間近くかけて、福田康夫前官房長官の長男の結婚披露宴に出席などの行動が、適切な救援ができず、防げたであろう二次災害を拡大したのではないかと思えて仕方がない。

 また、自衛隊が被災者支援や応急復旧で活動をしているが、11月7日、小泉首相が出席した、自衛隊50周年記念観閲式には、約4200人の自衛官、戦車や装甲車など約230両、戦闘機や対戦車ヘリなど66機が動員された。陸・海・空の3自衛隊は、66機が6日間の訓練と観閲式飛行で、延べ飛行時間約680時間を費やした。これらを災害対策に向けられたら、地震関連死が、倒壊を免れた住宅が、錦鯉が、牛が等々、もっと救済出来たのではないかと思わずにいられない。

 自衛隊が設営した宿泊用テントの利用が始まったのは10月30日、地震発生から7日目だった。当初自動車内に避難して寝泊まりする人が多く、エコノミークラス症候群が原因と見られる死亡者がでた。また、崩落した土砂が川の水をせき止め、“天然ダム”が45か所出現、このうち全村民が避難している山古志村だけで32か所に上った。(国土地理院、11月2日発表)

 天然ダム対策は、山古志村種苧原地内和田川の堰止められたカ所を応急復旧し、10月28日、湛水状況を解消した。しかし、山古志村の芋川流域の『天然ダム』5カ所は規模が大きく、倒壊をまぬがれた住宅を水没させてしまった。芋川流域の山古志村寺野地区、東竹沢地区の砂防事業について、緊急的に国が、直轄で実施することとし、「中越地震復旧対策準備室」を設置したのは、地震発生から13日後の11月5日だった。

 総理大臣(本部長)の権限の強化した『緊急災害対策本部』や『緊急災害対策現地本部』を設置し、自衛隊の宿泊用テントを24日から利用していたら、天然ダムの水量が少ないうちに通水路を確保していれば、との思いが募る。

 中央防災会議は(小泉首相が委員長)、『国民の生命・身体・財産を保護することは国政の最も重要な責務』と規定している。また、首相は、緊急・非常災害対策本部の設置、緊急・非常災害現地対策本部の設置など、災害発生時に重要な役割を担ってる。首相の危機管理意識が問われている。

 これからも起こるであろう余震による被害、積雪対策など、早急に行わなければならないことは山積みで、阪神・淡路大震災の教訓を生かし、改正された災害対策基本法などを有効に生かし、対処して欲しいものだ。


首相、再開期日言えない ライス長官と会談
47NEWS 2005/3/19


小泉純一郎首相は19日午後、来日中のライス米国務長官と都内の外務省飯倉公館で会談した。  焦点の米国産牛肉の輸入再開問題で、長官は「米国では既に重大な問題になっている。緊急に解決すべきだ」と早期再開を求めた。首相は「再開期日を言える問題ではなく、しっかりと必要な国内手続きを踏み、基準に基づいて進めていく」と、「食の安全」を重視する姿勢に理解を求め、擦れ違いに終わった。 両者は北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の早期再開に向け、緊密に連携する方針を確認。長官は日本の国連安全保障理事会常任理事国入りへの支持を重ねて表明した。


米国で住宅地に旅客機墜落、住民1人含む49人が死亡

ロイター 2009年2月13日


米ニューヨーク州バッファローの住宅地に12日夜、小型旅客機が墜落し、乗客・乗員48人全員と地上にいた1人の合わせて49人が死亡した。現地の新聞やテレビが伝えた。

 事故を起こしたのは国内便コンチネンタル・エクスプレスで、ニュージャージー州のニューアーク空港からニューヨーク州バファローに向かっており、バファロー空港から6マイル(10キロ)の地点に墜落した。

 墜落現場では住宅などを巻き込んで炎上している。事故当時、現場は悪天候でみぞれが降っていた。

 事故機はボンバルディア製で、ピナクル航空の子会社であるコルガン・エアーが運行していた。

 ニューヨーク・タイムズ紙が現地の当局者クリス・コリンズ氏の話として伝えたところによると、墜落から2時間経った時点でも住宅などが炎に包まれており、約12世帯が避難している。


ブッシュ大統領の日韓中3国訪問
21世紀の日本と国際社会


アメリカのブッシュ大統領が2002年2月17日から23日までのわずか1週間の日程で日本、韓国及び中国を駆け足訪問した。今回の訪問は、当初2001年10月に予定されていたが、同年9月11日に起こったいわゆる同時多発テロ事件(以下「9.11事件」)によって延期されたものである。アメリカが今回の訪問で重視した課題は何だったか。日本、韓国及び中国はブッシュにどのように対応したのか。

1.アメリカの意図・ねらい

(1)アメリカの目的意識の曖昧さ

アメリカの今回の3国訪問目的が何かについては混乱していた。そのことは、ブッシュとパウエル国務長官の発言の食い違いぶりから伺うことができる。

ブッシュは、出発直前の自らのラジオ演説(2月16日)で、3国との会談では、テロリズム問題に重点を置く考えを明らかにした。

また2国間関係に関し、日本との間では不安定な日本経済の問題が重要と指摘した。韓国については、韓国の対北朝鮮政策(「太陽政策」)を支持するとしながらも、「北朝鮮などが大量破壊兵器で自由を脅かすことを許さない」ことに注意喚起する、と述べた。さらに中国については、「経済的自由及び法の支配を奨励」し、米農産物に対する中国市場開放について議論し、中国が人間の尊厳や良心及び信仰の自由などの普遍的な価値を受け入れるように希望する、と雑多な要素を並べ上げた。

アメリカ内部の意思の不統一を理解する上で示唆的なのは、ブッシュに同行したパウエルによる議会証言だ。証言は2月12日に行われた。内容は外交全般に関するものだが、今回の訪問にも言及した。その内容は、ブッシュのラジオ演説と比べ、かなり重点、ニュアンスが異なる。

まず注目されるのは、パウエル証言は日本については国名をあげただけだったことだ。それに対して中国については、アメリカがロシアとの間で築き上げつつある重要な戦略的な関係を、中国との間でも築き上げることを目的としており、首脳会談はそのためのものだ、と位置づけている。またパウエルは、韓国との関係についいても詳しく述べた。米韓の絆がかつてなく強固なことを示し、北朝鮮問題についても、アメリカの確固とした見方を含め、韓国側と話し合うことを紹介した。

ブッシュが重視したテロリズムの問題を、パウエルは3国訪問との関連では言及していない。逆にパウエルが強調した中国との戦略的関係の構築という考え方は、ブッシュの発言からは窺うことができない。このように、ブッシュの今回の3国訪問がどの程度十分な準備を踏まえて行われたか、さらにいえば、そもそも今回の訪問をアメリカがどれほど重視したかについては、かなり疑問が残る。


■インド航空182便爆破事件犯人が保釈
日本deカナダ史 2008-07-12


1985年6月23日に329名(うちカナダ人280名)の犠牲者を出したインド航空182便爆破事件で、唯一有罪となったインデリジット=シン・レヤット被告に対し、ブリティッシュコロンビア控訴裁が7月9日、保釈を認めた。
 レヤット被告は、同じ日に起きたこの事件と成田空港手荷物爆破事件で、爆弾製造に関与した罪により、刑務所で20年以上服役していた。彼は2つの罪の刑期を全て務めたが、共犯者と見られる2人の被告リプダマン=シン・マリクとアジャイブ=シン・バグリの裁判で27回偽証し、2人を無罪に導いた容疑により、刑務所に留め置かれていた。この2人の裁判にあたったイアン・ジョセフソン判事は、レヤット被告を「宣誓した大嘘つき」と評している。
 今年3月には、ブリティッシュコロンビア最高裁でパトリック・ドーム判事が、司法制度の信頼を維持するために必要だとして、偽証罪容疑の被告の保釈を棄却している。これに対し被告側弁護人が6月、控訴裁に再審理を求め、最高裁の決定が覆され保釈が認められたのである。
 被告の弁護人イアン・ドナルドソンは「被告はまだこの判決を知らないが、きっと喜ぶだろう」とバンクーバー裁判所前でコメントした。
 ところがこの日、裁判所に掲示されるはずの彼の保釈は、掲示されなかった。被告の妻サットナム・レヤットは、「夫がいつ家に戻るかわかりませんが、この進展はうれしく思います。今はただ弁護士の知らせを待っている状態です」と語った。
 しかしこの事件で妻を亡くした、「インド航空事件犠牲者遺族の会」のバル・グプタ代表は「驚き、落胆している。この知らせは、我々を再び苦痛の無間地獄へ送り込むものだ。我々はすでに、カナダ最大の大量殺人について何度も失望を味わっているのに」と深い動揺を隠さなかった。


■温家宝総理の欧州歴訪は「自信の旅」
人民中国 2009年1月23日


外交部の呉紅波・部長助理(補佐)は22日、間もなく行われる温家宝総理の欧州4カ国歴訪は「自信の旅」であると表明した。

温総理はスイスのメルツ大統領、ドイツのメルケル首相、スペインのサパテロ首相、英国のブラウン首相、欧州委員会のバローゾ委員長、世界経済フォーラム(WEF)のシュワブ理事長の招待を受け、1月27日から2月2日までこれら4カ国およびEU本部を公式訪問するとともに、スイス・ダボスで開催されるWEFの年次総会に出席する。

呉部長助理は内外メディア向けのブリーフィングで、訪問の具体的な日程とその背景を次のように説明した。

今回の訪問は「自信の旅」と呼ぶことができる。中国の、改革開放を堅持し、経済成長を促進することへの自信、中国とEUが手を携えて包括的な戦略パートナーシップを推進し、不断に協力を深めることへの自信、国際社会の団結と協力を促し、共に難局を克服することへの自信を示すものだ。

1月27日から28日までのスイス訪問で、温総理はメルツ大統領と会談し、両国関係および関心を共有する問題について意見交換する。また、ダボスで行われるWEFの年次総会に出席し、演説を行う。温総理にとって就任後初のスイス訪問だ。ダボス会議では重要な演説を行うほか、シュワブ理事長、WEF商工業理事会、WEFメディア理事会の代表と面会する。温総理は世界的な金融危機への中国の対策を重点的に紹介し、協力策を討議する。

1月28日から29日までのドイツ訪問で、温総理はメルケル首相と会談し、ケーラー大統領、シュタインマイヤー副首相兼外相と面会するほか、中独経済技術協力フォーラムに出席し、演説を行う。温総理にとって3回目のドイツ訪問であり、両国の実体経済協力が今回の訪問のハイライトとなる。

1月29日から30日まで、温総理はEU本部を訪問し、バローゾ委員長と会談するほか、ソラナEU理事会事務総長兼共通外交・安全保障上級代表と面会し、中国EU関係の指導原則の確定、中国EU関係の踏み込んだ発展の推進について意見交換する。

その後、温総理は1月30日から31日までスペインを訪問し、サパテロ首相と会談、カルロス国王と面会するほか、現地の文化関係者や青年学生の代表との座談会に出席する。中国の総理によるスペイン訪問は17年ぶりで、非常に重要な意義を持つ。

温総理の最後の訪問国は英国だ。昨年のブラウン首相による訪中への答礼訪問であり、両国首脳の年次会談制度の実行でもある。3日間の訪問中、温総理はブラウン首相との会談、ダーリング財務相兼対中関係チーム長との面会を行うほか、英国の政界・商工業界・金融界の人々と幅広く接触、ケンブリッジ大学では講演も行う。中英の金融協力の強化が訪問のテーマだ。

温総理の今回の欧州歴訪には3つの大きな目標がある。第1は、自信を一層盛り返し、共通認識を凝集し、協力を強化して、金融危機に共同で対応するよう、国際社会を促すこと。第2は中国とこれら欧州4カ国との戦略上の共通認識を促し、双方間の実務協力を拡大すること。第3は、中国EU関係の踏み込んだ発展を推進することだ。


■英で18年ぶり大雪=交通混乱、空港閉鎖も
時事ドットコム 2009/02/02


英国は週末から2日にかけて広い範囲で雪が降り、ロンドンでは1991年以来とされる大雪となった。市内のバスはすべて運休、一部空港も閉鎖されるなど、交通機関に大きな影響が出ている。

 気象庁によると、ロンドン市内では2日午前までに最大15センチの積雪を記録。雪のためバスの全路線と地下鉄の一部路線が運行を停止したほか、ロンドン・シティ空港は閉鎖。ヒースロー空港などでも欠航や遅れが相次いだ。ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)は、ヒースロー発着の全長距離線の運航を同日午後5時(日本時間3日午前2時)まで取りやめた。

 路面凍結の影響で交通事故が多発し、負傷者も出ているもよう。降雪は今後さらに続く見通しで、当局は市民に注意を呼び掛けている。


暴風雨の死者25人に=欧州南部
時事通信 2009/1/26


AFP通信によると、欧州南部を襲った暴風雨は25日、イタリアにも広がり、ナポリで土砂崩れなどにより3人が死亡した。死者数はスペインの14人、フランス8人と合わせて計25人となった。  仏南部では一時100万世帯以上が停電し、電話線の切断も30万件に達した。これだけ大規模な暴風雨被害は1999年以来10年ぶり。スペイン北東部では、高圧線の鉄塔倒壊による山火事も続発した。


■温家宝首相に靴投げる 英大学で講演中、命中せず
朝日新聞 2009年2月3日


英国を訪問している中国の温家宝首相が2日、ケンブリッジ大学で講演中に、会場にいた男から靴を投げつけられる騒ぎがあった。靴は首相から約1メートル離れた壇上に落ち、当たらなかった。投げた男(27)はその場で警備員に取り押さえられ、公共秩序妨害の罪で起訴された。

 ロイター通信などによると、温首相は大学の講堂で世界経済に関して講演中だった。会場の後方にいた男が突然、笛を吹いて立ち上がり、「ここに独裁者がいるぞ。よく彼の言うウソを聞いていられるな。どうして大学は独裁者に身を売ることができたのか?」などと叫んで、黒いスニーカーを投げつけた。

 講演は一時、中断したが、温首相は取り乱すことなく、「我々は平和にやっている。男の行為が中英の友好を妨げることはない。調和は武力によって妨害されないと歴史が証明している」と再び語り始めた。会場の中国人留学生から歓声が上がったという。

 温首相は欧州を歴訪中で、最後の訪問地として1日、ロンドンに到着した。在英中国大使館前では、中国政府によるチベット人や反政府活動家への弾圧に抗議するデモが起き、5人が警察当局に拘束された。この日の大学の会場にも、チベット支援団体ら数十人が集まっていた。


■中国首相、フランス素通り ダライ・ラマ会談以来ぎくしゃく
産経ニュース 2009.1.29


中国の温家宝首相は欧州諸国を歴訪中だが、昨年末、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世と会談したサルコジ大統領のフランスは素通りする。中仏関係がまだ修復の時期に来ていないことを示した格好だ。

 温首相は28日、スイス・ダボスの「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)で演説した。29日にはドイツでメルケル首相と会談。その後、ブリュッセルを訪問し、欧州連合(EU)の議長国、チェコのトポラーネク首相やソラナ共通外交・安全保障上級代表と会談する。次いでスペインと英国を訪れてそれぞれ首脳会談を行うが、フランスは訪問しない。

 中国・EU首脳会議は昨年12月、仏リヨンで開催予定だったが、中国の意向で中止された。サルコジ大統領がポーランドで、ダライ・ラマと会談することが判明したからだ。その後、中仏両国はぎくしゃくした関係が続いている。

 27日は、1964年に当時のドゴール仏大統領が西側主要国として初めて、共産党が統治する中国を承認し国交を樹立してから45周年に当たり、仏側は、これを機に“手打ち”を行うことを期待していた。

 しかし、パリの中国大使館に関係者が集まって祝っただけで派手な式典はなし。仏紙パリジャン(電子版)によると、エリゼ宮(仏大統領府)は当初、祝賀会の開催を予定していたが、中国側が招待を黙殺したため、取りやめることになったという。


■海上保安庁がQ300を新配備 ボンバル社から引き渡し式
共同ニュース 2009/02/13


 海上保安庁が、導入から30年以上たち老朽化した国産機YS11などの後継機として、ボンバルディアDHC8-Q300を8機導入することになり、最終的な整備を受けていた神奈川県大和市の格納庫で13日、機体を製造したカナダ・ボンバルディア社からの引き渡し式が開かれた。

 Q300は全長約26メートルの双発プロペラ機で、1機約42億円。同型機は旅客機として国内線に全日空グループなどの6機が運航されている。旅客機の座席数は約50席。海保機は機内に捜索用機材などが装備されているため、32席となる。

 3月までに那覇航空基地に2機、東京・羽田航空基地に1機を配備。現在YS11がある北海道・千歳航空基地などにも、2009年度以降に配備される見通し。

 引き渡しを受けた海上保安庁の鈴木久泰次長は「監視能力が強化された新型機であり、大いに活躍を期待したい」とあいさつした。

 YS11は戦後初の国産旅客機として開発され、海保は洋上パトロール機として5機を1969年から順次運用してきたが、部品調達も難しくなり、Q300に後を譲ることになり、海保のYS11は10年度で全機退役する。


■住宅に飛行機が墜落 米ニューヨーク州
産経ニュース 2009/2/13


AP通信によると、12日午後10時10分(日本時間13日午後0時10分)ごろ、48人乗りの近距離輸送の旅客機がニューヨーク州バファローの住宅に墜落し、住宅は激しく炎上した。この旅客機はニュージャージー州ニューアーク空港からバファローのナイアガラ国際空港に向かっていた。

 旅客機が墜落した住宅の住民が負傷しているが、負傷者数は不明。

 旅客機の乗員・乗客の安否は今のところ分かっていない。

 墜落したのは、同空港から数キロの場所。


米国で住宅地に旅客機墜落、住民1人含む49人が死亡

ロイター 2009年2月13日


米ニューヨーク州バッファローの住宅地に12日夜、小型旅客機が墜落し、乗客・乗員48人全員と地上にいた1人の合わせて49人が死亡した。現地の新聞やテレビが伝えた。

 事故を起こしたのは国内便コンチネンタル・エクスプレスで、ニュージャージー州のニューアーク空港からニューヨーク州バファローに向かっており、バファロー空港から6マイル(10キロ)の地点に墜落した。

 墜落現場では住宅などを巻き込んで炎上している。事故当時、現場は悪天候でみぞれが降っていた。

 事故機はボンバルディア製で、ピナクル航空の子会社であるコルガン・エアーが運行していた。

 ニューヨーク・タイムズ紙が現地の当局者クリス・コリンズ氏の話として伝えたところによると、墜落から2時間経った時点でも住宅などが炎に包まれており、約12世帯が避難している。


■皇后さま、17日にクリントン国務長官をお招きの予定
産経ニュース 2009.2.13


 宮内庁は13日、皇后さまが17日午後にヒラリー・クリントン米国務長官を御所でのお茶にお招きになると発表した。クリントン国務長官は就任後初の外遊として、16日から18日まで日本に滞在する予定。ただ、国務長官としてではなく、元大統領夫人としてお招きになるという。

 クリントン国務長官は、平成6(1994)年に天皇、皇后両陛下が米国を公式訪問された際、大統領夫人として両陛下を迎えた。宮内庁によると、今回の訪日に当たって国務長官側から「できれば皇后さまにお会いしたい」との願い出があり、再会を実現させる方向で調整を進めていたという。


■小泉元首相がロシアに出発、プーチン首相と会談へ
読売新聞 2009年2月14日


自民党の小泉元首相は14日午前、成田空港からロシアに向けて出発した。

 民間調査研究機関「国際公共政策研究センター」顧問の立場で、同センターの田中直毅理事長や経済人らと訪露するもので20日に帰国する予定だ。ロシアのプーチン首相と会談する方向で調整している。18日にモスクワで開かれる日露の政治、経済、学術関係のシンポジウムに出席する予定だ。


■強風で看板落下、男性けが 千葉、JRで運休や遅れ
47NEWS 2009/02/14


千葉県内では13日夜から14日朝にかけて、強風の影響で看板が落下して男性がけがをしたほか、JRで運休や遅れが出た。

 船橋市消防局によると、13日午後11時20分ごろ、船橋市本中山の路上で、強風の影響で店の看板が落下。通行人の30代の男性に当たり、頭部打撲の軽いけがをした。

 JR東日本千葉支社によると、風速計が規制値を超えたため、京葉、内房両線で14日朝から計35本が部分運休、23本が遅れ、約1万1900人に影響が出た。


■中川大臣、予算案など通過後に辞任
JNN NEWS 2009/02/17


中川財務大臣は12時半すぎから財務省内で緊急の記者会見を開き、「来年度予算案と関連法案が衆議院を通過すれば、けじめとして辞表を提出する」「国民にご迷惑をかけた。色々な方から色々なお叱り、ご意見をいただいた。最終的にはきょうになって総理、党に申し上げた」と述べて、辞意を固めたことを明らかにしました。

 中川大臣は、先週ローマで開かれたG7の後の記者会見で、眠そうな様子でろれつが回らず、ちぐはぐな受け答えに終始し、一部から酒の飲み過ぎが原因ではないかとの批判が出るなど、問題となっていました。

 中川大臣は「風邪薬を多めに飲んだため」などと説明し、進退については「総理の判断」と述べていましたが、きょうになって辞意を固めたということです。

 野党側が国会でこの問題を厳しく追及する構えを見せており、官邸サイドも辞任やむなしの判断に至ったものとみられます。


■24日に日米首脳会談へ、「同盟強化を確認」クリントン長官
AFP BBNews 2009年02月17日


来日中のヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官は17日、外相会談後の記者会見で、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領がホワイトハウスで会談する最初の外国首脳として麻生太郎(Taro Aso)首相を招聘したことを明らかにした。また、その後に控えた自身と麻生首相との会談では、日米同盟の強化と、北朝鮮問題での日米連携を確認したいと述べた。

 前日羽田に到着したクリントン長官はアジア歴訪の2日目、中曽根弘文(Hirofumi Nakasone)外相と会談後、共同会見した。この席で、24日にオバマ大統領が麻生首相を米ホワイトハウスに招き、日米首脳会談を行うと発表した。

 また北朝鮮問題についてクリントン氏は「非核化と核拡散の抑止に対する米国の取り組みを改めて強調したい」と述べ、弾道ミサイル発射実験の実施についても北朝鮮に警告を送るなど、対応での日米連携を確認した。

 17日午後にはクリントン氏は、北朝鮮による拉致被害者家族会のメンバーらとも面会し、被害者の消息について北朝鮮に説明を求める意向を強調した。


■財務相兼金融担当相の中川昭一さんのこと
道新スタッフブログ 2009年02月17日


<ひとつ鍋>ダルマの目の涙
 総選挙が終わった。
 十勝の代表を選ぶ道11区では、自民前職の中川昭一さん(46)が十一万以上の票を獲得し、圧勝した。公示前からこの陣営の取材を続け、中川支援に汗を流す支援者の姿に人知れぬ苦労を見た。
 炊き出しは公選法改正で禁止され、食事はおろか飲み物もお茶程度に限定された。税金で選挙費用をまかなう以上、当然の規制だと思う。
 当選後も事務所での酒のもてなしはだめ。候補者が「日本のリーダー」となる姿を夢見て、ルールを守って頑張った後援者たちは牛乳で祝杯をあげた。
 ところが、当選を決めた二十五日夜、事務所に現れた中川さんは酒に酔っていた。「テレビでもこんな姿が放映されてしまって…。情けない」。当然、支持者の一部から不満の声があがっていた。
 一夜明け、中川さん本人は「反省している」と語った。ふらついた手で左目を書き入れられたダルマが腹のあたりまで黒い涙を流していたのが、切ない。
帯広支社 矢崎弘之
(2000年6月26日付夕刊・北海道新聞十勝版)


■米機墜落!乗客に9・11犠牲者の妻
スポーツ報知 2009年2月14日


米東部ニュージャージー州ニューアークを出発したコンチネンタル航空3407便が12日午後10時20分(日本時間13日午後零時20分)ごろ、目的地のニューヨーク州バファロー近郊の住宅街に墜落した。乗員乗客49人全員と地上にいた住民1人の計50人が死亡した。犠牲者の中には2001年9月の米同時多発テロ事件で夫を亡くした女性も含まれていた。事故機に日本人が搭乗していたとの情報はない。

 「ハドソン川の奇跡」でわいたニューヨークに2度目の奇跡は訪れなかった。

 ニュージャージー州ニューアーク空港からニューヨーク(NY)州バファロー・ナイアガラ国際空港へ向かっていた双発プロペラのボンバルディア機が深夜、バファロー空港の手前約11キロにあるの住宅街「クラレンスセンター」に墜落。乗客44人と非番の1人を含む乗員5人、さらに地上の民家にいて巻き込まれた1人の計50人が死亡した。

 犠牲者の中には2001年9月のNYで起きた米同時多発テロ事件の遺族も含まれていた。

 現地紙によれば、事故機に搭乗していたのはビバリー・エッカートさんで、「9・11」で亡くなったショーン・ルーニーさんの夫人。夫の58回目の誕生日を記念し、夫の出身地のバファローに向かう途中に事故に遭遇した。現地の高校で夫の死をきっかけに設立した奨学金の関連式典に出席する予定だった。

 夫婦ともども飛行機事故で命を落とすという悲劇に、エッカートさんの遺族は「彼女は天国で夫と再会できた」と話しているという。

 事故当時は雪と霧などで視界が悪かった。墜落後、機体や住宅は猛火に包まれ、12世帯が避難した。専門家の間では機体への着氷が事故原因との見方も出ている。

 今回の事故機、ボンバルディアDHC8―Q400は、過去に国内外でトラブルが多数報告されるなど「いわくつき」の機体だった。オバマ米大統領は13日、声明を発表し「痛ましい事故に接し、ミシェル(夫人)とわたしは深い悲しみに包まれている」と犠牲者の遺族に哀悼の意を表した。


■戦時中の政治と文化

戦時中のマスコミ

太平洋戦争が勃発した時、日本の新聞各社は日本軍の華々しい戦果を褒め称え、国民の団結を呼びかけた。1941年12月10日、大手新聞社は、「鬼畜米英」のスローガンを掲げたデモを主催した。デモを率いたのは、緒方竹虎(朝日新聞)、正力松太郎(読売新聞)および徳富蘇峰だった。この三人は、軍部を称賛し米英を鬼畜と呼んで非難した。12月17日付東京日日新聞は、「大東亜戦争は破壊の戦争ではない。過去にこれほど建設的な戦争はない。日本軍の放つ銃弾は全て旧体制を破壊し、より優れた体制を作り上げる。」と宣言した。

1942年1月、政府は毎月8日を大詔奉戴日に指定し、これ以降新聞各社は毎月8日、新聞の第一面に大詔奉戴記事を掲載した。緒方は自叙伝で、当時は国民服を着て出勤し皇居に向かって拝礼したと述懐している。こうして、新聞各社はその権威と信用を使って国民を戦争に駆り立て、自ら戦時体制の宣伝機関となっていった。
英文原文

Politics and Culture in Wartime Japan

When the Pacific War broke out, the newspapers rivalled each other in praising the brilliant achievements of the armed forces and in calling for national unity. On 10th December 1941 all major newspapers sponsored a rally in Tokyo on the theme of 'Crushing the US and Britain'. The main speakers were Ogata Taketora, Shoriki Matsutaro,and Tokutomi Soho. They hailed the military and condemned the wickedness of the US and Britain. The editorial of the Nichi nichi on 17 December declared:'The War of Great East Asia is not a war of destruction. There has never been a more constructive war than this. Every bullet fired from the guns of the Japanese forces carries the destruction of the old order and helps to bring a new and better one.'

In January 1942 the government designated the eighth day of each month as Imperial Rescript Proclamation Day (taisho hotaibi), and from that time, all newspapers carried the imperial proclamation of war on their front pages on the eith day of each month. On these days Ogata, according to his biographers, used to come to his office in a national uniform (kokumin fuku) and conduct a thanksgiving prayer towards the imperial palace. In this way the newspapers used their prestige and credibility for the purpose of whipping up support for the war, and by doing so became propaganda tools of the wartime regime.


■故・山花貞夫さんの民主党葬、しめやかに
民主党ニュース 1999/08/05


7月14日に急逝した故山花貞夫さんをしのぶ民主党葬が、5日午前に東京都内の青山葬儀所でしめやかに執り行われた。

 葬儀には小渕首相、衆参両院の正副議長、民主党所属の国会議員、各党の代表、友人、支援者など数百人が、最後のお別れのため、真夏の炎天下にもかかわらず参列した。

 会場には開式前から、山花さんが愛したベニー・グッドマンのジャズ演奏が、静かに流された。午前11時、司会進行を務める海江田万里議員による開式の辞に続き、「政治はパッション(情熱)だ」と政治改革への熱意を語る生前の山花さんの声が約2分間流された。そして参列者一同が起立、壇上中央に白い花で囲まれて安置された山花さんのご遺骨と写真に向かって黙とうをささげた。

 最初に葬儀委員長を務める菅直人代表が、「あなたの急逝は民主党にとって、あまりにも大きな衝撃だ。政権交代を訴えて非自民連立政権を実現した勇気と決断には、誰もが強い感銘をうけた。細川連立内閣では政治改革担当大臣として75年ぶりに選挙制度改革をなしとげた。私たち残されたものは、あなたの熱意を引き継いで民主党をさらに発展させ、政党政治の本旨を貫いていく」と弔辞をささげた。

 続いて伊藤宗一郎・衆議院議長が、「終始政党政治の伸展に貢献された」と山花さんの長年の議会活動に対し「弔詞」を読み上げ、連合の榎本会長代行も「勤労者の立場に立った政治の実現に長年尽力いただいた」と哀悼の意を示した。

 また社会党時代に山花さんと二人三脚で党改革に精力を傾けた田辺誠・前衆議院議員(元社会党委員長)は弔辞で「二大政治勢力による政権交代を最後までめざした信念と誠実の人だった。志を同じくする人々に大きな感銘と共感を呼び起こした」と、常に時代の一歩先を見通した政治家であった山花さんを懐述した。

 また弔電が金大中・韓国大統領や細川護煕・元首相などから寄せられ、海江田議員が紹介した。

 これに対して、葬儀委員長代行の羽田幹事長が、「大切なときに本当に大事な人を失った。心やさしく誠実で、志の高い政治家だった」とあいさつ。そして喪主である夫人の山花良子さんが「昨年末から体調を崩したが、任期いっぱいは務められるだろうと言っていた。しかし、7月になって自ら幕引きのことを言いだし、仕事を整理していた矢先の急逝だった。苦しいときも悩み深いときもいつも変わらぬ穏やかなパパでした」と悲しみをこらえながら、参会者へのお礼の言葉を述べた。

 最後に菅代表を先頭に、参会者が次々に献花を行って、山花さんに別れを告げた。


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