日本の陰謀 (2) 参照一覧 022


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ロス郊外列車事故から2日、死者25人に
AFP BBNews 2008年09月15日


死者25人、重傷者95人を出した米カリフォルニア(California)州ロサンゼルス(Los Angeles)郊外の列車衝突事故から2日目の現場。

 事故を起こしたのはロサンゼルス近郊を結ぶメトロリンク(Metrolink)の通勤列車とユニオン・パシフィック鉄道(Union Pacific)の貨物列車。米西部時間12日午後4時半(日本時間13日午前8時半)ごろ、ロス郊外チャッツワース(Chatsworth)で正面衝突した。事故当時、通勤列車には222人が乗車していた。

 24人が現場で死亡、後に1人が病院で死亡した。メトロリンクを営業する仏交通企業ヴェオリア・トランスポテーション(Veolia Transportation)は13日夜、貨物列車を通過させるために赤になっていた信号で、メトロリンク側の車掌が停止しなかったことが事故原因だと発表した。この車掌も事故で死亡している。

 ヴェオリア・トランスポテーションはボストン(Boston)、ロサンゼルス、ワシントン(Washington)、デンバー(Denver)など全米の大都市で多くの通勤路線を運営している。この事故は過去15年間で、メトロリンクにとっても全米でも最悪の列車事故となった。


衆院選いつ? 日程に一喜一憂 箱根町選管
同日なら職員、投票箱、読み取り機が不足

東京新聞 2008年10月1日


「衆院選の日程はいつ?」-。任期満了に伴う町長選と町議補選(欠員一)を二十六日に予定している箱根町選挙管理委員会は、近く予想される衆院選の日程に一喜一憂している。同日選となる可能性は低くなっているものの、国会の動きが気掛かりな日々が続く。 (長崎磐雄)

 町長選と町議補選は、町立仙石原文化センターで即日開票する。職員百十人態勢で選挙事務にあたり、千二百四十三万円を予算化している。

 衆院選との同日選となると、小選挙区、比例に裁判官の国民審査が一緒に行われることになり、職員も百七十人が必要という。町内十四カ所で行われる投票でも「投票箱が足りなくなる。レンタルするかどうかも含め、準備を進めている」と選管の担当者。

 また、開票事務を迅速にするための投票用紙の自動読み取り機も一台しかなく、担当者は「速報するためには、少なくとももう一台は必要」と弱っている。

 先月三十日に開いた町長選と町議補選の立候補予定者を対象にした事前説明会では町長選、町議補選とも出席したのはいずれも一陣営だった。


三浦和義元社長逮捕
毎日新聞 2008年10月11日


三浦元社長:出廷直前の自殺 日米司法のはざまで…  三浦和義元社長は14日午後、ロサンゼルス郡地裁に出廷し、初めて米本土での裁判手続きに入る直前だった。14日には、予備審問の前の容疑事実の認否が行われる予定で、元社長側は「一事不再理」を改めて主張し、訴追自体の却下を求めるとみられていた。

 同地裁は9月26日、当時の妻一美さん(当時28歳)殺害事件について、殺人容疑の逮捕状を無効としながらも、共謀罪での訴追は有効とする決定を出した。

 これを受け、元社長は身柄拘束されていた米自治領サイパンからロスに移送され、ロス市警の留置場に収容されたばかりだった。

 ◇ロス疑惑捜査の検事も「予想外」  85年からロス疑惑の捜査に加わり、88年の逮捕状請求書を起草したロス郡検事局のルイス・イトー検事は「ただただびっくりして、複雑な気持ちだ。自殺について今は、コメントする気になれない」と話した。「三浦元社長はサイパンで、ロサンゼルスへ行っても頑張るという趣旨のコメントをしていた。今までの報道を見る限り、三浦元社長が自殺を図るとはロス市警も誰も夢にも思わなかったのではないか」と、予想外の事態に驚きを隠せない様子だった。

 ◇毒物カレー事件で真須美被告を支援  三浦元社長は、98年7月に和歌山市で発生した和歌山毒物カレー事件で殺人罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた林真須美被告(47)=上告中=の支援に携わり、「林真須美さんを支援する会」の代表を務めていた。テレビニュースで自殺を知った同会関西事務局の松本慶恒さん(54)は「11月にも(林被告の)支援集会を予定していた。自殺する必要はなかったと思うが……」と驚きを隠せない様子だった。


三浦和義元社長が自殺
日本経済新聞 2008/10/11


1981年の米ロサンゼルス銃撃事件で今年2月に逮捕された元会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本では無罪が確定=が10日午後10時(日本時間11日午後2時)ごろ、拘置中のロス市警の独房で自殺を図り死亡した。米捜査当局は「共謀罪」での訴追手続きを進めていたが、出廷目前の自殺で捜査は最悪の結末を迎える見通しとなった。

 【ニューヨーク=中前博之】在ロサンゼルス日本総領事館にロス市警から入った連絡によると、三浦元社長は現地時間の10日午後9時45分(日本時間11日午後1時45分)ごろ、ロス市警本部の独房内でシャツで首をつっていたところを係官に発見された。同日午後10時ごろ、搬送先の病院で死亡が確認されたという。

 遺書などは見つかっていないといい、自殺の動機は不明。


日本が国連安保理の非常任理事国に、最多の10回目選出
読売新聞 2008年10月18日


国連総会は17日午前(日本時間同日夜)、今年末に任期が満了する国連安全保障理事会非常任理事国5か国の改選を行い、日本はアジア・グループ枠でイランを破り、選出された。

 ほかにウガンダ、メキシコ、トルコ、オーストリアが新理事国となった。

 任期は2009年1月から2年間。日本は国連加盟国中最多の10回目の選出で、安保理入りは05~06年以来。安保理改革と常任理事国入りの早期実現を目指す日本は、非常任理事国としての活動を通じて存在感を示し、改革機運を高めたい考えだ。

 日本は158票を獲得して圧勝。イランは32票にとどまった。


日本の常任理事国入りを支持したブッシュ大統領
朝鮮日報 2007/09/27


米国のブッシュ大統領は25日、国連総会で演説を行い、「日本には国連安全保障理事会の常任理事国となる資格が十分にあると信じている」と語った。日本としてはこれほどありがたい話はなかったことだろう。その前日にはイギリスのミリバンド外相が日本やブラジル、インド、南アフリカ共和国の常任理事国入りを支持することを明言した。

 国連の安保理拡大問題をめぐっては数年前から国連改革の一環として浮上し、激しい外交上の駆け引きが繰り広げられてきた。そしてその中心となってきたのが日本だ。日本はすでに膨大な資金力と外交力を背景にかなりの加盟国の支持を取りつけたと言われている。日本は安保理非常任理事国選挙の際には、ライバルだったモンゴルに3億5000万ドル(約400億円)を提供することで、選挙を棄権させている。

 日本がここまで来られたのも、現実的には世界第2位を誇る経済力によるところが大きい。だが日本は他の国とは明らかに異なる、特殊な国だ。まず日本はアジア全体に筆舌に尽くしがたい苦痛と傷跡を与えた第2次世界大戦の責任を認めようとしないでいる。また被害国がいくら反発しようとも、日本の首相や閣僚はA級戦犯の位牌がある(編集部訳注:原文ママ)靖国神社に団体で参拝している。さらに日本はアジア11カ国で推定10万人の女性を強制連行し、日本軍の慰安婦として動員したという歴史的事実すら否定している。安倍前首相はこの問題について「つくりあげられた話」としている。そしてこの問題に関し、米下院で非難決議案の採択を進める動きが強まるや、安倍前首相は被害者でもないブッシュ大統領に謝罪した。

 日本はこうした考え方が自分たちの常識であり、アジアの国々にもそうした独りよがりの考え方を常識として受け入れるよう要求しているのだ。だがアジアのどこでも、そうした日本の考え方を常識として受け入れるところはない。アジアの視点から見れば、日本が安保理の常任理事国入りをもくろむことそのものが、非常識な行動以外の何物でもない。日本が国連でもアジアを代表する国として安保理常任理事国になれば、それはアジアの人々の感情を逆なでする結果となることだろう。

 一方、同じく敗戦国であり、また同程度の経済力を備えながらも、徹底した自己反省を重ねて生まれ変わったドイツの常任理事国入りについては、米国にもイギリスにも積極的に支持する姿勢は見あたらない。米国やヨーロッパにとっては、ヨーロッパが経験した苦痛は容易に忘れられない問題であっても、アジアが経験した苦痛はしょせん他人(ひと)ごとでしかないということなのだろうか。


北朝鮮の選挙
lunaの東亜日記 2007-07-29


きょうは選挙の日です…北朝鮮でも (2007/0729)

落選者ナシ、投票率99.8%

参院選と同じ29日、北朝鮮でも選挙が行われる。だが、投票率99.8%、1選挙区に立候補者1人、投票所に鉛筆がないなど、選挙というより“儀式”に近い。

北も日本と同様、選挙制度は小選挙区制だが、実質は労働党独裁のため、比例区はない。選挙権は17歳以上で道、市、郡の代議員を選出する。来月3日には国会にあたる最高人民会議の代議員選出選挙も行われ、これには金正日(キム・ジョンイル)総書記(65)も出馬する。金総書記は1982年から5期連続当選しており、今回も盤石…どころか、落選者は1人も出ない。

「投票用紙には『〇〇〇を代議員として賛成投票します』と初めから印刷されており、賛成の場合は何も書かずに投票箱に入れる。反対の場合は×印を記入すると規定されているが、そもそも筆記用具が準備されていない」(民間の研究者)

最高人民会議の選挙区は600以上あるはずだが、選挙区は数字で割り振られて具体的にどの地域なのか不明。立候補者も事前にはわからず、有権者にとってはだれでも同じだ。

金総書記の選挙区も毎回バラバラで、98年夏の総選挙は「人民軍第666号選挙区」だった。

北の国内事情に詳しい山梨学院大の宮塚利雄教授は「投票者の100%が賛成するので、選挙でも何でもない。人民が誠意を持って参加できるかを試す場であり、人民を掌握する手段となっている」と指摘している。

一応、民主主義なんですよね?投票率がすごすぎですね

“朝鮮総連施設 競売は敵視”(NHK7月29日 13時13分)

これは、ARF・ASEAN地域フォーラムに出席するために、フィリピンのマニラを訪れている北朝鮮外務省のチョン・ソンイル副局長が、29日午前、現地のホテルで報道陣に対して述べたものです。この中で、チョン副局長は、整理回収機構が、朝鮮総連中央本部の施設を競売にかける司法手続きを進めていることについて、「われわれを敵視した政策で、理性が失われている。われわれの資金がマカオの銀行で凍結されていたことよりも危険で、大きな問題になりかねず、6か国協議にも悪い影響を与える」と述べ、総連中央本部をめぐる問題を、6か国協議に関連づけて、日本を強く非難しました。一方、アメリカのネグロポンテ国務副長官やヒル国務次官補が、30日から相次いでマニラを訪れることに関連して、チョン副局長は「アメリカ側が望めば、われわれはいつでも会う用意がある」と述べ、すでにマニラ入りしている北朝鮮のパク・ウィチュン外相とアメリカ側との会談の可能性を否定しませんでした。

敵視って、ミサイル撃つし、核持つからでしょうが


「虐殺黙殺」の法王擁護 バチカン、没後50年ミサ
産経ニュース 2008.10.9


第二次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺に沈黙を守ったとして批判された元ローマ法王、ピウス12世(在位1939-58年)の没後50年のミサが9日、法王庁(バチカン)で行われ、法王ベネディクト16世は「ピウス12世はあらゆる迫害から人々を救おうとした」と擁護した。一部ユダヤ人団体は元法王や、大戦中の過ちを認めようとしない現在のバチカンの姿勢を批判しており、法王の発言は論争を呼びそうだ。

 7日にローマで行われた宗教会議に出席したユダヤ教のラビ(宗教指導者)は「元法王はナチスを恐れ、発言しなかったのだろうが、われわれはこのことを忘れない」と述べた。

 元法王は大戦で中立を主張。ユダヤ人虐殺についても明確な批判の立場を示さず、見殺しにしたと批判された。一方、多数のユダヤ人をバチカンにかくまったことなどから擁護する意見もあり、戦後60年以上たった今も論争が続いている。


徴兵保険会社と「靖国神社」
JANJAN 2006/03/24


2月26日午後、「調布・子どもと教育を考える市民会議」主催の「靖国神社を知る会」に参加した。冷たい雨が降る中、小学生を含めた18名の参加者。戦争遺跡保存全国ネットワーク運営委員の東海林次男さんを講師に迎えた、靖国神社現地での学習会だった。ひとりで行くと殆ど見過ごしただろうことを、ご自身で収集された多大な資料を広げて熱心に説明してくださった。

 九段下の地下鉄をあがって九段会館へ向かう。昭和9年に旧軍人会館として天皇から当時5万円拝領して建てられたという九段会館で、北の丸公園、靖国神社の大鳥居を眺めながら、軍隊と靖国神社の関係から話しは始まった。

 九段の坂を上ると、大鳥居に向かって、右に「靖国神社」の社号標がある。言われなければ気づかないが、石碑の文字のバランスはおかしい。本来は、「靖国神社」の上部に神社の社格を示す「別格官幣(べっかくかんぺい)」という4文字が2行刻まれていたという。1946年の社格廃止に伴ってその部分が削り取られたそうだ。別格官幣というのは、勤皇忠死、顕著な功績のあった人臣を祭神とする神社の社格で、国家を守るために命をなげうった国民が、祀られることである。だから、西郷隆盛は、西南戦争で賊軍となり国軍にはむかったというので祀られていないと聞き、へんに納得できた。

 大鳥居の手前には、狛犬が一対ある。日本の神社でよくみる狛犬は阿吽の口をしているが、ここでは、2つとも口を大きくあけ、子どもの獅子が背中に乗っていたり、「お尻の穴がある」と教えてもらってみんなで後ろに回って眺めた。なかなかの愛嬌ものである。靖国神社百年史によると「明治28年、山県有朋が清国海城三覚寺より譲り受け奉納―寺から譲り受けて明治天皇に献上、天覧後靖国神社に置かれた」とあるが、当時の雑誌(※編集部注)では、「日清戦争時、遼東より捕獲し来たるものなり」の戦利品の記事が掲載された。海城は清にあった寺という。

 休憩所を過ぎた第二鳥居前には、大燈籠が2対あるが、これは、富国徴兵保険相互会社が「創立10周年並びに保有契約3億円達成を記念」して奉納されたものだそうだ。当時の3億円ってとてつもなく大金だからこんなに立派なんだと大きなため息をついてしまった。向かって右の燈篭には、海軍関係のレリーフが、左には陸軍関係のレリーフが装飾されている。そのため1947年には、いったん東京都教育局の指示でコンクリートの扉で封印がされたが、1957年には、コンクリートが剥がされ現在に至っている。

 第二鳥居をすぎると、菊のご紋が立派な神門がそびえているが、その門も「奉建 第一徴兵保険株式会社」「昭和9年6月1日上棟 昭和10年10月18日竣工」と扉の裏側の止め金具に書かれていることから、第一徴兵保険株式会社の契約が5億円に達した記念に建てられたものだという。

 上記2社は今でいう富国生命と旧東邦生命である。

 1歳から15歳を対象に保険をかけ支払い金は、当時徴兵は抽選で入営していたから儲けられ、その後、日中戦争の拡大で入営者が激増したためこの抽選制が廃止になり保険会社もたちゆかなくなったという。

 戦争で儲けた保険会社からの献納物をみて、遊就館にはいった。戦争博物館の展示とドキュメント映画『私たちはわすれない』には、早春の寒さがひとしお身にしみた。

 東京の開花宣言の基準となるのは靖国神社。あの日の桜の寒々しさを思いだしながら、桜には罪はないよなと、WBCの野球観戦できる喜びにひたるこのごろである。


大和生命の破綻
毎日新聞 2008年10月11日


その昔、「徴兵保険」という制度があった。1870年代のドイツで生まれたものだが、子供が小さい時から親が掛け金を払い、長じて徴兵されたら保険金が支払われる制度だった。徴兵に伴う親の負担を補う目的で、約20年後に日本にも会社ができた▲当時は兵役適格者のうち実際に徴兵されるのは5%ほどだったのだ。その後、徴兵保険は今の学資保険のようなかたちになる。今度、破綻(はたん)した大和生命は1911年に日本徴兵保険株式会社として創業し、戦後の生保への改称、6年前の合併・再編をくぐり抜けてきた会社である▲徴兵保険会社当時の羽振りの良さは、明治の欧化政策の舞台となった旧鹿鳴館を買い取ったことでもうかがえる。その後十数年間は保存されていたものの、太平洋戦争直前には建物が取り壊されてしまった。現本社はその跡地に建っている▲生保として小規模ながら、そんな100年近い歴史を刻んできた会社が金融危機の津波にのみ込まれてしまった。この間の市場の混乱で保有する株式などの価格が急落し、中間決算で債務超過が避けられなくなっての更生特例法適用申請だ▲大和生命の場合は高リスクの投資の多い特殊な経営事情があったとされる。ただ破綻が伝えられた同じ日、東京株式市場の株価はまたまた暴落、7日間の下げ幅は日経平均で3000円を超えた。米欧の金融危機を対岸の火事だと思っていた楽観は一挙に吹き飛ばされてしまった▲「災難請合(うけあい)」とは明治初め、福沢諭吉が英国の保険制度を紹介した際の訳語だ。将来の安心を売る会社が不安の元となっては話にならない。今は政府が災難封じをしっかり請け合うことだ。


■■■ 2008年11月7日現在の検索結果

■Google検索エンジン(日本語)

反分裂国家法」・・・・・ 8130件

反国家分裂法」・・・・・ 2万2100件

■中国政府の検索サイト

反分裂国家法」・・・・・ 170件

反国家分裂法」・・・・・ 0件

■日本外務省の検索サイト

反分裂国家法」・・・・・ 0件

反国家分裂法」・・・・・ 23件

■朝日新聞の検索サイト

反分裂国家法」・・・・・ 0件

反国家分裂法」・・・・・ 4件



筑波大講義(2)クーベルタンに導かれ
産経ニュース 2008.9.8


ピエール・ド・クーベルタン(1863~1937年)。近代五輪の創設者として有名なフランス人の男爵と嘉納治五郎(かのう・じごろう、1860~1938年)とは五輪を通じて結ばれた深い縁(えにし)がある。筑波大学五輪講座第2回目はクーベルタン男爵を通じ、嘉納の知られざる一面と五輪への思いに迫った。講師は国内有数の研究者、神戸松蔭女子学院大学の和田浩一准教授。

 1909年、嘉納はアジア初の国際オリンピック委員(IOC委員)に就任したが、働きかけたのが、ほかでもないクーベルタンだった。近代五輪の父が日本と五輪とのかかわりに強く関与していたのである。

 嘉納より3歳下のクーベルタンは、フランス人貴族の家に生まれ裕福な生活を送り、普仏戦争でプロシアに敗れたフランスの立て直し、いち早く産業革命を成しとげスポーツの浸透を図っていた英国、そしてギリシャ古代遺跡の発掘から判明した古代オリンピックの史実などから、近代五輪創設へと傾いていく。

 その情熱は激しく、五輪実現のために頻繁に夕食会を開き、ついには財産を使い果たす。スイス・ローザンヌの名誉市民にはなったものの美田は残さない理想に燃えた教育者だった。夕食会には後に第26代米国大統領となる若きセオドア・ルーズベルトも何度も招かれ、意気投合している。

 「終生教育を語り教育改革を進めた。五輪創設では巨大な商業イベントとなった現代とは異なり、教育の一環としてスポーツを通じ人類を豊にしたいとの思いを込めた」と和田准教授。

 嘉納も教育者だった。今でこそ「柔道の父」というイメージが強いが、教育者としても幅広く活動し、1882年には英語を教える私塾を開設するなど、「知育、徳育、体育」という三育主義を実践していた。

 2人が結び付くきっかけは1896年第1回アテネ五輪後に起きたクーベルタンの理想に対する批判や誤解だった。大会の成功でギリシャには「『母国で引き続き行おう』との声や『古代種目だけでいい』といった意見が起きた」(和田准教授)。修正のため「彼の教育論を理解し、推進者になれる人物をIOC委員にする必要があった」。

 第3回大会後の1905年、クーベルタンは“五輪思想の信託者”を捜し始めた。日露戦争に勝利した日本は欧米の注目を浴び始めていた。柔術に興味をもっていたクーベルタンもまた日本に関心を向け、在駐日大使を介し嘉納を知る。

 欧州留学経験があり語学も堪能な嘉納は、IOC委員にはうってつけだった。「日本でみせた教育の力を発揮してほしい」。五輪の父は期待を込め、嘉納の五輪挑戦と日本と五輪の関係は始まった。日本が初参加した1912年第5回ストックホルム大会で2人は初めて会う。クーベルタンの滞在先のホテルで2時間、語り合いクーベルタンの理想は嘉納の思想となった。

 聴講した人文文化学群の梅田知佐さんは「クーベルタンの理想は高すぎるように見えるが、理想に立ち戻ることも必要なのだろうと思う」。


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小泉首相の元義兄『懲役4年判決』 【週刊現代】

★阿修羅♪ 2005 年 9 月 27 日

ウィキペディア 小泉純也

(転載はじめ)

9月6日、大阪地方裁判所の法廷に、グレーのスウェットの上下に身を包んだ老人が刑務官と共に姿を現した。
坊主頭は真っ白で、体は痩せこけ、見るからに弱弱しい。
「竹本公輔被告ですね」
裁判長から尋ねられ小さくうなずく。
「主文、懲役4年に処する」
判決が言い渡されると、体はさらに小さくしてうつむいた。
裁判長が「もう二度と裁判所で会うことがないように。生活保護など公的援助を受けるよう努力して」と諭すと、老人は小さくうなずき足早に法廷を出て行った。
総選挙を5日後に控えたこの日、関西地方は台風14号の影響で大雨が降っていた。今回の総選挙を仕掛けた張本人、小泉純一郎自民党総裁のポスターも雨で濡れている。そして、この日、懲役4年の判決を言い渡されたみすぼらしい老人こそ、小泉純一郎首相の元義兄、竹本公輔被告(76歳)なのである。
ここで、簡単に小泉首相と竹本被告の関係を説明しておこう。小泉首相には3人の姉がいる。竹本被告は1955年に長姉のA子さんと結婚。
娘をもうけたが6年後に離婚した。ちなみに、首相に常に寄り添い”影の女帝”と呼ばれる秘書の小泉信子氏は三番目の姉である。
本誌は、今年3月、窃盗罪で服役していた竹本被告が京都刑務所を出所したことを報じた。ところが、竹本被告はそれからわずか1ヵ月半後に、またも盗みを働き、4月27日に現行犯逮捕されていたのである。竹本被告は窃盗の常習犯で、今回で15犯です。
「常習累犯窃盗」という、窃盗罪より重い容疑に敗因変更され、今回の判決を受けた。
竹本被告の手口ももっぱら高級住宅街の住宅に侵入して、現金や商品券などを盗むというもの。
今回の判決を受けた犯行の手口も同様で、4月25日に兵庫県宝塚市で1軒目の家のトイレのガラス窓をガスバーナーで焼き切り、2万3千円を盗んだ。その足で近くの2軒目の家に侵入したが、警報機が鳴ったので自転車を盗んで逃げた。その際、ガスバーナーを置いて逃げたため新たに購入し、2日後に大阪府吹田市で住宅に侵入したところを逮捕された。

■慶大を卒業してドロボーの道へ

裁判では竹本被告と弁護士との間で、こんなやり取りがあった。

ーー出所後、どのような生活をしていたのか?

竹本・競輪場に行きましてですね、昔かじったことがあった、コーチ屋という仕事があるんです。それでお客さんに買い目を教えて、ご祝儀をもらうという仕事がありまして、それで食べていたんです。大阪では友達はいませんので、サウナで寝泊りしておりました。

ーーコーチ屋の仕事は、その後どうなったのか?

竹本・ダービーという大きなレースがございまして、それが一週間ほどで終了しました。その後は、仕事が無くなり生活が苦しくなりました。職業安定所にも行ったのですが、月に5万円くらいの仕事しかありませんでしたのでどうしようもありません。

ーー生活保護という制度があることは知ってますよね?役所などは行きましたか?

竹本・どうせだめですから、行っても仕方ないと行きませんでした。

ーー自分のお金がなくなると、人のものを盗む、そんな考えでいいんですか?

竹本・いや、そんなことではないのですが....。悪いと知りながらですね、つい。金が無くなり、この年齢で野宿するのは、キツイので....。

ーーあなたは40年間、盗みを繰り返してきましたね。恥ずかしいと思ったりしたことはありませんか?

竹本・本当に恥ずかしいです、すいません。

消え入りそうな声で竹本被告は証言した。
かつては小泉純一郎から兄と呼ばれた男の末路だ。竹本被告が離婚して犯罪の未知に走っていなければ、場合によったら首相の片腕になっていたかもしれない。
無反省に犯罪を繰り返す態度は許されるものではないが、その落ちぶれた様子は、同情心を誘う。
竹本被告の半生を振り返ると、窃盗を働いては刑務所に入るという繰り返しである。竹本被告は、東京・赤坂生まれた。 疎開先の長野県で旧制中学を卒業後、慶応大学工学部に進学し卒業。日産自動車のセールスマンになった。その後、旧電電公社に就職した。そして、運命を変えた結婚する。
本誌が入手した事件記録には、竹本被告の供述としてこんな証言がある。
『昭和30年6月ごろ、小泉A子という女性と結婚して、2年後に長女が生まれました。』『ギャンブルに走る精神的な弱さから妻や子に見捨てられ昭和36年に離婚した。』
この女性が小泉首相の実姉のA子さんであることは前述のとおりだが、離婚の際、長女の親権を巡って竹本被告は民事訴訟を起こしている。
結局、長女は小泉首相の養子となった。つまり、竹本被告の長女は戸籍上、小泉首相の妹となったわけである。
離婚後、竹本被告はますますギャンブルにのめり込み、盗みを重ね、刑務所とシャバを往復するようになる。

■人生を台無しにされた

竹本被告は、自分の人生が失敗した原因は、小泉一族にあると思っているフシがある。あるとき、竹本被告は小泉一族について、刑務所仲間にこう話したという。
『小泉純一郎は知っている。昔から(結婚前から)小泉の家には出入りしていたんです。小泉純一郎を家で見かけたのは、たぶん私が高校生のころだった。その時、奴は幼稚園くらいで小さかった。
A子との結婚は、式も質素で名門の政治家の娘の結婚式という感じじゃなかった。隠れるような式だった。
家柄が違い、反対を押し切った結婚だったからかもしれない。娘が生まれて、幸せな時代もあった。けど、ギャンブルにのめりこんで結局は妻子から見捨てられた。民事裁判にまで発展し、娘の親権は妻にいってしまい、小泉一族の籍に入れられてしまった。
何で苗字が竹本から小泉になるのか。腹が立った。子供を盗人みたいにとられてしまったから。盗人の自分が言うのも変だけど、とられたんですよ。親子だから別れても子供は恋しい。何度か小泉の家に行ったが会わせてもくれなかった。夜遅くに行ったら追い返されたこともある。
汚らしいとか、犯罪者とかそんな言葉で罵られた。純一郎が【子供はこっち(小泉家)の籍だ。もう何も関係ない人間だ。今度来たら警察を呼べ】とか言っていたと人づてに聞いた。悲しかった』
竹本被告の刑務所仲間は、彼の心情をこう代弁する。
「竹本氏は、子供をとられ、人生を台無しにされたと小泉一族に怒りを感じているんですね。小泉が総理をやってることについて【総理をやる刺客はない】とも語っています。【小泉一族と接点が無ければ、人生は変わっていた】と悲しんでおり、そのせいで天涯孤独だとも話していました」
今年4月、竹本被告に窃盗に入られた被害者のBさんはこう語った。
「被害は朝まで気づきませんでした。トイレに行くと窓ガラスが割られていてビックリしたんです。女物のコートまで盗まれたんですよ。寒かったんでしょうか。警察の人に犯人の顔写真を見せてもらいましたが、白髪の上品そうな顔たちでした。え?犯人は小泉さんの元義兄?それは知りませんでした。ずいぶん落ちぶれたものですね。哀れです。」
竹本被告がいくら小泉一族を恨もうと、それは逆恨みで自業自得と言わざるを得ない。しかし、ここまで落ちぶれたうえに76歳という高齢を考えれば、彼の老い先もあとわずかだろう。
普通の人の感覚なら少しは哀れに思うはずだが”非情”が売り物の小泉首相は、少しも心の痛みを感じないのかもしれない。

(転載終了)


■ 第23代総裁に麻生太郎幹事長を選出 両院議員総会
自民党ニュース 【平成20年 9月22日】


麻生新総裁あいさつ(全文)

ただいま第23代自由民主党総裁に選出をいただきました。思いもしない形での総裁辞任の後を受けての総裁選挙にあって、自由民主党は、開かれた国民政党として堂々と総裁選挙を実施するということをもって、後継総裁を選ぶということができた。そういう成熟した国民政党に属している自分を大変誇りに思っております。

 この選挙にあたりまして、臼井委員長、選挙管理委員会の方々、また全国47都道府県連の方々の絶大なるご支援ご努力によって公明正大に行われましたことに関し、心から厚く御礼を申し上げる次第であります。

 この時をもちまして、選挙戦を繰り広げました5人の間に対立という文字は終わっております。今後、われわれ自由民主党は国民政党として国民の負託に応えるため、お互いに手を携えて頑張っていかねばならぬのだと思っております。それぞれ信念を持って応援された方々が大勢ここにおみえでございますが、皆様方のご理解とご支援を重ねてお願いを申し上げます。

 われわれは、今ここで新しい困難に立ち向かわなければならない、そのスタートに立ったと思っております。私に与えられたいろいろな仕事は、国民の負託に応えることをもって、今回ご支援いただいた方々への御礼に変えねばならぬと決意を新たにいたしております。

 21世紀に入りましてから、森喜朗、小泉純一郎、そして、安倍晋三、福田康夫、この8年間の間にわれわれは極めて厳しい状況の中にあって、それぞれ使命を全うしてこられたと存じます。また、初代鳩山一郎、二代石橋湛山、三代岸信介などなど歴代の総理総裁の写真がここに掲げてあります。それぞれの時代、党に与えられた仕事は極めて多かったと思いますが、それをくぐり抜けてこられたからこそ、今日の自由民主党があるのだと思っています。

 今ここに立ちます時に、これは麻生太郎に与えられた天命だと思っております。思い返せば130年前の9月の27日に吉田茂は生まれております。一昨日、私も68歳になりました。今天命と申し上げるのは、われわれは今から自由民主党として、政権政党として、次なる総選挙において断固民主党と闘っていかねばならぬのだと思っております。私はその選挙に勝ってはじめて天命を果たしたということになるのだと思っております。

 今国民が抱えております数多くの問題、生活の問題、将来の不安、また国家国民を守る安全保障の問題など、われわれはそれを堂々と掲げ、そして、それを実行に移す力がわれわれ以外の政党のどこにあるであろうかと強く思っております。その政党は民主党では断じてありえないと思っております。自民党がその天命とその使命を全うする――それこそがわれわれに与えられた義務であり、責任であり、その先頭に立って戦う機会を与えていただいたことに心から感謝を申し上げます。

 われわれはこの選挙に勝って、そして、立派にこの国の再生を果たし、改革を成し遂げ、更なる一歩を進めていかねばならぬと決意を新たにいたしております。この負託に応えるさらなる力と勇気を皆様方に与えていただきますよう重ねてお願いを申し上げ、決意表明の一端に代えさせていただきます。ありがとうございました。


島津斉彬の誕生日について
OKWave


島津斉彬の誕生日について、ネット上で調べたところ、全く異なる誕生日の情報が出てきます。いずれも、信頼に値するサイトを含んでいます。また、ウィキペディアは、異なったページで異なった誕生日を表示します。

これほど大きく分かれた誕生日の情報は初めてです。ひょっとしたら、何か歴史上の解釈とか、暦の問題とかあるのではないかと思います。

質問1.どちらが正しいのでしょうか。根拠を示して説明いただければ幸いです。

質問2.その他の場合は、その説明をお願いします。

島津斉彬 誕生日 "1809年" "4月28日"・・・Google386件

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%96...​

島津斉彬 誕生日 "1809年" "9月28日"・・・Google80件

​http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%96...​

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机上論 ~ 誕生年月日の諸説混在について ~

   かつて《三省版》では、西暦年と陰暦月日を、無造作に連結していた。平成改元によって、暦日の表記に関心が高まり、《新潮版》では間に合わなかった太陽暦との併記が、はじめて《朝日版》で達成された。

   従来の通説は“9月28日”だったが、ネット上に“3月14日”説が登場(陽暦4月28日)した理由は、現時点では分らない。とくに新説や新資料が出現したのなら、それなりの話題になっていなければならない。

   生没の一級資料は、当地の菩提寺や資料館でしか確認できない。一般的に(異なった暦法の対照にあたり)誤換算の可能性は少ない。したがって、つぎの三通りの可能性が考えられる。

   諸説・異説・通説・誤説・旧説・新説など考証・解釈に起因する。誤記・誤植・誤写(誤転記)・誤入力(タイプミス)など過失による。誤認識(9月→4月)のように、磁気・光学による場合もある。

   以下は、代表的な文献における生没年月日の表記(陰陽照合済)。

   姓  名        西暦   生地 没年月日 行年/元号.生没年月日
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 島津 斉彬 鹿児島藩主 1809‥‥ 江戸 1858‥‥ 49 /文化 6.0928~安政 5.0716
── 《学習人名事典 修訂版 19890501 三省堂》P379
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 島津 斉彬 鹿児島藩主 1809‥‥ 江戸 1858‥‥ 49 /文化 6.0928~安政 5.0716
── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社》
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 島津 斉彬 鹿児島藩主 18091105 江戸 18580824 48 /文化 6.0928~安政 5.0716
── 《日本歴史人物事典 19941130 朝日新聞社》P807 井上 勲
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 島津 斉彬 鹿児島藩主 18090428 江戸 18580824 49 /文化 6.0314~安政 5.0716
── 《Wikipedia》
http://www.geocities.jp/bane2161/simazunariakira.html​



学会分裂か、大石寺と和解か
(サンパウロ・フォーラム)

行政調査新聞社


さて、それはともかく。創価学会門徒も上層部も知らないだろうが、超トップのみが知りえている「池田大作の資産」の問題が、今、世界のウラ社会で話題となっている。それも超一級の話題である。

 池田大作は個人資産としてスイス銀行に膨大額の預金を保持していた。これは「個人名義」のものであり、決して学会名義のものではない。

 ところが、である。ご存じの通り今年になってスイス銀行は「個人名義の預金」を一切扱わなくなってしまった。団体名義(創価学会名義)だったら預かってくれるのだが、池田大作は1兆円の資産を「個人資産」としてスイス銀行に預けていたのだ。

 で、スイス銀行が個人預金を扱わなくなったので、仕方なく池田大作名義の個人預金は他所に移すしか方法がない。紆余曲折はあったようだが、結論として、ニューヨークに六〇〇〇億円、ブラジルに四〇〇〇億円と振り分けられた。

 ここで問題となるのは、「なぜブラジルなのか?」という点だ。そういえば統一教会もその資産をブラジルに預けている。日本の統一教会の大塚(現会長)もブラジルに飛んでいる。それどころか、『生長の家』もまたブラジルに資金を置いているというのだ。いったいブラジルに何があると言うのか?

 何も無い。いや、少なくとも世界中の情報機関、マスコミは、ブラジル金融界の異常事態を把握していない。スイス銀行が個人預金を拒否した時点から、莫大というか天文学的な額のカネがブラジルに移動している「謎」を、誰も解明しようとしていない。じつを言うと、本誌もまた、まったく「?」状態でしかない。ただ一つ、強引な結び付け方ではあるが、『サンパウロ・フォーラム』の存在だけが気にかかる。

 今さらここで銀行のイロハを語るつもりはないが、銀行は預金をもらって利子を払う機関ではない。カネを貸して儲ける営利団体である。ブラジルに天文学的なカネが預けられたら、とにかくどこかに貸すしかない。それが将来的に「不良債券」となるか否かはどうでも良い話であって、今、目の前のカネの山は、借りてくれる誰かに貸さない限り銀行は存在意義を失う。

 とんでもないカネがブラジルに集まった。そしてブラジルには、世界の紛争地域に顔を見せるサンパウロ・フォーラムがある。普通 に考えれば、これらのカネがどこに流れたかは簡単に推理できるというものだ。


カイロ宣言
国立国会図書館 戦争終結と憲法改正の始動


対日方針を協議するため1943年11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。蒋は会談で、ルーズベルトの問いに答え、天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきだと論じた。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。


テレサ・テンの日本でのいじめがはっきりするのは1987年からで、「ほめ殺し」という奇妙な日本語が使われだした時期と一致する。しかも、政治家が作り出している。日本政府の「語呂合わせ」にかかる執拗な態度がよく表れている。

皇民党事件
ウィキペディア


皇民党事件は自民党の総裁指名に関し、1987年に起こった事件。

この事件を取材したジャーナリストの岩瀬達哉によると、ほめ殺しなる言葉を定着させたのは、浜田幸一だとされる。岩瀬が竹下の生い立ちや、同事件の取材をまとめた「われ、万死に値す」の文中で、浜田が、竹下の意を受け、工作資金を持参し皇民党を訪問するものの、一顧だにされず、逆ギレした浜田が発した言葉が、「お前らのやってることは、ほめ殺しじゃないか」だったとのことである。

テレサ・テン
ウィキペディア


1984年再来日。レコード会社をトーラスレコードに移籍、日本でリリースした『つぐない』、『愛人』がそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』が200万枚を売る大ヒットとなる。1984年から1986年にかけ、日本有線大賞及び全日本有線放送大賞の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞した。1985年12月には、彼女のソロコンサートとしては最後となるが、最大規模の演出をこらしたNHKホールコンサートが開催される。この時の歌唱は彼女のライブ公演の中でも最高の水準のものとして高い評価を得ている。

1987年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動を殆ど休止するようになった。1990年以降はパリに居住。中華人民共和国の北京における天安門事件に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持った。1990年代に日本をはじめとするアジア各国で二回ほど彼女の死亡説が流れたりもした(一度目は1990年5~6月に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が、二度目は翌1991年4~5月に病死説・暗殺説が流れている。死亡説に対してはそれを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた)。1980年代後半以降のテレサは演歌・ムード歌謡というよりもJ-POP寄りで、ASKAや桑田佳祐、ZARDの坂井泉水らの曲も歌っているため、必ずしも演歌歌手とはいえない部分が多い。日本での最後のテレビ出演は、1994年11月に放送されたNHK『歌謡チャリティーコンサート』(仙台市にて公開録画)だった。


11月27日は「タミル・イーラム解放のトラ」の「英雄の日」
ウィキペディア


奇襲作戦やゲリラ攻撃を得意としている。自爆テロで多くの要人を殺害しており、実行者の中には女性も存在する。LTTEの兵士は、自分自身の生命も、他人の生命も評価していない。

海上部隊は「シー・タイガー」と呼ばれ、2007年中にはLTTEの輸送船への攻撃も含め、スリランカ海軍との海戦が頻発するなど、両者はしばしば衝突している。

戦闘の本格化に伴い、2007年3月、LTTEは内戦史上初となる改造民間機を投入した航空攻撃を敢行した。近代的な防空システムを持たないスリランカ軍はゲリラ的な空襲に対して有効な対応を取ることが出来ず、低速のレシプロ機による首都爆撃をそのまま見過ごすという失態を演じた。

しかしながら、地上においては政府軍は北部及び東部での戦闘を優位に展開しており、一連の航空攻撃及び無差別テロの激化はLTTEの苦境を示すものではないかとも見られている(2007年3月26日の産経新聞掲載記事より)。

LTTEの新兵は、厳しい教育とイデオロギー工作を受ける。1987年10月、政府海軍に逮捕されたLTTE17人は青酸カリで服毒自殺を図り、12人が死亡している[5]。

一般のタミル人に向けては、例年11月27日(『英雄の日』ヴェラッピライ・プラバハカランの誕生日)にプラバハカラン自身がLTTEの戦闘方針や指導方針について演説している。


【ムンバイ同時テロ】死者は日本人ら125人に、武装集団なお立て籠もり
産経ニュース 2008.11.28


インド西部の中心都市ムンバイ中心部で26日夜(日本時間27日未明)起きた武装集団による同時多発テロは、銃撃や爆発で日本人を含む125人が死亡、300人以上が負傷する惨事となった。インド治安部隊は27日夕、テロリストが立てこもるタージマハルホテルとトライデントホテルなどで、人質の救出とテロリストの制圧作戦に乗り出し、人質の一部を救出したが作戦は続いている。

 武装集団は自動小銃や手投げ弾を使い、ホテルだけでなく外国人の多い食堂や、主要駅のチャトラパティ・シバジ駅、病院など十数カ所を一斉に襲撃。このうち、トライデントホテルで銃撃を受けた三井丸紅液化ガス関東支店課長、津田尚志さん(38)が死亡。同社東北支店長の結束達也さん(44)は軽傷を負った。

 現地からの報道や日本政府の発表によると、ホテルでは人質以外に日本人8人を含む多数の客が部屋から出られなくなっている。

 インド治安部隊がホテルを包囲し、時折激しい銃撃音と爆発音が鳴り響き、時折窓から炎があがる中、現地の警察は27日午後、タージマハルの人質は「全員救出された」と発表した。英BBC放送によると、同ホテルでの制圧作戦は続いているもようだ。

犯行について、「デカン・ムジャヒディン(イスラム戦士)」を名乗るイスラム過激派とみられる組織が犯行声明を出した。立てこもっている犯人の1人は、地元テレビに対し、インドで逮捕されたムジャヒディンの解放を要求すると述べた。別の犯人は、「政府が話し合いに応じれば人質を解放する」と言い、「カシミール地方でイスラム教徒がどれだけ殺害されてきたことか」と訴えた。インドのシン首相は、犯行を「入念に計画、組織化されたもので、恐らく外国とつながりがある」と非難した。

 インド治安部隊の指揮官は27日、武装グループはパキスタンから入国したと述べ、パキスタンに拠点を置くイスラム過激派組織の関与を示唆した。

 タージマハルから逃れた宿泊客は、英BBC放送に対し、「犯人は米国と英国のパスポートを持っている客を探していた」と証言。犯人らはジーンズとTシャツを着た若者だったという。

 また、武装集団はユダヤ教関連施設の入るビルも占拠し、ユダヤ教の聖職者を人質にとっているという。グループの人数は不明


「海賊たちは銃を持ったドラッグ中毒」、解放された船員が会見
AFPニュース 2008年11月24日


海賊による襲撃事件が後を絶たないソマリア沖で乗っ取られ、最近解放された日本の海運会社所有の化学タンカー、「Stolt Valor」号のインド人乗組員らが24日インドのムンバイ(Mumbai)で記者会見し、「海賊たちは金銭だけを目当てとする銃を持ったドラッグ中毒者だった」と証言した。

 9月15日に乗っ取られた際、Stolt Valor号にはインド人18人、フィリピン人2人、ロシア人とバングラデシュ人各1人の乗組員22人が乗り込んでおり、11月15日に解放されるまで拘束されていた。解放にあたって身代金として約250万ドル(2億4000万円)が支払われたとみられている。

 インド人船員のうち4人は、同船が解放後向かったオマーンから24日早朝、空路ムンバイに到着した。残る14人も25日に帰国する予定だ。

 24日到着したなかの3人はムンバイで会見し、海賊の一味は約30人で、襲撃時には高速ボートから携行式ロケット弾(RPG)を発射してきたと述べた。

 研修生として乗り込んでいたNaveed Burombkaさん(20)は「最初、相手はRPGを撃ってきたが、われわれの船まで10-15メートルのところで落ちた。その後、海賊たちは乗り込んできて、船の上から発砲した。誰も何が起きているのか分からなかった。彼らは自動小銃、RPG、スタンガンを持っていた」と語った。

 給仕長のAllister Fernandesさん(25)は、四六時中銃を突きつけられ、船員たち全体に恐怖が広がったと述べた。海賊たちは身元をまったく隠そうとしなかったという。「22人全員がずっとブリッジにいなければならなかった。眠るのもそこで容赦なしだった。何をするにも彼らの許可が必要だった。祈ることでどうにか生き延びた」

 Burombkaさんによると、海賊のなかの1人が身代金交渉を受け持ち、船長には最新の状態が知らされた。海賊は近くにいるほかの武装グループとも連絡を取り合っているようだったという。Burombkaさんは、身体に傷を負った人質はいなかったが「精神的な拷問だった」と述べた。


交戦で約150人死亡 スリランカ北部
47NEWS 2008.11.24


【ニューデリー24日共同】AP通信によると、スリランカ軍当局は24日、同国北部で政府軍と反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との間で23日、交戦があり、LTTE側の120人と政府軍側の27人、計147人が死亡したことを明らかにした。

 軍当局は声明で、政府軍部隊がLTTEの拠点である北部キリノッチに向けて進撃、複数の地点で反撃を受けたため交戦となったとしている。


インド海軍のフリゲート艦がソマリア海賊船を爆発炎上、撃沈する
らばQニュース 2008年11月19日


つい先日ソマリアの海賊が、「イギリスの海軍に返り討ちにあったニュース」を紹介しましたが、その後すぐに「サウジアラビアの石油タンカーが海賊に乗っ取られる」、という事件が起きました。

乗っ取られたタンカーの規模としては世界記録となり、積載していた200万バレルのオイルはサウジアラビアが1日に産出する4分の1の量で、1億ドル(約97億円)を下らないと言われています。乗組員たちは25名ほどおり全員無事のようですが、今のところ身代金の要求はありません。

このソマリア海賊の凶悪化する事態を世界中が問題視しており、各国で警戒中ですが、そんな最中にインド海軍の誇るフリゲート艦が海賊の大型船を爆発炎上、撃沈させたという報道がありました。

BBC NEWSによると、インド海軍のフリゲート艦「Tabar」はソマリアの海岸線の警戒活動にあたっていました。 そこへ海賊と見られる大型船を発見し、乗組員たちが銃やロケット砲などで武装をしていたことから、取調べのため停船要求を出しました。

ところが海賊たちは、近づけばインド海軍の「Tabar」を爆破すると脅してきた後、砲撃してきたと言います。

これに対しインド海軍側も反撃に出て、海賊船を爆破炎上、沈没させました。爆発の主因は積み込んでいた弾薬に引火したためと見られています。

海賊の数人ほどがスピードボート2艇で逃亡し、インド船が追跡すると1艇は乗り捨てられ、もう1艇は逃げ切ったそうです。

バトルアックスを意味する「Tabar」は、10月23日よりこの海域の警備に当たっており、現在まで35艇の船を安全に護送してきました。先週もヘリコプター奇襲部隊によって、インドの商船が海賊に襲われているところを防いだばかりだそうです。

世界の海賊事件の3分の1はこのソマリアの海岸線で起きているというほど、乗っ取りが多発しており、今年に入ってすでに90もの大型船が奪われています。

身代金のほとんどは、さらなる新しい武器や船の購入に使われており、犯罪が凶悪化していく一方のようです。

このインドの海賊船撃沈のニュースは頼もしいところですが、ついにタンカーまでが奪われるなど、しばらくソマリア海域から目を離せないことになりそうです。


社会主義論を議論
ブラジル 労働党大会が閉幕
しんぶん赤旗 2007年9月4日


八月三十一日から当地で開かれていたブラジルの与党、労働党の第三回大会は二日、諸文書を採択し、閉幕しました。

 大会には、九百人余の代議員に加え、四十を超える国から約六十の政党代表らが来賓として出席しました。日本共産党からは緒方靖夫副委員長を団長とする代表団(団員=神田米造国際局次長、菅原啓同局員)が参加しました。日本からの参加は、日本共産党だけです。

 会場には「ブラジルとともに二十七年。より強固な労働党を」、「新しいブラジルの建設を」というスローガンが掲げられ、「社会主義」、「われわれの望むブラジル」「労働党の活動」を主要なテーマに討論がおこなわれました。

 今回は、労働党が与党になって初めての大会となりました。この新しい状況をふまえて、十七年前に確認された労働党の社会主義論を発展させる方向での討論がとりわけ熱心におこなわれたのが特徴です。代議員たちは、「今日の資本主義の発展をどう分析し、どういう変革を対置するのか」「ソ連のいわゆる『社会主義』をどうとらえるのか」「ブラジルの社会主義に向けた展望と闘争形態をどう示すのか」など、活発な議論を繰り広げました。


アパ代表「私の判断で賞あげてもいい」 田母神論文表彰
朝日新聞 2008年12月9日


日本の侵略を正当化する論文を発表した田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)が更迭された問題で、懸賞論文を主催したホテルチェーン「アパグループ」の表彰式が8日、東京都内であった。記者会見で元谷外志雄代表は「私が(論文審査を)主導してやったという気持ちはない」と強調したが、審査経過に質問が集中すると「どだい民間会社がやる懸賞論文制度だから、(主催した)私がいいと思った人に賞をあげても何らおかしくない」と語った。

 会見には、審査委員長の渡部昇一・上智大名誉教授、審査委員の花岡信昭・産経新聞客員編集委員も出席。最優秀賞を取った田母神氏は非公開の表彰式に参加したが、会見には姿を見せなかった。賞金300万円は辞退したという。

 元谷氏によると、アパ内で全応募数235作品から事前に25作品に絞り込む時点から、元谷氏は応募者名や肩書を知った上で作業に加わった。25作品について審査委員(4人)と採点した際には、元谷氏だけが応募者名などを知りうる立場にあり、最高点をつけたと認めた。ほかの委員には採点後、氏名などが知らされたという。

 田母神氏の更迭について「職を賭けた結果。(田母神氏にとって)本望ではないか」と高く評価し、「(退職後に同じ論文を発表しても)何の話題にもならない」と述べ、空幕長としての応募に意義があることを強調した。

 懸賞論文には田母神氏以外の自衛官97人が応募していた。これらの内容について、「(田母神氏と)考え方が近い人が多かった印象を持っている」とし、最終選考25点の中に自衛官数人の作品が残っていたことも明らかにした。


オバマ氏、退役軍人長官に日系のシンセキ氏を指名
NIKKEI NET 2008.12.8


オバマ次期米大統領は7日(日本時間8日)の旧日本軍による真珠湾攻撃67年の記者会見で、日系3世のシンセキ元陸軍参謀総長を退役軍人長官に指名すると発表した。真珠湾が爆撃された12月7日を「恥辱の日」と表現したが、攻撃を仕掛けた日本には言及せずに終わった。

 シンセキ氏はアジア系初の陸軍参謀総長で、イラク戦争を巡って当時のラムズフェルド国防長官らと対立、退任した。7日の会見に同席し「イラクやアフガニスタンで戦った軍人たちは特に、深刻な傷を背負い、低迷する経済状況のなかで生活するのが困難な状況だ」と語り、退役軍人の社会復帰に注力する姿勢を示した。

 オバマ氏は真珠湾攻撃が米国民に与えた衝撃と、当時の日系アメリカ人が複雑な立場に置かれた状況を踏まえ「シンセキ氏も私もハワイで育っており、それが何を意味するのかわかっている」と語った。


ストーカー判事は桶川事件居眠り判事
スポニチ  2008年05月24日


山梨県内の裁判所女性職員に対するストーカー規制法違反容疑で21日に逮捕された宇都宮地裁判事下山芳晴容疑者(55)が、女性に複数回、無言電話をしていたとみられることが23日、山梨県警の調べで確認された。下山容疑者は同法成立のきっかけとなった埼玉県桶川市の女子大生刺殺事件の公判を担当。公判で居眠りをしたなどの理由で担当を外されていた。

 関係者によると、下山容疑者は浦和地裁(現さいたま地裁)刑事部の裁判官として、2000年5月に初公判が開かれた桶川事件の公判などを担当。しかし、公判中に目を閉じて下を向くことが多く、女子大生の遺族らに「居眠りしている」と指摘され、判決前の01年3月、浦和地裁民事部に配置換えになった。

 桶川事件は1999年10月、桶川市の路上で女子大生=当時(21)=が刺殺され、元交際相手の兄らが逮捕された事件。犯人グループの嫌がらせに悩んだ女子大生の告訴を上尾署員が「被害届」と改ざんするなど捜査を怠ったことが発覚した。悪質なストーカー犯罪として捜査の在り方とともに論議を呼び、事件発生からわずか半年後の2000年4月に規制法案が提出され、5月にスピード成立。同11月24日に施行された。

 一方、下山容疑者が女性職員に無言電話をかけていたとみられることが判明。山梨県警によると、女性への無言電話は非通知で複数回あり、公衆電話からもあった。県警はこれまでの調べで下山容疑者がかけていたとほぼ特定したという。

 下山容疑者は甲府地裁都留支部長だった今年2月から3月にかけ、フリーメールで女性に「今度いつ会えるかなぁ」などと面会を迫るメールを匿名で10数回送った疑いで逮捕されたが、送信元が特定されるようなアドレスでもメールを送信していたため、女性は下山容疑者を疑っていた。

 ストーカー規制法は動機を恋愛感情やそれが満たされないための恨みなどに限定している。下山容疑者はメール送信の事実は認めているものの、「恋愛目的ではない」と説明。裁判官らしく「(自分の行為は)ストーカー規制法の構成要件に当たらない」と容疑を否認しているという。

 ストーカー行為の一方で、下山容疑者は3月、大学時代の同級生の警察庁幹部に「部下の女性がストーカーに苦しんでいる」などと相談し、捜査を山梨県警に依頼。これがきっかけで容疑が発覚した。


刑事裁判、被害者参加始まる
朝日新聞 2008年12月03日


一定の犯罪の刑事裁判に被害者や遺族が参加できる「被害者参加制度」が1日から始まる。日本司法支援センター三重地方事務所(法テラス三重)は、経済的余裕がなく、弁護士を依頼できない被害者のために、国選弁護士を推薦し、通知する業務などを担う。

 この制度は、殺人や逮捕監禁、強制わいせつ罪などの一定の事件で、被害者やその家族、遺族が法廷で証人や被告人に質問したり、処罰についての意見を述べたりできる。

 被害者参加人は、自分で出廷するか、弁護士への委任ができる。「国選被害者参加弁護士制度」では、資産が150万円未満で、国選被害者参加弁護士に権限行使を委託する際は、国選弁護士への報酬は法テラスが支払い、被害者参加人に返還の必要はない。 また、有罪になった被告人に損害賠償請求ができる「損害賠償命令制度」でも、経済的余裕がない被害者は、法テラスの民事法律扶助制度を使って手続きを委任できる。ただし、返還義務が生じる。

 こうしたサポートは、全国50の法テラスで受け付けている。11月27日現在、三重弁護士会の会員98人のうち13人が国選被害者参加弁護士を希望。法テラス三重は「制度の円滑な運用に向けて関係機関と連携し、被害者の方々に満足してもらえる情報提供やサポートに努めたい」。


「化石賞」1位に日本
COP14 交渉後ろ向きの栄誉?

京都新聞 2008年12月13日


気候変動枠組み条約第14回締約国会議(COP14)で9日、交渉の進展に後ろ向きな姿勢を見せた国にNGO(非政府組織)が皮肉たっぷりに贈る「本日の化石賞」の1位に日本が選ばれた。2013年以降の温暖化対策の協定をめぐり、日本が米国、カナダとともに具体的な数値に言及することに反対したため。

 ■数値具体化反対で

 日本はこの日、京都議定書が規定していない13年以降の先進国の排出削減について、非公式交渉で示された議長案が「先進国全体で25-40%の削減が必要」とのIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の最新報告書に言及していることに反対した。IPCCの同報告は、昨年12月のCOP13で採択された「バリ行動計画」でも言及されており、化石賞を贈っている国際NGOの気候行動ネットワークは「日本などの姿勢は交渉を逆回転させようとしている」と批判している。

 これに対し、日本の交渉担当者は「京都議定書を否定している米国のブッシュ政権が正式に交代し新政権が新しい態度を示さないことには、数値の議論は意味がない」と説明している。


イラク人記者、ブッシュ米大統領に靴投げつける
朝日新聞 2008年12月15日


ブッシュ米大統領は14日、イラクの首都バグダッドを予告なしに訪問。今年末で期限切れを迎える国連安保理決議に代わり、米軍が来年1月以降もイラクに駐留する根拠となる米軍駐留協定にマリキ首相とともに署名した。イラク訪問は任期中最後とみられる。

 AFP通信などによると、マリキ氏と臨んだ記者会見で、反米感情を抱いているとみられるイラク人記者が突然立ち上がり、アラビア語で「別れのキスだ。犬め」「夫を失った女性、親を失った子どもたちからの贈り物だ」などと叫びながら左右の靴を一つずつブッシュ氏に投げつけた。ブッシュ氏はとっさに身をかがめてよけた。ブッシュ氏は「彼が投げた靴のサイズは10(約28センチ)だった」と冗談を言い、会見を続行した。

 懸案の協定締結にこぎつけたブッシュ氏は、イラク情勢について「勝利に向かっているが、戦争は終わっていない。やるべきことは残っている」と話した。

 また、タラバニ大統領と会談したブッシュ氏は、03年3月のイラク戦争開戦以降続いている米国のイラク介入について「難しい仕事だったが、米国の安全、イラクの希望、世界平和のために必要だった」と振り返ったという。

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