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日本の陰謀(2) 3項


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79  2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている 2008/5/9
79-1  重巡洋艦利根の艦長 黛治夫 2008/5/12
80  捕鯨船団は海上自衛隊の別働隊 2008/5/13
81  競艇ギャンブルとミャンマー軍事政権 2008/5/20
82  二人の読売ジャイアンツ・ゴンザレスを不幸が襲う 2008/5/27
83-1  TICADと呼ばれるアフリカ開発会議 2008/6/2
83-2  ティカッド(TICAD)という奇妙な造語 2008/6/4
83-2B  南アフリカマンデラ元大統領 2013/12/6
83-2C  日本の金鵄勲章と文化勲章 2013/12/17
83-2D  マンデラはルイ16世の生まれ変わり 2013/12/19
83-2E  東京湾アクアラインは天皇一族のシンボル 2013/12/23
83-2F  史上最大の台風が山口百恵を祝福 2014/4/12
83-3  アフリカと言えば 鈴木宗男 2008/6/4
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  2008/5/9  #119

日本の陰謀 (79)

2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている

先日 英国誌デイリー・メールで後述の記事を見つけた。旧日本軍の残虐行為を聞くたびに、この日本人の性癖は変わっていないと思う。今日でも正直な日本人は様々な人間から脅され黙らされている。実際、日本社会から疎外されているのだ。ところが、この手の陰謀は手が込んでおり、その被害者は何故こういった嫌がらせを受けるのか、何が悪いのか理解できないことが多い。それで、本題に入る前に今日の日本社会について少し触れてみる。

知覧特攻平和会館

ある日、私はカナダ人の友人とこの会館を訪れた。この友人は特攻隊のパイロットと文通しており、そのパイロットの写真を見たいと言った。それで、案内人に尋ねてみた。すると、その案内人は、「ここの会館には亡くなられたパイロットのみを展示しています。存命の方の遺留品は展示していません。」と答えた。

この話は現在の日本社会をまざまざと映し出す。第二次世界大戦を経験した兵士は政府から緘(かん)口令を敷かれた。表面上は政府は何もしない。だが、実際は、あらゆる人間を使って正直に事実を話す人間を黙らせる。戦後60年以上経つが、未だにこういった封建的な制度を続ける。いや、この統制はますます強化されている。

神風特攻隊

知覧特攻平和会館 (1)

知覧特攻平和会館 (2)


日本は本当に二枚舌社会だ。戦後、日本兵は脅され完全に黙らされた。だが、こういった兵士が死ぬや否や突然靖国神社に祭られる。それゆえ、多くの日本人にとって、有名政治家の靖国参拝は、正直な兵士や口答えする国民に対する残酷な仕打ちの、単なるごまかしでしかない。死んで兵士は、必ず尊敬される。何故なら、「死人に口なし」だからだ。

過去に痛みつけた人を、死んだからといって尊敬する人は絶対にいない。

約2割の日本兵は本当に残虐だ。残りは正直であるが、それゆえ脅される。今日でもこの社会構造は続く。悪いことに、この2割の悪人どもは、完璧な偽善者だ。表面上は礼儀正しい紳士を気取る。この特攻平和会館の石碑はその一例だ。

2万人の連合軍兵士を虐殺した冷血日本兵は、今日幸せに暮らしている
デイリー・メール 2007年11月3日


第二次世界大戦中の最悪の戦争犯罪者である旧日本兵が、今日日本で何ら罰せられず生きていることを暴露する本が発刊された。

イギリスの海軍史家マーク・フェルトン氏は、戦時中の 大日本帝国海軍 ヒトラーの率いた ドイツ海軍よりもはるかに残虐であったことを明らかにした。

フェルトン氏によると、大日本帝国海軍将校は、 ジュネーブ条約に違反する故意の残虐行為により連合軍水兵2万人と数多くの市民を殺害することを命じた。

フェルトン氏は、「こういった虐殺行為を行った日本兵の多くは未だに健在だ。」と言う。

「この60年間、この男たちは何の不自由なく生きている。生き残った敵兵を虐殺したことで罪に問われた事件は、ドイツの Uボート艦長の1件だけだ。大日本帝国海軍では、それは正式な上官からの命令だった。」

フェルトン氏は、残虐行為をリストアップし、「日本海軍は連合軍の商船や 病院船を沈没させ海上や救命ボート上の生存者を虐殺した。」と言った。

「海上から救出された連合軍パイロットは、その後、甲板上で拷問により殺された。」

海軍陸戦隊は市民を包囲し、レイプし虐殺した。中には、鮫の餌として海に放り投げられる者もいた。他の者たちは、大槌、銃剣、斬首、絞首刑、溺死、生き埋め、火あぶり、磔(はりつけ)などで殺された。

「私は、捕虜の生体解剖実験が海軍軍医により行われたことの詳細を突き止めた。」

フェルトン氏の調査により、英国海軍を模範としたと言われた日本海軍の行った戦争犯罪の全貌が始めて明らかにされた。既に所在不明となっている文書を考慮すると、少なくとも12500名の英国兵と7500名のオーストラリア兵が虐殺された。

フェルトン氏は1944年3月9日 重巡洋艦利根により撃沈された 英国商船ビハール号の事件を引用する。利根の 黛治夫艦長 海上の生存者を引き上げ10日間甲板の下に閉じ込めたあと手錠をしたまま船尾に集めた

腹と股間を日本兵から蹴られ、一人ずつ日本刀で首をはねられ、海に放り投げられた。

上級将校の三井純輔氏は指令に背いて連合軍に協力した。だが、実際の戦争犯罪に関する証拠を示したのは拘束されていた時だけだった。一方、その犯罪行為を行った将校の多くは戦後も責任追及を免れた。

伊号第八潜水艦の甲板上で虐殺される連合軍兵士を見つめる日本の水兵


英国商船ビハール号
生き残った船員は日本刀で首をはねられた。



捕虜を虐殺する残酷な日本兵


フェルトン氏はまた、当時21才の無線技師で オランダ船籍の商船チサラク号に乗り合せた数人の英国人の一人、ジェームズ・ブレアース氏から聞いた恐ろしい話を述べた。乗客・乗組員103名を載せてメルボルンからセイロンに向けて航行中のティサラック号は1944年3月26日 伊号第八潜水艦の発射した魚雷を受け沈没した。

ブレアース氏と他の生存者は、海上から引き上げられたり救命ボートから潜水艦に乗り移るよう命じられた。そして全員潜水艦の前部甲板に集められた。

内野信二艦長は司令塔から不吉な命令を発した。「後ろを振り向くな。振り向いたらいやな目に会うぞ。」・・ブレアース氏は思い出す。

捕虜は一人ずつ射殺されたり、日本刀で首をはねられたり、大槌で殴られたりして殺され、回転するスクリューに投げ込まれた。

ブレアース氏は言う・・「捕虜の一人は頭を半分割られ甲板上でのた打ち回った。他の者たちは一振りの刀で殺され海に投げ込まれた。日本兵は笑っていた。映写機でこの全てを撮影する者もいた。

ブレアース氏は自分の番を待ち、手を縛っていた紐を振りほどき、海に飛び込んだ。機関銃の雨が降ってきた。

数時間泳ぐと救命ボートにたどり着いた。そこには二人の船員がいた。その後、一人のインド人船員も加わった。この船員は、仲間22名とともに伊号第八潜水艦の後部に紐で結ばれ、その潜水艦とともに海中に引きずり込まれた。逃げおおせたのはこの船員だけだったと言う。

日本国内で英雄と賞賛された内野は内地で終戦を迎え、刑罰を免れた。

フェルトン氏は言う。「こういった行為は、1943年3月20日発せられた海軍指令に基づいている。----敵国の船舶や貨物が沈没する時、攻撃を中止してはならない。同時に、船員を完全に殺害せよ。----」

その指令後数ヶ月で 伊号第三七潜水艦は英国商船4隻と軍艦1隻を撃沈したが、生存者は海上で機銃掃射で殺された。

その潜水艦の艦長は戦争犯罪裁判で8年の実刑を言い渡されたが、日本政府は、艦長の行為は正当な戦争行為であったとして、3年後に艦長を釈放した。

フェルトン氏は言う。「最も大きな問題は、日本の戦争犯罪、戦争に関する有力政治家の非常識な発言と歴史の書き換えについて、日本人が見て見ぬふりをすることだ。」

日本人は大東亜共栄圏と呼ぶ植民地解放運動で一般市民3000万人を殺害した。そのうち約2300万人は中国人だった。

これは犯罪だ。犠牲者の数は、ナチスによる ユダヤ人大虐殺をはるかに上回る。ドイツでは、大虐殺がなかったと言うことは犯罪だ。日本では、それは政府の方針だ。日本国内ではほとんど見つからないが、海軍の悪行の証拠は全くひどいものだ。

日本海軍の制海権の広さ、行為自体の凶悪性、将校や兵士の残虐行為は、ほとんど想像を超える。

例えば、1942年2月24~25日、ジャワ島のラハ空港防衛の任務に当たり捕虜となったオーストラリア兵とオランダ兵312名が畠山少将の命令により処刑された。

オーストラリア軍の尋問で二人の日本人から得られた証言は、連合軍で生き残った者はいなかったという事実だった。

「最初の捕虜は、穴の縁に連れて来て座らせられた。佐々木兵曹長が日本刀でその捕虜の首をはねた。見守る日本人の間から大きな歓声が沸き起こった。」と一人の日本人水兵は述べた。

佐々木は、さらに4人の捕虜を処刑した。やがて下っ端の水兵が来て殺戮(りく)を続けた。

処刑が失敗に終わると日本兵たちは笑って冗談を飛ばした。首が半分繋がったまま弱々しく震えてうなり声を上げる捕虜を穴に蹴飛ばした。

オーストラリアは畠山を裁判にかけたが、畠山は裁判の前に死んだ。4人の将校は絞首刑に処せられたが、連合軍側の証人がいないことからその他の裁判手続きは難航した。

フェルトン氏は、「連合軍の中でも米国は戦争犯罪の情報集めに最も熱心だった。」と言う。1945年にフィリピンで一人の米国兵捕虜を生体解剖した上野軍医と8人の日本兵は絞首刑にされた。

しかしながら、英国当局には米国のような人材、資金、資材が欠けていた。50年代に入って、英国労働党政権の日本の戦争犯罪追求は不十分なものになった。


参照 安倍首相・麻生財務相・黒田日銀総裁は、誕生日から、「神風特攻隊三人組」と呼ぶことが出来る
黒田日銀総裁は、神風特別攻撃隊による特攻作戦で初戦果のあった日に生まれた。
この日、日本海軍・関大尉の特攻で、米海軍護衛空母「セント・ロー」を撃沈。
黒田氏の誕生日の語呂合わせは特別であり、ノーベルの子孫である可能性は高い。
また、この年のノーベル賞授賞式とも語呂合わせになっていた
日本国憲法施行40周年記念日の1987年5月3日、朝日新聞社阪神支局が右翼の襲撃を受ける

この事件は、一見「平和憲法」のからんだ事件に見えるが、
実は、1937年、亜欧(あおう)連絡国際新記録を樹立した
朝日新聞社『神風号』の50周年を記念したパロディに間違いないだろう。
残念だが、日本という国家、朝日新聞というマスコミはこの程度でしかない。
特攻隊員の実像 特攻隊員は朝鮮人だったのか?
大本営井本熊男参謀の「天下一品の夜」 南米に逃げたナチ残党
年金・保険の目的 日本では自殺は奨励される 究極の民族浄化
日本の企業はほとんど政府の管理下にある 美女はスパイ 昔から与党も野党もない日本の政治
ハワイ真珠湾攻撃の日 真珠湾攻撃は蒙古襲来の再現 大日本帝国海軍はモンゴル海軍

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/5/12  #119-1

日本の陰謀 (79-1)

重巡洋艦利根の艦長 黛治夫まゆずみ はるお)/rp>

名誉を受けて生き続ける 戦争犯罪者

私は日本軍の戦争犯罪者たちは戦後小さくなって生きているだろうと思っていた。ところが事実はそうではない。彼らは大きな顔をして生きている。

人間は完璧な生き物ではない、当然過ちは犯す。だが、問題は、それからだ、過ちを犯した後の行動が、その過ちの真実を物語るのだ。黛治夫はその一例であり、ここで紹介する。

幸せに生きる戦争犯罪者たち

今の日本社会の問題点は、この「幸せに生きる」ことにある。戦争犯罪者にも死刑が言い渡されない限り生きる権利はある。普通の人として生きるのなら問題はないだろう。日本の問題は、この人間達が権力と名誉を求め、それが完全に実現されることにある。戦争犯罪者は敵国だけでなく日本国民にも敵は多い。言論の自由が保障されれば、いろいろな非難を受けることになる。これは辛いことだ。だが、それは自業自得であり、一般の無実の国民が黙らされたり、嫌がらせを受けねばならない道理はない。

最後の捕鯨船団の記録


昭和12年、ドイツの軍港に
寄港した足柄


捕鯨母船「日新丸」

事例は数多いが、ここでは黛治夫に限って述べてみる。

生体解剖から鯨の解剖に、 大砲から捕鯨の 銛(もり)

人間は年を取ると新たなことに挑戦することが苦しくなる。むしろ、昔取った杵柄(きねづか)を披露することは限りなく心地よい。驚いたことに黛治夫は捕鯨船の仕事に就いていた。

1860年代の捕鯨砲と蒸気動力付きのボートが発明され、近代的商業捕鯨が始まった。現代の捕鯨船には、大型の鯨を捕るために捕鯨砲が積載されている。ナガスクジラ属の鯨は、死ぬと海中に沈んでしまうため、従来の手持ち式の銛を投げて殺す方法では鯨体を収容することが不可能であった。

現代用いられている捕鯨用の銛は、船首に取り付けられた 捕鯨砲(ほとんど大砲のような代物)と、そこから射出される太いロープに繋がれた巨大な槍から構成される。銛の先端部は、水面やクジラの皮層で跳ね返らずに直進して鯨体に貫入するように、弾頭を平らにして摩擦を大きくする形状になっている。さらに、刺さった銛が抜け落ちるのを防ぐため、鯨体内に入ると装てんされた火薬が爆発して鋭いスパイクが開き、銛をクジラの体内に固定する。そのため、モーターでロープを引くことによって、捕鯨船は船の方へクジラを引き寄せることが可能となっている。

砲術と虐殺の大家である黛にはうってつけの職業だった。彼は 極洋捕鯨株式会社にいた。

オレは捕鯨部の黛だ。吉永クンは君か?海軍のことをよく知っているんだってなあ。若いのに偉い!」


黛治夫の誕生日・死亡日 (2010年11月19日追記)

念のために誕生日・死亡日を調べると、徳川幕府の語呂合わせが出てきた。

黛 治夫
(西暦 1899年10月2日 - 1992年10月29日
関連事件:
■ 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷討伐に出発。
■ (誕生)井伊直弼、江戸幕府の大老・彦根藩主。

捕鯨中止は第二の敗戦

戦後の捕鯨は、戦争犯罪者達の新たな活動領域となった。砲術においても生体解剖においても、「先生」と呼ばれる。たまらない喜びだ。これでようやくわかった。 日本は、絶対に捕鯨は止められない

旧日本海軍の中には、 オーストラリアの捕虜になり武装解除させられた苦い経験が脳裏に焼きついている者も多いだろう。中には、将来オーストラリアに雪辱を期す覚悟の者もいるだろう。海上からの 奇襲攻撃には、長年にわたる気象情報、海岸の地形情報(特に珊瑚礁の状況)、海流情報の蓄積はかかせない。最近は、 太平洋からインド洋まで 気象操作の実験場となっている。


カウラ捕虜収容所

オーストラリアとの戦いは続く

2008年1月15日にオーストラリア連邦裁判所は、豪政府の設定した「クジラ保護海域」での日本の調査捕鯨の差し止めを命じた。これに対して、日本の 水産庁遠洋課は「びっくりする判決で『 そんなの関係ねぇ』といったところ。豪裁判所が自国民に対して要求するならまだしも、日本国民に対して要求するのはおかしな話。絶対に受け入れられない」と表明した。

捕鯨船の軍事転用

第二次世界大戦では、キャッチャーボートが 駆潜艇 掃海艇として各国で使用された。第二次世界大戦時の日本では95隻のキャッチャーボートのほか 輸送船用に捕鯨母船6隻全部が徴用され、うち67隻のキャッチャーボートと捕鯨母船すべてが戦没している。また、元々捕鯨船を参考に作られた護衛艦であった 英国海軍のフラワー級コルベットは、戦後日本などで捕鯨船として使用された。

参照 遊覧船「MVエクスプローラー」の沈没事故 南氷洋での給油作戦 最新の日本の陰謀
組織ストーカーの目的 日本は、第二次世界大戦の戦勝国

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/5/13  #120

日本の陰謀 (80)

捕鯨船団は 海上自衛隊の別働隊

日本の 戦争犯罪を調べてみると、 捕鯨問題にたどり着いた。そして、すべてが明るみに出た。今、日本の捕鯨船団が海上自衛隊の別働隊であることを確信する。 理由は以下のとおり。

軍事活動の偽装

第二次世界大戦を振り返ると、戦争は最後は人間と人間の戦いであることがよくわかる。資金や資源や最新兵器がどれだけあろうが、優秀な兵士のいない軍隊は無力に等しい。最新兵器は、設計図と原料があれば簡単に複製を製造できる。しかし兵士は簡単には作れない。優秀な兵士は時間をかけて選抜し、訓練を重ねて技術を向上させねばならない。訓練のみでは不十分だ。それゆえ実戦経験は不可欠だ。

だが、軍事訓練は必ず周辺国の目に留まる。戦争、特に侵略戦争においては、相手国を油断させ、軍事力を弱体化させておくことも重要だ。その点、捕鯨船団は海上自衛隊にとって絶好の訓練場所を提供する。 ナガスクジラは敵国潜水艦攻撃の訓練標的となる。 捕鯨砲は実弾砲撃訓練として使える。クジラの解剖は、敵兵などの人体実験の訓練になる。

かぐや/H-IIAロケット
13号機
打ち上げ 

種子島宇宙センター



M-Vロケット7号機打ち上げ 画像

内之浦宇宙空間観測所

種子島宇宙センターは事実上、 大陸間弾道ミサイルの実験場だ。 地対空ミサイルは固体燃料を使うため、技術が全く異なる。それで、 内之浦宇宙空間観測所で発射実験が行われる。

軍事予算の偽装   日本の軍事費

日本の軍事費の中には大きな問題がある。まず軍事費の定義そのものが曖昧だ。

1. およそ1兆円と言われる軍人恩給が軍事費に含まれていない。軍人恩給は外国では軍事費に含まれる。また、日本では正確な金額もわからない。 防衛省は、これらの軍人は旧日本軍であり、防衛省の予算には含まれないと言う。笑わせる。

2. 海上保安庁の経費が含まれていない。 予算は1900億円というが、中身はほとんど理解できない。人件費が含まれているかどうかもわからない。また関係者の年金も軍事費に含めねばならない。最近の 巡視艇は機関砲を備えている。外国では沿岸警備費用は軍事費に計上されている。当然だ。 日本の警察は海上も取り締まっている。一体、防衛省、海上保安庁、警察の境界はどこにあるのだろうか。

3. 宇宙航空研究開発機構の2004年度宇宙開発予算は1800億円だ。だが、これ以外にも、軍事技術に関連する費用が 科学技術庁から支出されている。

4.これらの予算額が実態を反映しているとは思えない。しかし、それ以外にデータがない。一応、世界における日本の位置を見てみる。 日本の軍事費は世界で第五位。だが、これらの事情を勘案すると第二位になることは間違いない。

指揮系統の偽装

自衛隊法第80条によると、有事で、特に必要な場合、海上保安庁は防衛大臣の指揮下に入る。それゆえ海上保安庁は海上自衛隊の一部だ。

日本の警察組織は一般的には 自治体警察とみなされている。しかし、 都道府県公安委員会ではなく、 警察庁自体が 都道府県警察に対する指揮命令権を有すること、警察庁や道府県警の警察本部の幹部は 国家公務員であることから、日本の警察は事実上、 国家警察だ。

遠洋漁業と捕鯨

捕鯨でもそうだが、 漁船は戦時には軍用に切り替わる。平時でも戦時でも漁船が海外の港に入港するときのチェックは甘い。秘密物資・資金の引渡しは容易だ。最近は GPSを使うと、海上での引渡しは簡単に出来る。日本人は魚が好きだと言われるが、昨今の 牛肉騒ぎなどを考えると、政府による強力な誘導が感じられる。例えば、 宴会は魚料理と決まっているが、誰が決めたのだろうか。歴史的に日本人が魚を多く食べた記録はない。

とにかく遠洋漁業は海軍予備隊の強化のため重要だ。その遠洋漁業の強敵が「クジラ」なのだ。クジラが減れば、 遠洋漁業の漁獲高は跳ね上がる。遠洋漁業が拡大すれば海軍予備隊が強化され、世界中の海上・港の調査、情報収集、 破壊活動 諜報活動などが自由に出来る。世界各国が 排他的経済水域の設定を行い、捕鯨の禁止に動くのは、水産資源だけの問題からだけではない。裏には、こういった日本の深刻な問題がある。

日本が捕鯨問題で世界と足並みをそろえるのは、日本が軍事拡大・世界支配という野望を捨てた時だけだ。

参照 海洋環境保護団体と言われるシーシェパードが日本の調査捕鯨母船日新丸を攻撃した日は、
ビンラディン50才の誕生日だった。パロディの可能性が高い
日本航空123便墜落事故と海上保安庁長官 イージス艦衝突事故 セーラー服と機関銃
台風をあやつる 飛行機を運ぶ輸送艦 コンチネンタル航空3407便墜落事故
天理教と海上保安庁 組織ストーカーの目的

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/5/20  #121

日本の陰謀 (81)

競艇ギャンブルとミャンマー軍事政権

私は、たまたまビルマの新聞を読んだ。この新聞は、IRRAWADDYという新聞で、ネット上の説明では亡命ビルマ人ジャーナリストの発行する、不偏不党の新聞のようだ。だが、中身は私を圧倒した。嘘で書ける内容ではない。一応紹介する。不適切な翻訳は容赦ください。

日本にとっての敗戦の意味

この記事を読んで痛切に感じたことは、日本人には戦争とスポーツの区別がないことだ。スポーツは確かに参加することに意義があり、試合の勝敗は結果であり、全力を尽くして戦うことに意味がある。

だが戦争は違う。本来、戦争は通常の国家ではありえない。犯罪国家(侵略国家)が出現し、犠牲者が増え、自衛・救援のために軍隊を派遣して戦争になる。確かに、武力の優劣で勝敗は決まる。だが、人道上の犯罪と正義の違いは人類の歴史に深く刻み込まれる。

東京裁判 画像

南京大虐殺

人類の歴史を見れば明らかだ。野蛮の限りを尽くして帝国を築いた国家は、その後の歴史は無残だ。かつて チンギス・ハーンは「 敵国を滅ぼしてその国の皇女をレイプするのが最大の楽しみだ。」とうそぶいた。ローマ帝国末期にローマを占領した野蛮民族の代表 ヴァンダル族は滅亡すると、その跡形もない。

オリンピックと戦争の区別のつかない日本人が多いことは悲しいことだ。

IRRAWADDY 2007年12月

波乱万丈の慈善団体


ミャンマーで活動する日本の二つの団体は第二次世界大戦中、極右 戦争犯罪者に関わっていた。

1945年12月の寒い日、東京の 巣鴨拘置所に向かって一台のトラックが走っていた。荷台では40代半ばの男が、「バンザイ、バンザイ」と叫んでいた。そのトラックに続いて、軍楽隊が 軍艦マーチを演奏して追走した。

戦犯容疑者の 笹川良一は、旧日本軍幹部を収容する米軍巣鴨拘置所に自ら出頭するところだった。笹川は上海に本拠地を構え、中国から金、ダイヤモンドその他の貴金属を略奪し、陸軍の要求する物は何でも供給した。

当時の笹川の仲間に 児玉誉士夫がいた。児玉は後に 暴力団の指南役で政界の 黒幕となる。戦後この二人は刑務所仲間となった。

1947年6月に 米国諜報機関の作成した報告書には、「笹川は20年以上にわたって軍事侵略と 国粋主義を唱える日本政府の背後で活動した。多額の資金を持っているが、管理はずさんだ。権力維持のためには金は惜しまない。打算にもとづいて行動するだけの男だ。」と書かれている。

20年後、笹川は自分の名前をつけた国際財団の会長になった。この基金は主にアジアの健康と教育に関する活動を行う。笹川は平和を愛すると言い、そのグループの中には、 笹川平和財団というものもある。笹川は1995年に死亡したが、笹川の人生最大の後悔は ノーベル平和賞を受賞しなかったことだと言われる。

当初からミャンマーは笹川財団とその関連団体の 日本財団が特に活発に活動する地域の一つだった。児玉誉士夫とともに1940年代後半の巣鴨拘置所で笹川の囚人仲間だった男に、1957年から1960年まで首相となった 岸信介がいた。岸は、日本国内のビルマ人団体を率いた。また、1987年までミャンマーのあらゆる援助事業に関与した11の商社からなる 日本ミャンマー協会も指揮した。

最近では、笹川財団と日本財団は健康関連計画のほか、 ミャンマー国際戦略研究所の主催する「ミャンマーにおける国際経済の研究」に関するセミナーを支援してきた。笹川財団は2000年3月創刊の週刊誌「 ミャンマー・タイムズ」に出資している。だが、オーストラリアの月刊誌「 ディプロマット」は、その2007年11月・12月号で、その週刊誌は単なる軍事政権の応援団だと酷評した。

山口洋一元駐ミャンマー大使は最近、ヤンゴンでの僧侶たちによる反政府デモを弾圧する軍事政権を公然と支持し大きな非難を浴びた。 山口大使は、笹川財団とつながっていた。2003年12月14日 ミャンマー国営紙「ミャンマーの新しい灯」は、軍情報局長 キン・ニュン将軍が、日本財団(12年前に死亡した戦争犯罪者笹川良一の三男 笹川陽平が会長に就任)とともに山口大使を受け入れていたことを報道した。

これは驚いた。笹川が平和を愛する人になったのは本当か。笹川の波乱万丈の過去を見るだけで、この変身を信じることはできなくなる。

笹川良一は1899年大阪の裕福な酒屋で生まれた。1930年代に極右の 国粋大衆党総裁に就任、党員は15000人に達した。党員は、 ムッソリーニ ファシスト党の制服に似せたイタリア風黒シャツを着た。自ら飛行機を所有し、日本陸軍に物資を供給した。

1939年笹川良一は 自分の飛行機でローマに行き、ムッソリーニに会った。数年後笹川は当時を後悔して、「 ヒトラーに会いたかった。ヒトラーから無電で待機するよう要請があったものの、会う時間がなかった。残念だった。」と述べた。


戦後の問題は、1940年代後半から拡大した共産主義運動に対処するため、日本の駐留米軍が極右団体に力を必要としたことだ。結局、1948年、笹川、児玉、岸の三人は全員釈放され以前の組織を復活させることを許された。

児玉は暴力団を取りまとめた。岸は首相になり、笹川は、当時日本で唯一認められた公営ギャンブルであった競艇を独占した。その結果笹川は巨大な富を築き様々な極右団体の支援を行った。1974年、タイム誌で笹川は、「私は世界一の金持ち
ファシストだ。」と言った。

日本国内では、笹川は、 全日本愛国者団体会議 青年思想研究会などの右翼系暴力団を支援した。

海外では笹川は 世界反共連盟と連携し、アジアの右翼団体、 パラグアイの恐るべき秘密警察長官パスター・コロネルなどの南米ファシスト、第二次大戦中ドイツやイタリアに協力したクロアチアの ウスタシャ党員、ルーマニアの 鉄衛団、ウクライナのナチ党員、および米国の諜報組織の旧メンバーを糾合した。ルーマニア革命では日の丸の旗が翻った。

そして慈善事業だ。全ての金はもちろん不幸なギャンブラーから巻き上げられたものだ。だが、名誉と名声は笹川が得る。笹川の子供たちは未だに他人の金をばら撒いて名声を得る。日本財団の理事は今日でも、 全国モーターボート競走会連合会の著名な役員を含んでいる。

笹川とミャンマーの関係は偶然ではない。両者の関係は軍参謀総長 ネ・ウィンが第二次大戦中に日本の秘密警察「憲兵隊」の訓練を受けてから始まる。今日、笹川の財団とミャンマーの軍事政権は明らかに良好な関係を結んでいる。世界でも最も不思議な組み合わせと言われるこの二つの「慈善団体」は、その過去と背景を知る者にとって何の驚きでもない。



ミャンマーの新聞がこれほど日本にこだわるのには理由がある。それは 日本とミャンマーの関係だ。

参照 ウクライナも日本の作った国。
独立の日は、元弘(げんこう)の乱(後醍醐天皇と鎌倉幕府の戦い)皇紀660周年記念日
競艇事業の開始は、公安調査庁設置と日付が語呂合わせ。
つまり、競艇事業は、事実上公安調査庁の運営に違いない
日本の支える ミャンマーの軍事政権 ミャンマー軍事政権へのガンバリ国連特使
テレサ・テン最後の地チェンマイ 指導的政治家が暗殺され、その後継者として子息・子女が登場するアジアの政治
笹川良一は関東軍のスパイ川島芳子との交際があったと言われる 国家警察の真相 心理諜報戦

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/5/27  #122

日本の陰謀 (82)

二人の読売ジャイアンツ・ゴンザレスを不幸が襲う

二人のゴンザレス

私は野球に関心がない。野球というスポーツに興味はあるが、八百長試合を楽しむほどの余裕はない。ニュースを聞き流していると、ゴンザレスのドーピング問題が報じられていた。またもや外人いじめかと思ってネットのニュースを検索した。だが、ネットの記事ではゴンザレスは死んでいた。何と、読売巨人軍にはゴンザレスは二人いたのだ。

ルイス・ゴンザレス

1979年 ベネズエラ マラカイに生まれる。
1996年、 クリーブランド・インディアンスに入団。
2003年、 コロラド・ロッキーズに移籍。
2004年、開幕スタメンで メジャーデビューを果たす。
2007年、巨人が獲得を発表。
2008年5月ドーピング疑惑事件が起こり、巨人は契約を解除。

ゴンザレス選手は27日午前1時前から、都内の球団事務所で記者会見をし、薬物使用の事実を否定したうえで、NPBアンチ・ドーピング特別委員会に異議申し立てをすることを表明した。 検査結果には「科学的な事実としてのまざるを得ない」としたが、一方で「意図してそういう薬を飲んだことはない。代理人と話をし、異議申し立ての権利を行使することにした。1年間の処分と契約解除をなんとか見直して欲しい」と話した。「手の治療のために薬を2種類飲んでいる。あとはかみたばこ。これらについても検査をお願いしたい」とも言った。

ジェレミー・ゴンザレス (2011年1月11日一部追記)

カラカス観光案内(英語)

カラカス(日本語)


ルイス・ゴンザレス


ジェレミー・ゴンザレス
1975年 ベネズエラ マラカイボに生まれる。
1991年、 シカゴ・カブスに入団。
2006年、 ミルウォーキー・ブルワーズにトレードされる
2007年、巨人と契約。しかし、成績振るわずシーズン終了後に戦力外通告を受けた。
2008年5月25日、実家付近であるベネズエラ西部スリア州 マラカイボ湖で水上バイクをしていたところ落雷を受け死亡したと地元のスポーツ紙が伝えた。

ベネズエラは歴史的に日本の影響下にあり、首都カラカスは、1567年7月25日 徳川家康が建設したことは、その日付から間違いないだろう。また、「からかす」は名古屋弁または美濃弁で、「しきりに~する。」という意味で、古い言葉ではあるが、今日でも使われている。

偶然はこれだけではなかった。

語呂合わせの好きな日本のことだ。何かがあるのだろうと思った。ひととおり情報を斜め読みした。すぐに、ルイス・ゴンザレスの背番号が目に飛び込んできた。ルイスの背番号は「 49」だった。すぐに思った。ジェレミーは、「94」ではないのか。驚いた、予想通り、「 94」だった。もちろん、「死」と「苦」の組み合わせだ。最近は、日本の語呂合わせの癖が読めるようになった。

ジェレミーの死亡した日は、またもや陰謀の日だった。5月25日は旧暦4月21日で、江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩あさの たくみのかみ)/rp>吉良上野介きら こうずけのすけ)/rp>に切りつけた日だった。

しかし、何と腹黒い国なのだろう。いつものことだが、この偶然には、ある団体・個人に対する「脅し」のメッセージが含まれている。調べてみる。

背番号の大量変更

ジャイアンツの 原監督は2006年、選手への「発奮材料」として 実に25人の選手の背番号を変更した。背番号は選手の命であり、背番号をころころ変えることは選手を会社員の人事異動のように扱うことを意味する。もはや、背番号を真剣に覚えようとする子供はいなくなるだろう。何か思惑があったと思わざるを得ない。 ルイス・ゴンザレスは、この時、「5」から「49」に背番号を変えられた

原因は、やはり外務省だった。今回は時間がかかった。

2008年5月23日ブラジルの首都 ブラジリアで「 南米共同体」が設立された。日本のマスコミでは、「 南米諸国連合 ウナスール)」と表記されることが多い。日本にとっては不満が多い。日本の思惑は空中分解した。しかし、これからの南米諸国連合の展開は日本の国際関係にとって致命的とも言えるほど重要だ。背景には、日本が国際政治の舞台裏で進めてきた反米・反中国のキャンペーンがある。日本は南米諸国の首脳に文字通り雷を落とした。

ベネズエラのチャベス大統領にも雷。

今回は、特に期待していたチャベス大統領が、先手を打って 中国との共同原油開発計画を発表したことから、特にベネズエラがターゲットとなった。 日本は中国との間で、東シナ海ガス田問題をめぐって長年にわたり論争を続けている。チャベスの行動は日本への裏切りと見られたのだろう。

ブラジルのルーラ大統領と日本の関係もただ事ではない

またもや、ディッキー・ゴンザレス (2009.10.31追記)

私はプロ野球を楽しむ時間のゆとりがない。だが、今日たまたま日本シリーズの巨人ヤクルト戦を見て驚いた。巨人の先発ピッチャーはディッキー・ゴンザレスで、その背番号はまたもや49番だった。原監督は「日本の陰謀」に挑戦するつもりのようだ。あき)/rp>れた。よほど腹が立ったのだろう。

      

参照 夏の甲子園準々決勝で全国を熱狂させた、鹿児島実業のピッチャー定岡正二と、
東海大相模の三塁手原辰徳は、ともに幕末の安政の大獄で知られる井伊直弼の子孫である可能性が高い


定岡正二の誕生日は1956年11月29日で、井伊直弼の誕生日と一致する

原辰徳の名前は、よく「腹立つ」と揶揄(やゆ)されるが、この名前は、安政の大獄の大老井伊直弼に
ちなんだことは間違いないだろう。原の誕生日は、安政の大獄開始100周年記念日を示唆する
■■ ベートーヴェンは日本人■■    ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』は、
日本が画策した特許制度200周年記念交響曲だった。 日本は、ここでも「4」と「9」でヨーロッパをバカにした
チャベス大統領の誕生日は、靖国神社創建日、アルカイダ結成日、曽我兄弟処刑の日
チャベス大統領がキューバで手術後帰国
語呂合わせの政治家 語呂合わせの有名人 三位一体の改革
政府管理下の日本企業  山口百恵の『 いい日旅立ち』 言葉遊びで中国をバカにする日本

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/6/2  #123

日本の陰謀 (83-1)

TICADと呼ばれるアフリカ開発会議

2008年5月28日TICAD IV(第四回アフリカ開発会議)が横浜市で開幕した。日本の新聞では、その前後から賛否両論があふれている。いや、故意にかく乱していると言った方が正確だろう。一つずつ検証する。

来日した各国首脳は一体どういう人々だったのか。

日本のマスコミの言う「首脳ら」とは、国家元首なのか、大臣を含むのか、政府高官あるいは、政府職員を含むのかよくわからない。こういった場合、複雑な論理の展開で国民を欺くことが出来る。

朝日新聞  JanJanニュース  毎日新聞  読売新聞  ダイヤモンド・オンライン 

日本の報道は、全く理解が出来ない。報道とは事実を公平に簡潔に伝えることと、自らの主張を明確に示すことにある。この点、日本のマスコミはデタラメだ。まず、報道と主張を混同させ、平気で事実をゆがめる。どこまでが事実の報道でどこからが主張なのかわからない。しかも、困ったことに、異なる主張・報道を行いながら、報道業界全体として巧妙に世論を誘導している。こういったトリックは、記事を詳細に分析して初めて気付く。本当に巧妙だ。

ネット上では包括的な情報が得られない。そこで、 外務省の各国来訪者リストを参考にして、前回2003年 第3回アフリカ開発会議(TICAD III)の出席者のリストを作ってみた。大方今年もこんなものだろうと思う。

トーゴエヤデマ前大統領

ガボン共和国

再生リスト2~3「中国に侵略されたガボン共和国」では、中国人の進出が誇張されて報道されているが、歴史的に中国人の華僑は大半が天皇一族を中心とする日本人の偽装集団であり、ここでも逆転陰謀が行われる。


ガボンボンゴ大統領(左)

大体、アフリカ諸国の首脳がわざわざ日本まで来られたのだから、全ての要人の一覧は報道すべきだ。日本の外国人招待、特に会議やイベントでは、まるで動物園の動物のように外国人を扱う。ほとんどの外国人は、日本に来て駆け足で行事をこなし帰国する。ゆっくり日本を満喫する暇はない。日本政府は、政府の期待通り行動し、余計な事はして欲しくないのだ。会議のボロが出ると困るのだ。来客の尊厳を無視している。

参照 日本では、最悪の独裁国家は「北朝鮮」だと報じられている。
だが、これは、「目くらまし」で、実際は、世界中に北朝鮮を上回る独裁国家はいくらでもある。
そのほとんどが、偽装日本人の支配だ。本当に巧妙だ。
アフリカの小国トーゴも例にもれず政情はひどい有様だ。
前大統領の独裁者エヤデマは、38年間というアフリカでも最長の独裁を続けた。
現在、その息子が世襲で大統領に就任している。
このエヤデマは、薩摩藩士五代友厚(ごだい ともあつ)の子孫である可能性が高い。
容姿も、頬や鼻のあたりが似ている
写真に掲載したガボンのボンゴ大統領の誕生日さえ、日本の「日本騎兵の父」で
陸軍大将の秋山好古の生誕100周年記念日だ。日本のアフリカ支配をよく物語る
オトポール事件(1938年3月8日):阿南中将は、樋口少将とともに、ユダヤ人を救出した。
だが、コフィー・アナンは、1938年4月8日(旧暦3月8日)生れた。
この二人は、名前と日付の一致だけではない。二人ともユダヤ人の可能性が高い。
ノアの箱舟の末裔に「アナン族」がいた。もちろんユダヤ人だった。
頑張れ、ガンバリ!! ティカッド (TICAD)という奇妙な造語 アフリカと言えば鈴木宗男
日本とユダヤ人の歴史 ヒトラーと七人の侍 大久保清連続女性殺人事件
死の商人 岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (3) 日本は古代エジプト王朝
日本は古代エジプト王朝 (2) 潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は日本人
2012年5月6日開催のTICAD閣僚級会合では、フランス大統領選挙、ギリシャ議会選挙
そしてマリ共和国北部のアザワド独立国の一方的独立を宣言を合わせた

続く 内容には仮説を含んでいます。
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C
  2008/6/4  #124

日本の陰謀 (83-2)

ティカッド (TICAD)という奇妙な造語

ティカッドという言葉は英語でも日本語でも政治・経済用語としては違和感がある。しかも、この造語には隠された重大な「嘘」がある。

日本では「アフリカ開発会議」、海外では「東京国際会議(アフリカ)」

アジアとアフリカの経済会議は、日本のほかにインドと中国が開催する。その名称は極めて常識的だ。

南西アジア・中東・アフリカ訪問
TICAD閣僚級フォローアップ会合

中国アフリカ協力フォーラム  (Forum on China-Africa Cooperation)

インド・アフリカ会議  (Africa - India Forum Summit)

アフリカ開発会議 (Tokyo International Conference on African Development)

日本の会議には、「日本」という言葉がない。日本人は、国連の会議だと思い、アフリカの人々も、アフリカ開発の国際会議がたまたま東京で開かれたと錯覚する。どうしてこのような誤解を招くようないい加減な会議の名称を作ったのだろうか。

そもそも、中国・インドのように「日本・アフリカ経済協力会議」とすべきだ。そうしない理由は、「日本」を表に出さないことにある。何故なら、この会議の実質は、アフリカの開発ではなく、「日本の発展」とそれに対する「アフリカの協力」にある。これは表に出すとまずい。それで、わざわざ名前をはぐらかしたのだ。

日本の狙いははっきりしている。「 日本の国連安保理常任理事国入りの賛成票」「 京都議定書・温暖化問題に日本への支持」「 洞爺湖G8サミットの日本の支持」、これらは、日本にとっては重要なことだが、アフリカ諸国には全くもって迷惑な議題だ。

一国が集団国と会議を設定するには理由がある。一般に国家間の協議は二カ国で行うのが基本だ。しかし、舞台裏では、賄賂・裏切り・秘密の漏洩などの陰謀が起こる。それは既に歴史が証明している。それで、国家間の問題も、その他の国に利害がある場合は、全関係国が一同に会するのが望ましい。それが、国連だ。しかし、インドや中国のように、急激に発展する国は、特にアフリカ諸国との経済交渉が始めてであり、50前後の国と個別に交渉する暇がない。しかも、国連の場では、その他の国々には迷惑だ。それで特別の交渉の場を設けたのだ。だが、日本は、すでにアフリカの大半の国と長い貿易の歴史があり、集団で協議することはない。アフリカ諸国にとって、日本のアフリカ会議は中国やインドとの交渉のかく乱以外の何物でもない。

「ティカッド」で「 シカト」。またもや語呂合わせ。

「ティカッド」は不快な言葉だ。だが、すぐに同様な不快な言葉「シカト」を思い出した。私は、この言葉をネットの迷惑投稿でよく見かける。辞書に該当があるのか、その意味は何かよく知らなかった。ただ、人をバカにする表現に使われることは経験で想像できた。調べて驚いた。警察の隠語だった。官製造語に間違いないだろう。自然発生にしては、あまりにこじつけが過ぎる。しかも、このアフリカ会議にぴったりだ。いやなやつはのけ者にしようと言うわけだ。ティカッドが始まった1993年に「シカト」も広まり始めたのだろう。

参照 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領は世界の帝王だった。
第一次・第二次世界大戦はマンデラの誕生日に合わされていた。
反アパルトヘイト運動により27年間刑務所に収容された物語は、
ねつ造である可能性が高い。天皇一族は、常に「敗北」を武器にする
ガボンのボンゴ大統領の誕生日さえ、日本の「日本騎兵の父」で
陸軍大将の秋山好古の生誕100周年記念日だ。日本のアフリカ支配をよく物語る
オトポール事件(1938年3月8日):阿南中将は、樋口少将とともに、ユダヤ人を救出した。
だが、コフィー・アナンは、1938年4月8日(旧暦3月8日)生れた。
この二人は、名前と日付の一致だけではない。二人ともユダヤ人の可能性が高い。
ノアの箱舟の末裔に「アナン族」がいた。もちろんユダヤ人だった。
頑張れ、ガンバリ!! ティカッド (TICAD)という奇妙な造語 アフリカと言えば鈴木宗男
2012年5月6日開催のTICAD閣僚級会合では、フランス大統領選挙、ギリシャ議会選挙
そしてマリ共和国北部のアザワド独立国の一方的独立を宣言を合わせた

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/6/4  #125

日本の陰謀 (83-3)

アフリカと言えば 鈴木宗男

衆議院議員で 新党大地代表の鈴木宗男の16の役職は全てアフリカ諸国の議員連盟会長だ。アフリカは鈴木が仕切っていると言ってもいいほどだ。 オスマン・サンコンやジョン・ムルアカを日本に紹介したのは鈴木宗男だと言われる。今回のアフリカ開発会議でも舞台の表裏で走り回っていた。

オスマン・サンコン 1949年3月11日生)

この変な外人タレントは外交問題がなければほとんど忘れかけていた。タレントとしての才能を全く感じない。アフリカ人の中にはもっと面白い人はいくらでもいる。マスコミがサンコンをもてはやすのには政治的理由があるはずだ。私は、以前サンコンに興味を持ったことがある。それは、「 血のダイヤモンド」問題で、 シエラレオネの最悪のゲリラ サンコーの話を聞いたときに、名前が似ていると思った時だ。

「検察が正義でない!」
鈴木宗男氏の検察批判




アハメド・フォディ・サンコー 1937年10月17日生)

このテロリストの名前を始めて聞いたのは、何とダイヤモンドの商取引のテレビ番組だった。それまでダイヤモンドは貴族階級の嗜好品で、テロなどとは全く違う世界の物だと思っていた。その話はショックだった。

この男の周りには リビア カダフィ リベリア チャールズ・テーラーなど、ありとあらゆるゴロツキ政治家が現れる。いや、現れるというより、本人が訪ねていくと言ったほうが当たっている。 シエラレオネは、ギニアとリベリアに囲まれている。オスマン・サンコンはギニアの出身だ。

サンコンはサンコーの影武者で、サンコーを歓待できない日本が、身代わりとして見つけたのがサンコンだった。サンコーは2000年逮捕され、2003年裁判の途中で病死した。この頃からサンコンはマスコミに登場しなくなる。いや登場する意味がなくなったのだ。

ジョン・ムルアカ

ムルアカと言えば2mを超える身長で覚えている人もいるだろう。それ以外、私はよく知らない。だが、 舞台裏ではいろんなことをやっている 麻原彰晃 エボラ出血熱の細菌密輸、事務所での暴力事件など話題にことかかない。

ボビー・オロゴン

ナイジェリア出身のお笑いタレント・格闘家。1995年初来日、2005年からタレント活動を始めた。事務所で暴れムルアカに軽い怪我を負わせた。

参照 リビアのカダフィ政権崩壊は、日本の暦で911テロ事件の10周年記念日

続く                              次項へ 内容には仮説を含んでいます。

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2008/2/1   ##
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