■ その他 
◆『崩壊させない学級経営の勘どころ――シュタイナー教育思想に学ぶ教育実践論』 (大阪隆夫、国書刊行会、2004年)
◆『ハイデガー=存在神秘の哲学』古東 哲明(講談社現代新書、2002年)

◆『彼岸の時間―"意識"の人類学』蛭川 立 (春秋社、2002年)
◆『生きるのが下手な人たちへ』、紀野一義、(PHP研究所、 2003年)
◆『ブッタとシッタカブッタ(1)(2)(3)』  小泉宏  (メディアファクトリー、各1993,1996,1999年)

『タオ・老子』 加島祥造 (筑摩書房、2000年)
◆『新地球村宣言』 高木善之 (ビジネス社 2001年)
◆『「脱亜超欧」へ向けて』 呉善花(三交社、2000年)
◆『カルト資本主義』斎藤貴男 (文芸春秋社、1997年)
◆『波動速読法』 七田真 (KKロングセラーズ、2000年) 



◆『崩壊させない学級経営の勘どころ――シュタイナー教育思想に学ぶ教育実践論』 (大阪隆夫、国書刊行会、2004年)

 ここで紹介する本としては、やや異色かも知れないが、スピリチュアルな視点か らの教育実践論ということで紹介したい。ジャンルとしては教育書に属するだろう が、教育関係者だけでなく、子どもかかわる多くの人に、あるいは子育てに悩む親 に広く読んでもらいたい本だ。

  学級の崩壊、学校の崩壊が深刻な問題となっているが、著者は長年、中学校の現 場で何とか崩壊を喰い止めようと真剣に真正面から取り組み、素晴らしい成果を得 てきた教師である。その誠実な取り組みから滲み出てくるような文章に深く共感す る。  

  著者の実践の大前提になっているのは、「どこまでも子どもの性善なることを信 じ、その成長を心から願う」という姿勢である。そうした姿勢の背景には、さらに 「人間というのは生まれたときから死ぬまでの間だけ生きているような、はかない 存在ではない。一人ひとりの個性はもっと深い存在根拠をもっている」というシュ タイナーから学んだ死生観がある。

   そんな教育観、死生観を基盤にして、どうすれば学級や学校の崩壊を食い止める ことができるのか、著者がその体験から確認してきた「勘どころ」が多くの実践例 とともに、きわめて具体的にていねいに語られていく。そこには、教育現場だけで はなく、子どもに対するすべての大人にとって大切な「勘どころ」も含まれる。子 どもへの愛情と誠実さに溢れた著者が示唆するところに、私自身も反省を強いられ たり、教えられたりすることが多かった。

   教師たちにこういう人間観と子どもへの誠実な姿勢、真剣さ、「勘どころ」があ れば、確かに学校の荒れは食い止められるだろうと得心できる内容だ。


◆『ハイデガー=存在神秘の哲学』古東 哲明(講談社現代新書、2002年)

 ハイデガーを語るその語り口の新鮮さ、ハイデガー像の新しさに驚いた。難解と いわれるハイデガー哲学について、これまでにないきわめて明快で説得力のある解釈を、著者自身の息づかいを感じさせるやさしい言葉で語っている。これまでの研 究書などにはない斬新で大胆な言葉遣いで、ハイデガーの真意をずばりと抉ってい る印象だ。

 私もハイデガーには何度も挑戦してきたが、こんなに目が開かれるような思いを した入門書ははじめてだ。何よりも非常にわかりやすい。ハイデガーを読んだこと のない人はもちろん、精神世界には関心があっても、哲学を敬遠しがちな人でも、 興味をもって読めるのではないか。

 いままで定訳となっていた難しい述語が、きわめて分かりやすい訳語を与えられ て生き返り、これまで分かりにくかったハイデガーの意図がはっきりする。  たとえばいままで時間性と訳されてきたZeitlichkeitは、一瞬にほかならない 「時」をどう刻み、どう実現していくかという「時の刻み方」、「時に対する態度 のとり方」のことをいうので「刻時性」と訳される。一瞬刹那の時を刻むあり方に おいて、時が一刻一刻実現することをZeitigung「時の実現」というが、これは時熟 などという難しい訳を与えれたりしていたものだ。なるほどこれでは意味が通らな い。 「重要なことは‥‥このうえない真剣さで、この世界の瞬間をとらえ、それを言葉 にすることです。[そうすれば]最後には、無のなかの底なき深みに、在ることの豊 饒さが隠されているという、決定的な経験がめざめます。」

 この世界が生起するその瞬間をとらえれば、そのとき、底なしの無とみえた存在 が、じつは豊饒だと気づくという。刻一刻の『今ここ』のどの瞬間生起(存在) もが、無窮性(永遠)をたたえている。「本当に刹那的なものは、儚い瞬間ではな く、永遠性を打ち明けている。」

 ハイデガーもまた至高体験(存在神秘体験)を持っていたと、著者は推測する。 「‥‥極限的不安といわば射し違いのようなかたちで、ある決定的な体験が、落雷 のようにハイデガーを直撃したよううだ。」そしてハイデガーは、その誰にも開か れた「自己変容」の可能性を喚起する装置づくりこそが、哲学の課題だと考えてい たようだ。 (2004/4/3 追加)


◆『彼岸の時間―"意識"の人類学』蛭川 立 (春秋社、2002年)

 著者は、気鋭の文化人類学者。この著者の本を読むのは初めてだ。他に『性・ 死・快楽の起源―進化心理学からみた「私」』(福村出版)があるが未読。

 実に刺激の多い本だった。シャーマニズム、葬送儀礼、臨死体験、セックス、瞑 想、サイケデリックス‥‥と多岐にわたる話題を扱いながら、地球上の多様な文化 における意識の在りようを、示唆に富む新鮮な視点から描く。文化人類学者として の豊富なフィールドワークや知見を縦横に駆使して、変性意識状態と政治権力との 関係が文化によっていかに変化に富むかを見事に描き出す。

 狩猟採集社会では、シャーマン的な人物が政治的なリーダーであることも多い が、その権力はたかが知れており、しかも世襲しない。一方、定住的な農耕社会で は、祭司宗教が中央集権的な権力と結びつき、超自然的な世界との交流権を独占す るが、それは儀式化し形式化する。そして祭司が権力を持つ社会ではシャーマン的 な人物はしばしば異端として弾圧される。

 全人類が狩猟採集民だった時代には、サイケデリックスの使用と結びついた脱魂 型シャーマニズムが地球上に広がっていた。農耕牧畜の開始以降は、徐々に酒の使 用と結びついた祭司・霊媒(憑霊型シャーマン)複合型の宗教文化にとって代わら れたという。この段階で、宗教が組織化され団体になると、現世的な権力と相性が よくなり、それと結びつく。そして世界の神秘に直接触れようとするシャーマン的 な神秘主義者を弾圧する。シャーマニズムは反体制的なサブカルチャーとなり、現 世的な権力と結びついた司祭の立場を危うくするからだ。

 これは、農耕牧畜以降の多くの社会が、毒性や依存性のほとんどないサイケディ ックスを危険な薬物として禁止するのに対応している。しかし実は、サイケディッ クスがわれわれを文化的催眠状態から「覚醒」させる作用を持っており、「自我」 や「国家」という、本当は存在しないものを存在すると思っている意識状態から、 われわれを覚醒させる。だから国家によって禁止されるのだという。

 中南米の先住民社会は文明を発展させるとともにむしろサイケデリックスの使用 を強化し、脱魂型シャーマニズムを発展させたらしい。著者は、アマゾン先住民の 社会でサイケデリックス植物のひとつアヤワスカを用いた儀式に参加し、その変性 意識状態を体験している。現存する先住民文化や、この大陸の失われた文明の遺跡 などから、サイケデリックな意識状態と共存しうる文明のあり方を考えることが重 要になる示唆する。サイケデリィックスを瞑想とならぶ意識変容の技法として捉え て、近代的な思考様式に対する新たな可能性を見ているのだ。

 著者はまた、ウパニシャッド哲学に基づいて人間のとりうる意識状態をつぎの4 種類に分類している。

0 生命活動が停止している状態‥‥「死」
1 生命活動はあるが知覚のない状態‥‥「昏睡」
2 知覚だけがある状態‥‥「夢のない眠り」
3 知覚に気づいている状態‥‥「自我意識」
4 「知覚に気づいている状態」に気づいている状態‥‥「観察する意識」  

 このうち「第四の意識状態」は、悟りとか覚醒とか言われる状態を指すが、これ を踏まえて次のようにいう。  「資本主義と科学技術の爛熟した時代の中で、『第四の意識状態』がふたたび宗 教という装置の検閲を経ないなまの形で経験される状況が生まれてきている。‥‥ 人類史上、意識の神秘それ自体について語れるようになった初めての時代だといっ てよい」という指摘は、私がニューエイジ対話でも打ち出していた考えであり、深 く共感する。

⇒『臨死体験・気功・瞑想』>ニューエイジをめぐる対話(7)心霊性運動の歴史 的意味 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/network/newagetaiwa7.htm

 この本の魅力的な内容は、以上の紹介ではとても表現できない。もう一度じっく り読んで、また別の角度から書評したいと思っている。

(03.6.14 追加)


◆『生きるのが下手な人たちへ』、紀野一義、(PHP研究所、 2003年)

   この4月に発行されたばかりの本だ。といっても初版は、1974年に光文社のカッパ ブックスの一冊として出ている。それから30年近く経ってPHP文庫から復刊された。

   私は、紀野一義の本をほとんど読み、講演も何度か聴いたりして影響を受けてい る。著者は著述などを通して幅広い仏教活動をした人だが、宗派などというせせこ ましい枠に捕らわれず、仏教のいのちを自ら生き、語る人だ。その文章は、心に直 接訴えかける力にみなぎる。この本は、数多い著者の本の中でも最も多く読まれ、 感動を与えた一冊であろう。

   「生きることが下手な人な人間ほど神さまや仏さまに近い」と著者はいう。そう した視点から「放浪の俳僧、山頭火」、「盲目の念仏僧、暁烏敏」、「虚空に消え たフーテン僧、普化」、「ある女好きの男の硬骨の人生(相田みつを)」、「不器 用にまっすぐ生きた毎田周一」、「生涯病んだ歌人、吉野秀雄」などを語る。その 文章は、著者が触れていた大いなるいのちの息吹が伝わるようなさわやかさに溢れ る。

  一つだけこの本の中で語られる小さなエピソードを紹介しよう。江戸時代の名僧・ 白隠の話だ。ある豆腐屋のおやじが白隠を尊敬していた。ところがその豆腐屋の娘 が、ある男と密通して子を孕んだ。腹の子の父は誰だと問い詰められた娘は、父親 の怒りを逃れようと「白隠さまだ」と嘘をついた。

   激怒した豆腐屋は、「覚えがあろう」と叫んで、生まれた子を白隠の前に放り出 した。白隠は覚えがなかったが、仕方なく置いていかれた赤ん坊を抱いて托鉢した。 そこで白隠の評判は恐ろしく悪くなった。白隠をくそみそに罵る僧も多かっただろ う。自分がやりそうなことだから、白隠を激しく罵ることで自分をごまかすのであ る。

   ところが、雪の日も赤ん坊を抱いて托鉢する白隠を見て、娘はついに良心の呵責 に堪えられず、自分の嘘を父に告げた。仰天した父親が白隠の所へ飛んでいって謝 ると、白隠はただ「そうか」といって赤子を返したという。白隠にとって自分の名 誉が失墜することはどうでもよかった。罪のない赤ん坊を死なせないことだけを思 っていたのだ。  「いいお坊さまになりたい、評判のいい課長になりたい、切れ者だと思われたい、 みんなを感心させたい、等々、そんなものはみなだめである。  大体、いい悪いは人がきめること、しかも、人がきめたからいいというのでもな い。よくても悪くても、下手でも上手でも、どうでもようではないか。自分の思う ように生き、なっとくのゆくように生き、そのことで一人でも二人でも幸せになっ てくれればそれでいいではないか。」と著者はいう。  そんなとき「人生の光の環」が輝きだすのだろうか。

   なお著者がヒロシマで両親や家族を失った後の体験を『臨死体験・気功・瞑想』 の覚醒・至高体験の事例集に入れてある。あわせ読んでいただきたい。    

 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/syukyoka/kino.html

(03.5.25 追加)


■『ブッタとシッタカブッタ(1)(2)(3)』  小泉宏  (メディアファクトリー、各1993,1996,1999年)

 ぶたのブッタとシッタカブッタを主人公にした4コママンガの形をとっていて、とて も親しみやすい。しかしマンガといっても、そのなかでさりげなく語られている内容は、 人生の生き方についてのとてもとても深い真実に触れている。

 精神世界やニューエイジ、東洋思想などに関心のある人たちにはなじみぶかい考え方 かも知れないが、そんな考え方を知らない中学生や高校生にどう語るかこまってしまう こともある。このマンガは、かわいいブタと語られる内容が不思議にマッチしていて、 変な押しつけもなくすんなり心に入ってくる。私の息子や娘(高校生と中学生)も、読 めと言わないのに夢中で読んでいた。  

 とくに(1)の前半は、シッタカブッタの恋の悩みを中心に語られているから、中学・ 高校生たちは身につまされる話だだろう。「これ、俺のことみたいだ、私と同じね」な どと、笑ったり共感したりしながら、いつしか人生の深い真実に導かれる構成になって いる。

 息子や娘だけでなく、身近な多くの人に読んでもらいたいと思った。         (読 0207)


■『タオ・老子』 加島祥造 (筑摩書房、2000年)

 『老子』の原文からかなり自由に翻訳された現代的な『老子』だ。ほとんど新たな創作といってもよい。それでいて老子の精神が直截に伝わってくるような出来になってい る。

 加島氏の老子訳では、1993年刊行の『タオ・ヒア・ナオ』が話題となった。原文をあ えて参照せず、幾冊もの英訳本を参考にして生きた口語訳を試みたものだ。(私はこれ は読んでいない)

  『タオ・老子』の方は、原文や注釈、数々の英訳を読んだ上で新たに『タオ・ヒア・ ナオ』とは別個の自由口語訳をしているという。まるで現代のグルがやさしく語りかけ るような分かりやすい日本語だ。

 それをいっきに読み進むと、なるほど老子が伝えようとした精神とはこういうものだ ったのかと、老子のエッセンスが伝わってくるような気がする。老子の素晴らしさ、タ オの素晴らしさに新たに出合えたような感じだ。

 そして、今度じっくり原文を読んでみようという気持ちになる。実際に原文にあたる と、原意をくみ取りながらもかなり大胆で自由な訳で、原文との逐語的な対応がまった くない部分も多い。

 それでいて、いやそれだからこそ、現代の日本人に語りかけるニューエイジャーのよ うな老子が加島氏によってみごとに蘇ったと感じる、2500年の時間を隔てて。

 ちなみに一節だけ引用する。

「ぼくらはひとに
褒められたり貶(けな)されたりして、
びくびくしながら生きている。
自分がひとにどう見られるか いつも気にしている。しかしね
そういう自分というのは 本当の自分じゃあなくて、
社会にかかわっている自分なんだ。

もうひとつ
天との地のむこうの道(タオ)に
つながる自分がある」  

 いかだだろうか。老子入門としても最適だと思った。(読 0207)


高木善之 『新地球村宣言』 (ビジネス社 2001年発行)

一般のメディアで報道させるよりもはるかに深刻な環境破壊の現実が、平易に説明される。地球温暖化やオゾン層破壊、森林破壊等々、どれをとっても危機的な状況だ。
 一つだけ挙げれば、たとえばオゾン層破壊。日本の上空でもオゾン層はすでに10%から30%も減少し、紫外線Bによる皮膚がんの危険性が増している。しかし日本ではこの事実が充分報道されない。アメリカやオーストラリアでは天気予報で紫外線警報が流れ、その日に日光を浴びれる許容時間が10分とか20分とか警告される。
 これほどに深刻化してしまった環境問題から見ると、先進工業国を中心にして回転する現代の経済制度がどれほど歪んでいるかが分かる。いや、歪みを正せばよいという問題ではない。私たちは、破滅に突き進むしかない根本的に間違った制度を選択してしまったのかも知れない。
 しかしいたずらに恐怖をあおるのが高木氏の目的ではない。現実を知り、希望をもって自分に出来ることから実践することを説く。  新地球村宣言』は、以前の『地球村宣言』をベースに最新の情報や身近な環境問題を加え、永続可能な社会についてより具体的に深く掘り下げている。彼の環境運動と平和運動についての集大成だという。  ネットワーク『地球村』 (読:0205)


呉善花 『「脱亜超欧」へ向けて』 (三交社、2001発行)

◆お・そんふぁ氏は、韓国斉州島出身の女性だ。私はこの人の本は好きで10冊ほど読んでいる。とくに『スカートの風』は、日本との出会いの中でとまどいながらも精神的に成長していく様が、印象に残った。  
 本書は他のアジア人と違う日本人や日本文化を理論化する試み。

◆彼女は、日本人や日本文化が、韓国や中国など他のアジアとも違う非常に独自なものをもっていることを肌身で感じ、それを何とか理論化しようとした。彼女の結論は、日本人がアジア的農耕社会が生まれる以前に由来する自然意識をいまなお抱えもっているということである。
 農耕文化はすでに自然への主体的な働きかけの要素をもつが、日本文化はそれ以前の豊かな縄文文化の歴史が長いゆえ、自然と自己とが融合するトータルな世界の調和という強い感覚を残しているという。

◆農耕文化以前の豊かで高度な縄文文化の記憶が日本文化の基底をなしているという指摘は、呉善花だけのものではなく、梅原猛などがつとに展開していた説だ。呉善花の面白さは、同じアジアの隣国におい育った彼女が、日本で長く生活し身をもって実感した違いを基礎にして考察しているところだ。
 日本人は、そこにどっぷり浸かって生きているからほとんど自覚化できない。ほとんど自覚化できないままに、縄文時代の記憶を忘れ去っていくのか。消え去る前に自覚化して、生かしていけるのか。

◆本のタイトルからも分かるように著者は、アジア的な農耕文明や西洋的近代文明よりも古層の時代の記憶を無自覚的に色濃く保持する日本文化に、次の時代を開く可能性をみている。わたしは、この点にはかなり懐疑的だ。
 関心があるのは、自らの中に縄文的な自然観や感じ方が、充分に自覚化し切れぬまま、現に息づいていると言う事実だ。西洋文明とも中国文明とも違う感じ方の部分をどれだけ意識化し、自分の大切な一部としてどれだけ自覚的に生きることができるかどうか。そこにもっぱら関心がある。
(読:0203)


◆『カルト資本主義』斎藤貴男 (文芸春秋社) 1997年

 やや古いがすこぶる面白い。副題「オカルトが支配する日本の企業社会」が示すように精神世界や超能力に傾斜する経営者や企業の研究を批判するものだが、自分が関心を持ち係わってきた世界がどのように切り込まれているのか、それだけでも興味深い。私が全く知らなかった内情が詳しく調べられて

 もちろん著者の固定観念・偏見のたぐいによって本質的なところが見えていなかったり、歪められたりしているのも感じるが、これがもし本当だったら私が間違っていたのではないかと思えるような部分も多い。その辺をどうやって見極めていくか。実に刺激的だ。

 結論としては、我が国のニューエイジ運動や新霊性運動は、とどのつまり方便として用いられれいると、斎藤は言う。終身雇用制がくずれようとしている今、それに変わって従業員の忠誠心を涵養する武器としては、すべてが必要必然ベストであると説く、たとえば船井流のニューエイジがもっとも好都合だというのだ。自我の否定あるいは没我、ないし“和”による会社という全体への忠誠。全体主義への傾斜。
 しかし斎藤には、ニューエイジないし新霊性運動のもっとも深いとことになにがあるのかまったく見えていない。「新霊性運動」が示唆するのは霊的な目覚めである。自我の否定、没我がそのまま全体主義とイコールなのではない。  

 

各章ごとの要約とコメントをここに掲載しました。 こちらからお入りください。

(読了:0103)


『波動速読法』 七田真 (KKロングセラーズ) 2000年

 この人の幼児教育、右脳教育の本は、その驚異的な効果・実績が印象深く、たとえば『知能と創造のサイエンス』など何冊か読んで来た。この本は書店の店頭で見かけ、右脳教育と速読法がどんなふうに結び付くのか興味を引かれて買った。

 読んでまた、子供たちへの驚異的な効果に強烈な印象をもった。そして自分自身の瞑想や研究へのヒントも多く得た。 開発された子供たちの能力をここに列挙しても七田氏の本を読んだことのない人は、にわかに信じがたいだろう。
  ひとつだけ挙げれば、右脳が開発された子供たちは、本のページをビビビッと数秒めくるだけで、英語であろうとフランス語であろうとロシア語であろうと、その内容を瞬時にキャッチしてしまうという。内容をイメージなどで正確に理解するという。  私が関心を引かれるのは、こうした右脳の能力の開発が内的な光を見ることと密接に関係していらしいことだ。何かしら臨死体験の研究のヒントになればいいと思う。 さいわい、七田式教育の教室が比較的近いところにあるので、出来れば見学をさせていただき、実際に見た上でここに報告できればと考えている。  

 生まれながらの盲目者がなぜ、臨死体験時の外部の状況を描写できるのかという問に対してリングは、「心の眼」(mindsight)とでもいうべきものを想定している。通常の視覚では説明できない超感覚的な「心の眼」を通して見ているのではないかと。  
 七田式で右脳を開発した子供たちは、英語の本であろうとロシア語の本であろうと、ただパラパラと数秒めくっただけでその内容をイメージとして読み取るという のは、これと対応するかのような話だ。その時本がから光が放射されるという。またESP能力も開発され、見えないはずのカードの裏が見えたりするという。まさに「心の眼」で見ているとしかいいようがない。
 また、子供たちは、本のページや過去の記憶が、そのまま写真で撮ったように鮮明な映像として蘇らせるという。私は、これと臨死体験者の人生回顧を結び付けて考えたい。人生回顧も過去をまるで現場にいるかのようにリアルに思い出すのだ。

 七田は、光には、左脳で見る光と右脳で見る光があるという。右脳の光は通常の人には見えない光で、右脳の感覚を開いた人のみが見える光だという。右脳を開いた子供は容易にこの光を見、光を見ると、鮮明なイメージ力やESP能力を開花させるという。七田式は光を見れるようにする教育であるという。  臨死体験と右脳教育は、かなり深い関連がありそうだ。

 この本の中には、残像訓練用の6枚のカードのカラー写真が綴じ込んであるが、七田氏は、残像訓練の重要性を再認識させれくれた。それを列挙すると、  

@残像は右脳が見ているということ。だから、残像訓練はとてもすぐれた右脳訓練になるということ。  

A残像訓練があるていど深まると、残像が継続する時間が長くなるだけではない。ある地点に達すると、残像の補色が反転し、現実と同じ色になるという。だから残像訓練は、現実の鮮明なイメージを見る訓練につながる。  

B残像を見ている時は、脳波はα波かθ波がでており、とてもリラックスしている。これについては、体験的には十分わかっていた。しかしスポーツ選手が、たとえばバットやラケットに小さな残像カードを張り付け、それを時々見ることによって緊張をほどいたり集中力を取り戻したりしているのを知って、改めて残像訓練の効果を感じた。  

 ともあれ、鮮明なイメージを見る能力は、速読だけでなく、様々な能力開発や瞑想の深化にも深くかかわるので、残像訓練を日常生活に積極的に取り込んでいきたい。 (読了:0101)


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