■ プロセ指向心理学
◆『痛みと身体の心理学』藤見幸雄(新潮選書、2004年
『シャーマンズボディ』アーノルド・ミンデル(コスモス・ライブラリー、2001年)
『24時間の明晰夢』 アーノルド・ミンデル(春秋社,2001年)

◆『プロセス指向心理学入門』藤見幸雄、諸富祥彦編著(春秋社、2001年)

『うしろ向きに馬に乗る』  アーノルド&エイミー・ミンデル(春秋社、1999年)
◆『自分探しの瞑想』 アーノルド・ミンデル (地湧社) 1997年

◆『痛みと身体の心理学 新潮選書 (新潮選書)』藤見幸雄(2004年)

プロセス指向心理学(POP)への、平易ですぐれた入門書である。私はプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの着眼と、心理療法として方法、そしてその世界観に強く引かれ、共感する。この本でもその魅力が十二分に伝わる。しかもこの本は、痛みや症状から始まり、人間関係、死のプロセスを生きるコーマ・ワーク、 社会的・政治的問題を扱うワールド・ワークまで、プロセス指向心理学の幅広い領域を偏らずに紹介し、ミンデルの方法と世界観が、ミンデルや著者が扱った事例を織り交ぜながら、たいへん分かりやすく語られている。

プロセス指向心理学の基本的な考え方を確認しよう。ミンデルは、身体と夢とを同 じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見て いく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果も ない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考 え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

そしてドリームボディは、心と身体の中間にある「第三の存在」といえる。これを サトル・ボディ(霊妙体、微細身)と呼んでもよい。つまり、物、肉としての身体 とは異なる「もう一つの身体」ともいえる。そしてこの高次の実在の次元において、 心身は究極的に一如である。それは心と身体の中間に位置すると同時に高次元(あ るいは深い次元)において両者を超えて、統合する存在である。この「第三の存在」 をユング派では「魂」と呼ぶ。

このように、心と身体、夢や身体症状が、心身やドリームボディさらには魂のファ クターであるなら、症状や夢は単に否定的なもの、病理的なもの、わけのわからないものではなく、そういった「高次元の存在」に至る、糸口あるいはチャンネル (通路)と捉えなおすことができるとPOPは考える。

本書には、かんたんに取り組むことのできるセルフ・ワークが、1から13まで挿入されている。これを試みるだけでも、POPの考え方がかなり実感できるかもしれない。ひとつ例を挙げよう。 たとえばこんなワークがある。現在患っている身体症状などに気持ちを向ける。現在とくになければ過去に患い治ったものでもよい。その部位をていねいにじっくり と感じる。身体の感覚を保持したまま何かのイメージが浮かんでくるまで待つ。意識状態がふんだんより深まると、イメージが現れやすくなる。身体症状から浮上したイメージ、思い出された夢が、ドリームボディあるいは、その現れであるという。 現れてきたドリームボディを、自分とは異なる命、意志、自律性をもった他者存在 と仮定して、それが身体症状や病、身体感覚、夢、イメージという形を通して表現 している意味や目的を、想像してみるのだ。 症状は夢と同様、私たちの生き方に訴えかけるメッセージとして出現するのだ。病 気や身体症状などのマイナスと把握されやすいものに隠されたメッセージ・知恵を 見て、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるというというのが、 POPの捉え方である。

ワークの実際においては、見落とされがちな「起こりつつ あること」がそのプロセスを全うできるようサポートする。そのプロセスに十分に自覚して関われば、症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終えて消失することも起こるという。

夢、すなわちドリームボディは、夜眠っているときだけではなく、病や身体症状、 さらに他者(との関係)のなかにも何らかの形で、常に介在している。現実の中に はいつも夢が流れていて、それは自らの表現する媒体を探しているのかもしれない。 私たちは、現実に生きながら、同時に夢の世界に足を踏み入れているのだという。 これはまるで文学的な表現のようでありながら、POPの背景となる真実を語ろう としている。こうした考え方にミンデルの奥深さとなんともいえない魅力がある。 「深さの次元」が、たえず私たちの周囲の現実にその表現を求めて立ち現れている、 という捉え方は、私たちの心を揺さぶる不思議な魅力をもっている。そして、気づこうとする意志と注意力さえ持っていれば、それは確かな真実として実感されるのだ。 (追加 2005/4)


『シャーマンズボディ』アーノルド・ミンデル(コスモス・ライブラリー、2001年)

 プロセス指向心理学を打ち立てたミンデルの本はどれも素晴らしい。『うしろ向 きに馬に乗る』は、分かりやすい実践的な視点からの論述で、『24時間の明晰夢』 は、その理論展開の包括性で、『昏睡状態の人と対話する』は、コーマワークを中 心とした探求の深さで、それぞれが魅力を放っている。そして『シャーマンズボデ ィ』もまた、他にない独自な魅力を発散する濃密な本だ。訳者あとがきに「プロセ ス指向心理学の基本的な考え方をカルロス・カスタネダの著作やミンデル自身のシャ ーマニズム体験から語り直すスタイルをとっている」とあるが、むしろシャーマニ ズムに引っ張られるような形で「心理学」という枠をはるかに超え出るような深さ の次元を、他にない大胆さで率直に語っている。

   ミンデルを読んでいつも思うのは、タオ、ブラブマン、「大きな自己」、つまり ドリーミングが、私たちの夢や身体や病気や日常生活に働きかけてくる、その接点 がつねに語られているということだ。日常のあらゆるところにドリーミングからの 働きかけが潜在している。いかにしてその働きかけを感じ取り、いかにしてその大 いなる流れに従っていくかがつねにテーマとされる。ミンデルを読むたびに魅了さ れるのは、まさにこの点だ。『シャーマンズボディ』は、その魅力がシャーマニズ ムを触媒に、さらに際立つ。

   シャーマンは、自分自身や周囲の世界に起こる思いがけない出来事やプロセスに 注意を払う。それは「第二の注意力」と呼ばれる。それに対し「第一の注意力」は、 日常的な現実にたいする注意力である。日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、 自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。第二の注意力は、無意識的 (で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、自発的 なプロセスへ向けられる。

   「第一の注意力」「第二の注意力」という区別はドン・ファンによるものだが、こ れはミンデルのいう「一次プロセス」と「二次プロセス」の区別に対応する。つま り、第一の注意力ばかりを使い、一次プロセスである通常のアイデンティティやそ れに対応する日常的現実ばかりに焦点を当てていると、二次プロセス、すなわち偶 然の出来事やうっかりした言い間違いといった夢のような出来事への焦点付けは衰 える。第二の注意力が弱まるのだ。

   戦士としてのシャーマンは、第二の注意力によって思いがけないプロセスへの自 覚を育み、それに従う。ドリーミングボディをより深く生きることによって、全体 性や創造性を取り戻す。その自然な展開に従い、根源的な何かものかとの結びつき を感じ取る。そうした経験に開かれていき、時空間や世界から独立した自己の全体 性を体験する。

   シャーマニズムもプロセスワークも、自我を強化することに重点を置くのではな く、身体や身体を含むプロセス、その変化に対する自覚を育むことを重視する。た とえば、「あなたが自分のエネルギーを支配しようとしたり、操作しようとすると、 結局のところ、病いや死に直面することになる。一方、あなたが自分の身体感覚に 従うならば、今ここにいることを十分に感じ、真に人生を生きて創造している感覚 が得られる。たとえば、痛みやめまいといった感覚を大切にするということが、ド リーミングボディを生きるということなのである。」 ドリームボディ・ワークをシャ ーマニズムの観点から見れば、身体に従うことは失われた魂のかけらを探すことに 相当するという。

   ほとんど全ページに散りばめられた、印象的な言葉、胸を打つ言葉、心に留めた い言葉の数々、その一頁一頁の密度の濃さ。そして、シャーマニズムに導かれつつ 信じられないような精神世界の不思議を語る大胆さも、ミンデルの他の本にはない 魅力だ。

   最後に印象的な言葉をひとつ。

「運命によって急性あるいは慢性の疾患、学問あるいはビジネスの失敗、性的な悩 み、狂気、自殺願望、あるいは不倫などの問題を抱えたとしても、そうした苦悩を 反転させる『ドリーミングボディを生きる』という新しいパターンが背景に潜んで いる。私たちは直面する難問によって日常生活を中断せざるを得ないが、そのとき こそ、潜在的な可能性、戦士の精神、そして死に目覚めることができる。それまで 身につけていたパーソナリティに別れを告げ、心のある道を見いだすことができる のである。」
(2003/11)


■『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学 』 アーノルド・ミンデル(春秋社,2001年)

  「24時間の明晰夢」いう概念は、心理療法をスピリチュアルな実践に近づけたとミンデ ルは言う。読んでまったくその通りだと思う。これは、「語りえないタオ」、ブラブマン、 ブッダマインド(仏心)、「大きな自己」、つまりミンデルのいうドリーミングにつながる ための心理学だ。  

  ドリーミングは、すべての日常的現実の基盤であり、人生の中核にあるエネルギーであり、 すべてのスピリチャルな教えの源泉である。しかも、それは微細な体験として日常生活の中 で私たちにたえず働きかけている。明確に捉えることができるあらゆる思考や感覚に先立つ かすかな知覚であり、傾向であり、夜見る夢にさえ先立つ。日常的意識に一瞬の体験として 現れ、非合理的で、夢のようで、ふつうは明確にとらえることはできない。  

  一般にいう「明晰夢」とは、夜夢を見ているときに自分が夢を見ていることを自覚し、夢 の中で意識的に動けるようになることであった。ミンデルは、この明晰夢の概念を拡大し、 質的に転換する。  

  もし、日常的な言葉では明確に捉えることができない、かすかな(センシェントな)傾向 を知覚する注意力を鍛え直すことができれば、驚くべき畏怖の念をだかせる現実が開ける。 日常生活の背景に潜むドリーミングの力を生きることが可能となるのだ。いっさいの出来事 に先立つ傾向、すなわち日常的現実を発生させるドリーミングという背景にいつも気づいて いる能力を、ミンデルは「24時間の明晰夢」と名づけた。  

  ミンデルのドリーミングの心理学が、伝統的なスピリチャルな教えに対して新しいのは、 ドリーミングを私たちの日常的な現実に対してたえず働きかけて来るプロセスとして捉えて いる点だ。  身体的な症状とのかかわりのなかで、もつれた人間関係のなかで、飲食物などへの嗜好の なかで、ドリーミングがどのようにその兆しを現し、どのように意識にとらえられるか、具体的なワークも示しながら語る。ほとんど言語化できない漠然とした感覚や直感として立ち現れる(=センシェントな)傾向を意識化する心理療法的な方法(ワーク)として画期的だ。  

  意識を明晰に研ぎ澄ませば、タオはかくも様々な仕方で私たちに目覚めを促しているのか と、通読しつつ感動した。  

  本書の最後にミンデル自身の印象的なエピソードが語られる。彼は、北米の先住民とのか かわりの中で予期せぬ裁判沙汰に巻き込まれる。彼が事実を正直に語ろうとすると相手側の 弁護士は「イエスかノーかで答えよ」と追いつめる。  
   窮地に追い込まれたミンデルに一瞬ある画面が閃光のように蘇る。最初に法廷で「すべて の真実を、ただ真実のみを語る」と宣誓したときの記憶だ。多くの場合私たちは、このよう に気まぐれにふと蘇る記憶のイメージをまともに取り上げず、意識の端に追いやって忘れて しまうだろう(周縁化)。  
   しかし、ミンデルはそうはしない。瞬時にそれをドリーミングからの働きかけと直感する。 そして相手の弁護士に静かに謙虚に告げる。「イエスかノーかとという答えは、申し訳ない が宣誓したようなすべての真実ではない」と。それを聞いた弁護士は、何か心に打たれるも のだあったのだろうか、ミンデルが自由に語ることを認める。  
   ミンデルは、自分の気持ちも含めたすべての真実を明確に話した。語りながら相手の弁護 士への敬服の気持ちや、対立する相手との友情への関心にも、気づいていたという。その結 果、相手側は裁判をおり、和解が成立したというのだ。

   「あなたが明晰さの訓練をすると、目覚めてもドリーミング・プロセスが続くことに気づ くだろう。‥‥あなたが明晰ならば、そして日常生活に展開していくセンシェントな体験を 忍耐強く追いかけるならば、『あなた』のドリーミングがあなたを目覚めさせ、生活の場面 にはいりこんでくることに気づくだろう。」

  「あなたは一日中目覚めのプロセスが起こっていることを感じることができる。あなたが しなければならないのは、ドリーミングを認識し、センシェントな体験、知覚の神秘に注意 を払い、人生が開示し、展開し、創造されていくプロセスに気づくことである。」

  『うしろ向きに馬に乗る』でも確認したようにミンデルはいつもタオが、日常的な現実、 生活の場面、人生の流れの中に展開していくプロセスに注目しているようだ。  用語に慣れないとやや読みづらいかもしれないが、充分に読む価値のある本だと思った。(読 0208)


プロセス指向心理学入門―身体・心・世界をつなぐ実践的心理学 』藤見幸雄、諸富祥彦編著(春秋社、2001年)

 ミンデルが創始したプロセス指向心理学への本格的な入門書である。ミンデルに初 めて接する人にも、もうすでにある程度知っている人にも、可能性に満ちたPOP全体へ の見通しを提供してくれる。日本の第一線の研究者・セラピストらが、関連領域との 比較考察なども含めて、様々な立場から語り、広い展望が得られて興味深い。

 いろいろな論文を読んで今回とくに刺激を受けたのは、プロセス指向心理学の方法 を日常生活の中でいかに生かしていくか、だった。今あちこちでちょっとした人間関 係のきしみがあるので、よけいにそう感じるのかもしれない。

 プロセス指向心理学(POP)は、就寝時の夢だけでなく、病や人間関係のあつれきや、 無意識の何気ない動作なども、すべて夢と同様、より深い次元への通路と考える。病 や人間関係のもつれなど困った「問題」は、異次元から入り込む「異物」ではあるが、 それを避けたり、排除したり、敬遠したりするのではなく、私たちに大切なものをも たらしてくれる「何ものか」として敬意ももって接しようとする。

 日常生活に沸き起こってくる問題を、そのような大切な学びの通路として自覚的に 対したいと思う。ミンデルの方法そのものが、私には瞑想と同等の意味をもつと感じ られる。いずれプロセスワークを体験したいと思う。

 「自分ひとりだけのプロセスなどはない。私たちはみんな一緒に、ものすごく大き なひとつの場の中に生きていて、その一部分を受け取っているだけなのだ。だから、 私たちが感じるすべての感覚に感謝し、できるかぎり、そのすべての感覚を活かさな ければならない。こうなると、すべてのものが私であると同時に、これが私だという ものは何もない、といえる。」(『うしろ向きに馬に乗る』)

  ひとつの大きな場、タオの知恵、タオのうねり、そのうねりの中のひとつとしての 自分が、自分を取り囲む人間関係が、そのほかの一切が、最大限に活かされていくあ り方。  

 プロセス指向心理学が提示するあり方は、たんに心理学者や心理療法家だけに意味 があるのではなく、精神世界に関心のあるすべての人々に有益な示唆を与えてくれる だろう。  (02・11)


うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』アーノルド&エイミー・ミンデル(春秋社、1999年)

◆思わず「やはりミンデルは素晴らしい」と呟きながら夢中で読んだ。これは、エサレ ン研究所でのワークショップの記録であり、プロセス指向心理学についてのミンデルの 講義とプロセス・ワークの実際との記録である。
 プロセス・ワークは、ユング派の分析家であるアーノルド・ミンデルが創始したセラ ピーの技法だが、セラピーという枠を越え幅広い展開を見せる臨床学となっている。

◆これまでに読んだミンデルの本の中では、いちばん刺激が多かっ た。実際のプロセス・ワークを元にし、具体的で分かりやすい。
 プロセス指向心理学では「自覚」(アウェアネス)が非常に重要な役割を果たす。全体的になること、すなわち気づいていた側面に加えて、気づいていなかった側面にアク セスすることを、プロセス指向心理学では「意識」の本来の働きと考えている。
 「私たちがすべきことは、自分および人々がどのように物事を知覚しているかに気づ くことです。そうした知覚の展開を自覚していると、以前には静的な状態が統治してい たところに流動的なプロセスが創造され、思いがけない発見や豊かさがもたらされるで しょう。」
 気づいていなかった側面が自覚にもたらされると、それ自身で展開し、成長し、解決する創造的なプロセスが生まれる。「丁寧に観察しながらプロセスに従う」という方法 は非常に高い普遍性を持っている。ヴィパッサナー瞑想に共通し、しかもヴィパッサナ ー瞑想を、心理学の立場から豊かに意味付けしているように感じる。少なくともヴィパ ッサナー瞑想は、自覚にともなうプロセスの展開については強調していない気がする。
 ワークの実際場面で言えば、「起こりつつあること」がそのプロセスを全うできるよ うサポートする。見落とされている「起こりつつあること」を十分に自覚して関われば、 症状や対人関係、身体感覚や動作などとの関係が深まり、統合され、症状が役割を終え て消失することも起こるという。

◆強く引かれるプロセス指向心理学の考え方に「ドリームボディ」がある。ミンデルの 基本となる考え方のひとつだ。
  ミンデルは、もし身体の調子が悪ければ、おまえは病気なんだとみなす考えに納得で きなかった。夢分析中心の伝統的なユング派の臨床を続けるうちに、実は体に現れてい る症状も夢と同じように無意識の創造的な発現なのではないかと思うようになる。夢に は意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に病理的 なものでも、悪いものではない。  夢と身体症状は、お互いがお互いの分身であるかのようだ。夢に現れるイメージも、 身体に現れる何らかの症状も根元は同じで、たまたま夢という形を取るか、身体症状と いう形を取るかの違いに過ぎないと考え、その、同じ根元を夢と身体の一体になったも のとして「ドリームボディ」と名づけたのである。
 ドリームボディのメッセージは、やがて夢と身体だけではなく動作、人間関係、共時 的な出来事を含めた様々なチャネルを通して現れてくることが発見され、そこで起こっ ている出来事を丁寧に観察してその流れについていくことが重要だという、プロセス指 向心理学へと発展した。無意識は、そのメッセージを伝えるために、様々な感覚器官 (チャンネル)を利用する。それが夢の視覚イメージであっても、身体の体験であって も、人間関係や出来事であっても、メッセージとしての働きは同じだというのだ。

◆私がミンデルにいちばん引かれるのは、病気や身体症状などのマイナスと把握されや すいものに隠されたメッセージ・知恵を信頼し、それを自覚的に生きることによって全体性が回復されるという点だ。 
 「この病気はとんでもない」と言いつつ、同時に「これは何と興味深いのか」という。 苦しみに嫌だというだけではなく、なるほどという眼を向ける。死を恐ろしいと捉える だけではなく、死は何か大切なことを教えてくれるものと捉える。それらを無視するのではなく、自覚的に充分に体験し生きようとすると、無視されていたプロセスが、自ら 展開し、成長し、私たちをより全体的な統合へと導いていく。  
 タオあるいは自然に従うとは、私たちが好まないことにも注目し、それに従うことを も意味する。自分のやりたいことに注目するだけではなく、自分の意に反した、ばかげ たことを拾い上げ自覚化する。日常的な意識の様式を裏返えし、「うしろ向きに馬に乗 る」。トラブルの中に隠された可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子を見 出す。そうするとタオがそれ自身のプロセスに従って全体性が回復されていく。
 タオとは、意識の外に追いやられ無視された内と外の現実に目を向け、それを自覚し 生き抜くことによって始まる統合へのプロセス。統合へのプロセスは、人間の「はから い」を超えている。そのプロセスへの信頼。タオへの信頼。
 しかもタオへの信頼が、プロセス・ワークという実践に裏付けられている。これまで にも無意識と意識の統合を説いた心理学者は多くいただろう。ミンデルは、人智を超え た統合のプロセス(タオ)そのものを中心にすえ、それに限りない信頼を置く。

◆ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。そ れはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロ セスを中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学で さえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリ ティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。
 ミンデルにおいては、しかも生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中 で現実に起こるプロセスとして確認される。その豊富な事例。そこがミンデルの魅力の ひとつであり、特にこの本の魅力でもある。
 最近たまたま河合隼雄の『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)を読む。 この中に次の言葉があった。

「私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治した い、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど 疲れたが、そのうち『私の力』で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい 力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。」

 この話は、河合の他の本でも読んだ記憶があり、疲労の度合いは周囲の人が心配する ほどだと書いてあった。今回読んで「あっ」と思ったのは、「もっと大きい力によって 治ってゆく」という部分だ。「大きい力」とは、セラピストや患者を超えたところから 来る大きな力というニュアンスがある。
 ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざ まな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見て いる。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、そ れらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。 「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。
 河合がいう「大きい力」も実際には、それと変わらないのかも知れないが、ミンデル のようにタオの内在性を強調してはいない。ミンデルに私が引かれるのは、この現象に 内在する知恵への信頼によるのかも知れない。 読:0206)


『自分探しの瞑想』 アーノルド・ミンデル (地湧社) 1997年

 以前からミンデルのプロセス指向心理学の勉強をしたかった。まずは、いちばん読みやすそうなこの本を読み始めた。

 非常に引かれる部分と、あまりピンとこない部分とが錯綜している印象。考え方そのものは人間性心理学やトランスパーソナル心理学の延長線上にあって、しかも新しい独創的な視点ももっているので、とても魅力的だ。 具体的なワークの仕方については、まだピンとこない部分がある。
 いずれにせよ、この人の本は、これからじっくり勉強したい。それだけ引かれるものを感じる。読む価値ありと思う。

 「プロセスワークの基本的な考え方は、自分が体験できるすべての体験は、それ自身の展開、解決、成長を含んでいる、ということです。自分に見えるビジョンや、聞こえる声や、からだの痛みの中にあるメッセージは、決して幻想などではなく、自分自身に向かう急行列車なのです。」

 この考え方にはとても魅力を感じる。まさにその通りなのだと思う。病気すらもやはりそのようなメッセージのひとつであるのだろう。しかも、それらの症状の原因を考えるのではなく、そのメッセージを受け取り、プロセスを展開させ、プロセスそのものに語らせ、そこから学んでいこうとする。素晴らしいと思う。

  「プロセスワークの重要な考え方は、怒り、嫉妬、どん欲などを含む、どんな感情でも、それを受け入れ、そのプロセスに従うことによって、そこからいのちをよみがえらせる可能性が現れてくる、ということです。」

 この言葉は大好きだ。無条件に素晴らしい。ゾクゾクするくらい好きだ。人生すべて、こんなありかたをしていきたいと思う。 (読了:0102)



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