■ ニューエイジ ⇒ENTER
◆『フィンドホーンの花』 アイリーン・キャディ(日本教文社、1994年)
◆『フィンドホーンの魔法』 ポール・ホーケン (サンマーク文庫、1998年)
◆『フィンドホーンへのいざない』寺山心一翁、(サンマーク出版、1998年)
◆『魂との対話』 ゲーリー・ズーカフ (サンマーク出版、2003年)
◆『宇宙の根っこにつながる人々』  天外伺朗 (サンマーク出版) 1999年

◆『ソース』  マイク・マクナマス (ヴォイス社
◆『ミュータント・メッセージ』  マルロ・モーガン (角川文庫) 1999年



フィンドホーンの花 』アイリーン・キャディ(日本教文社、1994年)

 途中で止められなくなって夢中で読んでしまった。『フィンドホーンへのいざな い』『フィンドホーンの魔法』を読んで、フィンドホーンが「ニューエイジ」の拠 点として世界的な注目を集めていく経緯はおおよそ知っていた。しかし、その中心 人物の一人であるアイリーン・キャディの視点から、より深くそのいきさつを知る ことができ、非常に興味深かった。

 何よりも引かれるのは、すでに結婚し、5人の子供までもって平凡に暮らしてい たアイリーンが、ピーター・キャディと出会い、夫と子供を捨ててまでフィンドホ ーン共同体の実現に突き進んでいく過程に、「神」の意志と計画があまりにも明確 に読みと取れることだ。いつかも書いたが私は、その「神」を一神教的な唯一の神 とは思っていない。しかし高次の精神的な存在であるのは確かだ。  二人の人生の軌跡にあまりに鮮やかに、「高次の存在」からの働きかけと意志と が浮かび上がってくることの不思議。フィンドホーンという不毛の砂地に信じられ ないような奇跡が次々と実現していくまぎれもない事実、そこに「神」の意図があ ったとしか、他に説明のしようがない。

 と同時にこの本の魅力のひとつは、フィンドホーンに共同体の基礎がしっかりと 出来上がったあとの、ピーターとアイリーンとの確執が赤裸々に誠実に書き記され ていることだ。その過程で、それまで「神」やピーターに依存し、ある意味で「神」 の意図実現の道具でしかないと思っていたアイリーンが、無条件の愛の実現に向か って急速に成長していく。  ピーターが次々と若い女性に引かれ、アイリーンから離れていく部分を読んだと きは、正直言って少しがっかりした。そこに「神」の計画の、いやその実行力の不 完全さを見たように感じたのかも知れない。しかし、そのピーターを嫉妬し、憎み ながらも、やがてそうした激情を克服し、自由な精神として飛翔していくアイリー ンの姿を追うことができて、ほっとした。この本の原題は、『自由への飛翔 ( FLIGHT INTO FREEDOM)』である。  (2004/4/3 追加)


フィンドホーンの魔法 (サンマーク文庫)』 ポール・ホーケン (サンマーク文庫、1998年)

 『フィンドホーンへのいざない』の印象が強烈だったので、続けてぜひとも読み たくなった。出だしが少し退屈だが、あとは一気に夢中で読んだ。ポール・キャデ ィ、アイリーン・キャディ、ドロシー・マクリーンがどのようにして出会い、フィ ンドホーン湾キャラバンパークに導かれていったかが、小説的な手法を織り交ぜて 詳細に書き記され、興味深く読み進めることが出来る。

 三人がたどり着いたのは、三方が海に囲まれた砂の傾斜地にある窪みの底で、隣 はその地のゴミ捨て場だった。しかし、アイリーンが受け取ったガイダンスによれ ば、そこはやがて人間性と美と霊的な一体感を拡大し、「愛を通じて統合した完全 な共同体」、「光の町」が形成される場所なのだった。そして、「神」のガイダン スは、その地・フィンドホーンに確実に実現しつつある。  

 自分自身の意志を超え、時にはそれに反するような「大いなる意志」によって導 かれ、この地上で何か大切な仕事をなすよう運命づけられた人々が確かに存在する。 私自身、そうとしか思えないような人生を歩んだ何人かの人々に出会ってきた。こ の本もまた、三人がそれぞれ全く別の人生を歩みながらも、やがて「ひとつの意志」 に導かれてフィンドホーンにたどり着いたということを、はっきりと物語る。そう した「意志」の、きわめて強烈でスケールの大きい働きかけの結果をフィンドホー ンに見る思いがする。  ただ、その「大いなる意志」が一神教的な唯一の「神」のものだとは私は思わな い。おそらくこの世界には、様々なレベルでのスピリチュアルな存在からの働きか けがあるのだ。

 フィンドホーンの菜園にとって、ドロシー・マクリーンがディーバ (ヒンズー語で「光の生命」を意味するという)たちから受けたガイダンスの役割 は非常に大きかった。それは、ある特定のエンドウ豆やトマトの精霊であるかに見 えたが、むしろ地上のあらゆる植物界を計画したり、形を作ったり、創造したりし ている精霊であるという。これもまた「あるレベルの存在」のひとつだろう。

 ディーバの世界は、人間が地上の出来事を本来の流れに戻すために、ある一事を 行わなければならないと力説したという。それは、「自分自身の内に『神』を発見 し、自分が全体の一部であることを認識しなければならない」ということである。

 下に紹介した寺山心一翁氏の『フィンドホーンへのいざない』と、この本の2冊 全体から受ける印象は、フィンドホーンが非常に強力で、純粋な波動を発している パワーセンターだということある。ディビッド・シュパングラーはフィンドホーン を「新しいバイブレーションから発するまったく新しいタイプのエネルギーをしっ かりと大地に根付かせる」最初の共同体だと感じている。フィンドホーンは「生き た見本として、そこで習得され実践された教訓が、ほかの諸センターで応用される ための『マザー・サンター』」なのかもしれない。  (2004/4/3 追加)


◆『フィンドホーンへのいざない』寺山心一翁、(サンマーク出版、1998年)

 読み始めるやいなや、フィンドホーンの世界に魅せられたかのように夢中になっ た。アイリーン・キャディの本は読んだことがあるが、『フィンドホーンの魔法』 など、フィンドホーンそのものについて詳しく書かれた本はまだ読んでいなかった。 先日、著者の寺山氏にお会いし、そのエネルギッシュで生き生きとした姿に感銘を 受けたこともあり、ぜひ読みたいと思った。

  フィンドホーンはイギリスのスコットランド北部の村。1962年、ピーター・キャ ディとその妻アイリーン、そして友人のドロシー・マクリーンが、フィンドホーン村 の外れ、海に面した荒地に一台のキャラバンカーとともに移り住んだ。その地でア イリーンは、「神」からのガイダンスを受け取り、ドロシーが自然の精霊と対話し、 ピーターがそれを実行に移すことで、次々と信じられないことが起こり始めた。 そこに彼らは自分たちの食料を作るために菜園を作る。ドロシーの聞く精霊たち の声に従って野菜をつくり始めると、味もよく生き生きとした野菜が育ち、荒涼と したハリエニシダしか咲かない砂地に18キロのキャベツや、27キロのブロッコリー が取れるようになった。その噂は広がり、農業の専門家も訪れて、そこに土壌学的 には不可能なはずの奇跡が起こっていることを確認する。この巨大な野菜の収穫は 数年で終わったが、フィンドホーンは有名になり、多くの人々が訪れ、やがてコミ ュニティーが作られるようになる。

 寺山氏のこの本では、現在におけるフィンドホーンの姿が興味深く語られる。こ の地、このコミュニティーが持つ癒しの力。様々な国籍、文化、宗教の人々が訪れ ては去るコミュニティーの開かれた性格。そこでどのような活動が行われ、それが どのように人々を癒し、どのようにその人生を変えていくのか。エコビレッジなど の建設によりどのように環境問題に取り組んでいるか等々。日本人の体験者たちが、 フィンドホーンでどのように変っていったが、実名によって語られることで、さら にその具体的な姿が伝わる。

 ぜひ、フィンドホーンを訪れてみたい、そう思わせるような本だ。なぜ、そう感 じるのか。おそらくきわめて霊的な波動の高いその地で、きわめて開かれた形で、 そこに集う様々な人たちによって、様々な形で、本物の霊的な探求が行われ、全体 が霊的な成長に向かっている場所、それがフィンドホーンだ。その強い霊的なエネ ルギーが、本から伝わってくるような気がするのだ。

  特定の瞑想や、特定のセラピー、あるいはいくつかの瞑想やセラピーを組み合わ せて提供するところは、多いであろう。しかし、宗教や民族を超えて「内なる神」 を探求する人々が、自然との調和を求めながら共同生活をし、ダンスや歌、フラワ ーエッセンスなど、様々な分野でそれぞれの才能を生かしながら、癒しと成長を分 かち合う。世界各地からの多くの訪問者が、短い滞在期間のうちにも人生が大きく 変化するような深い精神的な体験をする。そういう共同体はまれなのではないか。

 もちろんそこにはきれいごとばかりがある分けではないだろう。寺山氏は、フィ ンドホーンがこれまでに何度も運営上の危機に見舞われたことを報告している。 96年に経営コンサルタント会社がフィンドホーンを調査したところ、メンバーの 多くが精神的に行き詰って、仕事に愛や喜びを感じていないという深刻な状態にあることが分かったという。そこで、新しいマネージメント・チームが結成されて、 大きな改革に乗り出したという。 おそらくその内部に乗り越えるべき様々な問題があるにせよ、その地に噴出しているエネルギーは、それらを飲み込み浄化して前進していくだけの力をもっている ように感じる。しかもそれは、特定の宗教や伝統や民族に限定されない、純粋でか つ強い放射力をもつエネルギーだ。 それこそ、フィンドホーンに強くいざなわれるような思いにさせる本だった。   (2004/4/3 追加)


◆『魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ 』 ゲーリー・ズーカフ (サンマーク出版、2003年)

 最初は、それほど興味をもてなかったが、次第に強く引かれるものを感じるよう になった。独特の、不思議な読後感があって、しかもその基本的なメッセージには 共感し、胸にずしりと来た。「全米で300万部を超えたロング・ベストセラー」とい うのも、今は分からないでもない。それにしてもアメリカ人のおよそ100人に1人が 読んだとは!!

 宇宙が語りかけてくる声が聞こえるようになり、それを紹介しているという。そ してその主張の根拠は一切説明していない。しかし基本的な主張としては、深くそ の通りだと感じる。霊的な成長やカルマについては、スピリチャリズムやニューエ イジ系の主張と重なる部分が多い。ただ、独特だが明快な言葉遣いの表現や、非常 にシンプルで分かりやすいメッセージに、ある力強さがあって、不思議な感じは、 そんなところからも来ているのだろうか。

 「私たちの魂は永遠であり、それが私たちの本質である」が、見えるものしか信 じない「五感型人間」には、それが分からない。私たちは今、五感型人間から、直 感を有効に活用する「多感覚型人間」へと霊的に成長し、進化しつつあるという。

 「魂は存在する。そしてそれは、始まりもなければ終わりもなく、つねに調和に 向かって流れている。パーソナリティーは、魂が物理的な世界のなかで活躍するた めにもちいるエネルギー装置である。」

 パーソナリティー(個々の人生を生きる自己)は、その魂が体験する無数の人生 のうちのひとつであるという。魂は、時間の外側に存在している。魂の視野は広大 で、その知覚はパーソナリティーのもつ限界を超越している。

 「パーソナリティーが魂から独立して活動することはない。そしてパーソナリテ ィーは、それ自身が魂に近づけば近づくほど癒されることになる。」

   また、魂はそれ自体、時間による制限を受けないから、魂の観点からすれば、そ れが体験する人生は、すべて同時に存在するという。そして、ひとつの人生が終わ ると魂は、それ自身の本質である不滅で時間のない状態に戻っていくという。

 時間の制限を受けない非物理的な魂と、物理的な世界で個々の人生を生きるパー ソナリティーとの関係の捉え方は、私には新鮮で、しかも確かにそうかもしれない と思わせる明快さがある。

 さらに「私たちは新のパワーに向けた旅の途中にいる。真のパワーで満たされる ことは、進化のプロセスのゴールであり、私たちが存在していることの目的である」、 「私たち人類はいま、外側のパワーを追求する種から、真のパワーを追求する種へ と進化しつつある」と言われる。

 真のパワーと外側のパワーという表現も独特で、パワーという言葉は一見誤解を 招くかに見えるが、文脈を追えばその意味するところは一目瞭然だ。  教育、社会的地位、名声、人を支配したり利用したりしようとする力、そして魅 力的な肉体や財産などの様々な所有物、それら私たちが失うことを恐れる一切のも のは、外側のパワーのシンボルである。外側のパワーには、怒りや敵意、恨みなど の衝動が付着する。

 パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させること で真のパワーを獲得し、否定的な衝動は消失する。パーソナリティーは、このよう に意識的な決断を行うたびに一歩一歩、真のパワーを獲得していくのである。

 パーソナリティーは、われわれが「自我」と言っているものにだいたい対応して いるようだ。多くは物理的世界での外的なパワーの獲得に執着し、外的なパワーへ の依存症に陥っている。  パーソナリティーは、そうした執着から自由になればなるほど、魂に近づく。魂 は、いわば「悟りの意識」のようなものであるが、個別的なあり方を保ち、様々な パーソナリティーとして物理的な世界に現われる輪廻の主体である。

   「もしもパーソナリティーが、それ自身の魂のエネルギーに充分に奉仕できるよ うになったとしたら、そのときこそが、パーソナリティーにとって、真のパワーで 満たされるときである。そして、そうなることこそが、私たちがかかわっている進 化のプロセスのゴールであり、そこに行き着くことこそが、私たちがいまここに存 在している理由である。」

 この本を読む用意が出来た人には、その明快な言葉のひとつひとつが、魂に強く 働きかけて、「真のパワー」への道を歩もうと、思いを新たにするだろう。 (読了:0305)


◆『宇宙の根っこにつながる人々』 天外伺朗 (サンマーク出版) 1999年

 この本というより、天外氏の基本的な主張を紹介すると、

1)「あの世」、つまり暗在系の宇宙(物理学者ボームの言葉)は、すべてが一体となった、時間を超越した世界であり、無条件の愛や仏の慈悲に満ちあふれた世界だと考えられること。

2)人間はそんな宇宙から肉体をまとって「この世に生まれてくることによって「個」が発生し、宇宙とのセパレーション(分離)感覚が生じる。人間がさまざまな悩みをかかえる根源がここにある。病気も、死への恐怖も、精神的トラブルも、すべてはそこから起きる。つまり「宇宙との不調和」に起因している。

3)癒しのプロセスとは、宇宙の根っこにつながり、宇宙の愛を感じるようになること。そうすれば、人間は至福のうちに人生をおくることができる。  

 この仮説の1)については、私もおそらくそういうことなのだろうとかなり強く思っている。なぜなら、これまでに知った限りでお臨死体験者のさまざまな報告を全部視野に収めて、それらの体験の大多数が語る内容を一番納得のいくように説明するのが、1)の仮説だからだ。

 確かに「あの世」というのは、死んだ後にいく時間的に先の別世界というより、 時空を超越した世界であり、その本質は愛。だから必ずしも死ななくとも、たとえば深い瞑想によってでもその世界に接することができる。この仮説は、瞑想や体外離脱や臨死体験で起こり、数多く報告されている内容をみごとにすっきりと説明する仮説だと思う。

 2)、3)に関しては、病気のすべてが宇宙との不調和に関係しているのかどうか断言できない点を除いて、やはりその通りだと思っている。   (読了:0101)



◆『ソース』 マイク・マクナマス (ヴォイス社

 読み初めて、そのシンプルな力強い主張にたちまち引き込まれてた。いやな仕事に耐える人生よりは自分がワクワクすることをすべて率先してやりつつ生きる人生の方がどんなに生き生きしていることか。  自分が興味のあるワクワクすることを夢中でやっているときの内から湧き上がるような活力は誰もが体験するだろう。
 耐えて生きる人生より夢中でワクワク生きる人生の方がいいに決まっている。自然であるに決まっている。  喜びのエネルギーに満ちてやっているときの方が、いやいやながらやっているときより、物事がはるかにうまく運んでいくだろうというのも道理にかなっている。
 問題は、耐える仕事から熱中できる仕事は転換する勇気がもてるかどうかだが、少なくとも第一歩を踏み出すことはすぐにでも出来る。
 もちろん、このワクワクはバシャールのワクワクにぴったりと重なる。バシャールの誤解されやすさについて書いたことがあるが、『ソース』の視点からもう一度見直すことも必要だと思った。0010


◆『ミュータント・メッセージ』 マルロ・モーガン (角川文庫) 1999年

 
いろいろな本にこの本のなかのいくつかのエピソードが紹介されていたが、それらを読んだだけでは、けしてわからないだろう価値が、この本にはあった。 「真実の人」族と呼ばれるオーストラリアのアボリジニ。彼らの英知は、近代文明を知らず、自然の中に生るがゆえに失わずにすんだ知恵というような生易しいものではなかった。
 どんな文明な中にもブッダやイエスの高みに達するひ人々はごく少数ならいるのだろう。しかし「真実の人」族は、部族全体の文化として、部族の生き方として、かくも高度な英知を体現していたのだ。 その驚き。もしかしたら縄文人も、あるいは秩父原人も、同じような英知をもって生ていたのか。だとしたら近代文明とはなんだったのか。 00008


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