平成23年 寮和会総会 及び 懇親会 (同日日吉台地下壕見学会開催)

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平成23年 日吉台地下壕見学会


午前9時から3時間余りの地下壕見学会の締めくくりは、日吉寄宿舎の前での説明でした。一般向けの説明会では寮生のプライバシーを考慮し、テニスコートのあたりまでしか入れません。今回は寮和会と寮生だけの見学会だったからです。

地下壕の中の様子は、昨年一般の見学会に参加したものをこちらに掲示しています。

地下壕の写真

 

参加した水原修二さん(38年卒学年幹事)から臨場感あるレポートを頂きましたので、

下記掲載させて頂きました。

10月15日、寮和会に先だって午前10時から日吉寄宿舎地下に広がる地下壕の見学会が行われ、寮のОB60人余りが参加しました。

我々寮生が生活していた地下空間で過去に何が行われていたのか、地下壕保存会の会員の案内で歩いた興味ある2時間の探検でした。

慶応高校の校舎裏の、ご存知マムシ谷に壕の入り口があり、懐中電灯を手に暗闇の急斜面を降りると冷んやりとした空気、夏冬問わず16度から18度で快適だという。高さ3m幅4mで厚さ40僂離灰鵐リートで覆われたドーム型の通路が、2600mにわたって網の目のように伸びていました。

この壕を掘り始めたのは太平洋戦争も末期、本土空襲が想定された昭和19年7月から、この年9月には連合艦隊司令部が移転してきて日吉寮に入居しました。その後戦況はますます不利になり、中寮のホール(我々が食事したり卓球をしたホール)に設けられた作戦室から、硫黄島作戦、戦艦大和の出撃、全滅した沖縄戦などの悲劇的な作戦指令が発せられました。

寮の管理人室横の我々が入った風呂場からは、地下に126段の階段で30メートル下の壕に通じており、そこには豊田司令長官の部屋跡がありました。空襲時には寮の作戦室から地下に避難したようです。軍の情報部が地下に入り、短波の受信、暗号電文での指令などで200人の隊員が常時勤務していました。

この壕がすべて完成したのは、皮肉にも終戦前日の昭和20年8月14日でした。そして終戦を迎え、翌月には今度は米軍が日吉キャンパス全域を接収し、寮も占領下に置かれました。

戦中戦後の5年間を、寮は戦争のために使われ、やっと昭和24年に学び舎として返還されて寮生が寄宿舎に戻ってきたのです。

その10年後の昭和34年に我々が入寮しました。

見学を終わって、日吉寄宿舎の数奇な歴史をあらためて知りました。昭和12年に東洋一の学生寮として作られたものの7年後には日本軍に1年間、そして米軍に4年間接収された運命。平和な寮生活が再開されてからの年月、完成してから今年で74年の歴史をこれからも長く刻んでもらいたいと願いました。

水原修二(昭和38年卒)