浮世絵 春色梅児誉美
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 春色梅児誉美

 春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)は為永春水の代表作とされる人情本。天保3年(1832)に初巻が出版されて、天保4年(1833)に12巻を出版して完結している。丹次郎という不遇に沈んでいた美男子をめぐって、いいなずけの娘、女芸者2人が意地を張り合ったり情けをかけたりして絡み合い、丹次郎を世に出すといったストーリーを軸とし、遊女や髪結いの女がそれぞれの愛人とめでたく結ばれる話を組み込んでいる。
 挿絵は柳川重信。本所柳川町に住んでいたことから名付けた。葛飾北斎の門人で、北斎の娘”お美与”と結婚して養子となったが、その後離縁。離縁後に大阪へ行き絵師として活躍するが、江戸に戻り馬琴の南総里見八犬伝の挿絵などを弟子で養子の重山とともに描く。生年は天明7年(1787)。没年は天保3年(1833)。養子が2代目を継ぐ。
 作者の為永春水は寛政2年(1790)に生まれたとされるが、その出目は全くの不明。本人が語った本名は(ササキ)貞高。通称を長次郎といった。文化11年(1814)に本屋(出版)青林堂を開業し、文政元年(1818)に29才で二世楚満人を名乗ったことが記録にあり、三流戯作者「振鷺亭」について戯作を学び、式亭三馬の門をたたいたこともあったという。文政2年(1819)に自ら経営する青林堂から、新内の名曲“明烏”の後日譚という趣向の「明烏後正夢(あけがらすのちのまさゆめ)」を出版。これが好評を得て戯作者として認められるようになった。春水は出版に携わっていたことから、春水を頼って集まった作家との合作本を多く手掛け、またこれらを自身の名前で出版したことから人情本の第一人者の座に押し上げられる。しかし文政11年(1829)の大火で書店が類焼して出版業を廃業。これまで春水を頼り、助けていた仲間連中も去ったことで、このことが却って作家としての春水には幸運をもたらす。苦境にあった春水が独自の力で人情本「春色梅児誉美」を出し、これがベストセラーとなる。仇討ものや伝記もの、また吉原に題材をとった滑稽本や洒落本が主として男の読者を対象としたものだったが、春水の人情本は市井の人間模様を描いたもので、草紙の読者を女性層に広げた。その後もこれに関連した人情本を多発し、江戸人情本の祖であると自ら名乗るほどになる。
 天保13年(1842)天保の改革の取締により、春水の人情本は淫らであり風紀を乱すものとされて手鎖50日の刑を受ける。このことで強度の神経症に陥り、天保14年(1843)に没する。



   
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