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『東急不動産だまし売り裁判』東京都政

都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価

渡辺美樹・ワタミ会長が2011年4月10日に投開票される東京都知事選挙への立候補を表明した。渡辺氏は「東京を経営する」をキャッチコピーとしており、有権者は渡辺氏の経営の内容を冷静に評価する必要がある。
カリスマ経営者ともてはやされる渡辺氏であるが、雑誌『週刊金曜日』上で痛烈に批判されたばかりである(村上力「居酒屋ワタミが事故を隠蔽工作」『週刊金曜日』2010年11月5日号)。東京都世田谷区の居酒屋「語らい処 坐・和民」三軒茶屋駅前店では2010年9月に20名の発症者を出すノロウイルス食中毒事故を起こして営業停止処分を受けた。しかし、一時閉店を知らせる店頭の張り紙は「設備改修および店内清掃」を理由とし、食中毒の事実に触れなかった。
記事はワタミの隠蔽工作を批判した上で、従業員に渡辺氏の個人崇拝を行っているなどとワタミの企業体質に踏み込む。渡辺氏は「何があってもウソはつかない。それは利益よりも大切だ」と語っていた(「社長の腐敗 「安易な道」を選ぶから不祥事が起こる」日経ベンチャー2007年12月1日)。そのカリスマ経営者の矛盾を暴露した力作記事であり、都知事選候補者の判断材料としても有益である。
記事はカリスマ経営者の率いる企業の隠蔽工作ということで話題になったが、行政処分などの都合の悪い事実を隠す体質は日本企業でありふれたものである。
たとえば賃貸仲介不動産業者・グリーンウッド(吉野敏和代表)の事例がある。グリーンウッドは賃貸借契約書に記載なく退室立会費を受領したなどとして宅地建物取引業法違反で東京都から業務停止処分を受けた(東京都都市整備局「宅地建物取引業者に対する行政処分について」2010年6月8日)。業務停止処分期間中はウェブサイト上での物件紹介も禁止される。ところが「住まいの貧困に取り組むネットワーク」によると、グリーンウッドは自社ウェブに以下の表示をしたという。
「只今 ホームページ調整中です。物件リストを6月19日には掲載いたしますので、今しばらくお待ち下さい。」
これに対して同ネットワークは「ふざけた記載」と怒りを顕わにする(住まいの貧困に取り組むネットワーク ブログ「シンエイエステートとグリーンウッドに対して東京都が行政処分」2010年6月8日)。
http://housingpoor.blog53.fc2.com/blog-entry-106.html
東京都の報道発表資料によると、グリーンウッドは資本金0円で、東証1部のワタミとは比較にならない。それでも行政処分隠しという点で同レベルの活動をしていることは興味深い。ワタミの隠蔽工作をカリスマ経営故の異常性を捉えるならば視点を誤ることになる。実際、ワタミでは給料未払いなど労働紛争も起きており、ブラック企業とする指摘もある。革新的な経営者というよりも、日本企業の醜い点を巧妙に活用したというイメージが近い。
この視点は都知事選の候補者評価としては非常に重要である。石原慎太郎都知事が欠点の多い政治家であることは、石原氏の支持者も否定できない事実である。それでも過去に石原氏が当選した理由は欠点を認めながらも、それを上回るカリスマ性を感じる有権者が多かったためである。
既に食中毒の隠蔽工作などに基づく渡辺氏の批判が始まっているが、カリスマ経営者故の異常性と位置付けてしまうならば、型破りの候補者を求める有権者に逆に魅力的に映ってしまう。これは石原氏の当選と同じ道である。反対に隠蔽体質の日本企業と変わらないと位置付けることで、つまらない保守系候補の一人としてカリスマ性を奪うことができる。

石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム

シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」(東京を考えるシンポジウム実行委員会主催)が2010年2月13日に東京都渋谷区の東京ウイメンズプラザホールで開催された。新銀行東京や築地移転、オリンピック誘致など、様々な分野に渡る石原都政の問題点が炙り出された。
司会は前国立市長の上原公子氏と一水会顧問の鈴木邦男氏である。鈴木氏は冒頭で石原慎太郎都知事の問題点として排外主義を指摘した。その顕著な例が衆議院議員総選挙の選挙活動期間中に、石原氏の公設第一秘書・栗原俊記が対立候補の新井将敬氏の選挙ポスターに「北朝鮮より帰化」というシールを貼って逮捕された黒シール事件である。鈴木氏は三島由紀夫を例に右翼思想が排外主義に直結するものではないことを強調し、石原氏の問題性を浮き彫りにした。
基調講演者の斎藤貴男氏が遅れたために順番を入れ替えて、山口義行・立教大学教授の新銀行東京の問題についての説明を先にした。山口氏は石原氏のキーワードとして、徹底したウケ狙い、無理を押し通すための無駄、責任のなすりつけの3点を挙げた。
新銀行東京はウケ狙いで始まった。金融機関の貸し渋りから中小企業を救済するという名目を支持した人々も少なくなかったが、新銀行東京の参入時は貸し渋りが一段落し、金融機関が貸し出し競争を再開した時期であった。そのために中小企業の資金需要は乏しかったが、新銀行東京は無理をしてでも業績を伸ばそうとし、資産を食い潰していった。
そして破綻が明白になった後は責任のなすりつけである。偉そうなことを言っている人が責任をとらないことは教育上悪影響を及ぼす。今では新銀行東京から借り入れると、他の金融機関が見放した倒産寸前の会社と思われてしまうと中小企業経営者層から敬遠されている。
新銀行東京は2009年度中間決算で初の黒字になったが、そのカラクリも明らかにした。融資先の倒産に備えて積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字である。一日も早く整理することが必要と指摘した。
続いて演壇に立った西崎光子・都議会議員(株式会社新銀行東京に関する特別委員)は都議会で「一日も早く店仕舞いを」と主張しているが、自民党や公明党が抵抗していると説明した。知事の責任を追及し、都民への情報公開を進めるため、特別委員会の審議への注目を求めた。
次は斎藤氏による「石原都政10年の検証」と題した基調講演である。斎藤氏は石原の問題点を明らかにした書籍『空疎な小皇帝―石原慎太郎という問題』の著者である。石原氏を取材していくうちに「どこをどうしたら、このような人間になってしまうのかという思い」になったと語る。批判対象でも取材するからには、取材対象に惹かれる点があるものだが、石原氏の場合、つまらない話ばかりで次第に取材が嫌になった。たとえば料理店で店員を怒鳴りつけるというエピソードなどである。人間の醜さをモロに見せつけられた。石原氏側は最初から最後まで取材拒否であったという。
石原都政は小泉政権の構造改革を先取りしていた。強いものが弱者をいたぶるのが当たり前とする社会を目指している。但し、構造改革には生産性の向上・経済の効率化などの目的があり、格差拡大などはマイナス面とする見方もある。これに対して、石原都政では差別が目的化している。
石原都政の手法は嘘と恫喝であり、これほど最低の男は存在しないとした。その例として公設派遣村の入所者200人が所在不明とされた問題を指摘した。夕食時までに大田区の「なぎさ寮」まで戻れなかった入所者が200人である。多くの入所者は、その後に戻ってきており、派遣村で実際にいなくなった人数は少ない。
最後に斎藤氏は石原氏を追及しないマスメディアや石原氏に投票する有権者も問題であると指摘した。石原氏の本質は弱者差別であるが、だからこそ石原氏に投票するのではないかと問題提起した。人間存在のあり方が問われていると結論付けた。
日本消費者連盟の吉村英二氏は築地移転の問題を指摘した。移転の理由として築地市場の老朽化が挙げられるが、これは別の場所に移転する理由にはならない。集荷力の向上についても、土壌汚染が発覚した豊洲には誰も出荷したがらない。営業しながらの再整備も可能である。東京都は臨海の開発に失敗し、膨大な赤字がある。築地市場の土地を売却したいだけである。石原氏は既得権益の破壊者と受け止められがちであるが、実態は土建屋都政である。
福士敬子・都議会議員はオリンピック誘致の問題を指摘した。オリンピックはスポーツの祭典ではなく、企業の事業祭典になっている。石原氏は財界にとって利用しやすいために、財界がこきつかっているのではないか。石原都政で一貫しているものは再開発や道路などの事業である。オリンピック誘致では予算はあってなきがごとしで、無駄遣いが行われたと述べた。
外環道検討委員会の金子秀人氏は東京外郭環状道路の問題点を指摘した。東名以南の計画はなく、外環道は都市計画的に破綻していると主張した。
土肥信雄・前都立三鷹高校校長は教育委員会による教育現場への締め付けの実態を語った。教育委員会が管理するための教育であり、生徒のための教育になっていない状況である。
全国福祉保育労働組合東京地方本部の民谷孝則氏は福祉切捨ての問題を述べた。福祉施設への人件費補助削減などにより、介護職は低賃金に苦しみ、男性の寿退職なども起きているとする。
吉田万三・元足立区長は医療・社会保障の問題を述べた。切捨ての一例として、保健所が統廃合され、一部の保健所が保健相談所に格下げされている点を指摘した。将来的には保健相談所を民間委託するための地ならしではないかと問題提起した。
来るべき都知事選挙では皆が力を合わせられるようにすることが大切であると強調した。有名人を探して一発ホームランを狙うのではなく、ヒットの積み重ねが大切と主張する。
最後に実行委員長の宇都宮健児・弁護士から閉会の挨拶がなされた。宇都宮氏は都政を転換させなければならないと述べる。弁護士にとって一番大切なことは弁護士法第1条にある「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」である。この点で石原氏は弁護士にはなれないが、政治も弱い人に手を差し伸べるのが本来のあり方である。石原都政の実態を都民に伝えること、政治的立場を超えてつながっていくことが重要であると締めくくった。

小池晃氏擁立の革新都政をつくる会は歌でも勝負

4月に投開票される東京都知事選で、日本共産党系の政治団体「革新都政をつくる会」が前参院議員の小池晃・共産党政策委員長を擁立する方針と3日に報道された。
同日、東京都江東区で開催された「革新都・区政をめざす江東連絡会」主催の「2011春 東京を変える 都民のための都政を江東区民の集い」で中山伸・革新都政をつくる会事務局長は正式発表前ということで候補者を明らかにしなかったが、報道内容を否定することもなかった。
中山氏は候補者の条件として「都政、国政問題での立ち位置が明確で、論戦力、政治力があり、知名度とともに幅広い共同拡大の要となる人」などを挙げた。中山氏は、この条件から「皆さんにも候補者のイメージが浮かぶでしょう」と語った。
小池氏はテレビの討論番組や記者会見などで党の顔として知名度は高い。また、昨年の参議院議員選挙では落選したものの、「小池晃さんを応援する市民勝手連」が立ち上がるなど共産党組織外からも支持を広げた。この実績などから「共同拡大の要」と想定しているに見られる。
「江東区民の集い」では労働組合や弁護士、市民団体、都議会議員など各界からリレートークがなされたが、寸劇や合唱など楽しめるパフォーマンスがあったことも特徴である。圧巻は都知事選の応援歌「明日をこの手に」で、会場全体で唱和した。「明日をこの手に」は橋本のぶよ氏が作詞・作曲した曲である。
「革新都政をつくる会」の出発点である美濃部亮吉氏の都知事選でも「おはよう東京」という応援歌があった。「おはよう東京」では「革新の希望にあふれる私の東京」と明るい希望を高らかに歌い上げていた。これに対し、「明日をこの手に」は「住みつづけるために」「くらしを守る」など、深刻な現実を踏まえて東京を変えようという決意の歌になっている。応援歌を活用して幅広い層に浸透できるか、選挙手法にも注目である。

石原慎太郎都知事再選の絶望と希望

東京都知事選挙が2011年4月10日に投開票され、現職の石原慎太郎氏が再選した。インターネット上では小池晃前参議院議員の人気が高まっていたが、石原氏の圧勝という選挙結果にネチズンからは失望の声が出ている。
小池氏は以下の理由から共産党支持とは限らないネチズンからも支持された。
第一に脱原発を明確に打ち出した点である。原発の新規建設計画を中止し、東海地震の震源想定域にある浜岡原発を停止し、自然エネルギーへの転換を訴えた。これが福島第一原発事故を政府発表やマスメディア報道以上に深刻な問題と考える人々に支持された。これまで原子力の平和利用を必ずしも否定しなかった日本共産党にとっては民意に応じた方針転換であり、教条的という共産党への悪印象の解消にもつながった。
第二に改正青少年健全育成条例の廃止である。改正条例は創作活動を委縮させ、表現の自由を脅かし、マンガ文化やアニメ産業の発展にも、民主主義にも反すると主張した。漫画やアニメ好きな若年層に支持を広げることになった。
第三にナイトクラブ営業に関する公開質問状への回答である。東京では数多くのクラブが警察の取り締まりによって営業停止に追い込まれている。この現実に対し、クラブカルチャー育成協議会は都知事選候補者に「客を踊らせる営業を深夜行うことが、風紀の乱れにつながるとお考えでしょうか」などの質問を行った。
石原氏以外の多くの候補が回答を寄せ、「風紀の乱れにつながらない」と回答したが、特に小池氏の回答が丁寧でクラブ文化を理解していると評判になった。小池氏は以下のように回答する。
「クラブカルチャーは、アートや音楽で活動している人々や、アートや音楽をクラブの現場で楽しみながら学びたい、そして多くの出会いを得たいという人々が集まって文化を生み出す場として、正当に評価されるべきと考えます。」
また、「都内のナイトクラブが深夜1時以降も営業可能な条例を作って頂けますか」との質問に対して、肯定する候補者もいる中で以下のように条例と法律の相違を踏まえて回答した。
「営業時間は、国の法律である風俗営業法で制限されていますので、現行法のもとでは、1時以降も営業可能とする条例を、都が定めることはできません。しかし、関係者や都民のみなさんから強い要望があれば、都知事として国に働きかけることを含め、積極的に取り組みます。」
この回答によって小池氏が制度についても正確に理解しているとして、クラブ文化に関係するアーティストの支持も広がった。
これらの要因によって、インターネット上では小池氏が人気候補となった。ウェブサイト「リアルタイム世論調査」のアンケート「2011年東京都知事選挙、誰に投票しますか?」では小池氏が5割近くの票を集めた。また、ツイッターなどでも小池氏支持の呟きが多く見られた。
小池氏支持者の中には石原氏の再選だけは阻止したいという消極的支持も多い。石原氏は原発推進論者と公言してはばからず、青少年健全育成条例を進め、クラブの取り締まりの背後にも「浄化」を唱える石原氏の政策がある。石原氏の対極に位置するために小池氏が支持された格好であるが、反石原の対立候補として事実上の共産党候補である小池氏が認識された点がポイントである。
前回の都知事選挙は反石原候補が分裂した点が反石原陣営にとって失敗であった。今回も投票結果を見れば前回と同じように見えるが、渡辺美樹氏も東国原英夫氏も反石原を明確に打ち出していた訳ではない。一方で共産党公認の国会議員であった小池氏は一般の共産党系無所属の首長候補以上に共産党色が強く、これまでの発想では幅広い支持は難しいが、少なくともネットでは反石原の本命候補と評価された。
ここには市民派にとって絶望の中の希望がある。これまで市民派の協同と言えば社会党や民主党を軸に考えられてきた。当時の野党第一党であった社会党や民主党を軸とすることには一応の合理性がある。そこでは非妥協的な共産党は協同を破壊する印象が強かった。唯我独尊的な共産党は結果として自民党を利していると批判されたほどであった。
しかし、社会党の後継の社民党は縮小した。民主党は政権交代を果たしたものの、多くの市民派を失望させる結果となった。ここにおいて市民派協同の軸として最有力の政党は好むと好まざるとにかかわらず共産党になる。
一方で共産党には拒否感や抵抗感があることも事実であり、それが共産党にとってはネックとなっていた。共産党候補が唯一の市民派候補でも、市民派から支持されるとは限らなかった。このネックは現実世界では依然として問題であるものの、ネットの世界では小池氏は乗り越えた感がある。

石原慎太郎支持層に届かなかった石原批判

2011年4月の東京都知事選挙では現職の石原慎太郎氏が再選した。石原氏は数々の暴言や失言を繰り返してきた人物である。批判者にとって石原氏ほど批判しやすい人物は存在しない。それにも関わらず、石原氏は東京都知事に再選した。ここから有名人好きの東京都民の民度の低さと片付けることは容易であるが、石原氏支持者の心理と批判者の限界を分析することは有益である。
暴言や失言を繰り返す石原氏を支持する層には二つのパターンに分類できる。
第一に暴言そのものを支持する層である。石原氏の発言を暴言とは捉えず、反対にタブー破りの正論であり、「よく言った」と持ち上げる。このような層は石原氏の発言を問題とは考えていない。だから石原氏を支持することには論理的な一貫性がある。石原氏の問題発言を批判したところで、彼らの心には響かない。
第二に暴言にも関わらず、石原氏を支持する層である。彼らは暴言を支持するものではない。それでも、石原氏は悪い点もあるが、良い点もあるというスタンスで、石原氏を支持する。悪い点もあるが、良い点もあるならば、差し引きすれば大して良い政治家にはならない。
しかし、何故か悪い点があることも優れた政治家の魅力と評価されてしまう傾向にある。石原氏に数々の欠点が存在すること自体が型破りの候補者を求める有権者に逆に魅力的に映ってしまうという困った現実がある(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」PJニュース2011年2月21日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110219_3/
ステレオタイプな評価をすれば、日本人は「けなしの文化」「減点主義」とされる。特に同格以下の存在に対する日本人の「けなしの文化」「減点主義」は容赦がない。ところが、石原氏のような権力者に対してだけは加点主義で好意的評価を下すという醜悪さがある。
この第二の層は第一の層よりも穏健であるが、論理的には徹底していない。従って石原批判者としては第二の層を説得することが批判を広げるための合理的な戦略になる。良い点も悪い点もあると考える人には、悪い点が大きいことを示せば説得可能である。
第一の層と第ニの層は固定的なものではなく、暴言の内容によって流動する。三国人発言を支持する人種差別主義者でも、天罰発言には腹を立てた人は少なくない。天罰発言後の石原氏に対する支持層は第二の層が圧倒的に多くなる。反石原陣営にとっては説得可能な層が増えたことになる。
再びステレオタイプな評価をすれば、日本人は同質性が強く、異なる立場への共感力に乏しい。人権意識の高い国では政治生命を絶たれるマイノリティへの差別発言もスルーされがちである。これに対し、現実に大勢の日本人が被災し、誰もが被害に遭う可能性がある地震や津波の被災者への暴言には腹を立てる。現実に天罰発言は広範な反発を呼び、石原氏も陳謝を余儀なくされた。
日本人に対する天罰発言はマイノリティへの差別発言の延長線上のものである。マイノリティを差別する人種差別主義者は、やがては日本人にも矛先を向けることを石原発言は示している。在日コリアンの差別を放置・助長するような政治家が日本人の人権を保障することはない(林田力「延坪島砲撃事件による朝鮮学校無償化停止の不当(下)」PJニュース2010年11月30日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101126_4/
従ってマイノリティの差別発言と天罰発言で反発の大きさが異なること自体が日本社会の後進性、人権意識の低さを示している。一方で、そのような意識の低い日本人にも天罰発言は石原氏の問題を理解させる材料になった。現実にインターネットでは石原氏の天罰発言と原発推進姿勢を結び付けて、再選阻止を目指す声が盛り上がった。被災者の痛みを感じないから危険な原発を推進するという論理である。
ところが、現実社会では盛り上がりに欠けた。ここには現実社会の石原批判の担い手である左派市民の限界がある。左派市民は石原氏を痛烈に批判する。しかし、その石原氏批判が公正なものであるかが問題である。
暴言批判を前面に出した石原批判は、突き詰めれば石原慎太郎という人格の否定になる。「石原慎太郎が生理的に嫌い」も反石原の立派な理由である。しかし、その批判が石原支持層に届くかは別問題である。「私は石原氏が好きだから、欠点があっても好意的評価をする」と返され、平行線になってしまう。
この平行線を打ち破るほどの論理性を左派が有しているかが問題である。石原氏を痛烈に批判する左派も実は身内には甘い傾向がある。政府や企業の汚職や疑惑を鋭く追及していた社民党代議士や労働組合が、裏では秘書給与のピンハネやヤミ専従などの不正をしていた。この種の二準基準が石原批判からも感じ取られている恐れがある。
実際、石原氏を激しく非難する左派の運動家も、問題発言したメンバーに対しては「他人同士のこととなると実に的確・冷静な判断・指摘をすることのできる人かもしれない」と擁護した例がある。それならば天罰発言の石原氏も政治家としては適切な能力を発揮するかもしれないという論理も成り立つが、市民同士の場合と政治家への批判は異なると二重基準を正当化した。
このような人物の石原批判が石原支持層に届かないことは至極当然である。単に石原氏が嫌いな人のたわ言と受け止められてしまう。正義を追求する側にばかり高い倫理性を要求する日本社会の二重基準は不公正であるが、自分達にだけ甘い左派の二重基準に厳しい視線が向けられていることに左派も自覚する必要がある。

反石原慎太郎の多義性と曖昧性

2011年4月の東京都知事選挙では反石原がキーワードの一つになりながらも、石原慎太郎氏が再選を果たした。反石原という論点が生じながらも、それが大きなうねりにならなかった要因として反石原という言葉の曖昧性・多義性がある。
反石原の声は大きく3パターンに分類できる。
第一に「大震災は天罰」発言など数々の暴言への反発、つきつめれば石原慎太郎という人格に対する嫌悪感である。これが一般的には最も強い反石原イメージであるが、好き嫌いの問題である。石原氏を嫌っていない大多数の有権者の心には響きにくい(「石原慎太郎支持層に届かなかった石原批判」PJニュース2011年5月9日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110508_5
第二にタカ派と呼ばれる石原氏の保守・反動思想への批判である。しかし、これも首長選の選挙戦術として前面に出すことは難しい。保守・反動思想への対抗軸は平和主義・護憲運動になるが、それらは市民派結集の軸になりにくい。
反戦・平和主義は十五年戦争当時に侵略戦争に反対したかをめぐり、旧社会党系と共産党系で溝がある(林田力「共産党と社民党の大きな溝」PJニュース2010年3月22日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100321_5/
護憲運動は日本国憲法自身が国民主権や法の下の平等に矛盾する天皇制を規定しているという矛盾と歴史的限界を抱えている(「中井洽の非礼発言と天皇制の対立軸化(下)」PJニュース2010年12月5日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101202_5/
どちらも突き詰めると市民派の団結よりもセクト的対立を誘発しがちである。現実に対立をもたらしてきた経緯がある。
第三に石原都政の新自由主義・構造改革路線への批判である。『空疎な小皇帝−石原慎太郎という問題』の著者・斎藤貴男氏は、石原都政が小泉純一郎政権の構造改革を先取りしていたと指摘する(東京を考えるシンポジウム実行委員会主催シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」2010年2月13日)。築地市場移転や東京外郭環状道路(外環道)などの開発優先と、都立病院廃止などの福祉切り捨ては構造改革路線に合致する。
石原氏を構造改革派と位置付ければ、そのタカ派姿勢もレーガン、サッチャー、中曽根康弘、小泉の各氏ら従前の構造改革派と共通する要素と理解できる。石原氏をウルトラ保守の異常な政治家と位置付けるよりも、既に出尽くしている構造改革派の亜種と位置付けた方が、そのカリスマ性を奪うことができる。
そして小泉政権に対しては靖国神社参拝や自衛隊のイラク派兵よりも、格差拡大や貧困の批判が強かった。それを踏まえれば、反石原も構造改革路線への批判を前面に出すことが効果的である。
しかし、構造改革批判は第一の人格批判によって相殺されてしまう危険がある。構造改革路線の問題は全てを金銭的価値で評価する市場原理主義である。血も涙もない非情な市場原理主義に対して、批判者は人間性を対置する。構造改革派を無機的な金の亡者と描けるならば構造改革批判は成功である。
ところが、石原氏の暴言が逆に彼の人間味として受け止められ、構造改革派の非情さを見えにくくしてしまう。石原氏の批判者にとって石原氏の暴言は彼の冷酷さの表れであるが、人間としての冷酷さである。差別感情をあらわにすることで、無機的な市場原理主義者のイメージを回避できる。構造改革路線の成功者の小泉氏も首相就任当初は変人というキャラクターが国民的関心を集めた。
東日本大震災後の自粛選挙によって構造改革批判の論点を深められなかった点が反石原陣営にとって残念な点になるだろう。

東京都議会が東京五輪招致失敗検証で参考人招致

東京都議会オリンピック・パラリンピック招致特別委員会は2010年5月24日に東京五輪の招致活動を検証するために参考人を招致する。招致対象は招致委員会の河野一郎事務総長、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長、大手広告代理店・電通の前スポーツ事業局長である。
東京は2016年夏季オリンピック(五輪)の開催地として立候補したが、2009年10月2日にコペンハーゲンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でブラジルのリオデジャネイロに決定した。ブラジルは成長著しいBRICsの一角であり、南米初の開催という記念すべき五輪となる。
東京は決選投票にも残らずに落選した。五輪開催への国民の支持率が他候補都市と比べ低かった点が敗因とされる。日本の夏季五輪招致は名古屋がソウルに敗れた1988年五輪、大阪が北京に敗れた2008年五輪に続いて3連敗である。多くの税金を投入した招致活動が失敗しただけでなく、委託事業費のほとんどを競争入札なしの特命随意契約で電通に受託させるなど不明朗な使途も批判を集めた。立候補の妥当性も含めた根本的な分析と反省が不可欠である。
2016年五輪招致における東京の最大のアピールポイントは環境への貢献であった。しかし、環境への貢献は五輪開催地にならなくても可能である。鳩山政権が温室効果ガス25%削減を打ち出したように日本が環境で貢献できる分野は幅広く存在する。
五輪招致の推進者達が真に環境問題について考えているならば、別の分野で環境に貢献することを期待する。築地市場の移転問題や外環道など都政は環境に関する問題が山積みである。これらの問題について環境優先の立場から政治力を発揮してもらいたい。
東京の五輪招致は国民の支持が低調であるにもかかわらず、石原慎太郎・都知事に代表されるように一部が異様なほどに熱意を示したことが特徴である。そこには委託事業費の不明朗な使途が象徴する五輪利権が見え隠れするが、1964年東京五輪の「成功体験」の世代的な幻想も大きい。1964年の東京五輪は一般に日本の復興と成長を象徴する出来事として語られることが多い。日本経済にオリンピック景気をもたらしたとも説明される。
しかし、1964年東京五輪は手放しで絶賛できるものではなかった。早くも五輪終了直後に新聞では自省する記事が新聞紙上に掲載された。朝日新聞は「天声人語」で「世界一豪華な体育館はできたが、その一方では、住宅地に住む人間は、下水道さえ持っていない」と指摘した(1964年10月30日)。また、毎日新聞は同年10月26日から31日まで連載記事「東京……これから」で公害対策や下水の完備などオリンピック事業のかけ声から取り残され、忘れ去られた問題を特集した。
立派なハコモノは完成したが、福祉が貧困で取り残された国民が放置される点は現代に通じる日本の問題点である。1964年東京五輪自体がハコモノ行政・土建国家という日本の否定すべき方向性を体現したものであった。1964年東京五輪の再来を期待する発想が「コンクリートから人へ」の現代では時代遅れのものとして批判されなければならない。

『東急不動産だまし売り裁判』江東区政

明治安田生命新東陽町ビル建設に反対運動=東京・江東

明治安田生命保険が建設する明治安田生命新東陽町ビルに建設反対運動が起きている。問題のビルは東京都江東区東陽2丁目に建設中で、地上11階地下1階建て、延べ床面積9万6000平米の巨大なビルである。施工は竹中工務店である。
明治安田生命は近隣エリアに分散している自社グループのオフィスを新東陽町ビルに集約する方針とする。建設地は東京メトロ東西線東陽町駅の近くで、ゴルフ練習場のゴルフガーデン東陽が2009年6月30日まで営業していた。
新東陽町ビル建設に対し、建設地の北側に位置するマンション・パイロットハウス東陽町住民を中心に反対運動が起きている。パイロットハウス東陽町には「『弱者の声』明治安田生命ビルがこのまま完成したら、私の部屋には『日が差さない』」と書かれた巨大掲示板や垂れ幕が設置されている。
掲示板には「本掲示板に悪戯、破損等の危害があった場合は、警察に通報し法廷措置を講じます。」とも記載されている。これは反対運動の看板が破壊されるなど卑劣な攻撃に遭う現実を踏まえたものである。実際、東急不動産らが神奈川県平塚市で分譲したマンション・湘南袖ヶ浜レジデンスにも建設反対運動が起きたが、反対運動の幟旗6本が2005年9月28日未明に破壊された事件が起きた。
住民らは江東区議会に「明治安田生命新東陽町ビル新築工事の見直しについての陳情」を提出するなど広範囲に活動している。住民らは新東陽町ビルが自社の利益のみを優先した設計であると批判する。「公共の福祉の増進に資することを目的とする」と定めた建築基準法第1条にも反している。
新東陽町ビルは近隣住民の住環境を破壊する。パイロットハウス東陽町は一年中ほとんど陽が射さなくなる住戸も出る。住民がベランダに出ても空はない。これに対して、新東陽町ビルは近隣住民の住環境を犠牲にすることで、光溢れる快適な職場環境を享受する。これは明治安田生命が自ら掲げる行動規範「地域社会への貢献と環境への配慮」に反していると主張する。

深川八中前歩道橋が横断歩道に=東京・江東

東京都江東区塩浜の江東区立深川第八中学校(深川八中)前の歩道橋が撤去され、横断歩道になる。
現地は中学校前という歩行者の多い場所であるにも関わらず、歩道橋だけで横断歩道がない場所があった。特に深川八中では江東区内の中学校で唯一日本語クラブがある。これは外国人生徒が日本語を中心に学習する場所で、遠方からの通学者もいる。
歩道橋を渡らなければならないことは歩行者にとって不便である。特に自転車利用者や車椅子の人、乳母車を押している人は困る。歩道橋を使わずに道路を渡る人も少なくなく、危険な状態であった。そのために住民や町会が深川警察署や江東区に設置を長年要望していた。工事は10月中旬に始まり、翌年1月に完了する予定である。
江東区は大手町や銀座にも自転車で行ける場所にあり、坂道も少ない。そのために自家用車不要のエコな生活ができる環境にある。しかし、車優先で道路が作られている点が難点である。自転車で走っていると歩道が突然行き止まりになり、歩道橋しかない場所も多い。そのために、道路を渡ることに苦労する。
これは工業地帯であったことに由来する。住人は少なく、歩行者を考える必要が少なかった。そのために車優先の道路整備となった。それが住宅地として発展しているために各所で矛盾が顕在化している。そのような場所が一つ減少したことは喜ばしい。
何よりも毎日通学する中学生にとって便利になる。私の通っていた中学校では近くの道路には横断歩道と歩道橋があった。この道路について、横断歩道を渡ってはならず、歩道橋を使わなければならないという変な規則があった。
生徒の安全が名目だが、自らの惨めな人生を穴埋めするためか生徒に無意味な苦労をさせることが教育であるという勘違いした発想が日本には存在する。それでも最近は平等主義教育など子どもの痛みに配慮するようになった(林田力「平等主義教育で人間らしく優しい社会に」PJニュース2010年5月26日)。
ここでも生徒の利便性を追求する選択がなされたことは喜ばしい。

洲崎橋の狭い歩道に拡幅要望=東京・江東

東京都江東区東陽一丁目の洲崎橋が狭くて危険なため、地元住民から歩道の拡幅の声が上がっている。
東陽一丁目は洲崎遊郭があった場所である。遊郭とは「くるわ」と呼ばれるように囲われた区画である。洲崎遊郭も四方を川や運河、海に囲まれた場所であった。それが仇となって東京大空襲では多数の死者を出している。
遊郭の中央の入口を大門と呼ぶ。二大遊郭の吉原大門と洲崎大門をつなぐ大通りが大門通りで、親不孝通りの別名がある。洲崎遊郭の北側には洲崎川が流れており、大門通りから洲崎川を渡って、遊郭に入った。洲崎川は戦後に埋め立てられ、洲崎川緑道公園となった。桜並木で有名で、緑道公園は春には花見のスポットになる。
大門通りの洲崎川を渡る部分は、川の埋め立て後も洲崎橋と呼ばれている。この洲崎橋の西側の歩道部分が問題である。橋の構造が残っているため、中央部が高くなっている。洲崎橋を渡る場合、坂を上って、下りなければならない。この洲崎橋から東陽一丁目に入る所では急な坂道になっているだけでなく、カーブになり、歩道も狭まっている。歩行者や自転車、車椅子が、すれ違いに接触・衝突しそうになり、危険との声が出ている。
地元住民の声を受けて、斉藤信行・江東区議会議員(日本共産党)は12月12日に住民らと現場を調査した。斉藤区議は歩道脇の旧洲崎交番跡地を活用すれば歩道を拡幅が可能と説明し、江東区に拡幅を要請した。これに対し、区側は「来年度予算で検討します」と回答したという。
斉藤区議と東陽一丁目の関係は深い。事務所が東陽一丁目にあるが、その建物は遊郭で使われていたものを、そのまま利用している。「大賀楼」の建物で、屋号の「大賀」も建物に掲示されたままである。かつて洲崎遊郭があった名残を今に伝える貴重な建物である。
この東陽一丁目の南に位置する塩浜の江東区立深川第八中学校前では住民の要望で歩道橋を撤去して横断歩道にする工事が進行中である(林田力「歩道橋が横断歩道に、人に優しく=東京・江東の深川八中前」PJニュース2010年10月5日)。この実現にも斉藤区議は尽力していた。
洲崎橋の東側歩道脇にもスペースがある。そこには「皇太子殿下御降誕記念」の石碑と右翼団体が建てたとされる黄色い看板がある。石碑は洲崎三業組合のもので、三業組合とは花街の同業者組合を指す。昭和九年十二月吉日とあるため、今上天皇(明仁)の誕生記念の石碑である。今上天皇は1933年(昭和8年)12月23日に生まれており、石碑建立日との丸1年の時間差が興味深い。
東陽一丁目の北に位置する東陽三丁目でも東陽三丁目町会が現在の沢海橋第二児童遊園内に皇太子殿下御降誕記念の石碑を建てているが、こちらも昭和9年12月である。「あちらがやるから、こちらもやらなければならない」的な世間の雰囲気に流される時代状況が感じられる。
洲崎橋の東側歩道脇で石碑以上に自己主張しているものが黄色い看板である。看板には「誇りと憤りを忘れた国には固有の領土は還ってこない」とあり、北方領土や竹島、尖閣の地図が掲載されている。日本が実効支配し、「領土問題はない」を建前とする尖閣諸島を北方領土や竹島と同列に並べる看板の自爆ぶりが香ばしい。看板には右翼に対する反感を述べた落書きもされている。
一般に右翼は尊皇思想とされるが、皇太子誕生記念の石碑の隣に、それよりも目立つ形で政治的主張を掲示することが尊皇になるのか疑問である。日本の右派は社会に不満を抱く人々の気持ちを利用して切り捨てる(林田力「ネット右翼は東京都青少年健全育成条例で目を覚ませ」PJニュース2010年12月20日)。それどころか、右翼は皇室さえも自らの政治的主張や権力欲を貫くために利用しているのではないだろうか。
http://news.livedoor.com/article/detail/5219494/
地元住民の要望を実現するために奔走する左派政治家と、お構いなしに政治的状況をデカデカと掲示する右翼の傍若無人ぶりが対照的な洲崎橋の状況である。

第40回赤旗まつり開催=東京・江東

第40回赤旗まつりが2010年11月6日・7日に東京都江東区の夢の島公園で開催された。好天に恵まれ、大勢の人で賑わった。
赤旗まつりは日本共産党が主催するイベントである。2006年に開催された第39回赤旗まつりから4年ぶりの開催になる。会場の夢の島公園に接する明治通りには何台もの貸し切りバスが並び、全国各地から集まっていることをうかがわせる。会場周辺には右翼の抗議行動を警戒する警察官の姿も目に付いた。
赤旗まつりは志位和夫委員長の記念演説や戦前の正当ビラなどを展示する日本共産党展など日本共産党を知ってもらう企画が中心である。一方で歌手のペギー葉山やジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子のステージ、三遊亭円丈の寄席などエンターテイメント色のある企画も多い。また、うたごえ喫茶やフットサル大会、高校生しゃべり場、人形劇など老若男女が楽しめるイベントになっている。さらに北海道の日高昆布や沖縄の泡盛など全国各地の物産を販売する模擬店が並び、文字通り祭りの雰囲気であった。
志位委員長は7日に記念演説「政党の値打ちは何によってはかられるか」で、民主党と自民党の二大政党の問題点などを指摘した。志位委員長は政党の評価基準として、「どのような綱領を持っているか」という点を強調した。
民主党は綱領を持っていない。自公政権退陣の世論に押されて政権を獲得したものの、普天間問題でも消費税増税でも自民党と瓜二つである。その根本には政治の現状を変える綱領を持っていないという問題がある。
一方、自民党は野党転落後に「平成22年綱領」を定めたが、その内容は「日本らしい日本」など中身がない。実は自民党には裏の綱領がある。本当の綱領は対米従属、大企業中心である。恥ずかしくて公然と掲げることができない。
結局、二大政党の一方は綱領がなく、他方は恥ずかしくて掲げられない綱領である。このような勢力に政治を託することはできない。これに対して、日本共産党は半世紀前から「国民が主人公」で一貫していると主張した。

斉藤信行区議が事務所開き=東京・江東

2011年4月に投開票される江東区議会議員選挙への立候補を表明している斉藤信行・江東区議会議員(日本共産党)が2011年3月13日に江東区東陽で事務所開きを行った。
事務所開きは以前から予定されていたものだが、東北地方太平洋沖地震直後であるため、簡素なものとなった。斉藤区議も防災服で登場した。集まった支持者の中でも地震で家の中がメチャクチャになった人や、遠方から歩いての帰宅を余儀なくされた人もいた。事務所では義捐金の募金も受け付けている。
斉藤区議の事務所のある江東区東陽一丁目は洲崎遊郭があった場所である(林田力「洲崎橋の狭い歩道に拡幅要望=東京・江東」PJニュース2010年12月26日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101225_2
現在は住宅地が広がり、幾つかの建物が遊郭の面影を残すのみである。その数少ない建物の一つが斉藤区議の事務所で、洲崎遊郭の中でも有名店であった「大賀楼」建物を使用している。建物は今でも「大賀」の屋号が掲示されている。
事務所開きにはあぜ上三和子・東京都会議員、小池晃・東京都知事候補、吉田年男・江東区長候補がメッセージを寄せた。小池氏は「東京が変われば日本が変わる」とし、福祉都市東京をつくると述べた。吉田氏は斉藤候補と一緒に命と暮らしを守る区政を目指すと述べた。
斉藤区議の決意表明も地震の話題になった。斉藤区議は避難所となった区内の学校を見て回ったという。揺れが怖くて帰宅できない周辺住民や帰宅難民などが一夜を過ごした。そこでは毛布が足りないことが発覚し、市役所に掛け合った。この地震を踏まえて防災対策を抜本的に見直さなければならない。一つ誇れる点は長年求めていた学校の体育館の耐震補強が実現しており、安心な避難所になったことである。様々な人の意見を聞きながら、防災対策を強化し、安心・安全な街づくりを実現したいと述べた。最後は配布された麦茶で乾杯して散会した。

東京都江東区議会議員選挙が告示

統一地方選挙の後半戦が2011年4月17日に告示された。東京都江東区では区長選挙と区議会議員選挙が告示され、各候補が選挙戦を開始した。投票日は24日である。
東日本大震災直後のために自粛ムードが強かった前半戦に比べて、今回は選挙カーが走り回り、従来に近い選挙活動が展開された。江東区には多くの鉄道路線が走っているものの、人の流れのコアになるターミナル駅が乏しい。そのために他の地区以上に駅頭での演説よりも選挙カーの比重が大きくなる傾向がある。
現職区議で日本共産党公認の斉藤信行候補は東陽一丁目の事務所前で第一声を発した。最初に選対本部長が挨拶し、前半戦の東京都知事選挙を総括した。都知事選挙は自粛傾向が強かったが、それでも実績や公約を示す中で反応が出たという。
続いて挨拶した斉藤候補は区議としての取り組みを説明した。東京メトロ東西線・東陽町駅の安全対策や都バス路線の新設、深川第八中学校前の横断歩道設置、小中学校の耐震補強工事などである。最後の深川八中前の横断歩道設置は長年の住民の要望が実現したものである(林田力「歩道橋が横断歩道に、人に優しく= 東京・江東の深川八中前」PJニュース2010年10月5日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101004_5
続いて斉藤候補は自らの政策を説明した。
第一に東日本大震災の被災地の救援と復興である。日本共産党は募金活動を行い、斉藤候補も東陽町駅前などで募金を集めた。集められた5億円もの募金は第1次分として被災自治体に届けられた。
第二に防災計画の抜本的な見直しである。学校の耐震補強工事は進められたが、公共施設は不十分である。また、江東区は橋が多く、橋の耐震補強工事も必要である。地震発生時には江東区の避難所にも避難してきたが、備蓄物資の不足が判明した。毛布や水が不足している。今回は断水しなかったため、水の不足は問題にならなかったが、断水した場合は大変である。
第三にエネルギー政策の転換である。福島第一原発事故によって原発の危険性が具体化した。以前から共産党は危険性を主張しており、福島第一原発事故は人災である。日本国内の全ての原発を総点検し、自然エネルギーなどに転換していく。
第四に福祉に強い街作りである。認可保育園や特養老人ホームを増やす。また、都立墨東病院は東京都直営のまま存続させる。東陽町駅から昭和大学病院ができる豊洲駅、癌研有明病院を結ぶ都バス路線の新設を目指すと述べた。

江東区、定額給付金に合わせて商品券販売

東京都江東区は定額給付金の配布に合わせて江東区内共通商品券を発売する。10パーセントのプレミアム付きの商品券である。500円券22枚を1セットとする1万1千円分の商品券を1万円で購入できる。商品券は1世帯3セットまで購入可能である。
江東区では2009年3月16日から各世帯に定額給付金の申請書を送付している。その中に商品券の購入券も同封した。商品券は4月24日・26日・5月22日・24日に江東区文化センターなど区内各地の文化センターで販売する。その際に上記の購入券を提出する仕組みである。
商品券は区商店街振興組合連合会加盟の個人商店に加え、区が子育て世帯や高齢者らに発行している「江東さざんかカード」の協賛店でも使用できる。商品券の有効期間は12月31日までであるため、年内に使い切る必要がある。
定額給付金に対しては目的も効果も不明確な人気取りのためのバラマキであるとの批判が根強い。それは麻生太郎首相の一貫性のなさが裏付けている。麻生首相は高額所得者が定額給付金をもらうのは「さもしい」と辞退を求めておきながら、最終的には消費刺激に「私も参加する」と受け取る意向を示した。麻生首相は生活支援から消費拡大に定額給付金の目的が変わったためと説明する。しかし、当初の目的が変更されたにもかかわらず、政策を見直すことなく強行することが問題である。
一方、地元商店街でしか使用できない商品券発売は明らかに地元商店街のテコ入れ策であり、目的も効果も露骨なほど明確である。消費者よりも個人商店経営者を向いた政策である。その当否については大いに議論されるべきであるとしても、あやふやな目的を状況に応じて使い分けて何とか正当化しようとする定額給付金に比べると、清々しく感じられるほどの地元商店街優遇策になっている。(林田力)

江東区の地域ネタ

江東区東陽で納涼盆踊り大会

町会の手作りイベント

東京都江東区では東陽一丁目町会が2008年8月2日及び3日の2日間、「こどもの広場」にて毎年恒例の納涼盆踊り大会を開催した。幸いなことに両日とも好天に恵まれ、大勢の人で盛り上がった。
会場の中心には櫓が建てられ、ご当地物の「深川音頭」や子ども向けの「アラレちゃん音頭」がかけられた。櫓を中心に取り付けられた多数の提灯が会場の四方に延び、日没後は幻想的な雰囲気となる。それぞれの提灯には提供者の地元企業の社名などが書かれている。
大勢の参加者が来るために会場の前の道路は自動車通行止めにした。周囲にはテントが並び、焼きそばやソースせんべい、ジュース、ビールなどが販売された上、輪投げも行われ、お祭りの雰囲気を醸し出していた。
下町の雰囲気を残す江東区では町会活動も活発である。特に東陽一丁目は元々、洲崎パラダイス(洲崎遊郭)があった場所である。歓楽街として隆盛を誇った時代からの蓄積があり、町会も活発である。盆踊り大会も町会の手作りのイベントで、出店された模擬店も基本的に町会役員が運営している。
最後に記者と東陽一丁目町会の関係を説明する。記者は過去に町会役員(幹事)を務めていた。記者と町会の関係は東急不動産とのマンション裁判に遡る。記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から購入した新築分譲マンションのだまし売り被害に遭い、東急不動産と裁判をした(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。
だまし売りの真相を明らかにする一環として、マンション建設時の事情を町会役員の方にうかがったことが町会との関係の端緒である。それまでマンション住民と町会の関係は疎遠であったが、これを契機に記者が町会役員になった。裁判を有利に進める情報を教えてくれた町会役員に感謝すると共に町会の発展を祈念したい。

深川八幡祭り開催、3年に一度の本祭り

江東区門前仲町にある富岡八幡宮の深川八幡祭り(富岡八幡宮例大祭)が2008年8月13日から17日にかけて開催された。2008年は3年に一度の本祭りにあたる。日枝神社の山王祭や神田明神の神田祭とともに江戸三大祭の一つである。
8月16日は神幸祭鳳輦渡御(しんこうさいほうれんとぎょ)が行われた。御鳳輦が各町内を渡御し、各町内に設けられた神酒所では舞姫が神楽舞を奉奏する。この日は、子ども神輿や山車が町内を巡幸した。記者(=林田)の家の前も通過した。町内のどこかしこを通っており、家にいても掛け声や笛の音が聞こえるほど賑やかである。
8月17日はメインイベントと言うべき神輿連合渡御が行われた。大神輿55基が勢揃いして連合渡御する。氏子である各町会の54基の神輿に加え、今回は奥州平泉(岩手県平泉市)の神輿も参加した。氏子は深川界隈(門前仲町、木場、清澄白河)のみならず、枝川や豊洲、さらには中央区の新川、箱崎にまで広がっている。
連合渡御の朝は早い。担ぎ手は午前5時半に神酒所に集合し、神輿を担いで富岡八幡宮まで移動する。出発の花火を合図に連合渡御が始まる。永代通りを東進し、江東区西部を回って隅田川を渡り、中央区を南下して戻る約8キロメートルの行程である。
掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」という伝統的なもので、担ぎ手は沿道から清めの水を浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がる。水掛けは活発に行われ、別名「水掛け祭」と呼ばれるほどである。
今年は一時的に強い雨が降ったり、17日は肌寒かったりと天気に恵まれた訳ではないが、祭りの活気に地域の伝統を維持する下町の活力を実感した。
前回の本祭りが行われた2005年は記者が購入したマンションの売買代金返還を求めて東急不動産を提訴した年であった(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。
記者にとって東急不動産との裁判が地域との関係を深める契機になったとはいえ、当時は裁判中で祭りを楽しむというよりも勝訴を祈願する念が強かった。そのお蔭もあってか、一審では勝訴判決、控訴審では実質勝訴の訴訟上の和解、和解成立後の紛争でも主張を貫くことができた。心から祭りを楽しめる状況に感謝したい。

東陽一丁目町会が町会会館建設へ=東京・江東

東京都江東区にある東陽一丁目町会が2011年夏頃までに町会会館を建設すると発表した。東陽一丁目町会は約1500世帯、約3000人を抱える比較的大規模な町会である。東陽一丁目は江東区の中央部分、東京メトロ東西線木場駅と東陽町駅の中間地点に位置する。
かつては洲崎弁天町と呼ばれ、遊郭で賑わった時代もある。東京大空襲で甚大な被害を受けたが、戦後は洲崎パラダイスとして復興した。現在も当時を髣髴とさせる建物が残っている。歓楽街の名残からか、現在でも町会活動は活発である。町会会館建設の道筋をつけるためには2008年頃からの長い道のりがあった。
町会では町内にあるホテルの敷地を借りて、お祭りの神輿などを保管していた。しかし、ホテルの経営者が変わった関係で継続使用が困難になり、新たに倉庫用地を取得することにした。ところが任意団体のままでは土地を登記することはできない。そこで町会名義で登記できるように法人格の取得が課題となった。
地方自治法第260条の2第1項は地縁による団体が市町村長(東京都区部は特別区長)の認可を受けた場合に法人格が認められる。認可を受けるためには幾つかの書類が必要になるが、その中でハードルが高いのは構成員名簿である。町会の構成員(町内の住民)の氏名と住所が書かれたものであるが、全住民の過半数の書名が必要とされる。この住民には生まれたての赤ちゃんから高齢者までの全てで、外国人も含まれる。
認可地縁団体は「一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体」であるため、従前の東陽一丁目町会とは会員の範囲が異なる。相違点は大きく2点ある。
第一に現行町会は世帯単位であるが、法人化されると個人が会員となる。
第二に住民の団体であるため、商店などの非居住者は会員になれない。但し、東陽一丁目町会としては賛助会員として残ってもらう方針である。
東陽一丁目町会では2008年9月7日に臨時総会を開催し、法人化の方針を決定した。構成員名簿を作成するためには住民の過半数の協力が必要であり、町会では町会報などで広く協力を呼びかけた。
その後、東陽区民館にて開催された平成21年度定時総会において、法人となるための会則案が承認された。新会則は旧会則に比べて民主的になった。本記事では二点指摘する。
第一に旧会則では総会は幹事以上の役職者を議決権者としていたが、新会則では一般会員(住民)を議決権者とする。
第二に新会則では会長を総会で選出することとした。副会長などの役員も会長が推挙し、総会の承認を得ることとした。
また、新会則では制度上のチェック機能も充実させた。新会則では監事を新設し、旧会則の役職・会計監査を廃止した。旧会計監査の職務は会計の監査に限定されていたが、監事には事業の監査を含まれる。一方、監事は役員会の構成機関にはならず、執行機関と分離させた。
法人化の目的は倉庫用地を所有し、町会名義で登記することである。任意団体では不動産登記ができないという制度的な制約を回避するための法人化であるが、法人格が認められるためには民主的な運営がされている必要があり、会則の変更となった。
総会では住民から様々な質問や意見が出された。その中で町会費を支払っているのに会員として名簿に登録されていない住民が数百名も存在することが判明した。マンション住民で管理会社が町会費を管理費に含めて徴収しているが、住民の名簿登録をしていないケースである。
記者も東陽一丁目にある東急不動産(販売代理:東急リバブル)の新築マンションに居住していたが、同じ状況であった。マンション建設時に東急不動産の子会社の管理会社・東急コミュニティーと町会の間でマンション住民から町会役員を出すという約束になっていた。しかし、東急コミュニティーは町会との約束を反故にしてマンション住民に伝えなかった。そのため、マンション住民は町会費を払うだけで町会活動には参加できなかった。
たまたま記者が町会役員と話をしたことで真相が発覚した。東急コミュニティーだけでなく、東急不動産も購入者にも不利益事実(隣地建て替え)を隠して新築マンションをだまし売りしており、記者は消費者契約法に基づき売買契約を取り消して転居した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
法人化した町会では2010年1月に町会会館建設用地(約125平米)を購入し、1月20日に登記を完了した。3月に15名構成の町会会館建設委員会を立ち上げ、会合を重ねている。現時点で判明している計画では会館は鉄骨造2階建てで、1階を倉庫、2階を事務所・多目的ルームとする。延べ床面積は約110平米である。建設費用には融資や神輿修理積立金の転用の加え、会員からの寄付も求める予定である。

SUNAMOとアリオ北砂の砂町SC戦争=東京・江東

東京都江東区の砂町地区に近年相次いで開業した大型商業複合施設(SC)を分析する。砂町地区北部の北砂には古くから下町情緒溢れる商店街・砂町銀座が栄えていた。砂町銀座はテレビ番組にも取り上げられ、知名度は高い。また、南部の南砂にはジャスコやDIYセンター・ドイトを核店舗とするトピレックプラザがある。
その後、2008年10月9日に「南砂町ショッピングセンター SUNAMO(スナモ)」、2010年6月4日に開業した。SUNAMOはイオン、アリオ北砂はイトーヨーカドーと流通業界で激しく競争する両雄を核店舗とする。両商業施設の登場により、砂町地区はショッピングセンターの激戦区になった。
SUNAMOは東京メトロ東西線南砂駅付近の江東区新砂3丁目に立地する。建物は地上7階建てで、店舗部分は4階までである。5階以上は駐車場になっている。SUNAMOはスーパーのイオンや家電専門店のコジマら7つの大型店と約100の専門店が入る。
フードコートには「佐世保バーガー LOG KIT」や「富士宮焼きそば 本 清水商店」などユニークな店舗が並ぶ。三菱地所株式会社が開発し、アクアシティお台場などの実績がある三菱地所リテールマネジメント株式会社が運営する。
SUNAMOという名称は南砂町の川風に揺らぐ美しい砂面(すなも)をイメージし、「砂町」「モール」「SUN(太陽)」「AMUR(愛)」を複合したという。首都圏の私鉄共通ICカード「パスモ」や横浜の商業施設「港北みなも」を連想させる語感でもある。「も」で終わらせると柔らかい感じがする。シンボルマークは平仮名の「すなも」を落款風にしたユニークなもので、一般の商業施設との差別化に努めている。
但し、砂町だから砂面(すなも)とする点は安直な感がある。砂町という地名は、江戸時代の開拓者・砂村新左衛門に由来する。この地に砂が多いとか、砂を使って埋め立てられたという歴史があるわけではない。
これに対し、アリオ北砂はイトーヨーカドー北砂店を核店舗に100以上の専門店で構成される。アリオはイトーヨーカ堂が開発・運営するショッピングセンターのブランドで、アリオ亀有やアリオ西新井など各地に存在する。アリオ北砂は小名木川貨物操車場跡地再開発の目玉として開業した。
SUNAMOもアリオ北砂も開業直後に大勢の人で賑わった点は同じである。敷地の外から行列でスタッフが誘導するほどの混雑で、駐輪や駐車するだけでも一苦労であった。各店舗で様々な開店記念セールを実施しており、多くの客を集めていた。問題はブームが去った後である。以下では自動車圏と徒歩圏の買い物客という2つの視点で分析する。
第一に自動車圏である。自動車圏の買い物客を考えた場合、江東区全域や隣接区内のショッピングセンターも競合になる。江東区内に限定しても既に多数のショッピングセンターが存在する。
同じ南砂町駅付近にはトピレックプラザがある。木場にはイトーヨーカドーを中心とする深川ギャザリアがある。再開発が進む豊洲には「アーバンドック ららぽーと豊洲」ができた。さらに東雲にもイオンがある。東陽町のイースト21にあるクイーンズ伊勢丹が2008年4月25日に開業したものの、僅か1年数ヵ月後の2009年8月31日に閉店したように競争は厳しい。
自動車圏の買い物客への訴求要素として、SUNAMOには家電専門店のコジマが入居している点が挙げられる。従来、秋葉原や有楽町のビックカメラ、錦糸町のヨドバシカメラで家電を購入していた江東区民も多かった筈である。コジマが自動車圏の買い物客の集客の鍵になる。これに対してイトーヨーカ堂運営のアリオ北砂はイトーヨーカドー中心主義の傾向が強い。
第二に徒歩圏である。両施設とも生活必需品を廉価で提供するスーパーを核店舗としており、徒歩圏の住民が日常の買い物をする上で魅力的である。これが欠けていた点が百貨店凋落の原因である。テナントには写真館やカルチャーセンターまであり、生活に必要な店舗の多くが揃っている。他の商業施設にも入居する有名チェーン店がテナントになっている点も「近くの住民は近くの店で」という発想だろう。
両施設ともマンションが林立する住宅地にあり、徒歩圏の住民だけでも、それなりの数になる。SUNAMOは徒歩圏の住民を確実に集客している筈である。同じ南砂町にトピレックプラザがあるが、駅の北側・南側に分かれており、近隣の住民は近い方に行くだろう。SUNAMOは地域密着型の複合商業施設を謳っているが、これは近接住民を絶対に失わないという決意の表れと思われる。
これに対してアリオ北砂は砂町銀座と徒歩圏が重なる。この点は小名木川再開発が反対運動に直面した大きな理由である。再開発計画は古くから存在したが、ビル風や交通渋滞など住環境悪化を問題視する周辺住民に加え、地元商店街も反対していた。根強い反対を押し切って着工したために現在でも軋轢は残っている。
江東区議会には再開発に対し、風害防止など多数の陳情が提出された。交通渋滞やビル風被害、交通渋滞、生活道路への住民以外の車両の侵入など開発による様々な被害の解消を求めている。以下の交通渋滞の責任者を求める陳情からは、たらい回しの責任逃れに苦しむ住民の悲痛な叫びを理解できる。
・19陳情第41号「小名木川駅跡地開発の自動車渋滞発生の責任者はJRか、イトーヨーカ堂か、コンサルか、警視庁か、都五建(注:東京都第五建設事務所)か、区か、交通誘導員か明確にするよう指導することを求める陳情」
アリオ北砂の災害時の安全性を問題視する陳情もある。
・19陳情第74号「JR貨物開発の大型店舗に来所する顧客、周辺住民、施設の安全の確保について東京都震災対策条例の規定に適合していることを当防災・まちづくり対策特別委員会で確認することを求める陳情」
・20陳情第57号「震災や洪水や火災等から大型商業施設利用者の生命を守るため7,500uの防災広場を店舗計画敷地に設置するようJR貨物に指導することを求める陳情」
開発推進で地元商店街の声を軽視する江東区の姿勢に対する陳情もある。
・19陳情第77号「大型店の進出を歓迎するような開発調整課の認識を改めさせるよう求める陳情」
・19陳情第78号「「事業者と地元商業者お互いが高め合うような施策」を具体的に区が示して事業者を指導するよう求める陳情」
・20陳情第58号「事業者と地元商業者等との話し合いの進捗状況を確認するのに事業者からだけではなく地元商業者等からもその内容を確認するよう議会よりまちづくり推進課へ進言するよう求める陳情」
・20陳情第62号「江東区は、江東区の全国に誇れる宝であると公言する砂町銀座商店街と開発事業者である日本貨物鉄道株式会社との「JR 10条」に基づく話し合いについて、誘導方針に掲げた業態のすみ分けなどの施策についてこれまでどのような配慮がなされてきたのか、防災・まちづくり対策特別委員会委員の質問に真摯な態度をもって答えるように求める陳情」
アリオ北砂開業後も陳情の提出が続いた。懸念していた交通渋滞や路上駐車が開業によって現実化したためである。平成22年第2回定例会最終日(2010年6月28日)の本会議で以下の陳情が新たに付託された。
・「JR小名木川開発の大型店舗開設に伴う公道上での交通誘導員の誘導は違法行為であるから禁止するよう事業者に指導をすることを求める陳情」
・「JR小名木川開発の大型店舗開設に伴う明治通りの交通渋滞をなくすこと及び住民以外の車両を生活道路に進入させないよう事業者が即刻対処するよう指導することを求める陳情」
・「JR小名木川開発の施設に来店の車両が東西2号路の東行き通行が放置されているのは「覚書」の違背であるから事業者に厳しく指導することを求める陳情」
砂町という地名を意識し、地域密着をアピールするSUNAMOと開業後も反対運動に直面するアリオ北砂は対照的である。どちらの商業施設が支持されるか注目したい。

地方自治

大阪都・中京都・新潟州構想は地方自治に逆行

大阪都、中京都、新潟州と、基礎自治体と広域自治体の合併構想が浮上している。これは橋下徹・大阪府知事ら改革派と見られる自治体首長が唱えているものだが、地方自治の精神に逆行する。
大阪都などの構想は東京都の制度にならうものである。都道府県と一口に言っても都だけは他の広域自治体と制度的に異なる。都は広域自治体であると同時に23区については基礎自治体の事務も処理している。裏返せば世田谷区や中野区などの特別区は市町村のような基礎自治体と同一ではない。特別区は東京都の内部団体であり、日本国憲法上の地方公共団体ではないとする見解が主流である。最高裁昭和38年3月27日判決も特別区を憲法上の地方公共団体ではないとした。
憲法上の地方公共団体であるかないかは大きな相違がある。憲法では地方公共団体の首長や議員の公選を定めている。憲法上の地方公共団体でなければ首長や議員を任命制にしても憲法違反にはならない。現代では特別区の区長も議員も選挙で選ばれているため、市町村との相違は見えにくい。しかし、特別区の場合、たまたま公選制となっているだけで、憲法で保障しているものではない。特別区の自治は市町村に比べて不安定である。
東京都の場合は「人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から」都に基礎自治体の事務も処理させている(地方自治法第281条の2)。もし人口が集中する大都市地域で行政の一体性や必要性が求められるならば、大阪や名古屋でも同種の主張が正当化されることになる。
しかし、この種の議論は住民を無視した上からの発想である。一般の国民は基礎自治体の住民であるとともに広域自治体の住民でもある。ところが、特別区の住民だけは広域自治体の住民でしかなく、自治の範囲が狭められてしまう。
大阪都構想などの主張者は広域自治体と基礎自治体の合併で二重行政が解消され、効率化するとのメリットが主張されている。しかし、そのような発想は地方自治の否定につながる。国とは別に地方が存在すること自体が二重行政だからである。非効率の解消を最優先にするならば民主主義も三権分立も廃止すべきとなる。三権分立が水平的な国家権力の分立ならば、地方自治は垂直的な権力分立である。
日本国憲法で初めて地方自治の章が登場したことが示すように日本人の地方自治の理解は浅い。連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥は日本人を十二歳と述べたが、そこには日本人の地方自治への無理解も含まれているだろう。
日本人の地方自治の履き違えは、地方分権の掛け声の下で基礎自治体の合併が進められたことが示している。住民に最も身近な基礎自治体を統合することは住民から遠ざけることになる。大阪都などの構想も基礎自治体を遠ざける点で同じである。地方自治は基礎自治体の廃止や統合ではなく、そのままの領域での権限強化によって促進される。

お騒がせ首長は改革者か暴君か

お騒がせ個性派首長の話題が尽きない。阿久根市の竹原信一市長や名古屋市の河村たかし市長らである。大阪府の橋下徹知事も含められるかもしれない。
彼ら個性派首長の特徴は公共事業中心の既得権の牙城と化した地方自治体や地方議会との全面的な対決である。この点で築地市場の豊洲移転や外環道など議会以上に開発に積極的な石原慎太郎知事は本記事における個性派首長からは除外される。
地方自治体の首長は大統領制であり、ある意味では内閣総理大臣よりも強い立場にある。思い切った改革も可能である。議院内閣制の下では首相は議会多数派の支持が前提であるが、首長は異なる。首長と議会が全面的に対立することもある。それでもやっていけるところが首長の強みである。
地方議会などとの全面的な対立も恐れずに我が道を貫く個性派首長は常識外れにも感じられる。目立ちたがり屋で、常軌を逸しているという印象を与える。それ故に個性派首長のパフォーマンスに眉をひそめる住民も少なくない。
一方で多数の住民の支持があったから、個性派首長は当選した。乱暴でも我が道を貫く個性派首長に拍手を送る住民が存在することも事実である。これは民主主義にとっては独裁者待望論につながる危険な傾向である。それでも地方政治の絶望的状況を踏まえると、個性派首長には一定の存在意義がある。
個性派首長の先駆者は脱ダム宣言を掲げた長野県の田中康夫知事(当時)であった。田中康夫氏によって地方自治体や地方議会が市民的価値観から乖離していることが浮き彫りになった。
地方自治は民主主義の学校と呼ばれるが、上からの民主化が進められた日本では国政よりも関心が低い。地方議会の議員は旦那衆によって占められ、それらの多くが土建屋の関係者である。彼らの既得権益で固められ、公共事業に偏った利益誘導は地方経済の健全な発展を阻害してきた。少子高齢化・低成長社会となった現在、その種の無駄な利益誘導を行う余裕はない。
個性派首長当人への是非とは別に、個性派首長の存在自体が地方政治に緊張をもたらしている。地方政治は大きな変化の流れの中にある。有権者として流れの方向性を見定める必要がある。

広島のオリンピック招致は被爆地を汚す

原爆が投下された被爆地である広島市は2020年の夏季オリンピック招致に向け、着々と体制を固めている。2010年5月25日には長崎県の中村法道知事が五輪招致検討委員会の応援委員として参加した。もともと広島市と長崎市にはオリンピックを核兵器廃絶・世界の恒久平和のシンボルにするために、五輪開催地に共同で立候補する構想があった。しかし、広島の五輪招致は、むしろ被爆地の尊厳を損なうことになると考える。
平和五輪構想はオリンピックの実態を踏まえるならばナイーブ過ぎる。オリンピックは世界平和ではなく、国威発揚のために利用されてきた。1936年のベルリン・オリンピックがナチス・ドイツのプロパガンダに使われたことは有名である。1988年のソウル・オリンピックでは分断国家・韓国が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する優位性を印象付けることに成功した。
オリンピックは国家同士の戦いである。個人競技さえメダルは出場選手の所属国にカウントされる。スポーツという平和的な手段であっても、国家同士の戦いの場に被爆地を持ち出したならば他国から反発を受けることは火を見るよりも明らかである。
これは立場を変えて考えれば理解できる。たとえば日本がだまし討ちした真珠湾や大虐殺の行われた南京を平和のシンボルとしてオリンピック開催地となった場合に、素直に祝福できる日本人はどれだけ存在するだろうか。このような想像ができないところにも被害者意識は豊富だが、加害者意識が希薄という日本人の身勝手さが現れている。
被爆地を前面に出すことは、むしろオリンピックを招致する上で障害になる。しかし、被爆地であることを抑えて招致活動をするならば別のアピールポイントを見つけなければならない。それでは核廃絶のシンボルという本来の目的が失われてしまい、意味がなくなる。
広島市の問題は2016年のオリンピック開催地から落選した東京の敗因を分析したとは思えないことである。東京は環境に配慮したカーボンマイナス・オリンピックを掲げたが、落選した。環境問題は人類にとって重大問題であるが、オリンピックで最優先に考えなければならない問題ではない。同じことは核廃絶にも当てはまる。核廃絶はオリンピックとは別の場所で解決されるべき問題である。被爆地として真剣に核廃絶を進めるならばオリンピック招致に浮かれるのではなく、地道な取り組みを大切にすべきである。