「九九五集」

(亀山市歴史博物館)


■「九九五集」について

・大庄屋・打田権四郎(1642〜1731、90歳)が編集
・17歳(1687)〜65歳(1706)の間、大庄屋
・亀山藩領86カ村(9×9+5=86)
・歴代藩主の手引書になった。
・未定稿・・・多くの朱書、頭部や行間に施された追記、貼紙・挟み紙

■自序より、1702(61歳)

 民家朝暮の炊烟賑しく、夫は耕にいさみ婦は織につとむ、上清くして下恨みず、かゝる泰平の時を得て、老の身安く賎が心楽しむのあまり、九々五郷の中に徘徊し、田野を巡見するのいとま、灯火に老眼をすかめ、閑窓に禿筆を運して、先営館の事を初として、戦場の旧跡、詩歌の名所、神社仏閣の来歴、山林川沢の広狭長短に到るまで雑て記し集め書す、境外近辺之異変をも聞にまかせて是をもらさす、全部九巻となし、九々五集と号す。


■目次

1.地域・年賦
2.条目・証印
3.寺社・寺院 縁起・鐘銘
4.重常公御御代条目・法度 重冬公御代法度・覚書
5.往還駅・伝馬出馬・壁書
6.古新高・所種
7.御即位・御上洛・上使所司・往来覚書
8.朝鮮・琉球・異国
9.神書・両宮御綸旨・朝熊岳朱印


拾い読み(宿場、伝馬関係を中心に)

巻第二 条目・証印

(P83、覚・・・隠居願い不受理)
大庄屋権四郎儀、旧冬隠居相願候ニ付、隠居可申付と思候処、権四郎儀、病気と乍申、未老極ニ而も無之、且又病気と乍申も、不通ニ務難成程之事ニも不相聞候ニ付、今度ハ陰居不申付候、其身病気之事ニ候へば、重キ用向は各別、軽キ用儀ニは伜を奉行方へ差出候様ニ致、先暫其儘役儀相勤可申候、是迄外ニ勝而懇ニ致候者之事ニ候へハ、以後ハ勝手次第、城台所へも可罷出候、其砌序有之節ハ、通掛ニ目見可仕候

 権四郎60歳 藩から信頼されていることが分かる。


巻第四上 重常公御代条目・法度

 幕府の法か、亀山藩の法かを区別する必要がある・・・66カ条の内、25カ条が幕府の法だった

■宿場の定

(一、定)
一、郷中道橋悪敷所は、かねて作可申事

一、道橋百姓作に不及所於有之は、早々可申来候。此方より申付、つくらすへき事。

一、小荷駄馬割人足割、并其郷へかゝり候諸役之儀、 高下無之様に念を入、割付之帳を付可申事。

(五七、覚)
一、御朱印伝馬ハ勿論、往還之武家ハ不及申、軽キ旅人至迄、荷持附送り之儀、宿々当番之問屋・年寄・肝煎共、無懈怠其場所へ出合、不限昼夜人馬遅滞仕間敷候。

一、馬一宿切ニ継之、堅追通申間敷候。

一、宿なし雲介なとゝ申者之類、急度致吟味、一切其所ニ不可差置候。往来繁ク仕者有之は、昼夜無油断心懸致吟味、・・・

一、船渡またハ歩行渡之川々ニおゐて、船賃并ニ川越人足賃みたりに多取之候由相聞候。・・・如何様之軽キ旅人たりといふとも高下なく、其場所ニ役人を出し置、賃銭可取之


巻第五 往還駅・出馬伝馬・壁書

■駒の朱印(1601)

御朱印なくして、伝馬不可出者也、仍如件。

一、人馬の御朱印を伝馬次所々において致拝見、御書付之外、一疋一人もおほく不可出之事。

 公家衆、門跡方、京都への使者、神宮への代参、宇治茶御用、国々城引渡し、巡見御用等の場合に、人馬の無賃使用を許可・・・朱印状と照合して真偽をたしかめる

■伝馬之覚(1601、関地蔵宿)

一、三拾六疋相定候事
一、上口ハ坂下迄、下ハ亀山迄之事
一、右之馬数、壱疋分ニ居屋敷数四十坪ツヽ被下之候事
一、積荷ハ壱駄ニ三十貫目之外付申間敷候、其積ハ秤次第たるへき事

 宿駅制度により、掃除割付、一里塚、並木等の施設や、助郷の制度も整えられた。

(料金)
一、関より坂下迄上下荷物、一駄に付ひた銭三十七文、亀山江弐十五文、并帰馬之駄賃銭も右同前たるへき事
  附、人足賃、壱人ニ馬之半分たるへき事

 荷物の種類を問わず、順々に逓送し、街道の途中から運んで駄賃をとってはいけない。

(荷物の重量)
御伝馬并駄賃之荷物壱駄四拾貫之内之事(寛永15年)

(助郷)
 公用も通行を助けるため、幕府が命じた夫役で、各村の石高に応じて人馬を提供する義務を生じた。坂下宿の助郷の村々は、遠方から出駅しなければならず、困窮し、訴訟に及んで変更が認められた。

(宿駅に対する助成)
 助郷制度は、明治五年に宿駅制が廃止されるまで続いた。


巻第七 御即位・御上洛・上使所司往来覚書

■家光上京

(P476、条々・・・在京中、家臣のまもるべき事)
一、今度御在京中、不形儀之躰一切仕ましき事。
・・・
一、御城之外、何方へも一切参へからす。
一、御在京中、宮寺江参詣並万見物、一切仕間敷事。
一、銭湯風呂江一切入ましき事。

 せっかく京都へ行っても、ほとんど外出できなかった。


巻第八 日光山並廻国下知状・御城米詰並関所・朝鮮・琉球・異国

■諸国巡見使

(P522、覚・・・調査項目)
・・・
一、不寄何、近年運上、其所之諸色高値ニ而迷惑仕候儀有之カ、可被承事。
一、公議御仕置と替わりたる事有之哉、被承事。
一、買置いたし、しめ売り仕候者有之カ、可被承事。

(P527、覚・・・当国巡見)
一、宿々畳之表替無用候、古候とも不苦事。
一、湯殿雪隠若無之所は、成程かろく可被致支度。
一、盥柄杓鍋釜古候共不苦候、若無之所はかろく可致支度事。
一、宿になるべき家一村に三軒無之所は、寺にても又は村隔候而も不苦事。
一、其所ニ無之物、脇より遣置之うらせ申間敷事。

■朝鮮通信使

(P530、寛永20年、1643、来朝)
 寛永二十年秋、朝鮮国の信使来朝の事あり。夫三韓は古より本朝になひきしたかふ事久しといへとも、殊更東照大権現様の御治世より以来、御三代入貢袖礼をおこたることなし。此頃、将軍家若君御誕生のことを伝聞て、御祝儀の使者を捧たきよし、宗対馬守をことつて言上の処、御許容有によりて・・・

(P532、日光山鐘銘)
 大きにあきらかなる英雄のひかりありて、神明のまことをひらく、ふかき霊地ひろくほからかにして、このかねをつらぬ、すくれたる因縁を修して冥加のいわいをたすけすゝむ、鐘の声からしゝのほゆることく、まよへるものはさとり邪魔は降伏す。・・・

■琉球人参向

(P547、廻状にて申遣候)
一、琉球人、来十九日ニ御当地発足候間、参府之通ニ
一、御朱印人足三百人 琉球人
一、御伝馬百匹 琉球人
一、駄賃馬百疋 是ハ琉球人に指添罷登り候、松平大隅守家来とも雇馬、最前ハ八拾疋に候得共、人足致無用ニ、右之通ニ候、御当地十九日ニ罷立候ニ付、泊り並昼休暮立如此ニ候間、前々得其意用意可仕候。