雨と雨と石の林(前編)


 あたしがパソコンに向かっていると、 同じリビングで小学生の弟は夏休みの子供向け番組を見ていた。 暇だったら一緒に見てあげたかもしれない。 だけどあたしはパソコンに文字を打ち込むのに夢中になっていて、 弟がテレビをつけっぱなしでリビングを出て行ったのにも、まったく気づかなかったくらいだった。
 パソコンに毎日のように日記を書き込む。 そしてネットの向こう側の誰かにコメントをもらったり、自分が誰かの日記に書き込んだりする。 そんな事にもう何週間も前からテレビもそっちのけでハマっていた。
 弟がふいに戻ってくると手には虫捕り網を持っていた。 リビングのドアが乱暴に開け閉めされる音に、 あたしはやっと弟が席をはずしていて、今戻ってきたことに気がついた。
「どうしたのそれ。カブトムシでもいたの」
「ちがうよ。また蛾がはいってきてるんだ。お母さんが家で蛾を見かけたら、 さっさと外に出しときなさいって言ってただろ」
「そうだっけ」
 ずい分素直なことだ。興味なくて、あたしはまたパソコン画面に目をもどす。 さっき書いたあたしの日記にさっそくコメントがはいっていた。誰からだろう。 ネームにはMARIAとあった。あたしは思わず顔をほころばせた。
 パソコン上の名前なので本名は知らない。だけど彼女があたしと同じ女子高生で二年生で、 腰までの黒髪を毎晩三つ編みにして涙ぐましくウェーブのくせをつけているのを知っていた。
 あたしはというと、背中までの髪を夏休み限定でキャラメルブラウンに染めている。 だけど今年の夏は蒸し暑くて仕方がない。 たまらず二つに束ねて高く結い上げて、前髪はピンでとめておでこを全開にしていた。 髪に変な型がつくのもかまったもんじゃない。
 学校は夏休みにはいったというのに、梅雨がまだ明けてなかった。 今も外はくさくさする長雨。
 弟は虫捕り網を降りまわした。 電気のかさに網をぶつけそうになりながら、泳ぐように飛ぶ蛾を必死に追いかけていた。 その網は山で虫を捕るように父に買ってもらったものだ。同情するね。 蛾を捕まえたらしく窓を開けて外に逃がしたようだ。
 MARIAからのコメントはいつもどおり気の利いたものだった。 うすいオレンジ色のリップをひいた、あたしの口から笑い声がもれた。それを聞いて弟が生意気を言ってきた。
「わーー。お姉ちゃん気持ちわるーい。オタクみてーー」
 弟はテレビの前で足を放り出して、コップからジュースを飲みかけるかっこうだった。
「うっさいわね」
 あたしは今、MARIAのことならなんでももっと知りたかった。いちばん気になっていた。
「あ、また蛾だ。大きいのと小さいの二匹も」
 あたしは、うそでしょ?とふりかえった。 電気の照明の下を蛾が二匹追いかけごっこをしているように飛んでいた。 大きい方の蛾はめずらしい色をしていた。 黒の地にあざやかな黄色のはん点が連なる。蝶のようだけど飛び方はやっぱり蛾だ。
 弟はまた虫捕りあみを手にとった。あたしはそのようすを見ながら、むかしおばあちゃんに聞いた話を思い出していた。
 死んだ人の魂は蛾になって帰ってくる。 おばあちゃんが見た蛾はそれはそれはきれいな蛾だったそうだ。 この世のものとは思えないほどだと言っていた。その蛾はおじいちゃんの魂だったそうだ。
 慣れたもので、弟は蛾を一匹ずつ捕まえると外に逃がしてやった。
「どっからこんなに入ってくるんだろう。この家のどこかからか、わいて出てきてるのかな」
 窓のさっしを引きながら弟が言った。
「やだ、気持ちの悪いこと言わないでよね」
 気持ちの悪いのはあたしの思考法だった。それを嫌な予兆に感じた。当たるはずのない胸騒ぎがする。


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