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序 章 経済のソフト化
(1) ソフト化する市場 素朴な疑問が出発 本書を書く契機になったのは、十数年前、「ソフトノミックス・フォローアップ研究」の報告書の一分冊「ソフト化社会を見る眼」を読んだことによる。この報告書は、当時帝京大学経済学研究所所長であった江見康一氏が中心となり、大蔵省の後援で行なわれていた研究会から一九八四年に出されている。「ソフト化社会を見る眼」の内容は、経済のソフト化、サービス化をテーマにし、産業社会の論理を超えて、社会経済の潮流を文明史的視点を含めて考察しようと意図されている。この報告書を読んで思いがけなかったのは、サービス産業の分類も定義もいまだ明確になっていなかったことだ。 本書は一九八〇年代には、第三次産業の就業者数が全就労者数の五〇%を越えていたにもかかわらず、第三次産業の中心と考えられていたサービス産業の分類も定義も明確でないことへの、素朴な疑問が出発点となっている。当時サービス産業の分類は、第一次産業と第二次産業を物的産業とし、第三次産業をサービス産業とする分類、第三次産業の中を狭義のサービス産業と広義のサービス産業とに分類する方法など、単にサービス産業と呼んでも範囲が確定していなかった。 経済学のサービス産業の定義も「物以外を生産する産業」という概念的定義が一般的であった。唯物論にのっとるマルクス経済学では、「物」以外の生産をになうサービス産業の評価について意見が分かれていた。マルクス経済学以外の経済学でも、サービス産業を理論的に取り扱ったものは少なく、なかでも、従来の物財の生産を主体に組み立てられた経済理論との対比を主題に研究されたものはなかった。 サービス産業の定義については、電通総研の野村清氏が『サービス産業の発想と戦略』で発表した内容が現代の経済・産業の状況から最も適切なのではないかと考えている。野村氏の定義は第二章で詳述するが、サービス産業を定義するうえで、経済が対象とする「サービス」、取り引きの対象となる「サービス財」、サービス財を生産する「サービス産業」と基底から論理を組み立てている。野村氏が経済の専門家でなく、マーケティングの会社の社員であったため、既成の経済用語の概念にとらわれることなく、ユニークで根源的な定義を発表できたのではないか。後に筆者が「ウォンツの財」を考えた時、野村氏の手法を大いに参考にすることになった。 サービス産業の定義についてはわかったが、つぎにこの定義にもとづいて、なぜサービス産業が現代において拡大しているのかとの疑問が浮かんだ。当初は生産活動の効率化による分業で説明できるのではないかと考えた。物財の生産を効率化するため分業が発達し、その過程で直接物の生産にたずさわらないサービス産業が拡大したと考えた。しかしサービス産業を分類している本を読んでゆくうちに、物の生産に全く関係しないサービス産業も拡大しているのがわかってきた。いわゆるレジャー産業と呼称されるサービス産業の一群の扱い方である。 ここで考えは物財にもどった。近年大流行したファミコン、レジャー産業のゴルフで使われるボールやクラブ、遊園地の遊技施設は物財になる。物財にも生産活動に関係しない生産物が大量に存在することがわかった。ここで物財もサービス財も同一の基準で分類してみることにした。この分類のヒントになったのが、フィリップ・コトラーの『マーケティング・マネージメント』に書かれていたマーケティングの定義であった。コトラーは、本文中でマーケティングの定義を「マーケティングとは交換過程を通して、ニーズ(必要性)とウォンツ(欲求)を満たすことを意図する人間の活動である。」としている。 物財とサービス産業を、この定義を引用し、ニーズ(必要性)とウォンツ(欲求)の間に、その財の価値の内容から、連続的に分布するモデルにしてみた(六二頁、参照)。このように分類すると、現代の経済事象を説明する一つの視点として、ウォンツによる財の拡大という表現ができてきた。 ウォンツの財は、生活資料などの生活必需品以外の財を指し、評論家の吉本隆明氏やセゾンコーポレーション会長の堤清二氏が「選択的消費」と表現し、中央大学教授の宇沢弘文氏が「選択財」と表現しているものに近いと考えている。選択とは、消費の時点で消費者がどの商品を選択するかどうかの自由と、消費しないという選択をする自由を表現しているのではないか。ウォンツの財はこの二つの自由を兼ね備えている。 現代の産業の変化は、サービス産業を調べる作業が契機となって、物財を生産する産業まで拡大して捉えられるのではないかと考えるようになった。この変化を経済のソフト化として、次の二点に要約してみた。 ┌────────────────────┐ │経済のソフト化とは │ │ ○サービス産業の質の高度化、量の拡大 │ │ ○ウォンツの財の質の高度化、量の拡大 │ └────────────────────┘
現代社会で、ソフト化して捉えられる現象を、様々な産業と消費から追ってゆくと、近年話題となり急成長した市場が並んでくる。
急成長した市場 経済のソフト化の中で最も変化が激しいのが、マルチメディアと総称される分野だ。従来、文字や音声、画像などの情報は伝達の媒体として紙、通信、放送などが使用されてきた。通信とコンピュータの技術開発により、文字や音声、画像が全て「0」と「1」の電子信号に変わり、文字や音声、画像が融合された情報として新たな市場を創造している。新たな市場は、マルチメディアに関連する機器、ハードウエアにとどまらず、情報の中身(コンテンツ)として使われる映画やスポーツ中継、ゲームソフトの価値を増大させている。 エレクトロニクス技術を利用した物財は、新技術の開発と量産効果で価格が低下し、消費の対象となると爆発的な拡大を見せる。製造される商品の価値は、いずれも人の生存にかかわる財としての価値より、人の心の満足を価値として持っている。 電卓に始まったIC(集積回路)と液晶の結合した技術は、腕時計からゲームウォッチ、任天堂のゲームボーイと発展し、ソフトのおもしろさを生かした液晶ゲーム器タマゴッチに受けつがれている。ファミリーコンピュータと同じオモチャの流れになるが、装置を大型化したゲームセンターは、体感ゲームをはじめとする、大型のシュミレーションマシン、バーチャルリアリティ、ホログラム、三D(立体映像)などの技術を駆使し、大人の世代まで楽しめる。また「プリント倶楽部」などの写真技術を組み入れた装置もブームとなっている。 通信市場を拡大させたポケットベル、携帯電話は個人の利用で見る限り、新技術の開発が人々の心の満足を充たす価値と結びついた例となる。「ポケベル」や「携帯」は通信機能を果たすというより、おしゃべりの道具として、一つのファッションともなっている。したがって通信事業者もメーカーも、おしゃべりの需要をマーケットとして営業している事実を考慮せざるを得ない。 マルチメディアとして脚光をあびる衛星放送、衛星通信、ケーブルテレビもマーケットは人々の心が需要を創造している。近年急拡大しているインターネットも個人利用を考えると、同様のマーケットを対象としている。インターネットは、通信施設とパソコンに巨大な市場を創造しているが、需要の構造は従来の経済学が捉えていた人々が必要とする生産物の需要とは相違している。 マルチメディアの機能を駆使した商品としてのカラオケは、ファミリーコンピュータ、アニメーションと並んで、戦後日本の三大輸出文化などといわれている。カラオケボックス単独の営業もあるが、飲食業と結びついたり、家庭にも普及している。余暇開発センター発行の「レジャー白書 組み方向 '97 」によるとカラオケボックスだけで九六年の売上げが六六〇〇億円になっている。 現在最も技術開発の変化が激しく、新たな財が生み出されているのがマルチメディアと総称される分野であろう。半導体技術の開発は、演算処理や記憶用のICを高速化、小型化する。レーザー技術の開発は、光ディスク、光ファイバーで扱う情報量を拡大する。液晶技術の開発は画像を鮮明にし大型化も可能とする。これらの技術開発が実現する価値は、人が必ずしも必要とするものではないが、新たな市場や雇用を創造し、経済の動向に深く影響するようになっている。 ソフト化の市場規模の一端を表わした統計として、前出の「レジャー白書 組み方向'97 」が参考となる。同白書によると、一九九六年度の余暇市場は、八四兆四〇〇〇億円で、国家予算を上まわっている。スポーツ、趣味・創作、娯楽(ギャンブル、外食を含む)、観光・行楽など、従来生活資料の生産を目ざしていた経済と違う財の生産が、景気の好、不況など経済の動きに影響するようになっている。
サービス産業では、小売業の主役がデパートからスーパーマーケット、コンビニエンスストアへと変化し、人々の生活に密着し効率化を実現している。宅配便も、企業、個人の需要を掘り起し、物流を効率化させ、経済全体の動きに影響を与えている。
(2) ニューエコノミー試論
ソフト化をめぐる論評 このような消費と生産を社会現象として「ソフト化」という言葉で表現されるようになってからかなりの時間がたっている。もともとマスコミからきた言葉で明確な定義を前提としていなかったようだ。したがって筆者の定義とは、必ずしも一致しないが、ソフト化という視点から近代の社会動向は様々に分析されている。 一九八三年当時大蔵省大臣官房審議官であった長富祐一郎氏は一九八〇年代に、「ソフトノミックス」という考え方を提唱し、「ソフト化」を次の四つに分類している。 1 情報化、知識集約化…………科学技術・生活のソフト化 2 人々の意識の変化…………文化的・精神的豊かさへ 3 システムの変化…………小規模・分散型の見直し 4 経済のソフト化…………サービス化・軽薄短小化
同時に「ソフトノミックス」という言葉を次のように説明している。
「ソフトノミックス」とは、文明史の新しい方向を示す新しい言葉として、経済学(エコ・ノミックス)の語源であるギリシャ語のオイコス・ノモス(共同社会のあり方)にならってつくられた言葉であり、「ソフト化社会のあり方」を考えよう、という意味をもっている。 字下げ 0桁
「ソフト化」の言葉は、生産物のソフト化、産業構造のソフト化、経済のソフト化、社会生活のソフト化と様々に使われている。「ソフト化」と一言で語っても、何を指しているか明確でない場合が多い。 「ソフト化」の言葉がマスコミで創られたとき、コンピュータのハードウエア(機械)とソフトウエア(プログラム)の対比から移入されたのであろう。いわゆる「物」とそれ以外の情報、技術、ノウハウ、システムなどを対比し「物」以外が重きをなしてきたとして、「ソフト化」の言葉が創られたのであろう。しかし「ファミコン」のように、「物」であっても「ソフト化」の「物」に分類される例もある。 「ソフト化」はこのように世の中のどの部分の現象であるのか、また「ソフト化」とはどのような変化なのか判然としていない。 このような状況を、一九八三年に出版された館龍一郎/経済の構造変化と政策の研究会編『ソフトノミックス』における記述が、当時をよく物語っている。「ソフト化社会」とは何か、として「社会・経済のソフト化について厳密な定義を行うことは、その内容が複雑多岐であることから困難であり、また、不用意な定義を行なうことは適当でもない。」と記述している。
京都大学経済研究所所長の佐和隆光氏は、「ソフト化」を記述した『サービス経済入門』のなかで、六つの「化ける」として、サービス化、情報化、国際化、金融化、投機化、省資源化を掲げている。同時に「ソフト化」に対する視点を次のように記している。
モノ作り中心の経済には、古典力学モデルがよく似合う。……サービスと金融中心の経済には、大脳生理のモデルが似合うに違いない。……大脳生理の気の利いたモデルが提案されてくるまで、三年いやそれ以上も寝て待つわけにはゆかない。 字下げ 0桁
佐和氏の提言のように、大脳生理のモデルで捉えるということは、経済が包摂する要素をより拡大したうえで、新たなモデルを作ることになると思う。ニュートンの古典力学は、当時認識されていた重力場のみをモデル化した。その後、物理学の世界では、電場や磁場が認識され、より拡大したモデルを作る必要が生じた。経済もソフト化という新たな現象を認識し、経済が包摂する要素を拡大したモデルが必要なのではないだろうか。 「ソフトノミックス・フォローアップ研究」を主催した江見康一氏は、一九六九年時点で表1−1のように、第三次産業の拡大と第一次、第二次産業のサービス化を指摘している。一九六九年の時点を考えると、きわめて先駆性のある指摘で高く評価されると考える。しかし第一次、第二次産業はサービス化のみではなく、生産物自体が心の需要を満たす生産の割合を増化している。
したがって、江見康一氏の表1−1を、ソフト化を表現する図として表1−2のように表わしてよいのではないか。
グローバルな経済学へ ここまで見てきたようなソフト化した市場について、サービス産業とウォンツの財を抽出して検討してゆくと、サービス産業の就業人口は六〇%(二八頁、表2−3参照)を越え、これに製造業が生産する物財の中のウォンツの財の生産を加えると、本書でソフト化と規定した現象の国民経済に占める割合は七〇%を越えるという見方もできる。このソフト化は過去においても事象としては存在していたが、経済理論の対象の中に組み込むには小さな存在であった。組み込まなくとも、経済事象を説明できた。過去において経済が対象とする財の生産、分配、消費は、人が生存を維持する生活資料の物財を中心に考えられてきた。そこでは、「神の見えざる手」による市場均衡や、唯物論にもとづく経済の理論化で説明可能だった。ウォンツの財を考えると、生産量と価格だけでは市場の動きは決定されず、人々の好みや心のありようが需要を左右する。経済学も心理学や社会学を組み込みグローバル化せざるを得ない。 また計画経済の崩壊も、原因は効率の悪さだけによるのではなく、計画経済においても技術開発の発展による生産力の向上があり、その生産力の向上に計画経済が適合しずらかったのではないか。計画経済は生産力向上によって、ソフト化する時代になったにもかかわらず、制度がソフト化に向いていないという内部の構造的要因により、崩壊したと考えられる。 近年の経済事象の中で、従来の経済学ではうまく説明できないことが起きているといわれている。一九六〇年代後半から七〇年代の先進市場経済国に起きたスタグフレーション(不況下のインフレ)や近年のアメリカ経済の好調さについて、そのような指摘もある。近年のアメリカ経済については、「ニューエコノミー」の名称も提案されている。本書も生産力の発展による経済のソフト化を、サービス産業の質の高度化、量の拡大、ウォンツの財の質の高度化、量の拡大として、従来の経済学で考えられていた範囲外の動きを検証している。 スタグフレーションによる不況化での物価上昇、近年のアメリカ経済の好況下での物価安定は、景気の好不況に対し、価格弾性の低い、ウォンツの財の拡大によるのではないだろうか。ウォンツの財について考えると、需要の量と供給の量の相関で価格が決まるという関係が希薄だ。近年アメリカ経済の持続的成長と失業率の低下は、規制緩和とベンチャーキャピタルなどの起業インフラのよさがサービス産業やウォンツの財を拡大し、生産を上昇させ雇用を創出しているとも見られる。 ソフト化した経済に対し経済理論は、新たに生まれてきた財の生産を理論の枠組の中に組み込まざるをえない。新たな財の持つ特性を調べてゆくことで、新たな展開が生まれるのではないだろうか。このような推察から、ソフト化をサービス産業とウォンツの財としてモデル化することにより、新しい枠組ができると思う。 「ニューエコノミー」の名称を、一九九〇年代後半のアメリカ経済の好調さを指す言葉にとどめず、サービス産業とウォンツの財から「新経済」として新たな枠組みを作る試論としたい。 現代の経済をサービス産業とウォンツの財という切り口から検証する方法が、問題を整理する上で有効かどうか、批判の対象としていただければ幸いである。もし有効であるならば、経済が対象とすると財を拡大することにより、「文化経済学」や「公共経済学」、無償財を生産する「ボランティア経済学」など新たな展開にも応用できるのではないかと考えている。 現代において経済学を考える前提について宇沢弘文氏が、日本経済新聞の経済教室「二〇世紀とは何だったか」に掲載した文章(一九九七年九月一日)を自己流の解釈で引用させていただく。 経済とは、歴史的、社会的、文化的な諸条件を十分に考慮し、一人ひとりが人間的尊厳を失うことなく、それぞれがもっている先天的、後天的な資質を十分に生かし、夢と希望とが実現できるような社会の実現を考えることではないか。 このような前提で複雑化している経済の現象を少しでも整理できる役割ができたとしたら、この本を出版した意図が達成されると考えている。
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