「正しい歴史認識」

 

 

 この数日間、中国の頭目がやってきて「正しい歴史認識」などという言葉を、馬鹿の一つおぼえみたいに繰り返すので、まことに気分が悪かった。おそらく多くの日本人がそう思ったに違いないが、誰も反論する者がいなかったのには呆れたね。

 この頭目のいう「正しい」とは、おそらく自国にとって都合のいい解釈が正しいのであって、それ以外はマイクロソフトじゃないが「不正」なのであろう。そのあたりを、日本の政治家も官僚も学者もマスコミも、普段ご立派なことを言っていながら誰も反論しないものだから、ますますつけ上がらせ、こちらの「正しい歴史認識」からすれば全く「正しくない歴史認識」をあちこちで聞かされ、その挙げ句に謝罪までさせられてしまった。

 日本の権力者にとって中国はよほど怖いと見えるが、何はばかるところなければ、もっと堂々と眞正面から反撃を加えたらどうなのか。まさか、この程度の論争で国交断絶になったり、戦争が起こったりはしないだろう。仮りにそうなったとしても、困るのは中国の方であって、日本ではあるまい。

 権力者たちがこういうていたらくだから、11月28日の早稲田大学での講演で、学生たちが横断幕を張って抗議をしたのも当然のことである。しかるに、その学生を逮捕したのはどういうことか。昔は保守反動に反対する進歩的学生が逮捕されたが、最近は進歩的(?)社会主義に異論をとなえると逮捕されるらしい。時代が変わって、日本の官憲もすっかり中国のお先棒かつぎになってしまった。

 もっとも学生諸君も「天安門反対」などと大声を出すのではなく、質疑応答か何か、もっと静かな戦術を考えて、まともな論争を挑んで貰いたかった。

 私もかつて北京や広州に出かけていって、ヘリコプターの運航契約について何度も中国人と交渉や話し合いをしたことがある。そんなとき彼らは本来の欲求を腹の中にしまっておいて、建前だけで話をする。当時の毛沢東語録や古いことわざは勿論、平和とか友好とか信義とか歴史とか将来とか発展とか、どこにでも転がっているような手垢のついた言葉で空疎な演説を長々とやるので閉口した覚えがある。

 その長広舌のあげくに契約金額の話になると、必ず出てくるのが「大きな魚を釣りたいと思ったら、もっと釣り糸を長くしなさい」という台詞で、同じ言葉を何度、違う人から聞いたことか。人真似ばかりのオウム人間を相手に議論するのもくたびれるだけだから、こちらも騙されたのを承知で契約書にサインしたが、案の定、糸ばかり長くなって手応えがなくなり、雑魚も釣れなかった。それに大魚が釣れそうになると、釣り竿を取り上げるのが中国のやり方なのである。

 たとえば、わが社のヘリコプターが洋上長距離飛行という困難な仕事を懸命にやって1年ほど経つと、これ以上日本人パイロットの免許は認められないとか、日本のヘリコプターに飛行許可は出せないなどという条件を持ち出してくる。厭ならアメリカを使うなどと言われながら、それでも2年、3年と頑張って仕事を続け、最新鋭の機材を投入しつつ機数も増やしていった。最近は知らず、当時は中国民航と航空局が一体だったから、交渉相手の実体は中国政府だったわけで、民間企業としてはついにどうにもならないところに立ち至った。そんなとき日本政府は北京駐在の大使館など、中国に叩頭するだけで初めから弱腰だから全く当てにならない。

 中国側からすれば、運航の要領さえ分かったあとは、われわれを追い出すのが狙いだったはずで、信義も何もあったものではない。要領が分かったといってもうわべだけのことだから、自分で飛ばしはじめた途端に事故を起こしたりした。

 こういう連中を相手にするのだから、中国との外交交渉に当たる外務省だって、内心は嫌気がさしているに違いない。これで国交正常化などといえるのだろうか。

 ただし、今回の頭目来日で驚いたのは天然記念物トキがおみやげだったことである。持ってきたのは写真だけだから本物がくるのかどうか保証の限りじゃないが、正直いって素晴らしいと思った。

 トキ(朱鷺)はいうまでもなく、地球上に数十羽しかいない国際保護鳥・特別天然記念物で、「日本の中の日本」(nipponia nippon)という学名を持っている。にもかかわらず日本では1996年、人びとの努力と願いもむなしく絶滅したばかりだから、今の日本へのおみやげとして、これほどふさわしいものがほかにあろうか。しかも2羽のつがいだから、お礼の申し上げようもないほどである。

 むかし、人を接待したり、おみやげを上げたりするときは、相手が考えていると思われるレベルよりも少し高いレベルの準備をするように教えられた。そうすると、その接待やおみやげの効果が一挙に倍増するというのである。

 このあたりの呼吸こそはまさに中国古来の智恵で、今の中国にも太っ腹な知恵者の存在することがうかがえる。けれども、せっかく立派なおみやげを準備しながら、手垢のついた言葉を並べて「正しい歴史認識」などというお題目をとなえ、お礼ばかりかお詫びまで要求するものだから、ついに日本人の気持をつかむことはできなかった。声を枯らしただけの無駄骨は、龍ならぬトキの点睛を欠いたというべきだろう。

 日中間のどこかちぐはぐな現状は、双方にとって不幸である。中国もそろそろ「正しい歴史認識」を持ったらどうか。

(小言航兵衛、98.11.29)

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