<空飛ぶ救命室②>
ランデブーの場所


「ドクターヘリ」とは、最近まで多くの人にとって耳慣れぬ言葉であった。ほかにも「コミュニケーション・スペシャリスト」や「ランデブーポイント」など新奇な用語が出てくる。それらは一体、救急飛行にとって如何なる意味を持つのであろうか。



(2018年5月号)



広辞苑にも収録されたが
   
    2018年1月、10年ぶりに改訂された『広辞苑第七版』(岩波書店)に初めて「ドクターヘリ」という言葉が収録されたと聞いた。日本の代表的な辞書だから、これでドクターヘリも広く認知されるであろう。
 そこで、この3,200ページを超える大部の本を開いてみると、ドクターという見出し語の派生語として、「(和製語)医師が同乗し、患者に治療を施しながら病院に搬送するヘリコプター」という語釈が示されている。間違いではないが、肝腎のところが抜け落ちている。というよりも、これでは残念ながらドクターヘリの本質が示されていない。ここは「(和製語)迅速な治療のために医師が乗って現場へ飛ぶ救急医療用ヘリコプター」とすべきではないだろうか。
 念のために、この書き換え案は今すぐにでも差し替えられるよう、元と同じ文字数にしてある。辞書における言葉の説明は内容が重要であることはいうまでもないが、辞書編纂の苦心を書いた小説『舟を編む』(三浦しをん)にもあるとおり文字数も重要で、長い説明では利用者の頭に入りにくいばかりか、紙幅を取り過ぎては紙面のレイアウトにも齟齬をきたす。辞書は1ページの中に整然と、余分な空白がなく、見ばえよく文字が収まっていなくてはならない。
 ここで書き換え案に使った「救急医療用ヘリコプター」とは、2007年に成立した「ドクターヘリ特別措置法」に使われている言葉で、先月号で説明したようにドクターヘリの法的根拠を確立し、普及のきっかけとなった重要な法律である。ただし議員立法のせいか、肝腎の厚生労働省がこの法律を重視していないフシがあるのは残念といわざるを得ない。
   
 
 外国人にもわかりやすい
   
    もうひとつ、ドクターヘリという言葉について付け加えなくてはならないのは、これが日本独自の用語ということ。上に見た『広辞苑』の説明にも、わざわざ「和製語」ということわりが付されている。一見して英語のように見えるが、海外でこういう表現をしている国はない。
 しかし、だからといって外国人にわかりにくいかというと、そんなことはない。事実、ドイツ人にもアメリカ人にも「わかりやすい言葉だ」といって褒められたことがある。
 英語では通常「エア・アンビュランス」(Air Ambulance)という。アンビュランスは救急車を指すことが多いから、それにエア(空の)を添えたものである。
 ついでに、中国語では「緊急直升机」というらしい。「直升机」は、ご存知のとおりヘリコプターの意味である。直は垂直の直、升は昇の簡体字、机は機の簡体字で、「垂直に上昇する航空機」と考えればヘリコプターの実態をよく表しているといえよう。
 なお、上海の街などを走っていると「急救中心」と書いて矢印のついた標識を目にすることがある。救命センターへの入口を示すものらしい。救急の文字が逆になっているのは、日本の「救急」は急を救う、中国のは急いで救うという意味だろうか。とすれば中国語の方が正鵠を射ているといえるかもしれない。
 ところで、われわれは戦闘機、爆撃機、旅客機という言い方をしている。しかるに何故ヘリコプターだけはヘリコプターというのか。直昇機のような言い方はなかったのか。明治期の日本は西欧語から文化、文明、哲学、物理、化学、進化などの言葉をつくった。これを中国が輸入して普通に使っている。共産主義などという言葉も日本製らしい。カタカナ語は最近ますます増えているが、どこか弱々しく、「都民ファースト」や「クールビズ」のように、すぐ消えてゆく気がする。最近ヘリコプターの事故が多いのも、そのせいではあるまいか。
   
 
 整備士が副操縦士役
   
    では、ドクターヘリという言葉を、いつ誰が考え出したのか。先日も筆者の周囲でそれが話題になったが、はっきりしなかった。先月号にも書いたように「ドクターヘリ調査検討委員会」ができたのは1999年。当時の内閣官房内閣内政審議室といういかめしい部署が事務局だったから、そこにいた誰かの命名かもしれない。あるいは当時の厚生省が事務局の背後で黒子の役をしていたから、そこの担当官が名づけたのかもしれない。面白いことに、ドクターヘリが飛び始める前、つまり存在しないうちから、名前だけは実現していたのである。
 このドクターヘリに搭乗するのは基本的に、運航スタッフがパイロットと整備士、医療スタッフがフライトドクター(医師)とフライトナース(看護師)、合わせて4人である。ただし、現場の状況に応じて、傷病者の多いときはドクターやナースが複数になることもある。
 整備士は飛行前後の地上整備が本来の任務だが、飛行中もパイロットの横にすわって副操縦士の役を果たす。外界の監視はもとより、計器類のチェック、拠点病院や地上救急隊との無線連絡にあたる。急を要する現場の様子は刻々に変化するから相互の意思疎通は迅速かつ緊密を要する。それを機長に代わって担当し、操縦上の負担を増やさないように補完する。それだけ安全要件が確保されるわけである。
 安全の確保という点では、「ランデブーポイント」も重要な要素である。ランデブーといっても、若い男女の逢引きの場所ではない。ドクターヘリと救急車の合流地点、すなわち医師と患者の出会う地点をいう。
 ドクターヘリは迅速な救急治療のために、できるだけ患者さんの近くに着陸するのが望ましい。とはいえ道路でも空き地でも、未知の場所に所かまわず着陸するのは危険が伴う。そこで、一定の広さがあって障碍物のないことをあらかじめ確認した場所――たとえば河川敷、空き地、学校や公園のグラウンドなどを選定し、土地所有者の了解を得たうえで、名前や番号をつけて運航会社と消防本部との間で共有しておく。
 この合流地点は拠点病院ごとに500ヵ所くらいが選定されている。そのうえで救急患者が発生すると、現場で患者を乗せた救急車が最も近いランデブーポイントを選んで走り、ドクターヘリも同じ地点に向かって飛ぶ。そして両者合流すると、医師はその場で救急車の中に入り、治療にあたる。その結果、患者の容態が安定したところで、ドクターヘリの拠点病院ばかりでなく、交通事故、転落、下敷き、溺水、大火傷など患者の症状に応じた最適の病院へヘリコプターや救急車で送りこむのである。
 こうした救急活動の連絡調整に当たるのが「コミュニケーション・スペシャリスト(CS)」と呼ばれる運航管理担当者。病院に残っていて電話の受話器と無線マイクを握り、救急車とヘリコプターと病院との間に入って、関係者全員の迅速、正確、緊密な情報交換を取り次ぎ、扇の要(かなめ)となって安全な救急任務を実現しているのである。
   
   (西川 渉、月刊「航空情報」2018年5月号掲載)

   
 

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