<西川修著作集>

鏡花旅情

 祖谷の山の中の宿で、氷詰めにして街から運び上げた魚の刺身を出された時には失望した。反対に剣山の麓に近い木頭で、渓流にすむ美しい「あめご」の焼いたのや、その薄赤い肉を刺身にしたのや、また蕗の和え物とか、赤い斑のある「いたどり」の芽生えの酢の物など、山の珍味をふんだんに味わされた時は本当に嬉しかった。土地の人から考えると何でもない詰まらないものかも知れないが、遊子の心は見馴れぬ土地の産物に旅情を感じて弾むのである。

 金澤ではY先生の所に厄介になるつもりだったのだが、開業していると聞いただけで町の名も知らない。それに切り詰めた旅程だから金澤に着くのがどうしても夜になってしまう。夜の町であてもなくY先生の所を探すわけにも行かないから、矢張り旅館に泊ることにしようと思う。旅館ならまえもって適当な所を紹介して貰っておく方が良いと思って新潟のデパートで交通公社を訪ねたのだが、どういうわけか旅行案内なぞがひろげてあるきりで誰も居ないのである。すべてを天にまかすことにした。デパートの高い窓から見ると、ひろがった街の彼方に雪をいただいた山が峨々と連っているのがふと心細さを感じさせる。そう言えば朝の食膳に載っていた甘酢に浸した紫色の菊の花びらが、旅愁とはこれかと思うような感慨をかきたてたのを思い出す。

 裏日本では一年を通じて滅多にこんな日はありませんよといわれた快晴の日で、新潟名物の砂丘を歩く時は汗ばむ程だったが、さすがに北の国は暮れるのが早くて、午後二時すぎに新潟を出て歌にある柏崎という駅を過ぎる頃は、もう日が落ちてこの遍から先いくつもいくつも続いている小さなトンネルを抜け出るたびに眼の前に広がる日本海の波の色が暮色を増して行った。

 左手の車窓から眺める陸の景色は線路に向ってなだれかかって来るような丘陵で、まばらに生えた露木が葉をふるってしまってうそ寒く、それももう夕闇の中に消え去ろうとしている。右側の車窓からは脚下に迫る海が見えている。海の上にはまだ光があって、西の空に畳んだように重なっている黒い雲の間にまつわりつく夕焼の色が鮮かである。

 しかし、海のあかるさも次第に浜辺の方から暗くなって来た。ところどころ沼であろうか入江であろうか水のひろがった所があって、その遍りは水ばかりが空の残りの光を反射して黄色く光り、周囲の土はもう全く闇の色になっている。水平線につづく遠い空に帯のように残ったセルリアンブルーの明るく澄んだ色がたとえようもなく美しかったが、それも見るみる光沢を失い、版画のようなつやのない青色を暫く見せていたが、間もなく天も地も海も一様の闇に包まれてしまった。直江津のあたりである。これから北陸線をさらに西走して、聞くも恐ろしい親不知子不知を通り、越、能、加と國々を過ぎて金澤に着くのは夜の十時過ぎになる。

 糸魚川で駅弁を買った。変ったものもないが、隅の方にバラフィン紙に包んで海胆の塩辛が入れてあったのはちょっと珍しい。すぐ前の坐席に牡丹色のスェーターを着た十七、八の少女がいて、辛そうに横になっていたから酔っているのかと思ったが、私が弁当を食い始めると彼女も坐って、海苔で包んだ小さなお握りを食べはじめた。北国の人だからだろうか、皮膚の色が実に白い。

 金澤で降りたら細かい雨になっていた。泉鏡花は、故郷金澤に向って富山の方から入って来る時の情景を「汽車で国ざかいの峠をぬけた時……あの大潟と海とが空に浮いて目一杯に田畑の展ける果に、人家十萬余のある……」と描いているが、夜遅く着いた為にこの峠からの大観を逸したのは残念である。大潟というのは、鏡花が郷里の風光のうちで最も愛したという河北潟のことであろう。

 雨が降っているのでとにかくタクシーに乗って「旅館につれて行け」と言ったら無暗に長い道のりを走って、しまいに一体どこに連れて行くのだろうと不安になった頃、ようやく宿に着いた。瀟洒な家である。あとで地図を買って見たらなるほど金澤の駅は余程街はづれになっている。よく田舎町で見かけるのだが、百万石の御城下の人達も鉄道敷設の当時はなるべく街から遠い所にステイションを離しておきたかったのじゃないかと邪推する。

 昼の砂丘で汗をかいたためかちょっと風邪気味である。どうしようかと考えたが風呂は遠慮しておく方がよさそうだ。その代り寝る前に熱燗を一本ということにしよう。お料理はもう突出しだけでよろしいですねと念を押して、女中が持って来たのを見ると、大ぶりの型の変った皿の上に飽の肉と蒸した栗と、それに見馴れぬ貝がのっている。色は黄色を帯びて、大きさは大人の手で一握りくらいの尖った巻貝である。田螺を大きくして然も殼を滑らかにした様な感じである。ばい(黄螺)というのだと教えてくれた。

「姉さん、黄螺(ばい)を買って下さい、黄螺を」と八郎が云った。(八郎はこの小説の主人公で能役者、姉さんというのは八郎の従姉でお悦というお侠の美人)

「何にするの?」
「まさか独楽(こま)にしやしない、食べるんだね。やあ久しいもんだなあ」

(八郎は金澤の出身だが東京で暮しており、たまたま故郷に帰って来たところである)

 旅店を出がけに西洋剃刀を当てた頬を掌でなでた。

「東京には此奴が少いかして、めったにお目に掛らないんです。いつか絵本を見るとね、灯を点した栄螺(さざえ)だの、兜を着た鯛だの、少し猥せつな蛸だのが居る中に、黄螺の女房と云ってね、くるくると巻いた裾を貝から長々と曳いて青い衣服で脱け出した圓髷(まるまげ)が乱れかかって、其の癖、色白で、ふっくりとした中年増が描いてあったが、然(さ)も旨そうに見えたのさ」
「いやな兄さん」
「いや、お客様に御馳走するのだよ」

(このお客様というのは作中の私、つまり私というのが八郎と同道して東京から金澤に旅し、八郎と共にお悦の家で夕食の客となろうとしている所)

「御馳走ですな」
「一寸……其のだらしのない年増の別嬪を十ゥばかりお出しなさい」

 売手は希有な顔をした。が言(ことば)戦い無用なりと商売に勉強で、すぐ古新聞に、ごとごと包んで出した。

 泉鏡花が金澤を舞台にして書いた小説の冒頭に、魚市の場景が見るが如くに描いてあるが、その中の黄螺を買う一節である。

 はじめて食うこの貝の味は淡くひなびていた。この夜はむし暑かったためか、一晩中庭でキャンキャン鳴く犬の声が耳に響いて充分眠れなかった。或いは腹の中に納めた「だらしのない年増の別嬪」のなせるわざだったかも知れない。               

  (西川 修、大塚薬報、1952年)

 

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