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  夜よ 夜よ  

日中、人が不在だった寝室の空気はどこかよそよそしかった。
カーテンのすきまから注ぐ淡い月の光。
足の下でカーペットが柔らかく弾む。

アッシュはベッドに腰掛けた英二から一時も目を離さず、Tシャツを脱ぎ捨てた。
英二がどきまぎと目をそらし、覚悟をきめたように服を脱ぎ始める。

性の匂いがしない少年。

それは確かに、彼が英二に惹かれた理由の一つだった。
アッシュはその若さで、すでに性に倦んでいた。
なのに英二の肌に残る男の残滓を見た瞬間、目がくらむような怒りとともに、自分が何を渇望していたのかを知った。

ベッドの上に乗り上げ、英二の頬に手を添える。
今までこれほど無垢な相手に触れたことはない。
うつむいた英二の睫毛がビクリと震えた。

傷つけたくない。
優しくしてやりたい。
━愛したい。

英二の顎に手をかけ、そっと上を向かせる。
大きな黒い瞳がゆらゆらと不安げに揺れている。
幼い顔立ちの中で、そこだけ異質なふっくらとした唇。
ツンとすました少女のようで、とても…ひき寄せられる。

吸い寄せられるように唇をかさね、その感触を味わった。
弾力があり、やわらかい。
唇をノックして彼の舌を引き出し、強く吸い上げる。
「んッ…」
唇から伝わる熱が、アッシュの体温をさらに上げていく。
キスが長く容赦ないものになるにつれ、腕の中の体が小刻みに震えだした。

「アッシュ、ちょっと待っ…く、苦し…」
「…我慢しろ、オレもだ」
そんな、と絶句する唇をもう一度ふさぎ、軽く肩を押す。
二人はもつれるようにベッドへ倒れ込んだ。

すき間がもどかしくて英二の体を引き寄せ、ぴったりと肌を合わせる。
人種の違いというだけでは言い表せない、なめらかな素肌。
細い骨格をおおう、しなやかな筋肉。
唇をむさぼりながら肩から背中までなでおろし、その感触を味わう。
どれだけせわしなく手を動かしても追いつけない。
この飢えを満たすほどには。

これがそうなのか。

鋭い疼きと熱気。
けだるさと緊張。
あらゆる感覚が電気のように全身を駆け抜け、呼吸が上がる。

これが欲望。

体を荒らされ、心を空洞にして過ごした年月にも、たぶんそれは存在したのだ。
誰も踏み入ることの出来ない、彼の魂に属した場所に。
いま、そこから生まれた渇望が英二を求め、危険なほどアッシュを駆り立てた。
夜へ。

彼ののどから首の付け根へと唇をすべらせ、あのいまいましい鎖骨の下のうす赤い跡にたどり着く。
そこに歯を立てて強く吸うと英二が息を詰め、アッシュの腕の中で体をのけぞらせた。

おまえが欲しい。

彼の耳に唇を移し、耳たぶを甘噛みする。
アッシュのブロンドが英二の黒い髪にもつれ、白いシーツに散った。

どうしても欲しい。

英二が手をのばし、汗で張り付いたアッシュの前髪をかきあげた。
何か言いたげに唇が動き、それを聞き取ろうとアッシュが顔を寄せる。
だがそれは声にならず、英二は熱い息を吐きながらアッシュの髪をとかすようにふれた。
何度も何度も。
その指先がわずかにふるえているのに気づき、たまらずアッシュはその手を取り、きつく指を絡めた。

「…オレがこわいか?」
何度も繰り返した問い。
熱に浮かされたような英二の濡れた瞳が、ふいに強気な光を帯びる。
「こわく、ないよ」
「そうか。オレは、おまえがこわい」
「え?」
「本当の意味でオレを傷つけることができるのはおまえだけだ。
もうずっと前から」

英二がどうしたらいいのかわからないような顔になり、アッシュは笑って彼を抱き寄せた。
「おまえは気にしなくていい。ただ、これだけは覚えておけ。
おまえに何かあったら、オレはその相手を殺す。必ずだ」
「アッシュ、それは…」
言いかけた英二の視線が、アッシュの左脇腹のあたりに釘付けになる。

「ここ…このあいだの?」
「ああ。オーサーだ」

最後の戦いで、オーサーがアッシュに残した傷。
英二が手を伸ばしてそこにふれ、唇を噛む。
彼の指が傷の上をなぞるように、そっと辿った。

英二が大切に大切にふれるので、胸が痛んだ。
どうしてこんなに心がもみくちゃになるのか。
まるで、初めて人肌にふれたみたいに。

ふいに彼は思い切ったように身をかがめ、その傷に唇を寄せた。
「…っ、英二!」
反射的に押しやろうとしたアッシュの手に逆らい、英二はそこに舌を這わせた。
ぎこちない舌使いが、肌にくすぐったい。
彼の緊張と気づかいが伝わる、優しい動きだった。

英二がちらりと上目使いでこちらを見上げる。
黒い瞳に、いたずらっぽい光が浮かんだ。
「ほんとだ」
「…何が?」
「ぜんぶ、金髪なんだね」

一瞬の間のあと、アッシュは彼にとびかかった。
英二が笑い出し、すかさず枕をかざして応戦する。
ふたりはベッドの上をもつれ合い、転げ回った。
あやうく二人して床へ落ちかけ、抱き合ったままベッドのへりで体を震わせて笑う。

こんな行為は知らない。
アッシュが知るセックスとは、何もかも違った。
欲望と興奮を一方的にぶつけるだけの行為とは。

━ゆるやかに溶けていくようだ。
からだも。心も。

それでは自分にさえ、こんな夜は訪れるのだ。
ベッドの上で笑い、キスを交わす。
ふれあい、分かち合い、相手の喜びの中に自分の喜びを見出す。

笑顔のまま、英二が両手でアッシュの顔をはさみこんだ。
「アッシュ・リンクス、きみのこと本当に愛してるよ」
ささやいて、誓いのように口づける。
硬直して何の反応も返せないアッシュの頬に、鼻に、額に、まぶたに。
アッシュの顔のいたるところに、たわむれるようなキスの雨が降る。

「…いつから?」
「え? …え、えっと、たぶん最初に会ったときからかな」
「ウソつけ。おまえ、オレにムカついてたろ」
「あー、ガキ扱いされたから?
そりゃまあ、ちょっとはそうだったけど」
英二はクスリと笑った。

「でも、本当だよ。最初からずっと大好きだ」

それは告白と呼ぶにはあまりに無邪気で、つたなかった。
それでもその飾らない素直な言葉は、真っ直ぐアッシュの胸をうつ。
こんなにうつ。

「わッ!」
いきなり英二を組み敷き、噛みつくようなキスをした。
そのまませわしなく彼の全身を手のひらでなぞり、唇でその輪郭をたどる。
アッシュは彼が欲しくて気が狂いそうだった。

英二の耳元でささやく。
「力、抜け」
「で、できな…」
「できる。オレだけ見てろ」

アッシュは互いの顔を近づけた。
ぴったりと視線をあわせたまま、指で彼の体をさぐる。
英二の目の焦点が揺れ、徐々に息を乱していくのを確認しながら、アッシュはゆっくりと彼の中へ入っていった。
「…っ」
小さな呻き声をあげたのは、ふたり同時だった。

こみあげる熱さをこらえ、英二の体が侵入を受け止めるのを待つ。
やがてコントロールを保ちながら、アッシュは少しずつ動き始めた。
せわしない英二の呼吸が喘ぎに変わり、上体が反り返る。
アッシュは身を乗り出し、その頭を抱えるようにして唇を合わせた。

「アッシュ」

深く角度を変える口づけの合間に、英二が切れ切れに名前を呼んだ。
揺さぶられながら、必死に視線を合わせようとする。

「アッシュ」

その声を愛した。
背を抱き返す指の力を、その眼差しを愛した。

二人の動きが調和し、心臓のリズムが高まる。
アッシュはいつも完璧に制御していた体の動きを手放し、のたうつ衝動に身を任せた。
内側からわき起こる熱のまま律動をきざみ、彼の全身に指を走らせる。
英二がアッシュの肩を強く掴み、指の跡を残した。

オレのものだ。

焼けつくようにアッシュは思った。

もう、オレだけのものだ。
誰にもふれさせない。
今は。
今だけは。

それはその人生で、自分だけのものを何一つ持ち得なかった孤独な少年の初めての切望だった。

かすれた呻きと共に、アッシュが達した。
受け入れた英二が息をのんだ。
アッシュの肩をきつく掴んでいた手が、ぱたりとベッドに落ちた。


それから二人は一緒にシャワーを浴び、使わなかったもうひとつのベッドにもぐり込んだ。
居心地のいい位置におさまると、すぐに英二は健やかな寝息を立て始める。
疲れたのだろう。
アッシュは眠れぬままその呼吸にじっと耳を傾け、寝顔を見つめた。
親友であり、家族であり、恋人となった少年の顔を。

少しはれた瞼、うぶ毛の残る頬、指でつまみ上げたような鼻。
眠っていると彼はなお幼く、傷つきやすく見えた。
誰もが確かにもっていた、心の中の優しい子供。

英二が彼の国の言葉で何かつぶやき、こちらに寝返りをうつ。
その安心しきった寝顔に、思わず笑みがもれた。

きっとこれから彼のために傷ついたり、苦しんだりすることがあるのだろう。
かつて決別したはずの傷つきやすい、ただの無力な少年に戻ったように。
短く不幸に終わった初恋から彼は学んでいた。
恋は舞い上がるような幸福感とともに、耐えがたいほどの痛みと恐れも連れてくるのだ。

オレたちはどこへ行くんだろう。
いったいオレは、お前を何に巻き込んでしまったんだろう。
答えなど知らない。何ひとつ。
確かなことは、もう自分からはこの手を離せない。

英二が真っ直ぐな目で愛してると言って、オレにキスした。
あれが良かった。
あれがすごく幸せだった。
あの記憶があれば、きっと生きていける。
時が流れ、いつか彼が自分のもとから去っても。

澄んだ想いがアッシュの中に満ちる。
八百万の神様が住むという、おかしな国からやってきた少年。
ビルの屋上で抱きしめた腕のあたたかさ。
ひたいにおちたくちびるの感触。
傷をたどる優しい指。
そのすべてがアッシュの胸の奥底にゆっくりと染みていく。
光になる。
からだの中に宿る、闇を打ち消す真珠色の光。

会えて良かった。
心から思った。
オレがオレのままでおまえに会えて、本当に良かった。

だからきっと、何度やり直してもおまえだけにたどりつく。
この恋。
たぶん、人生で最後の恋。

「…アッシュ?」
小さな声。
いつの間にか、英二が枕から顔を上げてこちらを見ていた。
「眠れない…?」

ナイトスタンドの絞った灯りに浮かぶ、まだ眠りの淵から抜けないいとしい顔。
アッシュは手をのばし、その唇をそっと指でなぞった。
体の奥に、また小さな火がともる。

「英二、まだ熱いんだ」
彼の上に身を乗り上げながら、かすれた声でつぶやく。
英二が半ばまどろんだ表情のまま、目をしばたかせた。
ゆるやかに腕を回し、アッシュの口元でささやく。

━しずめてあげるよ

ついばむようなバードキス。
それがやがて深いものに変わり、二人して溺れて行くころ、カーテンの向こうが淡い色に色づく。

この窓を避けながら、NYの街に朝陽が昇ろうとしていた。

END


二人ともに幸せな初体験をめざしてみました。
シン「あいつらの間に性的な関係はいっさいなかった!」 えっ? 聞こえない…


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