白き仮面の悪魔

第1話

 一八一四年三月ロンドン――ウェブスター邸。

「やっと来たな、ジョエル」
 自警団顧問であるサー・クインシー・ウェブスターは一つに纏めた長い銀髪を揺らしながら、いつもの微苦笑を浮かべて言った。
「聞いてるぞ。人嫌いの男爵様がロンドン郊外の屋敷に女を連れ込んでいるとか。それも、イーストエンドで拾った娼婦だというのは本当か?」
「緊急事態と聞いて馬で駆けつけたんだぞ。そんな下らん話なら、私は帰らせて貰う」
 ジョエル・アレクシス・ハワードは朋友に茶化され、額に落ちる黒髪をかき上げつつ、鉛灰色の瞳を細めた。すると、クインシーは両手を上げ、首を左右に振る。
「――今朝早く、テムズ河のイーストエンドとグリニッジの境界付近に浮かんでいた女性の遺体を回収した。ついさっき身元が判明してね。君を呼んだんだ」
「それは……まさか」
「ロッドフォード伯爵令嬢、グレース・ユージェニー・ロッドフォードだと確認された。自警団の強化にと、パトロール隊まで組織しながら……残念だよ。軽口で気を紛らわそうとしたんだ。申し訳ない」
 クインシーは髪と同じ明るめの銀色の瞳をしていた。重く暗い印象のジョエルの瞳とは違い、ナイフの刃先のように鋭く光っている。それが、今は無念さに沈んでいた。
 

 昨年末から年頭に掛けて、貴族階級の人間を震撼させる事件がこのロンドンで起こっていた。
 夏から秋を過ぎ初冬まで、ほとんどの貴族たちはそれぞれの領地に戻る。そしてクリスマス頃から、ロンドン市内の屋敷に戻り始めるのだ。それは新年に始まる議会シーズンやその後に続く社交シーズンに備えてであるが……その貴族を狙う一団がロンドンに現れた。
 連中は充分な下調べをするのか、年頃の娘が乗った馬車ばかりを狙った。御者や従者のほとんどはその場で殺され、夫人や令嬢をはじめ付き添いのメイドまで、女性は連れ去られて数日後に遺体で発見される。これは公表されていないが、彼女らには全員陵辱の痕跡があった。
 年末に二件、一月は半ばまでに三件、合計五件の事件が起きた。死者は二十三名、重軽傷者が五名である。
 貴族らの多くは独自に雇った護衛をつけ、妻子を領地に残したままロンドンに戻って来ていた。近年は摂政皇太子プリンス・リージェントの夜会好きが影響して、一月の早い時期から夜会や舞踏会を開催していたが、今年はどこの屋敷でも自粛ムードが漂っている。その一方で、イベリア半島における戦争では勝利に次ぐ勝利、かのナポレオンが退位間近という噂も流れていた。貴族たちは派手な祝宴を開きたくてうずうずしており、一日も早い事件解決を願っていたのだ。
 サー・クインシーが自警団顧問に推薦されたのは、いよいよ暮も押し迫った十二月の三十日のこと。国王ジョージ三世の三男クレランス公ウィリアム王子が抜擢した。クインシーは昨春まで海軍に所属し、戦功により騎士の称号を叙勲されたばかりであった。
 彼はすぐさま自警団の他にパトロール隊を設立し治安維持に努める。そして犯人捜査にあたっては、自らが陣頭指揮に立つ。
 ところが、被害者が全て貴族の令嬢ということから、聞き取り調査だけでも困難を極めた。被害者一家はともかく、周囲の貴族は体裁をおもんぱかって「余計な捜査はするな」「次の犯行が起こらないようにすればいい」などと言い、犯人逮捕に非協力的なのだ。一月半ば、五件目の事件が発生し、クインシーはクレランス公を通じて、ある貴族に助けを求めた。それがクラン男爵、ジョエル・アレクシス・ハワードであった。

 ジョエルとクインシーは実に十年以上ぶりの再会だった。
 今年三十三歳という同じ歳の彼らが出会ったのはバークシャー州の寄宿学校である。二十二年前、二人ともまだ少年であった。
 ジョエルは大貴族の息子として、わずか七歳の時、双子の兄と共に寄宿学校に入れられた。クインシーは貴族の庶子と言われていたが、ジョエルは真相を尋ねたことはない。気の合った二人に身分など関係なかったからだ。卒業後、士官学校に進んだジョエルは陸軍に入隊。海軍を選んだクインシーとは顔を合わす機会はしだいに減って行き……。
 クレランス公からのジョエルに呼び出しがあったのは、一月半ばのこと。
 昨年六月、ジョエルは兄ジョサイアの病死に伴い後継者となった。已む無く陸軍を除隊し、イベリア半島から帰国したのである。彼は本来なら、兄と同じサレイ伯爵を名乗るべきなのだが、父に対する反抗心からクラン男爵を名乗り、領地には近寄らずロンドン郊外の屋敷で隠者のような生活を送っている。
「私は無骨な軍人でした。そんな貴族の間を回り、内偵のような役目はとても……」
 ジョエルは一旦断わるが、クインシーの「美しい妻も未婚の妹もいないから、面倒に関わりたくない。そうハッキリ言えば言いさ、男爵様」爵位を揶揄する言葉にジョエルは反射的に引き受けてしまった。
 後から思えば、親友の罠に嵌まった気がする。クインシーはジョエルが階級や爵位を嫌っていることを知っているのだ。しかし、引き受けた以上はひたすら真面目に務めるのがジョエルの長所だ。貴族らもクラン男爵の声掛かりでは自警団顧問を蔑ろにも出来ない。ジョエルの意見で貴族らに自衛手段を徹底させたことから、丸一ヶ月以上犯行は行われなかった。
 その間の捜査で、一味は四人から五人の集団、貴族に対する恨みを持つ者の犯行、目的は報復ではないかと言われ始める。それもかろうじて生き残った者の証言から、犯人たちは外国人や貧民層の人間ではなく、口調や服飾品からもジェントリー階級ではないか、とも声も上がった。充分に貴族を震え上がらせた、足が付くのを恐れてこれ以上の犯行は繰り返さないだろう。自警団の中で囁かれ始めた矢先、六件目の犯行が行われた。


 二月二十四日、石畳の路面も凍りつくような夜半、一台の馬車が西側からロンドン市内に入った。
 乗っていたのは、ロッドフォード伯爵令嬢のグレース・ユージェニー、十八歳。イングランド南西部サマセットに住んでおり、グレースにとって初めてのロンドンだったらしい。伯爵は娘の身を案じ、屈強な男を二名護衛に付けていた。彼らは馬に乗り、周囲の警戒にあたっていたという。他には御者、従者、グレースつきのメイド各一名が同行していた。
 当然彼らも夜は危険だと承知しており、日の高いうちに到着する予定だった。ところがロンドンを目前にして馬車が脱輪。途中で泊まる宿屋もなく、さりとて伯爵令嬢を野宿させるわけにもいかない。一行は急場しのぎの修理を施し、ロンドン市内に駆け込んだ時には日付けが回っていた。
 突然馬がいななき、立ち上がったという。そして最初に殺されたのが二人の護衛だった。次に御者台で震えていた御者が斬られ、翌日死亡。従者の男は馬車から出た瞬間を斬られ、転げ落ちて意識を失った為、命は助かった。自警団が駆けつけた時、その場にグレースとメイドの姿はなかったのである。

 従者は斬られる寸前、一味の姿を見ていた。
 フード付きの黒い外套で体型や髪型をすっぽり覆い隠し、目と口元だけがくり抜かれた白い仮面を被った連中の顔を。彼は他の生存者と同じ言葉を悲鳴のように叫んだ。
 ――『白き仮面の悪魔』に襲われた、と。

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