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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十八話 心に響く声

「もう、いいだろ? 引けよ、宗次朗」
 乙矢の張り詰めた声が、膝をついた宗次朗の頭上に注がれた。
 宗次朗はこの時を待っていたような気がする。終わりを――『白虎』の勇者が現れて、『朱雀』に選ばれた宗次朗じぶんを滅ぼしてくれる日を。にも拘らず、肝心の勇者である乙矢は、斬り捨てず「引け」と言う。
「なぜ斬らぬ……私を斬るのは、お前の宿命ではないか!?」

 宗次朗の問いに乙矢は首を左右に振った。
「宿命なんぞくそ喰らえだ。俺は誰も斬りたくないし、殺したくもない。俺は、誰かに勝ちたいなんて思わない! 大事な人たちを守りたいだけだっ!」
 押し殺した声で乙矢は叫ぶ。

 そんな乙矢を無視し、宗次朗は左腕に『朱雀』を持ち替え反撃に出た。
 しかし、乙矢のほうが早かった。威嚇のつもりで宗次朗の鼻先を一閃する。そして、宗次朗の体が泳いだ隙を狙い、喉元に『白虎』の切っ先を突きつけた。ピタリと狙いを定めたまま剣を止める。
 
 刹那――宗次朗はこの状況に不釣合いな微笑を浮かべたのだ。

「そう、じろうさん? 何を」
 乙矢が全てを尋ねる前に、宗次朗は答えて見せたのである。自ら『白虎』の刃先に飛び込んだ。
「宗次朗さんっ!」
 『白虎』が宗次朗の頚椎を貫いた直後、乙矢は慌てて剣を引く。宗次朗は『朱雀の鬼』ではない。勇者とて人間だ。それは文句なく致命傷となるはずであった。一歩二歩とよろめくように、宗次朗は崖に向かって後退する。
 宗次朗が口を開いたとき、喉から空気の漏れる音がした。
「腰……抜け、め。勇者に討たれて……死にたかったものを……。一矢が、勇者であれば……よかったのだ」
 渓谷を吹き抜ける風と共に、宗次朗の呪詛めいた声が乙矢の耳にも届く。

 斬れば良かったのかも知れない。今、この時も――宗次朗にこの手で止めを刺せば良いのかも知れない。判ってはいても、乙矢には出来なかった。家族を失い、ようやく再会出来た唯ひとりの兄すら、死んだも同然である。この上、血の繋がった従兄まで、何故自らの手で斬れねばならないのか……。例え仇であろうと、出来ないものは出来ないのだ。

「なぜ……『白虎』は、おまえをえらんだの」
 声が途切れた瞬間、宗次朗の右足が崖の縁を踏み外した。この時、乙矢は何も考えず宗次朗に飛びついた。
 だが、宗次朗は救われることを拒んだのだ。手にした『朱雀』を、差し伸べられた乙矢の右手目掛けて投げつける。


「乙矢殿っ!」
 離れた位置にいた弓月の目に、『朱雀』が乙矢の腕を突き刺したように映った。思わず悲鳴を上げ、弓月は乙矢の元に駆けつける。
「乙矢殿! ――大丈夫でございますか、すぐに『朱雀』を」
「クッ!」
 乙矢は右腕を押さえて呻いていた。剣はたなごころを貫いている。柄に手を掛けようとした弓月を、慌てて乙矢が制し、自ら引き抜いた。
「だい……じょうぶだ。でも、宗次朗さんが落ちた――」
「乙矢殿のせいではございません。皆実家が如何に不遇な扱いを受けたからと言って、神剣に選ばれながら……あの方は私怨をはらそうとなさった。神剣に隙を見せれば『鬼』となるはずが、『朱雀』はそれでも宗次朗殿を主としたのです。危険を孕んだ剣だからこそ、警戒せざるを得なかった。同情はしますが、あの方の怒りが正当であったとは、私には思いません」 

 弓月は必死になって言った。これ以上、乙矢の心を傷つけたくなかったからだ。誰より、勇者の血に振り回されたのは乙矢だ。彼自身は望みもしないのに『白虎の主』とされ、憎しみの的にされたのである。 勇者として、目覚めたくなどなかったであろう。優しい姉や強い兄に囲まれて、皆が幸福でいられる人生を、乙矢は歩きたかっただけなのだ。
 だが、乙矢を思う余り、言葉を失う弓月の耳に逼迫した声が聞こえ――
「伏せろっ!」
 何が起こったのか判らぬまま、弓月は乙矢に抱き締められ崖の上を転がった。
 見上げた二人の瞳に映っていたのは、逆光を背に立つ一矢であった。


〜*〜*〜*〜*〜


 一矢の手に握られているのは神剣『青龍一の剣』。鬼と化した狩野同様、両眼は鼠色に濁っている。『青龍』の刀身は光を失い澱んだ気を発していた。
 ゆらゆらと、鬼に操られただけの亡骸がそこにいる。“それ”は一矢であったものに過ぎなかった。
「一矢……一矢……どうすりゃいいんだ」
 乙矢は咄嗟に掴んだ『白虎』を左手で構えるが、術なく刀を弾き返すだけだ。

 一矢を楽にしてやれ、と心の何処かから聞こえる。
 策もなく、ただ斬りかかる一矢の剣を避け……乙矢は背中に、谷底から噴き上げる硫黄を含んだ風を感じた。弓月を巻き込むわけにはいかない。乙矢はゆっくりと、左に歩を進める。
「弓月殿――森に飛び込んで下さい。そして、そのまま振り向かず湯治場まで」
「嫌です! 乙矢殿……あなたの思うままになさって下さい。私はどちらにでもお供いたします」
 それは一矢と乙矢の真情を知る弓月の心からの言葉であった。

 風が軋む。鬼の気配を感じる。乙矢は剣を持つ左手で、弓月の身体を森に向かって突き飛ばす。
「キャッ!」
 
 ――我が主よ。鬼を斬れ。

 神剣に宿る鬼の声が乙矢の全身を駆け抜けた。命じられるまま、『白虎』を掴む左手に力を入れる。
 だがその時、乙矢の胸に正三の声が響いた――

『斬れぬ、では困る。斬らぬ、と言うなら……神剣の主となってから言え』

 斬らねばならない……斬るべきなのだ……だが。
 
 ……カシャン……

 乙矢の足元に残光を纏った『白虎』が転がった。
「ごめん正三……やっぱ俺に一矢はれねえ。しかばねだと判っていても……腕は落とせても、殺すことだけは出来ないんだ! 弓月殿、すまないっ!」
「いやぁっ! 斬らないで、一矢殿っ!」

 届くはずのない願いであった。
 最早、鬼に魂までも奪われ、木偶でくとなった一矢に聞こえるはずはないと思われた。
 しかし――丸腰の乙矢に向かって振り下ろされる『青龍一の剣』から、瞬時に鬼の気配が消えたのだ。
 
「なるほど……だから『白虎』は選んだのだな……おまえを」
 
 一矢の双眸に人の命が宿り、慈愛に満ちた眼差しが甦る。それは、己に巣食う鬼と戦いながら幾星霜――弟を見守り続けた兄の、鎮魂の祈りであった。

 蒸せるような暑さが途切れる。断崖に清涼たる風がそよぎ、二人の同じ長さの髪を靡かせた。 
 一矢の頬にそぞろ笑みが浮かぶ。終の別れを悟り――乙矢も笑みを返した。それを見届けると、一矢は『青龍一の剣』を手放したのだった。

 勇者であることを願う余り、鬼に身を落とし――爾志一矢は自らの意思で、十八年の生涯に終止符を打ったのである。  



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